浄空法師説法研究

浄空法師の説法に学びながら、日本語に翻訳して紹介しています。

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開悟の秘訣

2015-02-01 | 【疑問に答える】


開悟的祕訣 開悟の秘訣
文摘恭錄—淨土大經解演義(第三十八集)2010/5/13 檔名:02-039-0038

從這個地方讓我們有一個很深的體會,開悟要緊,明心見性要緊,見性之後全都通了,什麼障礙都沒有了。這個事實真相,大乘經教裡佛常說「一經通一切經通」,一個法門通,一切法門都通,所以教你一門深入、長時修,每一門都能通到明心見性。所以法門平等,無有高下,哪一條路都能到家,只要你肯走進去就是,你不要去找岔路。找岔路,那耽誤時間,那就很苦了,找不到家了。一門深入,一部經,一個法門,決定得定,定就是三昧。得到定之後,繼續往前進,絕不改方向,肯定開悟。悟了之後,就像龍樹菩薩一樣,學習就很方便,一點困難都沒有了,一看,明白了;一聽,明白了;一接觸,全都明白了,這是佛法裡修學的祕訣。不相信的,自以為聰明的,他的路子就走遠了,他就有相當的難度。真正聽話,依照祖師大的教誨,「一門深入,長時修」,這是最近的一條道路。
ここから深く理解できることがあります。開悟は重要です。明心見性は重要です。見性した後ではすべてに通じて、何の障碍も無くなります。この事実の真相を、大乗の経教ではよく「一つの経に通じれば一切の経に通じる」(一経通一切経通)と言っています。一つの法門に通じれば、一切の法門に通じます。ですから「一門に深く入り、長期に渡って薫修(くんじゅ)する」(一門深入、長時修)と教えています。どの一門でも通じれば明心見性に至ります。ですから法門は平等であり、優劣はありません(法門平等,無有高下)。どの道でも到達できます。あなたが自ら進んで行けば良いのです。分かれ道に入ってはなりません。分かれ道に入れば時間がかかり、それでは苦しみます。到達できなくなります。一門に深く入り、一部の経、一つの法門であれば、必ず定(じょう:禅定)を得ます。定とは三昧(さんまい)です。定を得た後は引き続き前進して、絶対に方向を変えなければ、間違いなく開悟します。悟った後は、龍樹菩薩と同じように、学習は容易になり、まったく困難は無くなります。見れば分かります。聞けば分かります。接触すれば全部分かります。これは仏法の中の修学の秘訣です。信じられず、自分を賢いと思っていれば、その人は道から遠ざかります。その人は相当に難しいでしょう。本当に聞き分けが良く、祖師大徳の教誨(きょうかい:教え)に照らして、「一門に深く入り、長期に渡って薫修する」ことです。これが最も近い一筋の道です。

<注>
薫修(くんじゅ)・・・・香の薫りが衣服に染みつくように、修行に精進すること。

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開悟の条件

2015-02-01 | 【疑問に答える】


開悟的條件 開悟の条件
文摘恭錄—淨土大經解演義(第七十集)2010/6/27 檔名:02-039-0070

「是故超情離見,圓具十玄也」,這兩個字很重要,超情離見,你才會開悟。你要有情執,不能開悟;你還要有見解,不能開悟。你有見解是所知障,你有情執是煩惱障,這兩樣東西沒放下,放得不乾淨,都沒有辦法開悟。所以開悟的那個條件就是超情離見,要超越情執,這很難。
是故超情離見,圓具十玄也」(是(こ)の故に情を超え見を離るれば、十玄を円具するなり。:情執を超越し、見解を離れれば、十玄を円満に具足することができる)。
この二字は重要です。情執を超越し、見解を離れてこそ、あなたは開悟します。あなたに情執があれば、開悟することはできません。あなたにまだ見解があるなら、開悟することはできません。あなたに見解があれば所知障(しょちしょう)が生じ、情執があれば煩悩障(ぼんのうしょう)が生じます。この二つを放下(ほうげ:手放すこと)せず、きれいに手放していなければ、開悟しようがありません。ですから開悟の条件は「情執を超越し、見解を離れる」(超情離見)ことです。情執を超越しなければなりません。これは難しいことです。

實在講的是,這個煩惱障最困難的就是親情,如何能夠把親情放下。親情放下是不是無情?不是,這個親情放下之後有真情。親情沒有放下,那個親情是假的,叫虛情假意,哪裡有真的?情多變,這個我們要知道。真情永恆不變,為什麼?自性裡面的,它不變的。我們迷失了自性,真情就變成虛情假意,現在大家所執著的就是虛情假意,你不是真的。
実のところを言えば、この煩悩障で最も困難なのは肉親の情(親情)です。どうすれば肉親の情を放下できるのでしょうか。肉親の情を放下することは無情ではないでしょうか?そうではありません。この肉親の情を放下した後で、真情(しんじょう:真心)を持つことができます。肉親の情を放下していなければ、その情は偽物であり、それはうわべだけの好意に過ぎません。どこに真心があるのでしょうか?情は変化します。私たちはこれを理解しなければなりません。真情は永久不変です。なぜでしょうか?自性(じしょう)【注】の中のものは、変わることがありません。私たちは自性を見失っているので、真情はうわべだけの好意に変わっています。今人々が執着しているのは正にうわべだけのものであり、本物ではありません。
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 【注】 自性(じしょう)・・・・各人に内在する真如(しんにょ=宇宙の根源的な存在、永久不変の真理)。本来具えている性質。
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真情出來的時候,那叫大慈大悲,無緣大慈,同體大悲,那是真的,永恆不變。所以諸佛菩薩,諸佛菩薩對一切眾生的關愛,超過母親太多太多了,沒法子比。為什麼?他是自性的,從自性流出來,永恆不變的,所以是圓具十玄。我們學過這個十玄門,圓滿具足,一一法,任何一法,都具足圓滿的十玄。這個才把一切法的性相理事因果講圓滿了,任何一法都是圓滿的,都沒有欠缺的,任何一法都是平等的。你看在這個經裡面顯示的,一微塵跟法界虛空界平等,何況其餘?法界虛空界是今天講的宏觀世界,一微塵是微觀世界,微觀跟宏觀是一不是二,一即一切,一切即一,一是微觀,一切是宏觀,宏觀具足十玄,微觀也具足十玄。
真情(しんじょう:真心)が出た時、それを大慈大悲、無縁大悲、同体大悲と言います。それは本物です。永久不変です。ですから諸仏菩薩の一切衆生に対する思いやりは、母親を遥かに超越しています。比べることなどできません。なぜでしょうか?それは自性だからです。自性から流露した、永久不変のものだからです。ですから「圓具十玄」(十玄を円満に具足する)なのです。私たちが学んだ十玄門が、円満に具足します。一つ一つの法、どの法もすべて円満に具足した十玄です。これでようやく一切法の性、相、理、事、因果を円満に説くことができます。どの法もすべて円満であり、欠点はありません。如何なる法もすべて平等です。この経の中に表されているのは、一つの微塵(みじん:細かい塵)は法界虚空界(大宇宙)と平等だということです。ましてや他のものは尚更平等なのではありませんか?法界虚空界とは今日言うところのマクロ世界です。一つの微塵はミクロの世界です。ミクロとマクロとは一であり、二ではありません。一即一切、一切即一(一即ち一切、一切即ち一)。一はミクロであり、一切はマクロです。マクロは十玄を具足し、ミクロもまた十玄を具足しています。

