中国古来の智慧と大乗仏教は、現代社会をどう解釈するのか
調和が危機を救う 第二シリーズ
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/c/46d64ccda7464b359fbe37d2da9e7a2b
(注)小見出しは内容を把握しやすくする為に、筆者が加筆したものです。
1.人類に降りかかる災難の根源は何か (更新済)
01/12 東方の聖人と仏陀の智慧
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/0f59fb4ead63477b985481354abba18a
02/12 人心と自然災害の関係
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/a3c982cdf8f9438350b6c408847233cb
03/12 因果の教育/財施の道理/護国息災法会
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/dd8149a12aead1e37ff2d816dbc673fc
04/12
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/69e61ce19832ed1db72d7df8b8c4e3de
05/12 災難を解消するために/共業と別業/布施の効用
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/d7a66bcae88bd9b59afb31c38cb22375
06/12 菜食のすすめ
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/10af00e6640e41c4d1ddcca781766c3d
07/12 温暖化と海面上昇の問題
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/9ab8bd45ffadd48704a9dff41f61b304
08/12 意念は宇宙全体に影響する
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/7ee101776a7ab2db1777d6f3a3fe9993
09/12 「人定勝天」の真意/「仁者無敵」の真意
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/cb80ac2645a99820f7041043254b07f3
10/12 世界的な飢饉の問題
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/399090154767d7909c9e90b70671a390
11/12 災害への対処と世界の潮流
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/c1c45569afc0a580d79767d5165e8a60
12/12 僧侶は何をすべきか/国は何をすべきか/業を解消する
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/1a9ad5b45fced20936f8d006241f4e24
2.天地に生きる人類が直面する最大の危機 (更新済)
01/10 消費社会と人の価値観/小三災と原爆/節約の美徳
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/2fbaac0844038f96ee1bfebe84fc5bfd
02/10 智慧と知識/経済に関する素朴な疑問
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/5c9b6fa0a3e9e6d30d268cb7c91f4ace
03/10 中国古来の経済観
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/332c8fd4a8052ac2543358628df432ce
04/10 福を惜しみ、福を修める
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/db4161cfbd0be27d73e30b308cb3c636
05/10 制度よりも徳育である
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/e58dd82b340a533180f2531f48111163
06/10 民を貴しと為す/因果の責任/選挙制と真の人材
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/54bd0ad81b4b01eba97ecef40c4c756e
07/10 倫理・道徳・因果の教育
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/74147fc8fef50097548d34361018bb1d
08/10 教育の第一の目的とは/真の自由とは何か/上下関係の秩序
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/706d96674824a1331bae31afddfb09f2
09/10 科学技術と倫理道徳
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/40ed2af4a98906be48eb366a5fedf300
10/10 五常の徳と天性/一つの根源
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/bb133293a77304138ccc9e55b7645a2e
3.千古不変の真理――因果の定律 (更新済)
01/06 因果の定律/心の波動と物質の感応
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/bf5a05e0418d16fd0cb9166ce673d848
02/06 人の意念と周辺環境/人生酬報
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/c739357ced88a0f1bc9281126ee8e1ae
03/06 四種類のご縁/命の中の財源/歓喜心と美容
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/169a89b775854f1cfb4c5c3f3dce0bd5
04/06 仏教は積極的/心のエネルギーの性質
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/9b3c130e7aad4e367efaba5936419dcb
05/06 霊性こそが真の自分である/因果の原理
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/3cd5d9861fb24d26e000e7f96f552691
06/06 殺生と因果
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/034cb66a92f1ac77250783b3d6c112c0
4.両親と家族が縁起よく立ち去るために (更新済)
01/05 業因の感応と家族の縁/類は友を呼ぶ
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/a793f4f9c3f72ea9768c786618421272
02/05 自殺の果報の恐ろしさ/亡くなった同胞を悼む
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/3af4a42b29362d2bda59796e98a7ac6a
03/05 因果は三世に通じる/最後の一念/位牌の意味/本当の親孝行
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/bf636a4a83ffe84d22c6403b61c168d1
04/05 自然環境と鬼神/宿世の業力
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/851a33cd96b4ac336f5252b29fec7592
05/05 飲酒について/喫煙について
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/ba73460fabea432bf59d97ba934b2e48
5.人類の知らない宇宙・人生の真相 (更新済)
01/10 異次元空間の衆生/鬼神を敬して之を遠ざく
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/149966d33584d478cf4cd4362da66f6d
02/10
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/e64ad45ce46ab5095ce87ed4344a3df4
03/10
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/cc15e2de3317ad93f58c855c934dccb7
04/10
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/27575a446ba0a3c9646dfec253ee378c
05/10
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/1cb3a026b6f560a07c0a80837c6d1c0f
06/10
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/cddb25933d3adc2bd4bc2f0a6a4eec69
07/10
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/46049f0d4c6fa9575125c79fb384f15d
08/10
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/92404f93bd2b226301f51a2f157ffc5e
09/10
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/d8deb0d3451940078e35813752d241c3
10/10
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/0413b4c772eb198113e29942c8099612
6.欲望に従うことの代償 (更新済)
01/06 夫婦は賓客のように敬い合う/男女関係の乱れ
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/9008bd1443dbed257d40d836b8b0e652
02/06 家庭と婚姻の問題
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/c9c5f3a01d6d5407564667a898178315
03/06
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/5c84d5d03c2ccf08e8cb2d999bb56a61
04/06 「万悪淫為首」(あらゆる悪の中で最も悪いものは淫欲である)
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/bd9b24ff34dde071cc4fbaf7361953fc
05/06 芸能人に対する警鐘
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/e29f13d3957bf278f344ba5df7887318
06/06 歓喜仏について
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/8c5441c85f153b6030fabe2e4caf762f
7.我々の子孫は如何にして心の拠り所を得るのか (更新済)
01/10 児童教育と競争原理の問題/伝統教育の社会実験
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/36fb0ca4fa86e258397076da99e128eb
02/10 学生のあるべき姿とは/三つの根
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/f5900b5840dde5947194d82aff3b55fa
03/10
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/db4a8a148060e168447106b3b91ff72d
04/10 享楽的な世相と災難/清浄心と慈悲心で健康を保つ
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/ef3b4dbfd8520ed44a19c53df771364c
05/10 礼節は最後の砦/卓越した人材を育成するには
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/009bc340bd92d565d59dab4a29ecd22f
06/10 古来の教学方法を実践する
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/5b98e9df9d6027e2723f432697014243
07/10 聖賢を育成する女子教育の重要性/家譜と家族意識の重要性
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/c4a16401c86b3b3432db687bd8067a7c
08/10 三綱五常/トインビーの言葉の真意とは/社会を救う伝統文化の核心
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/4cdcef0fe1aae73ef6b00dbb08ed19b8
09/10 まず自分自身を調和させること/国連平和会議への出席と社会実験の経緯
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/b4656bebf4df2ca58768e6823ba47545
10/10 各宗教の根源は一つの神である/自性から流露した倫理道徳の智慧/災難を回避するために
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/68379abbdbbb1f0be9ca6276ff9be7d3
我們的子孫後代如何安身立命 /我々の子孫は如何にして心の拠り所を得るのか
《和諧拯救危機》系列二 第七集/『調和は危機を救う』第二シリーズ 第七集
【原文】 http://ft.hwadzan.com/dv.php?sn=21-490-0007&lang=zh_TW
答記者問(第七集) 2008/11/2 香港理工大學 檔名:21-490-0007
*この原稿は一部省略・編集されています。
【児童教育と競争原理の問題】
【司会者】:我們在開始給大家播放了一個紀錄片,這個紀錄片就是民主選舉。在這其中我們看到了這樣的畫面,這幾個小學生,三年級,八歲,為了競選當班長,拉幫結派,打倒對方,使用了很多非常不好的方法。而且我們看到這個畫面,兩個孩子串通同學們,對著那個小女孩就是喊「打倒、打倒」,很多觀眾看了之後非常難過。這種口號、這種話,在很瘋狂的那個時代,在文革的時候我們聽到過,這是人類最醜惡的一面。觀眾會問這樣的問題,一個天真爛漫的孩子,他為什麼能喊出這麼醜惡的口號來,他為什麼能喊出這麼凶惡的口號來?
まず最初に皆さんにある記録映像を見ていただきました。これは民主選挙の記録映像です。その中にある場面が見られます。この数人の小学生は三年生、八歳です。級長を選出する為に派閥を作って相手方を打倒します。良くない方法をたくさん使っています。しかもこの場面では、二人の子が同級生と示し合わせて、少女に対して「倒せ、倒せ」と叫んでいます。多くの視聴者はそれを見て非常に心を痛めました。このようなスローガン、このような言葉は、狂気じみていたあの時代、文革の頃に聞いたことがあります。これは人類の最も卑劣な一面です。視聴者はこのような質問をします。一人の天真爛漫な子どもが、どうしてそのような卑劣な言葉を叫ぶのでしょうか?彼らはなぜそこまで凶悪な言葉を叫べるのでしょうか?
【浄空法師】:你要記住,人,好人是教出來的,壞人也是教出來的,現在的社會,現在的家庭,現在的父母,現在的老師,教的是什麼,你就明白了。如果要是這樣教的話,這個國家民族沒有前途了。你想,這個小孩長大之後,他們成人了,在社會上競選,從小就學了這些手段,這個社會還能好嗎?所以,你看我不是給你們說過,演培法師問我贊成什麼,我贊成君主,我不贊成民主,你就想想有道理。但是無論是民主或者是君主,最重要的是倫理、道、因果的教育,如果有這三種教育的根基,他就不會做這種事情出來。
覚えておいて下さい。良い人はそう教えられたのであり、悪い人もまたそう教えられたのです。今の社会、今の家庭、今の父母、今の教師が教えているのは何でしょうか?あなたはそれで理解できます。もしこのように教えていれば、その国家民族に前途はありません。考えてみて下さい。この子どもが大きくなり、成人になって社会で選挙運動をします。子どもの頃からこのような手段を学んでいれば、この社会は良くなるでしょうか?あなたにお話ししたと思いますが、演培法師は私に(中国の社会制度について)何に賛成するかと聞きました。私は君主制に賛成し、民主制には賛成しません。よく考えれば道理があります。しかし民主制であろうと君主制であろうと、最も重要なのは倫理、道徳、因果の教育であり、もしこの三つの教育の基礎があれば、その子はそのような事はできません。
【司会者】:這些孩子的家長,或者是那些老師,會請教您這樣的問題:我們這樣做是為了加這個孩子適應社會的能力,鍛鍊他競爭的能力。
その子たちの保護者、或いは教師たちは、老法師にこのような質問をします。我々がこのようにするのは、子どもたちが社会に適応する能力をつけ、競争する力を鍛える為なのだと。
【浄空法師】:不錯,這種鍛鍊的能力,從小就教競爭,提升就是鬥爭,再提升就是戰爭,這是走上毀滅的道路。我這個話是跟美國一些大學教授談的,我說西方教育的思惟、做法是死路一條。我們中國人教小孩,教讓,沒有教爭的。競選的事情誰會叫人幹,誰能說我好,他不好,要批評別人,這是缺到極處。這樣的人在古時候可以說是他無立足於社會的餘地,沒有人瞧得起他,怎麼會出這種人,這麼狂妄自大!中國社會五千年來都是講謙虛,都是禮讓,沒有爭的。如果說一到爭,這個國家就危險了。你看孟子說得多好,「上下交征利,其國危矣」。今天是全世界交征利,所以很多人說地球會毀滅,人類會在這個時代絕滅。科學家給我們說的是,三十年前我就聽到這個話,一百年。什麼時候到這時候?是二一00年,三十年前那個時候我在美國聽的。我到澳洲去的時候,在澳洲、在新加坡,這十幾年前,科學家又改變了,不是一百年,提前了,五十年,就是二0五0年。現在還有人講,到不了那個時候,大概只有十年了。你看愈來愈近了。這個話我們聽了,怎樣感受?是很有可能。我們從什麼地方看?我們從人心看。
その通りです。このように鍛えた能力は、子どもの頃から競争を教えていれば、エスカレートすれば闘争になり、更にエスカレートすれば戦争になります。これでは破滅の道を歩んでいます。この話はアメリカの大学教授にしたのでが、私は、西洋の教育の考え方・やり方は絶望の一本道だと言いました。私たち中国人は子どもを教えるのに、譲ることを教えて、争うことは教えません。選挙を争うことなど誰ができるでしょうか。自分は良くて他人は悪いなどと言い、他人を批判するなど誰ができるでしょうか。それは不道徳極まりないことです。このような人は昔であれば、社会で身を立てる余地さえなく、軽蔑しない人はいませんでした。どうしてこのような人が出て来るのでしょうか。身の程知らずも良いところです!中国社会は五千年来ずっと謙虚を重んじて来ました。すべて礼譲です。争いではありません。もし争いになれば、その国は危険です。孟子は良いことを言っています。「上下交征利,其國危矣」(上も下も入り乱れて利益を争い合えば、国が危うくなる)【注】。今日では全世界が利を争っています。ですから多くの人が地球は壊滅する、人類はこの時代に絶滅すると言っています。科学者が言うところでは、三十年前に私が聞いた話では、百年でした。それはいつでしょう?2100年です。三十年前にアメリカで聞いたことです。私がオーストラリアに行った頃、オーストラリア、シンガポールにいた十数年前、科学者の話がまた変わりました。百年ではなくて、前倒しになり五十年、つまり2050年です。今またある人が言っているのは、そこまで至ることはできず、おそらく十年しかないと言います。増々近くなっています。私たちはこの話を聞いて、どう感じているでしょう?そうなるかもしれません。どこから見て取れるでしょうか?私たちは人心から見ています。
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【注】 「上下交征利,而国危矣」 (『孟子』梁恵王上)
上下交(こもごも)利を征(と)らば,而ち国危うし。
君主から庶民まで誰もが利益を争えば、国が危うくなる。
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【司会者】:現在連小孩子的心都是這樣。
今では子どもの心でさえそうです。
【浄空法師】:對,連小孩都是這樣子,那就太可怕了。不要等他長大,他現在才八歲,大概二十年之後,這世界就沒有了,他選不上了,他沒有這個機會了。你看我們看到許多預言,這外國預言,這不是中國的,美洲的、歐洲的,我們看了很多東西,預言講世界嚴重災難是在二0一二年,距離我們現在只有四年。他講什麼?災難是現在才開始,最嚴重的是二0一二年,地球上人可能會死一半。
そうです。子どもでさえそうです。これは恐ろしいことです。その子が成長するのを待つことなく、今八歳であれば、だいたい二十年後にこの世界はなくなってしまいます。その子が選挙に選ばれる機会はなくなります。私たちは多くの予言を見ました。これは外国の予言です。中国のではありません。アメリカ、ヨーロッパ、私たちは多くのもの見ました。予言で言われる世界の深刻な災難は2012年です。今から四年しかありません。何と言っているでしょう?災難は今始まったばかりで、最も深刻なのは2012年、地球上の人が半分死ぬかもしれません。
【司会者】:二0多少年?
二千何年ですか?
【浄空法師】:二0一二年。
2012年。
【司会者】:二0一二年。
2012年。
【浄空法師】:巴西預言家講到最後的一年是二0四三年,距離我們現在大概三十年。他說到那時候,我們地球上的人只剩下現在的百分之二十,也就是十個人當中有八個人都不在了,全世界的人口大概像中國人口這麼多,這是巴西預言家講的。你看現在小孩這麼小他就學這套,這還得了嗎?不得了,這太可怕了。
ブラジルの予言者が語った最後の一年は2043年です。今から約三十年あります。彼が言うには、その頃地球の人間は今の20%しか残っていません。つまり十人中八人はいなくなります。全世界の人口はだいたい中国の人口ほどになります。これはブラジルの予言者が言ったことです。今の子どもが幼い頃からそのようなことを学んでいては、大変なことになりませんか?とんでもないことです。これは恐ろしいことです。
【司会者】:有些家長他自己也會掉眼淚,他說老人家您說得是很對,但是我們是迫不得已,我們是被逼上梁山,誰願意這樣?現在社會都在競爭,我的孩子要生存。
ある保護者たちも涙を流して、老法師の仰ることは正しいと話しています。しかし私たちはやむを得ない状態に迫られ、梁山【注】に無理矢理登らされます。誰がこのようなことを願うでしょうか?今の社会はすべて競争です。自分の子どもは(その競争社会を)生きていかなければなりません。
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【訳者注】 梁山(りょうざん)・・・・『水滸伝』の中で豪傑たちが立てこもった梁山泊のこと。ここでは野心家が集まる今の競争社会の比喩として引用されている。
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【浄空法師】:不,我要生存,我不走這條路,我不是生存得很好嗎?我生存得比你們還快樂。我一生從來沒有害人的一個念頭,不但行為,念頭都沒有。我接受別人的毀謗,接受別人的侮辱,接受別人的陷害,我很快樂,我還感恩他。為什麼感恩?他替我消業障,看看他這樣對我,看我能不能承受得了。我能承受,我不會生氣,我不會有怨恨,我走的路是天堂。
いいえ。自分が生きていくのに、その道を歩かなければ、良く生きられるのではありませんか?私はあなた方より満ち足りています。私は一生で、これまで人を害そうという考えを持ったことはありません。行為だけでなく、考えもありません。私は人の誹謗を受け入れ、人の侮辱を受け入れ、人の陥れを受け入れます。私は満ち足りていて、その人に感謝します。なぜ感謝するのでしょうか?その人が私の代わりに業障【注】を解消してくれるからです。その人が私にそうすることで、私は耐えることができるかどうかを見るのです。私は耐えられます。私は怒りません。私は怨みません。(そうであれば)私の歩む道は極楽浄土です。
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【注】 業障(ごうしょう/ごっょう)・・・・過去の悪業によって生じた障害のこと。
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【司会者】:我們老祖宗教後代吃虧是福。
私たちのご先祖様は、損することは福であると子孫に教えています。
【浄空法師】:對,吃虧是福。
そうです。損することは福です。
【司会者】:現在大家不相信,不敢相信。
今では誰も信じません。とても信じられません。
【浄空法師】:我就是願意一輩子吃虧,我一輩子天天在享福,你看這生活多快樂,沒有憂慮,沒有煩惱。我沒有希望,也就沒有失望;有希望就有失望。
私は一生損することを望んで、毎日福を享受しています。生活は満ち足りていて、心配事はなく、煩悩はありません。私は希望を持たないので失望もしません。希望があるから失望があるのです。
【司会者】:美國的華盛頓郵報評論這部紀錄片,它是這樣講的,觀看一群八歲大的孩子的政治戲劇,令人如坐針氈。連最民主開放的美國人看到中國的這種對孩子的教育,對孩子的這種改變,都大為不安。我們相信他這種反應是一種人的本能,他看到孩子這樣,他確實受不了。現在問題就出來了,西方人他都受不了,那為什麼中國人的這些家長、老師他們就受得了,而且還鼓勵孩子這麼做?
アメリカのワシントン・ポスト(The Washington Post)はこの記録映像を評して、このように書いています。“八歳の子どもたちの政治劇を見て、まったく気が休まらない。最も民主的に解放されているアメリカ人でさえ、中国のこのような子どもの教育を見て、子どもの変貌に対して大きな不安を覚える。” このような反応はある種の本能で、人は子どものそのような姿を見ると、確かに耐え難いものを感じます。今問題が出て来ました。西洋人でさえ耐えられないのに、なぜ中国人のこのような保護者や教師たちは平気で、しかも子どもがそうするように仕向けるのでしょうか?
【浄空法師】:因為近代的中國人把中國老祖宗留下來的文化,信心完全喪失盡了,所以他沒有東西,他現在就是完全依靠外國,外國什麼都是好的,民主也得要學外國。學的外國,讓外國人看到,將來中國人一定要把外國人吃掉,為什麼?你把民主輸入中國,將來中國就把你吃掉,他害怕了。
近代の中国人は、中国のご先祖様が残された文化に、完全に自信を喪失しています。ですから何もありません。今では完全に外国に頼って、外国のものは何でもよく、民主も外国に学ぼうとしています。外国に学んで、外国人にしてみれば、将来中国人は必ず外国人を全滅させるかもしれないと思っています。なぜでしょう?民主を中国に輸入すれば、将来中国は自分を威圧すると恐れています。
【司会者】:中國現在,就是我們比他還民主。
中国は今では彼らより民主的になってしまいました。
【浄空法師】:對,比他還民主。
そうです。彼らより民主的です。
【司会者】:我們比他還能吃人。
私たちは彼らより、人を騙して己の利をはかっています。
【浄空法師】:對,不錯。所以我說台灣是全世界民主一流的國家,誰都可以在街頭上指著總統鼻子罵他,全世界沒有一個國家這麼輕狂,台灣可以。
そうです。その通りです。ですから私は、台湾は全世界で一流の民主国家だと言っています。誰でも街頭で、総統を指さして罵ることができます。全世界で、これほど軽はずみなことができる国はありません。台湾ではできます。
【司会者】:美國人教的。
アメリカ人が教えたことです。
【浄空法師】:美國人教的。
アメリカ人が教えたことです。
【司会者】:就是我們的競爭力比他們還強。
つまり私たちの競争力は、彼らより強いということです。
【浄空法師】:對,不錯,中國人也學會了,有過之而無不及。
そうです。その通りです。中国人も学んで、勝るとも劣りません。
【司会者】:這在現在物理學或者是在佛法裡面,這就是因果能量,因果報應,有那個因就有這個果。
今の物理学、或いは仏法において、これは正に因果のエネルギー、因果応報です。その因があるから、この果があるのです。
【浄空法師】:對,所以造這種因的話,那果報就是毀滅,確確實實。所以我們看到古老的這些西方的預言,我們有理由相信它。佛法裡面基本的一個道理、原則就是境隨心轉,你人心善良,山河大地沒有一樣不善良,人心不善的時候,山河大地全變壞了。
そうです。ですからこのような因を造れば、その果報は破滅です。間違いありません。私たちは古い西洋の予言を見て、それを信じる理由があります。仏法における基本的な道理、原則とは「境随心転」(環境・境地は心に随って転じる)であり、人の心が善良なら山河や大地は善良でないものは何一つなく、人の心が不善であれば、山河や大地はすべて壊れてしまいます。
【伝統教育の社会実験】
【司会者】:那您說怎麼才能讓這些家長、老師對傳統的教育生起信心來?
それでは老法師は、どうすればこれらの保護者や教師に、伝統の教育に対する自信を持たせることができるのでしょうか?
【浄空法師】:所以教育就重要了。對傳統教育生起信心,我們在湯池做實驗,一點都不難。這就說明什麼?人性本善,就是沒有人教他,一有引導,他的善行善意,他的良心就喚回來了,不是難事情。
ですから教育が重要です。伝統教育に対する自信を持つために、私たちは湯池(Tang chi)【注】で実験をしましたが、少しも難しくはありません。これは何の証明でしょう?人の本性は本来善だということです。ただ教える人がいないだけで、教え導きさえすれば、人の善行、善意、人の良心が呼び覚まされます。難しい事ではありません。
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【注】 湯池の社会実験・・・・(湯池/TangChi は地名)浄空法師の故郷、安徽省の湯池鎮で行われた、倫理道徳教育の社会実験のこと。「文化教育センター」を設立し、倫理道徳を教育する教師を養成して、全町民へ倫理道徳を教育する社会実験を行った。 教師は二ヶ月間集中してトレーニングを行い、『弟子規』の教えを実行できるようになってから、それぞれ農村へ赴いて『弟子規』の授業を行った。わずか4、5ヶ月のうちに4万8000の住民たちはお互いに協力し合うようになり、目に見えて道徳の気風が高まったという。2006年の10月、浄空法師はユネスコ(UNESCO、国連教育科学文化機関)の会議においてこの社会実験について8時間に渡り詳細に報告を行っている。
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【司会者】:很多外國專家去湯池參觀,一些外國人都有信心了。
多くの外国の専門家が湯池を見学して、外国人にも自信を持たせました。
【浄空法師】:對,我今天上午,李金友給我打個電話,是從吉隆坡打來的。他告訴我,馬來西亞報紙上大篇一篇報導,是他們這些外國人到湯池去看完之後寫的報告,寫得非常之好。所以看到之後,很多外國人都想到湯池去看看。
そうです。今日の午前中、李金友が私に電話をしてきました。クアラルンプールからです。彼が私に言うには、マレーシアの新聞には、彼らが湯池を見学した後で書いた記事が大きく報道され、非常に良く書かれたようです。ですからそれを見て、多くの外国人が湯池に行って見たいと思っています。
【司会者】:世界和諧的信心所在地,是個樣板。
世界平和の自信の所在地は、モデルにあります。
【浄空法師】:不錯。我們的樣板做出來了,做出來就交國家。
その通りです。私たちのモデルを作ったのです。作って国に渡しました。
【司会者】:譬如說我們是一個家庭,在那個地方也能找到一個樣板;我家裡有小孩,那個地方也有孩子可以做樣板;男女老幼,一個世界、一個社會的縮影,都能找得到自己的樣版,只要去看一看。
例えば一つの家庭であれば、湯池鎮にモデルを見つけることもできます。自分の家に子どもがいれば、湯池鎮にも子どもがいるのでモデルになります。老若男女が、一つの世界、一つの社会の縮図になり、誰もが自分のモデルを見つけることができます。見に行きさえすれば。
【浄空法師】:不錯。所以馬來西亞的人他們對這個非常熱衷,大概在全世界他是最熱衷的。這個月的月底,他們的華校,馬來西亞的華僑有六百萬人,學生有六十萬,它有一千多個小學,有六十多個中學。這個月底有三千個,就是校長跟老師有三千個人在吉隆坡集會,還要找我們的蔡老師去講學,還找胡小林去講學,就是講我們傳統文化,他們要在那邊推動。這是太難得了,這是真的在全世界沒想到馬來西亞帶頭,這是回教國家,回教國家他們的教育部長肯定《弟子規》是好東西。
その通りです。ですからマレーシアの人々は非常に熱心です。おそらく全世界で最も熱心でしょう。マレーシアの華僑は六百万人いて、学生は六十万人います。千余りの小学校があり、六十余りの中学校があります。今月の月末に、校長と教師たち三千人がクアラルンプールに集まり、私たちの蔡老師、胡小林が講義をします。伝統文化の講義をします。彼らはそこで推進しようとしています。これはとても得難いことです。本当に全世界でマレーシアが先頭に立つとは思いもよりませんでした。マレーシアはイスラム国家です。イスラム国家の教育部長は、『弟子規』【注】は良いものだと肯定しています。
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【注】 『弟子規』(でしき)・・・・儒学の祖、孔子の教えを基に学生の生活規範を編成したもの。「入則孝」「出則悌」「謹」「信」「泛愛衆」「親仁」「余力学文」からなる。中国清朝の李毓秀(1662年~1722年)によって書かれた。
『弟子規』日本語訳: http://blog.goo.ne.jp/fayuan/c/a722958c71e3a93383e029ee8a788c84
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【司会者】:他們要聽中國的老師去講。
彼らは中国の教師の講義を聞きたいのですね。
【浄空法師】:對,要聽,請中國老師去講。所以他今天一再希望我去參加,希望我去一趟。我說我考慮,我現在不能給你確定。
そうです。中国の教師に講義を依頼します。今日もう一度私に参加して欲しいと希望されましたので、検討すると言いました。今は確定することはできません。
>>>我々の子孫は如何にして心の拠り所を得るのか02/10につづく・・・。
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/f5900b5840dde5947194d82aff3b55fa
【学生のあるべき姿とは】
【司会者】:我們有的時候有機會能夠到大學這些學府裡面去做會報,我們曾經給學生和老師提過這樣的一個問題,但是結果非常意外,大家都回答不上來。我現場提了這樣一個問題,學生到底應該是什麼樣子?大四的學生或者是研究生,還有博士生,還有包括一些老師,真的是回答不上來。現在很多家長看到這樣的一個情況,他們就想請教您老人家,千里迢迢把孩子送到學府,全家人勒緊了腰帶,省吃儉用,讓他學了四年,最後他連學生是什麼樣子都不知道,他們會有一個巨大的疑問,這是為什麼?
私は時々大学で講演する機会があり、かつて学生と教師にこのような問題を提起したことがあります。しかし結果は非常に意外なもので、誰も答えられませんでした。私は現場でこのような問題を提起しました。“学生はいったいどうあるべきなのか?” 大学四年の学生、或いは研究生、そして博士課程の学生、更に教師たちを含めて、本当に答えられませんでした。今多くの保護者がこのような状況にあるのを見て、彼らは老法師に教えを請うています。千里の彼方から子どもを大学に送り、家族全員が腰帯を引き締めて倹約して、子どもに四年学ばせて、最後には学生はどうあるべきかさえ分からないのです。彼らは大きな疑問を持っています。これはなぜなのでしょうか?
【浄空法師】:他是在中國還是在外國?
その人は中国、それとも外国ですか?
【司会者】:在中國。
中国です。
【浄空法師】:在中國。如果是在外國,把小孩送出去就變成外國人了,那個問題更嚴重。
中国ですか。もし外国であれば、子どもを送り出せば外国人に変わってしまい、その問題はさらに深刻になります。
【司会者】:送孩子出國留學是嗎?
子どもを留学させることでしょうか?
