答日本嘉賓提問 / 日本の来賓の質問に答える
2011.6.10. 岡山油屋別館宴会場にて 【日本語字幕・通訳あり】
答日本嘉賓提問 (共一集) 2011/6/10 日本岡山油屋別館宴會場 檔名:21-639-0001
【質問】 (音声を整理して表記)
実は私の友人が、五年ほど前に食道癌で八時間に及ぶ手術をしました。その方は手術中に夢を見て、美しい三途の川や、亡くなられたお爺さんやお婆さん、亡くなられた友人が川の反対側にいて、「こちらは良いからいらっしゃい、いらっしゃい」というような話をされたそうです。結局「私はまだ行かない」と言って、そのまま手術が済んで、亡くならずに済み、退院されました。その方が退院されてから、私にそのような話をしたのですが、「三途の川というのは、確かにあるんだ」と彼は言う訳です。
三途の川を渡ることが、本当に西方浄土に行ける道なのでしょうか?往生する時には阿弥陀様が迎えに来て一緒に行くというのが西方浄土に行く道だと聞いているのですが、これらの話は両方とも事実なのでしょうか?
【淨空法師】 這樁事情,家親眷屬不是真的,《地藏經》上講得很清楚,實際上是冤親債主他在接引你,你如果去了麻煩就很大,不去是幸運,是很好。如果說是往生,決定是阿彌陀佛來接引你,不是阿彌陀佛接引你的時候全都是假的。到臨命終的時候阿彌陀佛來接引,你自己會認識阿彌陀佛,決定不是假的,自己會認識。臨終的時候,如果不是阿彌陀佛,決定不可以跟他去。記住,家親眷屬都是冤親債主變化所作,不是真的。
このような場合、家族親戚は本物ではありません。『地蔵経』には明確に説かれています。実際には怨みを持っている人があなたを誘っているのです。もし行ってしまえば、大変なことになります。行かなかったのは幸運と言うべきで、良かったのです。もし往生するなら、必ず阿弥陀仏がお迎えに来ます。阿弥陀仏のお迎えでないなら、すべて偽物です。臨終を迎える時に阿弥陀仏がお迎えに来れば、自分で阿弥陀仏だと分かります。決して偽りではありません。自分で分かります。臨終の時、もし阿弥陀仏でないなら、決してついて行ってはなりません。覚えておいて下さい。家族親戚はすべて恨みを持った人々が化けているのであって、本人ではありません。
我剛才聽說參加今天的會眾有許多不是佛教徒,所以我在此地簡簡單單的把佛教做一個簡單介紹。佛教在最近這三百年,不長,三百年,變成了宗教。它從前不是宗教,從前是教育,佛教從印度傳到中國來是教育,是教學。變成宗教是最近三百年,就是清朝以後的這些事情。宗教這個名詞最先是從日本人提倡的,從日本傳到中國才有宗教這個稱呼。我們相信古代的這些日本人他們很有智慧,用宗教這個名詞用得真是非常之好。
先ほど聞いたのですが、今日参加されている方は仏教徒ではない方が多いそうですので、ここで仏教について簡単にご紹介致します。仏教はここ三百年で、宗教に変ってしまいました。長くはありません。昔は宗教ではありませんでした。昔は教育でした。インドから中国に伝えられた仏教は教育であり、教学です。宗教に変ったのはここ三百年です。つまり清朝以降のことです。宗教と言う名詞は日本人が提唱したもので【注】、日本から中国に伝わって宗教と言う呼び方ができたのです。私たちは昔の日本人たちはとても智慧があると確信します。宗教と言う名詞を使ったのは、本当に素晴らしいと思います。
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【注】 明治維新後、西洋の文献を翻訳する必要から、日本人は膨大な造語を作り出している。「宗教」だけでなく、democracyを「民主主義」と訳し、philosophyを「哲学」と訳し、peopleを「人民」と訳し、よく知られている所ではbaseballを「野球」などと訳している。明治時代の日本人にこれができたのは、彼らに漢学の素養があったからだというのは周知のとおりである。その時に作られた新しい言葉の多くは中国等の漢字文化圏に逆輸入されている。
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宗這個意思它有三個主要的意思,第一個就是主要的,第二個是重要的,第三個是尊崇的。教這個意思是教育、教學、教化。宗教兩個字合起來講,就是主要的教育,教育裡頭主要的教育,重要的教學,尊崇的教化。佛教教育傳到中國將近二千年,公元六十七年漢明帝派特使到西域去迎請,所以是國家禮請到中國來的。當時這個教育是皇帝掌管的,皇帝主導這個教育,儒家這個教育是宰相主導的,所以底下有教育部,就是禮部,皇帝主導的就是佛寺。寺本來就是政府辦事的機構,它與宗教不相干的,它是辦事的機關。所以佛教教育是皇上管,皇帝管,儒家的教育是宰相管。
「宗」という字の意味は主に三つあります。一つ目は主要な、二つ目は重要な、三つ目は尊崇なという意味です。「教」という字の意味は教育、教学、教化です。「宗」「教」の二字を合わせると、主要な教育ということです。教育の中の主要な教育であり、重要な教学、尊崇な教化という意味です。仏教教育が中国に伝わって二千年近くになります。西暦67年に漢の明帝【注】が西域に特使を派遣して招聘したのです。ですから国家が礼を尽くして中国に招いた訳です。当時教育は皇帝が管轄していました。皇帝が教育の主導的役割を果たし、儒教の教育は宰相が管轄していました。ですから下には教育部、つまり礼部があり、皇帝が主導的な役割を担ったのは寺院でした。寺は本来政府行政の機構であり、寺は宗教とは関わりがなく、仕事をする機関でした。仏教教育は皇帝が管轄し、儒教の教育は宰相が管轄していました。
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【注】 漢の明帝(28―75年)・・・・後漢の第2代皇帝。仏教伝来伝説は白馬寺の創建と『四十二章経』の伝来に関する伝承となっているという。(ウィキペディア情報)
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在中國漢朝,皇帝下面辦事的機構都稱之為寺,所以皇帝下面有九個寺,就是有九個辦事的機構,佛教到中國來的時候也稱為一個寺,所以皇帝下面就有十個寺。佛教這個寺辦什麼?主要是翻譯經典,講解經典,指導人怎樣去學習,這是它的工作。在中國古代,儒家的教育,也就是中國傳統的教育,日本接受中國傳統教育非常早,在歷史上記載有二千五百年,孔子那個時代日本人就到中國求學了。所以日本跟中國的往來至少有二千五百年的歷史。
中国の漢王朝時代、皇帝直属の行政機構はすべて寺と言いました。皇帝の下には九つの寺があり、つまり九つの行政機構がありました。仏教が中国に来た時にも、やはり寺と名付けたのです。ですから皇帝の下には十の寺があった訳です。仏教の寺は何をするのでしょうか?主に経典の翻訳、経典の講釈、どのように学習するかを指導するのが仕事でした。中国は昔、儒家の教育でした。これは中国伝統の教育です。日本が中国伝統の教育を受け入れたのは非常に早く、歴史上の記載には二千五百年とあり、孔子の時代に日本人は中国に学びに来ています。ですから日本と中国の往来は、少なくとも二千五百年の歴史があるのです。
