孝親尊師——恩師 淨空老和尚圓寂兩週年追思展
2024.8.10 香港佛陀教育協會製作 / 編號:65-214 / 共 1 集
非常時代 非常擔當—二Ο一八年英國漢學院開學典禮致辭
非常の時代に、非常の責任を負う――2018年イギリス漢学院始業式の式辞
2018/10/1 英國威爾士三一聖大衛大學蘭彼得校區 檔名: 32-304-0001
イギリス・ウェールズ大学トリニティ・セント・デイビッド(University of Wales Trinity Saint David)
尊敬的瓊斯主席、休斯校長、史密斯院長、諸位嘉賓、諸位老師、諸位同學:大家好!
尊敬するジョーンズ主席、ヒューズ校長、スミス院長、ご来賓各位、諸先生方、学生の皆さま、こんにちは!
今天是二Ο一八年英國漢學院開學典禮,很高興大家在此共聚一堂!
本日は2018年イギリス漢学院の始業式です。皆さまとここで一堂に会することを嬉しく思っております!
我們生活在一個非常的時代,在這個時代裡,無論西方或東方,傳統文化與傳統價值觀都在沒落。這種現象,我們在東方看得很清楚;在西方,我們也聽到蘭彼得的老人家慨嘆說,威爾士傳統的孝親與好禮,在年輕一代的身上已經不容易找到了!而東西方傳統文化蘊含著古聖先賢與老祖宗的修身、齊家、治國、平天下的智慧與經驗,正是現代社會所必需,能夠挽救現在的人心沉淪與社會危機。我們正是為了振興與承傳傳統文化,所以才來舉辦這個漢學院。在威爾士親王的許可與休斯校長的大力支持下,英國漢學院於去年三月順利開課,目前第一屆碩士生已經完成學業。
私たちの生活は非常の時代にあります。この時代において、西洋であとうと東洋であろうと、伝統文化と伝統の価値観はすべて没落しています。この現象は、私たちは東洋においてはっきりと見られます。西洋では、トリニティ・セント・デイビッドのお年寄りが深く感じ入って嘆息したと聞いております。ウェールズ伝統の親孝行と礼節を、若い世代に見つけるのは容易ではないと。東西の伝統文化には古聖先賢とご先祖様の修身(しゅうしん)、斉家(せいか)、治国(ちこく)、平天下(へいてんか)の智慧と経験が含まれています。正に現代社会に必須のものであり、今の人心の零落と社会の危機を救うことができます。私たちは正に伝統文化を継承し振興するために、この漢学院を開きました。ウェールズ公の許可とヒューズ校長の多大なるご支持のもと、イギリス漢学院は昨年の三月に始業し、第一期生の修士課程が修了しました。
漢學院的使命,是培養承傳優秀傳統文化的師資人才,並促進東西方文化交流。東西方的傳統文化,都包含倫理教育、道德教育、因果教育和聖賢智慧的教育。我們必須積極學習,身體力行,從自身做出好榜樣,才能感動他人,為促進社會和諧做出貢獻。
漢学院の使命は、優秀な伝統文化を継承する教師となるべき人材を育成し、東西の文化交流を促進することです。東西の伝統文化には、すべて倫理教育、道徳教育、因果教育と聖賢の智慧の教育が含まれています。私たちは積極的に学習し、自ら体験し、できる限り実行しなければなりません。自分自身が良い手本になってこそ、人を感動させることができ、社会の調和を促進する為に貢献できるのです。
今年七月,我的摯友同時也是漢學院的長老院長周春塘教授不幸離世,這是漢學院與漢學界的重大損失!所幸勝妙法師、成德法師、李越老師與多位教授及老師們,共同承擔起漢學院的重任。相信在他們與諸位同學的共同努力之下,一定能夠完成周院長未竟之志業,將傳統文化振興起來!
今年の七月。私の親友であると同時に漢学院の長老院長の周春塘教授が世を去りました。これは漢学院と漢学界の重大な損失です!幸いにも勝妙法師、成徳法師、李越老師と多くの教授、諸先生方が、漢学院の重責を共に引き受けてくださいました。諸先生方と学生の皆さまの努力のもと、必ずや周院長の未完の志を成し遂げて、伝統文化を振興させることを信じています!
非常的時代,需要非常的擔當!諸位同學的發心與漢學院的宗旨是一致的,都是「為往聖繼絕學,為萬世開太平」。堅持這樣的志願,就能不畏艱難,刻苦求學,勤行精進,將自己的道德與學問充實起來。將來大家都能夠成為優秀的傳統文化教師、和平使者、世界公民,為這個多災多難的世界做出重要的貢獻!
非常の時代には、非常の責任を負う者が必要です!学生に皆さまの発心は漢学院の宗旨と一致しています。すべては「往聖の為に絶学を継ぎ、万世の為に太平を開く」(昔の聖人の為に途絶えた学問を継承し、後世何代も続く世の為に平和を築く) ためです。このような志を堅持してこそ、困難を恐れず、刻苦して学問を探求し、勤行精進して、自分の道徳と学問を充実させることができます。将来皆さんは伝統文化を伝える優秀な教師となり、平和の使者となり、世界の公民となり、この災難の多い世界の為に重要な貢献をすることができるでしょう!
祝福諸位同學,學業順利、道業增上、法喜充滿、前途無量!祝福與會的嘉賓,身心健康、六時吉祥、福慧增長、光壽無量!謝謝大家!
学生の皆さまの、学業順利(学業が順調に進む)、道業増上(仏道修行に力が加わる)、法喜充満(法の喜びに満ち溢れる)、前途無量(洋々たる前途)を祝福致します!ご臨席の皆さまの、身心のご健康、六時吉祥、福慧増長、光寿無量を祝福致します!ありがとうございました!
敬天法祖 以和為貴——「和諧護國繫念法事 孝親報恩祭祖大典」談話 / 天を敬い祖先に習い 和を以て貴しと為す――「和諧護国繫念法事 孝親報恩祭祖大典」における談話
改往修來 洒心易行——二O二O農曆新春開示 / 過去の誤りを改め、未来の浄業を修め、心清らかに念仏する 二〇二〇年旧暦新春の開示
2020/1/24 馬來西亞漢學院 檔名:32-352-0001
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【注】「改往修来 洒心易行」
「改往修来」・・・・中国のネット検索では「改变以往的错误,修治来日的善行。」と解釈が出る。「これまでの誤りを改め、将来の善行を修繕する」という意味。過去を改め未来を修めること。
「洒心易行」・・・・「洒心」の「洒」は「洗」と同義。「洒心」は「洗心」。心を洗い清めること。「易行」は「たやすく行える修行」、念仏を指す。心を洗い清めて念仏すること。
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諸位法師、諸位同學,大家新年好!
法師の皆さま、学生の皆さま、新年明けましておめでとうございます!
過年,我們在《受新歲經》裡面看到釋迦牟尼佛的懺悔,給我們很大的啟示,這是最好的教育。佛自己說:「我今欲受新歲,我無過咎於眾人乎?又不犯身口意耶?」過年,釋迦牟尼佛跟大家講開示,他帶頭反省:第一,我這一年當中處事待人接物有沒有過失?換句話說,有沒有做對不起人的事情?第二,我有沒有犯身口意?就是我有沒有造十惡業:身,殺、盜、淫;口,妄語、兩舌、綺語、惡口;意,貪、瞋、痴,身三、口四、意三,我有沒有犯?新年開示,我們就能體會到釋迦牟尼佛天天都是這樣反省,新年更是特別提醒。那是成了佛,究竟圓滿的果位,尚且要這樣做法,天天檢討、天天反省,何況我們凡夫?我們想想,自己是生死凡夫,不知道反省,不知道改過,我們在六道輪迴是每況愈下的,不會提升,這個要知道。不是向上走,就走下坡路,這多麼危險!前途一團黑漆,還能夠放逸嗎?還能夠懈怠嗎?聽憑無常到來,手忙腳亂,那時候遲了,來不及了。是必須趁我們身體還健康、頭腦還清醒的時候,要認真懺悔,要徹底改過自新。學佛,多少要幾分像佛的樣子,這才是真正聰明人。這是佛過年的時候給我們做的榜樣。
年越しについて、私たちは『受新歳経』の中に釈迦牟尼仏の懺悔を見ることができます。これは私たちに大きな啓示を与えています。これは最も良い教育です。仏はご自身で「私はいま新年を迎えようとしています。私は衆生に対して過失がなかったかどうか。また身口意(しんくい:動作を行う身、言葉を話す口、心を働かせる意念)を犯さなかったかどうか」と仰っています。新年を迎える時に釈迦牟尼仏は皆に開示されています。彼は先頭に立って反省されています。第一に、自分はこの一年で人間関係において過失がなかったどうか。言い換えれば、人に申し訳ない事をしなかったかどうか。第二に、自分は身口意を犯さなかったかどうか。つまり自分は十悪業を作らなかったかどうか。身は殺、盗、淫。口は妄語、両舌、綺語、悪口。意は、貪、瞋、痴。身は三つ、口は四つ、意は三つです。自分は犯していないかどうか。新年の開示として、私たちは釈迦牟尼仏が毎日このように反省されていたことを理解することができます。新年に特に注意喚起しています。仏に成り、究極円満の果位(かい:悟りの位)を得ても、このように毎日自分を点検し、反省されていたのです。まして私たち凡夫はなおさらやらなければならないでしょう。考えてみれば、自分は生死の凡夫であるのに、反省を知らず、過ちを改めることを知りません。私たちは六道輪廻でますます状況が悪くなっていきます。向上することができません。これは知っておかなければなりません。上に向かって進むのでなければ、正に坂道を下っているのです。これはどれほど危険なことでしょうか!前途は真っ暗闇です。どうして放逸にしていられるでしょうか?怠けていられるでしょうか?無常が来るのに任せて、大忙しで取り乱していては、その時が来てからでは遅いのです。間に合いません。私たちの体が健康で、頭が冴えている時に、真剣に懺悔して、徹底的に心を入れかえなければなりません。仏に学んで、いくらか少しでも仏のようになること。これこそが本当に賢い人です。これは新年を迎える時に仏が私たちに示されたお手本です。
我記得有一年過年,李老師在蓮社為大家講開示,一開端就說:過年大家都喜氣洋洋,見面第一句話就是恭喜恭喜你,細細想來,有何可喜?壽命少了一年,業障增加了不少,嚴格的講是悲哀,哪有什麼可喜的!世間人顛倒,把可悲的事情當可喜,真正可喜的事情早忘得乾乾淨淨。如果我們世情一年比一年淡薄,道念一年比一年濃厚,那是可喜!還在搞名聞利養、五欲六塵,把這句佛號不當作一回事情,那有什麼可喜的?
私はある年の年越しを覚えています。李老師は蓮社で皆に開示をされ、はじめからこのような話をされました。新年を迎えて皆が喜びにあふれています。会ってひと言目には「おめでとうございます」と言います。よく考えてみれば何か喜ぶことがあるのでしょうか?寿命は一年少なくなり、業障は少なからず増えています。厳格に言えば悲しみです。どこに喜ばしいことがあるのでしょうか!悲しむべき事を喜んで、本当に喜ぶべき事をきれいさっぱり忘れています。私たちの世情が年々薄くなれば、道念(どうねん:仏の道を求める心)は年々深まります。それは喜ばしい事です!相変わらず名聞利養、五欲六塵にとらわれて、この仏号(ぶつごう:南無阿弥陀仏)を大切に思わない。それで何か喜ばしい事があるのでしょうか?