【浄空法師】:對,出國留學之後,腦袋就是外國人的腦袋了,回家不知道認識父母,跟父母在一起吃飯父母要付錢,各人付各人的,這是外國學來的。外國沒有養老的,你自己養活自己,誰養你。你把孩子養大了,這是你的義務,你應該盡的義務;你老了之後,國家養你,美國是國家養老。現在美國經濟有了問題,大概國家養老是成了大問題,這個問題給美國帶來太大的災難,美國老人怎麼辦?國家不養,你怎麼辦?
そうです。留学した後、頭は外国人の頭になってしまい、帰って来て両親と一緒に食事をしても、両親がお金を支払います。それぞれ自分の分を支払います。これは外国で学んだことです。外国ではお年寄りをいたわりません。自分で自分を養います。誰もあなたを養ってくれません。あなたが子どもを育てること、それは義務です。あなたが果たすべき義務です。年を取ってからは、国が養います。アメリカは国がお年寄りを養います。今アメリカの経済は問題が生じて、おそらく国の年金保険は大きな問題になるでしょう。この問題はアメリカに大きな災難をもたらします。アメリカのお年寄りはどうするのでしょうか?国が養ってくれなければ、どうするのでしょうか?
【司会者】:那全國的老人養老都成問題了。
それでは全国の老人保健は全部問題が起こります。
【浄空法師】:對,是的,因為什麼?美國人沒有儲蓄,國家不發養老金,他就死路一條,他可能餓死。
そうです。どうしてでしょう?アメリカ人には貯蓄がありません。国が年金を支給しなくなれば、破滅の道です。餓死するかもしれません。
【司会者】:孩子也不管。
子どもも関知しない。
【浄空法師】:孩子不管。
子どもは関知しません。
【司会者】:這就是他們的價值觀。
これが彼らの価値観なのでしょうか。
【浄空法師】:對,不錯。所以也必須要暴露一下,讓全世界人冷靜去反省反省。
そうです。その通りです。ですからそれを暴露して、全世界の人に冷静に反省を促す必要があります。
【司会者】:現在國內很多家長都是拼命的把孩子往海外送,往西方送。
今国内の多くの保護者は必死になって子どもを海外に送っています。西洋に送っています。
【浄空法師】:錯了,大錯特錯,我在海外這麼多年,我了解得很清楚。
その通りです。大きな間違いです。私は海外に長年住んで、よく理解しています。
【司会者】:很多家長認為這是功成名就的必經之路。
多くの保護者は、これが成功するのに必須の道だと思っています。
【浄空法師】:錯了,問題很嚴重。
間違いです。問題は深刻です。
【司会者】:我們曾經給那些學生提過一個參考答案,小學生的樣子比較接近於學生的樣子。他們有人,真的是包括一些老師,高級的老師,都想請教您老,學生到底應該是什麼樣子?
私はかつて、それらの学生に参考の解答を示したことがあります。それは、小学生の姿が比較的学生のあるべきの姿に近いということです。彼らは、本当にベテランの教師を含めて、老法師に教えを請うています。学生はいったいどうあるべきなのでしょうか?
【浄空法師】:這麼多年來,學生的樣子不就是《弟子規》嗎?《弟子規》不就是學生的樣子嗎?一千零八十個字,從小學到研究所,就是那個樣子。
昔から学生のあるべき姿というのは『弟子規』ではないですか?『弟子規』が学生の姿ではないですか?千八十字。小学校から研究所まで、正にその姿です。
【司会者】:做到了就是學生的樣子。
実行できたらそれが学生の姿であると。
【浄空法師】:沒錯。
その通りです。
【司会者】:弟子就是學生的意思。
弟子というのは学生の意味ですね。
【浄空法師】:弟子就是學生。
弟子とは学生です。
【司会者】:規就是他的規矩。
「規」というのは規範です。
【浄空法師】:規就是規矩,這不就是擺在那個地方,還找什麼?不需要找了。
「規」とは規範です。これはそこに置いてあります。更に何を探すのでしょう?探す必要はありません。
【司会者】:您知道中國這麼多的學生還有老師,聽過「弟子規」這三個字的人,其實是很少的,少得可憐。
老法師もご存知のように、中国にはこれほど多くの学生や教師がいて、『弟子規』の三字を聞いたことがある人は実に少なく、残念なことです。
【浄空法師】:所以他不懂,他不知道做學生要什麼樣子,他不知道。
だから理解していないのです。学生としてどうあるべきかを知りません。
【三つの根】
【司会者】:所以現在很多老師、校長都非常痛苦,家長也很痛苦,孩子很難教,你稍微對他嚴一點,他會跳樓,大人怎麼活!
ですから今の多くの教師、校長は皆とても苦しんでいます。保護者も苦しんでいます。子どもはとても教え難くなり、少しばかり厳しくすると飛び降り自殺してしまいます。大人はどう教えたら良いのでしょうか!
【浄空法師】:對,不錯。
そうです。その通りです。
【司会者】:你不給他講,他又胡作非為。
子どもに言わなければ、また悪事を働きます。
【浄空法師】:不錯。
その通りです。
【司会者】:他們要請教您,怎麼辦?
彼らは老法師に教えを請うています。どうすれば良いのでしょうか?
【浄空法師】:學《弟子規》,我們在湯池做的沒有別的,就是落實《弟子規》,就能把人整個喚醒過來、醒悟過來。實在講,因為國家政策的問題,道跟佛他說是宗教,不可以在學校講,所以我們只講一個。中國古時候是紮三個根,儒釋道三個根,三足鼎立,那是根深蒂固。
『弟子規』を学ぶことです。私たちが湯地でしたことは他でもありません。正に『弟子規』を実行することで、人を呼び覚まし、覚醒させたのです。実を言えば国の政策の問題で、道教と仏教は宗教と言われ、学校で教えることはできません。ですから私たちは一つだけを教えました。中国では昔は三つの基礎を身につけました。儒教・仏教・道教の三つの根、三足を鼎立させます。それは確固とした基礎です。
【司会者】:缺一個就站不住。
一つ欠ければ立ちません。
【浄空法師】:現在只站一個,一個就有這麼大的效果,三個還得了!你就曉得古時候的社會長治久安,它道理就在此地。但現在人不懂,不要了,不要,這社會就動亂,你怎麼維繫社會安全。所以我們這一個《弟子規》,就產生這麼大的效果,這是什麼?這是倫理道教育。道家是《太上感應篇》,是因果教育,善有善報,惡有惡報。佛法教育是三樣東西都有,而且博大精深。這三個根。如果出家人,還要再紮個根,四個根,四平八穩,那叫《沙彌律儀》,那是修行的一個基礎。沒有根就沒有成就。所以現在佛教為什麼這麼衰?根沒有了,四個根一個都沒有,這很可悲的現象。
今は一つだけを立てています。一つでこれほど大きな効果があるのですから、三つなら大したものです!昔の社会が長期に渡って安定していた、その道理はここにあります。しかし今の人は理解していません。要らなくなりました。要らなくなれば、この社会に動乱が起こります。どうやって社会の安全を維持しようというのでしょうか。この『弟子規』一つでこれほど大きな効果を生んでいます。これは何でしょう?これは倫理道徳の教育です。道家の『太上感応篇』は因果の教育です。善には善報があり、悪には悪報があります。仏法の教育には三つが全てあり、しかも博大にして奥深いものです。これが三つの根です。もし出家の人であれば、更に基礎を固めなければなりません。四つの根になれば八方円満です。それは『沙彌律儀』と言います。それは修行の基礎です。根がなければ成就することはありません。ですから今の仏教はなぜこれほど衰退したのでしょう?根がなくなったからです。四つの根のうち一つもありません。これは悲しむべき現象です。
【司会者】:其實學《弟子規》比較簡單,做起來也方便,首先受益的是我這個家庭。
実のところ『弟子規』を学ぶのは比較的簡単で、行うのも簡単です。最初に御利益を得るのは自分の家庭です。
【浄空法師】:自己,不是家庭,你自己本身第一個受益。為什麼?現在講和諧,《弟子規》做到的時候,你身心和諧,無論是你的思惟、言行,自自然然它就合規矩,這個規矩是跟性相應,所以舒暢!
自分です。家庭ではありません。あなた自身が第一に御利益を得ます。なぜでしょう?今は調和が大事だと言われます。『弟子規』ができるようになった時、あなたの身心は調和します。あなたの思考、言行に関わらず、極自然に規範に沿うようになります。この規範は性徳と相応するものなので、伸び伸びとして心地良くなります!
【司会者】:所以要想實現和諧社會,是先要讓每個人自己都和諧。
調和の社会を実現するには、まず各人が自分を調和させなければなりません。
【浄空法師】:不錯,你每個人不和諧,他的家就不和,家不和社會怎麼會和?所以中國人講的是修身、齊家、治國、平天下。
その通りです。誰もが調和せず、家族の仲も悪ければ社会はどうして調和できるでしょうか?ですから中国人が重んじるのは修身、斉家、治国、平天下【注】です。
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【注】 修身(しゅうしん)斉家(せいか)治国(ちこく)平天下(へいてんか)・・・・身を修め、家を斉(ととの)え、国を治め、天下を平らかにす。(『礼記』「大学」)
天下を治めるには、まず第一に自分の行いを正しくし、次に自分の家庭をととのえ、次に国家を治め、そして天下を平和にすべきである。
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【司会者】:修身是第一個。
修身が第一です。
【浄空法師】:對。「自天子以至於庶人,壹是皆以修身為本」,你身不修,家就不齊,家不齊,國就不治,那就社會動亂。
そうです。「自天子以至於庶人,壱是皆以修身為本」(天子から庶民に至るまで、誰もが皆、自分の身を修めることを根本とする)。あなたが自分の身を修めなければ、家は整わず、国は治まりません。それでは社会に動乱が起こります。
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【注】 「自天子以至於庶人,壱是皆以修身為本」(『大学』第一章)
天子より以て庶人に至るまで、壱(いつ)に是(これ)皆身を修むるを以て本と為す。
天子から庶民に至るまで、誰もが皆、自分の身を修めることを根本とする。
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>>>我々の子孫は如何にして心の拠り所を得るのか03/10につづく・・・。
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/db4a8a148060e168447106b3b91ff72d
【司会者】:現在的老師,是以升學率為重要的一個關口,來考驗學生、考驗自己。家長是孩子能夠考上大學,找到好工作,將來能夠成個好家庭,能掙很多的錢,這是他們最大的願望。按著現在這個方向去發展,他們這個理想能實現嗎?
今の教師は進学率を重要な関所として、学生や自分に試練を与えています。保護者は、子どもが大学に合格して、良い仕事を見つけ、将来良い家庭を築いてお金を稼ぐこと、これが最大の願いです。今のこのような方向で発展させて、彼らの理想は実現できるでしょうか?
【浄空法師】:理想不管實現不實現,這是走世界末日的道路,也就是說,如果照外國人的講法,二0一二年距離我們現在只有四年,這個關口他能不能過去。
理想が実現するかしないかに関わらず、これは世界の終末の道を行くことです。また外国人の話に照らして言うなら、2012年は今から四年しかありません。この関所を越えることができるでしょうか。
【司会者】:就是各種天災人禍都很多。
つまり様々な天災・人災が多くなると。
【浄空法師】:對,不錯,這個關口他能不能過得去?到二0四三年,是最後一個關口,他能不能過去?就是到那時候,全世界人口只剩下百分之二十,一百個人當中,你是二十個裡頭的,還是八十裡頭的,這很現實的。
そうです。その通りです。この関所を越えられるでしょうか?2043年は最後の関所です。越えられるでしょうか?その時に全世界の人口が20%しか残っていないなら、百人中、あなたは二十人の中でしょうか、それとも八十人の中でしょうか?これは現実的なことです。
【司会者】:每個家庭、每個人都需要考慮的。
どの家庭も、どの人も皆考えなければなりません。
【浄空法師】:沒錯,你都逃不了的,這是全球的,沒有安全地方。
その通りです。あなたも逃れられません。これは地球全体のことですから、安全な場所はありません。
【司会者】:但是有人講,現在都挺熱鬧,都挺繁華,一切都挺。
しかしある人は言います。今はとても賑やかで、繁華で、すべてがとても・・・・。
【浄空法師】:所以說,大地沉淪是突然的,不是給你預先有預告的,這是科學家告訴我們。五萬年前亞特蘭提斯沉下去的時候不是有預警的。
ですから大地が深く沈むのは突然だと言います。前もって予告されるものではありません。これは科学者が言っていることです。五万年前にアトランティスが沈んだ時、事前には警戒していませんでした。
【司会者】:是突然的。
突然だった。
【浄空法師】:對,不錯,就像大地震一樣,突然發生。
そうです。その通りです。大地震と同じように、突然発生します。
【司会者】:事先誰都不知道。
事前に誰も知らなかった。
【浄空法師】:事先不知道。
事前には分かりません。
【司会者】:科學家還預測說,在未來陸地會有很大的變化,有些沉到下面去,有些又升出來。
科学者はまた、未来の陸地には大きな変化が起こり、ある所は下に沈み、ある所は隆起すると予測しています。
【浄空法師】:不錯。
その通りです。
【司会者】:升出來的地方,有些還能夠看到廟宇和城市。
隆起した場所として、いくつか廟宇(びょうう=先祖の霊や神を祭る建物)や都市が見られます。
【浄空法師】:那是幾萬年前古老的遺跡。
それは数万年前の古い遺跡です。
【司会者】:但有人就問說,那些廟宇和城市怎麼從海裡升出來,那是哪裡?
しかしある人は質問します。それらの廟宇や都市はどうして海の中から隆起したのでしょうか。それはどこなのでしょうか?
【浄空法師】:不是,那是從前的,就是幾萬年前的時候,人類文明也到達這個程度,也是那時候就造業造得太重,沉下去了,業感。這個東西只有佛法能解釋,業力的感召。所以善業決定有善果,惡業決定有惡報。
いいえ。それは昔のものです。要するに数万年前、人類文明もその程度に達していて、またその時に造った業は非常に重かったので沈下したのです。業感【注】です。このことは仏法だけが解釈することができます。業力の感応です。ですから善業には必ず善果があり、悪業には必ず悪報があります。
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【注】 業感(ごうかん)・・・・善悪の行為が因となって、苦楽の報いを感受すること。(大辞泉)
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【司会者】:也就是說,那些城市和寺廟很有可能是我們現在還不知道的。
言い換えれば、それらの都市や寺院は私たちがまだ知らないものかもしれません。
【浄空法師】:遺跡,古時候的遺跡。
遺跡です。昔の遺跡です。
【司会者】:很久以前,可能是人類社會之前的另一次世界的。
大昔、おそらく人類社会の前の、別の世界のものかもしれません。
【浄空法師】:對,不錯,
そうです。その通りです。
如果要不從教育上下手,我們老祖宗講的話要相信,「建國君民,教學為先」。所以古時候治國,他不是用其他的方法,也不是用法治,也不是用警察,也不是用軍隊,他就是用教學。教什麼?就這三樣東西,給你講穿了,《弟子規》、《感應篇》、《十善業》,就這三樣東西,就把這個社會就擺平了。人懂得倫理,倫理是人跟人的關係,對一切人的謙讓、尊敬就出來了;懂得道,他就有規範,無論思想、言行,他決定是受孝悌忠信、禮義廉恥、仁愛和平,一定是這十二個字,他不會違越,這就規矩了;再加上因果教育,他曉得善有善果、惡有惡報,不敢做壞事。
もし教育から着手するのであれば、ご先祖様の言葉を信じなければなりません。「建国民君,教学為先」(国を建て民に君たるに、教学を先と為す。『礼記』学記)。ですから昔国を治めた人は、他の方法は用いません。法治を用いるのでも、警察を用いるのでも、軍隊を用いるのでもなく、正に教学を用いました。何を教えるのでしょう?それがこの三つです。透徹して言うなら、『弟子規』、『感応篇』、『十善業』、この三つで社会は平らかになります。人が倫理を理解すれば、倫理は人と人との関係ですから、すべての人に謙譲、尊敬の心が出て来ます。道徳を理解すれば、その人には規範があり、思想や言動に関わらず、必ず「孝悌忠信、礼儀廉恥、仁愛和平」を守ります。必ずこの十二字です。その人は度を越すことがありません。これが規範です。更に因果の教育を加えれば、その人は善には善果があり、悪には悪報があることを理解して、悪い事はしようとしなくなります。
【司会者】:有人曾經做過這樣一個設想,如果倒退幾十年,比方說四十年代,原子彈不是愛因斯坦他們研製出來的,而是現在這些學生們,他們很聰明,他有這個知識,他雖然沒有道,但是他有知識,他們研製出來的,有學者就來推測,他們第一個會把它給賣掉,賣個好價錢。
ある人はかつてこのような想定をしました。もし数十年遡って、例えば四十年代、アインシュタインたちが原子爆弾を製造したのではなくて、今の学生のように聡明で、道徳はなくても知識がある人たちが製造したとします。ある学者の推測では、彼らは真っ先にそれを高値で売り捌いてしまいます。
【浄空法師】:沒錯。
その通りです。
【司会者】:現在都是這樣的,第一個反應就是市場佔有率,他會把它賣個好價錢。然後他會拿著這個稱王於一個地區,我來恐赫別人。如果要是這樣的話,當時的世界歷史會改寫。
今ではすべてこうです。一番気にするのは市場の占有率ですから、高値で売ってしまいます。そしてその人は、それを手にしてある地域の王を名乗り、他人を威嚇します。もしそうなっていたら、当時の世界の歴史は書き直されていました。
【浄空法師】:沒錯,這個事情非常有可能發生,大概就發生在巴西預言家所說的這三十年之內,不是三十年之外。美國底下這一代小孩他們起來之後,這些核武,那麼大的數量落在他們的手上,他們就是拿來當遊戲玩,隨便扔,不滿意的時候就給你扔幾個,他就這樣的。現在的這些領導人還有點約束,那時候沒有了,約束完全沒有了。所以我常常講,特別是對美國人講,如果想避免這場災難,最好現在你們把核武、生化武器都銷毀,那你們對人類就建立了大功大。因為下一代的人不像你們這些,你們還有一點點道觀念,底下完全沒有了,這非常可怕。人比野獸還可怕。所以救世界,怎麼個救法?必須要從,英國湯恩比講的話,那一針見血,拯救二十一世紀整個世界的社會,就是要靠中國孔孟學說、大乘佛法。講的話有道理!我在倫敦大學、在劍橋大學,給他們同學們講了一課,我就說這個話不是我說的,是你們英國人講的。
その通りです。この事は非常に発生する可能性があり、おそらくブラジルの予言者の言う三十年以内に発生するかもしれません。三十年以降ではありません。アメリカの次世代の子どもたちが世に出て来て、それらの大量の核兵器を手にすれば、彼らは遊びのように軽率に落とすでしょう。不満があればいくつも落とすでしょう。彼らはそうです。今の指導者にはまだ良心の呵責がありますが、その頃には無くなります。制約は完全に無くなります。ですから私はよく、特にアメリカ人に対して、もし災難を回避したければ、あなた方の核兵器、生物兵器を廃棄することが一番だと話しています。それなら人類に対する大きな功徳になります。次世代はあなた方とは違います。あなた方にはまだ少し道徳観念が残っていますが、次世代は完全に無くなります。これは非常に恐ろしいことです。人は野獣よりも恐ろしくなります。世界を救うには、どうすれば良いでしょう?イギリスのトインビーの言葉が、直接的な解答です。二十一世紀の全世界を救うには、中国の孔孟学説と大乗仏法に頼ることです。この話には道理があります!私はロンドン大学、ケンブリッジ大学で、学生たちに講義したことがあります。私は、この話は私が言ったのではなくて、あなた方イギリス人が言ったことだと言いました。
【司会者】:而且是在三十多年前就講出來了。
しかも三十数年前に話しています。
【浄空法師】:對,是!七十年代的時候。
そう。そうです!七十年代の頃です。
【司会者】:我們過去中國古人把這樣的年輕人,只知道吃喝玩樂享受,把這樣的人叫做紈褲子弟,為人所不齒。
中国の古人は、そのような酒食遊楽に耽る若者のことを、世間知らずのどら息子と言って、人から相手にされませんでした。
【浄空法師】:對,他在社會上沒有地位的,沒人瞧得起他。
そうです。その人は社会的な地位がなく、尊敬する人はいません。
【司会者】:一定會被社會淘汰。
必ず社会に淘汰されます。
【浄空法師】:對,不錯,淘汰掉。
そうです。その通りです。淘汰されます。
【司会者】:但是您看現在城市裡面,到處都是這樣,連農村都是這樣子。
しかし今の都市部には、どこでもそうです。農村でさえそうです。
【浄空法師】:對,現在的社會叫反常。常是什麼?仁、義、禮、智、信。不仁、不義、無禮、無智、無信,這是反常,反常那就走向毀滅。
そうです。今の社会は異常です。「常」とは何でしょう?仁、義、礼、智、信です。不仁、不義、無礼、無智、無信、これは異常です。異常であれば破滅に向かいます。
【司会者】:家長說,現在的潮流,過去那是沒法安身立命,現在大家都這樣。
保護者たちは言います。これが今の潮流であり、昔であれば生きていかれなくても、今では皆がこうなのだと。
【浄空法師】:就是的。所以再三十年之後,世界上人口會消失百分之八十,那就是果報,因果,報應就是如此。最嚴重的災難,一般人估計是瘟疫,嚴重的瘟疫會死好多億人,這是世界衛生組織都發表這個。這個瘟疫沒有藥苗來對治,大概得這個病的時候四個小時之內就走了,快速。他說這個會蔓延到全世界,沒有辦法預防,這個災難會死很多億人。我們相信這樁事情會發生在這三、四年當中,他講二0一0年。
そうなのです。だからあと三十年後には、世界の人口の80%が消失するというのでしょう。それは果報です。因果、応報、正にそうです。最も深刻な災難は、一般の人は疫病だと予測しています。深刻な疫病が起これば何億人もの人が亡くなります。これはWHO(世界保健機関)も発表しています。この疫病は薬で治せるものではありません。おそらくその病気になれば四時間以内に亡くなります。速いです。これが全世界に蔓延するかもしれません。予防することはできません。彼が言うには、この災難で数億人が亡くなるかもしれません。私たちは三、四年のうちに発生すると思っています。彼は2010年だと言っています。
【司会者】:這是西方預言家
それは西洋の予言者でしょうか。
【浄空法師】:很多。
たくさんいます。
【司会者】:包括科學家也在預測這個事情
科学者を含めてこの事を予測しているのですね。
【浄空法師】:不錯。
その通りです。
【司会者】:如果家長、老師們真的愛孩子、愛後代,真的要好好聽聽這些話。
もし保護者や教師たちが本当に子どもや子孫を愛するなら、本当にこのような話をよく聞かなければなりません。
【浄空法師】:對,不錯。我上一次,兩個星期之前,凌孜還送了我一本就是解讀西方的預言,送我這麼一本書,我明天帶來送給你。
そうです。その通りです。私は前回、二週間前に、凌孜が西洋の予言を解読している本を届けてくれました。明日持って来て、あなたに差し上げます。
【司会者】:好,謝謝。
はい。ありがとうございます。
【浄空法師】:這裡面就講得很清楚。
その中にはっきりと書かれています。
【司会者】:您知道胡主席曾經講過,有的官員已經到了麻木不仁的地步。現在有一個情況,就是如果一些家長和老師也這樣了怎麼辦?他們是教育孩子的人,您說得是很好,孩子現在還不懂事,全靠家長,家長他善惡是非這個能力,沒有辨別能力了。
老法師もご存知のように、胡主席は「一部の役人はすでに無感覚になっている」と話されました。今このような状況があります。もし保護者や教師もそうなってしまったらどうなるのでしょうか?彼らは子どもを教育する人です。老法師は良いことを話されました。子どもがまだ世事をわきまえない時には、すべて保護者に頼ります。しかし保護者に善悪を区別する能力がなくなっているのです。
【浄空法師】:這是什麼?這就是我們在這一百年當中把中國傳統丟掉了。我們中國古人有句話說,「不聽老人言,吃虧在眼前」,我們把老祖宗丟掉了,你今天就要受這個災難。
これは何でしょう?これこそが私たちがこの百年で中国の伝統を失ったということです。中国の古人は諺で言っています。「不聴老人言,吃虧在眼前」(年長者の忠告に耳を貸さなければ、必ずひどい目に遭う)。私たちはご先祖様を捨てたことによって、今日このような災難を受けているのです。
【司会者】:就像您所講的,佛法有這個道理,要想不受這個共業,要想避免這個大的災難,裡邊有別業。別業就是趕緊戒惡從善,學習老祖宗的經典。
老法師が仰るように、仏法にはこのような道理があります。共業【注】を受けたくないなら、大きな災難を回避したいのであれば、その中には別業があります。別業というのは直ちに悪を戒めて善に従い、ご先祖様の経典を学ぶことです。
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【注】 共業(ぐうごう)・・・・自然災害や社会の発展・衰退など、誰もが共通して受ける果報のこと。
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【浄空法師】:不錯,你一個人修,你一個人得救;你一家人修,你一家人得救;你這個地區的人修,你這個地區的人就得救,一點都不假。
その通りです。あなた一人が修めれば、あなた一人が救いを得ます。あなたの家族が修めれば、あなたの家族が救いを得ます。あなたの地域の人が修めれば、あなたの地域の人が救いを得ます。まったくその通りです。
>>>我々の子孫は如何にして心の拠り所を得るのか04/10につづく・・・。
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/ef3b4dbfd8520ed44a19c53df771364c
【享楽的な世相と災難】
【司会者】:中國古人對人有一個判斷,尤其是對年輕人,凡是那些貪圖享受的紈褲子弟,一定是沒有志氣、沒有骨氣的。我印象很深,朱鎔基總理曾經有一次給官員題詞,那些官員酒宴、應酬很多,朱總理就寫著「少吃肉,多長骨頭」,我對這個題詞印象很深,也說的是這麼個道理。現在很多人就有理由擔心,這個世界是一個倡導消費、倡導享樂、及時行樂的這麼一個時代,年輕人都是貪圖享受,一代一代年輕人都是這樣。我們國家,咱們說家庭、民族、社會和國家,將來在他們的手裡,他們沒有志氣、沒有骨氣,那這個國家將來要是碰到大的問題、碰到大的災難,誰來支撐這個家庭?誰來支撐這個民族和國家?
中国の古人は人に対する一つの判断があります。特に若者に対して、およそ享楽を貪る世間知らずのどら息子には、決まって気概がなく、気骨がないというものです。私が深く印象に残っているのは、朱鎔基総理がかつて役人に題字を贈ったことです。それらの役人は酒宴や接待が多かったので、朱総理は、「少吃肉,多長骨頭」(肉を少なく食すれば、気骨が養われる)と書きました。私はこの題字が深く印象に残っています。これもまたこの道理です。今の多くの人が貪欲なのには理由があります。この世界は消費を提唱し、享楽を提唱し、時機に投じて享受するという時代です。若者は皆貪欲に享受して、代々若者は皆このようになっています。私たちの国、私たちの家庭、民族、社会と国家は、将来彼らの手の中にあります。彼らに気概がなく、気骨がなければ、その国家が将来大きな問題、大きな災難に遭遇したら、誰がその家庭を支えるのでしょうか?誰がその民族と国家を支えるのでしょうか?
【浄空法師】:這個狀況就跟科學家給我們報告的亞特蘭提斯這個情形非常接近,亞特蘭提斯沉入大海之前,那個地方的居民就是狂妄到極處,狂歡,除這個之外他什麼都不懂。
この状況は科学者が発表しているアトランティスの情況と非常に似通っています。アトランティスが海に沈む前、その土地の住人はこの上なく傲慢で、お祭り騒ぎをすることしか知りませんでした。
【司会者】:狂歡,就是享樂。
お祭り騒ぎ、つまり享楽ということです。
【浄空法師】:對,就是享樂。他什麼都不相信,他不相信老祖宗,他也不相信上帝。所以他的果報,這個道理,佛家講的什麼?業力的感應。那個業力,我們中國人講「惡貫滿盈」,整個大地沉淪下去。我過去在美國就看到未來世界的地圖。
そうです。正に享楽です。その人は何も信じません。ご先祖様を信じません。神様も信じません。ですからその人の果報、この道理を仏家では何というでしょう?業力の感応です。その業力は、私たち中国人は「悪貫満盈」(悪の限りを尽くす)と言います。大地がすべて沈みます。私は昔アメリカで、未来の世界地図を見たことがあります。
【司会者】:美國預言的。
アメリカで予言されたものですね。
【浄空法師】:美國預言的那個地圖,我就買了好幾張,那個地圖要跟現在比,完全不一樣。中國沿海這些省分全都沒有了,日本、台灣、菲律賓,下面的馬來西亞、印尼,幾乎全都沒有了。
アメリカで予言されたあの地図を、私は何枚も購入しました。あの地図は現在と比べて、完全に異なります。中国の沿岸の省は全部なくなっています。日本、台湾、フィリピン、その下のマレーシア、インドネシアは、すべてありません。
【司会者】:用佛法所講的規律來解釋,就是人的貪心太重了。
仏法に説かれる法則を用いて解釈するなら、つまり人の貪欲が重過ぎるということです。
【浄空法師】:沒錯。
その通りです。
【司会者】:貪愛享受,感召來的是水災,能這樣解釋嗎?
享受を貪って、引き寄せられるのは水災であると、このように解釈できるでしょうか?