佛教實在是教育,中國傳統從漢朝以後是用孔孟為主流,所以就變成孔孟的教育。佛教是釋迦牟尼佛的教育,統統是教育。釋迦牟尼佛當年在世,他是三十歲開悟,開悟之後就開始教學,他七十九歲圓寂的。所以講經教學四十九年,沒有一天是放假空過的,沒有。所以他的確是一個模範的老師,最好的老師,我們講典型的老師。他教學不收學費,完全是義務的,用今天的話來說,釋迦牟尼佛他是一個多元文化社會教育家,他的身分是多元文化社會教育義務的工作者,他不收學費,不分國家、不分族群、不分信仰,只要你肯跟他學,他都會很熱心的教你。
仏教は実は教育です。中国は伝統的に漢王朝以降は孔孟を用いるのが主流でした。それで孔孟の教育になったのです。仏教は釈迦牟尼仏の教育であり、すべて教育です。釈迦牟尼仏が在世の頃、彼は三十歳で悟りを開き、それから教学を始め、七十九歳で亡くなりました。ですから経を説き、教育をして、四十九年一日も無駄に過ごすことはありませんでした。そのため彼は模範的な教師であり、最高の教師、私たちの言い方では典型的な教師です。彼の教学は学費を取りません。完全に無報酬の奉仕でした。今日の言い方で言えば、釈迦牟尼仏は多元文化の社会教育家であり、彼の身分は多元文化の社会教育の奉仕活動家です。学費は取らず、国家、民族、宗教の区別なく、ただ人が彼に学びたいなら、彼は熱心に教えていました。
佛陀的教育,它教我們什麼?它教什麼?它教我們認識整個宇宙一切萬事萬物的真相,我們從哪裡來的?為什麼會有我?都把這些問題講得清清楚楚、明明白白。宇宙人生的真相只有佛菩薩他們知道,他怎麼知道的?他是從禪定當中證得的。所以印度在古時候,無論是宗教,無論是學術,研究哲學的,學術的,他們統統都修禪定,所以修禪定在印度是一種很普遍的風氣。在禪定當中空間維次突破了,所以他能夠看到過去,能夠看到未來。像佛陀這種禪定是非常深的禪定,他能夠看到宇宙的起源,能夠看到生命的起源,所以他能講得清楚、講得明白。佛跟我們說了,不但他清楚、他明瞭,我們每個人都清楚、都明瞭,只要把障礙去掉。所以佛告訴我們,「一切眾生本來是佛」,我們跟他並沒有兩樣,只是我們現在有了煩惱,有起心動念、有分別執著,把這個能力喪失掉了。如果我們把起心動念、分別執著統統放下,我們就能恢復自己的本能,跟佛一樣的智慧,了解宇宙人生跟自己的真相。
佛陀の教育、彼は私たちに何を教えたのでしょうか?何を教えているのでしょう?教えているのは、全宇宙一切の万事万物の真相です。私たちはどこから来たのか?どうして私が存在するのか?すべてこれらの問題についてはっきりと明確に説かれています。宇宙・人生の真相は、仏や菩薩だけが理解しています。彼らはどのように知ったのでしょう?彼らは禅定の中で悟ったのです。インドでは昔、宗教であれ学術であれ、哲学や学術を研究する人も、すべて禅定を修めていました。禅定を修めるのは、インドでは一つの普遍的な風習です。禅定の中で次元を超えるので、過去や未来を見ることができるのです。仏陀の禅定は非常に深い禅定です。彼は宇宙の起源や、生命の起源を見ることができたので、説くところが非常に明確でした。仏陀は私たちに、ただ障害を取り除くことができれば、私たちは誰でもそれを明らかにすることができる、と説かれました。ですから佛陀は、「一切衆生本来是仏」と説かれています。私たちは彼と同じなのですが、ただ私たちには煩悩があり、心の起こりや念の動きがあり、分別や執着があるので、これらの能力を失くしているのです。もし私たちが心の起こりや念の動き、分別や執着をすべて捨て去れば、私たちは自己の本来の能力を回復する事ができ、仏と同じ知恵を得て、宇宙・人生・自己の真相を理解する事ができます。
所以像我們現在學習的《無量壽經》,它裡面講三個真實,第一個「真實之際」,真實之際就是講宇宙人生的真相,第二個「真實智慧」,第三個是「真實利益」,真實的利益當然能解決我們所有一切問題。譬如今天我們這種煩惱憂慮,許許多多的這些壓力,這些事情,災難的恐懼,這都是我們本身的問題。我們的客觀環境的問題,我們的社會動亂,我們地球現在災變這麼多,你知道它什麼原因,為什麼會有這種事情發生,你了解,你就曉得怎麼對治,我應該怎麼應對,把這個東西統統化解,全在經典裡面。所以它是大學問、大智慧,真實利益,講得一點都不錯。
私たちが現在学習している『無量寿経』には、三つの真実が説かれています。一つ目は「真実の際」です。真実の際とはつまり宇宙・人生の真相です。二つ目は「真実の智慧」であり、三つ目は「真実のご利益」です。真実のご利益は、当然ながら私たちの一切の問題を解決することができます。例えば今日私たちには煩悩や心配があり、たくさんのストレスをかかえ、災難への恐れがありますが、これらはすべて私たち自身の問題です。私たちの客観的な環境の問題や、社会の動乱、地球には災害がこれほど多いこと、その原因は何か、なぜこのような事が発生するのでしょうか。それが分かれば、あなたはどう解決すれば良いかが分かり、すべてを解消することができます。すべては経典の中にあります。ですから仏法は大学問であり、大いなる智慧であり、真実のご利益であり、説くところは少しの誤りもありません。
佛法具足最好的科學概念,科學就是要拿證據來,所以佛法也是這樣的。你看佛法的修學,信解行後面是證據,你拿不出證據來,你是假的,你不是真的。所以佛家對於證非常重視。你學佛,先聽釋迦牟尼佛說,了解了,然後你真正修,修的時候一定得到證。證是什麼?把佛經所說的這些道理你完全證明了,它確實是事實,它不是假的,這才算是圓滿。如果你光是聽釋迦牟尼佛說,不去求證,那是人云亦云,佛都不承認你是他的學生,他的學生一定要證得,他跟你講的統統證明了,這才算是佛的學生。所以佛經有信有解,了解,然後你去力行,你去做,最後你證得,那才算是成就,沒有得到證不算成就。他四十九年的教學實際上就是他自己的信解行證來給我們大家分享,給我們做報告,讓我們了解,我們依照他那個方法也能夠證得。
仏法には最高の科学的概念が含まれています。科学というのは証明しなければなりません。仏法もまたそのようなものです。仏法の修学は、信じ・理解し・実行して証明できるのであって、証明できなければ本物ではないということになります。ですから仏教では証明を非常に重んじます。あなたが仏に学ぶには、先ず釈迦牟尼仏の説くところを聴き、理解し、その後本当に修行し、修めているとき必ず証明できます。何を証明するのかといえば、仏典に説かれている道理を完全に証明するということです。それは確かに事実であり、偽りではないと証明すること、それでようやく円満になります。もしあなたが釈迦牟尼仏の教えを聴くだけで、証明しようとしないなら、それは付和雷同であり、仏陀もあなたを学生とは承認しません。彼の学生なら必ず証明しなければなりません。彼が説いたところをすべて証明できてこそ、仏陀の学生ということができます。ですから仏典を信じて理解した後、あなたは実行し、最後にあなたが証明して、ようやく成就したと言えるのです。証明できないなら成就したとは言えません。仏陀四十九年の教学は、実際には彼自身が信じ・理解し・実行し・証明したものを、私たちにシェアして下さったものです。私たちもまた彼の方法に依拠して証明することができるのです。
我自己在二十六歲的時候,剛剛接觸到佛法,是老師,我跟老師學哲學,老師跟我講的最後一個單元講佛經哲學。當時我懷疑,我說佛教是宗教、是迷信,它怎麼會有哲學?老師告訴我,他說你年輕,你不懂,釋迦牟尼佛是世界上最偉大的哲學家,佛經哲學是全世界哲學的最高峰,學佛是人生最高的享受,我才慢慢把這個錯誤觀念改正過來,跟他學習。我學習了六十年,完全證明老師給我說的,確實是人生最高的享受。