要生極樂世界,要學阿彌陀佛。阿彌陀佛在哪裡?《無量壽經》就是阿彌陀佛,你每一天讀誦,每一天學習,沒有離開阿彌陀佛。無論在什麼時候,無論在什麼處所,都不離開阿彌陀佛,這叫真念佛。要把經典裡面的道理變成自己的思想見解,把這裡面的教訓變成自己的生活行為,使自己跟經完全相應。經典跟自己的思想、見解、行為融會成一體,叫契入彌陀境界。你能夠契入彌陀境界,不必完全,能夠契入少分,往生就有把握。如果我們起心動念、言語造作跟經上講的相違背,那你天天念誦也沒用處,你不能往生。所以經教不是念的,經教是教我們要實行的。《無量壽經》教我們要做的,我們認真努力去做;教我們不可以做的,我們不但不能做,念頭都不能起。佛菩薩如何保佑我們?經典裡頭的教訓是保佑我們,我們能夠依教奉行,種善因得善果,這是保佑。
極楽世界に生まれ、阿弥陀仏に学ばなければなりません。阿弥陀仏はどこにいるのでしょうか?『無量寿経』こそが阿弥陀仏です。あなたが毎日読み、毎日学習していれば、阿弥陀仏から離れません。いつでも、どこでも、阿弥陀仏から離れません。これが真の念仏です。経典の中の道理を自分の思想・見解に変えなければなりません。その中の教訓を自分の生活・行為に変えなければなりません。自分を経と完全に相応させることです。経典と自分の思想・見解・行為とが一体になることで、弥陀の境界(きょうがい:境地)に入るのです。あなたは弥陀の境界に入れば、完全でなくても、少しばかり入り込めれば、往生を掌握することができます。もし私たちの起心動念(きしんどうねん:心の働き)、言葉や行為が経に背いているなら、毎日読誦(どくしょう:声に出して読むこと)したところで役に立ちません。あなたは往生できません。ですから経教(きょうぎょう:経文に説かれている教え)は読むものではありません。経教は私たちに実行させるものです。『無量寿経』は私たちに行わせるものです。私たちは真剣に努力して行わなければなりません。私たちがしてはならないことは、ただしないというだけではなく、思いさえ起こしてはなりません。仏菩薩はどのように私たちを加護するのでしょうか?経典の中の教訓が私たちを加護します。私たちが教えに従って行えば、善因を蒔けば善果を得ます。これが加護です。
「如來所行,亦應隨行。種修福善,求生淨剎」,是《無量壽經》全經的總結。如來所行,心行上是清淨行、平等行、覺行,就是清淨平等覺;事相上,我們將無量無邊的如來行歸納為五個科目:三福、六和、三學、六度、十大願王,這就是阿彌陀佛萬德洪名在我們生命當中落實。這五個科目不但是淨土法門修學的根本,可以說是世尊四十九年所說一切法的總歸結。日常生活當中,起心動念、言語造作都能與這五個科目相應,這就是萬德洪名落實了;能夠聲聲佛號都具足這五個科目,那就是佛功德。
「如来所行,亦応随行。種修福善,求生浄刹」は『無量寿経』全経の総括です。如来の所行、心行においては清浄行、平等行、覚行、つまり清浄平等覚です。事相においては、私たちは無量無辺の如来行を五つの科目に帰納しました。三福、六和、三学、六度、十大願王。これこそが阿弥陀仏の万徳洪名の私たちの生命における実践です。この五つの科目は浄土法門修学の根本というだけでなく、世尊が四十九年説かれた一切法の総括です。日常生活の起心動念(きしんどうねん:心の働き)、言葉や行為はすべてこの五つの科目と相応しなければなりません。これが万徳洪名の実践です。唱える仏号がすべてこの五つの科目を具足していれば、それが仏の功徳というものです。
回過頭來想想自己,自己跟佛的差別在哪裡?把這五個科目,我們要把它做到,把它變成我們的生活、行為,我們才是心同佛心、願同佛願、解同佛解、行同佛行。我們做到了多少?我們這個佛號為什麼念不好?念了這麼多年,西方極樂世界連個影子都沒有,一點消息都沒有,我們的修學一定有錯誤,這就是值得我們認真去檢討的地方。錯在哪裡?錯在沒有根。淨業首重三福,這不是淨宗特別重視的,修哪個法門都重視。佛說得很清楚,這三福叫「三世諸佛淨業正因」,這句話說得多重!三世,過去諸佛、現在諸佛、未來諸佛,這叫三世。菩薩修成佛道,決定不能違背這三條,違背這三條不是佛法。這個三條是佛法裡頭,無論是大乘小乘、宗門教下、顯教密教,三世一切諸佛都用這個做最高的修學指導原則,這能違背嗎?這能小看嗎?這能疏忽嗎?凡是修行不能成就的、中途變節的,都是沒有把三福當作一回事情,你細心去觀察,他對三福不重視。這不是釋迦牟尼佛一個人說的,是三世一切諸佛都這麼說的。如果有心想在這一生當中超越六道輪迴,念佛往生淨土,你一定要修淨業三福;不從淨業三福下手,淨土不能成就。淨業三福第一條實際上是落實儒釋道的三個根,孝親尊師落實在《弟子規》,慈心不殺落實在因果教育,後面是修十善業。這些不是念的、不是講的,是自己的生活,是自己的起心動念,是自己的言語造作。起心動念、言語造作跟這些基本的戒條相不相應?相應是善的,不相應是惡的,斷惡修善標準在這裡。這三個標準是三教聖人定的,是性德自然的流露,不是哪個人發明、不是哪個人創造。唯有性德才能夠開發性德,孝敬是性德,佛教導我們從這個地方下手,開發自性圓滿的性德,阿彌陀佛就是自性圓滿的性德。這樣才能與阿彌陀佛相應,所謂「一念相應一念佛」,也就是印光大師所說的「一分誠敬得一分利益」。
振り返って自分のことを考えてみるなら、自分と仏の差はどこにあるのでしょうか?この五つの科目を実践できて、私たちの生活・行為に変えれば、心は仏の心と同じであり、願いは仏の願いと同じであり、理解は仏の理解と同じであり、行いは仏の行いと同じなのです。私たちはどれくらいできているでしょうか?私たちはこの仏号をどうしてよく念ずることができないのでしょうか?長年念じているのに、西方極楽世界の影さえありません。少しばかりの知らせさえありません。それは私たちの修学に必ず誤りがあります。これこそが私たちが真剣に検討すべきところです。誤りはどこにあるのでしょうか?誤りは「根」が無いことにあります。浄業はまず三福【注】を重んじます。これは浄宗が特別に重視するのではありません。どの法門を修めても重視するものです。仏は明瞭に説かれています。この三福は「三世諸仏浄業正因」と言います。この言葉はどれほど重いことでしょうか!三世とは、過去の諸仏、現在の諸仏、未来の諸仏。これを三世と言います。菩薩は仏に成る道を修めるのに、絶対にこの三条に背きません。この三条に背くなら仏法ではありません。この三条は仏法の中で、大乗であろうと小乗であろうと、宗門、教下、顕教、密教であろうと、三世一切諸仏はすべてこれを最高の修学の指導原則としているのです。これに背くことができるでしょうか?これを軽視することができるでしょうか?これを疎かにすることができるでしょうか?およそ修行が成就しない者、中途で変節する者は、すべて三福を重んじていないのです。注意深く観察してみれば、その人は三福を重視していません。これは釈迦牟尼仏一人が説いたのではなく、三世一切諸仏が皆このように説いたのです。もしこの一生で六道輪廻を超越したい、念仏して浄土に往生したいと思うなら、必ず浄業三福を修めなければなりません。浄業三福から着手するのでなければ、浄土は成就できません。浄業三福の第一条は実のところ儒教・仏教・道教の三つの根の実践です。親孝行すること、師を尊ぶことは『弟子規』において実践し、「慈心にして殺さず」は因果教育において実践します。後は十善業です。これらは念ずるものでも、講ずるものでもありません。自分の生活、自分の起心動念、自分の言葉や行為のことなのです。起心動念、言葉や行為は、これらの基本的な戒と相応しているでしょうか?相応していれば善であり、相応していなければ悪です。悪を断ち善を修める(断悪修善)の基準はここにあります。この三つの基準は三教の聖人が定めたものです。性徳の自然な流露であり、誰かが発明したり、創造したものではありません。性徳だけが性徳を開発することができます。孝敬(こうけい:父母を大切にして敬うこと)は性徳です。仏はここから着手するように教え導かれています。自性円満の性徳を開発します。阿弥陀仏ことが自性円満の性徳です。このようであってこそ阿弥陀仏と相応できるのです。いわゆる「一念は一念の仏に相応する」です。または印光大師が説かれた「一分(いちぶ)の誠敬は一分のご利益を得る」です。
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【注】 浄業三福(じょうごうさんぷく)
第一福(世福)・・・・孝養父母,奉事師長,慈心不殺,修十善業
第二福(戒福)・・・・受持三皈,具足衆戒,不犯威儀
第三福(行福)・・・・発菩提心,深信因果,読誦大乗,勧進行者
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最後我們也隨俗,新年恭喜發財;我們的發財是要功德法財,以真實信心、懇切的願心執持阿彌陀佛名號,開發自性無量智慧、無量功德法財。祝福大家改往修來,洒心易行;自然感降,所願輒得!祝福大家諸惡莫作,歲歲平安;眾善奉行,年年如意。謝謝大家!
最後に私たちも世間のならわしに従います。新年おめでとうございます。私たちのおめでとうは功徳の法財のことです。真実の信心をもって、切に願い、阿弥陀仏の名号をしっかりと保ち、自性無量の智慧、無量の功徳の法財を開発することです。皆さまが過去の誤りを改め、未来の浄業を修め、心を清らかにして、念仏されますよう祝福いたします。自然に感応道交し、願いが叶いますように!皆さまが悪い行いをせず、ますます平安になり、年々思い通りになりますよう祝福いたします。皆さま、ありがとうございました!
飲流懷源知恩報恩——二O一七年先師長善護追思紀念法會談話(共一集)
飲流懐源(いんりゅうかいげん:世話になった人への恩を忘れないこと)知恩報恩(ちおんほうおん:恩を知り恩に報いること)――二〇一七年先師長善護追思紀念法会における談話
2017/3/4 澳洲淨宗學會(オーストラリア浄宗学会) 檔名:32-217-0001
諸位法師、諸位同修:大家好!
法師各位、門徒の皆さま、こんにちは!