【浄空法師】:能解釋。你貪瞋痴慢統統都全,所以水災、火山爆發、海嘯、地震、颶風,統統都來了,還帶著瘟疫,你怎麼能受得了!現在飲食成問題了,什麼東西裡頭都有毒,將來飲的水裡頭有毒、空氣裡頭有毒,你怎麼辦,你怎麼活得下去?
解釈できます。あなたに貪瞋痴慢【注】がすべてあるので、水災、火山の爆発、津波、地震、竜巻が起こり、更には疫病をもたらします。どうして耐えられるでしょうか!今の飲食には問題があり、どんな物にも毒があります。将来は飲み水にも、空気中にも毒があるなら、どうすれば良いのでしょうか?どうやって生きていくのでしょうか?
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【注】 貪瞋痴慢(とんじんちまん)・・・・貪は貪欲、瞋は瞋恚(怒り)、痴は愚痴(愚かさ)、慢は傲慢さのこと。貪瞋痴は三毒と言われる。
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【清浄心と慈悲心で健康を保つ】
【司会者】:我們看到佛經上寫,釋迦牟尼佛在三千多年前,就知道今天的人們一定是,四個字,「飲苦食毒」,說的就是現在。
私たちは仏経に見ることができます。釈迦牟尼仏は三千年前、今日の人々が「飲苦食毒」(苦を飲み毒を食らう)ことになると知っていました。正に今のことを言っています。
【浄空法師】:不錯,說的是現在。
その通りです。今のことを言っています。
【司会者】:真是有觀眾看到,比如說新出來的書,叫《民以何食為天》,有人真的是就想請教您老人家,現在吃點什麼能夠安全呢?
本当に視聴者は見ています。例えば新しく出た本は、『民は何の食をもって天と為さん』【注】と言います。ある人は老法師にお教え頂きたいと思っています。今は何を食べれば安全なのでしょうか?
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【注】 『民以何食為天』(民は何の食をもって天と為さん=民は何の食料を拠り所とするのか)・・・・書名。周勍・著。2004年9月、中国の権威ある文学雑誌『報告文学』にトップ記事で掲載された後、中共中央政策研究室の『書刊摘報』に引用され、中国の食品安全環境の改善に積極的な作用をもたらしたという。(「百度百科」より抜粋して翻訳)
題目は、「民以食為天」(民は食をもって天となす=民は食を最も大切なものとする)という『漢書』の言葉をもじっている。
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【浄空法師】:自己種。
自分で植えます。
【司会者】:在城市裡很難。
都会では難しいです。
【浄空法師】:想辦法搬到鄉下去。
何とかして田舎に引っ越します。
【司会者】:佛法很慈悲,老教授您也很慈悲,他確實沒這個條件,有沒有什麼方法能夠化解?
仏法は慈悲深く、老教授もまたとても慈悲深くあられます。その人に本当にその生活条件がないなら、解消する方法は何かないのでしょうか?
【浄空法師】:修清淨心,那是功夫了,清淨心能免疫,慈悲能解毒。
清浄心を修めることです。それは実質的な技量です。清浄心は免疫となり、慈悲心は解毒することができます。
【司会者】:雖然這些食品、蔬菜有化肥、有毒,但是自己不受傷害。
それらの食品、野菜に化学肥料が使われていても、自分は傷つかない。
【浄空法師】:不錯。
その通りです。
【司会者】:前提是清淨和慈悲。
前提は清浄と慈悲。
【浄空法師】:所以阿羅漢以上的,真正有修行的人,一些毒東西到他那裡就變了,好像方程式的排列。
ですから阿羅漢以上の、本当の修行者のところに毒を持って行くと変わってしまいます。方程式の排列のようなものです。
【司会者】:分子排列。
分子の排列。
【浄空法師】:重新改過了,它就重新排列了。
もう一度改めて、新しく排列し直します。
【司会者】:我們看到《高僧傳》裡確實有古大,給他毒酒、給他毒藥,他吃了之後沒事。
私たちは『高僧伝』【注】の中の古(いにしえ)の大徳に見ることができます。高僧に毒酒、毒薬を与えると、飲んでも何ともありません。
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【注】 『高僧伝』(こうそうでん)・・・・高僧の伝記、あるいは列伝を指して言う場合もあるが、固有名詞としては、中国の梁の慧皎(497年-554年)の撰した中国伝来以来、梁代までの高僧の伝記を集めたものを指す。全14巻、519年(天監18年)成立。また「梁高僧伝(梁伝)」ともいう。(ウィキペディアより)
日本における最新の訳本は岩波文庫の青版で、2009年~2010年に全四巻で出版されている。
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【浄空法師】:沒事。
大丈夫です。
【司会者】:就是那個分子結構改變了。
つまりその分子の構成が変わってしまった。
【浄空法師】:不錯,他就解開了。
その通りです。解いてしまいます。
【司会者】:他心的力量可以改變這個。
心の力はこれを変えることができる。
【浄空法師】:不錯,意念,這要真功夫。
その通りです。意念です。これは本当の実質的な技量が要ります。
【司会者】:能量改變物質。
エネルギーは物質を変える。
【浄空法師】:對,不錯,能改變。
そうです。その通りです。変えることができます。
【司会者】:功夫淺的就是可以稍稍的消毒。
実質的な技量が浅ければ、少しだけ消毒できる。
【浄空法師】:對,要真功夫。
そうです。本当の実質的な技量が要ります。
【司会者】:真功夫的前提是要真相信。
本当の実質的な技量の前提は、本当に信じることですね。
【浄空法師】:要真相信,要真修,就是要真放下。
本当に信じ、本当に修めること。つまり本当に放下しなければなりません。
【司会者】:貪瞋痴慢要把它放下。
貪瞋痴慢を放下しなければなりません。
【浄空法師】:不錯,要真放下。
その通りです。本当に放下しなければなりません。
>>>我々の子孫は如何にして心の拠り所を得るのか05/10につづく・・・。
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/009bc340bd92d565d59dab4a29ecd22f
【礼節は最後の砦】
【司会者】:很多家長和老師看到湯池小鎮,看到您老的這些教誨,他們很受感動。但是也會提出疑問,如果傳統的這些經典這麼好,為什麼不給它放到課本裡面去?放到學校裡去讓孩子們都學。
多くの保護者や教師は湯池鎮を見て、老法師の教えを見て感動しました。しかしそれでも疑問が出て来ます。もし伝統の経典がこれほど良いのであれば、なぜそれを教科書に載せないのでしょうか?学校に置いて子どもたちに学ばせるべきです。
【浄空法師】:這是國家政策的問題,就是我們現在主管教育的這些官員,他們沒有意識到。他為什麼沒有意識到?因為他沒有學過。
これは国の政策の問題です。つまり今教育を管轄している役人たちが認識していないということです。なぜ彼らは認識していないのでしょう?学んだことがないからです。
【司会者】:他不知道好處。
良さを知りません。
【浄空法師】:他丟掉了,就是丟掉了三、四代了。不但他不曉得,他父母也不曉得,他祖父母也不曉得,又沒有人跟他講,跟他講了他又不相信,他半信半疑,所以問題就出在這裡。真正相信的人少,太少了。
その人は失っています。つまり三、四世代失われています。その人が知らないばかりか、その人の両親も知らず、祖父母も知りません。その人に話す人は誰もいない上に、話しても信じません。半信半疑です。問題はそこから出ています。本当に信じる人は極少数です。
【司会者】:您看現在很多人,他做孩子的時候,他不會做子女,也不會做學生;成家之後,丈夫不像丈夫,太太不像太太;做了父母又不會對待子女;在單位裡面不會當下級,做領導的也不會,這些身分大家好像都不太會做。中國老祖宗教給我們五倫八,這五倫正是對應這些。
今の多くの人は、子どもの頃に子どもらしくなく、また学生らしくありません。所帯を持った後では、夫は夫らしくなく、妻は妻らしくありません。親になっても、親らしく子どもに接することができません。会社の中でも部下として働けず、上司らしく働くこともできません。これらの役割を、皆あまりよくできていないようです。中国のご先祖様は五倫・八徳【注1, 2】を教えていますが、この五倫はちょうどこれらに対応しています。
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【注1】 五倫(ごりん)・・・・父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信。(『孟子』滕文香上)
【注2】 八徳(はっとく)
①忠孝仁愛、信義和平
*中華民国政府はこの「八徳」を国訓としている。
②仁義礼智、忠信孝悌
*日本では「八徳」というとこちらを指すようである。
仁(慈愛)、義(正義)、礼(礼節)、智(智慧)、
忠(忠義)、信(信義)、孝(孝行)、悌(年長者に従順に仕える)
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【浄空法師】:沒錯,而且特別細的就是禮節。
その通りです。しかも特に細かいのが礼節です。
【司会者】:禮節。
礼節。
【浄空法師】:不錯,你看中國《詩》、《書》、《易》、《禮》、《春秋》,這是從前人必須要讀的。禮就是我們日常生活規範。現在沒有了,現在誰講這個東西,認為這是落伍的。但是它是中國五千年來,國家社會長治久安最重要的一個環節,這個東西丟掉了就沒救了,禮失,天下就大亂了。最高的是道,道沒有了,他有;沒有了,有仁;仁沒有了,有義;義沒有了,有禮;禮沒有了,天下大亂。
その通りです。中国の『詩経』、『書経』、『易経』、『礼記』、『春秋』、これは昔の人の必須の読み物でした。礼は私たちの日常生活の規範です。今はなくなりました。今は誰がこれを重んじているでしょうか。これは時代遅れだと思っています。しかしこれは中国五千年来、国家社会の長期的な安定の最も重要な部分であり、これを失えば救いはありません。礼を失えば、天下は大いに乱れます。最も高いものは道です。道がなくなれば徳があります。徳がなくなれば仁があります。仁がなくなれば義があります。義がなくなれば礼があります。礼がなくなれば、天下は大いに乱れます。
【司会者】:禮是最後的底線。
礼は最後の砦なのですね。
【浄空法師】:最後的底線。
最後の砦です。
【司会者】:在父子之間、夫妻之間、君臣,君臣就是領導和下級。
親子の間、夫婦の間、君臣というのは指導者と部下です。
【浄空法師】:領導、被領導。
指導者と、指導される人です。
【司会者】:就是普通的一個小單位也是這樣的。
普通の小さな会社でもそうです。
【浄空法師】:不錯。
その通りです。
【司会者】:在兄弟之間、在朋友之間,都可以用禮來做一個維持。
兄弟の間、友人の間は、すべて礼によって維持することができます。
【浄空法師】:不錯,非常重要。
その通りです。非常に重要です。
【司会者】:如果要是沒有了這個禮,這五種關係就全都亂了。
もしこの礼がなくなれば、この五種類の関係はすべて乱れます。
【浄空法師】:對,沒有,就都亂了,沒錯,叫亂倫。
そうです。すべて乱れます。その通りです。乱倫(らんりん)と言います。
【司会者】:一個家庭亂了,社會就亂了。
一つの家庭が乱れれば、社会が乱れます。
【浄空法師】:社會亂了,國家就亂了。現在是世界亂了,世界亂了,你就想想,那什麼結果?那就是世界要從頭再來。
社会が乱れれば、国家が乱れます。今は世界が乱れています。世界が乱れれば、考えてみて下さい、それはどんな結果になるでしょうか?それはつまり、世界は初めからやり直さなければならないということです。
【司会者】:重新建立一個秩序。
新しく秩序を打ち立てる。
【浄空法師】:對,不錯,就是整個毀滅,重新再來,不就是這麼回事情嗎?所以這叫世界末日。許多宗教裡頭都講世界末日。
そうです。その通りです。つまりすべて壊滅して新たにやり直す。そういうことではありませんか?これを世界の終末と言うのです。多くの宗教では世界の終末を説いています。
【司会者】:讓大眾明白這個意思,明白這個危險。
大衆にこの意味、この危機を知らせなければなりません。
【浄空法師】:對,不錯。最重要的還是提升自己的靈性,提升自己的道,這個比什麼都重要。不能跟社會一般大眾去學習,那就壞了。
そうです。その通りです。最も重要なのは、やはり自己の霊性を高め、自己の道徳を高めることです。これが何よりも重要です。社会の一般大衆に学ぶことはできません。それでは悪くなってしまいます。
【卓越した人材を育成するには】
【司会者】:有報導講,溫家寶總理在視察大學的時候曾經感嘆,這個時代為什麼沒有大師了,這麼缺乏大師?其實衡量一個國家強弱,文明程度、發達程度,是看它各行各業大師的水準、素養和數量,而不是看你多有錢,你這國家軍事實力如何如何,不是看這個。有人看過您的講座之後,看您的教誨之後,有人就記起來,就是這個問題好像在三、四十年代,印光大師他老人家也曾經講過這個話,今天的社會之所以沒有大師,以後會沒有,是因為沒有培養大師的母親,大師的媽媽(母親)沒有了,所以自然就沒有大師了,確實是這樣的嗎?
ある報道では、温家宝総理が大学を視察された際に、この時代には大家(卓越した人材)がいないのかと嘆息されたそうです。実のところ、ある国の強弱、文明の程度、発達の度合いを判断するのは、各業界の大家の水準、素養、(人材の)数を見るのであって、お金を持っているとか軍事力がどうこうといったことを見るのではありません。老法師の講座を聞き、教誨を聞いた後で、ある人は気づかされます。つまりこの問題は1930~1940年代に、印光大師【注】もこの話をされたことがあるようです。今日の社会には大家(卓越した人材)がおらず、今後はいなくなるだろうと。それは大家を育てる母親がいないからで、母親がいなければ自然に大家もいなくなるということです。確かにこのようではありませんか?
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【注】 印光大師(1861-1940)・・・・釈印光。法名を聖量、字を印光、自称・常慚愧僧。浄土宗第十三代祖師。俗姓は趙、名は丹桂、字は紹伊、号は子任。陜西省郃陽(現・合陽)孟庄郷赤城東村の人。大師は仏教の中でも特に浄土宗の振興に偉大な功労をされ、中国の近代仏教に最も深い影響をもたらした人物の一人である。大師は仏教徒の中で威光と人望が高く、近代の高僧・虚雲、太虚、諦閑等と交友があり、弘一大師は師として仰いでいる。当代浄土宗信徒における地位は今日に至るまで及ぶ者はいない。(「百度百科」より抜粋して翻訳)
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【浄空法師】:不錯,是的,培養大師級比什麼都重要。但是那個大師級是怎麼培養的?是從《弟子規》開始培養的,你這個人得有大師的根,有它的基礎。如果說中國傳統文化裡頭這四個根,如果都有,你就具備大師的條件了。怎樣培養?就是中國古人講的「十載寒窗,一舉成名」,你得要十年工夫,你好好去讀書,十年專攻一門,你不能學多,多就學雜了,就亂了。所以中國學問跟外國不一樣,外國是要廣學多聞,那是什麼?知識。中國人不是的,中國人是智慧,智慧是從清淨心來的,所以他只准你學一門,一門學完了重頭再來。
その通りです。そうです。大家クラスの人材を育成するのは何よりも重要です。しかしその大家クラスの人材は、どのように育成したのでしょうか?『弟子規』から育成を始めたのです。その人には大家の根があります。その基礎があります。もし中国の伝統文化の中の四つの基礎がすべてあるなら、大家の条件を具えているということです。どのように育成するのでしょう?それは中国の古人の言う「十載寒窗,一挙成名」(長年刻苦して勉学に励み、一挙に名をあげる)です。十年の功を積まなければなりません。しっかり勉強して、十年間一科目だけを専攻することです。多くを学んではなりません。多く学べば複雑になり、混乱します。ですから中国の学問は外国とは違います。外国ではあれこれ広く学びます。それは何でしょう?知識です。中国人はそうではありません。中国人は智慧です。智慧は清浄心(清らかな心)から生じます。ですから一科目だけ学ぶことを許され、一科目を学び終えたら最初からもう一度学ぶのです。
我是二00六年我在巴黎聯合國辦活動,辦完之後我就到英國去看劍橋,因為上次去的時候我看牛津,沒有看劍橋,所以這次特別去看劍橋。看了之後我就深深感覺到,這個世界上沒有大師級的老師,所以水平一落千丈。我回來就想,湯池交掉,找幾個志同道合,我們閉關,關起門來念十年書,四個根紮好,紮好四個根。我們人也不要多,十個人,頂多不要超過二十個人,為什麼?生活容易維護,閉關的形式。每個人專攻一樣,不限制,儒釋道都可以,你學佛經也行,你學四書五經也可以,你學《老子》、《莊子》也可以,一門,一個人專攻一門。
私は2006年にパリの国連で活動した後、イギリスのケンブリッジに行きました。前回はオックスフォードを見てケンブリッジを見られなかったので、今回は特にケンブリッジを見に行きました。見終わった後で、私はこの世界には大家クラスの教師はいないのだと深く感じました。だから水準が急激に落ちているのです。私は戻ってから、湯池を引き渡して、志を同じくする者と門を閉ざすことを考えました。門を閉ざして十年書を学び、四つの基礎を築くことです。人は多くは要りません。十人、多くても二十人を超えてはなりません。なぜでしょう?門を閉ざす形式は、生活を維持しやすいからです。各人が一科目を専攻します。制限はなく、儒教・仏教・道教何でも良いのです。仏経を学んでも良いですし、四書五経を学んでも良いし、『老子』、『荘子』を学んでも良いのです。一人が一科目を専攻します。
所以麥大維教授,這是劍橋的漢學家,跟我談過這個問題,他就很想叫我到倫敦去辦一個書院「大乘佛學」,這個書院就屬於劍橋大學的。因為英國大學它是書院制,大概劍橋跟牛津至少都有五十個書院。所以他想叫我搞一個屬於他們學校的。我說我很感謝,感謝你瞧得起我,我說可是我不能去。他說為什麼?我說你們學校的制度框架一架給我,我就一籌莫展,我也教不好。他說那你怎麼教法?我說我沒有方法,我的方法是中國老祖宗五千年傳下來的老辦法。他說什麼辦法?我說你是漢學家,你念過《三字經》嗎?他說念過。《三字經》前面八句話,「人之初,性本善;性相近,習相遠;苟不教,性乃遷;教之道,貴以專」。
デビッド・マクミューレン教授(Prof David McMullen)はケンブリッジの漢学研究者ですが、私とこの問題を話したことがあります。彼は私をロンドンに招いて「大乗仏学」という書院(講学所)を開きたいと考えました。その書院はケンブリッジのものです。イギリスの大学は書院制なので、だいたいケンブリッジとオックスフォードには少なくとも五十の書院があります。ですから彼は私を招いて彼らの学校を任せようと考えました。私は感謝しました。私を尊重して頂いたことに感謝しました。しかし私は行かれないと言いました。彼は「なぜですか?」と言うので、私は、「あなた方の学校制度の枠組みでは、手の打ちようがなく、私も教えようがありません」と言いました。彼は、「それならあなたはどのように教えるのですか?」と言いました。私は、「私には方法はありません。私の方法は中国のご先祖様が五千年伝えてきた昔からの方法です」と言いました。彼は「どんな方法ですか」と言いました。私は、「あなたは漢学者ですが、『三字経』は読んだことがありますか?」というと、彼は読んだことがあると言いました。『三字経』の最初の八句は、「人之初,性本善;性相近,習相遠;苟不教,性乃遷;教之道,貴以専」(人は生まれたばかりの頃、その本性はもともと善である。本性は似通っていても、後天的な学習によって遠く隔たってしまう。教え導くことをしなければ、本性も変わってしまう。教学の道は、専一にすることを重んじる)です。
【司会者】:教之道,貴以專。
「教之道,貴以専」(教学の道は、専一にすることを重んじる)。
【浄空法師】:對,所以我說十年,學生,我說我招學生不一定要大學畢業,但是我有兩個條件:第一個條件,儒釋道這三個根他做到了,這頭一個條件,他有行,他成聖成賢的條件具足;第二個,他能夠看文言文,就行了,這兩個條件,就行了。
そうです。ですから私は十年と言っています。私が募集する学生は大卒とは限りません。しかし二つの条件があります。第一の条件は、儒教・仏教・道教の三つの基礎を実行できることです。これが第一の条件です。その人に徳行があること。聖賢になる条件を具えていることです。二つ目は、文語文が読めることです。この二つの条件があれば良いのです。
【司会者】:古文看得懂。
古文を読んで理解できること。
【浄空法師】:我們中國古東西你必須自己有能力去閱讀,我說我只要這兩個條件,我就收他。然後進來之後,他專攻一門。我怎麼個教法?我提供一些古時候的這些註解、註疏,讓他去研究,他每天給我做半個小時報告,平均一天半個小時,實際上他可能一個星期做兩次報告,也就是一次兩個小時,兩次四個小時,我們這樣來學東西。我們同學在一塊聽。聽,你看,我沒有學的,別人學的,我也懂了,我聽了,我自己專攻這一門,可以吸收別人東西來解釋我這一門東西。所以我們這樣學習,大家在一塊學習,每個人是老師,每個人是學生,這樣互相在一塊。
中国の古いものを自分で閲読する能力がなければなりません。私は、この二つの条件があれば受け入れると言いました。来た後では一つの科目を専攻します。私はどのように教えるでしょう?私は昔の註解、注疏を提供して、学生に研究させます。学生は毎日私に三十分報告します。平均で一日に三十分です。実際には一週間に二回報告をして、つまり一回に二時間、二回で四時間の報告を行います。このように学びます。学生たちは一緒に聞きます。聞けば、自分が学んでいないもの、人が学んだものを自分も理解することができます。自分はこの一科目を専攻しているなら、人の研究を吸収することで、自分の研究を解釈することができます。ですから私たちはこのように学習します。皆で一緒に学習します。どの人も先生であり、どの人も学生です。そのように一緒に行います。
他說那你一部東西講完之後,譬如說《論語》,專攻《論語》的,他說那你《論語》一個星期四個小時報告,四個月就講完了。沒錯,四個月講完之後,第二遍重來,二遍講完了講三遍,一年講三遍,十年講三十遍,他心是定的。這樣學習,大概我們一般講,三年到四年,佛法裡面講,他得三昧,他就得論語三昧。這三昧是什麼?得清淨心、得定。五、六年他就開悟,他一開悟了,不但他所學的東西通達,沒有學的東西,一接觸就通達。所以中國人是講戒定慧,跟外國人的方法不一樣。
彼は、「例えば『論語』を専攻した人は、『論語』について一週間に四時間の報告をすれば、四か月で終わってしまう」と言いました。その通りです。四か月で報告が終わったら、もう一度二回目の報告をします。二回終わったら三回報告します。一年に三回すれば、十年で三十回です。その人の心は定まります。このように学習すれば、一般的に三、四年で、仏法で言う三昧【注】を得ます。その学生は論語三昧を得ます。三昧とは何でしょう?清浄心(清らかな心)を得て、定(じょう=禅定)を得ることです。五、六年すれば開悟します。一たび開悟すれば、その人は学んだものに通達するだけでなく、学んだことのないものにも、一たび接触すればすぐに通達します。ですから中国人は戒・定・慧(戒律・禅定・智慧)を重んじます。外国人の方法とは違います。
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【注】 三昧(ざんまい/さんまい)・・・・心を一つの対象に集中して動揺しない状態。
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【司会者】:您所講的三昧,頭一個階段這個三昧,這個人得了三昧,他會有什麼表現?
老法師の仰る三昧というのは、三昧を得た最初の段階では、その人に何が現れるのでしょうか?
【浄空法師】:得三昧,他定了。
三昧を得ると、その人は定まります。
【司会者】:心定下來了。
心が定まってくる。
【浄空法師】:他心得定了,定就得清淨心,煩惱就少了,智慧就長。我們講到開悟,那叫大徹大悟。
その人は心に定を得ます。定まれば清浄心を得て、煩悩が少なくなり、智慧が増長します。開悟に言及しましたが、それは大徹大悟(悟道に徹し真理を大悟する)と言います。
【司会者】:這個人在生活中,比方說他是您的學生,在這裡面學習,他會有什麼表現,他跟一般人。
その人は生活において、例えばその人が老法師の学生だとしますと、その人には何が現れるのでしょうか?その人と一般の人とは・・・。
【浄空法師】:他一切貫通了,沒有學過的東西,你只要問他,他一接觸,他立刻就給你解釋。
その人は一切に通じます。学んでいないことでも、あなたがその人に質問して、一たび接触すればすぐに説明することができます。
【司会者】:能達到這麼神奇的程度。
そこまで不思議な境地に達することができる。
【浄空法師】:不錯,確實如此。所以這才叫大師級。
その通りです。確かにそうです。これでようやく大家クラスと言えます。
【司会者】:什麼學科、什麼行業,拿過來就可以講,講的還都對。
どんな学科でも、どんな業界でも、持って行けば講釈することができて、説くところもすべて正しい。
【浄空法師】:惠能大師不就是這樣的嗎?他沒念過書,你無論是世間學問、佛法的學問,你念給他聽,他給你講解。
慧能大師【注】はそのようではありませんか?彼は書物を読んだことがありませんでしたが、世間の学問であろうと仏法の学問であろうと、あなたが読んで聞かせると、彼はあなたに講釈することができます。
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【注】 慧能大師(えのうだいし、638-713)・・・・范陽(北京市)の盧氏出身の禅僧。諡(おくりな)は大鑑禅師。中国禅宗(南宗)の第六祖。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%A7%E8%83%BD
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【司会者】:世間各行各業的學科很多!
世間には様々な業種の学科がたくさんあります!
【浄空法師】:是!什麼都,為什麼?你離不開自性,你見了性。
そうです!何でもすべてです。なぜでしょう?自性【注】から離れず、自性を見極めたからです。
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【注】 自性(じしょう)・・・・私たちが本来備えている真の性質のこと。真如法性(しんにょほっしょう)。
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【司会者】:他通了。
慧能大師は通じていた。
【浄空法師】:沒錯,什麼都通了。
その通りです。何にでも通じていました。
【司会者】:就是各行各業那些專家們有疑難有疑問,都可以來請教他,他就告訴你答案。
つまり様々な業種の専門家たちに判断し難い事や疑問があるなら、慧能大師に教えを請えば、解答してくれるのですね。
【浄空法師】:不錯。人人做得到,就是昨天跟你講的,把妄想分別執著拿掉,就行了。
その通りです。誰にでもできます。つまり昨日あなたに話したように、妄想・分別・執着を捨てれば良いのです。
【司会者】:很簡單,不神祕。
とても簡単で、神秘的ではありません。
【浄空法師】:不錯,是,一點祕密沒有。
その通りです。何の秘密もありません。
>>>我々の子孫は如何にして心の拠り所を得るのか06/10につづく・・・。
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/5b98e9df9d6027e2723f432697014243
【古来の教学方法を実践する】
【司会者】:您老的教學方式也是古法。
老法師の教学方式も古法(昔からの方法)です。
【浄空法師】:是古法,不是我自己的,祖宗傳的,我們靠什麼?靠老祖宗。
古法です。私自身のものではなく、ご先祖様が伝えたものです。私たちは何に頼るのでしょうか?ご先祖様に頼ります。
【司会者】:這個教學方法概括一下是怎麼講,就是「一門深入,長時修」。
この教学の方法をどのように言うのか総括してみますと、つまりは「一門深入,長時薫修」(一門に深く入り、長期に渡って修行を積むこと)です。
【浄空法師】:一門深入,長時修,不錯。
「一門深入,長時薫修」、その通りです。
【司会者】:現在的學校,比如說大學,能不能也採用這種方法?
今の学校は、例えば大学ではこのような方法を採用できるのでしょうか?
【浄空法師】:它不採用,它要採用,那就了不起了。
採用しません。採用するなら、それは大したものです。
【司会者】:有採用的可能是嗎?
採用する可能性があるのでしょうか?
