耳順庵日記

60歳を超えて、生き馬の目を抜く首都圏の生活にカムバックした。
浦安太郎が見た、都会の意外な側面を綴ってみたい。

がん検診

2022年07月09日 07時50分12秒 | 思い出
 
かかりつけ医

 コロナのワクチン接種予約ができないデジタルデバイド対策で、かかりつけ医が、話題になった。老人の8割にかかりつけ医が居るというが、私には居ない。年に1回の無料健康診断......
 

そのクリニックで年一回の高齢者健診を受けた。

昨年は、検便で所見が出て、近くの大学病院で内視鏡検査の結果、大腸ポリープが14個見つかった。

今年の健診では検便の結果は異状なしとのことだったが、PSA値が急上昇したとのことで、MRIを撮ることになった。

この歳になるとあちこちにガタが来てるのは当たり前で、いちいち気にするより、上手に死ぬことを考えたほうが良いかもしれない。


美味い蕎麦を喰いたい!

2021年08月25日 19時01分51秒 | 思い出
蕎麦を喰いたい!
蕎麦を喰いに行きたい!
 
コロナが憎い!憎い!憎い!
 
 
 
蓼食う虫も好き好き
 ここで言う蓼とはヤナギタデのことで、水辺や湿地に生える一年生の野草である。葉は柳のように細長く、枝先に小花を密生した花穂をつける。茎や葉に辛味があり、この葉を好んで食......
 

 


将棋観戦

2018年04月13日 09時16分32秒 | 思い出
 AbemaTV での将棋観戦にはまってしまった!

 藤井の対局を見たのがきっかけだが、今度は名人戦を
二日間じっくり見てしまった。



 一時間を超える長考の間、棋士が何をしているのか、
も興味が有ったが、大盤解説がどうして間を持たせるか、
も面白かった。
 女流棋士が聴き手でプロ棋士が解説し、色んな候補手を
並べて予測したり、指し手を評価する。
 素人にも理解出来るように駒を並べるから、飽きずに
付いていける。

 将棋飯やおやつの紹介や、控え室の様子も、面白かった。

 持ち時間が短い棋戦は、勝負が早くて良いが、名人戦に
二日間付き合うのは、ちょっと辛かった。


 やってる方は、大変だろうな!


e-Tax

2018年03月14日 09時43分24秒 | 思い出
 e-Taxがやっと終わった。

 去年の結果を見ながら必要な項目に入力するだけなので、
1時間程で済むから作業は楽だ。
 しかし、そこに至るまでの準備が大変だった!

 PCに馴染んでいない人には、難行だろう。

 まず、ブラウザの準備が大変。最近のPCはWindows 10
だろうから、自動的にGoogle Chromeになっていることが
多い。私の新しいPCがそうだった。
 これをinternet explore に切り替える設定が必要だけど、
慣れないと面倒な手続きだ。

 更に、準備作業として電子認証がある。専用カードリーダー
でのマイナンバーカードの読み込みだ。
 数年前に、この為だけにSONY のカードリーダーを購入
したし、住基カートからマイナンバーカードに切り替える
手続きも昨年やった。しかし今年はカードが読めない!と。
 NFC サイトでのカードリーダーの自己診断では異常ないし、
SUICA も読めるのに。

 色々調べたら、今年からカードリーダーのバージョンアップ
が必要だった。もっと親切な案内をして欲しいものだ。
ここでつまずいて1週間ほど放り出していた。

 e-Taxのシステムは、随分工夫されていて便利になっては
居るが、マダマダ不親切な処がある。



 去年は5千円ほど帰って来たが、結局9900円支払うこと
になった。



 麻生や佐川に払わせたい!と思うが、後の祭りだ。




 毎年真面目にe-Taxの手続きをしているが、計算して
支払いがは必要な場合は、提出しないことにしたら、
叱られるのかな?

 以前はやってたけど、確定申告なんかもうやめた、
と言う人も居る様だが!