今天是二O一七年三月四日,是章嘉大師示寂六十週年紀念日,明天是韓館長生西二十週年的紀念日,澳洲淨宗學院這兩天特別為此舉辦「先師長善護追思紀念法會」,意義殊勝、深遠。許多同修從世界各地趕來參加追思會,我們在此祝福追思法會圓滿成就!古人常講:「落其實者思其樹,飲其流者懷其源」,吃到樹上的果實就要想到結出果實的樹木,喝到河中的水就想到河水的源頭。這是提醒我們,無論出家、在家,決定要飲水思源、知恩報恩。任何人對我們有絲毫關懷、愛護、幫助,我們念念不忘,還要將自己修持的一切功德都迴向給這些護持、幫助過我們的人。
本日は二〇一七年三月四日、章嘉大師が示寂されて六十周年の記念日です。明日は韓館長が往生されて二十周年の記念日です。オーストラリア浄宗学院はこの二日間特別に「先師長善護追思紀念法会」を挙行致します。その意義は殊勝で深いものです。たくさんの門徒の皆さまが世界各地より「追思会」(追想する会の意)に参加されました。ここで「追思会」が円満に成就しますことを祝福致します!古人はよく「果実を食べようとする者はその樹を思い、川の水を飲もうとする者はその水源を思う」【注】と言いました。樹の果実を食べた時に果実が実を結んだ樹木を思い、川の水を飲んだ時に河川の源を思います。これは私たちに注意を喚起しています。出家であろうと、在家であろうと、必ず「水を飲む時はその源を忘れない」こと、恩を知り恩に報いることです。如何なる人のささやかな配慮、思いやり、手助けも、忘れてはなりません。さらに自分が修めた一切の功徳をこれらの助けてくれた方々に廻向しなければなりません。
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【注】原文:落其實者思其樹、飲其流者懷其源。
書き下し文:其の実を落とす者は其の樹を思い、其の流れに飲む者は其の源を思う。
現代語訳:果実を落として食べようとする者はその樹を思い、川の流れに水を飲もうとする者はその水源を思う。
書き下し文は下記HPを参照した。現代語訳は筆者による。
http://fukushima-net.com/sites/meigen/2334
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「淨業三福」是修學佛法的最高指導原則,第一福是三福的根本,第一句話是「孝養父母」,第二句話是「奉事師長」。不孝父母、不敬師長,是一切禍患的根源,你就要受老天的懲罰。佛經裡面說:「善知識者,是汝父母,養育汝等菩提身故」。身命得自於父母,慧命得自於老師,老師的恩德跟父母是平等的,怎麼可以不敬老師?現在聖教推行最大的麻煩,就是學生不信老師。所以這麼多年來我講經的道場,現在是攝影棚,都把老師的照片掛在我的對面,每一次講經的時候,都是在向老師做報告。
「浄業三福」とは仏法修学の最高の指導原則です。第一の福は三福の根本です。第一句は「父母に孝養す」、第二句は「師長に奉事す」です。父母に孝行せず、師長を敬わない。これは一切の災いの根源であり、天の懲罰を受けなければなりません。仏経の中には「善知識(ぜんちしき:仏の道に導く人)は是(これ)汝(なんじ)が父母なり。汝を養育する等菩提身なるが故に」(善知識者,是汝父母,養育汝等菩提身故)と説かれています。身命(しんめい:身体と生命)は父母より得るものであり、慧明(えみょう:悟りの智慧を生命に例えた語)は老師より得るものです。老師の恩徳は父母のそれと平等です。老師を敬わなくて良いことがあるでしょうか?現在聖教を推し進めるにあたって最大の問題は、正に学生が老師を信じないことです。ですから長年私の講経の道場では――今は撮影室ですが――私の向かいに老師の写真を掛けています。毎回の講経は、すべて老師への報告です。
我學佛六十六年了,佛法是方東美教授他老人家介紹給我的,如果不是他介紹,我是不會走入佛門來的,因為我從小總以為佛教是迷信,不願意接觸。方老師跟我講了一部哲學概論,最後一個單元是「佛經哲學」,我是從這個地方入門的,這才知道佛門經典是大學問。你看,我這一生過的,確實是他老人家所說的,「學佛是人生最高的享受」。我感謝老師,要是沒有老師指導,我怎麼會有這麼幸福?怎麼會有這麼快樂!可能很早就不在人間了。老師這條路指得正確,我們走對了。
私は仏法を学んで六十六年になります。仏法は方東美教授【注】が紹介して下さいました。方教授が紹介しなければ、私は仏門に踏み入ることはありませんでした。私は子どもの頃から仏教は迷信だと思っていたので、接触したくなかったのです。方老師は私に哲学概論を講じて下さいました。最後の単元は「仏経哲学」でした。私はそこから入門したのです。そこでようやく仏門の経典は大学問であることを知ったのです。どうでしょうか。私の過ごした一生は、確かに方教授が仰ったように「仏法を学ぶことは人生最高の享受」でした。私は老師に感謝しています。もし老師の指導がなければ、これほどの幸福を得られたでしょうか?これほどの喜びを得られたでしょうか!おそらくとうの昔にこの世にいませんでした。老師は正しい道を指し示され、私は正しい道を歩んだのです。
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【注】方東美(1899-1977)・・・・名は珣、字は東美。中国安徽省桐城の人。哲学者。清代の桐城派古文創始者である方苞先生の第十六世の孫。1921年にアメリカに留学経験があり、プラトンなどギリシャ哲学にも造詣が深い。(中国語版ウィキペディアより抜粋して翻訳)
浄空法師を私塾の形式で教育し、仏門に導いた人物。
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以後我認識章嘉大師,大師對我非常愛護,每一個星期給我兩個小時,至少也是一個小時。他老人家教我讀《釋迦譜》、《釋迦方志》,跟我講:「你想學佛,要先認識釋迦牟尼佛,你才不會走入歧途。」所以這也是特殊的因緣,好像一般老和尚接引初機,都不是這樣的教學方法。這樣我們才真正認識釋迦牟尼佛,看了之後,他不像是宗教家,而是一位教育家,多元文化的義務工作者。
その後私は章嘉大師【注】と出会いました。大師は私を非常に大切にして下さり、毎週私のために二時間、最低でも一時間は時間を割いて下さいました。大師は私に『釈迦譜』、『釈迦方志』を読ませました。大師は「あなたは仏法を学びたいなら、まず釈迦牟尼仏を知らなければならない。そうすれば誤った道に入ることはない」と仰いました。ですからこれもまた特殊な因縁です。おそらく一般の老和尚が初学の者を導くのは、このような教学の方法ではありません。このようにして私は真に釈迦牟尼仏を知りました。読み終わってみると、釈迦牟尼仏は宗教家のようではなく、一人の教育者であり、多元文化の奉仕活動家だったのです。
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【注】章嘉大師(1890-1957)・・・・第十九世、章嘉呼図克図。本名は羅森班殿・丹畢蓉梅といい、一般には章嘉大師、章嘉活佛と称される。呼図克図(ホトクト)はモンゴル語であり、漢訳すると「明心見性,生死自主」(悟りを開いた生死自在の聖者)の意味である。チベット仏教中国内モンゴル地区の最高活仏(生き仏)。達頼喇嘛(ダライラマ)、班禅額爾徳尼(パンチェン・オルドニ)、哲布尊丹巴呼図克図(ジェプツンダンバ・ホトクト)と同じくチベット仏教四大指導者の一人。(「維基百科」より抜粋して翻訳)
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出家從事講經這個工作(現在人講這個行業),這是章嘉大師替我選擇的,教導我完全是正確的方向、目標。但是話說得容易,真正去落實就不是一樁容易的事情,特別是在這個時代,名聞利養、嫉妒障礙的情況愈加嚴重,怎麼辦?那就是章嘉大師第一天見面,我向他老人家請教,也是我得到利益最大的,影響我一生的。我說我知道佛法無比的殊勝,有沒有方法讓我很快就能夠契入?我這個問題提出,章嘉大師看著我,看了半個小時,一句話都沒說。他看著我,我看著他,在他家的小客廳,半個小時,這個心完全定下來了,他老人家說了一個字:「有!」我們耳朵都豎起來,「有」,這個字下面他就不說話了。停了應該有十分鐘,有這麼長,告訴我六個字:「看得破,放得下」。
出家して講経という仕事(今の人が言うところの業界)に従事しましたが、これは章嘉大師が私の代わりに選択しました。完全に正しい方向、目標に私を導かれました。しかし言うのは容易ですが、本当に実践するのは容易なことではありません。特にこの時代は、名聞利養(みょうもんりよう)、嫉妬の障碍は非常に深刻です。どうすればよいのでしょうか?それこそが章嘉大師に初めてお会いした際に、私が大師に教えを請うたことであり、また私が得た最大のご利益であり、私の一生に影響したことでした。私は「仏法はこの上なく殊勝なものだと知りました。すぐに境地に入ることができる方法はあるのでしょうか?」と質問しました。私がこの質問をすると、章嘉大師は私を見ていました。三十分私を見て、ひと言も話しません。大師は私を見ていて、私は大師を見ていました。大師の家の客間で、三十分すると心は完全に落ち着きました。大師は一字で仰いました。「有(あります)」。私は耳をそばだてました。「有(あります)」と言ったきり、その後は話さなくなりました。十分は止まったはずです。その位の長さです。そして私に六字で仰いました。「看得破,放得下(看破することができれば放下することができる)」。
這種教學法,我沒遇著過,沒遇見過。我要把這個話說明白,告訴同修。為什麼?那就是方老師告訴我的,這六十六年前,我那個時候見方老師,目的是想到學校去旁聽他的課程,我們見面他告訴我:「現在的學校,先生不像先生,學生不像學生,你要到學校去旁聽,你會大失所望」。當時我聽到這幾句話,我覺得老師對我的期求完全拒絕了,心裡很難過。為什麼?他說得很清楚,學校先生不像先生,學生不像學生,這是六十六年前說的話。我過了幾個月,我才完全明瞭,我們這個時代,孝道沒有了,師道沒有了。老師肯教,不是不肯教,學生不肯學,不肯好好的學。所以我向章嘉大師請教,問一個問題,他看了我半個鐘點,什麼原因?我們年輕,心浮氣躁,這樣的心態老師是不會說話的,一定要等你整個人心定下來了,他才跟你說話。所以他看了我半個鐘點,我也看他半個鐘點,心定了他才說。你看說一個字,「有」,這一有,我心又浮起來了,我念頭又起來了,他又不說話了。等了十分鐘,才教給我「看得破,放得下」六個字。就這麼簡單的六個字,我差不多花了四十分鐘,那是什麼?耐心!你有沒有誠意。所以,一定要等你、看到你心浮氣躁完全化解了,才跟你講話,要不然他不說話。他就是看著你,讓你定下來。到以後我明白了,每一次去恭恭敬敬,一句話不說,心整個定下來,他才會很喜歡跟你講話。
このような教学法は受けたことがなく、見たこともありません。私はこの話を門徒の方々にはっきりと話しておかなければなりません。なぜでしょうか?それは正に方老師が私に仰ったことです。六十六年前、私は方老師に会いました。その目的は学校に行って老師の授業を聴講することです。方老師は言いました。「今の学校は、先生は先生らしくなく、学生は学生らしくありません。君が学校に来て聴講すれば、大いに失望することでしょう」。当時私はこの言葉を聞いて、老師は私の願いを完全に拒絶したと思い、つらい思いをしました。なぜでしょうか?老師ははっきりと仰いました。学校の先生は先生らしくなく、学生は学生らしくないと。これは六十六年前の話です。私は数ヶ月経ってから理解しました。この時代は孝道(こうどう:両親に仕える道)がなくなり、師道(しどう:師に仕える道)がなくなりました。老師は教えようとします。教えない訳ではありません。学生が進んで学ぼうとしません。しっかりと学ぼうとしません。ですから私が章嘉大師に教えを請い、一つ質問して、大師は三十分私を見ていました。原因は何でしょうか?私は若く、落ち着きがなかったからです。このような心の状態では老師は話ができません。必ずあなたの心が落ち着いてから話をするのです。ですから大師は三十分私を見て、私も大師を三十分見て、心が落ち着いてから話しました。一字だけ「有(あります)」と話すと、私の心はまた浮ついて、思考が働き始めると、大師はまた話さなくなりました。十分待つと、ようやく「看得破,放得下(看破することができれば放下することができる)」の六字を教えて下さいました。これほど簡単な六字を学ぶのに、私は四十分ほどかかりました。それは何でしょうか?忍耐です!あなたに誠意があるのかどうか。ですから、必ず待たなければなりません。あなたの落ち着かない様子が完全なくなって、ようやく話をするのです。さもなくば話をしません。後になって私は理解しました。毎回恭しく伺って、ひと言も話しません。心が完全に静まったら、大師は喜んで話をして下さるのです。
方老師亦如是。方老師不讓我到學校旁聽,我沒有想到他要我到他家裡上課,每個星期天到他家裡,上午九點半到十一點半兩個小時,學生我一個,老師也一個,我的課是在他家裡上的。什麼原因?我很好學,我希望學,真學,不是開玩笑的,所以我的課程是在他家裡學的。跟章嘉大師,也是在章嘉大師家裡學的,學生只有我一個。大師沒有客人,至少給我兩個小時;有客人,一個小時,他要留一個小時給我。我一生感恩!佛學能入門、能夠奠定基礎,沒有這兩個人,我不知道世間有佛法,也不知道佛法的殊勝。我要把這個狀況告訴大家,讓大家知道,真正的老師是很喜歡教人的,就怕沒有傳人。總希望能傳給下一代,一代一代傳下去,不要消失了,這是老師。做學生要認真,尊師重道,認真學習,要把老師所教的都能夠落實在自己生活當中,遵守老師的規矩。
