鞍馬寺本殿に到着。
鞍馬は明治の廃仏毀釈、神仏分離令の影響でさびれてしまったが、信楽香雲管主のもと現在は鞍馬弘教総本山として天台宗から独立している。愛を月輪の精霊=千手観世音菩薩、光を太陽の精霊=毘沙門天王、力を大地=護法魔王尊の姿であらわし、この三身一体として「尊天」と称し、これが鞍馬寺の本尊である。
そして「月のように美しく、太陽のように暖かく、大地のように力強く、尊天よ溢るる恵みを与えたまえ…」と祈る。
「尊天」は宇宙すべてであり、すべてのいのちのもとであり、すべてのいのちそのものでもある。 霊宝殿に入ると、一階に鞍馬の山に息づく様々な「いのち」が展示してある。最初訪れたとき、きのこなどの展示に「南方熊楠好きな人でもいるのか」と思ったのだが、そうではない。博物趣味ではなく、さまざまな「いのち」を尊重しているのだ。
「いのち」を大切に考える鞍馬の本堂掲示板には管主の文章が2つ書いてある。「テロはやめよう 戦争もやめよう/どちらも無慈悲で残酷だ/真の平和を願ってひたすら祈ろう」
もう一つの文章は、戦うことのむなしさを説き、「戦争で悲しまないために/戦争で悲しませないために/平和の道を目指したのです/「日本国憲法」は平和の基盤/日本が世界に誇れる宝です」と結ぶ。最初来たときには違和感を抱いたのだが(お寺の本堂に書いてある文章として)、「いのち」というキーワードを考えるようになるとすんなり納得できる。
ここに集うもの、鬼も、流刑の神も、人も、動物も、植物も、すべてのいのちを優しく包み込む鞍馬。次は五月の満月祭のときに訪れてみたい。