<補足>
十玄門は華厳宗の教義で「十の玄妙な法門」という意味のようですが、
ここでは語釈を割愛します。各自お調べください。
 十玄:http://baike.baidu.com/view/110917.htm(中国語)

<参考>
一即一切、一切即一(一即ち一切、一切即ち一)
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/f7ba5dfdc824cf1a38f2e2ab3e03688d

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如何にして功徳を修めるか

2015-01-25 | 【疑問に答える】


如何修功? / 如何にして功徳を修めるか
文摘恭錄—淨土大經科註(第三0四集)2012/4/23 檔名:02-037-0304

「修波羅蜜等諸善萬行,積大功,故稱大行」。這菩薩幹的,我們要記住,要知道向他們學習。波羅蜜是說什麼?就是講的六度,修布施。布施不求果報,這個布施是功。千萬不要以為說,佛氏門中捨一得萬報,這個話是真的不是假的,佛氏門中種福是最大的福報,可是,你心裡有求來的,所得的是福報,不是功;如果你什麼都不求,你修布施,這是功,功比福不知道大多少倍。
修波羅蜜等諸善萬行,積大功,故稱大行」(波羅蜜等諸善万行を修め、大功徳を積む。故に大行と称す)。これは菩薩が行うことです。私たちは覚えておかなければなりません。彼らに学ぶことを理解しなければなりません。波羅蜜(はらみつ)とは何を言うのでしょうか?それは講じている六度【注1】のことです。布施を修めることです。布施は果報を求めません。この布施は功徳です。仏門では一を捨てれば万報を得るなどと、決して言ってはなりません。この話は本当です。偽りではありません。仏門の中で蒔いた福は最も大きな福報です。しかし、あなたが心の中で求めたものであれば、得られるのは福報です。功徳ではありません。あなたが何も求めずに布施を修めれば、これは功徳です。功徳は福報の何倍大きいか知れません。
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 【注1】 六度(ろくど)・・・・菩薩が涅槃に至るための六つの徳目。六波羅蜜(ろくはらみつ)のこと。
  布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧(般若)。
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諸位一定要知道,福出不了六道輪迴,功超越三界、超越十法界,什麼樣的福報都不能跟功相比,功了生死、成佛道,福不過享人天福報而已。人天福報之極就是帝王,人間的帝王、天上的天王,你願意去幹這個嗎?做天王、做人王的時候不錯,自己覺得很快樂,可是在那個位子上造業最容易。
皆さんは必ず知っておかなければなりません。福徳では六道輪廻は出られません。功徳は三界【注2】を超越し、十法界【注3】を超越します。どのような福報も功徳とは比べられません。功徳は生死を明らかにして、仏に成る道です。福徳は人天(人道、天道)の福報を享受するに過ぎません。人天の福報の極みは帝王です。人間道の帝王、天道の天王、あなたはこれに成りたいと願うでしょうか?天の王、人の王の時は悪くありません。自分では楽しいと思うでしょう。しかしその地位では一番簡単に業を作ります。
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 【注2】 三界(さんがい)・・・・欲界、色界、無色界。
 【注3】 十法界(じっぽっかい)・・・・地獄から仏界までの十種の世界。(脚注参照)
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開國的帝王、亡國的帝王他們到哪裡去了?幾乎全在地獄。開國的帝王,帝王造地獄業,為什麼?戰爭、殺人,用武力統一這個國家殺多少人!所以叫地獄業。亡國的帝王荒淫無道,虐待百姓,只顧自己享受,不顧人民死活,也是造地獄業。這個事情幹不得的。當中那些帝王享祖宗的餘福,如果沒有大善大惡,福報享完了他到人間,很多墮畜生道,不至於墮地獄。
国を開いた帝王、国を滅ぼした帝王、彼らはどこに行くでしょうか?ほとんどすべて地獄です。国を開いた帝王は、地獄業を作ります。なぜでしょうか?戦争、殺人、武力で統一すればこの国はどれほどの人を殺すことでしょうか!ですから地獄業と言います。国を滅ぼした帝王は酒色に溺れて道を誤り、人々を虐待します。自分が享受することばかりで、人民の死活を顧みません。これも地獄業を作ります。この事をする価値はありません。途中の帝王たちは祖先の恩恵を享受します。もし大きな善悪がなければ、福を享受し終わると人間道に行き、多くは畜生道に行きます。地獄に堕ちるほどではありません。

<注>
仏法の世界観
浄土(じょうど)
 一真法界 生滅の無い世界
 真理そのものの根源的な境界
    ↑
 十法界(四聖法界+六道輪廻) 生滅のある世界
 【四聖法界】(悟界)仏界、菩薩界、縁覚界、声聞界
    ↑
穢土(えど)
 【六道輪廻】(迷界)天界、人界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界

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布施はどこから始めるか

2015-01-18 | 【疑問に答える】


布施從哪裡做起?  布施はどこから始めるか
文摘恭錄—淨土大經科註(第一七二集)2012/2/2 檔名:02-037-0172

五欲,這個欲擴大就是貪欲,對於名聞利養的欲望、對於五欲六塵的欲望一定要放下。放下好!放下什麼?放下得大智慧、大福報,很多人不相信。古人講的話有道理,講量大福大。你放下你才肯幫助別人,你幫助別人,別人就幫助你,得大眾幫助,這個福報是最大。你擁有億萬財產,一個災難來,全沒有了,你怎麼辦?你擁有很多人的愛護、很多人幫助你,你什麼都沒有,你要什麼都不缺乏,這個叫大福報。
五欲(財・色・名・食・睡)。この欲を拡大すれば貪欲です。名聞利養【注1】に対する欲望、五欲六塵【注2】に対する欲望は必ず放下(ほうげ:執着を手放すこと)しなければなりません。放下は良いことです!放下するとどうなるでしょうか?放下すると大きな智慧、大きな福報を得ますが、多くの人は信じません。古人が説かれた話には道理があります。「度量が大きければ福も大きくなる」(量大福大)。あなたは放下すると、進んで人を助けるようになります。あなたが人を助けると、人もあなたを助けてくれます。大衆の助けを得られます。この福報は最も大きなものです。あなたは億万の財産を持っていて、災難に遭ってすべてを失うとします。どうしたら良いでしょうか?あなたは多くの人の助けを得られます。多くの人があなたを助けてくれます。あなたが何もかも失くしても、必要なものは何も不足しません。これが大きな福報です。
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 【注1】 名聞利養(みょうもんりよう)・・・・名声と利得。名誉欲と財欲に駆り立てるもの。
 【注2】 五欲(ごよく)・・・・財欲、色欲、食欲、名欲、睡眠欲。
      六塵(ろくじん)・・・色、声、香、味、触、法の六境のこと。
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特別在嚴重災難的時候你看出來,你看哪個有福、哪個沒有福。那個大富翁在苦難裡頭沒有人送東西給他吃,他會餓死;這個沒有福報的人,心量很大,常常樂意幫助人,他有困難,許多人幫助他。所以樂善好施。佛教我們不要積財,經上講得很清楚,「積財喪道」,道就沒有了,不可以積財,有能力盡量去幫助別人。從哪裡做起?從鄰近,鄰居,逐漸逐漸向外擴展,要這樣做法。
特に深刻な災難の時、あなたは見て取ることができるでしょう。どの人に福があり、どの人に福がないのか。あるお金持ちの老人は、苦難に際して誰も食料を届けてくれなかったので餓死しました。これは福報のない人です。心の度量が大きく、いつも喜んで人を助けていれば、困難な時には多くの人が助けてくれるものです。ですから善行を好んですることです。仏は私たちに財を蓄えるなと教えています。経にはっきりと説かれています。「財を蓄えれば道を失う」(積財喪道)。財を蓄えてはなりません。能力があれば出来る限り人を助けます。どこから始めれば良いでしょうか?隣近所から、少しずつ外に展開します。このようにします。