私自身は二十六歳の時、仏法を学び始めた頃、私は先生に哲学を学んでいたのですが、先生の最後の講義は仏経哲学でした。当時の私は懐疑的で、私は「仏教は宗教です。迷信です。哲学などがあるのですか?」と言いました。先生は私に「君はまだ若いので、理解していない。釈迦牟尼仏は世界で最も偉大な哲学者であり、仏経哲学は全世界の哲学の最高峰であり、仏法を学ぶことは人生最高の享受である。」と仰いました。そうして私は少しずつ誤った観念を改め、先生に学びました。私は六十年学んでいますが、完全に先生の言われたことを証明しています。(仏法は)間違いなく人生最高の享受です。
所以我們正確的認識,佛教不是神道,它不是仙道,它也不是邪道,它是師道,它是老師,它是教育,所以這首先認識清楚。師道一定建立在孝道的基礎上,如果沒有孝道,你就沒有辦法學到東西。所以說中國傳統教育是孝順父母,尊重老師,尊師重道。所以釋迦牟尼佛過世之後,他的學生在四處八方去弘揚、去教學,有些一、二百年就沒有了,有三、四百年沒有的,像印尼是七百年沒有了,阿富汗也是大概七百年的時候就沒有了,唯獨在中國一直綿延到現在。這個原因是中國自古以來最講究的就是孝道,孝道是它的基礎。所以佛教在中國能夠壯、開花、結果、發揚光大,成就超過印度本土,道理在此地。
私たちは正しく知っておかなければなりません。仏教は神道ではなく、仙道でもありません。邪道でもありません。それは師道(師に仕えて学ぶ道)であり、教育です。このことはまず明らかにしなければなりません。師道は必ず孝道(父母に仕える孝行の道)の基礎の上に築きます。もし孝道がなければ、あなたは何も学ぶことはできないでしょう。中国の伝統教育は、父母に孝行し、先生を尊重し、師を尊んで道を重んじることです。釈迦牟尼仏が亡くなられた後、彼の学生は各地に赴いて布教をし、教学を行いました。ある所では百年、二百年で無くなり、ある所では三、四百年で無くなりました。インドネシアでは七百年で無くなり、アフガニスタンでもおよそ七百年経って無くなりました。唯一中国ではずっと長く続いて現在に至っています。この原因は中国では古来より最も孝道が重んじられているからです。孝道が基礎になっています。ですから仏教は中国で育ち、花開き、実を結び、いっそう光彩を放ちました。インド本土を超えて成就した、その道理はここにあります。
佛教裡面完全講事實真相,決定沒有迷信,決定沒有說想像的。六道輪迴這個事情不是佛說的,是婆羅門教說的,婆羅門教比釋迦牟尼佛早一萬年,婆羅門講的,釋迦牟尼佛把它證明了,真有六道,不是假的。六道證明的事情並不很困難,因為它不需要很深的禪定,有一點小小的禪定就能夠溝通,你就能夠看到。所以通常修定大概三年到五年的時候這個問題就能解決,他就可以跟六道不同的地方能夠交流,能夠接觸到。所以它不是假的事情。佛經裡面講四禪八定,四禪八定是婆羅門教的。所以佛統統都把它用上了,因為釋迦牟尼佛求學的時代,最初是學婆羅門,所以婆羅門的知識,那種禪定的方法,他統統都學會。以後因為要解決問題,婆羅門確確實實很難得,對六道裡面知道得太清楚了。可是有個問題,六道怎麼來的?為什麼會有六道?六道以外還有沒有世界?這些當時宗教不能解答,哲學也不能解答,所以釋迦牟尼佛不得不放棄,入更深的禪定,才把這個問題解決了。這個問題解決之後他就開始教學,就教了一輩子。
仏教は完全に事実の真相を説いているのであって、決して迷信ではありません。決して想像したものを説いているのではありません。六道輪廻については仏陀が説いたのではなく、バラモン教が説いたものです。バラモン教は釈迦牟尼仏よりも一万年も早くありました。バラモン教で説かれたことを、釈迦牟尼仏は証明しました。本当に六道はあります。偽りではありません。六道を証明するのはそれほど困難なことではありません。なぜならそれほど深い禅定は必要ではなく、ある程度の禅定で通ることができ、見ることができるからです。ですから通常禅定を修めればだいたい三年から五年でこの問題は解決します。その人は六道と他の場所とも交流する事ができ、接触する事ができます。ですからそれは偽りではありません。仏典では「四禅八定」【注】と言いますが、四禅八定はバラモン教が説いたものです。仏陀はすべてを用いました。釈迦牟尼仏は修業時代に、最初に学んだのがバラモン教なので、バラモン教の知識や禅定の方法を知っていたからです。彼はすべて学んでいました。その後問題を解決するのに、バラモン教はとても役に立ち、六道に対して明確に知ることができました。しかしまだ六道はどこから来たのか、なぜ六道があるのか、六道以外にまだ世界があるのか、という問題があります。これらは当時の宗教では解答できず、哲学でも解答できませんでした。ですから釈迦牟尼仏はやむをえずそれを放棄して、更に深い禅定に入り、ようやくこれらの問題を解決したのです。この問題が解決した後で、彼は教学を始め、一生涯教え続けました。
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【注】 四禅八定・・・・仏教の四禅八定は、「色界四禅」と「無色界四定」の総称である。即ち初禅、二禅、三禅、四禅、空無辺処定、識無辺処定、非想・非非想処定のことである。四禅八定は禅定の基礎であり、仏陀が悟り涅槃に達した時、それまでに修めた四禅八定の技量がその助けとなっている。
参考(中文):http://www.rushiwowen.org/category-02-1-008.jsp
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佛教從教育變成宗教,變成宗教、變成迷信,這個歷史不長,在中國大概是三百年,嘉慶以後的事情。在日本也不過是三、四百年的樣子,四百年前日本的佛教是教學,不是像現在這個樣子。所以現在大家把經典當作一種念誦,而不去研究它,這是很大的錯誤。你不研究,不了解它的時候,你根本就不懂得佛教我們什麼,佛對我們有什麼好處,就不知道。所以經典一定要去研究,要把它了解,然後去學習,我們自己用在日常生活當中,把經典裡面所講的道理變成我們的思想,它講的規則變成我們的生活行為,變成我們用在工作上、用在處事待人接物上,那我們就過佛菩薩的生活,這個生活就是人生最高的享受。
仏教は教育から宗教に変わり、宗教に変わると迷信に変わりました。この歴史は長くはありません。中国ではおよそ三百年、嘉慶(注4)以降の事です。日本でも三、四百年というところでしょう。四百年前の日本の仏教は教学でした。現在のようではありません。今では誰もが経典を読経するものとしていて、研究していません。これは大きな間違いです。研究せず、理解していなければ、あなたは仏陀が何を教えているのか、どのような良い所があるのかを理解できません。経典は必ず研究して、理解しなければなりません。そして私たち自身の日常生活で用い、仏典に説かれている道理を私たちの思想に変え、仏陀が説かれた規則を私たちの生活や行為に変えて、仕事や人に接する際に応用することです。それなら私たちは仏や菩薩の生活を送っているのであり、その生活は正に人生最高の享受です。
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【注】 嘉慶(かけい)[1760-1820年]・・・・清朝第7代皇帝・嘉慶帝のこと。在位:1796年2月9日~1820年9月2日。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%89%E6%85%B6%E5%B8%9D