新生児の付き合い方

2018年02月22日 18時44分24秒 | 思い出
 娘が 出産して里帰りしている。久し振りに新生児に接して、
感無量。

      みどりごの顔穏やかに寒明くる
      喜びの香りを運ぶ梅便り    蛙蝉




 自分の二人の娘と、孫四人に接して来たが、何事にも時代の
風潮があることに、改めて感心している。

 産院の方針にもよるんだろうが、二人の娘が産まれた新宿の
聖母病院では出産直後は、ガラス越しにしか、見せてくれな
かった。
 孫達は、直ぐ母親のベッドの横連れて来た。 

 うちの娘は木綿地のオムツだった。紙オムツも売ってはいたが、
高価だから、出掛ける時にしか、使えなかった。



 産院から帰って来て暫くは、台所の流しに小さな風呂をセット
して、新生児の体を洗った。6人とも、最初の日は私が風呂に
入れたのが自慢だ。左手で頭を下から支えて、親指と中指で両耳を
押さえてお湯が入らないようにするのが、コツだと思っていたが、
最近は違うらしい。
 羊水の中に浮かんでたんだから、耳にお湯が入っても気にする
ことは無いんだとか。

 お風呂の後は喉が乾くから、ぬるま湯を飲ませたもんだが、今は
直ぐ乳房にかぶりつかせている。

 授乳後はげっぷを出さないと吐くからと、肩に担いでいたが、
今はそれもしない。

 抱き癖が付くから出来るだけ寝かせると言っていたのに、今は
皆で交代で抱いている。

 ミルクが良いとか、母乳じゃなきゃダメだとか、時代によって
言うことやることが変化している。



 でもそれぞれの赤ん坊はみんな、健やかにすくすく育っている
から、 あまり気にすることは無いか?!



マンションの文化展

2018年02月18日 15時40分50秒 | 思い出
 マンションの自治会が主催する文化展に参加した。

 昨年は、亡母の遺作の陶板画や短冊・色紙類を展示したが、今年は自分の
1年間の記録を出展することにした。




 通常、あまり文化とは関わりのない生活をしているが、撮りためた写真と、
折々の思うところを認めた俳句もどきを組み合わせて、印刷した。






 以下は展示した作品の紹介である。


 2月 中庭の梅の木に花が咲いた



 2月 熱海はすでに春、熱海桜は盛りを過ぎていた



 4月 今年の花見の納めは、印西市の「吉高の大桜」



 4月 市川の真間の手児奈の歌枕



 5月 谷津の薔薇園はもう、夏 



 6月 潮来あやめ祭り うな重が美味かった



 8月 亡母の初盆



 9月 城ヶ島の秋は、残暑が厳しい



 10月 雨の中、君津製鉄所の見学



 11月 曹洞宗大雄山最乗寺は、天狗の館



 12月 奥多摩青梅の澤乃井酒造



 マンション美化の相棒、毛利さんが早世



 自己紹介





 マンション住民の高齢化が進んでいることが良く分かった。
 出展者は、自分の作品のことしか話さないし、見に来た人も、
そういえば私はね、と自分のことを話したがる。
 そのうち、関係のない話題で盛り上がって、作品は刺身のツマ状態。

 まあ、これも又良いことだろう!!



いとこ会

2017年04月04日 13時03分51秒 | 思い出
 私の母方の祖父は、原三猿朗という俳号を持つ俳人だった。

 福岡県南部の田舎町で教鞭を取る傍ら、若くしてホトトギス
同人として活躍し、虚子らとの親好も厚かった様である。
明治の俳壇ではいっぱしの名を馳せて、当時日本領であつた
朝鮮でも、俳句の普及に大きな貢献をしたと言う。
盲腸をこじらせて夭折したが、明治の素封家らしく、2男4女と、
多くの子を残した。

 三猿朗の訓董厚く、原家は俳句一族となり、その6人の
子供たちもそれぞれの境遇の中で俳壇に繋がりを持っていた。
特に長男は父親の俳号を継いで三猿子を名乗り、指導者として
地方で活躍した。ホトトギス一派の親好を得て、年尾や汀子を
招いて句会を催したり、家の庭に一派の句碑を建てたりしていた。
祖母が交通事故で亡くなった折に汀子から贈られた弔句
         恙とてなく更衣されゐしに   汀子
の短冊は、今私の亡母の部屋にある。