我移民到澳洲住在圖文巴,建立一個小道場,這個小道場原來是基督教堂,它賣,我們買過來,重新整修一下。整修完全不破壞它的原樣子,它原來是什麼樣子一定保存,一點都不要改變,裡面梁柱壞掉了,重新換,換還找它原來的那個木頭,它是用什麼樹的木頭,還找一樣的,它油漆的什麼顏色,我們也照它的顏色,煥然一新,當地人民看到歡喜!保存他們的文化。
私はオーストラリアのトゥウンバ(Toowoomba)に移住して、小さな道場を建てました。この小さな道場はもともとキリスト教の教会でした。私たちはそれを購入して、改めて修理しました。修理は元の姿を一切壊しません。元の姿を保存して、少しでも変えてはなりません。梁(はり)の柱が傷んでいれば、取り換えます。取り換える際には元の木材を探します。使われていた木材と同じものを探します。ペンキの色も元の色に照らして塗り、すっかり新しくしました。現地の人々はそれを見て喜びました!彼らの文化を保存したのです。

只換一樣東西,教堂當中的十字架拿下來,換成阿彌陀佛,就換這一樣,其他統統都沒有換。而且他們的節慶我們都做,因為原來是基督教,聖誕節我們也過,我們跟它原來完全一樣,用他們的這個規矩來做,當地老百姓歡喜。
ただ一つだけ換えました。教会の中の十字架を下ろして、阿弥陀仏に換えました。この一つだけを換えました。その他はすべて換えていません。その上、彼らの祭りを私たちも行います。もともとキリスト教(の教会)なので、私たちもクリスマスを行って、完全に以前と同じにしています。彼らの決まりに沿って行います。現地の人々は喜びました。

我們首先布施,請他們吃飯,就是我們居住的三條街,這個三條街靠近我們不太遠,大概是一、二百公尺這個範圍,我們常常吃的東西多的時候,分給大家,近鄰,要慢慢向外擴張。現在擴張到多大?整個城市,這個小城居民大概十萬人,我們的小道場非常出名。
私たちはまず布施をします。彼らに食事を振る舞います。私たちが住んでいる三条街のすぐ近く、だいたい百、二百メートルの範囲で、食べ物が多い時には人々に振る舞います。隣近所です。少しずつ外に広げます。今ではどれくらい広がったでしょうか?市全体です。この小さな市の住民はだいたい十万人いますが、私たちの小さな道場はとても有名です。

在圖文巴大家都常說,圖文巴的人知道兩樁事情,第一樁事情,九月花季花車遊行,它是花城,全世界喜歡看花的人都會到圖文巴來看花,第二個,知道有淨宗學院,每個人都知道淨宗學院在哪裡。所以你要到那去問路,無論問什麼人,他都會告訴你這個路怎麼走法,都知道。
トゥウンバの人々は、二つの事を知っています。一つ目は、九月の花の季節に花飾りをした車でパレードをします。そこは花の町で、全世界の花見好きの人が、トゥウンバに来て花を見ます。二つ目は、浄宗学院があることを知っています。どの人も浄宗学院がどこにあるか知っています。ですからそこに行って道を聞くと、誰に聞いても道を教えてくれます。皆知っています。

我們幫助他,他幫助我們;我們常常送東西給他們吃,他們也常常送東西給我們,和睦相處。在澳洲我們居住的環境非常歡喜,我們跟政府的關係處得好,跟當地群眾關係也處得非常好,所以做什麼事情都容易,沒有障礙。
私たちが人を助ければ、人も私たちを助けてくれます。私たちはよく彼らに食事を振る舞い、彼らも私たちに贈り物をします。仲良く接しています。オーストラリアの居住環境はとても良く、私たちは政府との関係も良く、現地の人々との関係もとても良いので、何をするにも容易で、障碍がありません。

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涅槃とは何か

2014-11-05 | 【疑問に答える】


什麼是涅槃 / 涅槃(ねはん)とは何か
文摘恭錄—淨土大經解演義(第二八三集)2011/2/15 檔名:02-039-0283

涅槃是梵語,一般翻翻成圓寂,圓是圓滿,功圓滿,寂是寂滅,就是我們剛才講的,妄想­分別執著統統滅掉,沒有了。這個境界梵語稱為涅槃,我們把它翻成圓寂,功圓滿,清淨­寂滅,這個意思也非常之好。
涅槃はサンスクリット語です。一般的には円寂(えんじゃく)と訳されます。円とは円満、功徳が円満になることです。寂は寂滅(じゃくめつ:消滅すること)です。つまり先ほどお話した、妄想、分別、執着がすべて滅せられ、なくなることです。この境界(境地)のことをサンスクリット語で涅槃と言い、私たちはそれを円寂と訳しています。功徳円満、清浄寂静。この意味は非常に良いものです。

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生まれつきの超能力は失われるか

2014-11-04 | 【疑問に答える】


天生的特異功能,會不會失掉? / 生まれつきの超能力は失われるか
文摘恭錄—淨土大經解演義(第二八三集)2011/2/15 檔名:02-039-0283

有天生特異功能的人,他會失掉,怎麼會失掉?我在美國時遇到過,中國大陸的,派遣到美國,有十幾個特異功能的人,年齡都很輕,二十幾歲。把他們喊來試驗試驗,真的不假,真有這個能力。透視人體,看你身上的五臟六腑哪個地方有毛病,他一看就清楚,就像照X光一樣,一點都不會錯,這證明他真有這個能力。我們問他,你這個能力會不會失掉?會。能力怎麼來的?他天生的,生下來就有,而且愈小的時候能力愈強,慢慢長大,接觸外面境界多了,雜念多,他能力就衰了,大概到三、四十歲就沒有了,有很多人三十以上就沒有了。
生まれつき超能力のある人でも、失われることがあります。どのように失われるのでしょうか?私はアメリカにいた頃に会ったことがあります。中国大陸の人でアメリカに派遣されて来たのです。十数人の超能力者で、年齢はとても若く、二十歳余りでした。彼らを呼んで来て実験したのです。本当にこの能力があります。人体の透視では、身体の五臓六腑のどこに病気があるのか、その人は一目見れば分かります。X線を当てるようなもので、少しも間違えません。これはその人にこの能力があることの証明です。
私たちは彼に、「あなたのこの能力は失われることはあるのですか?」と質問しました。あるそうです。能力はどのように得たのでしょうか?その人は生まれつきです。生まれた時からありました。しかも小さい頃の方が能力が強く、大きくなるにつれて、外の環境に接触することが多くなり、雑念が多くなると、彼の能力は衰えました。三、四十歳になるとなくなってしまいます。多くの人は三十歳以上になるとなくなってしまいます。