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所以我是有一年在美國,在美國邁阿密,本來那一邊同修邀請我去講《地藏經》大意,一共安排了八天時間。我一進講堂,看到裡面大概有一半是美國人,當地的美國人,我看到這種情形,我臨時把題目改了,我說我不講《地藏經》大意,講認識佛教,跟美國人講認識佛教。以後這次的講演就寫成一本書本,編成書本,《認識佛教》流通。這是日文翻譯的本子,這在邁阿密講的,就把佛教講得很清楚。所以佛教不是迷信、不是宗教,它是教育,我們應該好好學習。不要把佛看成,佛不是神,佛也不是仙,佛是老師,佛是人,這個很重要很重要。我們跟他學會學到很多智慧,學到很多常識,對於我們的生活,對於我們的修養,對於我們的事業,都會有很大的幫助。
私はある年アメリカのマイアミで、本来『地蔵経』の大意について講義をするよう要請されていました。合わせて八時間の予定でした。しかし私が講堂に入ると、ほぼ半数がアメリカ人でした。現地のアメリカ人です。私はそれを見て、臨時で題目を変更しました。『地蔵経』大意の講義はやめて、アメリカ人に「仏教を知る」というテーマで講義をしました。その時の講演は一冊の本にまとめて、『認識仏教』(仏教を知る)として流通させています。これは日本語の翻訳版です。これはマイアミで講演したもので、仏教について詳しく話したものです。仏教は迷信ではなく、宗教でもなく、教育です。私たちは大いに学習すべきです。佛陀は神ではありません、仙人ではありません。仏陀は教師であり、人間です。これはとても重要な事です。私たちは彼に学べば多くの智慧と常識を学ぶことができ、私たちの生活、修養、事業などにおいて、大きな助けとなることでしょう。
好,我想我就簡單介紹到此地,諸位有問題的時候來提問。歡迎大家提問題。
簡単な紹介はここまでとします。皆さん、問題があれば質問して下さい。皆さんの質問を歓迎いたします。
第一回訂正 2015-04-26
>>>日本の来賓の質問に答える 2/2 につづく・・・
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/76842e0da35ccea81c87bda9a1e2ef1a
【質問】 (通訳者の要約を整理して記述)
先日の東日本大地震や津波によって、私たちは大きな苦しみを感じています。自分たちの心を改めなければならないことは十分認識していますし、努力もしていますが、至る所でこれから更に大きな災害が起こるのではないかと言われています。私たちはどのように向き合えば良いのでしょうか。お教え願います。
【淨空法師】 災難是不善的心行所感來的,所感應的,這是一個很深的道理。近代的科學逐漸發現了,這是一個好事情。佛在三千年前就把這個事情講得很清楚、很明白,宇宙是怎麼起源的?物質現象從哪裡來的?你看三千年前佛就告訴我們,物質是假的不是真的。物質,佛經上講,宇宙的起源第一個是能量,佛家的名詞叫阿耶的業相,是能量,從能量演變為信息,科學講信息,在佛法裡面講精神現象,從精神現象演變變成了物質。所以物質從哪裡來的?物質是心念變現出來的。這個事情最近三十年來,就是一九八0年之後,國的科學家普朗克,愛因斯坦的老師,他專門研究原子,他一生的研究,終於把物質搞清楚了。他說世界上根本沒有物質這個東西,物質是什麼?物質是心念累積產生的幻相。所以他說物質的基礎是念頭,是我們的意念,這個講法跟佛經上講的完全相同。我們能夠了解這個事實真相,就能夠改變地球的物質環境。
災害は不善の心や行為に感応して起こるものです。これはとても奥深い道理です。近代の科学者は少しずつ解明していますが、これはとても良い事です。仏陀は三千年前にこの事を非常に明確に説かれました。宇宙の起源は何か?物質的な現象はどこから来るのか?三千年前に仏陀は私たちに説かれました。物質には実体がなく、真実ではありません。宇宙の起源の第一はエネルギーですが、仏教では阿頼耶識の業相と言います。これがエネルギーです。エネルギーから情報に変わります。科学では情報と言いますが、仏法では精神現象を説いています。精神現象が物質に変化するのです。それでは物質はどこから来るのでしょう?物質とは心の念が変化して現れたものです。このことは最近の三十年来、つまり1980年以降、アインシュタインの先生でもあるドイツの科学者マックス・プランク(Max,Planck/1858-1947年)【注】が、一生かけて研究し、ついに物質について解明しました。彼は世界には根本的に物質は存在しないと言いました。物質とは何でしょう?物質は心の念が蓄積して生まれた幻相です。ですから彼は物質の基礎は意思であると言います。私たちの意思です。この考え方は仏典と完全に一致しています。私たちはこの事実の真相を理解すれば、地球の物質的な環境を変えることができます。
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【注】 マックス・プランク・・・・マックス・カール・エルンスト・ルートヴィヒ・プランク(Max Karl Ernst Ludwig Planck/1858年 - 1947年)。ドイツの物理学者で量子論創始者の一人。1918年ノーベル物理学賞を受賞。
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所以物質環境是從我們念頭,我們念頭善,環境就善,念頭不善,環境就壞了。佛經,這都是三千年前說的。佛經說我們的災難,水災怎麼來的?貪心來的,人貪婪就感應水災;人瞋恚,瞋恚就感應火災,火山爆發,地球溫度上升,這是瞋恚;愚痴感應的是風災;傲慢感應的是地震;懷疑最麻煩,懷疑感應的是我們的大地鬆了,不堅固了,山會倒下來,地會沉到海底,那是什麼?懷疑。你看現在人,對自己懷疑,對父母懷疑,夫妻兩個互相懷疑,都沒有信心,這個很糟糕。對祖宗懷疑,對聖賢懷疑,對倫理道懷疑,這個麻煩大了。這就造成今天山會崩,地會沉下去,統統是心理上的事情。
物質的な環境は私たちの意思に従います。私たちの意思が善であれば、環境も善くなり、意思が不善であれば、環境は壊れます。仏典では、すべて三千年前に説かれたことです。仏典は私たちの災害について説いています。水害はどのように来るのでしょうか?貪りの心から来るのです。人が貪欲であれば水害に感応します。人の怒りの心は火災や、火山の爆発、地球の温度上昇に感応します。これらは怒りの心です。愚かな心は風災に感応します。傲慢な心は地震に感応します。疑いの心は最も面倒なもので、疑いの心は大地を緩め、堅固でなくしてしまいます。山は崩れ、地面が陥没して海底に沈みます。それは懐疑の心です。今の人は自分に対して疑い、両親を疑い、夫婦でもお互いに疑って、信じていません。これは大変良くありません。祖先を疑い、聖賢を疑い、倫理道徳を疑っています。これは大きな問題です。これが今日の山崩れや、地盤沈下を起こしています。すべては心理上の事なのです。