【浄空法師】:從前都是這個方法。
昔はすべてこの方法でした。
【司会者】:就是他們實際上辦得到,就是不用這個方法而已。
つまり実際にはできるのに、この方法を採用しないだけなのですね。
【浄空法師】:對,你看我出家的時候,星雲法師在佛光山建立一個東方佛教學院,就請我做教務主任,我就給他建議,學生專攻一門。結果他不幹,他說這個不像學校。我說不像學校,它真正能培養人才,如果你現在像一般學校排課,上一點鐘排一個經典,下個鐘點又換了,他腦子還沒有吸進去,他又要換新題目了,所以四年畢業出來,什麼都不會,真叫一竅不通。
そうです。私が出家した時、星雲法師は仏光山【注】に東方仏教学院を建立して、私を教務主任として招聘しました。私は彼に、学生には一科目を専攻させるように提案しました。結果、彼はそうしませんでした。彼は、「それでは学校らしくない」と言いました。私は、「学校らしくなければ、本当に人材を養成することができます。もし一般の学校のように科目を設定して、前の時間に一つの経典、次の時間にまた変えてしまえば、頭の中に吸収しないうちに新しいテーマに変わってしまいます。それでは四年経って卒業しても、何もできるようにはならず、本当に何一つ分からないままです」と言いました。
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【注】 佛光山(ぶっこうざん)・・・・大乗仏教の寺院。1967年に星雲大師により開山された。総本山は台湾の高雄市大樹区にあり、目下世界各国におおくの別院がある。星雲大師は著名な仏教僧侶であり学者でもある。「人間佛教」を提唱し,中国仏教臨済宗の法脈を伝承している。(中国語版ウィキペディアより抜粋して翻訳) http://zh.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%9B%E5%85%89%E5%B1%B1
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【司会者】:他的心沒定下來,頭一個境界,三昧沒達到。
学生の心が定まらず、最初の境地である三昧に達しません。
【浄空法師】:對。我們從前跟李老師學經教的時候,李老師的方法是私塾教學法,個別教學法,我們得利益,就是學一門東西,你同時學兩門東西他就不教你,你沒有能力學兩樣。
そうです。私たちが昔、李老師【注】に経教を学んでいた頃、李老師の方法は私塾の教学方法でした。個別の教学です。私たちはご利益を得ました。正に一つの科目を学んだのです。あなたが同時に二つの科目を学ぶなら、老師は教えてくれません。あなたには二つを学ぶ能力はありません。
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【注】 李炳南居士(1889-1986)・・・・山東省済南の人。名を艶、字を炳南、号を雪庐という。衍聖公孔奉祀官府の秘書長。最初に唯識を梅光羲に学び、禅宗・浄宗・密宗などを学んだ。後に印光大師に帰依して浄土宗を修めた。その他に中医(漢方医学)にも精通していた。抗日戦争期間は、孔徳成について重慶に行き、太虚大師の布教活動を補佐した。その後住居を台中に定めた。孔奉祀官府に勤めた他、中国医薬学院、中興大学教授を兼任し、余暇は仏法の普及に尽力した。台中にて経典の説法を数十年に渡って行い、“李老師”の名は台湾仏教界で著名であった。台中仏教蓮社、菩提樹雑誌社、慈光図書館、菩提医院、菩提救済院など布教活動を行いつつ慈善機関を設立した。(百度より抜粋して翻訳)
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【司会者】:您知道現在小學生、中學生、大學生都是這樣的,他從幾歲開始上學的時候就是,這一上午四堂課,也就是四樣,下午又兩樣,一天是六樣,這一年下來,我們看他。
老法師もご存知のように、今は小学生、中学生、大学生もすべてそのようです。学生は何歳かで学校にあがった時からそうです。午前中に四時限、つまり四科目、午後には二科目。一日に六科目です。そのように一年過ぎて、学生を見てみると・・・。
【浄空法師】:頭腦都變成漿糊。
頭はすべて糊(のり)に変わってしまいます。
【司会者】:我們看他書包很大。世界各國現在都是這麼個教育法。
私たちは学生の大きなカバンを見ます。世界各国、今ではどこでもこの教育法です。
【浄空法師】:對,所以錯誤,絕對錯誤。所以我現在很想搞一個學校做試驗,我也把國家規定的這些課程一起來把它教完。比如小學六年,它有語文、有數學,我的教法就不是這樣的排法,語文,六年的語文,一年把它教完,我就學一樣東西。
そうです。間違いです。絶対に間違いです。ですから私は今学校で試してみたいと考えています。国家の規定するそれらの課程を教えます。例えば小学六年では、国語があり、数学がありますが、私の教え方はそのような時間割ではありません。六年の国語は、一年で教え終わります。一つだけを学ぶのです。
【司会者】:這一年都是學語文,別的不學。
この一年はすべて国語を学んで、他のものは学ばない。
【浄空法師】:第二年專門學數學,保險他的成績會比現在的學生好。
翌年は数学を専門に学びます。学生の成績は今の学生より良くなることを保証します。
【司会者】:因為他這一年光研究數學,
学生はこの一年数学だけを研究するのですから。
【浄空法師】:對,沒錯,他腦子裡沒有別的東西,他怎麼會一樣?可以做試驗。我跟陸克文總理談這個事情,他就叫我做試驗,試驗成功了,澳洲就可以推動。
そうです。その通りです。学生の頭には他のものは入りません。どうして一つなのでしょう?試してみれば良いのです。私が陸克文総理にこの事を話すと、彼は私に実験させ、その実験は成功しました。オーストラリアでは推進できます。
【司会者】:這對人類、對教育史都是大貢獻。
これは人類、教育史に対する大きな貢献です。
【浄空法師】:整個教育會改變。
すべての教育が変わります。
【司会者】:現在的孩子們很痛苦,您知道嗎?
今の子どもはとても苦しんでいます。老法師はご存知でしょうか?
【浄空法師】:是苦。
苦しんでいます。
【司会者】:但是又不能怪他們,這是大人教的。
しかし子どもたちを咎めることはできません。これは大人が教えたことなのです。
【浄空法師】:對,他無知。就看你怎麼個教法。所以聖賢是人教出來的,佛菩薩也是人教出來的,壞人、惡人也是人教出來的,看你怎麼個教法,你不要怪他。回過頭來說,「行有不得,反求諸己」,我怎麼教他的。
そうです。その人は無知なのです。どう教えるのかによります。ですから聖賢は人に育成されたのです。仏菩薩も人に育成されたのです。悪者、悪人も人に育成されたのです。どのように教えられたのかによるのであって、その人を咎めてはなりません。自分を顧みて、「行有不得、反求諸己」(行ってよい結果を得られなければ、原因を自分自身に求めて反省する)ことです。自分がその子をどう教えたのかということです。
【司会者】:家長和老師要反省。
保護者や教師は反省しなければなりません。
【浄空法師】:沒錯,要負責任。
その通りです。責任を負わなければなりません。
【司会者】:就是教育的人和教育的方法至關重要。
つまり教育する人と教育の方法は、極めて重要だということです。
【浄空法師】:沒錯,我們現在很想建一個小學,就用中國古老這個方法來排課程。
その通りです。私たちは今小学校を建てて、中国古来の方法で教科の時間割を作成したいと考えています。
【司会者】:可以在湯池鎮來做這個試驗嗎?
湯池鎮でその実験をすれば良いのではないでしょうか?
【浄空法師】:這個我們國家還做不到,現在就是澳洲陸先生他對我這個想法他很喜歡。我就想搞一個老人院、搞一個小學,為什麼?養老、育幼是現在全世界兩樁大事,老人如果晚年生活很愉快,他絕對不墮三惡道。
これは私たちの国ではまだできません。今オーストラリアの陸さんが私の考えを歓迎しています。私は養老院と小学校をやりたいと思っています。なぜでしょう?お年寄りを養い、子どもを育てることは、全世界の二つの大事だからです。お年寄りは晩年を幸せに暮らせれば、絶対に三悪道【注】には堕ちません。
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【注】 三悪道(さんあくどう)・・・・六道のうち畜生道、餓鬼道、地獄道をいう。三悪趣。
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【司会者】:那是每個子女都希望能夠看見的。
(そのような姿は)子どもなら誰でも見たいと思うものです。
【浄空法師】:對,如果他有怨恨、有不平的話,肯定墮三惡道。所以我想搞一個小型的,做個試驗,養老的試驗。老人院就是老人大學,天天給他講經,天天給他教學,各種東西都有,什麼味道都有,他才生活得快樂。
そうです。もしお年寄りが恨みを持ち、不平を持っているなら、間違いなく三悪道に堕ちます。ですから私は小規模で実験したいのです。養老の実験です。老人ホームというのは老人大学です。毎日講経し、毎日教学します。何でもあります。どんな味わいのものも、すべてあります。それでこそお年寄りは幸せに過ごせるのです。
【司会者】:過世之後不受痛苦。
亡くなった後で苦痛を受けない。
【浄空法師】:對,不錯,是!旁邊辦一個小學,讓老人天天看到小孩,小孩可以天天敬老。
そう、その通りです。そうです!隣に小学校を建てて、お年寄りに毎日子どもを見せます。子どもは毎日お年寄りを敬います。
【司会者】:天倫之樂。
一家団欒の喜びですね。
【浄空法師】:尊敬老人,天倫之樂。讓小孩學得像《弟子規》他就能做到,就落實,他用什麼態度對待這些老人,老人都是自己的父親、母親、祖父、祖母。
お年寄りを敬うことは、一家団欒の喜びです。子どもに『弟子規』を学ばせれば、子どもは実行できます。子どもはどのような態度でお年寄りに接するのかといえば、お年寄りを皆自分の父親、母親、祖父、祖母と見なします。
【司会者】:您這個試驗準備在哪裡做?
老法師はどこでこの実験をされるのでしょうか?
【浄空法師】:準備在澳洲。
オーストラリアで準備しています。
【司会者】:在中國不能做嗎?
中国ではできないのでしょうか?
【浄空法師】:中國比較困難一點。先做一個點,這個東西要有支持,在澳洲,總理支持,這好辦。做一個小型的,做成功之後,總理會帶著他們國會議員來參觀,議員參觀之後,在議會裡面就可以立法,就可以向全國推動。
中国ではやや困難です。まず一つの地点で行います。このことは支持を得なければなりません。オーストラリアでは総理が支持されているので、やりやすいのです。小規模で行い、成功した後で、総理は国会議員を連れて見学します。議員が見学した後、議会で法律を制定すれば、全国で推進することができます。
【司会者】:擴大推廣。
広く推進するのですね。
【浄空法師】:不錯,就是這種經驗可以全國推動。
その通りです。この経験を全国で推進することができます。
>>>我々の子孫は如何にして心の拠り所を得るのか07/10につづく・・・。
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/c4a16401c86b3b3432db687bd8067a7c
【聖賢を育成する女子教育の重要性】
【司会者】:剛才我們說到缺乏大師是因為缺乏教大師的媽媽,缺乏教大師的母親。
先ほど私たちは、大家がいないのは大家を教える母親がいないからだとお話ししました。
【浄空法師】:對,環境重要。
そうです。環境は重要です。
【司会者】:也就是說中國古人歷來是對教育女孩子是很重視。
中国の古人は、昔から女の子の教育を重視しています。
【浄空法師】:比教男孩子還重要。
男の子を教えるより重要です。
【司会者】:現在應該有個說法要給它平反,應該是個誤會,說中國自古以來是重男輕女,輕視女性。
今、ある言い方について、誤りを正さなければなりません。それは誤解でしょう。中国では昔から男尊女卑で、女性を軽視していたと言うものです。
【浄空法師】:叫「太太」這兩個字就不是重男輕女,「太太」這兩個字是聖人之母。
「太太」(タイタイ=中国語で既婚女性の意)というこの二字は、男尊女卑ではありません。「太太」の二字は、聖人の母という意味です。
【司会者】:故宮的大匾上,「太和殿」的「太」字就是最高的意思。
故宮の大きな額にある「太和殿」の「太」の字は、正に最高という意味です。
【浄空法師】:對,不錯,最高的。
そうです。その通りです。
【司会者】: 「太太」那就是最高榮譽。
「太太」(タイタイ)というのは最高の栄誉なのですね。
【浄空法師】:對。太太是什麼?就是周家的三太。周朝八百年,最初這三個聖人:文王、武王、周公。孔老夫子一生最佩服的是周公。
そうです。「太太」とは何でしょう?それは周家三代の夫人です。周朝八百年、最初は三人の聖人、文王、武王、周公です。孔夫子は一生で周公を最も尊敬していました。
【司会者】:這三個偉大的政治家給老百姓帶來了八百年的好處,八百年的福祉。
この三人の偉大な政治家は、庶民に八百年の恩恵、八百年の福祉をもたらしました。
【浄空法師】:對。這三個人的母親都有一個「太」字。周文王的祖母太姜、他自己的母親太任、他自己的夫人太姒,所以以後「太太」是從這兒來的。這三個人養的兒子都是聖人。所以「太太」是什麼?聖人的母親。所以說,妳結婚之後,妳要學三太,妳要把妳的兒女培養成大聖大賢。
そうです。この三人の母親はすべて「太」の字が一字ありました。周の文王の祖母は太姜、彼自身の母親は太任、彼の夫人は太姒です。ですからそれ以降の「太太」はここから来たのです。この三人が育てた子どもはすべて聖人です。ですから「太太」とは何でしょう?聖人の母親です。ですから女性は結婚した後、三人の「太太」に学びます。子どもを大聖賢に育てなければなりません。
【司会者】:能不能這樣講,一個民族、一個國家要想興旺發達,前提是要有好的教育,就是對這些女孩子們要有好的教育,她當了好媽媽,她才知道怎麼去培養大師。
このように言うことはできるでしょうか。一つの民族、一つの国家は、繁栄と発達を望むのなら、前提は良い教育があることです。つまり女子に対して良い教育をしなければなりません。彼女たちが良い母親になれば、どのように人物を育てるのかが分かります。
【浄空法師】:不錯,是的。
その通りです。そうです。
【司会者】:現在天下很多的家長就想請教您,包括一些領導人也想請教您,您能概括的、簡要的給大家說一下,怎麼才能教育好現在的女孩子?因為現在社會太亂了。
今天下には一部の指導者を含めて、多くの保護者が老法師に教えを請いたいと思っています。どうすれば今の女の子をしっかり教育できるのか、総括して簡潔に皆さんにお話し頂けないでしょうか?なぜなら今の社会は非常に乱れているからです。
【浄空法師】:對,現在不要講太高深了,如果自己把《弟子規》百分之百的落實,你什麼就懂了。
そうです。今は高尚で深いことを話す必要はありません。もし自分で『弟子規』を100%実行できれば、何でも理解できます。
【司会者】:還是《弟子規》。
やはり『弟子規』ですか。
【浄空法師】:教育是要從自己做出來,才會影響你的兒女,你自己沒有做到,你叫他做到,他不相信,他要親自看到。而且教育,如果小孩從三、四歲開始,已經遲了。所以文王的母親太任,懷孕的時候她就開始了,叫胎教。你千萬不要疏忽,在懷孕,他還沒長成人形,他什麼都不知道。其實他有靈性,他什麼都知道,他已經在開始學習。最晚,一出生。怎麼教法?在他面前,言談舉止都要端正,都要有規矩。他已經在看,他已經在聽。所以從出生到三歲,這一千天,這叫紮根教育。中國古人的諺語常講,「三歲看八十,七歲看終生」,這個話現在講沒有人懂,三歲怎麼能看到八十?古時候是真的,三歲這一千天的根紮得好,他是聖人,他是大賢。所以這個老師是誰?這個老師是父母,是他家裡面的長輩。
教育はまず自分から実行しなければなりません。それでこそ子どもに影響を与えることができるのです。あなた自身ができなければ、子どもにやらせても、子どもは信じません。子どもは自分の目で見なければなりません。しかも教育は、子どもが三、四歳になってから始めるのでは、もう遅いのです。ですから文王の母親の太任は、身籠った時から始めました。これを胎教と言います。決して疎かにしてはなりません。身籠った時、まだ人の形になっていなければ、その子は何も分かりません。しかし、実のところその子には霊性があり、何でも分かっていて、すでに学習を始めています。遅くても生まれてからです。どのように教えるのでしょう?子どもの前で、言葉や立ち居振る舞いを正さなければなりません。すべてに規律があります。子どもはもう見ています。もう聞いています。生まれてから三歳までの一千日、これを根を張る教育と言います。中国の古人の諺では、「三歳看八十,七歳看終生」(三歳で八十歳の様子が見え、七歳で一生の様子が見える)と言います。今ではこの話をしても理解できる人はいません。三歳でどうして八十の姿が分かるのでしょうか?昔は本当に、三歳までの千日にしっかりと根を張りました。その人は聖人であり、大賢です。その先生は誰でしょう?先生は両親であり、家の中の年長者です。
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【注】 「三歳看八十,七歳看終生」
三歳で八十歳の様子が見え、七歳で一生の様子が見える。(筆者意訳)
日本でいう “三つ子の魂百まで” と同義。
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【司会者】:三歲之前只有他的家人、父母,誰幫他紮這個根,就是父母。
三歳の前には、子どもの家族、両親しかいません。誰が根を張るのかと言えば、それは両親です。
【浄空法師】:沒錯,所以教育第一任的老師是父母,最重要的是母親,因為跟父親接觸的時間還少,跟母親幾乎是不離開的。所以現在母親不會教,母親自己也不懂,這個問題就嚴重了。
その通りです。ですから教育を最初に担当する先生は両親です。最も重要なのは母親です。父親が接触する時間は少ないですが、母親とはほとんど離れないからです。今の母親は教えることができません。母親自身が知らないのです。この問題は深刻です。
【司会者】:我們看到五倫八,尤其五倫,我們看到五倫,體會最深的就是兩個字,「本分」,就是大家各安各的身分,各安自己的本分,就會很好。
五倫・八徳を見ますと、特に五倫にはとても印象深い「本分」の二字があります。つまり皆が各々の身分に落ち着き、各々自分の本分に落ち着けば良いというものです。
【浄空法師】:沒錯,這就講五倫十義,父慈、子孝、君仁、臣忠、夫婦有別。夫婦有別就是夫妻兩個結合成一個家庭,他們的工作是有差別的。家庭生活最重要是兩樁事情,一個是經濟生活,一個是教育,家庭沒有教育就完了;家庭教育是落在太太身上,家庭經濟是先生去負擔,一個是出外謀生,一個在家裡頭教育兒女。你看母親這個責任多重。
その通りです。これは五倫十義を説いています。父の慈、子の孝、君主の仁、臣下の忠、夫婦の別があります。「夫婦に別あり」とは、夫婦二人が一つの家庭を作り、彼らの仕事に区別があるということです。家庭生活で最も重要なのは二つのことです。一つは経済生活、一つは教育です。家庭に教育がなければお仕舞いです。家庭教育は「太太」(夫人)が負い、家庭の経済は男性が負担します。一人は外で生計の道をはかり、一人は家で子どもの教育をします。どうでしょう、母親の責任はどれほど重いことでしょうか。
【司会者】:中國有個詞形容夫人叫「相夫教子」,能不能這樣解釋,相就是幫助自己的先生。
中国には夫人を形容する「相夫教子」(夫を助け子どもを教える)という言葉があります。「相」とは自分の夫を助けること、このように解釈できるでしょうか。
【浄空法師】:沒錯。
その通りです。
【司会者】:相很像是宰相的意思,教就是老師的意思。能不能說,一個太太在一個家裡又是宰相、又是老師?
「相」は宰相の意味に似ています。「教」とは教師の意味です。一人の夫人は家の中では宰相でもあり、教師でもあると言えるでしょうか?
【浄空法師】:對,沒錯,「君、親、師」這三個字,她都要承擔起來。君是什麼?領導,妳怎麼帶這個孩子,妳怎麼樣把他帶到聖賢之道。
そうです。その通りです。「君、親、師」、この三字を、夫人はすべて引き受けます。「君」とは何でしょう?教え導くことです。子どもを如何に聖賢の道に導くかです。
【司会者】:按照這個標準,按照我們老祖宗的這個標準來衡量今天的媽媽,可能很難有稱職的。
このご先祖様の基準に照らして今日の母親を見ると、おそらくこの役割を担える人はいないでしょう。
【浄空法師】:沒有,一個稱職都沒有,這三個字一個都沒做到。
いません。役割を担える人は一人もいません。この三字のうち一つもできません。
【司会者】:結果就是家庭亂了,社會亂了,災難來了。
その結果、家庭は乱れ、社会は乱れ、災難がやって来ます。
【浄空法師】:不錯,災難來了。
その通りです。災難が来ます。
【司会者】:您是說如果不恢復到這種本分上去,家庭的各個成員不各就各位的話,那很難避免災難。
もしこのような本分に立ち返らず、家庭の一員が役割を果たさなければ、災難を免れるのは難しいということでしょうか。
【浄空法師】:沒法子避免。
避けられないでしょう。
【司会者】:孩子也不可能安身立命。
子どもたちも心の拠り所を得ることができません。
【浄空法師】:不錯。
その通りです。
【家譜と家族意識の重要性】
【司会者】:現在這個社會有個特點,不管走到西方還是東方,如果這個人很本分,會受到別人的嘲笑,別人會奚落他。但是還有一些家庭,他們就是願意做本分人,他們家傳是厚道,忠厚傳家久。我很想替這樣的家庭,替這些人們向您老請教,就是這些家庭他們這一家人這一輩子,而且永遠想世世代代這樣做下去,永遠想做一個本分人、厚道人,缺的事情他們也做不了。現在請您老對著天下有這些想法的這些家庭、有這些願望的家庭,您能不能給大家一些鼓勵,給大家一些勇氣?
今の社会にはある特徴があります。西洋に行こうと東洋に行こうと、もし人が本分に安んじていると、その人は他人から嘲笑され、冷やかされます。しかしまたある家庭では、本分を守ることを望み、正直で温厚な家風を保っています。私はこのような家庭の人々に代わって老法師に教えて頂きたいのですが、このような家庭の人々はこの一生だけでなく、子々孫々まで続いてほしいと願っています。いつまでも本分を守る人、温厚な人として生きて、彼らには徳に背くことなどできません。老法師にお教え頂きたいのですが、天下のこのように願っている家庭に、励ましと勇気をお与え頂けませんでしょうか?
【浄空法師】:有,在中國這樣的家庭,第一個家庭是孔家,孔子的後代,第二個是范仲淹的家,這是印光大師講的。范家確實來找過我,我上次在廬江,他們把他們的家譜帶了一份來給我看。我看了很受感動。范仲淹的家譜非常的完整。我就問他,我說你的家譜印了多少份?他說兩百份。我說希望你們的家族永遠保持你們祖宗的這種行,所以我希望你們家譜能夠在世界上廣泛的流通。他告訴我,他們力量很有限。印一套一百塊人民幣,當時我是叫他印三千套,三千套好像是給他三萬塊錢,不錯。我說這個事我幫助你,希望你印好之後,能夠把你的家族,好好的把家道、家學、家規、家業發揚光大。他們也很受感動。
(このような家庭は)あります。中国のこのような家庭では、一番の家庭は孔家、孔子の子孫で、二番目は範仲淹(989-1052/北宋の政治家)の家です。これは印光大師が言っています。範家は確か私を尋ねて来ました。前回廬江で、彼らは私に家譜(一家の系図)を見せてくれました。私はそれを見て感動しました。範仲淹の家譜は完全です。私は、「この家譜は何部印刷したのですか」と聞きました。彼らは「二百部」だと言います。私は、「あなた方の家族には永遠に先祖の徳行を保って頂きたい。私はあなた方の家譜を世界に広く流通させたい」と言いました。彼らは彼らの力には限界があると言いました。一部印刷すれば百人民元です。当時私は三千部印刷させました。三千部ですからたしか三万元を差し上げました。私は、「この事はお助けしますから、印刷した後、あなたの家庭でしっかりと家風、家伝の学問、家訓、家業を大いに発揚させて下さい」と言いました。彼らもとても感動していました。
【司会者】:說到家譜,我們了解到最新的一個信息,就是您老人家回到故鄉,發現了自己家族的家譜。
家譜に言及しますと、最新の情報では、老法師は故郷に戻られて、ご自分の家族の家譜を発見されたそうですね。
【浄空法師】:對。
そうです。
【司会者】:這個家譜就證實了一個。
この家譜が実証してくれます。
【浄空法師】:家庭歷史。
家庭の歴史です。
【司会者】:這個家庭歷史就證實了您老人家的家族,就是您這個龐大的家族,祖上是黃帝,就是軒轅氏。
この家庭の歴史は老法師の家族を実証しています。正に老法師の大きな家族、祖先は黄帝、つまり軒轅(けんえん)氏です。
【浄空法師】:對,軒轅氏。
そうです。軒轅氏です。
【司会者】:很多人他們都非常的震動、非常的感動,說老教授是真正黃帝的後裔。
多くの人は衝撃を受け、非常に感動しました。老法師は真の黄帝の末裔でいらっしゃるのですね。
【浄空法師】:對,是的。
そうです。
【司会者】:到您老這一代應該是多少?
老法師の代までどのくらいになるのでしょうか?
【浄空法師】:一百三十六代。
百三十六代です。
【司会者】:是黃帝的。
黄帝の。
【浄空法師】:一百三十六代,到我這一代是一百三十六代。我們相信,有理由相信,大概漢族都是炎黃子孫,炎是伏羲,伏羲。黃帝的子孫,因為伏羲到黃帝沒有文字,文字是黃帝時候才發明的,所以那時候有傳說,沒有記載。我們的傳說,宗譜裡頭第一句話,「伏羲之後」,從黃帝就一代一代有記載了。黃帝有四個妃子,二十五個兒子,每個人以後都是不同的姓。所以我們有理由相信漢族是一家人,炎黃子孫。
百三十六代、私の代までで百三十六代です。私たちは信じます。信じる理由があります。おそらく漢族は皆、炎黄(=炎帝と黄帝)の子孫です。炎は伏羲(ふっき)です。黄帝の子孫です。なぜなら伏羲から黄帝までは文字がありません。文字は黄帝の時に発明されました。ですからその頃は伝説があって、記載はありません。私たちの伝説、同族の系譜の中の最初の一句は「伏羲之後」とあり、黄帝から一代一代記載があります。黄帝には四人の妃がいて、二十五人の子どもがいました。どの人もそれ以降は異なる姓です。ですから私たちには、漢族は一つの家族であり、炎黄の子孫であると信じる理由があります。
【司会者】:您這個家族保持這個家族的歷史紀錄這麼完整,從黃帝那時候一直到現在。
老法師のご家族は、家族の歴史的記録をこれほど完全に保存されているのですね。黄帝からずっと現在に至るまで。
【浄空法師】:沒錯,對,一直到現在。
その通りです。そうです。ずっと今に至るまで。
【司会者】:到您這一代都有。
老法師の代もすべてあるのですね。
【浄空法師】:對,都有。
そうです。すべてあります。
【司会者】:代代不斷。
代々絶えていない。
【浄空法師】:對,不錯。全世界只有中國人有,外國人他疏忽了這一點。
そうです。その通りです。全世界であるのは中国人だけです。外国人はこの点を疎かにしています。
【司会者】:從黃帝到現在應該有,至少有。
黄帝から現代まで少なくとも・・・。
【浄空法師】:四千五百年。所以人,你說他能夠有家庭的歷史,他怎麼會不愛這個家庭?
四千五百年です。ですから人は、自分の家庭の歴史があるなら、どうして家庭を愛さないことがあるでしょうか?
【司会者】:他首先知道自己從哪來的。
まず自分がどこから来たのかが分かります。
【浄空法師】:沒錯,如果沒有這個歷史的話,他對於家族概念就很淡薄。
その通りです。もしこの歴史がなければ、その人の家族に対する概念は希薄になります。
【司会者】:他只知道自己。
その人は自分のことしか知りません。
【浄空法師】:對,不錯,他也很淡薄。
そうです。その通りです。(家族意識が)とても希薄になります。
>>>我々の子孫は如何にして心の拠り所を得るのか08/10につづく・・・。
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/4cdcef0fe1aae73ef6b00dbb08ed19b8
【三綱五常】
【司会者】:中國古人還講三綱五常,還講三綱,君為臣綱,夫為妻綱,父為子綱。
中国の古人はまた三綱五常(さんこうごじょう)【注1-2】を重んじています。君為臣綱(君は臣の綱と為る)、夫為妻綱(夫は妻の綱と為る)、父為子綱(父は子の綱 と為る)。
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【注1】 三綱(さんこう)・・・・君為臣綱(君主は臣下の手本となる)。父為子綱(父親は子どもの手本となる)。夫為妻綱(夫は妻の手本となる)。
【注2】 五常(ごじょう)・・・・仁、義、礼、智、信。五常の徳。
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【浄空法師】:對,不錯。
そうです。その通りです。
【司会者】:其實這也是需要平反的一個誤會,有很多人一直在批判三綱五常。實際上聖人傳下來的根本的意思,綱就是榜樣,君就是領導。
実のところこれも誤解を解かなければなりません。多くの人は三綱五常を批判し続けています。実際には聖人が伝えた根本の意味は、「綱」とは手本であり、「君」とは教え導くことです。
【浄空法師】:不錯,要做個樣子。
その通りです。そのようにしなければなりません。
【司会者】:要先給下面的人做一個好榜樣,他才能叫綱。
まず下の者への良い手本となること。それでこそ「綱」と言えます。
【浄空法師】:對,現在所謂是「學為人師,行為世範」就這個意思,你的言行舉止都要給一家人做榜樣。
そうです。いわゆる「学為人師,行為世範」(学びて人の師と為り、行いて世の範と為る)とはこの意味です。あなたの言葉や立ち居振る舞いは、家族の手本でなければなりません。
【司会者】:我們到今天對我們的古聖先賢的教育、對傳統的教育,誤解太深了。
私たちは今日、昔の聖賢の教育、伝統の教育に対する誤解が深すぎます。
【浄空法師】:太深了,是的。這個也難怪,中國滿清亡國之後,國家一直在戰亂,軍閥割據、日本人的侵略,把中國社會整個打亂了。尤其是中國在那一代的知識分子都否定了傳統文化,認為傳統文化導致中國的落後,一定要全盤西化,學外國人。今天外國人要滅亡了,我們怎麼辦?所以現在外國人向東方來尋寶,真的,他找中國古籍,在印度裡面找佛教,他要來求這個,來求救。我們現在還不覺悟,等到外國人把中國東西、印度東西真正拿出來救了他們自己了,我們慢慢再去追,再去學人家,這很可悲的現象。
深すぎます。そうです。これは無理もありません。中国は清朝が滅んだ後、国はずっと戦乱があり、軍閥の割拠、日本人の侵略、中国社会全体が混乱しました。特に中国のその世代の知識人は皆伝統文化を否定して、伝統文化が中国の遅れを招いたのだと思い、すべてを西洋化しようとしました。外国人に学んだのです。今日外国人は滅亡しようとしています。私たちはどうすれば良いのでしょうか?ですから今日外国人は東方に宝を探しに来ています。本当です。彼らは中国の古書を探し、インドの仏教を探しています。これに救いを求めています。私たちは今まだ目覚めていません。外国人が中国やインドのもので本当に彼ら自身を救ったら、私たちは少しずつ追いかけるのです。また彼らに学ぶのです。これは悲しむべき現象です。
【トインビーの言葉の真意とは】
【司会者】:很多人堅信,過去也有過這樣的預測,過去很多包括外國人也講過這個話,很多中國人也堅定的相信,二十一世紀一定是中國人的世紀。現在就產生一個疑問,是中國的什麼來領導這二十一世紀?是中國的政治、經濟、科技,還是軍事,還是什麼才能稱之為二十一世紀是中國人的世紀,這句話怎麼理解?
