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暗渠捕物帖

2009年11月29日 21時55分52秒 | 観光
 小石川の両脇には、川の水を引いた田んぼが広がっていた。小石川が暗渠になる以前に田んぼは埋め立てられ、一部が下水道として暗渠になっている。
 今回は、その小石川横の田んぼ跡をフィールドに、暗渠の特徴を5つほどレクチャーしましょう。


 まず一つめは崖。こういう崖のある下は、川が流れているか、その川が暗渠になっていることが多い。暗渠ハンターとしては、こうした地形をチェックしたいものである。



 丸がいっぱいついた坂。急坂の印。ぼくのうちのあたりはこういう坂が多くて、子どもの頃から坂ってこういうもんだと思ってた。こういう急坂の下はどうしても水が流れ込み川になりやすい。そして今、川が見えないのなら、そこは暗渠だ。



 田んぼ跡の横にある簸川神社。これもたぶん明治になるまえは天王社だったんだろう、それから氷川神社になり、簸川神社と改名。簸川は、確かにスサノオにゆかりの地だからスサノオとしてはそちらの方が漢字的にはあってるんだろうが、出自もともとは違うだろう。
 この入り口は暗渠の横にあるけれど、社殿は崖の上。ポニョか。
 入り口下、社殿上ってのも暗渠前の神社の特徴。しかも岬に立つ神社は、かなり特徴的でほかにもいろいろ見られる。



 そして、案外地味な特徴が、この多発するマンホール。
 写真でおわかりの通り、10mあたりの間にマンホール5つ。この路面面積からすると、人口密度よりマンホール密度の方が高いと言っても過言ではない、かな。



 そして最後、道のカーブ。こういうカーブがあると、これは元々は川だったんじゃないか、と思う。川にふたをして道にすれば、そのまま川の流れ同様の楽しいカーブ道。これも暗渠の特徴。
 ちなみに、この塀の向こうは徳川吉宗ゆかりの小石川植物園。この逆側の坂を登ると、そこには手塚良仙宅跡(今は東京学芸大中学の敷地内)。そう、手塚治虫の曾祖父で、小石川種痘所創設に尽力した人物。

 さて、こうした5つのヒントをまき散らしながら、今でも私たちの足下を流れ続けている河川。東京の暗渠の中には、縄文時代からの地形を受け継ぎ、その川を延々と流し続けているものもある。
 縄文時代の川と共感できる街。
 どんな建物よりも、どんなおしゃれな店よりも、それがぼくを魅了する。
コメント (2)
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