方老師もそうでした。方老師は私に学校で聴講させませんでした。私は思いもよりませんでしたが、老師は自分の家で授業をすると言うのです。毎週日曜日に老師の家に行きました。午前九時半から十一時半までの二時間です。学生は私一人、老師も一人です。私の授業は老師の家で行われました。原因は何でしょうか?私は学問が好きで、学ぶことを望んでいました。本当に学ぶのです。冗談ではありません。だからこそ私の授業は老師の家で学んだのです。章嘉大師とも、章嘉大師の家で学びました。学生は私一人です。大師に客人がいなければ、最低でも二時間です。客人がいれば一時間です。大師は私に一時間割いて下さいました。私は一生感謝しています!仏法を学んで入門し、基礎を固めることができました。この二人がいなければ、私はこの世間に仏法があることを知らず、また仏法が殊勝であることも知りませんでした。私がこの状況を皆さんにお話しするのは、本物の老師は人に教えるのが好きであり、伝える人がいないことを心配するものだということを、皆さんにお知らせするためです。いつも次世代に伝えることを願い、代々伝えて、途絶えさせないこと。これが老師です。学生は真剣でなければなりません。師を尊び道を重んじ、真剣に学び、老師が教えたことを自分の生活の中で実践し、老師の決め事を遵守しなければなりません。
我跟章嘉大師三年,當時他教我看破放下,我問他老人家,從哪裡下手?他告訴我,從布施。我跟他,他老人家六十五歲,六十八歲圓寂,這三年當中奠定了學佛的基礎。章嘉大師走了之後,朱鏡宙老居士介紹我認識李老師。中國人講守規矩,講求師承,一定要遵守老師的規矩。我當年到台中親近李老師,那一年三十一歲。跟李老師見面,老師就跟我約法三章:第一條,你到我這裡來,依我為師,從今天起,一切法師、居士大德們他們講經說法不准聽,這是第一條;第二條,從今天起,你想看的書,無論是佛書、是世間書籍,一定要經過老師同意,老師不同意不准看,這第二條;第三條,你過去跟方老師學的、跟章嘉大師學的,我一概不承認,統統作廢,從今天起,一切從頭學起。你能接受,你就留在這裡好好的學習;不能接受,你就另請高明。我想了二、三分鐘接受了,因為老師這些話乍聽起來好像很跋扈,但是我知道李老師是真正善知識。朱鏡宙老居士給我介紹,周邦道老校長親近李老師多年。周老師是我抗戰期間,念中學時候的校長,晚年拜李炳老做老師,跟他學佛。有這些前例在,這些都是我生平尊敬的人,所以我知道李老師是善知識。
私は章嘉大師に三年就きました。当時大師は私に「看破」「放下」を教えました。私は大師に「どこから着手すれば良いでしょうか?」と尋ねました。大師は私に「布施からです」と仰いました。私が大師に就いた時、大師は六十五歳でした。六十八歳で円寂されました。この三年で仏法を学ぶ基礎が固まりました。章嘉大師が亡くなられた後、朱鏡宙居士が李老師【注】を私に紹介しました。中国人は決まり事を守ります。師からの伝承を重んじます。必ず老師の決め事を遵守しなければなりません。私は当時台中で李老師に就きました。その年は三十一歳です。李老師に会うと、老師は私に三つの約束をさせました。第一条。あなたは私のところに来て私を師とするからには、今日から一切の法師、居士、大徳の方々の講経説法を聞いてはならない。これが第一条です。第二条。今日からあなたが見たい書籍は、仏法書であろうと世間の書籍であろうと、必ず老師の同意を得ること。老師が同意しなければ見てはならない。これが第二条。第三条。あなたがこれまで方老師に学んだこと、章嘉大師に学んだ事はすべて認めない。それらをすべて捨てて、今日から一切を初めから学ぶこと。受け入れるならここでしっかり学び、受け入れられないなら別の老師に頼みなさい。私は二、三分考えて受け入れました。なぜなら老師のこれらの話はとても思い上がりのように聞こえたからです。しかし私は李老師が真の善知識であることを知っていました。朱鏡宙居士が私に紹介して下さり、周邦道校長は長年李老師に就いていました。周老師は抗日戦争の期間、私が中学校に通った時の校長で、晩年は李老師を老師として仏法を学んでいました。このような前例があり、これらの方は私が生涯尊敬している人です。ですから私は李老師が善知識であることを知っていました。
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【注】李炳南(1889-1986)・・・・山東省済南の人。名を艶、字を炳南、号を雪庐という。衍聖公孔奉祀官府の秘書長。最初に唯識を梅光羲に学び、禅宗・浄宗・密宗などを学んだ。後に印光大師に帰依して浄土宗を修めた。その他に中医(漢方医学)にも精通していた。抗日戦争期間は、孔徳成について重慶に行き、太虚大師の布教活動を補佐した。その後住居を台中に定めた。孔奉祀官府に勤めた他、中国医薬学院、中興大学教授を兼任し、余暇は仏法の普及に尽力した。台中にて経典の説法を数十年に渡って行い、“李老師”の名は台湾仏教界で著名であった。台中仏教蓮社、菩提樹雑誌社、慈光図書館、菩提医院、菩提救済院など布教活動を行いつつ慈善機関を設立した。(百度より抜粋して翻訳)
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周校長一生大愛天下、大公無私,是我們同學們公認的當代的聖人。我是出家剃度兩年後才受戒,出家那一年三十三歲,受戒的那一年三十五歲。那個時候,受戒要繳費,我那個時候剛出家,沒人供養,繳不起學費,所以沒有辦法去受戒。老師勸我去受戒,他說你受戒的費用,我們校友會的同學支持你。校長帶頭,大家幫助,是這樣子到八堵去受戒的。
周校長は一生涯天下を愛し、公正無私であり、学生たちは当代の聖人だと公認していました。私は出家得度して二年後にようやく受戒しました。出家したのは三十三歳、受戒したのは三十五歳でした。その頃受戒するには費用を納めなければなりませんでした。私はその頃出家したばかりで、供養して下さる方はおらず、学費を納めることはできませんでした。ですから受戒できなかったのです。老師は私に受戒を勧めました。老師は、あなたが受戒する費用は私たち校友会の学生が援助すると言って下さいました。校長が先頭に立ち、皆が助けてくれました。このようにして八堵で受戒することができたのです。
我在台中學經教的時候,李老師跟我講過很多次,他說你將來講經,講得不好還沒關係;如果講得很好,你就走投無路了,這是老師對我的警告。韓館長是我的忠實聽眾,幾乎講經每堂課她都不缺。她了解這個環境,知道我的困難,帶我到她家裡去參觀,我看那環境還相當幽靜,是台北市的一個郊區,很難得的一個修學環境。我就把這個事情向李老師報告,要韓館長跟我一起去見李老師,李老師同意,所以我就到她家裡住,沒有想到一住住了十七年。十七年之後,我們有一個景美圖書館,「景美華藏佛教視聽圖書館」,館長請她擔任,她很能幹,世法、佛法都有基礎。照顧我三十年,到她臨走。如果沒有這個護持,那就是李老師所講的走投無路。我從老師那裡學到布施、持戒、忍辱、精進、禪定、般若,在韓館長這個道場落實了。沒有這三十年,煩惱習氣怎麼能斷得了?不容易!你們不如我,你遇不到韓館長這麼多的折磨。說老實話,你也沒有那個耐心能夠忍受三十年的折磨,這樣你怎麼會有成就?你不能成就。三十年的磨鍊,讓我在佛法修持上得其門而契入。
私が台中で経教を学んでいた頃、李老師は何度も私に仰いました。老師は「あなたが将来講経する時に、講じるのが下手なら問題ないが、もし講じるのが上手であれば、あなたは行き場がなくなります」と言いました。これは老師の私に対する警告です。韓館長は私の忠実な聴衆で、およそどの講経にも出席していました。彼女はこの環境を理解して、私の困難を知ると、私を彼女の家を見せに連れて行きました。私はその環境は相当に静寂で、台北市の郊外であり、得難い修学環境であると思いました。私はこの事を李老師に報告しました。韓館長と私は一緒に李老師と会い、李老師は同意しました。そして私は韓館長の家に住みました。十七年も住むとは思いもよりませんでした。十七年後、景美図書館ができました。「景美華蔵佛教視聴図書館」です。館長は彼女が担当しました。彼女は有能で、世法(俗世間の法)、仏法どちらも基礎がありました。彼女は逝く時まで、三十年私の面倒を見て下さいました。もしこの護持がなければ、李老師が言った通り行き場がなかったでしょう。私は李老師から布施、持戒、忍辱、精進、禅定、般若を学んで、韓館長の道場ができました。この三十年がなければ、煩悩の習気(じっけ)はどうして断つことができたでしょうか?容易ではありません!皆さんは私には及びません。皆さんは韓館長ほどの試練に遭っていません。正直に言えば、皆さんにその忍耐心がなくて三十年の試練を受けたとしたら、どうして成就できるでしょうか?成就することはできません。三十年の錬磨が、私を仏法修持(しゅうじ:戒を守り修行すること)において、門を探し、中に入らせたのです。
我們有幸在這一生當中得人身、聞佛法,更難得的,遇到好老師的指導,遇到善知識的護持,老師跟護法少一個都不能成就。在修學成就過程當中,護法比弘法還要重要,所以我常說,弘法的是菩薩,護法的是佛陀。這個護法要是不內行,隨順感情、習氣,高興我就做,不高興就退心不做,這樣佛法很難久住世間。所以這些年來我感觸很深,弘、護雙方都必須深入經藏。你每天不讀經,不親近佛陀,你就親近妖魔鬼怪。什麼是妖魔鬼怪?胡思亂想就是妖魔鬼怪;是我、五欲六塵、貪瞋痴慢,這些都是妖魔鬼怪。無量劫來,我們的真心本性就被這些東西染污了,起心動念為我。輪迴心學佛還是造輪迴業,這個同學們不能不知道。
私たちは幸運にもこの一生で人身を得て、仏法を聞き、更に得難いことには、良い老師の指導を受け、善知識の護持を得ました。老師と護法はどちらが欠けても成就することはできません。修学して成就する過程において、護法(ごほう:仏法を保護すること)は弘法(こうぼう:仏法を布教すること)よりも重要です。ですから私はよく「弘法するのは菩薩、護法するのは仏陀」と言っています。この護法する人が(仏法に)精通した人でなければ、感情や習気に流されます。楽しければ行い、楽しくなければ意欲がなくなります。そのようなことでは仏法は世間に留まることは難しくなります。ですからここ数年来私は深く感じています。弘法する人も護法する人も必ず経蔵に深く入らなければなりません。毎日経を読まず、仏陀に親しまなければ、あなたは悪魔や妖怪に親しんでしまいます。悪魔や妖怪とは何でしょうか?あれこれと妄想たくましくすること、それこそが悪魔や妖怪です。是非(ぜひ:正しい事正しくないこと)人我(にんが:他人と自分)、五欲(ごよく:財欲、色欲、名誉欲、食欲、睡眠欲)、六塵(ろくじん:色・声・香・味・触・法)、貪瞋痴慢(とんじんちまん:貪り、怒り、無知、傲慢)、これらがすべて悪魔や妖怪です。無量劫(むりょうごう:限りなく長い時間)来、私たちの真心本性はこれらのものに染汚(せんお:穢れること)されてきました。心の働きがすべて自分の為なのです。輪廻の心で仏法を学んでも、作るのは輪廻の業なのです。学生の皆さんはこのことを知っておかなければなりません。
我這一生給大家做很好的榜樣,有章嘉大師、李老師、方老師、周老校長表演老師的榜樣,有韓館長表演護法的榜樣。這就好像在演一台戲一樣,演得很成功,演得很逼真,聰明人、覺性高的人看到了,就知道應該怎麼做法。章嘉大師告訴我,「佛氏門中,有求必應」。只要我們把心念從自私自利迴轉為大公無私,業障就消除了;消除業障,你自然就生智慧,智慧才能解決一切問題,智慧才能真正達到有求必應的果德,才能得到佛菩薩真實的受用。
私のこの一生は皆さんへの良い手本です。章嘉大師、方老師、周校長は老師の手本を演じました。韓館長は護法の手本を演じました。これはまるで舞台で劇を演じているかのようです。演技は成功しました。演技は真に迫っています。聡明な人、悟る力の高い人は、それを見てどうすべきかが分かるでしょう。章嘉大師は私に「仏氏門中,有求必応」(仏門においては求めれば必ずかなえられる)と仰いました。私たちが心を私利私欲から公正無私に転じさえすれば、業障は取り除かれ、自然に智慧が生じてきます。智慧があってこそ一切の問題を解決できるのです。智慧があってこそが真に「有求必応」の果徳に達し、また仏菩薩の真実のご利益を得ることができるのです。
我把這些貢獻給大家,祝福大家也能夠得到人生最高的享受。祝福諸位、各個宗教和睦共處,為世界帶來安定和平!因為宗教的團結,在今天比什麼都重要。佛門要團結,佛門不團結,佛教會在這個世界消失;宗教不團結,世界和諧永遠不會實現。要想世界和平,必須宗教團結。我在一九九八年、一九九九年住在新加坡,將新加坡九個宗教團結成為一家人,宗教非常的興旺。澳洲移民部長知道這樁事情,我們見過兩次面,他希望我到澳洲來,幫助澳洲團結宗教、團結族群,我答應了他,所以我離開新加坡,移民到澳洲來。他給我很多方便,給我很多優待、很多的幫助,所以到澳洲來也做得很成功。這個成功今天我們才看到,也就是我們在澳洲圖文巴這個地方用了十三年,宗教團結成一家人。最近這三年,每一個宗教的朋友見面,都希望我們要把這個影響帶給社會、帶給全世界,所以這個三年,我們的市長在聯合國做了三次報告。這兩天我們邀請聯合國的大使,就是每個國家駐聯合國的大使,我們邀請了十二位,這兩天就要到了,讓他們來看看我們圖文巴宗教團結、宗教和諧,不同的族群、不同的種族、不同的文化、不同的信仰在一起居住,也像一家人、像兄弟姐妹一樣,他們會在聯合國給我們傳播。我們希望全世界所有宗教都能夠像我們一樣團結成一家人,希望世界永遠沒有戰爭,永遠安定和諧,這是我們真正用意。希望他們來參觀考察,我們做好榜樣給他們看,給他們很好的印象。謝謝大家!
