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愛って絶対的な贈与の話なんだろうけれど、実は人間ってそういう絶対に耐えられる仕様で作られているわけではないので、多くの場合、追い詰められた恋愛って相対的なものになる。相手にどれだけプラスを与えたか、逆に自分にどれだけマイナスを与えたかのアピール合戦。
プラスは往々にして、現世的な利害関係において「貢ぐ」という言葉、あるいは金銭が伴わないにしても尽くすという言葉で表現される。その一方自分にマイナスを与えるという行動は、たとえば自傷行為、これが発展すると相手を殺して自分も死んでやるという迷路に陥る。
プラス、マイナスどちらにしても不幸。だいたい、恋愛にプラス、マイナスという概念を持ち込むこと自体、すでにその恋愛の破綻の兆しなのだ。
だから、恋愛はその追い詰められた段階で破綻している(人によっては、その追い詰められた状況下のさまざまな意味での濃厚な状態が癖になるというのもアリなのかもしれないけれど。でも、それは悪趣味と言えるんじゃないか)。しかし、追いつめられてサラ金で借金をし、なおさら状況を悪化させてしまう人たちが多くいるように、死に瀕した恋愛をなんとか蘇生させようとして、より状況を悪化させてしまう人たちはたくさんいる。愚かと言えば愚かなのかもしれないけれど、ぼくにはそう断言するのも躊躇われる。そんなにいろんな女性と付き合ったわけではないけれど、手首に傷がある人が二人目になったとき、ぼくは人の過去におけるさまざまなストーリーに思いを馳せる必要があるのではないかと思った。
で、この「愛のむきだし」。
一言で言うと号泣。
ここには、現実を無視した絶対の贈与が描かれてる。
人によっては嫌う人も多いかもしれない。いやらしい。きたならしい。
そう、この映画はいやらしいシーンもあるし、きたならしいシーンも多い。でも、それらのどのシーンも記号化されていない。映画を見て、ぼくが一番いやらしいと思うのは記号化されたシーン。たとえば、「貧しかったけれど、あの頃は夢があった」みたいなくくりでセンチメンタルな音楽が流れる、こういうシーンの方がどんだけやらしいのか。恋人が白血病で死ぬ。その死のあと、思い出の地を訪れたら恋人からのメッセージが。青い空、そして音楽ドーン。ぼくは、こういう記号化されたシーンの方が絶対やらしいと、薄っぺらいと思う。
人は肉体をもって生き、その肉体とともに死ぬ。その両極端をエロスが結んでいるんじゃないか、と思う。エロティシズムは、両極端のもの、日常では結びつかないものを結ばせる力がある。だから男女が結んだり、生と死が結ぶのだ。
そういう意味でこの映画にあふれているいやらしさは、記号ではなく、ものすごく肉体的、とてもエロティックであり、そして人間の生死に迫るものがある。要するにいろんなことが自分の肉体として痛く感じられる。その痛々しいヒロイン、ヒーローの痛みが伝わってくるから、たぶん嫌いな人は余計不快なんじゃないか。
ぼくも不快な部分がいっぱいあった。映画見て、なんで、こんないやな気持ちを与えられなきゃならないのか。でも、その不快さが記号的なものではなく、肉体的なものだから、これは逆に不快さそのものも、この映画の力なのだ、と。
今回は一切ストーリーは説明しません。ただ、見れば人によっては相当不快。人によっては号泣。こんな力のある映画こそ、ぬるい映画と違って見る価値があるんじゃないでしょうか。
あ、あと、ゆらゆら帝国の音楽がものすごくよかった。解散がとても残念。
aquiraさんの文、軽快なので。(^.^)v
そうか~、なるほど…
Honey的な愛とはまったくかけ離れた世界のお話…
というものが存在することが、
それにaquiraさんが号泣していることが、
面白いな~、
と思ったり…
意味不明なコメント、不快に思われないといいのですけど。
ちょびっと字を書いてみることが楽しいHoneyでした。f^^;
「むきだしの愛」とか「愛がむきだし」ではなく「愛のむきだし」。
最近、小説や映画などは、自分からかけ離れれば離れるほど興味があります。やはり自分から遠いものって体験できないからこそ、面白い。
で、頭に訴えてくるものより身体に訴えてくるものの強さ(ずっと、頭から先に行くタイプだったので)に目覚めつつあり、主題がいい、悪いより、自分とかけ離れた世界で表現が記号的じゃないものに惹かれます。
Honeyさんのコメント、もちろん不快なんかじゃないです。
*Nancyさん
そうそう、そうなんです。そして、ぼくはそのタイトルに意図を感じるんです。普通に読み流されなく、インパクトがあり、しかもタイトルのコアは「むきだし」。「むきだしの愛」だとコアは「愛」なんだけれど、そこをあえて「むきだし」。つまりこの映画の主題は「むきだし」という、語感の決していい言葉じゃないんだ、そんな主張を感じます。
そして、いろんな意味でこの映画には、なんだかさまざまな「むきだし」が描かれているように思えました。