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済度、法事について

2014-11-03 | 【疑問に答える】


吃肉前默念三皈依、往生淨食咒,對動物有超度的作用嗎? 肉を食べる前に三帰依、往生浄食呪を黙念すれば、動物を済度する効果があるのか
學佛答問 2007/2/16 香港佛陀教育協會 檔名:21-374-0001

第一個問題,吃肉的時候,心裡默念「三皈依」、「往生淨食咒」,這樣對動物有超度的作用嗎?
一つ目の質問です。肉を食べる時、心の中で「三帰依」、「往生浄食呪」を黙念すれば、動物を済度【注】する作用があるのでしょうか?
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 【注】 済度(さいど)・・・・生死の苦界から衆生を救い、悟りの境地に導くこと。
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你修行真有功夫,行,有超度作用。如果自己都超度不了自己,你怎麼能超度別人?這個道理要懂。所以古時候,超度在佛門裡面興起很晚,佛教傳到中國來是教育,寺院確實是學校。當時是兩個工作,一個是翻譯經典,就是譯經院,第二個,培養弘法人才,指導大眾依教修行,所以它是純粹的教育。至於超度事情是很晚,在古時候這個超度事情真的都是有修有證的高僧大,他們行!普通人沒有這個能力,不是依照儀規念念就可以,眾生就得度了,這個道理要懂。古人筆記小說裡記載就很多。凡夫僧,我們修行沒有證果的,但是戒律持得很嚴的,鬼神也尊重你。你依照儀規如法的來做超度的佛事,雖然沒有那些修行證果的人效果大,他也得點小利益。這就是誠則靈,如果你沒有誠意就不靈。
あなたが修行して本当に技量があれば、できます。済度する作用があります。もし自分で自分を済度できないなら、あなたはどのように他人を済度するのでしょうか?この道理を理解しなければなりません。ですから昔、仏門の中に済度が興ったのはずっと後のことです。中国に伝わった仏教は教育です。寺院は学校でした。当時は二つの仕事がありました。一つは経典の翻訳、つまり訳経院です。もう一つは、弘法の人材を育成して、教えに沿って修行することを大衆に指導することです。ですからそれは純粋な教育でした。済度することについてはずっと後のことです。
昔は済度の事については、すべて本当に修行して証得した高僧大徳が行っていました。彼らにはできます!普通の人にはこの能力はありません。規則通りに念じれば衆生が救われるというものではありません。この道理を理解しなければなりません。古人の随筆・小説にはたくさん記載があります。凡夫の僧で、修行して証得していない者でも、戒律を厳しく守っている者に対しては、鬼神も尊重します。規則通りに、法に適った済度の法事をすれば、たとえ修行して証得した人ほどの効果はなくても、少しばかりご利益は得られます。これは、誠の心は効き目があるということです。あなたに誠意がなければ効きません。

  我們在古人筆記小說裡頭,我曾經看到一個故事,我記不清楚在哪個書上看到的,好像流傳很多。明朝戚繼光,這是個將軍,他是虔誠佛教徒,每天都念《金剛經》。有一次他的部下一個小兵過世了,託夢給他,請他念《金剛經》給他迴向。當然他也很歡喜,第二天醒來的時候,他知道這個士兵過世沒多久,就給他念《金剛經》。大概念到一半,侍奉他的人端了茶來給他,就是看到端茶來給他,他就搖一個手,就搖搖手,也沒有說話,還是念他的經,搖搖手。那天晚上鬼又來託夢,他說將軍我很感謝你,你念的《金剛經》我只得到一半。他說為什麼?因為當中有個「不用」,他說下面就沒有了,下面就得不到。他搖手是不用的意思,沒有說出話來,可是意念裡面有,底下效果就沒有了。由此可知,所謂誠則靈,誠是什麼?不起一個妄念。你一部經念下去之後,一個妄念都沒有,他能得受用。
古人の随筆・小説の中で、私は以前ある話を読んだことがあります。どの本で読んだのかは覚えていませんが、世間には広く伝わっているようです。明朝の戚継光(せきけいこう、1528-1588)という将軍は敬虔な仏教徒で、毎日『金剛経』を読経していました。ある時彼の部下の兵士が亡くなり、夢枕に現れて、『金剛経』を読んで廻向して欲しいと彼に頼みました。当然彼も喜びました。翌日目を覚ますと、彼はこの兵士が亡くなって間もないことを知っていたので、彼のために『金剛経』を読経しました。半分まで読経すると、彼の使用人がお茶を持って来ました。お茶を持ってきたのを見ると、彼は手を振りました。何も話さず、そのまま読経を続けました。手を振っただけです。その日の夜、夢枕にまた鬼が出て来て、「将軍、私はあなたに感謝しています。しかしあなたの読んだ『金剛経』は半分しかご利益が得られません」と言いました。彼が「なぜですか?」と聞くと、「途中で “要らない” が混ざったので、その後は無くなり、その後のご利益は得られません」と言いました。彼が手を振ったのは “要らない” という意味で、言葉に出してはいません。しかし意念の中にあるので、その後の効果は無くなってしまったのです。ここから分かるのは、いわゆる誠の心は効くということです。誠とは何でしょうか?一つも妄念を起こさないことです。お経を読み終えるまで、妄念が一つもなければ、その人はご利益を得ることができます。

  所以我們今天家裡有老人過世,請法師們來誦經、來拜懺,來做佛事,有沒有效果?很難講。要怎樣才能收到效果?自己家的人跟法師一起做,我們不會做,讓法師帶領做。自己有真誠心,法師領導,我們跟他念,我們念這堂佛事沒有一個雜念,有效。所以你請幾個法師,只要當中有一個是真的一個雜念都沒有,得效果。自己的親人比較容易做得到,希望他真正得這個利益,一堂佛事一個半小時、兩個小時,一定要專心一致,一個念頭不起。這個很有道理。
ですから私たちは今日、家の中でお年寄りがなくなると、法師に頼んでお経をあげてもらい、懺悔をして、法事を行います。効果はあるでしょうか?なんとも言えません。どうすれば効果を得ることができるのでしょうか?自分の家の人が法師と一緒に行うことです。自分たちではできないので、法師の指導で行います。自分に真誠の心があれば、法師の後について読経して、その法事に雑念が一つもなければ効果が得られます。ですから数人の法師に頼んで、その中の一人が本当に一つの雑念もなければ、効果が得られます。自分の家族であれば比較的行いやすいものです。その人に本当にご利益を得て欲しいと願い、法事の一時間半、二時間、必ず専心一致させ、一つの考えも起こさないことです。これは道理のあることです。