私はこれらを皆さんに差し上げます。皆さんも人生最高の享受が得られますよう祝福致します。皆さん、各宗教が仲良く共存し、世界に安定と平和をもたらしますことを祝福致します!宗教の団結は、今日においては何よりも重要です。仏門は団結しなければなりません。仏門が団結しなければ、仏教はこの世界から消失します。宗教が団結しなければ、世界の調和は永遠に実現されません。世界平和を願うなら、宗教の団結は必須です。私は一九九八年、一九九九年とシンガポールに住んでいました。シンガポールの九つの宗教は団結して家族になりました。宗教は非常に盛んでした。オーストラリアの移民担当の部長はその事を知り、私たちは二回ほど面会しました。彼は私にオーストラリアに来て、オーストラリアの宗教の団結、民族の団結を手伝って欲しいと言いました。私は了承しました。それで私はシンガポールを離れて、オーストラリアに移民しました。彼は私のために多くの便宜を図って下さり、優遇して下さり、助けて下さいました。ですからオーストラリアに行っても成功しました。この成功は今日ようやく見られるようになりました。私たちはオーストラリアのトゥウンバ(Toowoomba)の場所を十三年使い、宗教は一つの家族として団結しました。ここ三年で、それぞれの宗教の友人が面会に来て、私たちにこの影響力を社会に、全世界にもたらして欲しいと希望されました。ですからこの三年で(トゥウンバの)市長は国連で三度報告を行っています。ここ二日間は国連の大使(各国が駐留させている国連の大使)を招待しています。私たちは十二名招待しました。ここ二日で到着されます。彼らにトゥウンバの宗教の団結、宗教の調和を見ていただきます。異なる民族、異なる種族、異なる文化、異なる信仰を持つ人が、まるで家族のように、兄弟姉妹のように一緒に暮らしています。世界に永遠に戦争がなくなり、永遠に安定と調和がもたらされること。これが私たちの真の願いです。彼らが参考にされることを願います。私たちは良い手本を彼らに見せて、良い印象を与えましょう。皆さんありがとうございました!
孝敬為基,眾生一體,寰宇和諧——二O一九年台灣清明祭祖大典暨護世息災念佛法會開示(共一集)
孝敬(こうけい)を基と為す
衆生一体
世界調和
——二O一九年台湾清明祭祖大典暨護世息災念仏法会における開示
2019/3/1 台北和平籃球館 檔名:32-315-0001
尊敬的主法和尚、諸位法師、黃警官、諸位嘉賓、諸位同學們:大家好!今天,我們提前在台灣舉辦清明祭祖,也是我們第五次在這裡共同祭祀中華民族萬姓先祖,緬懷祖宗恩德,一起祈禱天下和順、日月清明、文化復興、世界和平。
尊敬する主法和尚、法師各位、黄警官、来賓各位、門徒の皆さま、こんにちは!今日は予定を繰り上げて台湾で清明祭祖を挙行いたします。またここで共に中華民族の万姓の先祖を祭祀するのは五回目です。ご先祖様の恩徳を追想し、共に天下和順、日月清明、文化復興、世界平和を祈りましょう。
對傳統的中國人和中國家庭而言,一年最重要的活動之一就是祭祖,正所謂「祖宗雖遠,祭祀不可不誠」。我們這些年在全球各地推廣祭祖,用古禮行祭祀,場面很感人。幾千人一起行禮,鴉雀無聲,莊嚴肅穆;禮成之後,人人都歡喜,個個受感動。這就是我們中國人說的「文而化之」,只有文化有這麼大的力量,它超越語言、跨越時空。這個偉大的文化,啟發我們的愛心,喚醒我們的感恩,引導我們心懷慈悲、柔和質直,處理好人與人的關係,和諧人與天地萬物的關係。
伝統的な中国人と中国の家庭について言えば、一年で最も重要な活動の一つは正に先祖を祭ることであり、いわゆる「祖宗(そそう)は遠しと雖(いへど)も、祭祖は誠ならざるべからず」(祖宗雖遠,祭祀不可不誠)です。私たちはここ数年世界各地で先祖を祭ることを推進しています。古礼を用いて祭祀を行い、その様子は人を感動させます。数千人が一緒に礼を行い、ひっそりと静まり、厳粛に行われ、儀式が終了すると人々は喜び、各人が感動を覚えます。これこそが私たち中国人が言う「文而化之」(文化で人々を感化するの意)です。文化だけがこれほど大きな力を持っています。それは言葉を超越し、時空を越えます。この偉大な文化は、私たちの愛を啓発し、私たちの感謝の心を呼び覚まし、私たちが心に慈悲を抱き、温和で実直であるよう導き、人と人との関係を適切に対処し、人と天地万物との関係を調和させます。
美國哈佛大學完成了一項科學史上最長的研究,七十五年來,大學的臨床醫學專家一共追蹤了七百二十四位人士的一生,結果發現,美好的人生來自於和諧的關係。這個研究,從科學的角度證實了傳統中國教學的智慧真實不虛。傳統文化的教育,幫助每一個人處理好三個關係:人與人的關係、人與自然萬物的關係,以及人與天地鬼神的關係。我們能夠把這三樣關係處理好了,就能實現個人生活幸福、社會安定祥和、國家長治久安。這恐怕就是中國五千年來歷史的真實經驗,也是美國七十五年科學研究的重要結論。
アメリカのハーバード大学は科学史上最長の研究を完成させました。七十五年来、大学の臨床医学の専門家が七百二十四人の人生を追跡調査してきたのです。その結果、豊かな人生は調和された関係がもたらすことを発見しました。この研究は、科学的な角度から伝統の中国教育の智慧は真実であることを実証しています。伝統文化の教育は、人が三つの関係を適切に対処する助けとなります。人と人との関係。人と自然万物との関係。そして人と天地鬼神との関係です。私たちはこの三つの関係を適切に対処できれば、個人生活の幸福、社会の安定、国家の長期的な安定を実現できるのです。これは正に中国五千年来の真実の経験であり、またアメリカの七十五年に渡る科学的研究の重要な結論なのです。
今天的世界和七十五年前大不一樣了,我們生活在互聯網的世界裡,信息聯網把世界連成了一體;我們生活在全球經濟一體化的時代裡,各國經貿互相依存,一榮俱榮、一損俱損。接下來的科技發展,將通過大數據、人工智能實現物聯網,把世界萬物聯繫在一起。我們會發現,個人的言談舉止、生活變化影響全球;一架車、一棵樹、一座建築物的動向,也直接影響著一個城市、一個國家……這些新的發展都提醒我們:世界是一體,地球是一家,整個人類的確是休戚相關的命運共同體。所以,我們祭祀中華民族的萬姓先祖、整個人類的萬姓先祖,不僅具有現實意義,而且還是現代社會迫切需要的。「天下興亡,匹夫有責」,學習、弘揚中國的傳統文化,繼承、發揚全球各個族群的優良傳統,真的是時不我待!
今日の世界は七十五年前とは大きく異なります。私たちの生活はインターネットの世界の中にあり、情報のアクセスは世界を一体に繋いでいます。私たちの生活はグローバル経済一体化の時代にあり、各国の経済貿易は相互に依存し合い、一つ栄えればすべてが栄え、一つ駄目になればすべてが駄目になるのです。続いて科学技術の発展は、ビッグデータ、人工知能を通して物のネットワークを実現し、世界万物を結び付けています。私たちは気づかされます。個人の物言いや立ち居振る舞い、生活の変化が全世界に影響しているのです。一台の車、一本の樹木、一棟の建築物の動向もまた、一つの都市、一つの国家に直接影響しており・・・・これらの新しい発展は私たちに注意を促してくれます。世界は一体であり、地球は家族であり、全人類は間違いなく喜憂と禍福の関わり合う運命共同体なのです。ですから、私たちが中華民族万姓の先祖、全人類万姓の先祖を祭祀することは、現実的な意義があるというだけでなく、現代社会が切迫して必要なことなのです。「天下の興亡、匹夫に責有り」【注1】。中国の伝統文化を学習し、発揚すること。全地球の各民族の優れた伝統を継承し、発揚すること。本当に時は待ってはくれません。
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【注1】 「天下興亡,匹夫有責」・・・・天下の興亡、匹夫に責有り。
天下国家の興廃は一介の男にも責任がある。
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孝是中華文化根,敬是中國文化本,落實在孝親尊師。我們學習、弘揚中國傳統文化,內學釋迦牟尼佛,放下貪瞋痴慢疑;外學孔老夫子,溫良恭儉讓。這些品德如何學?如何養成?祭祖可以說是第一步。百善孝為先,性德的核心就是孝敬,孝順父母、奉事師長。我們真學,做出好榜樣,人家看了感動,他會自自然然跟我們學習。
孝は中華文化の根であり、敬は中国文化の本です。親孝行して師を尊ぶことを実践します。私たちは中国の伝統文化を学習、発揚し、内に釈迦牟尼仏に学んで、貪瞋痴慢疑【注2】を放下します。外に孔夫子に学んで、温良恭倹譲【注3】を学びます。これらの人徳はどのように学ぶのでしょうか?どのように養成するのでしょうか?先祖を祭ることはその第一歩と言えます。「百善は孝を先と為す」。性徳の核心は孝敬です。父母に孝行を尽くし、年長者に仕えることです。私たちが本当に学んで良い手本となれば、人はそれを見て感動します。その人は自然に私たちに学ぶようになります。
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【注2】貪瞋痴慢疑(とん・じん・ち・まん・ぎ)
貪(とん)・・・貪り。貪欲。
瞋(じん)・・・怒り。瞋恚。
痴(ち)・・・愚かな迷い。愚痴。
慢(まん)・・・傲慢。
疑(ぎ)・・・真理に対する疑い。懐疑。
【注3】温良恭倹譲(おん・りょう・きょう・けん・じょう)
温(おん)・・・おだやか。温和、温厚。
良(りょう)・・・すなお。善良。
恭(きょう)・・・うやうやしい。慎み、恭敬。
倹(けん)・・・つつましい。倹しい、控えめ。
譲(じょう)・・・ひかえめ。謙譲、敬譲。
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「一家仁,一國興仁;一家讓,一國興讓。」我們希望中國傳統文化能夠帶給地球至少一千年的長治久安,此中教育是關鍵。教育之中,特別要注意啟發本具的愛心,長養恭敬心,因為誠意、正心才能帶來關係的和諧、美好。祭祖就是這樣的教化,它不僅僅是一場大型的活動,更是一個機會教育、一個社會教育,幫助千千萬萬的人了解到一體的愛,確實是文化的核心;它啟發無數人的愛心、恭敬心,幫助大家真切的體會到一體,這就改變了人生、也改變了世界,這是祭祀文化的意義。
「一家仁なれば一国仁に興(おこ)り、一家譲(じょう)なれば一国譲に興る」【注4】。私たちは中国の伝統文化が、少なくとも地球に一千年の長きに渡る社会の安定をもたらすことを願っています。その中で教育が鍵となります。教育の中では、本来具わっている愛を啓発すること、恭敬の心を育てることに特に注意しなければなりません。なぜなら誠意、正心こそが関係の調和をもたらすからです。先祖を祭るとは正にこのような教化であり、ただの大きなイベントというだけではなく、教育の機会、一つの社会教育であり、千万の人が一体の愛を理解するのを助ける、正に文化の核心なのです。それは無数の人の愛、恭敬の心を啓発し、皆がはっきりと一体であることを体験するのを助けます。これは人生を変え、世界をも変えます。これが祭祀文化の意義なのです。
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【注4】 「一家仁,一国興仁。一家譲,一国興譲。」(『大学』の一節)
家に仁の心が満ちていれば、(人々はそれに感化されて)国全体に仁の気風が盛んになるのである。家に謙譲の心が満ちていれば、(人々はそれに感化されて)国全体に謙譲の気風が盛んになるのである。