所以今天這個世間崇尚於在物質上的研究(物理上的研究),沒有重視心理,而不知道心理能夠改變物理,物理能發生問題,不能解決問題,所以今天根本的原因在此地。如果我們回過頭來著重在心理上解決它的問題的話,問題並不難解決。所以東京江本勝博士搞的水實驗,我到他的實驗室參觀兩次,我告訴他,你的貢獻很大。說明什麼?我們的意念礦物知道,水是礦物,它能看,它能聽,它懂得人的意思,都實驗證明出來了。不但水懂得,泥沙也懂得,石頭也懂得,所有物質現象都懂得。如果我們人心純善純淨,這個大地的物質所有災難都沒有了,真的能解決。
今日この世間では物質的な研究(物理的な研究)を尊びますが、心理を重んじません。心理が物理を変えることを知らないので、物理に問題が起きても、問題は解決できません。今日の根本的な問題はここにあります。もし私たちが改心して心理的な問題を解決するなら、問題を解決するのは難しくはありません。東京の江本勝博士【注】は水の実験を行っています。私は彼の実験室を二回見学したことがあります。私は、「あなたの貢献は非常に大きい」と彼に言いました。何を証明したのでしょう?鉱物は私たちの意思を理解しているということです。水は鉱物ですが、水は見ることができ、聴くことができ、人の意思を理解する事ができます。これらをすべて証明したのです。水だけでなく、泥や砂も理解できますし、石も理解できます。あらゆる物質はすべて理解できるのです。もし私たち人間の心がこの上なく清らかで純善であれば、この大地におけるあらゆる物質的な災害はなくなり、真に解決する事ができます。
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【注】 江本勝(えもとまさる)・・・・水や波動の研究者。特にその著書『水からの伝言』は世界的に注目されている。水の結晶を取り出す実験について、浄空法師は説法の中で頻繁に語っている。
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所以江本我是鼓勵他,他原來不敢接觸宗教,他說怕人家說他是迷信,他是科學家,怕人家講他迷信。接觸我之後,我告訴他,你所實驗的東西,佛經三千年前統統講到了,你實驗的才只一個角落,還沒有實驗得圓滿。我鼓勵他多做實驗,把物質,這個物質不但它會聽、會看,會懂得人的意思,而且它的反應有色聲香味,他現在只看到色,聲香味沒有看到,我說你要好好努力去研究。這個研究出來之後,對於整個科學界裡頭會有很大的貢獻。
ですから私は江本博士を激励しました。彼はもともと人から迷信だと言われるのを気にして、宗教と接触することを心配していました。彼は科学者ですから、人から迷信だと言われたくはありません。私と交流した後、私は彼に言いました。あなたが実験していることは、仏典において三千年前にすべて説かれています。あなたが実験したのはほんの一角に過ぎず、まだ実験は円満ではありません。私は彼にたくさん実験するよう激励しました。物質は聴くだけでなく、見ることができ、人の意思を理解し、その上、「色」(しき)・「声」(しょう)・「香」(こう)・「味」(み)の反応があります。彼はまだ「色」を見ただけで、「声」「香」「味」は見えていません。しっかり努力・研究して下さいと彼に言いました。この研究の成果が出れば、全科学界における大きな貢献となるでしょう。
【質問】 (音声より要約)
(中国の方からの質問)私は背中にいつも何かがついているような気がします。しかしお経を唱えると少し楽になります。私には誓ったことがあります。日本と中国の、両国の戦争のために亡くなった人の為に、皆往生できるように願うこと、その誓いをしました。そのような誓いによって、私の背中に何かついているのではないかと思います。私の努力で日本と中国がもっと仲良くなれば良いと思います。また世界平和に貢献できれば一番嬉しいことです。しかし、どうすれば背中についているものを消せるのか、その方法をお教え下さい。
【淨空法師】 這個提問非常之好,真正是佛法講的,我們覺悟了,我們明白了。中國跟日本是兄弟之國,交往,在中國歷史記載,二千五百年。中國傳統的文化日本保存的非常完整。我們年輕的時候讀中國古書,很多地方都不明白,到日本來之後完全看到了。日本的風俗習慣,你們的飲食、服裝,全是中國的,乃至於房屋的建設、榻榻米,我們讀古書的時候,一看,到日本來就好像回到中國古代一樣,特別的親切。你們現在穿的和服,和服叫吳服,是春秋戰國時代,現在江蘇這個地方,那個時候是吳國。所以你們從那裡引進,一直到今天還能夠保持住,沒有改變。不像中國,中國老早就忘記掉了,都變了,都沒有了,可是到日本來統統能看到。所以我第一次到日本來非常親切,就好像回到古代,回到故鄉一樣。
これは素晴らしい質問です。本当に仏法は、悟りに至る道を説いています。中国と日本は兄弟の国です。両国の交流は、中国の記載では、二千五百年とあります。中国伝統の文化は日本で非常によく保存されています。私たちは若い頃、中国の古書を読みましたが、理解できない所がたくさんありました。しかし日本に来てから、すべて理解できました。日本の風俗習慣、あなた方の飲食、服装、これはすべて昔の中国のものです。特に家屋建築、畳などは、まるで中国の古代に帰ったかのように感じて、とても親しみを覚えました。あなた方の着ている和服は、呉服と言いますが、春秋戦国時代(B.C770―B.C221年)、今の江蘇省の地域は、その当時呉国と言いました。ですからあなた方はそこから伝わったものを、今日でも変えることなく保存し続けているのです。中国は違います。中国では当の昔に忘れてしまいました。すべて変ってしまい、無くなってしまいました。しかし日本に来て、すべて見ることができました。ですから私は初めて日本に来た時、とても親しみを覚えました。まるで古代に帰ったかのようで、故郷に帰ったかのようでした。
所以兄弟之國,兄弟和,和睦,不但我們家會興旺,日本會興旺,中國會興旺,也會帶給全世界的安定和平,會帶給全世界的興旺跟幸福,我們要認真努力。怎麼做法?一定把老祖宗的東西找回來,不能忘掉老祖宗。科學是假的,不是真的,帶給我們的是災難、是痛苦。所以你說原子彈這些東西中國人會不會發明?會。為什麼不幹?這個東西不是好東西。所以中國科技它有限制,倫理道在限制它。如果這個科學技術會有大的殺傷力,中國人決定不做。所以在王莽時代,這二千多年前,他們就學習滑翔飛行,這都是科技。諸葛亮發明的木牛流馬,機械化的運輸,你看他們死了之後把這個全部毀掉,不留給後世。他不是小氣,不是好像是把自己的東西不願意傳給人家,不是的。他是這個東西,沒有道、沒有倫理他要得到了,他會害人,有道、有倫理他得到這個東西,他有用處。所以倫理道一定要超過科學技術,科學才被人用在好的地方。如果倫理道淪落了,科學技術,那科學就會把人類滅掉,會毀滅掉世界,所以它不是個好東西。中國人自古以來不願意向這個方向發展,所以他總是講倫理、道、因果、宗教的教育。宗教是最重要的教育,重要的教育,主要的教育,重要的教學,所以他走這個路子,這個是非常理想。