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一切の災難の根源

2014-11-01 | 【疑問に答える】


一切災難的根源 一切の災難の根源
文摘恭錄—淨土大經科註(第六十四集)2011/11/29 檔名:02-037-0064

我參加世界宗教團結的活動有十幾年了,過去我們在一起,從來不談災難的問題。從去年才開始談到這個話題,第一次談到這個話題,我還是在澳洲。去年我在悉尼(雪梨)訪問南部幾個宗教,他們才把這個問題提出來。今年談得就更多了,大家不再忌諱這個事情。為什麼?媒體報導太多了,每天都有,到處都有。
私は世界の宗教団結の活動に参加して十数年になります。以前私たちは一緒にいて、災難の問題を話したことはありませんでした。昨年からこの話題について言及され始めました。初めてこの話題に言及されました。私はまだオーストラリアにいました。昨年私がシドニー南部の幾つかの宗教を訪問した際に、彼らがこの問題を提起したのです。今年は更に多く話されています。皆この事をタブーにしなくなっています。なぜでしょう?メディアの報道がたくさんあるからです。毎日のようにあります。どこでもあるのです。

地球災變頻率不斷上升,災難也好像愈來愈嚴重,往後明年可能比今年更重。我們如何應對這個災難?首先我們要知道,我們要相信因果教育,相信因果的定律。中國老祖宗,我相信絕對不止五千年,至少一萬年以上,教給我們「積善之家,必有餘慶;積不善之家,必有餘殃」。
地球の災難の頻度は絶えず高まっています。災難も増々深刻になっているようです。来年は今年よりも更に酷くなるかもしれません。私たちはどのようにこの災難に向き合えば良いのでしょうか?まず知っておかなければならなりません。私たちは因果の教育を信じ、因果の法則を信じなければなりません。中国のご先祖様は、私が思うに絶対に五千年に留まらず、少なくとも一万年以上、
積善の家に必ず余慶(よけい)あり。積不善の家に必ず余殃(よおう)あり【注1】と教えています。
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 【注1】 『易経』「坤卦」の言葉。
 積善之家必有余慶。
 善行を積み重ねた家には、必ずその恩恵が子孫にまでおよぶ。
 積不善之家必有余殃。
 不善を積み重ねた家には、必ずその報いが子孫にまでおよぶ。
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我們心裡頭要積善,不能積不善。什麼是善?真心是善,我們今天講中住,我們的心要正、要中,不偏不邪。不偏不邪怎麼說?在佛法裡講不分別、不執著,你就做到了。你分別就偏了,執著就邪了,不分別、不執著這用的是真心。
私たちは心の中に善を積み、不善を積んではなりません。善とは何でしょうか?真心は善です。私たちは今日片寄らないことを重んじます。私たちの心を正し、片寄らず、公正を保つことです。片寄らず公正を保つとはどういうことでしょうか?仏法の中では分別せず、執着しなければ、行うことができます。あなたが分別すれば片寄ります。執着すれば捻じ曲がります。分別せず、執着しなければ、用いているのは真心です。

真心念佛,一念相應一念佛,念念相應念念佛,用真心。我們現在明白這個道理,我們要學著會用,用真心,不用妄心。真心有多大?沒有邊際,心包太虛,量周沙界。大乘教裡面告訴什麼是我?遍法界虛空界就是我,我太大了。
真心で念仏します。「一念相応一念仏、念念相応念念仏」(一つ念ずれば一つの念が仏と相応し、多く念ずればどの念もすべて仏と相応する)。真心を用います。今この道理を理解すれば、私たちは用いることができます。真心を用いて、妄心を用いないことです。真心はどれほどの大きさでしょうか?際限はありません。「心包太虚,量周沙界」(心は宇宙を包み、全宇宙に行き渡る)。大乗教の中では、自分とは何でしょうか?「遍法界虚空界」(へんほっかいこくうかい)【注2】、これが自分です。自分はとてつもなく大きなものです。
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 【注2】 遍法界虚空界(へんほっかい、こくうかい)・・・・因果に支配される全宇宙(法界)と、それを超越した根源的な真如の世界(虚空界)のこと。
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近代科學家告訴我們,沒有一樣東西可以獨立生存,過去以為有,現在發現了沒有。宇宙之間所有萬事萬物它是個網狀,網狀交纏,密切相連的,這樣存在的,沒有獨立存在的。好像我們人的身體,差不多是五十兆細胞組成,五十兆的細胞它統統都有相連,像電網一樣,像網絡一樣。信息完全相通的,絕對沒有一個細胞是獨立存在,新陳代謝是它正常的一個現象,就是波動現象。
近代の科学者は、「独立して生存するものは一つとしてない」と言っています。以前はあると思われていました。今はないことが分かっています。宇宙の万事万物は網状になっています。網状に絡まり合い、密接に繋がっています。このように存在しています。独立して存在するものはありません。ちょうど人の身体のようなものです。およそ五十兆の細胞で形成され、五十兆の細胞はすべて繋がっています。電力網やインターネットと同じようなものです。情報は完全に通じます。絶対に一つの細胞が独立して存在するのではありません。新陳代謝は正常な現象です。つまり波動の現象です。

整個宇宙是一個自己,宇宙之間一切人、一切事、一切物與自己息息相關。我們起心動念要負責任,起一個惡念,說不定別的地方就有災難發生,不可以起惡念。什麼是惡念?貪瞋痴慢疑,佛教說這是五毒,這個念頭不好,對自己身心有傷害,對世界帶來災難。貪心感應的是水災;瞋恚感應的是火災,火山爆發,地球溫度上升。
全宇宙は一人の自分であり、宇宙の一切の人、一切の事、一切の物は自分と密接な関係があります。私たちは心の使い方に責任を負わなければなりません。悪念を一つ起こせば、他の場所では災難が発生しているかもしれません。悪念を起こしてはなりません。悪念とは何でしょうか?貪瞋痴慢疑【注3】です。仏教ではこれを五毒と言います。この念は良くないもので、自分の身心を傷つけ、世界に災難をもたらします。貪心(たんしん:貪欲)に感応するのは水災です。瞋恚(しんに:怒り)に感応するのは火災です。火山の爆発、地球の温度上昇です。
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 【注3】 貪瞋痴慢疑(とんじんちまんぎ)・・・・貪り、怒り、愚かな迷い、傲慢、真理に対する疑い。人の理性を曇らせ、平静を乱す元となる根本煩悩。
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我們遇到不高興,發個脾氣,你想我又把地球溫度加一點了,真的是這樣的,不可以的。愚痴是風災,傲慢是地震,懷疑麻煩更大,我們講山崩地陷,地陷下去了,這是懷疑。懷疑對人身體,免疫能力破壞了,信心長免疫能力,懷疑破壞免疫能力。這叫存心。
私たちは面白くない事に出くわすと、癇癪を起こします。自分が地球の温度を少し増加させたのです。本当にこのようなものです。してはなりません。愚痴(ぐち:無知、愚かな迷い)は風災です。傲慢は地震です。懐疑は最も面倒なものです。山は崩れ、地面は陥没します。これが懐疑です。懐疑は人の身体に対しては、免疫力を破壊します。信じる心は免疫力を増やします。懐疑は免疫力を破壊します。これを下心と言います。