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古人祭祀有一個重要的環節,就是學習古聖先賢的教誨,緬懷祖宗的德行,這是昭述祖德。為什麼?每一個中國家庭都有家譜,記載了一個家族四、五千年的歷史,後世子孫知道自己的家世、了解家族的歷史,他會愛護自己的家庭、關心自己的家族。一個人能夠愛家,就能夠愛國;懂得愛國,就能善待世界上其他的國家,世界和平的根基就從這裡奠定。一個人如果能夠愛護、尊重自己的家族,他就會善待自己,他會上進,會把自私自利放下,願意付出。他念念想著自己對家庭的責任,想要光耀門楣,他做人做事會盡心盡力。現代的學校教育非常重視素質教育,希望能夠培養學生的正面態度,培養有社會責任感的公民,祭祀活動正是現代教育迫切需要的素質教育、養成教育。祭祖所具備的重要教育意義,我們希望全社會都能認識到。
古人の祭祀は一つの重要な節目であり、古聖先賢の教誨を学び、先祖の徳行に思いを馳せ、先祖の遺徳をはっきりと書き記すことです。なぜでしょうか?どの中国の家庭にも家譜(かふ:家系図)があり、一つの家族の四、五千年の歴史が記載されています。後世の子孫が自分の家柄を知り、家族の歴史を理解すれば、その人は自分の家庭を大切にし、家族に関心を寄せます。人は家を愛することができれば、国を愛することができます。国を愛することを理解すれば、世界の他の国を大切にすることができます。世界平和の土台はここから固めるのです。人はもし自分の家族を大切にし、尊重することができれば、その人は自分を大切に扱います。その人は進歩します。私利私欲を放下(ほうげ:手放すこと)し、人に尽くすことを望みます。その人は自分の家庭に対する責任を思います。家門を輝かせることを思います。その人は人として何をするにも誠意を尽くします。現代の学校教育は全人教育【注5】を非常に重視しています。学生の積極的な態度を養い、社会の責任感ある公民を育てることを願っています。祭祀の活動は、正に現代教育が切迫して必要としている全人教育であり、人格形成教育なのです。祭祖が持っている重要な教育の意義を、全社会が認識することを願っています。
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【注5】 全人教育(ぜんじんきょういく):知識・技能教育に偏ることなく、感性・徳性なども重視して、人間性を調和的、全面的に発達させることを目的とする教育。(デジタル大辞泉)
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佛教以孝為本,今天在座的許多同學是佛弟子,祭祖喚醒我們的孝心、恭敬心,這是入道的門徑,也是證道的通途。「孝」這個字是會意字,表示老一輩和子一輩是一體。祭祖時,將我們與無量無邊的祖先、千秋萬代的子孫聯繫為一體,這是什麼含義?這是提醒我們萬法一體。一切萬法,不是一家,而是一體,這個關係多麼親切!我們和無量無邊的眾生是一體,我們和阿彌陀佛也是一體。中峰國師在《三時繫念》中說:「淨土即此方,此方即淨土」,這是一個道理。我們今天參加祭祖,參加三時繫念法會,加深我們對於阿彌陀佛的信心,加深對往生極樂世界的願心。果然能夠這樣祭祖,那真的是暢佛本懷、功德無量!
仏教は孝を以て本と為します。今日ご臨席の多くの方々は仏弟子です。先祖を祭ることは私たちの孝心、恭敬心を呼び覚まします。これは入門の入り口であり、また道を証得する大道でもあります。「孝」という字は会意文字であり、前の世代と次の世代が一体であることを表しています。先祖を祭る時、私たちは無量無辺の先祖と、千秋万代の子孫と繋がり一体になるのです。これはどのような意味が含まれているのでしょうか?これは万法は一体であることを私たちに注意喚起するものです。一切万法は、家族どころか一体なのです。この関係はどれほど近しいことでしょうか!私たちは無量無辺の衆生と一体であり、阿弥陀仏とも一体なのです。中峰国師は『三時繋念』の中で「浄土即ち此の方、此の方即ち浄土」(浄土即此方,此方即浄土)と説かれましたが、これと一つの道理です。私たちは今日先祖の祭祀に参加し、三時繋念法会に参加して、阿弥陀仏に対する信心を深め、極楽世界に往生する願いを深めています。このように先祖を祭ることは、仏の本懐に通じ、無量の功徳があることなのです!
恭祝本次祭祖圓滿成功!祈願台灣風調雨順、人民安樂、教化大興、社會進步!世界各族人民傳統復興、安定和平、盛世再臨!阿彌陀佛!
今回の先祖祭祀が円満に成功することを謹んでお祈りいたします。台湾の気候が順調になり、人民が安らかに暮らし、教化が盛んになり、社会が進歩しますよう祈願いたします!世界の各民族の方々が伝統を復興し、安定と平和を実現し、世の繁栄が再び訪れますように!阿弥陀仏!
The Journey:Master Chin Kung’s Sixty Years of Dedication to Propagating Buddhism
安定社會靠教育,出離生死憑念佛——二〇一九年農曆春節談話
社会の安定は教育に頼り、出離生死【注1】は念佛に頼る――二〇一九年春節の談話
2019/2/5 台灣台南極樂寺 檔名:32-314-0001
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【注1】出離生死(しゅつりしょうじ)・・・・悟りを開いて生死の苦海から脱すること。(デジタル大辞泉)
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今天是二O一九年農曆大年初一,祝賀大家新春吉祥!
今日は二〇一九年旧暦の元日です。皆さま新年明けましておめでとうございます!
去年我待在法國巴黎的時間比較多,很多同修非常關心我在巴黎都做些什麼?我想利用今天這個機會,跟大家做個匯報。
昨年私はフランスのパリに比較的長い時間滞在していたので、多くの門徒の皆さまは私がパリで何をしていたのか関心を持たれていました。今日はこの機会を利用して、皆さまにご報告したいと思います。
二OO六年,我第一次在巴黎聯合國教科文組織總部參加活動,就意識到這是一個非常理想的、促進世界和平的平台。往後,我年年參加他們的活動,並且分享報告我們在團結宗教、團結族群、復興中國傳統文化方面的經驗與成果。二O一七年九月,因緣具足,在佛菩薩與古聖先賢的加持下,教科文組織總部核准成立淨空之友社。淨空之友社的宗旨及目的與教科文組織一致,是幫助世界化解衝突、促進社會安定和平。
二〇〇六年、私は初めてパリのユネスコ(国連教育科学文化機関)本部の活動に参加しました。そして、これは非常に理想的な、世界平和を促進する舞台であると認識しました。その後私は毎年彼らの活動に参加し、また私たちの宗教の団結、民族の団結、中国伝統文化の復興に関する経験と成果についてご報告しました。二〇一七年九月、因縁が整い、仏菩薩と古聖先賢のご加護のもと、ユネスコ本部に浄空之友社を設立することが許可されました。浄空之友社の宗旨及び目的はユネスコと一致しています。世界の衝突の解消を助け、社会の安定と平和を促進することです。
為什麼和平如此重要?我記得我五歲時,爆發了九一八事變,日本開始侵華;十一歲那一年又遇上了七七事變,日本全面發動戰爭。八年抗戰,我在槍炮聲中天天逃難,錯過了人生中最重要的求學時期。沒有和平的大環境,求學難、學佛難,復興佛教更難。我這一輩的人,在這個世間歷經了將近一百年,遭遇過戰爭之苦,對於和平的感觸尤為深刻。
なぜそれほど平和が重要なのでしょうか?私は覚えています。私が五歳の時、九一八事変【注2】が勃発し、日本の中国侵略が始まりました。十一歳の年に七七事変【注3】があり、日本は全面的に戦争を起こしました。八年の抗日戦争【注4】では、私は銃声の中を毎日避難していたので、人生の中で最も重要な学校で学ぶ機会を失いました。平和のない環境では、学校で学ぶことは難しく、仏に学ぶことは難しく、仏教を復興することは更に難しいのです。私のこの世代の人は、この世間で百年近くの間に幾度も経験してきました。戦争の苦しみに遭遇しました。平和に対する感慨は特に深いのです。
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【注2】九一八事変・・・・満州事変のこと。1931年9月18日、関東軍は奉天(今の瀋陽)で南満州鉄道の線路を爆破した(柳条湖事件)。しかし関東軍はこれを中国軍の行為だとして中国東北部への侵略戦争を開始した。
【注3】七七事変・・・・盧溝橋事件のこと。1937年7月7日中国北京郊外の盧溝橋付近で日本と中国の軍隊が衝突した事件。その後日中戦争に発展した。
【注4】抗日戦争(こうにちせんそう)・・・・日中戦争(1937年~1945年)のこと。
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如何促進和平、和諧?世界亂了,怎麼辦?這也是我在淨空之友社與各位大使所共同關心,並且談論最多的話題。梵蒂岡大使我很佩服他,他看得很透徹,指出社會問題的根本原因就在於無知。中國老祖宗有智慧,在《禮記》中提出了「教學為先」這一帖良方;印祖在世也大聲疾呼:「家庭教育為天下太平之根本」。
如何にして平和、調和を促進するのでしょうか?世界は乱れています。どうすれば良いのでしょうか?これも浄空之友社における大使各位との共通の関心事であり、議論が最も多い話題です。私はバチカンの大使に敬服しました。彼の見方は透徹しています。社会問題の根本的な原因は無知にあるのだと指摘されました。中国のご先祖様の智慧、『礼記』の中で提起されている「教学を先と為す」は一つの優れた処方箋です。印祖【注5】はご在世の頃「家庭教育は天下太平の根本である」と声を大にして呼びかけておられました。
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【注5】印祖・・・・印光大師(1861-1940)のこと。釈印光、法名を聖量、字を印光、自称・常慚愧僧。中国浄土宗第十三代祖師。
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但是諸位要曉得,今天家庭教育沒有了,學校教育也沒有了。現在的學校教什麼?教的是科技、是技術,教你如何在社會上賺錢,這不是真正的教育。教育是教你怎麼做人,教倫理、教道德、教因果。倫理是人與人之間的關係,包括父子、夫婦、兄弟、君臣、朋友的關係。道德教育是教人要仁愛、要遵守道義、要注重禮節、要有理智、要守信用。因果教育是教人深信因果法則,深信善有善報、惡有惡報。清朝周安士居士曾言:「人人知因果,天下大治之道也;人人不知因果,天下大亂之道也。」有倫常道德、因果報應的觀念,人會懂得孝親尊師、友愛兄弟,起心動念、言語造作會知道分寸,但是今天家庭、學校、社會裡頭,都沒有這些教育,都疏忽了。
しかし皆さまは理解しておかなければなりません。今日家庭教育はなくなりました。学校教育もなくなりました。今の学校は何を教えているのでしょうか?教えるのは科学技術、技術なのです。社会でどのようにお金を稼ぐのかを教えています。これは真の教育ではありません。教育とはどのように身を処するかを教え、倫理を教え、道徳を教え、因果を教えるものです。倫理は人と人との関係です。父子(親子)、夫婦、兄弟、君臣(君主と臣下。転じて上司と部下)、朋友(友達)の関係を含みます。道徳教育は人に仁愛を教え、道義を守り、礼節を重んじ、理智(理性と知恵)を持ち、信用を守ることを教えます。因果教育は人に因果の法則を深く信じることを教え、善には善の報いがあり、悪には悪の報いがあることを教えます。清朝の周安士居士はかつて「人々が皆因果に明るければ、天下は大いに治まり、人々が因果に暗ければ、天下大乱の道である」と説かれました。倫理道徳、因果応報の観念があれば、人は親に孝行し、師を尊び、兄弟を愛することを理解し、心の使い方、言葉や行為はけじめをわきまえているものです。しかし今の家庭、学校、社会の中では、これらの教育はありません。すべて疎かにしています。
