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毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

ニュルンベルクのマイスタージンガー

2005年08月25日 12時37分05秒 | らくがき


 「ヒトラー最期の12日間」、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」となんだか偶然にドイツのことを考えさせられる出来事が連日続く。
 たとえヴァーグナーに罪はなくとも、ヒトラーがヴァーグナーのオペラをナチスの宣伝に使ったのは事実。ユダヤ人の中にはヴァーグナーの音楽が嫌いな人も多いだろう(事実、イスラエル・フィルをメータが振ったとき、アンコールとしてヴァーグナーを演奏したら、客どころかオーケストラからも退席者が出たぐらいだから)。ウッディ・アレンも映画の中で「ヴァーグナーはだめ。あんなの聴いたら東欧に侵攻したくなるから」(「マンハッタン殺人ミステリー」)とか「レコード屋にいたら金髪で馬鹿でかいやつが変な風な笑い方で、今週のセールはヴァーグナーです、だなんて意味ありげにニヤニヤしやがって」(「アニー・ホール」)などと言ってる。
 ぼくの持っているCDはカラヤンがわざわざ東ドイツで録音したもの。ドレスデン・シュターツカペレの弦楽器が奏でる渋い音色がなかなか魅力的な演奏なのだが、そのブックレットが興味深い。輸入盤なので、歌詞は原詩のドイツ語、それに英訳、仏訳。最後、ザックスが「マイスターを侮るなかれ」と歌うシーン。「それ故汝らに告ぐ。ドイツのマイスターたちを敬い給え、さすれば良き精神をその身に得ん!神聖ローマ帝国は潰ゆとも、聖なるドイツの芸術は不滅ならん!」などとドイツ精神高揚みたいな歌詞だ。英訳はこれを忠実に訳しているのだが、仏訳には「ドイツ」の「ド」の字もない(まあ、フランス語では「ドイツ」ではなく、「アルマーニュ」だから「ド」の字はないんだが、そういうことではなく)。「ドイツ」はすべて「私たちの国」となっている。「聖なるドイツの芸術」は「聖なる芸術」だけ。
 この仏訳と英訳の差こそ、直接ドイツに占領されたかされないかの差であろうと思う。この演奏が発売された1970年において、まだフランスではこのオペラに繰り返される「ドイツ」という国名に不快感を感じる人々がいたのだ。
 同じ連合国に属しても占領された、されないで、これだけの温度差がある。ましてや、占領した方と占領された方の温度差たるや、想像にあまりある。このことを忘れてはならないと思う。
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国立歴史民俗博物館2

2005年08月25日 10時35分41秒 | 観光

 行ったことがないんだけれど、大阪と奈良の県境にある生駒山。そこが宗教街になっているらしい。行ってみたい。その典型的な建物が展示してある。宗教と言っても、信者数0~数人、あるいは数十人という小規模なものが多いとのこと。行きたい、見てみたい。観光の心がうずく。はっきりした教義などなく、占いや悪縁断ちのようなまじない系統も多いみたいだから、たぶん宗教法人として認可されていないものも多いだろう。わけのわからないものを「迷信」として退ける近代的態度のすぐ横に、ずっとこういう心情が残っている。まさに民俗学のフィールドである。


 和歌山県の加太淡島神社の絵馬。雛、である。そして祭神は少彦名命。天皇の穢れを背負い流される神。淡島もそう。イザナギ、イザナミの神が最初に生んだのは蛭子。葦で作った船に乗せて海に流してしまう。そして次に生まれたのが淡島。ところが話が単純でないのは、世の習い。実はこの淡島と淡島神社の祭神が同じかどうか、あまりはっきりしない。これは今後のぼくの調べる課題にしておこうと思う。


 大正から昭和にかけての風俗も展示してある。レトロな感じが面白い。大阪の市立博物館もそうだったが、この一角はなんだかカレー博物館とかのノリ。実物大の展示は大変楽しい。ここじゃなきゃできない、という感じ。

 ほかにもぼくがフィールドで入った広島県西城町の荒神神楽の舞台や、そう、特筆すべきは関東大震災での朝鮮人虐殺、被差別の問題など、公の博物館があまり展示しないようなものまできちんと展示してあることだ。木地師や山窩、猟師など民俗学には差別の歴史もまた含まれるのだ。

 展示を見て回ったあと、ミュージアムショップでおみやげてんこ盛り買ってしまいました(全部自分のだけど)。売ってるものもなかなか楽しい。場所は京成佐倉から徒歩15分、佐倉インターから車で10分ぐらいのところ。関東近県の方、是非お勧めのスポットです。
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オペラトーク

2005年08月25日 00時00分33秒 | 観光
 新国立劇場横の通りは「オペラ座通り」らしい。文字を書いたゼッフィレッリはイタリアの巨匠らしいが、ぼくの世代からすると、巨匠というよりヴィスコンティの助監督って感じなんだが、それは感覚としてあまりにも古いか。


 さて、新国立劇場でのオペラトークに行ってきた。
 9月に上演される「ニュルンベルクのマイスタージンガー」について、演出のヴァイクル、指揮者のレック、それに新国立劇場の芸術監督ノヴォラツスキーが出演、司会は日本ワーグナー協会の理事さん。
 いろいろ興味深い内容だったが、その中で特筆すべきはやはりこのオペラとヒトラーの関係について。
 ナチの大会での入場行進曲として使われ、またそのドイツ万歳的な内容について、音楽とは別の次元での議論がまとわりついてきた。戦前はナチス式敬礼が演出に取り入れられたり(それを拒否したクナッパーツブッシュは、ヒトラーに干される)、逆にバイロイトでの演奏が戦後復活したときには、「ドイツ」という部分は演出的に小声になったり(この演奏を指揮したのは、やはりクナッパーツブッシュだった)。
 
 演出のヴァイクルさんは、このオペラでのベックメッサーの描き方にいつも不満を持っていたと言う。ベックメッサーを悪者として描き切れていない、と。ベックメッサーは国家主義・反ユダヤ主義を象徴し、そして祝祭の場で排除されていく悪者なのだ、と。作品の内容には国家主義や反ユダヤ主義は存在しないんだ、と。
 ワルターという今までの慣習とは別の原理を持った青年に対して、主人公ザックスは肯定し、ベックメッサーは違う、ということだけで拒否する。その偏狭なナショナリズムを否定したのが、このオペラなのである、と強調していた。
 指揮者のレックさんは、このオペラがドイツ的重厚さの象徴のように思われている風潮を変えたいと言う。ヴァーグナーのほかの「トリスタン」や「リング」に比べ、逆にイタリア的な軽さとエレガンスがあるのがこのオペラであり、その点を演奏で心がけたい、と。
 観客にも熱心な人が多い。メモを取っている方も一杯いたし、通訳さんが訳す前に笑う人(つまりドイツ語に堪能な人)も数人いらしたし……途中ちょっと飽きて、パンフレットの顔写真にひげ書いたり、眼鏡書いたりしてたわたしとは大違いだ。
 それにしても1度のオペラを2度楽しめ、またより深く味わうことのできるこうした企画は素晴らしい。いよいよ本公演が楽しみ。
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