兄弟の国ですから、兄弟が仲良くすれば、家が繁栄するだけでなく、日本も繁栄し、中国も繁栄します。そして全世界に安定と平和をもたらします。全世界に繁栄と幸福をもたらすために、私たちは真摯に努力しなければなりません。どうすれば良いのでしょう?必ずご先祖様が残したものを取り戻すことです。ご先祖様を忘れてはなりません。科学は偽りであって、真実ではありません。私たちに災難と苦しみをもたらしました。原子爆弾のようなものを中国人は発明できるのかといえば、できるでしょう。ではなぜ作らないのでしょうか。それは良くないものだからです。ですから中国の科学技術には制限があります。倫理道徳によって制限しています。もしこの科学技術が大きな殺傷力があるなら、中国人は決して作りません。ですから王莽(おうもう)【注】の時代、これは二千年も前のことですが、彼は滑空飛行を学んでいました。これは科学技術です。諸葛亮孔明が発明した木牛流馬は、機械化した運輸方法ですが、彼らは死んだあとすべて壊してしまって、後世に残しませんでした。彼らの心が狭いのではありません。自分のものを人に伝えたくなかったのではありません。これらの物は、道徳や倫理を持たない者が手にすれば、人を害するからです。道徳や倫理を持った人であれば、役立てることができるでしょう。ですから倫理道徳は必ず科学技術を超えていなければなりません。それでこそ、科学を良い所に役立てることができるのです。もし倫理道徳が廃れれば、科学技術は人類を破滅させ、世界を破滅させるでしょう。ですから良いものではなくなります。中国は昔からこの方向に発展することを望みません。常に倫理、道徳、因果、宗教の教育を重んじてきました。宗教は最も重要な教育です。主要な教育です。重要な教学です。ですからこのような道を進むなら、それはとても理想的だと言えます。
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【注】 王莽(おうもう/B.C45―B.C23年)・・・・前漢末の政治家。新朝の創建者。在位は西暦9~23年。
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我們今天希望中國跟日本,我們也非常希望日本天皇能夠帶頭。因為從前這種教育,佛陀的教育是皇上主管的,不是給宰相的,不是總理管的,是皇上管的,中國一直都是皇上管的。所以日本天皇能夠開這個風氣的話,那就救了全世界。救全世界,日本當然會起來,日本不起來,全世界就不得救了。所以一定是有這麼大的心量,這樣的宏觀。中國跟日本聯合起來,這是一個主流的文化,也是湯恩比博士所讚歎的,認為走這條路是人類幸福圓滿的一條道路。
私たちは今日、中国と日本に期待しています。私たちは日本の天皇陛下が先頭に立つことを期待しています。なぜなら昔のこのような教育、仏陀の教育は皇帝が管轄していました。宰相ではありません。総理が管轄したのではなく、皇帝が管轄したのです。中国ではずっと皇帝が管轄していました。日本の天皇陛下がこのような道を開かれれば、全世界を救うことができるでしょう。全世界を救えば、日本は当然復興するでしょう。日本が復興しなければ、全世界は救われません。必ずこのような広い心を持ち、大きな視野を持たなければなりません。中国と日本が協力すれば、これは一つの主流の文化となるでしょう。トインビー博士【注】も讃嘆したように、この道を歩むことは、人類にとって幸福で円満な道なのです。
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【注】 アーノルド・ジョセフ・トインビー(Arnold Joseph Toynbee)[1889—1975]・・・・英国の歴史家・文明批評家。歴史の基礎を文明におき、文明の消長の一般法則を体系づけ、独自の歴史観を展開した。著書に『歴史の研究』、『試練に立つ文明』などがある。トインビー氏は「21世紀の人類社会を救うのは、中国の儒教思想と大乗仏教しかない」との見解を示している。
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我們很盼望將來有機會能跟天皇見面,能建議他領導,把中國傳統的文化,儒釋道,加上日本的神道教這種教育,發揚光大,救國家,救亞洲,救全世界。這裡面最重要的,希望世界上永遠沒有戰爭。
私たちは将来機会があれば、天皇陛下とお会いすることを切に希望しております。そして中国の伝統文化である儒教・仏教・道教に、日本の神道を加えて、このような教育を大いに広めることをご提案申し上げたいのです。そうすれば国家を救い、アジアを救い、全世界を救うことができます。ここで最も大切な願いは、世界に永遠に戦争をなくすことです。
【淨空法師】 還有沒有問題?
他に質問はありませんか?
【質問】 (音声より要約)
(中国の方からの質問)日本はどうすれば今の危機を乗り越えることができますか?また、どうすれば伝統教育を復興することが可能でしょうか?
【浄空法師】 這是一個非常重要的問題,日本如何將危機化為轉機,而轉出一個生機,如何恢復傳統文化?這樁事情我在最近十年都在做,因為有個機會參與聯合國的世界和平的一個活動,是聯合國教科文組織主導的。曾經有兩次會議在岡山開的,我都參加了,所以我對岡山就很熟悉,兩次到這邊來參加聯合國的會議。與會的人員都是各國的專家學者,我接觸的很多,大家對這個事情非常關心,可是沒有有效的方法來做。我們將中國傳統幾千年,這麼大的國家,這麼大的一個族群,能夠長治久安,外國人很敬佩,在中國這個國家統一二千多年,沒有分裂。把這些智慧,古人治理國家的智慧、方法、經驗、效果,做出詳細報告,大家聽了都很歡喜。最後我們會後在一起吃飯聊天談起來,他說:法師,你講得很好,這些都是理想,做不到。這句話真是涼水澆頭,對我的打擊很大,沒有信心,沒有信心什麼事都不能成功。現在的人他就是要證據,沒有證據他不相信,所以逼著我想做一個實驗給他們大家看看。
これは非常に重要な問題です。日本は如何にして危機を転じ、生きる希望を見い出せるのか。如何にして伝統文化を復興するのでしょうか?私はこの問題に十年間取り組んでおります。それは国連の世界平和の活動に参加する機会があったからです。ユネスコ(UNESCO/国連教育科学文化機関)が主宰しているものです。かつて岡山で二度会議が開かれましたが、私はどちらも参加しました。ですから岡山はよく知っています。二回ここに来て国連の会議に参加したのです。参加者はすべて各国の専門の学者で、私はたくさん交流しました。誰もがこの事に対してとても関心を持っていましたが、効果的な方法を行うことができていません。私たち中国の伝統は数千年あり、これほど大きな国で、これほど多様な民族が、長く平和を保っているのには、外国人は畏敬の念を持ちます。中国という国は統一して二千年以上の間、分裂していません。このような智慧、つまり古人が国を治めた智慧、方法、経験、効果を、詳しくご報告申し上げました。皆さんそれを聴いて喜ばれました。最後に私たちは会議の後で一緒に食事をして、話をしました。ある人は、「法師、あなたの話は素晴らしいです。しかしそれは理想であって、実行することはできないでしょう。」この言葉には冷や水を浴びせられました。私はとてもショックを受けました。誰も自信がないのです。自信がなければ何をしてもうまくいきません。現代人には証明が必要です。証明しなければ信じないからです。ですから私は実験をして皆さんに見せなければならなくなりました。