 年を経て、6人の兄弟を含むいとこ達が、俳句の絆で集まる
ことになるのは、必然で有ったかも知れない。



 いとこ句会は九州で始まったが、構成員が順次移住するに
伴い、関東地方が中心になった。最後まで福岡県に残って
活躍した三猿子も、長年連れ添った妻女を看取ったあとは、
東京の娘宅に拠点を移した。

 風雪を経て、歯が抜けるようにメンバーが減り、6人の
兄弟は、今は最後の一人を残すのみだが、その子達は、
何と22人を数えるに至った。しかもそのうち12人が関東
圏内で生活している。

 第二世代のいとこ会が出来たのは偶然では無いだろう。

 都会の環境の中では、第一世代が主催する冠婚葬祭で
顔を合わせるだけだったが、気がついたら、我々自身が
昔を懐かしむ、そういう年代になっていた。

 最初は4人が集まり、4回目には9人になった。



 全員が俳句を嗜む訳ではないので句会を持つには至って
ないが、「日本伝統俳句協会」の常連以外にも、地域の
ローカル句会に参加したり、SNSにときどき披露している
者も居るので、そのうち句会に発展するかも知れない。

 しかし今の世の中は、いとこ同士で昔話を懐かしむことは
有っても、それぞれの生活が有るから、昔のように味噌・醤油
を分け合うような、血の繋がりに大きな意味合いは見当たらない。

 一度、みんなのルーツである、三猿朗ゆかりの地を訪ね、
墓参りして、原鶴温泉に泊まり筑後川の鵜飼を見よう、という
話が出ているが、さてそのあとは、どうなるだろうか?

 世の中の人間関係は変化し、隣近所や血縁関係とは別の繋がり
が大きな影響を持つようになったので、第三世代の交流は全くない。

 これから、このいとこ会がどう推移するか、見ものである。

母が逝った

2016年12月08日 11時50分21秒 | 思い出
 母が逝った

 これまで、誕生日、母の日や敬老の日に花を送っていた。

 例え遠くに離れていても、惚けてしまって何も解らなくても、
今年はこうしてあげよう、こんな話をしよう、と考えたもの
だが、もうそれが出来ない。
 此からは、残っている思い出が、日々薄れて行くだけだ。

 人が死ぬと言うことは、そういうことだろう。



2008年3月
     健やかに笑み多かれと春の蘭

2009年9月
     秋の野の花のかんばせ偲びつつ

2010年3月
     花も雲も言祝げ母のこの良き日

2011年3月
     満開のミモザの如く母卒寿

2011年9月
     虫の音やいと穏やかに老いてあれ
     天高く泰然自若と老い居たし


2012年5月
     来年も又この赤き花贈りたし

2012年9月
     名月に映して見たし母の笑み
     曼殊沙華ああ父の事母のこと


2013年3月
     桜咲く母の笑顔に色添えて
     春よ来いホームの部屋の窓辺にも


2014年3月
     この笑顔古木の梅にさも似たり
     紅梅や笑顔の似合う母なりき


2015年3月
     菩提寺や彼岸は母の日なるらむ

2016年3月
     花よ咲け我が不死鳥に笑み運べ

2016年12月
 95歳の天寿を全うして、天国の父の側に安らかに
旅立った

     冬の葬弥陀の教えも土地訛り
     大輪の菊奉らむと思ひしに  蛙蝉


 合掌


自国民を救助する?

2016年07月17日 11時11分17秒 | 思い出

世界中でテロが続発している。

 外国で起きたテロで日本人が拘束されたら、救助のために自衛隊を派
遣するつもりなんだろうか?

 いきなり自衛隊が来たら、その国はどうするだろう?



 日本国内でテロが起きて外国人に被害が出て、その国が自国民救助の
ために日本に軍隊を派遣する、と言ったら、日本政府はどうするだろう?
それが中国や北朝鮮だったら?


