福是自己修來的 / 福は自分で修めたものである
文摘恭錄—淨土大經解演義(第一四五集)2010/9/16 檔名:02-039-0145
現在世間有福的人很多,享福的人,福從哪裡來的?都是過去供養三寶,布施諸天人民、蜎飛蠕動,都是這麼修來的。現在享福,如果不明白這個道理,不再修福,福享完就沒了。不像從前,從前你看三教,儒釋道三教盛行於世,人人都學,人人都懂,修福的人他有種福,他的福報享不盡,一代一代都傳下去。現在人可憐,福報享盡就完了,有很多很多人你細心去觀察,傳不到第二代,一代就完了。還有很多人連一代都不到,現在很興盛,晚年就不行了,倒閉了、破產了,連自己這一生都保不住,什麼原因?福享盡了,沒有繼續修。所以享福要懂得修福,沒有福,更要懂得修福。
今の世間には、福のある人、福を享受している人がたくさんいます。福はどこから来るのでしょうか?すべて過去に三宝(さんぼう:仏・法・僧)に供養していたのです。諸天の人々や生き物たちに布施をして、すべて修めたものなのです。今福を享受していて、もしこの道理を知らずに、もう福を修めていないのであれば、福を享受し終われば無くなってしまいます。昔とは違います。昔は儒教・仏教・道教の三教が世の中に盛んで、誰もが学び、誰もが理解していました。福を修める人は福の種を植えているので、福報を享受し尽くすことがありません。代々伝えることができます。今の人は気の毒なもので、福報を享受し尽くしたらお仕舞いです。注意して観察していると、本当に多くの人は二代目にも伝わりません。一代で終わりです。また多くの人は一代さえ続きません。今とても繁昌していても、晩年には駄目になり、倒産し、破産してしまいます。自分のこの一生さえ維持できません。何が原因なのでしょうか?福を享受し尽くして、引き続き修めていないからです。ですから福を享受するなら、福を修めることを理解しなければなりません。福がないのであれば、なおさら福を修めなければなりません。
我是一個沒福報的人,年輕的時候很多這些看相算命的人,我遇到很多,都告訴我,我的命是貧賤之命;貧,沒有財富,賤,沒有地位。什麼原因?到學佛才知道,過去生中沒修福,還好修了一點智慧,就是三種布施裡頭喜歡法布施,疏忽了財布施跟無畏布施,有一點智慧,沒有財富,壽命又短。學佛,遇到章嘉大師、遇到李老師,這些老人都很害,一眼就看破,所以就教我修福,補出來!章嘉大師教我要修財布施,你命裡沒有財,度化眾生還是要財。怎麼修法?修財布施,用財物布施諸天人民。我跟老師說:我生活非常艱難,自己保自己都很勉強,哪來的錢去布施?他問我一毛錢有沒有?我說一毛可以。一塊錢行不行?行,可以。你就從一毛一塊布施,真幹,常存布施的心,有多少布施多少,別去考慮明天、明年。我這個人就聽話,聽老師的,老師怎麼教,我就怎麼做,我就依教奉行。
私は福報のない人でした。若い頃は算命の人(易者)にたくさん出会い、皆私に、私の運勢は「貧賤の命」だと言いました。「貧」は財産がなく、「賤」は地位がないことです。原因は何でしょうか?仏法を学んでようやく分かりました。過去生の中で福を修めなかったのです。まだ良かったのは少しばかり智慧を修めていました。つまり三種類の布施の中では法施(ほうせ:仏の教えを施すこと)が好きで、財施(ざいせ:金銭を施すこと)と無畏施(むいせ:衆生の苦しみを取り除くこと)を疎かにしていたのです。智慧が少しばかりあり、財産はなく、寿命も短かったのです。仏法を学ぶようになって章嘉大師と出会い、李炳南老師と出会いました。彼らは凄いもので、一目で看破されました。ですから私に福を修めることを教えて、補わせたのです!章嘉大師は私に財施を修めなければならないと教えました。あなたの命(めい)には財がありません。衆生を済度するにも、やはり財が要るのです。どのように修めるのでしょうか?財施を修めるには、金銭を用いて諸天の人々に布施をすることです。私は老師に、「私は生活が苦しくて、自分のことで精一杯です。お金の布施などどうしてできるでしょうか?」と言いました。すると老師は「一毛はありますか?」と聞くので、私は「一毛なら大丈夫です」と言いました。「一元ならできますか?」「できます。大丈夫です」
私は一毛、一元の布施から始めました。本当に実行します。常に布施の心を留めておいて、できるだけ布施をしました。明日、来年のことは考えません。私は聞き分けの良い人で、老師の言うことを聞きます。老師が教えれば、私はそのようにします。私は教えに沿って実行します。
果然,真的收入愈來愈多,愈多愈布施,居然能做到一年布施一千萬美金,作夢都想不到的!可是我的布施只有三個項目,第一個是經典,印送經典,這法布施,這長聰明智慧;第二個放生;第三個醫藥,醫院裡面我布施醫藥,那個貧困的人幫助他們醫藥費,沒有中斷。我在我居住這個小地方,澳洲圖文巴市,每年做這些醫藥,無畏布施,每年二十萬澳幣,年年都是。送給世界上許多地方學校獎學金,幫助窮苦的人。我自己什麼都不要,生活非常簡單,一切為眾生。
案の定、本当に収入は増えていきました。多くなれば更に布施をします。一年に一千万ドルも布施できるようになるとは、夢にも思いませんでした!しかし私の布施は三つの事だけです。一つは経典です。経典を印刷して寄贈します。これは法施(ほうせ)です。これは聡明な智慧を伸ばします。二つ目は放生【注】、三つ目は医薬です。病院に医薬を布施します。貧しい人の薬代を助けます。中断しません。私の住む小さな地域、オーストラリアのトゥウンバ(Toowoomba)市で、毎年医薬の布施をしています。無畏施(むいせ)です。毎年二十万オーストラリアドル、毎年そうです。世界の多くの地域に学校の奨学金を贈り、貧しい人を助けています。私自身は何も要りません。生活はとても簡単で、一切を衆生の為にします。
<注>
放生(ほうじょう)・・・・健康長寿を願って、鳥や魚などの生き物を自然界に帰すこと。すべて因果の法則を前提としており、「生き物の生命を解放する」という原因を作り、健康長寿や病気平癒の果報を祈るのである。日本ではほとんど見られないが、中国や台湾では頻繁に行われている。
<参考>
三種類の布施を学ぶ
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/b33ec5d4de9f3bd21246634f50bd14be
金銭を用いて諸天の人々に布施を
のところの諸天とは大黒天さん.毘沙門天さん達のことですか?
具体的には書かれていませんけれども、おそらくその意味でしょうね。普通の意味での「人々」であれば浄空法師は六道衆生と言うと思います。台湾のいろいろな寺院で諸天の像に挨拶しながら財施をされていたのではないか、と推察します。
管理人
自分も諸天様のお参りも大切にしていきます。