我在新加坡、在馬來西亞、在印尼,乃至於在美國,都找不到適當的地方。最後二00五年我回到老家去看看,七十年,離開家鄉七十年了,回去,家鄉還有一些族人,族兄弟們。見面之後,我就把最近這些年來,在國際上做的這些事情,向大家報告。他們很熱心,他說回家來做吧!我說好,家人支持。所以就在湯池小鎮做了個實驗,沒有想到這個實驗是意外的成功。中國丟掉傳統文化至少一、二百年,所以我想我們要能夠做出成績,恢復應該也得要二、三年的時間。沒有想到不到四個月,這個小鎮,湯池小鎮,居民四萬八千人,統統轉變過來。讓我們感到非常驚訝,證明了中國古人所講的「人之初,性本善」,證明了人是教得好的。佛教人第一個理念就是「一切眾生本來是佛」,你要肯定這一句,我本來是佛,我才能成佛,我本來不是佛,我怎麼成得了佛。所以東方古人教學第一個就是把教學的目標告訴你,人人都是聖人,人真是教得好的。我們無量的歡喜,老師個個都非常踴躍。
私はシンガポール、マレーシア、インドネシア、アメリカを探しましたが、どこにも実験に適した場所は見つかりませんでした。最後は2005年に私は故郷に帰って見ました。家を離れて七十年間、帰ってみると、郷里にはまだ親族の兄弟たちがいました。彼らと会った後、私はここ数年の国連の活動について皆に報告しました。彼らはとても熱心で、「それなら帰ってきてやれば良いでしょう!」と言ってくれました。私は親族の支持を得て、承諾しました。湯池という小さな町で実験を行いました。思いがけず、この実験は意外にも成功しました。中国は伝統文化を失って少なくとも百年、二百年になります。ですから私は成果を上げようとするなら、復興には少なくとも二、三年はかかるだろうと考えていました。思いがけずも、湯池という小さな町は、住民四万八千人がことごとく変わりました。そのことは私たちを驚かせましたし、中国の古人が説いた「人之初,性本善」(人は生まれつき、その本性は善である)という事や、人は教えれば良くなるという事が証明されたのです。仏教徒の第一の理念は「一切衆生本来是仏」であり、あなたはこの言葉を肯定しなければなりません。私は本来仏だからこそ、成仏できるのであって、私が本来仏でないなら、どうして仏になることができるでしょうか。東洋の古人は教学の第一としたのは、教学の目標を告げることです。人は誰もが聖人であり、人は本当に教えれば良くなるのだと教えます。私たちは計り知れない喜びを感じましたし、先生方は皆が躍り上がって喜びました。
然後想到,怎麼樣到聯合國去發表?這個是個頭大的事情。所以祖宗加持,祖宗之,聯合國來找我,這就好辦,我找它可不好辦,它來找我。找我,這次找我很特殊,參加主辦一個活動,就是「紀念釋迦牟尼佛二千五百五十週年」,主題是「佛教徒對人類的貢獻」。我當時收到聯合國這個通知我感到很驚訝,因為聯合國找辦活動的人是找會員國,我又不是會員國,我在澳洲只是很小的一個淨宗學院,它怎麼會來找我?所以我就派了三個人到巴黎去調查一下是真的還是假的,結果一調查,是真的。它們找到泰國,泰國是佛教國家,所以佛教活動它找泰國,泰國大使推薦我,希望我參加主辦這個活動。我第一次參加聯合國的和平會議是在曼谷大學,那一次活動我認識了泰國的總理查瓦利將軍,他對我非常之好。所以跟泰國結的緣就很深,時間不長,結緣很深。所以泰國推薦,我就答應參加這個活動。
それから考えました。どうやってこれを国連で発表すれば良いのでしょう?これは大きな問題でした。するとご先祖様のご加護と、ご先祖様の徳によって、国連の方から私に連絡を取ってきました。私から連絡するのは難しいですが、向こうから来たのです。私に連絡して来たのは特殊な事情で、釈迦牟尼仏二千五百五十周年を記念する活動に参加して欲しいという事でした。テーマは「仏教徒の人類に対する貢献」です。私は当時国連からの通知を受け取って、とても驚きました。なぜなら国連がイベントの参加者を募集するは加盟国であって、私はオーストラリアの小さな浄宗学会に過ぎません。国連はなぜ私に連絡したのでしょうか?そこで私は三人をパリに派遣して、真相を確かめに行かせました。その結果、それは本当でした。国連はタイと連絡していました。タイは仏教国家ですから、仏教のイベントに国連はタイと連絡を取りました。そしてタイの大使が私を推薦して下さったのです。国連は私にこのイベントを主催して欲しいと要請しました。私が初めて国連の平和会議に参加したのはバンコク大学でした。私はそのイベントでタイのチャワリット首相【注】と知り合いました。彼は私に良い印象を持ったようです。ですからタイとは深い縁を結ぶことになりました。時間は長くはありませんが、深い縁を結んだのです。それでタイは私を推薦したのです。私はそのイベントに参加することに応じました。
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【注】 チャワリット首相・・・・チャワリット・ヨンチャイユット(General Chavalit Yongchaiyudh/1932年~)タイの軍人、政治家。1996年12月1日~1997年11月9日、タイの首相を務めた。
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我們做了八個小時的報告,做了四天的展覽,效果非常好。會後聯合國教科文組織一百九十二個國家大使代表都要到湯池去參觀、去考察,所以這個做成功了。很可惜當時地方政府不了解實際狀況,他們拒絕了。雖拒絕,還有二、三十個大使用自己私人觀光旅遊的身分到那裡去住了幾天。所以這個信息還是傳到聯合國去了。所以可以做。所以我到岡山,想到岡山,我就想如果在岡山做,會比我在家鄉做得更成功。為什麼?這個地方的人純樸,我到岡山來我感到奇怪,這個地方的人忠厚老成,沒有貪心,你看距離大阪很近,他們都不願意去,就守在這個地方。家家都有積蓄,沒有貪心,生活簡樸。所以這個是最理想的一個好環境。如果用這個地方做實驗的一個地區,實驗成功,全世界的人都到這裡來參觀。你看聯合國搞和平運動的這些人,這個地方有例子,你不相信,到這兒來看。我們就是落實四個根,這四個根就是儒家的《弟子規》、道家的《感應篇》、佛家的《十善業道》,在日本加上日本傳統的宗教神道教這種教誨,這四個根只要紮上去之後,會給全世界帶來永久和平的好榜樣。所以這個事情,如果說是天皇來帶動的時候,天皇救了世界,這個功太大了,日本所有的災難都化解了。
私は八時間の報告を行い、四日間の展示を行いました。とても成果が上がりました。会議の後でユネスコ192か国の大使・代表は皆、湯池への視察を希望しました。ですからこれは成功と言えるでしょう。残念だったのは当時地方政府が実際の状況を理解せず、彼らを拒絶したことです。それでも、2、30人の大使は個人観光の身分でそこで数日過ごしました。ですからこの情報は国連に伝わったことでしょう。ですから、やればできるのです。私はもし岡山で実験できれば、私の故郷よりも、もっとうまくいくのではないかと思います。なぜでしょう?この土地の人は純朴だからです。私は岡山に来て不思議な感じを受けました。この地方の人は情に厚く、温和で、貪欲な心がありません。大阪から距離的に近いのに、彼らは行こうとせず、この地域を守っています。家には貯蓄があり、貪欲な心がなく、暮らしぶりはつましいものです。ここは最も理想的な環境です。もしこの地方で実験地区を作り、実験に成功すれば、全世界の人はここに視察に来るでしょう。国連の平和活動をしている人々は、ここに事例があるなら、来て見ればよいのです。私たちは四つの根を実行します。四つの根とは、儒教の『弟子規』、道教の『感応篇』、仏教の『十善業道』、日本ではさらに日本伝統の神道の教えを加えます。この四つの根の基礎を築けば、全世界に永久の平和の素晴らしい見本を示すことができるでしょう。