 外国への派兵を論ずると言うことは、そういうことだと思う。

戦艦・駆逐・水雷

2015年10月02日 09時50分02秒 | 思い出
 戦艦・駆逐・水雷ってのをやってたな。

 戦艦は、駆逐艦をやっつけ、駆逐艦は水雷艇に勝ち、
水雷艇は戦艦にやられる。
 戦艦役は防止をまっすぐかぶり、駆逐の役はつばを
横にして、水雷役は後ろ向きにかぶって、走り回ってた。

そ れと野球は、三角ベース。
狭いところで、少ない人数で遊ぶための工夫だったんだな。

九州の玄関口

2015年08月08日 12時35分29秒 | 思い出
 昔、門司港に住んでいた事がある。
九州の最北端で、丘の上から対岸の下関の火の山が望める
所だった。

 


 九州の玄関口と言ったら、何処を思い浮かべるだろうか。

 関東や関西から空路だと、福岡空港だろう。
昔は板付飛行場と言われ、進駐軍の管理下、民間機が借りて
使っていた。だから、ジェット戦闘機のスクランブル発進が
最優先で、朝鮮戦争では、大活躍した。
 今、国際線のハブ空港は韓国の仁川に成った。福岡空港
から韓国を経由して海外に飛び立つ便が多い。

 新幹線なら小倉駅だ、と思っていたら山陽新幹線は、博多
が終点だった。
 博多駅は、福岡市にある。地元では博多と福岡の地名を
厳密に使い分けているのだ。
 意外と知られていないのは、名古屋駅と博多駅は、南北
方向に線路が走っていると言う事。東西方向では無い。

 山陽本線は、下関では無く正式には幡生駅まで。鹿児島
本線の起点は、門司港駅だが、山陽本線の終点は門司駅
である。関門トンネルの開通に伴い、門司港をバイパス
して門司駅まで延長された。

 関門トンネルは、3つある。
JR山陽本線が通る鉄道トンネルと、国道2号線の国道トン
ネル、それに新幹線トンネルだ。



 鉄道トンネルは世界初の海底トンネルで、太平洋戦争
前に貫通し、開戦直後に開通している。橋は空爆の標的
になるからトンネルになったとか。国道トンネルは2階建
になっていて、上が車道で下が人道、つまり海峡を歩いて、
しかも無料で渡る事が出来る。1942年に貫通したが、
戦争の影響で開通は1958年になった。



 トンネルが出来る前は、下関・門司港間に鉄道連絡船
が就航していて、貨物車や客車をはしけで運んでいた。
艀の中にレールが敷かれ、桟橋のレールとピタリ合わ
せて車輌を渡すのは見ものだった。

 自動車なら、昔は関門国道トンネルだったが、今は
関門橋だろう。早戸の瀬戸の急流を眼下に海峡を渡ると、
九州に渡ったと、実感できる。

 最近はフェリー便も多い。先程北海道で火事になった
サンフラワー号は神戸から大分に着く。
韓国便は博多港に発着する。


 時代と共に交通手段が変遷し、それに伴って玄関口
も移り変わる。





久しぶりのハワイ その1

2015年06月06日 12時45分43秒 | 思い出
 ハワイに行った。

 5月最終週の月曜夜、成田を発って、金曜日の夕方帰って来た。
往復に時間がかかるので現地では3泊3日である。
甥っこの結婚式に呼ばれたので、日程に贅沢は言えない。

 成田発の飛行機はナッツ・リターンで話題になった大韓航空。
機内はキムチの匂いがするかと思ったが、そんなことは無く、
美人のCAのお嬢さんが何人もいた。
 乗客の大部分は日本人なのに、機内での案内放送は、まず
韓国語、次に韓国訛りの英語、そして最後に日本人乗務員によ
る日本語だった。



 勿論、出発してすぐ配られたのは、あのナッツである。我々は
エノミークラスだから、小袋のまま手渡しだったが、高い席では
どんなサービスだったんだろうか。


 21:20発の便だったので、夕食は出るはずがないと思って、
成田でワンカップの清酒を買い込んで寝酒にするつもりだったが、
ナッツの後に豪華な夕食が配られ、ワインが飲み放題だった。