現在人普遍都是貪瞋痴慢疑,情緒都是怨恨惱怒煩,不好。造作,言語、造作都是殺盜淫妄,這個世界怎麼可能沒有災難?如果我們能夠用真心,這災難全化解了。這十五個字不得了,走到全世界你到處都看見。
今の人には普遍的に貪瞋痴慢疑があり、情緒はすべて怨恨悩怒煩です。良くありません。言葉や行為はすべて殺盗淫妄(殺生、窃盗、邪淫、妄語)です。この世界に災難が起きないことがあるでしょうか?私たちが真心を用いていれば、この災難はすべて無くなります。この十五字は大変な問題です。全世界のどこでも見られるものです。

前幾天有個同學送了一份資料給我看,是聯合國世界衛生組織發表的一個信息。最保守的估計,全世界每年墮胎五千萬,兩年就一個億。第二次世界大戰打了四年多,差不多四年半,戰爭死了多少人?死了五千萬人。現在墮胎一年就等於第二次大戰死亡人數的總數,這還得了!這殺的人不是別人,是自己的兒女。
数日前にある学生が資料を送ってくれました。世界保健機関(WHO)が発表した情報です。最も保守的な推計では、全世界で毎年五千万人が堕胎しています。二年で一億です。第二次世界大戦は四年余り続きました。およそ四年半です。戦争で亡くなったのは何人でしょうか?五千万人が亡くなりました。今は一年の堕胎が、第二次大戦で死亡した人数の総数と同じなのです。これは大変なことです!殺した人は他人ではなく、自分の子どもなのです。

世界災難怎麼來的?就是這麼來的。我看到這個報告,我知道這是災難第一個因素,這不得了。所以我想想古人兩句話,我一生都沒搞懂,看到這個我明白了。古人講兩句話,「萬惡淫為首,百善孝為先」,我以前不懂這個。
世界の災難はどのように起こるのでしょうか?正にこのように起こるのです。私はこの資料を見て、これが災難の第一の要素だと理解しました。大変なことです。私は古人の説かれた二句を考えてみると、それまで理解していませんでしたが、それを見て分かりました。古人は二句を説かれています。「万悪は淫を首と為し、百善は孝を先と為す【注4】。私は以前これを理解していませんでした。
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 【注4】 万悪淫為首,百善孝為先・・・・あらゆる悪行のうち最も悪いものは男女の淫欲であり、あらゆる善行のうち最も良いものは親孝行である。
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這個淫底下有殺,殺什麼?殺自己的兒女。一年殺五千萬,兩年殺一個億,這個世界能沒有災難嗎?太可怕了。為什麼世界會變成這樣的?你仔細去觀察、仔細去思惟,你就全都明白了,你一點都不疑惑。
この淫欲の底には殺生があります。何を殺すのでしょうか?自分の子どもを殺すのです。一年で五千万人殺しています。二年で一億です。この世界に災難が起こらないことがあるでしょうか?恐ろしいことです。なぜ世界はこのように変わってしまったのでしょうか?注意深く観察し、詳細に観察して見れば、すべて分かります。何の疑いもありません。

<参考>
淫欲に三種の過あり
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/cc5b84df120e52d97d32b9ffeeb4760c

生死の根本は、淫欲が第一である
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/5809fb7d408a4d1e2215eebc3c46dc0d

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肉を食べても念仏すれば往生できるのか

2014-10-18 | 【疑問に答える】


吃肉念佛可以往生嗎? 肉を食べても念仏すれば往生できるのか
學佛答問-淨空法師 新加坡居士林 2001/02/28

汕頭同修有兩個問題。他說他的女兒皈依佛有十多年了,外孫女同樣也皈依佛了。第一個問­題:「我沒有強求她的,是我沒有智慧,想皈依佛是有善根,很歡喜,就到寺廟裡為她們母­女辦皈依。女兒是教小學的,很忙,她不會做飯,是她丈夫買菜做飯。丈夫善根很淺,告訴­他買菜不要去買活魚、活雞去做湯。女兒說她沒有看見殺,她又沒有做湯。請開示。」第二­個問題:「我本人每天吃一頓,請問早上、晚上我是否能吃一點清果?」
汕頭(広東省の経済特区)の方から二つの質問です。彼の娘は仏に帰依して十数年になり、孫娘も同じように仏に帰依しています。一つ目の質問。(訳者注:以下、直訳では悪文になるので要約する)
「私の娘と孫娘には善根があり、仏に帰依しています。娘は小学校で教えていて忙しく、娘の旦那が買い物や炊事をしています。旦那には生きた魚を買ったり、鳥でスープの出汁をとらないように言っていますが、言うことを聞きません。娘は調理には関知していません。どうか開示をお願いします」
二つ目の質問。「私は毎日食事は一食です。朝と夜に少し果物を摂っても良いでしょうか?」

這些事情最好不要提出來問,因為這是太小的問題了。沒有關係,素食是修慈悲心,與念佛往生沒有關係。淨土三經、五經裡面並沒有說不吃素的人不能往生,沒有這個話。所以­吃肉的人念佛也能往生,學佛的人一定要依教奉行,一定要依照經典裡面所說的。釋迦牟尼­佛在世是托缽,一切都要方便別人,人家吃什麼,就給我們吃什麼,一點忌諱都沒有,決定­沒有妄想分別執著,所以托缽的時候給什麼吃什麼。
このような事は提起しなくても良いでしょう。なぜならこれは非常に些細な問題だからです。関係ありません。菜食は慈悲心を修めるもので、念仏して往生することとは関係ありません。浄土三経、五経の中には菜食でなければ往生できないとは説かれていません。そのような話はありません。ですから肉を食べる人でも念仏して往生することができます。仏法を学ぶ人は必ず教えに従って実践し、必ず経典の説くところに依拠しなければなりません。釈迦牟尼仏が在世の頃は托鉢でした。すべて人の都合に合わせます。人が何かを食べていれば、それを私たちに与えるのです。忌諱(きい:タブー)は何もありません。絶対に妄想、分別、執着はありません。ですから托鉢の時は、与えられたものを食べるのです。