多くの人はかたく信じています。過去にもこのような予想があり、外国人も含めてこのような話をしていました。中国人もかたく信じています。二十一世紀は必ず中国人の世紀になると。今一つの疑問が湧いてきます。中国の何をもってこの二十一世紀を導くのでしょうか?中国の政治、経済、科学技術、または軍事、または何をもって二十一世紀は中国人の世紀だと言うのでしょうか?この話はどう理解すれば良いでしょうか?
【浄空法師】:也因為這麼一個因素,所以西方人提出一個「中國威脅論」。
このような要素があるからです。ですから西洋人は「中国脅威論」を提起しています。
【司会者】:中國威脅論。
中国脅威論。
【浄空法師】:對,提倡這個。我在國際上也走得很多,也遇到不少這些有影響力的人,我跟他們談的時候,我說二十一世紀是中國人的世紀,這不是中國人說出來的,還是湯恩比說出來的。為什麼說是中國人的世紀?是中國人傳統文化的世紀,只有中國傳統文化能救全世界,不是政治,也不是科技,也不是軍事,也不是經濟,是中國文化。
そうです。これを提唱しています。私は国際的にも多くの場所に行き、影響力を持つ人とお会いしたことも少なくありません。私は彼らと話をする時、「二十一世紀は中国人の世紀だというのは、中国人が言ったのではなくて、トインビー【注】が言ったことです」と言っています。なぜ中国人の世紀だと言ったのでしょうか?中国人の伝統文化の世紀です。中国の伝統文化だけが全世界を救うことができます。政治ではなく、科学技術でもなく、軍事でもなく、経済でもなく、中国の文化です。
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【注】 アーノルド・ジョセフ・トインビー(Arnold Joseph Toynbee)[1889—1975]・・・・英国の歴史家・文明批評家。歴史の基礎を文明におき、文明の消長の一般法則を体系づけ、独自の歴史観を展開した。著書に『歴史の研究』、『試練に立つ文明』などがある。トインビー氏は「二十一世紀の人類社会を救うのは、中国の儒教思想と大乗仏教しかない」との見解を示している。
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【司会者】:就是傳統文化。
つまり伝統文化ですね。
【浄空法師】:對,中國傳統文化。如果大家要把這個東西丟掉了,二十一世紀就是人類毀滅的世紀。
そうです。中国の伝統文化です。もし皆がこれを捨ててしまえば、二十一世紀は人類滅亡の世紀です。
【司会者】:這個話是這麼個意思。
この話はこのような意味なのですね。
【浄空法師】:對,不錯。
そうです。その通りです。
【社会を救う伝統文化の核心】
【司会者】:中國傳統的文化,有人就請教您。
中国伝統の文化について、ある人は老法師に質問します。
【浄空法師】:能救二十一世紀。
二十一世紀を救うことができます。
【司会者】:有人就請教您老,在哪裡?很多人說是不是在古籍裡?是不是在一些歌舞表演?說那個就是中國傳統文化,西方人就是這個印象。
ある人は老法師に質問します。どこにあるのでしょうか?多くの人は古書の中ではないかと言います。歌や演劇の中でしょうか?それこそが中国の伝統文化だと言う人もいます。西洋人はそのような印象をもっています。
【浄空法師】:不是的。所以這個問題,我跟他們,我在倫敦跟倫敦大學、劍橋大學我就談得很多,因為我跟他們講話的是漢學系的博士班,我看到這些學生,用《無量壽經》寫博士論文,很難得,我看到很歡喜,用《孟子》寫博士論文的,還有我看到一個用王維,唐朝的詩人王維。
違います。この問題について、私はロンドン大学とケンブリッジ大学でたくさん話をしました。私が話をしたのは漢文学科の博士クラスでした。私はそれらの学生が、『無量寿経』で博士論文を書いたのを見ました。とても得難いことです。私はそれを見て喜びました。『孟子』で博士論文を書いた学生、また唐朝の詩人・王維もありました。
【司会者】:是英國的學生嗎?
イギリスの学生ですか?
【浄空法師】:英國學生。所以他們的漢語講得很好,有能力看中國古籍,這個不容易。我跟他們談的時候就告訴他,我說你們確實可以在中國典籍去拿到學位,將來也是最好學校裡面的名教授,我說可是你們決定不能像我這樣快樂,你們依然是生活在煩惱跟痛苦的世間。他們都笑起來。
イギリスの学生です。彼らの中国語はとても上手で、中国の古書を読む能力があります。これは容易なことではありません。私は彼らと話した時に、「あなた方は中国の典籍で学位を取り、将来は学校で名教授になれるでしょう。しかしあなた方は間違いなく、私のような喜びを得ることはできません。あなた方は依然として煩悩と苦痛の世間の中を生活するでしょう」と言いました。彼らは皆笑い出しました。(笑)
【司会者】:就是您說他們不能解決實際問題。
つまり彼らは実際の問題を解決することができないと。
【浄空法師】:對,不錯。我說你們搞的是漢學,也就是儒學、道學、佛學,我說我跟你們搞的是反面,相反的。他們很驚訝,怎麼相反的?我說我是學佛、學儒、學道,你們是佛學、儒學、道學,這兩個字顛倒過來就不一樣。如果是儒學、道學、佛學,這是學術,你們是搞學術。
そうです。その通りです。私は、「あなた方は漢学を学んでいます。それは儒学、道学、仏学です。私はあなた方とは正反対で、相反しています」と言いました。彼らは驚いていました。なぜ正反対なのでしょう?私は、「私は仏に学び、儒に学び、道に学んでいます。あなた方のは仏学、儒学、道学です。この二字が逆さまであれば同じではありません。もし儒学、道学、仏学であれば、それは学術です。あなた方のは学術です」と言いました。
【司会者】:做學問。
学問をしている。
【浄空法師】:學術是知識。你要是學佛,你得學得跟釋迦牟尼佛一樣,學儒要學跟孔孟一樣,學道要學跟老莊一樣,那就不一樣了,孔顏之樂,佛門裡的法喜充滿你才真正得到。所以這是兩樁事情,不能混為一談。學儒、學佛那是智慧,搞儒學是什麼?那是知識。知識不能解決問題,智慧能解決問題。我給他們上課只有一個小時,給他們很大啟示。
学術は知識です。あなたがもし仏に学ぶのであれば、釈迦牟尼仏と同じようにしなければなりません。儒を学ぶなら孔孟と同じように学ばなければならず、道を学ぶなら老荘と同じように学ばなければなりません。それなら異なります。孔子や顔回の「楽」(喜び)、仏門の「法喜充満」を本当に得ることができます。ですからこの二つは混同してはなりません。儒に学び、仏に学ぶのは智慧です。儒学とは何でしょう?それは知識です。知識では問題を解決することはできません。智慧は問題を解決することができます。私が講義したのは一時間ほどでしたが、彼らを大いに啓発しました。
【司会者】:多少年都沒有聽到。
何年も学んで(そのような話は)まったく聞いたことがなかった。
【浄空法師】:是!
そうです!
【司会者】:也不可能聽到。也就是說,領導二十一世紀的一定是中國的這些傳統文化。
聞くこともできなかった。それは言い換えれば、二十一世紀を教え導くのは中国の伝統文化だと言うことです。
【浄空法師】:對,傳統文化。
そうです。伝統文化です。
【司会者】:但是怎麼才能領導?
しかし、どうすれば教え導くことができるのでしょうか?
【浄空法師】:那時候我就問他,我說你們相信嗎?你們湯恩比講的話,你們相信嗎?你們現在在學校裡頭,你不是研究儒釋道三家嗎?能救社會嗎?都呆了。
その時私は彼らに質問しました。私は、「あなた方はトインビーの話を信じますか?あなた方は学校で儒教・仏教・道教を研究しているでしょう?社会を救うことができますか?」と言いました。皆は唖然としていました。
【司会者】:救不了,絕對救不了。
救えません。絶対に救えません。
【浄空法師】:那湯恩比的話講錯了嗎?他們也不敢說。我說你要懂得怎樣去解讀湯恩比的話,他沒有說錯。我就講儒釋道,像我們種植物一樣,你種一棵樹,果木樹,你得有根。你們今天講到儒,你一定腦子裡頭馬上就浮出來四書五經、十三經,講到佛,那你一定是《華嚴經》、《法華經》、《般若經》,你就想到這些。這些東西你天天去研究、天天講,無濟於事。湯恩比沒說錯,怎麼沒說錯?儒釋道它有三個根,你今天所看到的是枝葉花果,枝葉花果從哪來的?根生的,所以你把儒釋道三個根找出來就對了。儒的根是《弟子規》,道的根是《感應篇》,佛的根是《十善業》。都是很小的東西,你們都沒瞧得起它,你們在學校誰拿這個東西去做博士論文的?可是這個東西它是有生命的,活的;你搞的四書五經、十三經那個東西,就像花瓶裡的花,很好看,死的,它沒有生命,幾天它就枯了。
ではトインビーの話は間違いなのでしょうか?彼らは発言できません。私は、「あなた方はトインビーの話をどう解読するのかを理解しなければなりません。彼の話は間違っていません」と言いました。ちょうど植物を植えるのと同じように、果樹を植えるなら根がなければなりません。今日では儒教と言うと、決まって頭に浮かぶのは四書五経・十三経で、仏教と言うと『華厳経』・『法華経』・『般若経』を思い浮かべるでしょう。これらを毎日研究し、毎日講じていても、何の役にも立ちません。トインビーの話は間違いではありません。なぜ間違いではないのでしょう?儒教・仏教・道教には三つの根があります。あなた方が今日見ているのは枝葉や花や果実です。それらはどこから来るのでしょう?根から生えて来るものです。ですから儒教・仏教・道教の根を探し出せば良いのです。儒教の根は『弟子規』、道教の根は『太上感応篇』、仏教の根は『十善業道経』です。すべて小さなもので、あなた方はそれを重視していません。あなた方の学校では、これで博士論文を書く人がいるでしょうか?しかしこれには命があります。活きています。あなた方が研究している四書五経、十三経といったものは、花瓶の花のようなものです。とても綺麗ですが、死んでいます。それには命がありません。数日で枯れてしまいます。
【司会者】:沒根。
根っ子がない。
【浄空法師】:他才恍然大悟。所以我說如果能把儒釋道這三個小東西的根普及到全世界,天下就太平了。至於往上提升的,開花結果的,那是少數人,那就是一流的大師級,是他們的事情。
彼らはそれで忽然と悟りました。ですから私は、「もし儒教・仏教・道教の三つを全世界に普及させることができれば、天下は太平になる」と言いました。向上すれば、花が咲き、実を結びます。それは少数の人であり、それこそが一流の大家クラスです。また彼ら自身の事です。
【司会者】:四書五經是那些人去學。
四書五経はその人たちが学ぶのですね。
【浄空法師】:對,不錯,那是他們的事情,那是他們大聖大賢的事情。但是最得受用的,那就是根,根是一般平民得受用。
そうです。その通りです。それは彼ら自身の事です。それは彼ら大聖賢の事です。しかし最も役に立つものは根であり、根は一般庶民の役に立ちます。
【司会者】:就是領導二十一世紀世界的是中國文化。
つまり二十一世紀の世界を教え導くのは中国文化であると。
【浄空法師】:沒錯。
その通りです。
【司会者】:這個文化。
この文化。
【浄空法師】:文化三個根。
文化の三つの根です。
【司会者】:就是《弟子規》、《十善業道》、《太上感應篇》。
つまり、『弟子規』、『十善業道経』、『太上感応篇』ですね。
【浄空法師】:只要這三樣,天下太平,你問題就解決了。
この三つがあれば天下太平です。あなたの問題は解決します。
【司会者】:您老這麼多年一直在推行這種教育。
老法師は長年に渡ってこのような教育を推進されています。
【浄空法師】:我沒有推行,我都天天在講。
私は推進していません。私は毎日講じているだけです。
【司会者】:您老一直在推廣,在勸大家要照這麼做。
老法師はずっと推進されています。皆にそれに照らして行うように勧めています。
【浄空法師】:勸大家。
皆に勧めています。
【司会者】:這個翻譯出來就是說,在推廣救世界的一種方法。
これが翻訳されることは、世界を救う一つの方法を推進することになります。
>>>我々の子孫は如何にして心の拠り所を得るのか09/10につづく・・・。
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【まず自分自身を調和させること】
【浄空法師】:對,不錯。這是我們走進聯合國才有這麼一個機緣,這是偶然的一個機會。我移民到澳洲,九一一事件之後,昆士蘭大學的校長派兩個教授到山上去找我,我住在山上,告訴我,說他們學校有個和平學院。我聽了很新鮮,因為大學裡頭從來沒有聽說過有個和平學院。我說和平學院學些什麼東西?就是化解衝突,促進社會安定、世界和平,就這麼一個主題。這倒挺重要,在現在這個時代。所以他們就希望,他說九一一事件之後,他們遇到困難了,因為過去他們對於尋求化解衝突、促進安定和平,都是用西方的方法,鎮壓、報復,現在看鎮壓、報復產生不了效果,搞成了一個恐怖戰爭。我說這是對的。他說現在我們想回過頭來,用真正和平的方法來解決。
そうです。その通りです。これは国連に出席してようやく得ることができた機縁です。これは偶然できた機会です。私はオーストラリアに移民しました。9.11事件の後、クィーンズランド大学の学長が、二人の教授を山上の私のところに派遣しました。私は山の上に住んでいました。彼らは、彼らの学校には和平学院があると言いました。私はそれを聞いてとても新鮮でした。大学の中に和平学院があるなど、それまで聞いたこともありませんでした。私は、「和平学院では何を学んでいるのですか?」と聞きました。すると、正に衝突を解消し、社会の安定を促進して、世界を平和にすることをテーマとしていました。これはこの時代にとって、とても重要なことです。彼らが言うには、9.11事件の後、彼らは困難に直面しました。それまで彼らは衝突を解消し、平和と安全を促進するのに、すべて西洋の方法を使っていました。鎮圧、報復です。今見てみれば、鎮圧と報復は役に立たず、テロ戦争を引き起こしています。私はその通りだと言いました。彼らは、「今こそ目を覚まして、本当に平和的な方法で解決したい」と言いました。
他們知道我過去在新加坡團結九個宗教,做出一點成績來,希望我對他們能夠有一點貢獻,所以邀請我到學校給和平學院的教授舉行座談會,我就答應了。答應之後就聽他們的報告,才知道全世界有八個大學有和平學院,不多。在八個大學裡面,昆士蘭還是排在前幾名的,還比較有成就。我就聽他們五十分鐘的報告,最後他們要我提供意見。我聽完之後我就說,你們的理念跟你們所用的方法有問題,有什麼問題?這個事情就像大夫治病一樣,你沒有把病根找到,所以你沒有辦法對症下藥,用的心力是不少,付出是不少,沒有效果,沒有預期的效果。我說衝突的根在哪裡?我給他講,衝突的根在家庭。他們從來沒想到過,他們以為以色列跟巴勒斯坦雙方衝突,他哪裡會想到這個問題?我說衝突的根在家庭。你看在家庭裡面,頭一個,離婚率這麼高,離婚是什麼?夫妻衝突。
彼らは、私が以前シンガポールで九つの宗教を団結させ、少しだけ成果を出したことを知っていました。彼らは私に少し貢献してほしいと願っていました。それで私を学校に招いて、和平学院の教授との座談会を行うことになりました。私は承諾しました。承諾した後で彼らの話を聞くと、全世界には八つの大学に和平学院があることが分かりました。多くはありません。八つの大学のうち、クィーンズランド大学は優れた学校の一つで、いくらか成果を挙げていました。私は彼らの報告を五十分聞いて、最後に彼らは私に意見を求めました。私は聞き終わってから、「あなた方の理念と方法には問題がある」と言いました。どんな問題でしょう?この事は医者が病を治すのと同じです。彼らは病気の根源を見つけていないので、病状に応じて処方することができません。多くの労力を使い、骨を折っても効果がありません。期待した成果が出ません。衝突の根源はどこにあるのでしょうか?私は彼らに、「衝突の根源は家庭にある」と言いました。彼らは考えたこともありませんでした。彼らはイスラエルとパレスチナ双方の衝突を考えても、どうしてこの問題に思い至るでしょうか?私は、衝突の根源は家庭にあると言いました。家庭の中では第一に、離婚率がこれほど高いということです。離婚とは何でしょう?夫婦の衝突です。
【司会者】:夫妻戰爭。
夫婦の戦争。
【浄空法師】:夫妻衝突,造成什麼?父子衝突、兄弟衝突。這樣的人踏進社會,他能不跟別人發生衝突嗎?這他們有點警覺心了。我說還有更深的,還有更深的根。他說更深的根?你自己跟自己衝突。這他就聽不懂了。我們用東方人的話說,你的本性跟習性的衝突,本性是善的,習性不善,善跟不善就發生衝突了。這個翻譯很困難,很難懂,我就比個比喻,利害當前,你是先想到利益自己,還是想到利益別人?那當然利益自己。利益自己不就跟他衝突了嗎?每個人都是利益自己,那這個衝突就發生了。這是更深的根,是你的本身。所以你本身身心不能調和,你怎麼能調停國際上的糾紛?
夫婦の衝突は何をもたらすでしょうか?親子の衝突、兄弟の衝突です。このような人が社会に出れば、人と衝突しないことがあるでしょうか?この話で彼らは気がつきました。私は、「更に深い根がある」と言いました。あなた自身が自分と衝突しているということです。彼らはこの話を理解できません。東洋人の言葉で言えば、あなたの本性が習性と衝突しているのです。本性は善であり、習性は不善です。善と不善が衝突しています。この話は翻訳するのが困難で、理解し難いものです。そこで私は比喩を用いました。利害を目の前にして、あなたは先に自分の利益を考えるでしょうか、それとも他人の利益を考えるでしょうか?当然自分の利益です。自分の利益であれば、人と衝突するのではありませんか?誰もが自分の利益を考えれば、衝突は発生します。これが更に深い根源であり、あなた自身の事です。あなた自身が身心を調和できずに、どうして国際上の紛糾を調停できるのでしょうか?
【司会者】:這是最講道理的話。
これは最も道理のあるお話です。
【浄空法師】:我講了這個之後,他們慢慢體會到了,也覺得我講得有道理,第二個星期又找我。
私がこの話をすると、彼らは少しずつ理解しました。私の話に道理があると思い、翌週も私を訪ねて来ました。
【司会者】:您就是說,你是個有問題的人,然後你來解決問題。
要するに、あなた自身に問題があり、あなたが問題を解決するのだと。
【国連平和会議への出席と社会実験の経緯】
【浄空法師】:對,不錯。他又來找我,找我學校就有準備了,準備一份聘書聘我做教授。所以第二次開會的時候,校長就把這個聘書拿出來。拿出來,我沒接受,我不想接受。還有一個格里菲斯大學,那個校長也跟我非常要好。所以兩個校長來勸我,一定要接受。我說沒有這個必要,我出家人搞這個幹什麼!我說我很樂意跟你們教授交流交流。但是他說,想想,我的這些理念很有啟發的意識,希望我能夠代表學校、代表澳洲參加聯合國的國際和平會議,他說聯合國邀請的都是專家學者,都是有博士學位的大學教授,所以你一定要,不但要,還要給博士學位給我,是這麼一個原因,他說你一定要。
そうです。その通りです。彼らはまた訪ねて来ました。学校は準備ができていて、私を教授として招こうと招聘状を用意して来ました。二回目の会議の時、校長は招聘状を出しました。私は引き受けませんでした。引き受けたくありませんでした。もう一つグリフィス大学があり、そこの校長も私と仲が良かったのです。ですから二校の校長が私に勧めるので、引き受けざるを得ませんでした。私は、「その必要ありません。私のような出家僧がこのような事をしてどうするのでしょうか!私は喜んで教授の方々と交流します」と言いました。しかし彼らは考えて、私の理念にはとても啓発されるので、私に学校の代表として、オーストラリアの代表として、国連の平和会議に参加して欲しいと言いました。彼らは、国連が招待するのは皆専門家で、皆博士の学位を持つ大学教授ばかりなので、あなたも必ず必要だと言いました。そればかりか博士の学位をくれると言うのです。このような原因です。彼らは必ず必要だと言うのです。
【司会者】:這個身分是方便。
その身分は方便ですね。
【浄空法師】:方便。所以這樣子我才接受。接受以後,第一次會議是二00三年在泰國。所以這樣,就這麼一個緣分跟這些參與聯合國的專家學者們就接觸了,了解他們的觀念確實是有問題。可是我們把中國東西介紹過去,這是他們聞所未聞,我們也講得很仔細,他們聽了之後很歡喜,也都鼓掌,可是下來之後,我們聊天吃飯,他問我,說法師,你講的東西很好,做不到。這是一個很嚴重的危機,信心危機。
方便です。そのようにして私はようやく引き受けました。引き受けた後、初めての会議は二〇〇三年にタイで開かれました。このようなご縁で国連の専門家たちと接触するようになり、彼らの観念に問題がある事を理解しました。しかし中国のものを紹介すると、彼らは初めて聞くようなので、私たちも詳細に話をしました。彼らは聞いて喜びました。拍手もしました。しかし演壇を降りた後、会食していると、彼らは質問しました。「法師、あなたのお話は素晴らしかった。しかし実現できません」と言いました。これは一つの重大な危機です。信心(信念、自信)の危機です。
【司会者】:他不相信您講的話。
その人は老法師のお話を信じなかった。
【浄空法師】:他不相信,那怎麼辦?這就非得做試驗,你不做試驗,他不會相信。所以我們就在想,想在新加坡找地方,在馬來西亞、印尼、澳洲,都找不到適當地方,沒有這些條件,所以我也很難過。二00五年回到老家,七十年沒有回去了,回到老家看看家鄉父老、兄弟姊妹、堂兄弟姊妹、族兄弟姊妹,還有不少人,在一塊見面,我就發了這些牢騷,就是在國際上遇到這些問題,他們沒有信心。家鄉父老聽了說,回來幹,我們在自己家鄉幹。就這麼一鼓作氣,就搞成了,沒想到就搞成了,就是湯池文化中心。
その人は信じません。それではどうするか?これは実験をしない訳には行きません。実験しなければ、彼らは信じません。私たちはシンガポール、マレーシア、インドネシア、オーストラリアで場所を探しましたが、どこにも適当な場所が見つかりません。相応しい条件がありません。私も難儀しました。二〇〇五年に故郷に帰りました。七十年戻りませんでした。故郷に帰り郷里のお年寄りや、兄弟姉妹たち、そして多くの人と一緒に会いました。私はそれらの国際的な諸問題や、彼らに自信がないことについて不平を言いました。故郷のお年寄りはそれを聞くと、戻ってきてやりなさい、自分の故郷でやりなさいと言いました。このように一気に事が成りました。思いがけず成し遂げられました。これが湯池文化センターです。
【司会者】:這是它的來歷。
これがその経緯ですね。
【浄空法師】:也沒有想到,不到半年,效果卓著,這讓我們生起很大的信心,因為我們自己也懷疑,也不曉得能不能落實。這一落實之後,我們的心堅定了,證明兩樁事情,第一個證明,人性本善,「人之初,性本善」,這個話一點都不錯,第二個證明,人是教得好的。你看《弟子規》一教,我們教的時候,我想得比較周到,如果叫年輕人學,老人不學,沒效果;在學校叫學生學,老師不學,也收不到效果。所以我們用這個小鎮做實驗,小鎮十二個村莊,居民四萬八千人,我那時候想法就是全民教育,男女老少、各行各業一起學,效果出來了。這麼短的時間,真的影響到全世界。所以現在大家對這個很有興趣。
また思いがけず、半年もせずに効果が顕著に現れました。これは私たちに大きな自信を持たせました。なぜなら私たち自身も疑っていました。できるかどうか分かりませんでした。これができてみると、私たちの心が定まりました。二つの事が証明されたのです。一つ目の証明は、人の本性は本来善だということです。「人之初,性本善」(人は生まれたばかりの頃、その本性もともと善である)、この言葉は少しも間違っていません。二つ目の証明は、人は教えることができるということです。『弟子規』を教える時、私は周到に考えました。もし若者に学ばせて、年寄りが学ばなければ、効果がありません。学校で、学生に学ばせて教師が学ばなければ、やはり効果がありません。ですからこの湯池鎮で実験する際に、湯池鎮の十二の村落には四万八千人の住民がいるのですが、私の当時の考えで全住民を教育しました。老若男女、様々な業種の人々が一緒に学ぶことで効果が現れました。これほど短時間に、本当に全世界に影響をもたらしました。ですから今人々はこの事に関心を持っています。
【司会者】:我們聽說很多聯合國的官員他們要聯合起來,這些專家學者,去參觀訪問。
聞いた話では、多くの国連の職員たちが集まり、専門家や学者が訪問したそうですね。
【浄空法師】:對,是駐聯合國的大使,一百九十二個國家,聯名要求到湯池參觀。
そうです。百九十二か国の駐国連大使が、連名で湯池の見学を要求しました。
【司会者】:都要去。
全員行こうとしたのですね。
【浄空法師】:都要去。
全員です。
【司会者】:剛才我們談到二十一世紀是中國人的世紀,您老給了這樣一個解答。能不能這樣說,拯救整個世界的劫難,《弟子規》最最基礎。
先ほど二十一世紀は中国人の世紀だという話をして、老法師は一つの解答をされました。このように言えるでしょうか。全世界の災難を救うには、『弟子規』が基礎中の基礎であると。
【浄空法師】:不,《弟子規》、《感應篇》、《十善業》,要三個。
いいえ。『弟子規』、『太上感応篇』、『十善業道経』、三つが必要です。
【司会者】:三個都需要。
三つすべて必要なのですね。
【浄空法師】:要三個,確實能救世界,毫無疑問的。我們在試驗才試驗一個,你說再加上兩個,那個力量多大!
三つ必要です。間違いなく世界を救うことができます。何の疑いもありません。私たちは実験で一つ(弟子規)だけ試しました。どうでしょう、更に二つを加えれば、その力はどれほど大きいことでしょうか!
【司会者】:他如果是其他的民族、其他的國家,他怎麼來推行《弟子規》?
もし他の民族、他の国であれば、どのように『弟子規』を推進するのでしょうか?
【浄空法師】:能接受,你看看我們在馬來西亞,現在這一次,這個月底,他們華校有三千多個老師跟校長來學習《弟子規》,要讓我們的蔡老師去講。我還讓胡小林去講,胡小林把《弟子規》落實在企業,做得很成功,讓他去做報告。馬來西亞是回教國家,而且是以回教為國教,他們的教育部長肯定《弟子規》能幫助他們安定社會。
受け入れられます。私たちはマレーシアで、今回は今月末に、華僑学校の三千人余りの教師と校長が『弟子規』を学ぶことになっています。蔡老師に講演してもらいます。私はまた胡小林にも講演してもらいます。胡小林は『弟子規』を企業で実践して成功しているので、彼に報告してもらいます。マレーシアはイスラム国家です。しかもイスラム教を国教としています。彼らの教育部長は、『弟子規』は社会の安定の助けになると肯定しています。
【司会者】:就是別的國家、別的民族、別的信仰都能接受這個。
つまり他の国、他の民族、他の信仰でもこれは受け入れられると。
【浄空法師】:不錯,都能接受。我跟回教的關係也特別好。
その通りです。受け入れられます。私はイスラム教との関係はとても良いです。
>>>我々の子孫は如何にして心の拠り所を得るのか10/10につづく・・・。
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/68379abbdbbb1f0be9ca6276ff9be7d3
【各宗教の根本は一つの神である】
【司会者】:您過去曾經講過,把這些公益紀錄片最好能翻譯成聯合國所推行的六種外文在世界流通。現在可能緣分還沒有到,條件還沒有成熟,現在可能還沒有能做成這個,但是將來這些節目一定會很多的外國人都能看得到。在我們這個系列節目要結束的時候,您老能不能對世界各地的這些觀眾們講幾句話?
老法師はかつて、このような公益ドキュメンタリーは国連の推奨する六か国語に翻訳して、世界に流通させるべきだと仰いました。今はまだご縁が訪れておらず、条件が整っていないのでしょう。今はまだそれができていません。しかし将来これらの番組は、必ず多くの外国人に見られることでしょう。このシリーズ番組も終わりの時を迎えています。老法師におかれましては、世界各地の視聴者に少しお話し頂けないでしょうか?