 2時間くらい機内が暗くなった後、到着前には朝食まで出た。



ハワイは時差が-19時間だから、着いた日はは1日が43時間
である。
フライト時間は7時間ほどだが、途中で2回も機内食が出たので、
殆ど寝ることが出来ない。


 着いたホテルは、10年以上前に家族4人での最後の旅行として
訪れた、ワイキキのホテルの筋向いだった。
 チェックインは15時だと聞かされていたが、早めにホテルに
行ったら、13時には入室できた。夕食まで時間が出来たので、
シャワー浴びて周りを散歩した。
 少し曇って、波が高かったが、サーフボードで遊んでいる若者が
多かった。

 ハワイの鳩は小さくて雀は大きいから、その写真を撮ってくる
よう、厳命されていたので、気を付けて見ていたら普通の大きさ
の鳩の他に、確かに小柄な、鵯ほどの大きさの鳩が居た。





雀は大き目ではあるが、取り立てて言うほどでは無い。



 ハワイに特有の、頭が赤いカーディナルも見掛けた。





カラスは居ない。驚いたのは、緑色の日本にいるのと同じ目白が
居たことである。



 ホテルのあるブロックを一回りしたら、いろんな鳥が居た。
雀なんか、ホテルの中を飛び回ってた。




   --- 続く ---



桜餅

2015年04月24日 09時28分33秒 | 思い出

 桜餅が好きだ。

 桜の葉の酸っぱさと餡の甘さの取り合わせが良い。
菓子屋に行くと、漉し餡と粒餡とどちらにしますか?と聞かれる。
カミさんは粒餡派だが、私は漉し餡が良い。
 本当の桜餅は漉し餡で、粒餡は道明寺と言う、と言う人が居る。
目の粗い道明寺粉で作るから道明寺だ、とも言う。しかし道明寺は
椿の葉に挟んだ物、とも聞く。道明寺と長命寺は違う、とも言う。
桜餅には、いろいろ議論が有るようだ。



 この時期の和菓子屋は賑やかである。鶯餅、草餅、柏餅、最近は
イチゴ大福などが並んでいる。


 青きな粉の色が似ているから鶯餅、と言うのだろうが、あれはメジロ
の間違いだと思う。梅に鶯、と言うのもメジロでは無いだろうか?

 柏餅も流派がある。しろ餡、くろ餡の他に味噌餡も捨てがたい。
蓬餅で餡を包んだ物もあって、中々楽しい。


 食べる前は、馬鹿にしていたのだが、実はイチゴ大福が美味いことに
気が付いた。
 頂き物の八丁堀の翠江堂のいちご大福を食べて驚いた。大粒の甘い
いちごを薄くて柔らかい餅で包んでいて、何とも上品な旨さだった。

 イチゴ大福は翠江堂に限る、と思っていたが、うちの裏手の地元の
和菓子屋でも160円で売っていた。桜餅を買いに行ったついでに買って
見たら、有名ブランドに負けない美味しさだったので嬉しくなった。



 私の親父は饅頭で酒を呑んでいて、あれは外道だと批判の目で見ていた。
しかし私も最近は、飲んだ後甘い物が欲しくなる様になった。

 矢張り美味い物は美味い。

     桜餅の酸いと甘いはもたれ合い
     茶をすすりジジとババとで柏餅 蛙蝉





浦安の旨いもの 寿司

2015年03月04日 09時14分19秒 | 思い出
浦安の旨いもん その2

うちのかみさんは寿司が大好きだ。私も嫌いでは無い。

新鮮な生の魚は旨いと思うが、ワサビと酢飯の組み合わせは絶
妙だ。日本人の食文化の粋だろう。

 最初の子が生まれる前、私が買い物に行って近くのスーパーで
鯨のベーコンを見つけて買って帰ったら、ゲーゲーやり出して、
それ以来我が家では鯨はご法度に為っている。
 普通つわりの時は生ものは受け付けないというが、彼女にとって
寿司は別らしい。子供がお腹に居た頃、新宿のデパートによく食べ
に行った。