至於素食,是中國梁武帝提倡的。諸位要曉得,全世界學佛的人、出家人都不吃素,只有中國人吃素,這是梁武帝提倡的。但是素食有沒有好處?素食確實有好處,長養慈悲心。如果­你自己吃素吃了很多年,心地一點都不慈悲,念念還想報復別人,你這個素就是冤枉吃了,­你白吃了,這個道理一定要懂。所以慈悲心比吃素還要重要,不可以有害人的心,不可以有­報復的心,不可以有佔人便宜的心,若是你有這種心,比吃素的功不曉得要大多少倍。
菜食については、中国の梁の武帝が提唱したものです。皆さん理解しなければなりません。全世界の仏法を学ぶ人、出家僧もすべて菜食ではありません。中国人だけが菜食なのです。これは梁の武帝が提唱したものです。菜食に良い所はあるでしょうか?菜食には確かに良い所があり、慈悲心を養うことができます。あなたが何年も菜食で、心に少しも慈悲がなく、人に報復することばかり考えるようなら、あなたは無駄に食べているのです。菜食にしても無駄です。この道理を必ず理解しなければなりません。ですから慈悲心は菜食よりも重要です。人を害する心があってはなりません。報復する心があってはなりません。利益を貪ろうと考えてはなりません。あなたにこのような慈悲心があるなら、それは菜食の功徳より何倍大きいか知れません。

但是現在的飲食麻煩!現在的肉食會傳染許多疾病,為了身體健康,最好採取素食。素食現­在也有麻煩,一般蔬菜用很重的農藥,米裡頭摻滑石粉。從前李炳南老居士講現在人可憐,活得真可憐,就同經上講的「飲苦食毒」;你所吃的,你所喝的,沒有一樣不是有毒的。科­學家現在警告我們,如果我們今天環境不能好好的改善,再過若干年之後,連空氣裡頭都有­毒,你說人怎麼活法?這個日子怎麼過?這些妄想分別打掉,一心念佛,求生淨土,這樣就­好。這是老實話。
しかし今の飲食は面倒です!今の食肉は多くの疾病を伝染します。身体の健康の為には、できれば菜食にするのが良いでしょう。菜食も今では面倒です。一般の野菜は農薬が多く、米の中に滑石(かっせき:珪酸塩鉱物)の粉が含まれています。かつて李炳南居士は、今の人は気の毒だと言っていました。生きるのが本当に気の毒です。正に経に説かれている「飲苦食毒」(苦を飲み毒を食らう)です。食べるもの、飲むものに、毒のないものはありません。科学者は私たちを警告しています。もし私たちが今日の環境をしっかりと改善できなければ、あと数年後には、空気中にも毒が含まれるようになります。人はどのように生きていけば良いのでしょうか?どのように暮らせば良いのでしょうか?これらの妄想・分別を手放して、一心に念仏し、浄土を求生(ぐしょう)すれば良いでしょう。これは真面目な話です。

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車を運転しながら念仏して良いか

2014-10-12 | 【疑問に答える】


開車能不能念佛? / 車を運転しながら念仏して良いか
恭錄自淨土大經解演義(第五六一集)  2011/8/26

念念心中有佛,心裡憶佛念佛不間斷,不妨礙工作。不是用思考的工作,工作當中也可以念佛。如果用思考,就要把念佛放下來。
常に心の中に仏がいることです。心の中で仏を思い、念仏を中断しないことです。仕事の妨げにはなりません。思考を用いる仕事でなければ、仕事中でも念仏することはできます。思考を用いる仕事であれば、念仏はひとまず置いておかなければなりません。

過去在台灣,有一批開計程車的同修,好像有三十多個人,那個時候出去我們都有計程車排­隊。他們開車能不能念佛?我就告訴他,開車時候最好不要念佛,專注開車,不要出車禍,­這個不能分心,跟用心是同樣的工作。你車停的時候,可以念佛,你停在那裡等人,可以念­佛。或者是車上沒有人,你開的是空車,可以念佛。為什麼?你開的比較速度慢,你不著急­,你也沒有目標,也沒有方向。如果有乘客的話,你就把佛號停下來,或者是你用念佛機,­佛號讓乘客聽。你不能專注佛號,你要專注路況,這就對了。
昔台湾で、タクシードライバーの門徒が、だいたい三十人余りいました。その頃出かける時、私たちはタクシーに並んでいました。彼らは車を運転しながら念仏しても良いでしょうか?私は言いました。車を運転する時はできれば念仏せず、運転に専念することです。事故を起こしてはなりません。気を散らしてはなりません。いつものように気をつけて仕事することです。停車している時は念仏しても良いでしょう。停車して人を待っているなら念仏できます。或いは車に人が乗っていない時、空車の時は念仏できます。なぜでしょう?比較的運転の速度が遅く、急いでいないからです。目的地も無く、方向も決まっていません。人が乗車しているなら仏号を止めるか、或いは念仏機(念仏の音声が流れる機械)を使って、乗客に仏号を聞かせます。あなたは仏号に専念せずに、道路の状況に集中しなければなりません。それで良いのです。

所以這是活活潑潑的,不是有什麼規定,沒有。念佛這個方法最簡單、最容易,不受任何限­制。別人不喜歡聽,我心裡默念,不妨礙別人。
ですからこれは臨機応変です。何か決まりがある訳ではありません。念仏の方法は最も簡単です。最も容易です。如何なる制限も受けません。人が聞くのを嫌がれば、自分は心の中で黙念します。人の邪魔にはなりません。

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誰に法を伝えるのか

2014-10-08 | 【疑問に答える】


傳法,傳給誰? /伝法(でんぽう)、誰に法を伝えるのか
文摘恭錄—淨土大經科註(第一一七集)2012/1/2 檔名:02-037-0117

佛在經教裡常常告訴我們,善根福是從布施、持戒來的,能不能成就的關鍵在忍辱。你要不能忍,遇到一點點不如意的事情就退心了,不幹了,那怎麼會能成就!成就的人,遇到什麼樣的打擊都不灰心。古時候,那個好老師選學生,選中了,想盡方法去侮辱他,就是看他退不退心。
仏は経教の中で説かれています。善根・福徳は布施、持戒から来るもので、成就できるかどうかの鍵は忍辱(にんにく)【注】にあります。耐え忍べなければ、少しばかり思うようにならない事に出くわすと、諦めてしまいます。やめてしまいます。それでどうして成就することができるでしょうか!成就する人は、どのような苦難に遭おうと意気消沈しません。昔、優れた老師が学生を選び、考え尽くした方法で侮辱して、彼が諦めるかどうかを見ました。
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 【注】 忍辱(にんにく)・・・・屈辱や苦しみに耐え忍び、心を動かさないこと。六波羅蜜の第三。忍辱波羅密。
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《禪林寶訓》裡有個公案,我年輕時候學的,現在名字忘掉了,有這麼個故事。老和尚看中一個年輕的法師,這個人是個人才,對他一點好顏色沒有,也就是看他能不能忍。他能忍,再重一點。有一天老和尚洗腳,不高興了,洗腳水潑了他一身。他也不生氣,他還不走。以後怎麼?驅逐出境。
『禅林宝訓』の中に公案があります。私は若い頃に学んで、今名前は忘れましたが、このような話があります。老和尚はある若い法師を気に入りました。この人は優秀な人材です。彼に対して少しも良い顔をせず、彼が耐え忍べるかどうかを見ました。彼は耐え忍ぶことができます。そこで更に重くします。ある日老和尚は足を洗っていると、機嫌を悪くして、足を洗った水を彼にぶちまけました。彼はそれでも怒りません。彼は去りません。その後はどうしたでしょうか?追い出してしまいます。

