明日への道 40代障がい職歴なしニートの夢

人生100年時代、残りの人生を楽園とするか?地獄とするか?
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久々のフードコートへ。少しは慣れてきたのかな。

2024年11月02日 | ささやかな幸せ

久しぶりまたショッピングモールへ行ってきた。楽しみは本屋さんとフードコートで食事をするといった様子。

フードコートではうどんを注文した。ぶっかけうどん小の冷たい麺にした。ポイントをつかって250円で食べることができた。うれしい。

フードコートでは前回に比べたら周りを気にしなかった気がする。前回はなんだか就労していなくて社会参加できていない自分がとても惨めに感じてきたが。

今回は皆がフードコートで食事をしてすごしているのを見てなんだか世間を感じた。もしかしたら皆と自分のささやかな幸せは同じ様なのではないかと思えたのだ。

自分はもちろん庶民である。それも貧困よりの方だがフードコートでみんなと一緒に食事をしていたら、惨めさを感じてしまったり不平不満を思うのはいけないのでは?と思った。

みんな自分が思っているほどではないところで幸せを味わって感じているのではないか?そう考えたのだ。自分を卑下すると周りがとてもすごくてよく見えるようになってしまうのだ。

自分に劣等感があるのは確かで当たり前といってもいい。でも世間の人たちが自分よりずっとすごくいい思いをしているんだろうなという思考は好ましくない。変な方向へ自分が進んでいってしまうことにもなりかねない。

自分だけが不幸、自分だけががんばっている、自分だけがこんなに惨めだ、そんな思考に陥ってしまうのはきっとひとりぼっちだからなのだろう。孤独を愛しているならそうはならない。周りに人がいる中でひとりぼっちでいるからだ。

やはりデイケアといった障がい者の集まりの社会でも参加するべきかな・・・

 

 

 

 

 

 

 

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あの時のうれしさを忘れていないか?

2024年10月28日 | ささやかな幸せ

立ち止まって自分を振り返ってみた。この年末年始は閉鎖病棟から退院してから何回目だろうか。もうその頃の年末年始は自分がどんな状態だったか忘れてしまっている。

かすかに感覚が残っているのは、なんだか新鮮さの様な開放と意欲にあふれるような感覚だ。

頭の中の状態も体の調子も最悪だったが、コンビニへ行くのもうれしかった。おにぎりを自分でお金を払って買ってくる事も大変だった。

今、気にしだしていることは、欲がもっともっととなっていっている事。あの頃の状態から思えば今の状態にとても感謝すべきだ。

もちろん自分のリハビリの努力の成果もあるが、まずいなと思うことは不平不満のセリフが出てきたこと。これは欲求不満の表れだ。

不平不満というのは自分にもさらにもっと上の欲を満たすことができるのでは?という観念があるいうこと。おれもおれにも欲しいだ。今までの経験ではこれはまずい状態。何かを忘れてしまっているのだ。

あの閉鎖病棟から退院した時の、新鮮な開放的な素直な気持ちを思い出そう。そして感謝しよう。あれから数年間、自分はがんばってよくやってもいると自分を認めよう。

きっとこれからも幸せで素直な気持ちで過ごせると信じよう。

 

 

 

 

 

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読書が楽しい。そして自分も文章を書きたくなる。

2024年10月26日 | ささやかな幸せ

最近なんだか本を読むのが楽しい。ずっと興味を持っていなかった小説を読みだしてからだ。

いつもIT系参考書や資格試験、そして音楽理論の本しか読んできていなかったが、ここ一か月くらい芥川龍之介の小説を読みだしてからなんだか読書が楽しい。

参考書とちがって自己啓発本や小説はなんだか楽しくさせてくれる。それに比べ参考書は内容を憶えなくてはいけないと強迫観念が生まれる。

小説を読んでみたら、いわゆるマニュアルを書くのと違う文章での表現がなんとも斬新に感じる。そして自分も何か空想世界や妄想シチュエーションを小説のように文章で表現したくもなってくる。例えばずっと憧れのバイクで温泉旅に出る話や女の子との学校での淡い生活などと。