この事は、もし天皇陛下が主導的な役割を果たされれば、天皇陛下は世界を救うことになり、その功徳は計り知れないものがあります。日本のあらゆる災難はすべて解消されるでしょう。
【質問】 (音声を要約)
(中国の方からの質問)どうすれば伝統文化を復興する事ができるのでしょうか。具体的な方法をお教え下さい。
【浄空法師】 這個工作最重要的是由於國家的領導,如果真的朝這個方向目標去做,首先要培養老師。這是普世的教育,不是一種特殊,普遍的教育,所以老師程度不要很高,要熱心,要真正有愛心,要能做出犧牲奉獻。老師需要的,幼稚園的老師,幼兒園老師、小學老師,頂多初中,就夠了,我們在湯池實驗,師資水平就到這個地方,不要往上面去。他年輕,他能真正做到像《弟子規》、《感應篇》、《十善業》,這不是念的,不是講的,不是背的,是要做到。老師自己做到才能教人,自己做不到教人不會成功。所以當年培訓這些老師,第一天開課我就告訴這些老師們,我說在全世界古今中外教學最成功的,釋迦牟尼佛,你看他的教學多好,教得成功。孔子教學成功,他為什麼會成功?教得那麼好?他先做到,他沒有做到他不說,我自己做到了我才說。我說你們要學釋迦牟尼、要學孔子,一定先做到,沒有做到不可以教。我給他四個月的時間,教他們落實《弟子規》、《感應篇》、《十善業》。
この仕事で最も重要なのは、国の指導者です。もし本当にこの方向の目標に向かうのであれば、まず先に教師を養成しなければなりません。これは普通の世の中の教育です。特殊な教育ではなく、普遍的な教育です。教師の水準はそれほど高くなくて良いのです。熱心で、本当に愛する心があり、犠牲的な貢献ができなければなりません。教師で必要なのは、幼稚園の教師、小学校の教師、中学校の教師までで良いのです。私たちの湯池の実験では、教師の資質の水準はその辺りでした。高くしてはなりません。教師は若いですから、本当に『弟子規』、『感応篇』、『十善業道』を実行できます。これらは読むものでも、暗記するものでもなく、実行するものです。教師は自分でできて始めて人に教えることができます。自分でできないようなら、人に教えてもうまくいかないでしょう。当時教師を養成した時、初日の授業で私は教師たちに言いました。全世界、古今東西の教学で最も成功したのは釈迦牟尼仏です。彼の教育は成功しました。孔子の教学も成功しましたが、彼はなぜ成功したのでしょうか?なぜうまく教えることができたのでしょうか?彼は先に実行できるようになり、実行できない事は語りませんでした。自分で実行できてから語るのです。私はあなた方に釈迦牟尼仏や孔子に学ぶように言いますが、必ず先に実行します。できないことは教えてはなりません。私は教師たちに四か月の時間を与えました。彼らに『弟子規』、『感応篇』、『十善業道』を実行させました。
這老師很難得,我真是衷心感激他們,他們兩個月就做到了。做到之後打電話告訴我怎麼辦?我說做到之後我們馬上下鄉入戶,就是到農民家裡面去。去做什麼?把我們所學到的東西做出來給他看,農民家裡的老人就像我們自己父母,我現在回家,我怎樣照顧父母,怎樣孝敬父母,統統做出來,老人馬上就感動了。他感動,他對於兒女沒教好。感動他家的小孩,他家的小孩看到的時候,這個老師在他們家的服務,對他們父母的照顧,感動,覺得自己對不起父母,沒有盡到孝心。這樣我們做了三個星期,然後告訴大家我們中心開課,希望大家都來學,統統都來了,不要去招生,自然就來了。所以沒有想到,三、四個月整個小鎮起了變化,人有羞恥心,不願意做壞事,做壞事覺得難為情。所以這個良心發現的時候,社會風氣就轉了。
これらの素晴らしい教師たちに、私は心から感謝しました。彼らは二ヶ月でできるようになったのです。そしてその後、どうすれば良いかを私に電話して尋ねました。私は、できるようになったら農家に行きなさい、と言いました。行って何をするのでしょう?学んだ事を実際にやって見せるのです。農家のお年寄りに自分の両親と同じように接して、家に帰ったら、どのように両親のお世話をするのか、どのように親孝行するのか、すべて実行して見せました。お年寄りたちは感動しました。お年寄りは感動して、自分は子供たちにしっかり教えなかったと感じ、その子供たちはそれを見て、教師たちが家で奉仕する姿を見て感動し、自分は両親に対して孝行を尽くさず、申し訳ないと感じます。このように私たちは三週間行いました。その後、皆に教育センターで授業を行うことを告知しました。ほとんど全員が学びに来ました。募集しなくても、自然と集まりました。ですから思いがけず、三、四ヶ月で小さな町全体が変わりました。人に羞恥心が生まれ、悪い事をしようと思わなくなり、悪い事をするのが忍びないと思うようになりました。この良心に気がついた時、社会の気風が良くなったのです。
最明顯的,一個計程車司機,上海一個企業家帶了一個錢包,裡面有七萬現金,還有一些資料,丟在車上,這個司機主動的送還給他。這老闆很驚訝,這個地方還有這麼好的人!他說我們受了傳統教育,沒有受傳統教育可能不會給你,我們聽到傳統教育,我們覺得應該要還給你。那個老闆拿兩萬塊錢送給他,不要,一分錢都不要,他說我們湯池鎮所有計程車司機都跟我一樣,拾到東西決定會還給你,不會收你一分錢。這個老闆很感動。所以是做得很成功。最重要是把老師培訓出來,老師沒有做到叫他去教的話,不會成功,一定要先做到,這是先決條件。所以國家可以辦一個學校,辦個培訓班,專門培訓老師,然後老師多了,每個地方都可以做實驗。一個中心點做成功之後,就可以做第二個、第三個、第四個,將來在日本每個縣都有一個,我相信不到五年就展開了,整個人民、國家都會變了,國運也會變了,要從這裡下手,從培訓老師下手。
最も分かりやすい例としては、あるタクシードライバーが、上海の企業家が車に忘れた現金七万元(約84万円)の入った財布、資料を、自主的に本人に返しに行ったというものです。その企業家は、この地方にはまだこんな良い人がいるのかと、とても驚いたそうです。ドライバーは、「私たちは伝統の教育を受けました。伝統教育を受けていなかったら、きっと返さなかったでしょう。伝統の教育を聴いて、やはり返さなければならないと思ったのです。」と言いました。その企業家は、二万元(約24万円)をあげようとしましたが、一銭も受け取りませんでした。彼は「私たちの湯池では、どのタクシードライバーも私と同じように、物を拾ったら必ず返しに行きますし、一銭も受け取らないでしょう。」と言いました。その企業家はとても感動したそうです。この実験は成功しました。最も重要なのは教師を養成することです。教師が実行できないなら、教えても成功しません。必ず先に実行すること、それが先決です。ですから国が学校を作り、養成チームを作って、専門的に教師を養成すれば、教師が増えて、どの場所でも実験できるようになります。一つの中心となる場所で成功した後、第二、第三、第四と行えば良いのです。将来日本の各県に一つ置く事ができれば、五年もかからずに展開することができ、すべての国民、国家、そして国運も変わるでしょう。まず教師の養成から始めなければなりません。
謝謝大家。今天大家有這麼樣的熱心,希望我們都有行動,將來會做出來。我們很了解,聯合國非常希望看到。日本能做出來太好了。
ありがとうございました。今日は皆さんとても熱心でした。私たちはすべて行動に移して、将来実現することを希望しています。私たちは、国連がとても見たがっていることを知っています。日本で実現できれば素晴らしいことです。
――― 日本の賓客の質問に答える(完) ―――