當然一般同學都打抱不平,老和尚怎麼這樣對待人?老和尚講經說法,他不能進來,被驅逐了,他在外面聽,在窗外聽,沒離開,老和尚曉得。有一天老和尚傳法,舉行儀式傳法,傳給誰大家也不曉得。
当然一般の学生は、老和尚はなぜこのような態度を取るのかと不平を抱きます。老和尚が講経(こうきょう)説法する時、彼は中に入れません。追い出されています。彼は外で聴きました。窓の外で聴きました。立ち去りません。老和尚はそれを知っています。ある日老和尚は伝法(でんぽう:法門を弟子に継承すること)の儀式を挙行しました。誰に伝えるのか誰も知りません。

升座之後,「在外面那個,找他進來」,把法傳給他,大家才恍然大悟,老和尚是考他的。就是不走,跟定了。《禪林寶訓》上有這麼個故事,修忍辱波羅蜜。
席についた後、「外にいる者を中に入れなさい」と言い、彼に法を授けました。皆はようやく忽然と悟りました。老和尚は彼を試していたのです。立ち去ることなく、心が定まっていました。『禅林宝訓』にはこのような話があります。忍辱波羅密を修めたのです。

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我々の子孫は如何にして心の拠り所を得るのか(再掲載)

2014-10-07 | 【疑問に答える】

調和が危機を救う(第二シリーズ) 全七回
―――中国古来の智慧と大乗仏教は、現代社会をどう解釈するのか―――

これは2008年に行われた対話形式の説法です。
ブログの字数制限により、以下の通りに分けて掲載しています。

(注)小見出しは内容を把握しやすくする為に、筆者が加筆したものです。

第七回 我々の子孫は如何にして心の拠り所を得るのか
01/10 児童教育と競争原理の問題/伝統教育の社会実験  ↓ こちらからご覧ください
 http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/36fb0ca4fa86e258397076da99e128eb
02/10 学生のあるべき姿とは/三つの根
 http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/f5900b5840dde5947194d82aff3b55fa
03/10
 http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/db4a8a148060e168447106b3b91ff72d
04/10 享楽的な世相と災難/清浄心と慈悲心で健康を保つ
 http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/ef3b4dbfd8520ed44a19c53df771364c
05/10 礼節は最後の砦/卓越した人材を育成するには
 http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/009bc340bd92d565d59dab4a29ecd22f
06/10 古来の教学方法を実践する
 http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/5b98e9df9d6027e2723f432697014243
07/10 聖賢を育成する女子教育の重要性/家譜と家族意識の重要性
 http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/c4a16401c86b3b3432db687bd8067a7c
08/10 三綱五常/トインビーの言葉の真意とは/社会を救う伝統文化の核心
 http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/4cdcef0fe1aae73ef6b00dbb08ed19b8
09/10 まず自分自身を調和させること/国連平和会議への出席と社会実験の経緯
 http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/b4656bebf4df2ca58768e6823ba47545
10/10 各宗教の根源は一つの神である/自性から流露した倫理道徳の智慧/災難を回避するために
 http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/68379abbdbbb1f0be9ca6276ff9be7d3


調和が危機を救う(第二シリーズ) 全七回
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/c/46d64ccda7464b359fbe37d2da9e7a2b

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欲望に従うことの代償(再掲載)

2014-10-06 | 【疑問に答える】

調和が危機を救う(第二シリーズ) 全七回
―――中国古来の智慧と大乗仏教は、現代社会をどう解釈するのか―――

これは2008年に行われた対話形式の説法です。
ブログの字数制限により、以下の通りに分けて掲載しています。

(注)小見出しは内容を把握しやすくする為に、筆者が加筆したものです。

第六回 欲望に従うことの代償
01/06 夫婦は賓客のように敬い合う/男女関係の乱れ  ↓ こちらからご覧ください
 http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/9008bd1443dbed257d40d836b8b0e652
02/06 家庭と婚姻の問題
 http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/c9c5f3a01d6d5407564667a898178315
03/06
 http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/5c84d5d03c2ccf08e8cb2d999bb56a61
04/06 「万悪淫為首」(あらゆる悪の中で最も悪いものは淫欲である)
 http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/bd9b24ff34dde071cc4fbaf7361953fc
05/06 芸能人に対する警鐘
 http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/e29f13d3957bf278f344ba5df7887318
06/06 歓喜仏について
 http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/8c5441c85f153b6030fabe2e4caf762f


調和が危機を救う(第二シリーズ) 全七回
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/c/46d64ccda7464b359fbe37d2da9e7a2b

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人類の知らない宇宙・人生の真相(再掲載)

2014-10-05 | 【疑問に答える】

調和が危機を救う(第二シリーズ) 全七回
―――中国古来の智慧と大乗仏教は、現代社会をどう解釈するのか―――

これは2008年に行われた対話形式の説法です。
ブログの字数制限により、以下の通りに分けて掲載しています。

(注)小見出しは内容を把握しやすくする為に、筆者が加筆したものです。

第五回 人類の知らない宇宙・人生の真相
01/10 異次元空間の衆生/鬼神を敬して之を遠ざく  ↓ こちらからご覧ください
 http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/149966d33584d478cf4cd4362da66f6d
02/10
 http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/e64ad45ce46ab5095ce87ed4344a3df4
03/10
 http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/cc15e2de3317ad93f58c855c934dccb7
04/10
 http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/27575a446ba0a3c9646dfec253ee378c
05/10
 http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/1cb3a026b6f560a07c0a80837c6d1c0f
06/10
 http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/cddb25933d3adc2bd4bc2f0a6a4eec69
07/10
 http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/46049f0d4c6fa9575125c79fb384f15d
08/10
 http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/92404f93bd2b226301f51a2f157ffc5e
09/10
 http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/d8deb0d3451940078e35813752d241c3
10/10
 http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/0413b4c772eb198113e29942c8099612


調和が危機を救う(第二シリーズ) 全七回
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両親や家族が縁起よく立ち去るために(再掲載)

2014-10-04 | 【疑問に答える】

調和が危機を救う(第二シリーズ) 全七回
―――中国古来の智慧と大乗仏教は、現代社会をどう解釈するのか―――

これは2008年に行われた対話形式の説法です。
ブログの字数制限により、以下の通りに分けて掲載しています。

(注)小見出しは内容を把握しやすくする為に、筆者が加筆したものです。

第四回 両親や家族が縁起よく立ち去るために

01/05 業因の感応と家族の縁/類は友を呼ぶ  ↓ こちらからご覧ください
 http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/a793f4f9c3f72ea9768c786618421272
02/05 自殺の果報の恐ろしさ/亡くなった同胞を悼む
 http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/3af4a42b29362d2bda59796e98a7ac6a
03/05 因果は三世に通じる/最後の一念/位牌の意味/本当の親孝行
 http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/bf636a4a83ffe84d22c6403b61c168d1
04/05 自然環境と鬼神/宿世の業力
 http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/851a33cd96b4ac336f5252b29fec7592
05/05 飲酒について/喫煙について
 http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/ba73460fabea432bf59d97ba934b2e48


調和が危機を救う(第二シリーズ) 全七回
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