【浄空法師】:好。
分かりました。
【司会者】:大家都很關心怎麼能夠化解劫難。
人々はどうすれば災難を解消できるのかに関心を持っています。
【浄空法師】:確實,我們現在因為要把文化普及到全世界,所以我們不能夠單獨提中國,我們在國際上講的時候,是全世界每個國家族群它古老的東西、古老的傳統,我們都應該要互相的來學習;在宗教也是如此。所以我自己本身的態度,這是許多國家宗教的領導人,甚至於政治領導人,對我都了解,我永遠是一個學生的態度。你問到,不會做學生嗎?我會做學生,學生是什麼?尊師重道,就是好學生。我說我是釋迦牟尼佛的好學生,釋迦牟尼佛是我的老師,我跟他學;耶穌也是我的好老師,我學《新舊約》;《古蘭經》我也學,所以穆罕默也是我的好老師,我是他們最好的學生,所以他們這些典籍我能夠領受得到。如果我要有了障礙,我是佛教,那是別的教,那是基督教、天主教,那是回教,要有這個界限,他們的東西我就全不懂,你自己有障礙了。所以我沒有障礙,我一視同仁,我沒有一樣不尊重。
確かに、私たちは今、文化を全世界に普及させていますので、単独で中国だけという訳にはいきません。国際的な話をしますと、全世界のどの国家民族にもある古い伝統を、私たちは相互に学び合うべきです。宗教もまた同じです。ですから私自身の態度は、多くの国の宗教指導者、また政治指導者までもが理解して下さいます。私は永遠に学生の態度です。人は、学生になれるのかと聞くでしょう?私は学生になれます。学生とは何でしょう?師を尊び、道を重んじること。これが良い学生です。私は、自分は釈迦牟尼仏の良い学生だと言っています。釈迦牟尼仏は私の先生です。私は彼に学びます。イエスも私の良い先生です。私は『旧約聖書』、『新約聖書』を学びます。『コーラン』も学びます。ですからムハンマドも私の良い先生です。私は彼らの最も良い学生です。ですから彼らの典籍を受け入れることができます。もし私に障碍があれば、自分は仏教、それは別の教え、それはキリスト教、カトリック教、それはイスラム教、そのような境界線があるなら、彼らのものは何も理解できません。あなた自身に障碍があるのです。私には障碍はありません。私はすべてを平等に見ます。尊重しないものは一つとしてありません。
我見到釋迦牟尼佛禮拜,我見到耶穌也禮拜。我對佛教經典很尊重,我對《古蘭經》跟佛教經典一樣敬重,所以我懂得它的意思,我能講《古蘭經》,我能講《新舊約》。你看我講的《玫瑰經》,天主教的早晚課,在天主教流通,傅鐵山聽過,很歡喜,絕不亞於神父。我講的《古蘭經》也不亞於阿訇。為什麼?真幹。要以這樣態度的時候,宗教就變成一家人。所以我在國際上講,我說宗教確實,一個神,一個真神,所有不同宗教是這個真神的化身。因為那時候交通不方便、文化不同,他分身在各個族群裡面,用種種方法來教化那個族群,他的目的、方向、原理原則決定相同,不同的是他們的生活習慣。
私は釈迦牟尼仏を見れば礼拝します。私はイエスを見ればやはり礼拝します。私は仏教の経典を尊重します。私は『コーラン』も仏教の経典と同じように尊重します。ですから私はその意味を理解することができます。私は『コーラン』や『旧約聖書』、『新約聖書』の講義をすることができます。私が講義した『ロザリオの祈り』は、カトリック教の朝晩の祈祷文ですが、カトリック教で流通しています。傅鉄山(1931-2007、中国カトリック教愛国会北京教区司教)はそれを聞いて喜んでいました。絶対に神父に劣りません。私が講義する『コーラン』はアホン(イスラム教の布教師)にも劣りません。なぜでしょう?本当に実行するからです。もしこのような態度であれば、宗教は一つの家族に変わります。ですから国際的な話をしますと、宗教は間違いなく一つの神です。一つの真(まこと)の神であり、すべての異なる宗教はその真の神の化身です。なぜなら当時は交通が不便で、文化も異なるので、神は各民族の中に分身して、様々な方法を用いてその民族を教化したのです。神の目的、方向、原理原則は間違いなく同じであり、異なるのは彼らの生活習慣です。
【司会者】:所以看上去就不一樣,儀軌就不一樣,內容、主旨、精神都是一樣。
ですから見たところ儀軌(ぎき=規則)は異なりますが、内容・主旨・精神はすべて同じなのですね。
【浄空法師】:完全相同。
完全に同じです。
【司会者】:您做出來這麼一個示範,世界各國的觀眾都應該有所領會。
老法師は一つの模範を示されました。世界各国の視聴者は納得する所があるはずです。
【浄空法師】:歡喜,非常歡喜。
喜んでいます。非常に喜んでいます。
【司会者】:他們會學習到一種什麼精神?就是說要尊師重道。
彼らはどのような精神を学んだでしょう?それは師を尊び、道を重んじるということです。
【浄空法師】:不錯,尊師重道。
その通りです。師を尊び、道を重んじること。
【司会者】:世界各國的人都要尊師重道。
世界各国のすべての人が、師を尊び、道を重んじるべきです。
【浄空法師】:要尊師重道,要孝順父母,要尊師重道。
師を尊び、道を重んじて、親孝行することです。
【司会者】:那結果就一定是和諧世界。
その結果は間違いなく調和の世界です。
【浄空法師】:一定和諧,宇宙是和諧的,心性是和諧的。譬如說你一個人身,你眼睛跟鼻子是不是和諧的?它兩個要衝突了還得了!
必ず調和します。宇宙は調和しています。心性は調和しています。例えばあなたの身体です。あなたの目と鼻は調和しているでしょうか?その二つが衝突したら大変です!
【司会者】:都守本分。
どちらも本分を守ること。
【浄空法師】:是!五臟六腑各守各的本位,跟其他的不同器官全部和諧。所以講,我們的身體是和諧的,宇宙是和諧的,國家是和諧的,社會是和諧的。和諧是正常,不和是反常,反常就有罪受了。我們人身體反常不就生病了嗎?嚴重不就死亡了嗎?
そうです!五臓六腑はそれぞれの本分を守っています。他の異なる器官とすべて調和しています。ですから私たちの身体は調和しています。宇宙は調和しています。国家は調和しています。社会は調和しています。調和は正常なことであり、不調和は異常なことです。異常であれば罪を受けます。私たちの身体が異常であれば病気になるでしょう?重ければ死んでしまうでしょう?
【司会者】:咱們拿人的臉來做個比方,就像世界一樣,眼睛是一個國家,鼻子是一個國家,耳朵是一個國家,就是大家各安守本位。
人の顔に例えてみるなら、ちょうど世界と同じように、目は一つの国であり、鼻は一つの国であり、耳は一つの国であり、それぞれが自分の分に安んじています。
【浄空法師】:不錯,要互助合作。
その通りです。相互に協力しなければなりません。
【司会者】:對,你有你的民族傳統,你生活你的,你有你的價值觀。現在他們是互相打架。
そうです。人それぞれの民族の伝統があり、人それぞれの生活をして、人それぞれの価値観があります。今人々はお互いに喧嘩しています。
【浄空法師】:不錯,是!互相打架,最後就是死亡,就毀滅了。
その通りです。そうです!お互いに喧嘩していれば、最後には死んでしまいます。破滅します。
【司会者】:就是人的器官在那兒打架,人就會死。
つまり人の器官がそこで喧嘩すれば、人は死んでしまいます。
【浄空法師】:對,人就沒有了。你懂這個道理的時候,這個世界要是每個族群、每個宗教、每個國家也是互相這樣子鬥爭的話,世界就沒有了,接著世界就會歸到末日了。
そうです。人はいなくなります。あなたはこの道理を理解した時、この世界がもしも各民族、各宗教、各国もお互いに争っていれば、世界はなくなってしまいます。世界は終末を迎えるでしょう。
【自性から流露した倫理道徳の智慧】
【司会者】:我們這次對老教授您的專訪馬上就要結束了,這次時間也是很長,我們現在有最後的一個提問,就是在「和諧拯救危機」那個節目的最後,您講過一段意味深長的話,您說如果中國人對自己五千年傳統倫理道的教誨如果有信心,中國一定是領導世界的,如果沒有信心,那還要受一段罪,還有一段苦難,這兩種結果完全是自己來決定的。
今回の老法師の独占インタビューは間もなく終わりになります。今回は時間も長くなりましたので、今最後の質問をさせていただきます。それは「調和が危機を救う」の前回の番組(第一シリーズ)の最後に、老法師は意味深長なお話をされました。老法師は、「もし中国人が五千年の伝統である倫理道徳の教えに自信を持つなら、中国は必ず世界を教え導くでしょう。もし自信がないなら、更に罪を受け、更に苦難があり、この二つの結果は完全に自分で決めるものだ」と仰いました。
【浄空法師】:對。
そうです。
【司会者】:我們發現您最後的這段提示,最後的這段提醒,有一個核心的詞,就是對老祖宗要有信心。
私たちは最後のこの示唆、最後のこの注意喚起は、一つの核心的な言葉であると気づかされます。つまり、ご先祖様に対する自信です。
【浄空法師】:沒錯。
その通りです。
【司会者】:現在就請教您老,這個信心從什麼地方建立起?
今老法師にお尋ねします。この自信はどこから築けば良いのでしょうか?
【浄空法師】:這個信心就是你一定要認識老祖宗的東西不是他的創造,不是他的發明,是從自性裡頭流出來的,自性才是真正圓滿的。創造發明就是剛才講的,是從知識裡頭的,知識裡頭靠不住。它是從智慧。
この自信を築くためには、ご先祖様のものは、彼らが創造したものではなく、彼らが発明したものでもなく、自性の中から流露したものだということを、必ず認識しなければなりません。自性こそが本当に円満なのです。創造や発明というのは先ほどお話しましたように、知識の中のものです。知識は頼りになりません。それらは智慧から生じたものです。
【司会者】:是從妄想分別裡出來的東西。
(知識は)妄想・分別の中から出たものなのですね。
【浄空法師】:那出來的東西不行。
そこから出たものは駄目です。
【司会者】:它不是自性裡出來的。
それは自性の中から出たのではない。
【浄空法師】:不是自性。離妄想分別執著是自性,自性是真實智慧,那個管用。
自性ではありません。妄想・分別・執着を離れれば自性です。自性は真実の智慧であり、それが役に立つのです。
【司会者】:從妄想分別執著裡生出來的東西是不是靠不住?
妄想・分別・執着の中から生じるものは頼りにならないのですね?
【浄空法師】:靠不住,它雖然解決一部分,它後遺症很多。智慧沒有後遺症。
頼りになりません。一部分は解決しても、それは多くの後遺症があります。智慧に後遺症はありません。
【司会者】:從自性裡流露出來的這些智慧,都在我們老祖宗的經典裡。
自性から流露するそのような智慧は、すべてご先祖様の経典の中にあるのですね。
【浄空法師】:沒錯。
その通りです。
【司会者】:儒釋道三家。
儒教・仏教・道教の三つ。
【浄空法師】:是!所以說,老祖宗他們都是明心見性的,他要不明心見性,那個東西怎麼會從自性流出來!
そうです!ご先祖様は皆、明心見性【注】していました。もし明心見性していないなら、それらが自性から流露することがあるでしょうか!
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【注】 明心見性(みょうしんけんしょう)・・・・自己に本来備わっている本性を透徹して見極めること。
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【司会者】:用了五千年都沒有任何災難。
五千年使っていれば如何なる災難もなかった。
【浄空法師】:對,沒災難。所以老祖宗教我們,我們如果能把妄想分別執著放下,自性就現前了,就跟他一樣。
そうです。災難はありません。ですからご先祖様は教えています。もし妄想・分別・執着を放下すれば、自性は目の前に現れ、ご先祖様と同じになります。
【司会者】:我們這次的專訪十多個小時,讓您老非常的辛苦。
今回の独占インタビューは十数時間に及びました。老法師におかれましては、大変お疲れ様でございます。
【浄空法師】:哪裡!不會。
どういたしまして!
【災難を回避するために】
【司会者】:您老人家已經八十二歲高齡。我們這次也是跨越很長的時間,上下五千年,縱五大洲,您非常的辛苦。節目的最後,我們想請教您,就是今後這些天災人禍,今後這些避免災難的問題,能不能再為天下大眾做個提示,因為這是大眾最關心的問題。
老法師はすでに八十二歳のご高齢であられます。今回も長い時間、過去現在五千年、縦横五大陸に渡り、大変お疲れ様でございました。番組の最後に、老法師にお教え頂きたいのですが、今後それらの天災と人災を回避する問題について、天下の大衆にもう一度ご教示頂けないでしょうか。なぜならこれは大衆が最も関心を持っている問題だからです。
【浄空法師】:斷惡修善、積功累,就能化解。不能夠化解眾生的共業,至少自己不受這個災難,這可以肯定的。
悪を断って善を修め、功徳を積めば、解消することができます。衆生の共業を解消することができなくても、少なくとも自分は災難を受けません。これは間違いありません。
【司会者】:節目就要結束了,在這裡我們祝願天下更多的人能夠看到這個節目,我們也祝願國泰民安,風調雨順。我們真誠的祝願老教授永遠在世間。節目的最後,我們做為記者,我們做為採訪人,節目的最後,我們用中國傳統的古禮給老教授頂禮。
番組はこれで終了致します。私たちはここで、天下のより多くの方々がこの番組をご覧になること、更には国の平和と人々の平安、気候が順調でありますように、心よりお祈り致します。老法師が永遠にこの世界に居られますように、真心をこめてお祈り致します。番組の最後に、中国伝統の古礼で老法師に頂礼(ちょうらい)いたします。
【浄空法師】:問訊就好。
挨拶で良いですよ。
【司会者】:謝謝您老的教誨。
老法師の教誨に感謝致します。(陳大恵氏、跪いて老法師に頂礼する)
―――我々の子孫は如何にして心の拠り所を得るのか(完)―――
(注)小見出しは内容を把握しやすくする為に、筆者が加筆したものです。
訳者追記:
1.原稿は一部省略・編集されていますが、編集者の考慮を尊重してそのまま掲載しています。動画ではすべて閲覧できます。
2.この八回シリーズの対談は2008年に香港で行われ、中国国内に向けてテレビ放映されたものです。
これを日本人としてどう受け取るかは、各人のセンスに委ねられます。
人類所不知道的宇宙人生真相 / 人類の知らない宇宙・人生の真相
《和諧拯救危機》系列二 第五集/『調和は危機を救う』第二シリーズ 第五集
【原文】 http://ft.hwadzan.com/dv.php?sn=21-490-0005&lang=zh_TW
答記者問(第五集) 2008/11/1 香港理工大學 檔名:21-490-0005
*この原稿は一部省略・編集されています。
【異次元空間の衆生】
【司会者】:尊敬的老教授,我們再一次感謝您接受我們的專訪。在《法苑珠林》這部佛經會集本當中,在佛經上確實講過這樣的話,就是月亮上確實有月天子、有天人,但是航天員真的也看不到,這是為什麼?
尊敬する老教授。私たちの独占インタビューに応じて頂き、改めて感謝申し上げます。『法苑珠林』という仏典の収集本には、このようなお話があります。それは月には本当に月の天子、天人がいるというものです。しかし宇宙飛行士は実際には見えませんでした。これは何故なのでしょうか?
【浄空法師】:這是不同維次空間,如果有能力把空間維次突破就看到了。在理論上講,這科學家承認的,空間維次是無量、沒有限量的。科學真正實際上證實到的,這是從前黃念祖老居士告訴我的,科學家肯定至少有十一種不同維次空間,但是不知道用什麼方法去突破。如果突破了,實際上我們的眼看東西,像光波現在知道波長,長波、短波,我們只能在一定限度波動看到,比這波度長的我們看不到,比這波度短的也看不到。我們用儀器看到我們看不到的X光、紫外線,我們看不到的,我們用儀器幫助我們能夠看到。如果所有光波都能看到,這個世界就不一樣了。
これは異次元空間です。もし空間の次元を突破する能力があれば、見ることができます。理論上では科学者は承認しています。空間の次元は無量であり、際限がありません。科学が実際に実証しているのは、これは以前黄念祖老居士【注】が私に教えてくれたことですが、科学者は少なくとも十一種類の異次元空間がある事を肯定しています。しかしどのような方法で(次元を)突破するのかは分かりません。実際に私たちの目で見えるものは、光波のようなものです。波長には長波と短波があることが知られています。私たちは一定限度の波動が見えるだけで、その波長より長いものは見えませんし、その波長よりも短いものも見えません。私たちは計測機器を使えば、目に見えないX線、紫外線を見ることができます。計測機器の助けを借りれば見ることができます。もしすべての光波を見ることができれば、この世界は同じではなくなります。
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【注】 黄念祖居士(1912-1992)・・・・本籍は湖北省江陵。無線通信技術を専攻し、大学卒業後はラジオ局に勤めた。解放後は北洋大学、天津大学、北京郵電学院にて教授を歴任。若い頃から仏法を学び、経典研究に専念し、叔父にあたる梅光羲について仏法を学び、虚雲和尚に帰依して禅を学んだ。また諾那活仏の弟子である王家斉、及び貢噶上師より密教のニンマ派(紅教)・カルギュパ派(白教)を学んだ。夏蓮居に師事して浄宗発揚の必要性を学んだ。(百度百科より抜粋して翻訳)
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【司会者】:月球也就不一樣了?
月も同じではなくなりますか?
【浄空法師】:不一樣了。不要說月球,我們這個地球上人鬼雜居,這也是空間維次不同,同在一個地方人跟鬼在一起。
同じではありません。月のことを言うまでもなく、私たちのこの地球上には人と鬼が雑居しています。これも空間次元の違いです。同じ場所に人と鬼が一緒にいます。
我就遇到這些做電影、電視同修們,他們告訴我,在夜晚就是香港拍外景的時候,在郊區拍外景,半夜、深夜了,那時拍完之後,大家也餓了想吃點東西,就看到一個小市集,人很熱鬧,就到那裡面去吃東西,吃得很快樂也付了錢了。到第二天回家去的時候,到第二天早晨拉肚子,吐出來都是亂七八糟的東西,結果大家都一樣的,到底怎麼回事情?再開車到那裡去,昨天去看的,結果看的是墳地,大家才恍然大悟。再看看找的那些錢是紙錢,買東西付錢他要找錢,拿出來一看是紙錢。他們告訴我,真的!我們親眼看見的,絕不是假的,遇到這個事情。這些事情在我們中國筆記小說裡面記載就很多,所以那些東西不一定是神話,可能都是事實,像這些演藝人員他們所遇到的。
映画やテレビの関係者とお会いした際に、彼らは私に言いました。香港の夜景を撮影した時、郊外で夜景を撮影して深夜に撮影が終わり、皆お腹が空いて何か食べたいと思っていると、小さな市場が見えました。とても賑わっているので、そこに行って楽しく食事をして、お金も支払いました。翌日戻ってみると、朝下痢をして、吐き出したものは訳の分からない物ばかりでした。皆同じでした。いったいどういうことでしょう?昨日行った所にもう一度車で行ってみると、そこで見たのは墓地でした。皆はようやく忽然と悟りました。よく見るとお金は紙銭でした。買い物をするのにお金を出そうとすると、取り出したのは紙銭でした。彼らが話してくれました。本当です!自分の目で見たのですから、絶対に嘘ではありません。このような事に遭遇したのです。このような事は中国の小説にたくさん記載されています。ですからそれらは神話とは限りません。おそらくすべて事実でしょう。ちょうどその芸能人たちが遭遇したように。
【司会者】:為什麼有的人看得到,有的人看不到?
なぜある人には見えて、ある人には見えないのでしょうか?
【浄空法師】:緣分不一樣。
縁が異なるからです。
【司会者】:緣分不一樣?
縁が異なる?
【浄空法師】:不一樣。
同じではありません。
【司会者】:就是那些人正好跟他們有這個緣分?
つまりそれらの人は正に彼らと縁があるのですね?
【浄空法師】:不錯。看到也未必是好事,不看到也未必是壞事,凡所有相皆是虛妄,你總記住這個原則。這些不同空間維次從哪裡來的?現在科學家找不到,佛法知道。
その通りです。見えても良い事とは限りませんし、見えなくても悪い事とは限りません。「凡所有相皆是虚妄」(凡そ相有る所、皆是虚妄なり)【注】。あなたは常にこの原則を覚えておくべきです。これらの異なる空間の次元はどこから来るのでしょうか?現在の科学者には見つかりませんが、仏法は知っています。
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【注】 「凡所有相皆是虚妄」(凡そ相有る所、皆是虚妄なり)・・・・およそ姿・形あるものは、すべて虚妄である。『金剛経』の一節。
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【司会者】:您剛才所講不同維次空間的眾生,很多人他剛開始接觸,他還不太了解不同維次空間,那用通俗的話來講他怎麼理解?就是跟我們不在一個空間裡面?
老法師が先ほどお話しされた異次元空間の衆生について、多くの人は聞いたばかりで、まだ異次元空間についてあまり理解していません。それは通俗的な言葉で言うなら、どのように理解すれば良いでしょうか?要するに私たちと同じ空間には居ないということでしょうか?
【浄空法師】:對,我們叫三度空間。四度空間、五度空間就不一樣了。
そうです。私たちは三次元と言います。四次元空間、五次元空間であれば違います。
【司会者】:我們這空間是三維的?
私たちの空間は三次元ですね?
【浄空法師】:對,三維的。
そうです。三次元です。
【司会者】:不是四維的。
四次元ではない。
【浄空法師】:對,不錯。那個空間維次不相同,你就沒有辦法見到。
そうです。その通りです。その空間次元が違うので、あなたは見ることができません。
【司会者】:譬如說我們現在確實看不到鬼神,那鬼神看得到我們嗎?
例えば私たちは今確かに鬼神を見ることができません。それでは鬼神は私たちを見ることができるのでしょうか?
【浄空法師】:也看不到我們,他不同維次空間。
やはり見ることはできません。次元が異なるからです。
【司会者】:互不妨礙嗎?
お互いに差し支えないのでしょうか?
【浄空法師】:但是他如果能突破,他就能看到。而且我們跟鬼神空間突破是不難的、是很容易的,心地稍微清淨一點就能突破。所以我們在佛法裡面,把這個事情搞清楚了,空間維次是什麼東西造成的?分別執著造成的。分別無量無邊,執著無量無邊,不同維次空間就無量無邊。怎樣消除它?禪定就消除了。你只要把分別執著放下,空間維次就沒有了,那你什麼都看見了。
しかしその人が突破できれば、見ることができます。しかも私たちが鬼神の空間を突破するのは、難しい事ではありません。とても簡単です。心が少し清浄になれば突破できます。ですから私たちは仏法の中で、この事については明瞭です。空間の次元は何によって造られるのでしょうか?分別・執着が造り出します。分別は無量無辺であり、執着は無量無辺なので、異次元空間は無量無辺なのです。どのように取り除くのでしょうか?禅定で取り除きます。あなたが分別・執着を放下【注】しさえすれば、空間の次元はなくなります。それならあなたは何でも見ることができます。
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【注】 放下(ほうげ)・・・・放棄すること。(執着などを)捨て去ること。手放すこと。
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【司会者】:也就是說,我們的科學家不管飛得多遠?
言い換えるなら、科学者がどれだけ遠くへ飛ばそうと関係ないのですね?
【浄空法師】:對。
そうです。
【司会者】:你到哪個星球上去。
どの星に行こうとも。
【浄空法師】:對,不錯。
そう。その通り。
【司会者】:那個心、自己的這個心。
その心、自分のこの心。
【浄空法師】:對,你還是三維空間的。
そう。あなたはまだ三次元空間です。
【司会者】:還有妄想分別執著,那還是突破不了。
まだ妄想・分別・執着があれば、やはり突破できないのですね。
【浄空法師】:對,你還是三維空間,對,不錯。你說我們發現外太空飛碟飛過來,他們也是在三度空間的。他如果是高維次的空間,他不必用這個交通工具,哪有用這麼笨重的東西。
そうです。あなたはまだ三次元空間です。その通り。宇宙でUFOが飛んで来るのを発見したなら、彼らも三次元空間です。もし高い次元空間なのであれば、そのような交通手段を用いる必要はありません。そのような重たい物を使うことはありません。
【司会者】:佛經上寫月宮裡面真有月天子?
仏典に書かれているように、月の宮殿には本当に月の天子がいるのでしょうか?
【浄空法師】:有。
います。
【司会者】:真有天人?
本当に天人はいるのでしょうか?
【浄空法師】:怎麼會沒有?
どうしていないことがあるでしょうか?
【司会者】:按照佛法的修行,普通人就把這顆妄心讓它平靜下來,就像您老所說讓它清淨一點點,維次空間就可以突破。
仏法の修行に照らして、普通の人が妄心を平静にすれば、老法師の仰るように少し清浄になれば、次元空間は突破できるのですね。
【浄空法師】:對,就可以突破。
そうです。突破できます。
【司会者】:自己親眼可以看得到。
自分の目で見ることができますか。
【浄空法師】:對!就可以看見。我出家的時候,我們有兩個同學,我們三個人是很要好的朋友,同年,三個人同年,命運也幾乎相同,算命的都說我們過不了四十五歲,我們也真相信。四十五歲那一年二月法融走了,五月另外一個明演走了,七月我生病,我就知道時間到了。那個時候我正在講《楞嚴經》,講了三分之一得重感冒,我就曉得。我不找醫生、也不吃藥,因為我相信醫生只能醫病不能醫命。
そうです!見ることができます。私が出家した時、二人の学生がいました。私たち三人は仲の良い友人で、三人は同い年で、運命もほとんど同じでした。算命(易者による占い)によると皆私たちは四十五歳を越えられないと言うので、私たちは本当に信じていました。四十五歳のあの一年には、二月に法融が逝き、五月にはもう一人の明演が逝き、七月に私は病気になりました。私はその時が来たことを知りました。あの時私はちょうど『楞厳経』の講義をしていました。三分の一まで講義するとひどい風邪を引き、私は理解しました。私は医者に頼らず、薬も飲みませんでした。医者は病を治せても、運命は治せないと思ったからです。
【司会者】:不能,改變不了?
治せない。変えられないのですね?
【浄空法師】:命沒有辦法,你壽命到了,醫生沒有用處。
運命はどうにもなりません。寿命が来たのであれば、医者は役に立ちません。
【司会者】:醫生改變不了果報。
医者は果報を変えられないのですね。
【浄空法師】:改變不了。所以我就把門關起來念佛求往生,我念了一個月好了,這一關就突破了。那兩個就走了。這兩個人修行都還不錯,其中五月走的明演法師跟我非常好,抗戰期間我們是同學,先後同學,一個學校那時候不認識,在一個學校班次不同。我出家的時候他跟我出家,我學佛的時候他跟我學佛,所以比親兄弟還好。他看到我在台中學講經,他就很難過,你看看你把舌頭都講焦了,沒有人相信。他就學密,找到屈映光上師跟他學密法,他說密法有神通,他說我要學了現神通,人家不就相信了嗎?比你這個口舌講經要高明。
変えられません。ですから私は戸を閉めて、念仏往生を願いました。ひと月すると良くなりました。この難関を突破したのです。その二人は逝ってしまいました。二人の修行はたいしたものでした。五月に逝った明演法師は私ととても仲が良く、抗日戦争(1937-1945)の期間、私たちは同級生でした。同じ学校にいた時は知りませんでした。学校のクラスが違いました。私が出家した時、彼も私と出家しました。私が仏法を学ぶ時は彼も学びました。ですから実の兄弟より仲が良いのです。彼は私が台中で講経を学んでいるのを見て、残念に思いました。舌が焦げるほど講義をしても、信じる人はいません。そこで彼は密教を学びました。屈映光上師について密教を学びました。彼は密教には神通があると言いました。彼は、私が神通を学べば、人は信じるのではないか、口先で講経するよりも優れていると言いました。
【司会者】:現在很多人也是這樣,還相信神通。
今の多くの人もそうです。やはり神通を信じます。
【浄空法師】:所以他就去學密、學神通。真的要學神通,首先學密宗在三個月就是一百天要磕十萬個大頭,那是很辛苦的。他真的,他這個人做事情學習非常認真,我們跟他相比不如他,他比我們用功。一年,他來告訴我,鬼道這一界他就清清楚楚,他白天也能看見,晚上也能看見。
そこで彼は密教、神通を学びました。本当に神通を学ぶには、まず密宗を学んで三箇月、つまり百日に十万回の礼拝をします。それは大変です。彼は何を学習するにも非常に真面目で、私たちはとても彼には及びません。彼は私たちより努力します。一年すると彼が来て、鬼神の境界が明瞭になったと言いました。彼は昼間でも夜でも見ることができました。
【司会者】:就是平時都能看得到。
つまり普段いつでも見ることができると。
【浄空法師】:對,他都能看見,他這個障礙沒有了。所以我也笑他,我說你說沒有障礙看到了,你看到,我沒有看到,我不相信。你怎麼樣證明讓我也看到?他就沒辦法了。
そうです。彼は見ることができました。彼はこの障碍が無くなりました。ですから私も彼を笑って、「あなたは障碍が無くなって見ることができても、私は見えないから信じません」と言いました。どうやって私に証明して見せるのでしょう?彼はどうしようもありません。
【司会者】:就是!他還是說服不了人。
そうです!彼はやはり人を説得できません。
【浄空法師】:所以我說你那個方法,還不如我這個講經的,你看他四十五歲走的。我那個時候見他學密,學了一、二年之後,他的人變形,人臉上沒有光彩灰突突的,身體浮腫。我就跟李老師說,李老師懂密,他學過禪、學過密,我把這個情形告訴李老師,李老師聽了之後說,各有因緣。
ですから私は、「あなたの方法は、まだ私の講経には及びません」と言いました。彼は四十五歳で逝きました。私はあの時彼が密教を学ぶのを見ていました。学んで一、二年後には、彼は様子が変わってしまい、顔に精彩がなくなり血色も悪く、身体はむくんでいました。私は李老師【注】に話しました。李老師は密宗を理解していました。禅を学び、密を学んでいました。私はこの状況を李老師に話しました。李老師はそれを聞いた後、「人それぞれ因縁がある」と仰いました。
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【注】 李炳南老師(1889-1986)・・・・山東省済南の人。名を艶、字を炳南、号を雪庐という。衍聖公孔奉祀官府の秘書長。最初に唯識を梅光羲に学び、禅宗・浄宗・密宗などを学んだ。後に印光大師に帰依して浄土宗を修めた。その他に中医(漢方医学)にも精通していた。抗日戦争期間は、孔徳成について重慶に行き、太虚大師の布教活動を補佐した。その後住居を台中に定めた。孔奉祀官府に勤めた他、中国医薬学院、中興大学教授を兼任し、余暇は仏法の普及に尽力した。台中にて経典の説法を数十年に渡って行い、“李老師”の名は台湾仏教界で著名であった。台中仏教蓮社、菩提樹雑誌社、慈光図書館、菩提医院、菩提救済院など布教活動を行いつつ慈善機関を設立した。(百度より抜粋して翻訳)
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【司会者】:各有因緣?