東方幾千年來有儒釋道三家的教學,西方則有宗教教育,倫理、道德、因果、聖賢智慧是兩者共同的核心教學內容,教人做好人、做善人、做賢人、做聖人。所以,如果西方致力於宗教團結、恢復宗教教育,東方將儒釋道的教學發揚光大,會有助於恢復社會秩序,促進社會安定和諧,人們能過上幸福美好的日子。
東洋には数千年来儒家、仏家、道家、三家の教学があり、西洋には宗教教育がありました。倫理、道徳、因果、聖賢の智慧には両者ともに共通の教学内容があります。それは良い人になり、善人になり、賢人になり、聖人になることを人に教えるものです。ですから、もし西洋が宗教の団結、宗教教育の復興に尽力すれば、東洋の儒家、仏家、道家の教学は大いに発揚され、社会秩序の回復を助け、社会の安定と調和を促進させ、人々は幸福な日々を過ごすことが出来るでしょう。
那麼,如何團結宗教?宗教是愛的教育,每個宗教的經典都講到「神愛世人」。所有的神是一個真神的化身,你歡喜基督,他就現基督身;你喜歡釋迦牟尼佛,他就現釋迦牟尼佛身;我們想什麼,他就現什麼。所以神是一個,眾神一體,宗教一家。如果以愛為核心,以倫理、道德、因果、聖賢智慧教育為基礎,就能夠將宗教團結起來。
それでは如何にして宗教を団結させるのでしょうか?宗教は愛の教育です。どの宗教の経典にもすべて「神は世人を愛す」と説かれています。すべての神は一つの神の化身であり、あなたがキリストが好きならキリストとして現われ、あなたが釈迦牟尼仏が好きなら釈迦牟尼仏として現れます。私たちが何を思うかによって、その人として現れるのです。ですから神は一つであり、衆生と神は一体であり、宗教は家族なのです。もし愛をもって核心と為し、倫理、道徳、因果、聖賢の智慧の教育をもって基礎と為すなら、宗教を団結させることが出来るでしょう。
我今年九十三歲了,走講經教學這條道路也有六十年了,我真正希望宗教能回歸教育。希望各宗教都有人發心來講經教學,將經典講清楚,大家聽明白了,落實於日常生活,放下自私自利,像神一樣的愛世人,就能讓宗教愛的教育在地球上復興起來。另一方面,要積極復興儒釋道三家的教育,這是中國幾千年來祖宗教化後代主要的教學,也是屬於全人類的智慧寶藏,能夠幫助我們解決問題、離苦得樂。但是,今天三家都面臨後繼無人的危機。如果老祖宗辛辛苦苦留下來的智慧,在我們這一代斷掉了,我們就是大罪人。
私は今年で九十三歳(数え年)になり、講経(こうきょう:経を講じること)、教学の道を歩いて六十年になります。私は本当に宗教が教育に回帰することを願っています。各宗教において、どなたかが講経、教学することを発心し、経典を明瞭に講じて、皆がそれを理解して日常生活で実践し、私利私欲を放下(ほうげ:手放すこと)して、神と同じように世人を愛し、宗教の愛の教育を地球上に復興させることを願っています。その他にも、儒家、仏家、道家、三家の教育を積極的に復興しなければなりません。これは中国で数千年来ご先祖様が次世代を教化してきた主要な教学であり、全人類の智慧の宝蔵でもあり、私たちが問題を解決し、苦しみを離れ、安らぎを得ることを助けてくれます。しかし、今日では三家とも後継者がいない危機に直面しています。もしご先祖様が苦労して残して下さった智慧を、私たちの世代で断ってしまったら、私たちは大罪人です。
那要如何拯救傳統文化?眼下最重要的是培養接班人。這十年是關鍵,十年之後,老一輩的老師可能都不在了,到那個時候想學也沒人教了。因此,迫切需要不求己利、有使命感的年輕人,真正發心「為往聖繼絕學,為萬世開太平」,內學釋迦牟尼佛,斷貪瞋痴慢疑;外現孔老夫子的溫良恭儉讓,以身作則,做出榜樣。
それでは如何にして伝統文化を救うのでしょうか?今最も重要なのは後継者を育成することです。この十年が鍵です。十年後には、先の世代の老師はおそらく誰もいなくなります。その時に学ぼうと思っても教える人はいません。このことから、自己の利益を求めない使命感のある若者が「往聖の為に絶学を継ぎ、万世の為に太平を開く」【注6】ことを真に発心すること。内に釈迦牟尼仏に学び、貪瞋痴慢疑【注7】を断ち、外に孔夫子の温良恭倹譲【注8】を現して、身をもって範を示し、手本となることが切迫して必要です。
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【注6】「往聖の為に絶学を継ぎ、万世の為に太平を開く」(為往聖継絶学、為万世開太平)
昔の聖人の為に途絶えた学問を継承し、後世何代も続く世の為に平和を築く。(意訳)
【注7】貪瞋痴慢疑(とん・じん・ち・まん・ぎ)
貪(とん)・・・貪り。貪欲。
瞋(じん)・・・怒り。瞋恚。
痴(ち)・・・愚かな迷い。愚痴。
慢(まん)・・・傲慢。
疑(ぎ)・・・真理に対する疑い。懐疑。
【注8】温良恭倹譲(おん・りょう・きょう・けん・じょう)
温(おん)・・・おだやか。温和、温厚。
良(りょう)・・・すなお。善良。
恭(きょう)・・・うやうやしい。慎み、恭敬。
倹(けん)・・・つつましい。倹しい、控えめ。
譲(じょう)・・・ひかえめ。謙譲、敬譲。
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如何培養接班人?救急的,可以辦短期的國學補習班;根本的,還是要辦一條龍的學校。不論是救急還是根本,都應該採取中國傳統有次第的教學方法。初級學做人,奠定倫理、道德的基礎,教材用《聖學根之根》;中級學做事,主要學習「四書五經」;高級學《群書治要》,學成之後就懂得如何治國、平天下。這些傳統的經典不僅要會背,還要能講解、能做到,才能獲得個人身心健康、家庭幸福、社會安定、世界和平。
如何にして後継者を育成するのでしょうか?喫緊のことでいえば、短期の国学補習班を作れば良いでしょう。根本のことでいえば、やはり系統的に教える学校が必要です。喫緊のことであろうと根本のことであろうと、中国伝統の段階的な教学方法を採用しなければなりません。初級では人としての身の処し方を学びます。倫理、道徳の基礎を定着させます。教材は『聖学根之根』を用います。中級は事に当たることを学びます。主に「四書五経」を学びます。上級は『群書治要』を学びます。学んだ後で、如何にして国を治め、天下を平らかにするかが理解できます。これらの伝統の経典は暗唱するだけでなく、講釈でき、実践できなければなりません。それができてこそ心身の健康、家庭の幸福、社会の安定、世界の平和が得られるのです。
團結宗教、復興傳統文化,是利益全人類的大事,機會遇到了,要能認識、掌握住,盡心盡力去做;如果沒有緣分,絕對不攀緣。我們念佛同修一定要常常提醒自己,什麼是人生第一樁大事?念佛往生才是第一大事。要知道,今生能遇到佛法、能得人身、能相信淨土法門,太難太難了!佛告訴我們,這是百千萬劫難遭遇。如果這一生不能往生西方極樂世界,又繼續搞六道輪迴,不知道要多少劫才能再遇到佛法。現在災難這麼多,真明白了,遭遇災難也不怕;不但不害怕,還生歡喜心,為什麼?往生的機會到了,這時候放下萬緣,一心念佛,求生極樂世界,阿彌陀佛決定來接引我們。
宗教の団結、伝統文化の復興は全人類の益となる大事です。チャンスを得たら、認識し、理解して、力を尽くして行うことです。もし縁が無いなら、絶対に攀縁(はんえん:縁にすがること)してはなりません。私たち念仏の門徒は常に自分に注意喚起しなければなりません。人生で最も大事なことは何でしょうか?念仏往生こそが最も大事なことです。知っておかなければなりません。今生で仏法に出会い、人身を得て、浄土法門を信じることができる。それは非常に難しいことなのです!仏は私たちに説かれています。これは「百千万劫遭遇すること難し」なのです。もしこの一生で西方極楽世界に往生できなければ、また六道輪廻を継続することになり、どれほど長い時間をかけてまた仏法に出会えるか分かりません。今は災難がこれほど多いですが、本当に理解していれば、災難に遭っても恐くはありません。恐くないだけでなく、歓喜心が生じます。なぜでしょうか?往生の機会が来たからです。この時に万縁を放下して、一心に念仏し、極楽世界を求生(ぐしょう:生まれることを求めること)すれば、阿弥陀仏は必ず私たちを迎えに来てくださいます。
什麼人是真正的念佛人?海賢老和尚做出樣子給我們看,他老人家一生開荒種地,收成的糧食、水果蔬菜都用於布施,救濟貧苦,正是工作不礙念佛,念佛不礙工作,一句佛號不離口。還常常叮嚀大家,只有往生極樂世界是真的,其他全是假的。這是真正的念佛人,事上很勤奮的做,但心上一點都不沾染,心裡就只放一尊阿彌陀佛,口裡只念這一句阿彌陀佛,把心變成阿彌陀佛,這就對了。《金剛經》上佛告訴我們:「凡所有相,皆是虛妄」,「一切有為法,如夢幻泡影」。世間事是假的,不是真的,既然明白不是真的,就不要放在心上。萬緣放下,真信真願,只念這一句阿彌陀佛,決定往生,念佛法門保證我們一生成就!
どのような人が真の念仏者なのでしょうか?海賢和尚はその様子を私たちに見せてくださいました。ご老人は一生荒地を開墾して農作業に従事されていました。収穫した食糧、果物や野菜は布施として用い、貧しい人を救いました。正に仕事は念仏の妨げにならず、念仏は仕事の妨げになりませんでした。一句の仏号は口を離れません。そして常に「ただ極楽世界に往生することだけが真実であり、その他はすべて偽りである」と繰り返し皆に話していました。これが真の念仏者です。事の上では勤勉に働きましたが、心は塵にも染まりません。心の中は阿弥陀仏だけです。口では一句の阿弥陀仏を唱えるだけです。心は阿弥陀仏に変わります。これで良いのです。『金剛経』で仏は私たちに説かれています。「およそ姿形あるものは、すべて虚妄である」【注9】、「すべての現象は、夢、幻、泡、影のよう、また露、または電光のようなもの、そのように見るが良い」【注10】。世間の事は偽りであり、真実ではありません。真実ではないと分かったなら、心に留めてはなりません。万縁を放下して、本当に信じて願い、ただ一句の阿弥陀仏を念ずれば、必ず往生します。念仏法門は私たちが一生で成就することを保証しています!
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【注9】「およそ姿形あるものは、すべて虚妄である」(凡所有相,皆是虚妄)
凡そ相有る所、皆是虚妄なり。
【注10】「すべての現象は、夢、幻、泡、影のよう、また露、または電光のようなもの、そのように見るが良い」(一切有為法,如夢幻泡影,如露亦如電,應作如是觀)
一切の有為(うい)の法、夢幻泡影(むげんほうよう)の如し、露の如く亦(ま)た電(かみなり)の如し、応(まさ)に是(か)くの如く観を作(な)すべし。
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我們還有一個好榜樣,劉素雲姐姐劉素青老居士,她發心表演自在往生,信願懇切,一切放下,一心念佛,接到佛傳來的訊息,往生的時間一分一秒都不差。這是真實的表演,堅定了我們的信心。機不可失,我們完成這一生的使命,將來都做蓮花國裡人,自度度他,得到最圓滿的幸福!