もしこうだったらいいなと思う事を小説にしてみるのもいい。自分の様な人間には惨めさを埋めてくれるかもしれない。書くことでさまざまな思いを解消するのだ。

おそらく自分の現実は変わらない。そして悪くなっていくだろう。それはとても辛いことだ。文章を書くことでそれらから逃避していく、一時的にだ。

映画を観ることとも似ているかもしれない。映画に自分をオーバーラップしたり、映画の世界に入り込んで現実を忘れるといったように。

同じ逃避でもお酒やギャンブルに溺れてしまうよりはよいだろう。何かよい作品が書けたらネット小説サイトにて発表してみるのもオツなものだ。

 

 

 

 

 

 

 

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CDアルバム一枚の時間。精神と時の部屋。

2024年10月14日 | ささやかな幸せ

ここ数日、CDラジカセを再生している。

棚にしまってあった埃のかぶったCDアルバムを取り出してきたり、中古で買ってきたCDをずっと再生して部屋で聴いている。

一般にCDアルバムの最大再生時間は74分、一時間少々その世界の中に入ることができる。

大抵のCDアルバムの収録時間は60分くらいか、つまり一枚を最初から最後まで聞くと1時間経ってしまうのだ。このCDアルバム一枚の時間が精神と時の時間と感じる。

パソコン作業を行いながらや本を読みながらCDを再生すると、その一枚のCDの物語があっという間に終わる。1時間がとても集中して短くも感じる。

一枚のCDアルバムを何回も連続して再生してしまう。もう気づくと夜は更けているだろう。そんな時を過ごしてふと気づいた、悶々や不安や絶望から解き放たれていると。

布団仰向けになって寝転がっている日々は、頭の中はさまざまな思いを巡らせる、それに集中してしまうからだ。よって心が疲弊していく。

 

CDアルバムを聴くことは映画を見るほど集中力はいらない。より入り込みたいならヘッドフォンを使うのもよいだろう。リラックスと軽いトランス状態に脳がなるのが心地いい。

これが心の病の脳のリハビリに実はよい事なのでは?と思ってしまう。それほど入り込んで音楽を聴く事が心の病にいいのだ。

ブックオフやハードオフではとてもたくさんの中古CDアルバムが安く販売されている、ここでCDはいかがだろうか?

 

 

 

 

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繫華街へ行ってみた。電車にはまだ乗っていないけれど。

2024年10月13日 | ささやかな幸せ

やっと重い腰を上げた。自宅周辺から一歩踏み出して小規模繫華街へ行ってきた。しかし電車には乗っていない、そう自転車で向かったのだ。

といっても自転車で自宅から10分ほどで着く距離だが安心感があっていい。最悪歩いてでも帰宅できる。

 

まずは駅前ショッピングセンターへ家電量販店と本屋さんへ向かう。

家電量販店ではパソコン関連、イヤホン等、G‐Shockといった時計を物色した。

やっぱりいい、とてもよかった。いつも通販でバッタ物しか買えない自分、展示してある品をみるだけでとても高級なモノに見えた。

1万円以上するゲーミングキーボードやマウスは本当に造りが良かった。憧れる。イヤホンもメーカー品がたくさん展示されている。とてもかっこよく造りがよい。自分のシャオミの品とは違う。

本屋さんではIT関連書籍を見た。自分はいつも数百円の古本を買っているがやっぱり新刊は何か違う。情報が新しく感じる。そして旬な本しか在庫として仕入れていない。

そしてショッピングセンターにいる人がとても自分とは違う人達に見えた。とてもきれいな女の人や仕事のできそうな男の人ばかりだ。

こんな様子だが、やっぱり思ってしまった収入を得ることができたらなと・・・

今の自分は1万円の品を購入することもなかなかできない。それが1万円以上のゲーミングキーボードがとてもよく見えてしまった。世間の人では高級時計のような扱いか。

自分はなかなかお金を稼げない。就ける仕事も月給15万円の仕事ばかりだった。月給20万円なんて夢のようだ。出かけた事は楽しかったがふと惨めさもあった。

でもこれでまたふさぎ込んで引きこもってはいけない、自分のできることでやっていくんだ。楽しいやうれしいといった生活をするんだと。

 

 

 

 

 

 

 

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