人それぞれの因縁?
【浄空法師】:各有因緣。我本來是想找他一起來學經教,各有因緣,你看四十五歲那一關他就沒有通過。但是他說的鬼道情形是真的,我絕不懷疑,因為這個人不妄語。
人それぞれに因縁があります。私はもともと彼と一緒に経教を学ぼうとしたのですが、人それぞれの因縁があり、彼は四十五歳の難関を越えられませんでした。しかし彼の話した鬼道の情況は本当です。私は疑いません。あの人は嘘をつかない人だからです。
【鬼神を敬して之を遠ざく】
【司会者】:我聽完您這番話,好像是在告訴大家,這跟孔老夫子講的很像,就是「敬鬼神而遠之」。
老法師のお話を聞き終わって、まるで皆に話されているかのように感じます。これは孔夫子の説かれた「鬼神を敬して之を遠ざく」によく似ていますね。
【浄空法師】:沒錯,鬼神要尊敬,遠不是遠離,遠是不要聽他的。你聽他的,你不就被鬼騙了嗎?被人騙很苦,被鬼騙一樣很苦!
その通りです。鬼神は尊敬しなければなりません。「遠」は遠ざかることではなく、話を聞かないということです。鬼神の話を聞けば、鬼神に騙されるでしょう?人に騙されるのは苦しいものですが、鬼に騙されても同じように苦しいものです!
【司会者】:好像佛經裡面講,鬼道還比人道要低。
仏教の中では、鬼道は人道より低いと説かれているようです。
【浄空法師】:對,但是鬼有五通。
そうです。しかし鬼は五通があります。
【司会者】:五通,就是五種神通。
五通というのは、要するに五つの神通ですね。
【浄空法師】:對,小神通不大。譬如說他給你預測的,一個月之內的事情往往很準確,要給你講一年以後的事情,有的時候就胡說八道,反正他跟你講你也找不到他。
そうです。小さな神通です。大きくはありません。例えば彼らが予測するのは、一箇月以内の事なら往々にして正確ですが、一年以降の事を話すとなると、時には出鱈目を言います。いずれにせよ彼らがあなたに話しても、あなたは彼らを探せません。
【司会者】:因為他那個心不是菩薩心。
彼らの心は菩薩の心ではないからでしょうか。
【浄空法師】:對,沒錯。
そうです。その通りです。
【司会者】:還是凡夫心。
まだ凡夫の心。
【浄空法師】:所以為什麼那麼多人相信鬼神,就是說他有小通,很近的事情說得很準。我們跟鬼神往來,要記住一個原則,他所提示的僅可以做參考,他所提出的方法,那你要很慎重。往往他提出方法,我們是用佛法來解決,不採取他的方法。
なぜ多くの人が鬼神を信じるのかと言えば、小さな神通があり、近々の事を正確に語るからです。私たちは鬼神と交流する際、一つの原則を覚えておかなければなりません。彼らが提示するものは参考にするだけで、彼らが提示する方法に対しては慎重でなければなりません。往々にして彼らは方法を提示しますが、私たちは仏法を用いて解決します。彼らの方法を採用しません。
>>人類の知らない宇宙・人生の真相02/10につづく・・・。
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/e64ad45ce46ab5095ce87ed4344a3df4
【司会者】:用現在這種科技的方式去探索宇宙、去探索世界,那有一個問題,那個心都是妄想分別執著,那空間維次怎麼突破?
現在このような科学技術の方法を使って宇宙を探索し、世界を探索することは、一つの問題があります。その心はすべて妄想・分別・執着です。それで空間の次元はどうやって突破できるのでしょうか?
【浄空法師】:沒錯,沒辦法突破。
その通りです。突破しようがありません。
【司会者】:一直在三維裡面轉嗎?
ずっと三次元の中を回るのでしょうか?
【浄空法師】:對,道理就在此地。所以科學家永遠比不上有禪定功夫的人。
そうです。道理はここにあります。ですから科学者は永遠に禅定の技量をもった人には及びません。
【司会者】:有禪定功夫的人、學佛的人,他沒有用任何的科技,他就可以看到科學家看不到的真相?
禅定の技量をもった人、仏法を学ぶ人には何の科学技術もありません。彼らは科学者の見ることができない真相を見ることができるのでしょうか?
【浄空法師】:對,沒錯。不但能夠看到,禪定功夫淺深不同,達到一定程度的時候,就是現在所講的特異功能。高級的特異功能,能分身,到哪裡去旅行不需要工具,你說你想到美國去,你這裡一念,美國那個地方你人就在那裡,確實是。為什麼?空間沒有了,空間沒有距離沒有了,時間沒有了,先後沒有了。時間、空間不是真的,這個近代科學家發現了。
そうです。その通りです。見えるだけではありません。禅定の技量は深浅が異なりますが、一定の程度に達した時、それは今言うところの超能力です。高級な超能力は分身できます。どこに行くにも交通手段は必要無くなり、あなたがアメリカに行こうと思えば、その一念でアメリカに行きます。確かにそうです。なぜでしょう?空間がなくなるからです。空間がなければ距離がなくなり、時間がなくなれば前後がなくなります。時間、空間は真実ではありません。これは近代の科学者が発見したことです。
【司会者】:這個人去了美國,他原來這個身體還在嗎?
その人がアメリカに行くなら、その人の身体はまだあるのでしょうか?
【浄空法師】:他還在。他等於是我們講的分身,能夠分無量無邊身。
やはりそこにいます。その人は私たちの言う分身です。無量無辺の分身ができます。
【司会者】:那不是形容佛菩薩嗎?
それは仏菩薩の形容ではないでしょうか?
【浄空法師】:人人都是佛菩薩,你看《華嚴經》不是講「一切眾生本來是佛」。
誰もが皆仏菩薩です。『華厳経』には「一切衆生本来是仏」と説かれています。
【司会者】:在道理上是可以的,但是沒有方法。
道理上はできますが、どうしようもありません。
【浄空法師】:是可以的,對。如果能量可以變成物質,我們身體很容易自在了,我可以把我的身體變成能量,變能量就沒有了,變成光了。光到處都可以達到,到哪個地方我這個光又恢復成物質,又變成人,這是真的,這不是假的。
できます。エネルギーを物質に変えることができれば、私たちの身体は容易に自在になります。自分の身体をエネルギーに変えることができれば、光に変わります。光はどこにでも到達します。どこに行っても自分の光は物質に戻ることができ、また人に変わります。これは本当です。偽りではありません。
【司会者】:能量變成物質,我打個比方,比如說我心裡有這麼一個想法,這是個能量,電視劇《西遊記》我們看過的,孫悟空講變,這一下就變出個東西來,這就是能量變物質。
エネルギーが物質に変わるとは、例えて見ると、自分の心に何らかの考えがある。これがエネルギーです。私たちはテレビドラマの『西遊記』を見たことがあります。孫悟空が「変われ」と言うと、すぐに物が変化します。これがエネルギーが物質に変わるということです。
【浄空法師】:沒錯。
その通りです。
【司会者】:我們在佛經上看到西方極樂世界的眾生,一有心想馬上美食就在眼前,這就是能量變物質。
私たちは仏経に、西方極楽浄土の衆生は、心の中で思えばすぐに美味しい食べ物が目の前に現れるという一節を見ることができます。これがエネルギーが物質に変わるということです。
【浄空法師】:不錯,對,能量變物質。
その通りです。エネルギーは物質に変わります。
【司会者】:然後吃完之後或者不需要這些就又沒了,物質又變能量。
それから食べ終わった後、或いは必要なくなれば、またなくなります。物質がまたエネルギーに変わります。
【浄空法師】:他不需要吃。對,不錯,就沒有了,又恢復成能量。所以能與質可以互相轉變,這個轉變是意念來轉變,不需要用任何儀器。
その人は食べる必要はありません。その通りです。なくなって、またエネルギーに戻ります。ですからエネルギーと物質は相互に変転し合います。この変転は意念によって変転します。どのような計測機器も必要ありません。
【司会者】:什麼樣的人、什麼程度才能夠這麼自在?才能夠達到這種程度?
どのような人、どの程度であればこれほど自在になるのでしょうか?この程度に達するのでしょうか?
【浄空法師】:只要把兩個問題解決了,你分別沒有了,執著沒有了;再說低一點,你還有分別,只要沒有執著,這個事情就辦到了。
ただ二つの問題を解決することです。あなたの分別、執着をなくすことです。もう少し低く言えば、あなたに分別があっても、ただ執着をなくしさえすれば、このような事ができます。
【司会者】:就是阿羅漢。
それは阿羅漢ですね。
【浄空法師】:對,阿羅漢就辦到了。你看我們小說裡面寫的不算,我們只看在這個時代當中,抗戰期間佛門裡面有個金山活佛妙善法師,就是江蘇鎮江金山寺的妙善法師。這個人是很邋遢的一個人,瘋瘋癲癲的,人家都說這個人非常像濟公,他就有這些能力。
そうです。阿羅漢ならできます。小説に書かれているものは勘定に入れず、この時代だけを見てみても、抗日戦争の頃、仏門には金山活仏・妙善法師【注1】がいました。江蘇省鎮江金山寺の妙善法師です。この人はとても不潔で、狂気じみていました。人々は皆この人は済公【注2】に似ていると言いました。彼にはそのような能力がありました。
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【注1】 妙善法師(?-1935)・・・・俗名の姓は董、法号は覚棟、字は妙善。陝西省終南の人。民国時代の著名な僧侶。数多く奇異の事跡があり、当時の人は神通があると認識していた。人の為に病を治すことができた。鎮江金山寺に数十年投宿していた為、人から「金山活佛」と呼ばれた。禅僧。(中国語版ウィキペディアより抜粋して翻訳)
【注2】 済公(1133-1209)・・・・済癩和尚、済公活仏とも称される。俗名は李修縁(又は李心遠)。南宋の浙江省台州(今の浙江省台州市天台県永寧村)の人。伝説的な仏教僧で、戒律を守らず、飲酒、食肉し、その神通は広く知られている。(中国語版ウィキペディアより抜粋して翻訳)
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%8E%E5%85%AC
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【司会者】:很奇特。
とても変わっていた。
【浄空法師】:很奇特!他不修邊幅,你看看他就一件長褂,一年到頭也不洗澡,從來也沒有第二件衣服,冬天也是它,夏天也是它,他生活得那麼自在。信徒很多,每個信徒都喜歡他。他替人治病,疑難雜症,只要他給你摸摸就好了,奇怪得很。
変わっていました!彼は身なりを飾らず、 “長褂”(長い単衣の中国服)を着て一年中入浴もしません。二着目の服は持たず、冬も夏もそれを着て、生活はそれほど自在でした。信徒は多く、どの信徒も皆彼を慕っていました。彼は人に代わって病を治しました。難しい病でも、彼が少し触るだけで良くなりました。不思議なことです。
【司会者】:治好的人也就學佛了?
治った人も仏法を学んだのですか?
【浄空法師】:對,是!
そうです、そうです!
【司会者】:他是在度化別人,用神通。
彼は人を済度するのに、神通を使ったのですね。
【浄空法師】:度化別人,用神通。比如說你念他,你這才說他,他就出現在你面前。怎麼來的?沒有人曉得,從哪裡來的也不知道,來去無蹤。
人を済度するのに、神通を使いました。例えばあなたが彼を思い、彼について話すと、彼は目の前に現れます。どのように来るのでしょう?誰にも分かりません。どこから来るのかも分かりません。行き来の痕跡はありません。
【司会者】:是不是剛才您所講的這個原理?就是能量變成物質?他能讓自己現身。
先ほど老法師が仰った原理なのでしょうか?つまりエネルギーが物質に変わるというものです。彼は自分を現身させることができる。
【浄空法師】:對,不錯。在飲食起居裡面看起來跟大家一樣,他能夠一餐吃幾十碗飯。
そうです。その通りです。日常生活では見たところ皆と同じです。彼は一食に十数杯のご飯を食べることができます。
【司会者】:幾十碗飯?
十数杯ものご飯を?
【浄空法師】:對,別人受不了。他可以一個星期一碗飯不吃,這都是別人做不到的。那還有一個最特殊的是,人家供養他的錢、供養他玩的東西,他都把它吃掉,鈔票、銅板都吃掉。
そうです。他の人にはたまりません。彼は一週間ご飯を一膳も食べずにいられます。これは他の人にはできません。他にもう一つ特殊なのは、人が彼に供養したお金、彼に供養した物を、彼はすべて食べてしまいます。紙幣、銅貨など全部食べます。
【司会者】:很髒。
汚いものです。
【浄空法師】:很髒,都是細菌,他若無其事。他身上空空的,什麼都沒有。
汚いです。すべて細菌です。彼は何ともありません。彼の身体は空っぽで、何もありません。
【司会者】:您說像這種高僧,這些行止是不是在表法,在表演佛法?就是讓周圍的人看,他是多麼自在。
老法師の仰るこのような高僧のこれらの行動は、法を表現して見せた、仏法を演じていたのでしょうか?つまり周囲の人に、彼がこれほど自在なのを見せたのでしょうか。
【浄空法師】:對,是在表演。
そうです。演じていたのです。
【司会者】:讓想學佛的人生起信心來,對佛法最高端的科學生起信心來,能這樣理解嗎?
仏法を学ぶ人に信心を起こさせた。仏法の最高の科学に信心を起こさせたと、このように理解して良いでしょうか?
【浄空法師】:能,他確實是在表演。但是真正只是人家看到是神僧,高深莫測,但是他沒有辦法,就是沒有真正有心人體會到怎樣來學習。
そうです。彼は間違いなく演じていました。しかし人々は本当に高尚で計り知れない神僧を見というだけで、どうしようもありませんでした。つまり本当に心ある人は、どのように学んだら良いのか分かりませんでした。
【司会者】:就是他只能度一類人。
要は彼は一部の人を済度しただけなのですね。
【浄空法師】:對,他只能度一類的人,但是他給真正修行人是很大的啟示。這種能力是人的本能,人人都如此,而且他所現的是小通,不是大通。能量為什麼失掉了?就是妄想分別執著,《華嚴經》上講得清楚,「但以妄想分別執著而不能證得」。跟你說你有無量的智慧、無量的能、無量的神通、無量的相好,都沒有限量的、沒有極限的。
そうです。彼は一部の人を済度しただけです。しかし彼は真の修行者に対して大きな啓示を与えました。このような能力は人の本能です。誰もがこうなのです。しかも彼が現したのは小さな神通で、大神通ではありません。エネルギーはなぜ失われたのでしょうか?それは妄想・分別・執着です。『華厳経』には明確に説かれています。「但以妄想分別執著而不能證得」(ただ妄想・分別・執着を以て証得すること能はず)。あなたには無量の智慧、無量の徳能、無量の神通、無量の相好があり、すべて限度はなく、極限はないと説かれています。
【司会者】:每個人都這樣嗎?
誰もが皆そうなのでしょうか?
【浄空法師】:每個人都是一樣的。所以佛眼睛看一切眾生是平等的,為什麼?你現在是個糊塗佛,只要你把妄想分別執著放下,你跟他一樣,絕對不是在他之下。所以個個都圓滿,叫真平等!沒有高下。
誰もが皆同じです。ですから仏の眼には一切の衆生は平等に見えます。なぜでしょう?あなたは今は迷いのある仏であり、あなたが妄想・分別・執着を放下しさえすれば、あなたは仏と同じなのです。絶対に仏の下ではありません。ですから誰もが皆円満であり、これが真の平等というものです!上下はありません。
【司会者】:平等。這個方法都在佛經裡?
平等。この方法はすべて仏経の中にあるのでしょうか?
【浄空法師】:都在佛經裡。我做的這個道具就是常常跟大家講解這個問題,他說三種,我們用這三種顏色。黃色的代表妄想。
すべて仏経の中にあります。私はこの道具を使ってよく皆さんにこの問題を講釈しています。仏は三つと説かれていますので、私たちはこの三色を使います。黄色は妄想を表します。
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【訳者補注】 浄空法師はここで三枚の半透明のカラー・シートを取り出します。カラー・シートは黄色・青色・赤色の三枚で、黄色いシートは妄想、青いシートは分別心、赤いシートは執着心の比喩として用いています。Youtube動画、0:20:40頃を参照。
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【司会者】:黃色比較淺一點。
黄色は比較的薄いですね。
【浄空法師】:對,藍色代表分別,紅色代表執著,這三種都有叫凡夫、六道凡夫。我們把我們的眼睛代表我們的自性。
そうです。青は分別を表し、赤は執着を表します。この三つが全部あれば凡夫と言います。六道【注1】の凡夫です。私たちの目は自性(じしょう)【注2】を表します。
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【注1】 六道(ろくどう)・・・・生死を繰り返す迷いの世界。地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道のこと。
【注2】 自性(じしょう)・・・・人が本来備えている真の性質のこと。真如法性(しんにょほっしょう)。
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【司会者】:自性,就是自己本來的能力。
自性とは自己の本来の能力ですね。
【浄空法師】:對,就是本性本善,代表這個。那這三樣東西遮住了,我們看外面的境界就看不見了、就扭曲了。這是個有形的,妄想分別執著沒有形,它不是物質,它也不是精神,它沒有形,我們現在用這個來代表。所以佛告訴我們,這三樣都沒有這就是佛,你的本來面目,你能夠把宇宙之間性相、理事、因果,沒有一樣你不透徹、你不明瞭的,這個人叫佛。同時一下放下,這叫頓悟,上上根人。在佛經裡面我們看到的,釋迦牟尼佛是頓悟,他三十歲統統放下。他學了十二年,十二年也放下,十二年所學的統統放下;如果不放下,不是裡頭還有分別執著嗎?統統放下了,放下之後叫大徹大悟,這是一個知識分子放下了、徹悟了。那還有個不需要學的,只要放下也行,中國唐朝六祖惠能不認識字,一天也沒學過,是個砍柴的樵夫,這大家都曉得。你看《六祖壇經》多少人歡喜的東西,《壇經》裡面所講的,跟釋迦牟尼佛四十九年所講的一切經沒有兩樣。
そうです。つまり本性本善です。(目は)これを表します。この三つで覆われていれば、私たちは外の境界が見えません。捻じ曲がってしまいます。このシートは有形ですが、妄想・分別・執着は有形ではありません。それは物質ではなく、精神でもなく、形はありません。私たちは今このシートを使って表現しています。ですから仏は言います。この三つが全部ないのが仏であり、あなたの本来面目です。あなたは宇宙の性相・道理・因果、何一つ透徹していないことはなく、明瞭でないことはありません。その人を仏と言います。同時にすべて放下することを、頓悟(とんご)と言います。上上根【注1】の人です。私たちは仏経の中に見ることができます。釈迦牟尼仏は頓悟です。彼は三十歳ですべてを放下しました。彼は十二年学びましたが、その十二年も放下しました。十二年学んだことをすべて放下しました。もし放下しないなら、その中にまだ分別・執着がありますね?すべてを放下しました。放下した後は、大徹大悟と言います。一人の知識人が放下して、完全に悟ったのです。それならあと一人、何も学ぶ必要がなかった人がいます。ただ放下しただけで良かったのです。中国唐朝の六祖・慧能【注2】は文盲で、一日も学んだことがありません。柴を刈る樵でした。これは誰もが知っています。『六祖壇経』は多くの人が好んでいますが、『壇経』の中に説かれていることは、釈迦牟尼仏が四十九年説かれた一切の経と異なる所はありません。
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【注1】 上根(じょうこん)・・・・仏道を修める性質・能力が優れていること。中根(ちゅうこん)は中くらい、下根(げこん)は修行する能力の乏しいこと。上上根は最高の資質ということ。
【注2】 慧能(えのう、638-713)・・・・慧能大師。范陽(北京市)の盧氏出身の禅僧。諡(おくりな)は大鑑禅師。中国禅宗(南宗)の第六祖。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%A7%E8%83%BD
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【司会者】:這是公認的。
これは公認されています。
【浄空法師】:公認的,沒有兩樣。
公認されています。異なる所はありません。
【司会者】:真正的山野村夫寫出來的,也是在表演。
本当の山野の村人が書いたものなら、それも演じているのでしょうか。
【浄空法師】:他不會寫,他是講出來的,別人把它記錄下來的,他自己不會寫字。所以六祖講,他為什麼有這個能力?沒有別的,放下。只要你放下妄想分別執著,與學不學沒有關係,這個東西不是學的。
彼には書けません。彼が語ったものを、他の人が記録したものです。彼自身は字が書けません。ですから六祖は言っています。彼にはなぜこの能力があるのでしょうか?他のことではありません。放下です。あなたが妄想・分別・執着を放下しさえすれば、学んだかどうかは関係ありません。これは学んだものではありません。
【司会者】:與聰明不聰明也沒有關係?
賢いかどうかも関係ないのでしょうか?
【浄空法師】:沒有關係,只要這三樣東西放下。所以這兩個都是表演,表演頓悟,就是這三個同時一下放下。所以我們講凡夫成佛要多長的時間?一念。
関係ありません。この三つを放下するだけです。ですからこの二つはどちらも演じたのです。頓悟を演じたのは、要するにこの三つを同時に放下したということです。ですから私たちは言っています。凡夫が仏に成るのにどのくらい時間がかかるでしょうか?一念です。
【司会者】:一念!
一念!
【浄空法師】:對,你的一念徹底放下,這凡夫就成佛了。
そうです。あなたの一念を徹底して放下すれば、凡夫は仏に成ります。
【司会者】:但是人們看到六祖惠能大師,他還是原來他自己?
しかし人々が六祖・慧能大師を見ると、大師はやはりその人自身ではないのでしょうか?
【浄空法師】:那不一樣。他現的身是一樣,那個境界完全不相同。
それは違います。現れている身体は同じですが、その境地は完全に異なります。
【司会者】:就不是原來凡夫的他?
それまでの凡夫の彼ではないのですね?
【浄空法師】:對,是!你說這佛經那麼多,任何一部經拿來你問他,他沒有不通達的,你念給他聽,他全懂。
そうです!仏経はたくさんありますが、どの経について質問しても、彼は通じていないものはありません。あなたが読んで聴かせると、彼はすべて理解しています。
【司会者】:換了一個人。
人が変わってしまった。
【浄空法師】:你不懂,你念給他聽,他講給你聽;你自己不開悟,他講給你你就會開悟,他有這個能力。佛法通了,世間法也通了,沒有一樣不通,那怎麼會一樣?他有神通,他不現!他要耍一下也很容易。譬如講最後他要走了,他要走你看一年前派人到家鄉去修塔,他一年前告訴人要修塔,工程要快一點,他死了之後肉身放在塔裡頭,他不就清清楚楚、明明白白嗎?
あなたが理解できないところを読んで聴かせると、彼はあなたに説法して聴かせてくれます。あなたが悟っていなければ、彼はあなたに説法して、あなたは悟ることができます。彼にはこのような能力がありました。仏法に通じ、世間の法にも通じ、一つとして通じていないものはありません。それなら同じという事があるでしょうか?彼には神通があります。彼は思いのままに振る舞うのも簡単です。例えば最後に彼は逝こうとして、一年前に故郷に塔を建てさせました。彼は一年前に塔を建てるように言って、工事を早めにさせました。彼が死んだ後で、塔の中に埋葬させました。彼にはすべてがはっきりと、明らかだったということではないですか?
>>>人類の知らない宇宙・人生の真相03/10につづく・・・。
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/cc15e2de3317ad93f58c855c934dccb7
【司会者】:今天的遊客、世界各地的遊客,還能夠在古廟裡看到六祖惠能大師的肉身法體。
今の観光客、世界各地の観光客は、古寺(広東省韶関市南華寺)の中で六祖・慧能大師の肉身法体を見ることができます。
【浄空法師】:肉身還在。
肉身(にくしん=肉体)が残っています。
【司会者】:這也是神通的一種嗎?
これも神通の一種でしょうか?
【浄空法師】:不是,這是留下一個紀念給大家,也是表法,讓你看看。
違います。これは人々の為に記念に残したのです。これも法を表現したもので、あなたに見せているのです。
【司会者】:但是這個能力,好像也不是一般人能做得到?
しかしこの能力は、一般の人にはできることではないようですが?
【浄空法師】:不,這是很多人都可以做到,這個不難。我聽說在文化大革命的時候,紅衛兵想把這個像毀掉,拿鋸子去鋸的時候,鋸後頭脊椎骨流血,人家不敢動了。
いいえ。これは多くの人にもできます。これは難しくはありません。聞いた話では、文化大革命【注】の頃、紅衛兵がこの像を壊そうとして、のこぎりで切ろうとした時、切ると脊柱から血が流れたので、手をつけなかったようです。
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【注】 文化大革命(1966-1976)・・・・「封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しよう」という名目で行われた、毛沢東主導の政治闘争に端を発する動乱。伝統文化や貴重な文化遺産や寺院は徹底して否定され、僧侶も封建的であるとして弾圧に遭っている。
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【司会者】:害怕了?
恐くなったのですね?
【浄空法師】:害怕,不敢動了,你看一千三百多年,不敢動,還是能保存下來。佛告訴我們,我們沒有能力一下放下,慢慢放,行,一點一點放。從哪裡放起?從執著放起。所以紅色代表執著,執著放下之後,六道就沒有了。六道裡面情形統統清楚,你已經超越六道了,那就是什麼?那是阿羅漢。阿羅漢有妄想、有分別,沒有執著。等於說阿羅漢戴的我們現在講太陽眼鏡,加上紅的是看不見了,這樣子還可以,色的,像我們戴太陽眼鏡一樣外面還能看到一些東西,那他突破空間維次就多了,他看的面就大了,佛經上講他能看一個大千世界。一個大千世界,黃念祖居士講那是多少個銀河系?十億個銀河系。他有能力,這十億個銀河系裡他看得清清楚楚。
恐くなり、手をつけませんでした。千三百年も手をつけられず、まだ保存されているのです。仏は私たちに説かれています。私たちは一度に放下する能力はありません。ゆっくりと放下すれば良いのです。少しずつ手放します。どこから手放せば良いのでしょうか?執着から手放します。赤(のシート)は執着を表しますが、執着を放下すれば、六道はなくなります。六道の中の情況がすべてはっきりすれば、あなたはすでに六道を超越しています。それは何でしょう?それは阿羅漢です。阿羅漢には妄想・分別があり、執着はありません。ちょうど阿羅漢は私たちがサングラスをかけているのと同じです。赤色(のシート)を加えると見えなくなりますが、これなら(黄色と青だけなので)まだ見えます。緑色です。ちょうど私たちがサングラスをかけるのと同じように、外界を少し見ることができます。それならその人は空間の次元を突破しています。見えるところは大きくなります。仏経には阿羅漢には大千世界が見えると説かれています。一つの大千世界です。黄念祖居士が話していたのですが、そこには幾つの銀河系があるでしょうか?十億個の銀河系です。彼にはその能力があり、この十億個の銀河系の中をはっきりと見ることができます。
【司会者】:就是一個人他就有這個能力?不用望遠鏡?
それは一人の人間にその能力があるのでしょうか?望遠鏡を使わずに?