もう一人良いお手本がいます。劉素雲の姉の劉素青居士です。彼女は発心して自在に往生する様子を演じてくれました。深く信じて願い、一切を放下して、一心に念仏して、仏が伝えた情報を受け取りました。往生した時間は一分一秒の差もありませんでした。これは真実の実演であり、私たちの信心を固めてくれます。機を逸してはなりません。私たちはこの一生の使命をまっとうして、将来皆で蓮華国(極楽浄土)の人となるのです。自他ともに済度して、最も円満な幸福を得るのです!
今天,非常歡喜在新春之際與大家共期共勉。祝福諸位福慧增長、法喜充滿、淨滿圓成、光壽無量。祝福世界多元宗教團結互助、回歸教育、互相學習,大家都做眾神的使者,愛心遍法界,善意滿人間。祝福中國傳統文化後繼有人,遍地開花,利益全球。祝福世界安定和平、永續繁榮,盛世大同。謝謝大家。
今日は新春にあたり皆さまと共に励まし合えたことを嬉しく思います。皆さまの「福慧増長、法喜充満、浄満円成、光寿無量」を祝福致します。世界の様々な宗教が団結して助け合い、教育に回帰し、互いに学び合い、皆が神の使者となり、愛が法界(ほっかい:全宇宙)に行き渡り、善意が人間界に満ちることを祝福致します。中国の伝統文化に後継者があり、辺り一面に花が咲き、全地球の益となることを祝福致します。世界の安定と平和、永続的な繁栄、盛世大同(国が栄え理想社会が実現すること)を祝福致します。皆さまありがとうございました。
<訳者補記>
福慧増長・・・・福徳と智慧が増すこと。
法喜充満・・・・法の喜びに満ち溢れること。
浄満円成・・・・清浄(しょうじょう:清らかさ)が満ちて円満に成就するの意であろう。
光寿無量・・・・阿弥陀如来の計り知れない智慧の光と寿命のことであろう。
不忘初心 振興傳統文化 ——戊戌年春節談話
初心忘るべからず 伝統文化の振興――戊戌年春節談話
2018/2/16 馬來西亞漢學院明倫堂 檔名:32-261-0001
各位法師、各位同學:大家好!
法師各位、学生の皆さま、こんにちは!
今天是戊戌年春節,在這一元復始、萬象更新的傳統佳節裡,祝願大家新年新希望、新年新氣象、新年新成就!
本日は戊戌(つちのえいぬ)の春節です。この新たな始まり、万象の改まる伝統の佳節(かせつ:おめでたい日)に、皆さまの新年の新しい希望、新年の新しい気風、新年の新しい成就をお祈り致します!
時間進入到廿一世紀,我們觀察現在的國際形勢,可以肯定中國優秀傳統文化真正能夠幫助全世界人類化解衝突,促進安定和平,這是全世界真正需要的,也是國家正在大力提倡的。因此,我們深信,中國傳統文化會在這個世紀發揚光大,利益全人類。
時は二十一世紀に入りました。私たちは現在の国際情勢を観察しますと、中国の優秀な伝統文化は本当に全世界人類の衝突を解消し、安定と平和を促進する助けとなることを肯定することができます。これは全世界が本当に必要なものであり、国が力を入れて提唱しているものです。このことから、私たちは中国伝統文化がこの世紀に大いに発揚され、全人類にご利益をもたらすと確信しています。
中國老祖宗、古聖先賢將世界和平的道理講到徹底了,《大學》裡面提出「格物、致知、誠意、正心、修身、齊家、治國、平天下」這個體系,由內聖而外王,這是世界和平的精確藍圖,按照這個次第來做,一定可以實現這個美好的夢想。所以我們常說,中國傳統文化是人類老祖宗的智慧結晶,是屬於全世界、全人類的珍貴文化遺產,值得大家共同來落實與弘揚。
中国のご先祖様、古聖先賢は、世界平和の道理を徹底して説かれました。『大学』の中では「格物、致知、誠意、修身、斉家、治国、平天下」を提起しています。この体系は、内に聖人、外に王者の徳を備え、世界平和の精確な青写真であり、この順序に沿って行えば、必ずや美しい夢は実現できるでしょう。ですから私たちは「中国の伝統文化は人類・先祖の智慧の結晶であり、全世界、全人類の貴重な文化遺産であり、皆でそれを実践し振興する価値がある」と言っています。
傳統文化的弘揚,關鍵在教育。古聖先賢留下來的倫理教育、道德教育、因果教育、聖賢教育,完整的將世界大同的方法說出來了,這是禁得起五千年歷史考驗、真正行之有效的方法。關於傳統文化教育的落實與效果,我們做過了幾個實驗都很成功,證明了傳統文化確實能夠端正世道人心,促進社會安定和諧。
伝統文化の発揚、その鍵は教育にあります。古聖先賢が残された倫理教育、道徳教育、因果教育、聖賢教育、完全なる世界の理想社会の方法を説かれました。これは五千年の歴史的試練に耐えた、真に実験済みの有効な方法です。伝統文化教育の実践と効果に関して、私たちは何度か実験を行いすべて成功しており、伝統文化は間違いなく世相と人心を正し、社会の安定と平和を促進できることを証明しています。
在這新的一年開端之際,我們這些曾經一起弘揚傳統文化教育的老師、同學們重聚在一起,這是一次稀有難逢的因緣!希望大家再度攜手合作,共同為振興傳統文化教育、利益社會國家而努力。我們也希望所有弘揚傳統文化,弘揚國學、漢學的志士仁人能夠團結起來,凝聚大家的力量,共同為傳統文化的承傳與發揚,做出非常有意義的貢獻。
この一年の始まりに際して、かつて一緒に伝統文化教育を発揚した先生、学生たちが再び一堂に会しました。これは稀有で得難い因縁です!皆さんが再び手を取り合って協力し、伝統文化教育を振興し、社会国家に益をもたらす為に努力されることを願っています。また私たちは伝統文化を発揚し、国学・漢学を発揚する志士たちが団結し、皆の力を凝集して、共に伝統文化の継承と発揚の為に、意義のある貢献をされることを願っています。
祝福大家新年快樂,萬事如意!諸惡莫作,歲歲平安;眾善奉行,年年如意!謝謝大家!
皆さま新年おめでとうございます。万事が思い通りでありますよう祝福致します!悪い行いをせず、ますます平安になり、善い行いして、年々思い通りになりますように!皆さま有り難うございました!
為往聖繼絕學 為萬世開太平——二O一八年元旦談話(共一集)2018/1/1
往聖の為に絶学を継ぎ、万世の為に太平を開く――二〇一八年元旦談話
台灣台南極樂寺 檔名:32-257-0001
諸位法師、諸位同學:大家好!
法師各位、門徒の皆さま、こんにちは!
今天是二O一八年元旦。在這新年的第一天,祝福大家諸惡莫作,歲歲平安;眾善奉行,年年如意!
今日は二〇一八年の元旦です。この新年の第一日にあたり、皆さまが「悪い行いをすることなく、ますます平安になり、善い行いをして、年々思い通りになる」(諸悪莫作,歳歳平安;衆善奉行,年年如意)ことを祝福致します!
中國自古以來,遇到重要的節日,老人家會教導晚輩,要謹慎小心,才會大吉大利,這是很有道理的;老人自己會很謹慎,表演給晚輩看;有這樣的良好風氣,所以社會一片祥和。特別是在言語上,強調要互相讚歎,不能互相毀謗。古人觀察到,如果人與人之間互相讚歎,那是太平盛世的氣象;如果人與人之間互相毀謗,那是災禍的預兆。中國人將一年分成二十四個節氣,就是每半個月提醒大家一次,不要忘了互相讚歎;太平盛世是從讚歎來的。互相讚歎,人們有享不盡的福報;互相毀謗,人們有受不完的災難。最重要的是從自己本身做起。一個人一生沒有怨恨的人,這樣的人生多麼自在、多麼歡喜!
中国では昔から、重要な祝日になると「慎み深く気をつけていてこそ、大いに縁起が良くなるものだ」と年寄りが若者を教えたものです。これはとても道理のあることです。年寄り自身が慎み深くふるまい、若者に演じて見せました。このような良い気風があったので、社会は穏やかでした。特に言葉の上では、お互いに称賛すること、お互いに誹謗してはならないことを強調します。古人は観察していました。もし人と人とがお互いに称賛しているなら、それは太平の世の現れであり、もし人と人とがお互いに誹謗しているなら、それは災禍の予兆であると。中国人は一年を二十四の節気に分けました。つまり半月ごとに一度、お互いに称賛することを忘れないよう、皆を注意喚起していたのです。太平の世は称賛から来るのです。お互いに称賛していれば、人々には享受し尽くせない福報があり、お互いに誹謗していれば、人々には尽きることのない災難があるのです。最も重要なのは自分から始めることです。一人の人が一生涯人を恨むことがない。このような人生はそれほど自在で、どれほど喜ばしいことでしょうか!
我們努力承傳古聖先賢的教誨,希望東方人恢復聖賢教育,西方人恢復宗教教育。我們在英國成立了漢學院,承傳儒釋道三家聖教和古漢語;我們還贊助了和諧博士班,為各宗教培養弘法人才。我們也準備跟台南成功大學合作,辦漢學組,培養漢學的優秀人才。極樂寺開辦了漢學蒙學課程與文字、音韻、訓詁學的課程,禮請德學兼優的教授前來授課。馬來西亞漢學院也在辦班教學。澳洲淨宗學院開辦「童蒙養正學習班」。舉辦這些教學課程的目的,就是為往聖繼絕學,為萬世開太平。歡迎大家介紹對國學有深厚造詣的人,我們可以禮請他為老師,或者邀請年輕、有志一同者前來參加學習。
私たちは古聖先賢の教誨を継承する努力をしています。東洋人が聖賢の教育を復興し、西洋人が宗教教育を復興することを願っています。私たちはイギリスに漢学院を設立して、儒教・仏教・道教の三つの聖教と古い漢語を継承します。私たちはまた各宗教が教えを広める人材を育成するための、調和博士課程を賛助します。また台南成功大学と協力して、漢学チームを作る準備をしています。漢学の優秀な人材を育成します。極楽寺では児童が学ぶ漢学塾の課程、文字、音韻(おんいん)、訓詁学(くんこがく:中国の伝統的な言語学のうち、語の意味を研究する学問)の課程を設立し、徳と学問を兼ね備えた教授を招いて講義を行っています。マレーシア漢学院でも教学を行っています。オーストラリア浄宗学院には「幼児を正しく育てるための学習班」を開設しました。これらの教学課程を設立した目的は、正に「昔の聖人の為に途絶えた学問を継承し、後世何代も続く世の為に平和を築く」(往聖の為に絶学を継ぎ、万世の為に太平を開く)【注】ことにあります。皆さまが国学に深い造詣のある方を紹介して下さることを歓迎致します。私たちはその人を教師としてお招き致します。或いは、若くて志を同じくする者が学習に参加するならご招待致します。
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【注】「為往聖継絶学、為万世開太平」
往聖の為に絶学を継ぎ、万世の為に太平を開く。
昔の聖人の為に途絶えた学問を継承し、後世何代も続く世の為に平和を築く。(意訳)
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我們強調「眾神一體,宗教一家;平等對待,和睦相處」,這是我們共同努力的目標。大家要團結,要和平,不要動亂。大家修行的核心,在於如何把神的愛變成我們自己的愛心。每個宗教徒都要代表神、代表上帝來愛世人,幫助世人解答一切疑難問題,化解衝突,促進社會和諧、世界和平。個人修行、團體共修都要朝向這個方向。
淨土法門非常難得!我們得到人身、聽聞佛法、得聞淨土法門,特別是得聞夏蓮居老居士會集的《無量壽經》,這個機緣真是無量劫來稀有難逢的一日!明白這個道理,淨宗同修人人都應成就,成就的關鍵在看破放下。祝福大家看破凡所有相皆是虛妄,放下貪瞋痴慢疑,真信切願,老實念佛,往生極樂,一生成佛!人人有分。謝謝大家!