【浄空法師】:只要你把執著放下,而且什麼?你有能力,哪個星球你可以自由去,你想去就到了。你看就這個執著放下,就有這麼大的能力,這阿羅漢。如果進一步,你再能夠把分別放下,分別放下那就是菩薩了。菩薩還有什麼?妄想,還有妄想。那這就更清楚了,所以菩薩他的生活空間就不是一個三千大千世界,無量的三千大千世界,一切諸佛剎土他隨意自在去遊覽,我們講去拜佛,去向佛學習,去幫助佛教化眾生,他就有這個能力。如果說這個再放下,就成佛了。
ただ執着を放下するだけです。しかもどうでしょう?あなたはどの星にでも自由に行くことができます。行きたいと思えば到着します。どうでしょうか。執着を放下すれば、これほど大きな能力が得られます。これが阿羅漢です。もしもう一歩進んで、あなたが分別を放下できれば、分別を放下すればそれは菩薩です。菩薩には更に何があるでしょうか?まだ妄想があります。そうなれば更に明瞭になります。ですから菩薩の生活空間は一つの三千大千世界ではなくて、無量の三千大千世界です。一切諸仏の刹土(国土)を自由自在に見物することができます。仏を拝み、仏に学びに行き、仏が衆生を教化するのを助けることができます。菩薩にはこの能力があります。もし更に放下すれば、仏に成ります。
【司会者】:什麼都沒有了。
何も無くなります。
【浄空法師】:對,什麼都沒有了,這就成佛了,那你就得到什麼?大圓滿。
そうです。何も無くなります。それが仏に成ることです。それであなたは何を得るのでしょう?大円満です。
【司会者】:那不是六祖惠能大師講的「本來無一物」。
それは六祖・慧能大師の説かれた「本来無一物」【注】でしょうか。
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【注】 本来無一物(ほんらいむいちもつ)・・・・すべては空であり執着すべきものは何一つない、の意。慧能大師の偈の中の一節。
「菩提本無樹,明鏡亦非臺,本来無一物,何處惹塵埃」
菩提本(もと)樹(じゅ)無し。明鏡も亦台に非ず。本来無一物。何れの処にか塵埃を惹かん。
菩提には本来樹などは無く、曇りのない鏡の台もまた無いのである。すべては空であり執着すべきものは何一つない。どうして塵に穢されることがあるだろうか。(筆者訳)
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【浄空法師】:沒有錯。六祖大師是統統放下了,所以他給我們所示現的就是佛。你一定要記住他跟釋迦牟尼佛、跟阿彌陀佛、跟佛經上的一切諸佛,是決定平等的。
その通りです。六祖大師はすべてを放下しました。ですから彼が示現したものは仏です。必ず覚えておかなければなりません。彼と釈迦牟尼仏、阿弥陀仏、仏経における一切の諸仏とは、間違いなく平等です。
【司会者】:境界是一樣的。
境界が同じなのですね。
【浄空法師】:一樣的完全平等,絲毫差別都沒有。
同じ完全なる平等であり、僅かな区別さえありません。
【司会者】:那我請教您,這三樣東西我們都擋在眼前,這樣的人是不是任何人都是這樣?可以這樣講?
それでは老法師にお教え頂きたいのですが、この三つは私たちの目の前を覆っています。誰もが皆このようなのでしょうか?このように言うことができるでしょうか?
【浄空法師】:對,六道凡夫,六道裡面眾生都是這樣的。
そうです。六道の凡夫、六道の中の衆生は皆そうです。
【司会者】:那天人也這樣嗎?
それでは天人もこうなのでしょうか?
【浄空法師】:天人也是這樣的,所以他出不了六道輪迴。
天人もこうです。ですから天人は六道輪廻【注】を出られません。
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【注】 六道輪廻(ろくどうりんね)・・・・衆生が六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道)の迷いの生死を繰り返すこと。
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【司会者】:佛經上寫他們飛行自在。
仏経では彼らは自在に飛ぶことができると説かれています。
【浄空法師】:飛行自在那是小功夫、那是小定,出不了六道輪迴。定的等級很高,所以到第八定,第八個層次還是在六道裡面,第九個才突破,所以阿羅漢證的定是九次第定,第九個等級超越六道了。
自在に飛べるのは小さな技量です。それは少しばかりの禅定です。六道輪廻は出られません。禅定の程度が高くても、第八定、第八層ではまだ六道の中です。第九層でようやく突破します。ですから阿羅漢が証得した定は九つ目の定です。九つ目の等級で六道を超越します。
【司会者】:那個關口就是這個執著。
その関所がこの執着なのですね。
【浄空法師】:沒錯。六道裡面這八個定的層次,執著他是伏住,定力伏住沒有斷,第九個他就斷了,斷了他就超越了。
その通りです。六道の中の八番目の定の階層では、禅定の力で執着を抑えて断ってはいません。九番目は断っています。断てばその人は超越します。
【司会者】:我代科學家、包括一些觀眾,我代他們向您請教,我們生活當中什麼叫執著?您常說執著要把它放下,它有什麼表現嗎?
私は科学者や聴衆に代わって、老法師にお教え頂きたいのですが、私たちの生活では何を執着と言うのでしょうか?老法師はよく執着を放下しなければならないと言いますが、それは何かに現れるのでしょうか?
【浄空法師】:有。譬如說貪瞋痴慢就是執著,你喜歡吃好吃的是執著。
現れます。例えば貪瞋痴慢【注】が正に執着です。美味しいものを食べたいならそれが執着です。
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【注】 貪瞋痴慢(とんじんちまん)・・・・貪は貪欲、瞋は瞋恚(怒り)、痴は愚痴(愚かさ)、慢は傲慢さのこと。貪瞋痴は三毒と言われる。
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【司会者】:對,我一定要吃這個,我搭著車也要去吃這個。
なるほど。必ずこれを食べたい、車に乗ってでもこれを食べに行きたいという。
【浄空法師】:對,這叫執著。
そうです。それを執着と言います。
【司会者】:那我非要得到一個東西?
それでは必ずある物を手に入れたいというのは?
【浄空法師】:也是執著。
それも執着です。
【司会者】:我非要恨他,我一定要報復。
ある人を恨んだり、必ず報復しようとすることも。
【浄空法師】:對,不錯,都是執著。
そうです。その通りです。すべて執着です。
【司会者】:這是在貪瞋痴慢上表現出來。
これは貪瞋痴慢の現れなのですね。
【浄空法師】:全部都是的。於執著的反面是隨緣。
全部そうです。執着の反対は隨縁(縁に随うこと)です。
【司会者】:就是這個紅色的是執著。
この赤いシートが執着ですね。
【浄空法師】:對,執著。執著丟掉之後你就能隨緣,沒有一樣不好。
そうです。執着です。執着を捨てた後、あなたは縁に任せることができます。何一つ悪いものはありません。
【司会者】:有人問您這個問題,那我不執著了,那我應該怎麼樣?
ある人は老法師にこの質問をします。執着しないとすれば、自分はどうあるべきでしょうか?
【浄空法師】:隨順眾生,什麼都好。
衆生に随うことです。何でもすべて良いことです。
【司会者】:給吃什麼就吃什麼。
与えられた食べ物を食べる。
【浄空法師】:對,沒有一樣不好。
そうです。何一つ悪いものはありません。
【司会者】:那它分明不好吃。
それが明らかに美味しくないものなら?
【浄空法師】:不會,他不好吃,到你口裡就變成好吃,他口裡跟你口裡不一樣。
それはありません。不味くても口の中で美味しくなります。その人の口はあなたの口の中とは違います。
【司会者】:我是不是有這個執著心吃它,就是不好吃?放下了這個執著,再吃味道就不一樣了?
自分が執着心を持って食べれば、美味しくないのでしょうか?執着を放下してから食べると、味が違うのでしょうか?
【浄空法師】:對,就不一樣。為什麼?境隨心轉,是這麼個道理。你的心是真心,所有東西到你面前像分子排列,它就改變了。
そうです。違います。なぜでしょう?「境随心転」(環境・境地は心に随って転じる)。この道理です。あなたの心が真心であれば、あらゆる物はあなたの目の前で分子の配列が変わるように、変わってしまいます。
【司会者】:分子排列都會改變?
分子の配列が全て変わるのですか?
【浄空法師】:對,會改變。
そうです。変わります。
【司会者】:就跟水實驗一樣。
ちょうど水の実験と同じですね。
【浄空法師】:沒錯,是一個道理。
その通りです。同じ道理です。
【司会者】:您知道現在全世界上的人都非常固執。
老法師もご存知のように、現在全世界の人が皆非常に固執しています。
【浄空法師】:對,那固執就是堅固的執著。
そうです。その固執というのは頑固な執着です。
【司会者】:這就是執著!
これが執着ですね!
【浄空法師】:堅固的執著。
頑固な執着です。
【司会者】:那我們經常拿這個來誇耀別人說:你真有個性!你真執著。這在佛法裡是第一大障礙。
私たちはそれを見せびらかして、「本当に個性的ですね!」と人に言います。これは仏法の中では一番の大きな障碍なのですね。
【浄空法師】:對,沒錯。那就是道道地地的凡夫,而且堅固的執著是往下墮落的。
そうです。その通りです。それこそ典型的な凡夫です。しかも頑固な執着は下に堕落します。
【司会者】:那它有什麼不好?
それは何が良くないのでしょうか?
【浄空法師】:不好是它的果報在惡道,餓鬼、畜生、地獄。
良くないのは、その果報が悪道(餓鬼、畜生、地獄)にあるということです。
【司会者】:因為他執著貪瞋痴慢。
その人が貪瞋痴慢に執着するからでしょうか。
【浄空法師】:沒錯。他執著就是業障。
その通りです、その人の執着は正に業障です。
【司会者】:心貪瞋痴慢一定會感召來那些?
心の貪瞋痴慢はそれらを引き寄せるのでしょうか?
【浄空法師】:會,會感召。
そうです。引き寄せます。
【司会者】:昨天我們請教您感召,您講的是「法爾如是」,法爾如是翻譯一下也就是本來就是這樣,這話是這麼個意思。就是蘋果從樹上掉下來,那為什麼掉下來?它本就這樣。是這個意思叫法爾如是?
昨日この事をお伺いして、老法師が仰ったのは「法爾如是」【注】でした。法爾如是を翻訳しますと、もともとそのようなもの、このような意味です。つまりリンゴが樹から落ちたのは、なぜ落ちたのかといえば、もともとそのようなものだからです。法爾如是とはこの意味でしょうか?
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【注】 法爾如是(ほうににょぜ)・・・・あるがままにそうである、の意。法爾(ほうに)は、法(事物)のあるがままな状態。如是(にょぜ)は、このようである、の意。
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【浄空法師】:對,是這個意思叫法爾如是。
そうです。法爾如是はこの意味です。
【司会者】:這個執著我們一定要放下來,就不要那麼固執。
私たちはこの執着を必ず放下して、固執してはなりません。
【浄空法師】:你執著多痛苦!我一定要這樣,還要別人隨順我。
執着すれば苦しみます!自分は必ずこうしたい、さらに他人を自分に従わせたいという。
【司会者】:現在人都是這樣。
今の人は皆こうです。
【浄空法師】:你說這多痛苦!所以我教人學佛,這麼多年來我都常常勸人,學佛第一個要把自己從內心裡面跟一切人對立放下。對立是執著,我不跟人對立了,我多舒暢!他跟我對立,我不跟他對立,就是他有煩惱,我沒有煩惱,他不自在,我很自在。
これほどの苦痛はありません!だから私は人に仏法を勧めています。長年に渡って人に勧めています。仏法を学ぶには、第一に自分の心の中からすべての人との対立を放下することです。対立は執着です。人と対立しなければ、ゆったりと心地良くなります!人が自分と対立しても、自分は人と対立しません。つまり人に煩悩があっても、自分に煩悩はありません。人が自在でなくても、自分は自在になります。
【司会者】:所以說您不止一次講過,一定要放下我執。
老法師が話されたのは一度どころではありません。必ず我執を放下しなければなりません。
【浄空法師】:要放下,放下我執還得放下對立,要從放下對立開始。我執很難破,先放下對立,不跟人對立,不跟人有矛盾。我相信人,人不信我沒有關係,我信他,上當也信他,他欺騙我,也信他,我有我的樂趣,我的樂趣他沒有辦法享受到,得大自在!
放下しなければなりません。我執を放下して、更に対立を放下しなければなりません。対立を放下することから始めます。我執を破るのは難しいことです。まず対立を放下します。人と対立せず、人との矛盾を起こさないことです。自分は人を信じて、人が自分を信じるかどうかは関係ありません。自分は人を信じます。騙されても信じます。人が自分を騙しても、その人を信じます。自分には自分の喜びがあります。自分の喜びをその人は享受すべくもありません。大自在を得るのです!
【司会者】:這將來不受罪。
これなら将来罪を受けません。
【浄空法師】:為什麼?它都是假的,都不是真的。名聞利養全是假的,連身體也是假的,沒有一樣東西是真的,你爭什麼?這個東西怎麼變成的?都是一念。所以你要了解事實真相之後,你就很歡喜放下,放下真好!
なぜでしょう?それはすべて実体がないからです。真実ではありません。名聞利養(みょうもんりよう=名声や利得)はすべて偽りです。身体さえも偽りです。一つとして真実はありません。争ってどうするのでしょうか?これはどのように現れるのでしょう?すべて一念です。ですからあなたは事実の真相を理解した後、喜んで放下するでしょう。放下は本当に良いものです!
>>>人類の知らない宇宙・人生の真相04/10につづく・・・。
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/27575a446ba0a3c9646dfec253ee378c
【司会者】:放下要先從執著開始。
放下はまず執着から始めるのですね。
【浄空法師】:從執著,然後再放分別。
執着からです。そのあと更に分別を手放します。
【司会者】:每天加一分執著,那就是往惡道靠近了一步。
毎日少しずつ執着を増やしていれば、それは悪道に一歩近づいたということですね。
【浄空法師】:沒錯,那你的煩惱就長。
その通りです。それではあなたの煩悩は増長します。
【司会者】:我們平時交往很多朋友、家親眷屬,我們一看家人,自己的親人他執著很害,就知道他將來會很苦,能這樣說嗎?
私たちは平素友人や家族親戚と交わります。私たちは家の人や、自分の家族がひどく執着しているのを見たら、その人は将来苦しむことが分かります。そのように言えるでしょうか?
【浄空法師】:是,是這樣的。
そうです。そういうことです。
【司会者】:那應該勸他就是放下執著,把他那個脾氣改一改。
それではその人に執着を放下して、性癖を改めるように勧めなければなりません。
【浄空法師】:對,不錯。而且多幫助別人,照顧別人就是真正照顧自己,幫助別人就是真正幫助自己。
そうです。その通りです。しかも他人を多く助けること、他人の面倒を見ることは、本当に自分の面倒を見ることです。人を助けることは、本当に自分を助けることになります。
【司会者】:您知道現在人都很喜歡辯論,一定是你錯了,我對了。
老法師もご存知のように、今の人は議論すること好みます。必ず人に間違いがあり、自分は正しいのだと。
【浄空法師】:那就好了,你對了就你對。
それはそれで良いのです。あなたが正しいなら、それで良いのです。
【司会者】:我們不執著,讓糊塗人執著。
私たちは執着しません。愚かな人に執着させておきます。
【浄空法師】:對,佛菩薩從來不會跟人辯論的。
そうです。仏菩薩は人と議論したことはありません。
【司会者】:凡是爭的都是執著的表現。那西方教競爭,就是給大家教加這個,本來我這個習氣不那麼大,那就教我這樣,這個東西放在眼前確實什麼都看不見。
およそ争いはすべて執着の現れです。西洋では競争を教えていますが、それは皆に執着を増やすように教えています。それまでそれほど深い習気(じっけ、身にしみついた悪癖)はなかったのに、そのように教えられてしまいます。これが目の前にあるので何も見えなくなります。
【浄空法師】:對,沒錯。他是不斷的長分別執著,這是西方人。所以中國傳統跟印度它是減少,為道、為學,老子都講「為道日損」,就是你天天要減少,減少妄想分別執著,這是學道。
そうです。その通りです。その人は絶え間なく分別・執着を増長させています。これは西洋人です。中国の伝統とインドのそれは減らしていきます。道を修め、学問を修めることを、老子は「為道日損」(道を為せば日に損す)【注】と説いています。つまり日々減らしていきます。妄想・分別・執着を減らします。これが道を学ぶということです。
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【注】 「為学日益,為道日損」(学を為せば日に益し、道を為せば日に損す)
学問を修めれば毎日知識が増えてゆくが、道を修めれば毎日それらは減ってゆくものである。(老子『道徳経』第四十八章)
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【司会者】:這三樣東西戴在眼前,就是戴在我們自性前面的時候,什麼作用都出現不了。
この三つが目の前を覆っていれば、つまり私たちの自性の前を覆っていれば、何の作用も発揮されません。
【浄空法師】:但是這個東西你要想清楚,它有沒有障礙自性?
しかしこれははっきりと理解しておかなければなりません。それは自性の障碍になるでしょうか?
【司会者】:我還能看得見倒是,我這裡面的眼睛還管用。
自分はまずまず見ることができます。自分の目はまだ役に立ちます。
【浄空法師】:它有沒有障礙?沒有障礙!有沒有障礙外面境界?也沒有障礙,真的一點障礙沒有。你以為有,它就起作用;你知道它沒有,它就不起作用。
それは障碍になるでしょうか?障碍にはなりません!外の環境に障碍になるでしょうか?それも障碍にはなりません。本当にまったく障碍はありません。あなたがあると思えば、それは作用します。あなたがそれはないと理解していれば、それは作用しません。
【司会者】:確實,眼睛在後面還是眼睛,什麼都看不到,放下就可以。
確かに、(三色のカラー・シートの)後ろ側には何も見えません。放下すれば良いのですね。
【浄空法師】:是!不過就是看錯了,看到這是紅色的、那是色的,那你看錯了,它本來什麼顏色都沒有。
そうです!しかし見誤ります。これは赤、それは緑に見えて、あなたは見誤ります。本来は何の色もないのです。
【司会者】:請教您,這三樣東西是從哪來的?
お教え頂きたいのですが、この三つはどこから来るのでしょうか?
【浄空法師】:從妄想來的,這三樣東西從妄想來的。
妄想から来るものです。この三つは妄想から来ます。
【司会者】:從這個來的,然後生出來分別,最後又執著?人人都有?都把它放下,就自在了。
ここから来たものが、その後分別を生み出し、最後は執着でしょうか?すべてそれらを放下すれば、自在になる。
【浄空法師】:對,本來沒有,你自以為有,它就有;你知道它沒有,它真的沒有。所以佛法講到科學,可以說現在科學裡面許多解決不了的問題,在佛法裡全解決了,哲學裡頭也是如此。
そうです。本来はありません。あなたが自分であると思い込むと、それはあるのです。それがないことを理解すれば、それは本当にありません。ですから仏法は科学を説いています。現代科学が解決できない諸問題を、仏法の中では全部解決していると言って良いでしょう。哲学の中においてもそうです。
【司会者】:用這個方法,社會問題也能解決?
この方法を用いれば、社会問題はすべて解決できるでしょうか?
【浄空法師】:都能解決。
すべて解決できます。
【司会者】:很多人看到佛像邊上有您的題字,左邊寫著「看破放下」就是這個意思?把這個東西看破放下就好辦了,就沒災難了。
多くの人は仏像の隣に老法師の題字を見ています。左側には「看破 放下」と書かれていますが、これがその意味なのでしょうか?これを看破、放下すれば良いのですね。災難もなくなります。
【浄空法師】:對,要放下。你知道這個東西是假的,不是真的,然後你才真能看破放下,你才能禁得起我們今天講的打擊,你才能承受得了。為什麼說這嚴重打擊,在我們身上它等於零,這問題是什麼?你有分別執著,你就接受了,那你就苦不堪言;你沒有分別執著,他的一拳打空了。
そうです。放下しなければなりません。あなたはこれらに実体がなく、真実ではないことを知り、ようやく本当に看破、放下することができます。ようやく今日言うところの打撃に耐え抜くことができ、堪えることができます。なぜそれを深刻な打撃というのでしょうか。私たちの身にとってそれはゼロに等しいものです。この問題は何でしょう?あなたに分別・執着があれば、あなたは受け入れることになり、その苦しみは言うに堪えません。あなたに分別・執着がなければ、人の拳は空を切るだけです。
【司会者】:不受。
受けつけない。
【浄空法師】:沒受,不錯。為什麼?我這身體是假的,不但身是假的,神識也是假的,只有一個是真的,真的東西它不是精神、它也不是物質。所以物質打擊,打擊不倒他;精神打擊,也打擊不倒他。
受けつけません。その通りです。なぜでしょう?自分の身体は偽りだからです。身体が偽りと言うだけでなく、神識(意識の働き、霊魂)も偽りです。ただ一つだけが真実です。真実は精神ではなく、物質でもありません。ですから物質的な打撃は、その人に届きません。精神的な打撃もまた、その人に届きません。
【司会者】:這兩樣東西都是假的。
この二つは偽りなのですね。
【浄空法師】:對,不錯。
そうです。その通りです。
【司会者】:剛才我們講這是執著,這是您老做這麼一個教學的道具,這個代表的是執著,那好了,這藍色是分別,這分別在生活當中,觀眾就想問這是什麼意思?它有什麼表現嗎?
先ほど私たちは執着についてお話ししました。これは老法師が作られた一つの教学の道具です。この(赤い)シートは執着を表します。この青いシートは分別です。この分別は生活において、どのような意味なのでしょうか?それはどのように現れるのでしょうか?
【浄空法師】:分別現象就非常的廣泛。譬如說我們在一個人上,這是鼻子、這是眼睛、這是耳朵就是分別。
分別の現象は非常に広範囲です。例えば一人の人間であれば、これは鼻、これは目、これは耳といった分別があります。
【司会者】:這就是分別?
これが分別なのですか?
【浄空法師】:怎麼不分別?你不分別,它就是一樣的。
どうすれば分別しないのでしょう?分別しないと、それは同じものになります。
【司会者】:都成眼睛了。
すべて目になります。
【浄空法師】:你不是天天在分別嗎?這是張三、那是李四,這個人姓張、那個人姓趙,不都是在分別嗎?老子講得好,「道可道,非常道,名可名,非常名」,你能夠想得出來的,你能夠說得出來的,全落在分別裡頭。如果叫你不分別、不執著,你道一句來,禪宗常用這個方法,沒話好說了。我說你都有分別,說跟不說這是兩對立的,所以離開分別執著,你的心是清淨的,沒有一個雜念,你有雜念全是分別執著。
あなたは毎日分別しているでしょう?これは張三さん、それは李四さん、この人は張さん、あの人は趙さんと、すべて分別していますね?老子は上手に説いています。「道可道,非常道,名可名,非常名」(道の道とすべきは、常の道に非ず。名の名とすべきは、常の名に非ず)。あなたが考えることができるもの、話すことができるものは、すべて分別の中に落ちています。もし分別せず、執着もしないなら、ひと言で表します。禅宗ではよくこの方法を用います。適切な言葉がないのです。あなたに分別があれば、話すか話さないかは二つの対立です。ですから分別・執着を離れると、あなたの心は清浄になり、何一つ雑念はなくなります。あなたに雑念があるなら、すべて分別・執着です。
【司会者】:譬如說我們普通的老百姓,打個比方。譬如說我們吃飯,這個好吃,那個不好吃;我最喜歡吃這個,不喜歡吃那個。
私たち普通の庶民に例えてみます。例えば食事をして、これは美味しい、あれはまずい。私はこれが一番好きで、それは好きではない。
【浄空法師】:對,你先分別,後頭就起了執著,我要吃好吃的,不好吃的我不吃它,那就是執著了。
そうです。あなたはまず分別し、後から執着を起こします。美味しいものを食べて、まずいものは食べない。それが執着です。
【司会者】:它是從分別生出來,這個紅色的。
それ(執着)は分別から生じるのですね。この赤いシートです。
【浄空法師】:對,所以執著是最嚴重的。
そうです。ですから執着は最も深刻です。
【司会者】:它是從分別建立起來的。
それは分別から起こったものですね。
【浄空法師】:對,沒錯。
そうです。その通りです。
【司会者】:這是好人、那是壞人,這是我們家的人、那是你們家的人,都是分別?
この人は良い人、あの人は悪い人。これは自分の家の人、あれは他人の家の人、すべて分別ですね。
【浄空法師】:對,沒錯,都是分別。從分別再起執著,執著就造業了,分別的業輕,執著的業就重了。
そうです。その通りです。すべて分別です。分別から執着が起こります。執着は業を造ります。分別の業は軽いですが、執着の業は重いです。
【司会者】:剛才按照佛法所教導的方法,把執著放下,人怎麼樣?
先ほど仏法に照らしてお教え頂いた方法で、執着を放下すると、人はどうなるのでしょうか?
【浄空法師】:六道就沒有了。
六道がなくなります。
【司会者】:六道輪迴就沒有了?
六道輪廻がなくなるのですか?
【浄空法師】:就沒有了。
なくなります。
【司会者】:就不受這個罪了?
この罪を受けなくなるのですか?
【浄空法師】:六道就沒有了。所以六道怎麼來的?六道是從執著來的,人沒有執著哪來的六道?六道沒有了,他到哪裡去了?六道外面還有境界叫四聖法界,就是阿羅漢、辟支佛、菩薩、佛這四層。這四層我們一般講也是淨土,跟六道比它清淨了,六道染污,所以這叫淨土。如果是在六道裡面?六道有善惡,天道善、人天善,餓鬼、畜生、地獄這個苦,太苦了,那是惡,惡的感應,善惡的感應。
六道がなくなります。ですから六道はどこから来るのでしょう?六道は執着から来ます。人に執着がなければどうして六道などがあるでしょうか?六道がなくなると、その人はどこに行くのでしょうか?六道の外には更に境界があり、四聖法界【注】と言います。つまり阿羅漢、辟支仏(びゃくしぶつ)、菩薩、仏の四層です。この四層を私たちは一般に浄土とも言い、六道よりも清浄です。六道は穢れています。ですからこれを浄土と言います。六道の中ではどうでしょう?六道には善悪、天道の善、人天の善、餓鬼、畜生、地獄があり、これは非常に苦しいものです。それは悪であり、悪の感応、善悪の感応です。
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【注】 四聖法界(ししょうほっかい)・・・・四つの悟りの世界。さらに迷いの世界(六道)を合わせて、十界(じっかい)、または十法界という。十法界は迷いの世界を六つ(六道)、悟りの世界を四つ(四聖法界)に分けた世界観のこと。これら十法界をさらに超越すると、究極円満の一真法界(=実報土)に入る。
【悟界】(四聖法界)
・仏界、菩薩界、縁覚(えんがく)界、声聞(しょうもん)界。
【迷界】(六道輪廻)
・天上界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界。
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【司会者】:是因為人們有執著和分別心,然後用這個心去造分別的業,然後感得分別的果報,善惡果報。
人々には執着と分別心があります。そしてこの心を使って分別の業を造り、その後分別の果報、善悪の果報を受けます。
【浄空法師】:對,六道裡頭有善惡。
そうです。六道の中には善悪があります。
【司会者】:就是六道,然後三大類,這六道就出來了?
つまり六道、その先に大きく三種類があり、これは六道を出ているのですね?
【浄空法師】:對,四聖法界裡頭沒有善惡。
そうです。四聖法界の中に善悪はありません。
【司会者】:從六道回溯到善惡的源頭,分別造成的?
六道から善悪の根源まで遡ると、分別が造り出したものなのでしょうか?
【浄空法師】:對,分別跟執著造成的。所以在四聖法界裡面它有四個層次,前面兩個層次有分別,上面兩個分別沒有了,分別沒有了。所以你看阿羅漢執著沒有了,他還有執著習氣,執著習氣斷掉之後,他就變成辟支佛,就升一級了。辟支佛沒有執著的習氣,但是他有分別,所以他要把分別斷掉,分別斷掉了他就變成菩薩,就升級了。菩薩沒有分別,有分別的習氣,分別習氣斷掉之後,他就成佛了。但是佛他還有妄想,這個東西斷掉之後,四聖法界也沒有了。
そうです。分別と執着で造られたものです。ですから四聖法界に中には四つの階層があり、先の二つの階層には分別があり、上の二つには分別はありません。分別はなくなります。ですから阿羅漢に執着はありませんが、まだ執着の習気が残っています。執着の習気を断ち切った後、その人は辟支仏に変わります。一つ昇格します。辟支仏には執着の習気はありません。しかし分別があります。ですから辟支仏は分別を断ち切らなければなりません。分別を断ち切れば、その人は菩薩に変わります。昇格します。菩薩に分別はありませんが、分別の習気があります。分別の習気を断ち切った後、その人は仏に成ります。しかし仏にはまだ妄想があり、これを断ち切った後、四聖法界もなくなります。
【司会者】:您說出六道之後,這四聖法界是不是他就沒有生死了?
六道を出た後、この四聖法界には生死がないのでしょうか?
【浄空法師】:四聖法界沒有生死,沒有分段生死。像我們現在這個身體有生有死,在它那裡沒有了,它那裡沒有胎生,他是化生的、是變化的。所以四聖法界裡頭沒有像我們現在身有生有死,生老病死這個沒有了。
四聖法界には生死はありません。生死の区分はありません。私たちの肉体には生と死がありますが、そこにはありません。そこでは胎生【注1】はなく、化生【注2】です。変化するものです。ですから四聖法界の中には私たちの肉体のように生死はありません。生老病死はありません。
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【注1】 胎生(たいしょう)・・・・母体から生まれるもの。
【注2】 化生(けしょう)・・・・母体や卵からではなく、忽然と生まれるもの。現れ出る、成り出るもの。
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【司会者】:這是最苦的,生老病死。
生老病死、これは最も苦しいものです。
【浄空法師】:六道裡頭有生老病死,有這個現象,四聖法界沒有這個現象。
六道の中には生老病死、この現象があります。四聖法界にこの現象はありません。
>>>人類の知らない宇宙・人生の真相05/10につづく・・・。
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