浦安に越して来たばかりの頃、猫実の地場の寿司屋に行った。
トロか何か頼んだと思うが2貫で600円程だったので、2品で逃げ
帰ったことがある。そう言えば銀座の高級寿司屋に一度行って
見ようと言う事で、福屋に行った時も余りの場違い感に恐れを
成して、2−3個だけで引き上げた。何とも情けない話だ。

 回る所ができる前は、近場で安くて美味い寿司屋を探し回った。
 市内に、立ち食いに近い簡易寿司屋が出来たので、暫くは通った
がそのうち潰れてしまった。堀江に新装オープンした寿司屋に
行ったら、盛りこぼしと称してイクラやウニがお皿に山盛りの
軍艦や、車海老の握りを頼んだら頭を塩焼きにしてくれたり、
大サービスだった。良いところが出来たと喜んでいたが、しばらく
したら値段が倍になってしまった。開店サービスだったらしい。



 寿司が庶民的になって来たのはいつ頃からだろうか。


 小僧ずしで、出来合いの寿司を買って来ると言うスタイルが
スーパーに普及し、弁当の仲間入りした頃かも知れない。最近は
機械が作る寿司ロボットまで出来た。もはや、握ってさえいない。
しかし、あれは寿司ではない。寿司の形をした別の食べ物である。
本当の握り寿司は、暖かい酢飯をふわっと素手で握って、
ラディッシュでは無い本物のおろし山葵を付けて新鮮な魚貝を
乗せたものである。  だから旨い。

 回転寿司も、世に出て来た当初は、冷凍のネタを乗せてビニール
手袋で握ってはいるが、まだ職人の手作業だった。
最近は、カウンターで職人に直接注文すると言う方式も止めて、
コンベヤーの前で、タッチパネルを操作してオーダーすると、奥で
機械が皿に乗せてコンベヤーを流れて来るようになった。子供は
遊び感覚で喜んで操作するし、一皿100円均一だから、親もあれは
高いからダメ、なんて言わなくていいから、結構賑わっている。

 でも、外国の人を連れて行ってはいけない。あれは「寿司」では
無いから。

浦安でも、舞浜の廻鮮すし吉恒や猫実の銚子丸は、回る所だけど
一応職人が手造りの寿司を喰わせてくれる。ネタもそこそこで、
結構イケる。しかし、最近出来た浜寿司やスシローは、安くて
手軽だが、スーパーの冷凍陳列棚に並んでるような、寿司とは
別の食べ物が流れる。それを覚悟すれば、それでもいいのかも
知れない。

先日ひょんな事から、築地の寿司清に入った。食べたのは
ちらし寿司だったが、カウンターで職人と目を合わせながら
話が出来て、目の前でシャリの量など相談しながら作って
くれた。



昔は、客が食べた分飯粒をカウンターの裏に貼り付けて、
客が勘定!と言うと即座に金額を答えた、なんて話もあったが、
今は明朗会計で、伝票制に成ってた。



 やはり寿司は贅沢な食べ物だと思う。カウンターで威勢の
いいオヤジと会話を楽しみながら、時期のネタを握って貰う
と言う、あの雰囲気も味の内だろう。


    -- 続く --

浦安の旨いもん

2014年05月24日 09時10分10秒 | 思い出
 まだ京葉線が開通していない頃、東葛飾郡浦安町の住民にとって、
東西線の浦安駅が唯一の社会との接点だった。その駅前に浅川という
小さな鰻屋が有る。
 幼い子供達を連れて一度入った事がある。子供達は食が細いので、
御飯だけ頼んだら温かいご飯に鰻のタレを掛けて出して呉れた。
まだ人情味が残っていた頃の話である。

 その頃、一杯の掛け蕎麦という話がTVやラジオで流行って居たが、
かみさんがうちの子供達を連れてラーメン屋に行くと、一杯のラーメン
で十分三人が食べられたと言っていた。食べるのが遅いから、麺が
延びて量が増えるのだ。若い頃だから勿論金は無かったがラーメン代位
は払えるはずなのに、子供達がそれ程食べなかったのである。

 鰻といえば成田山に故郷の親父を連れて行った時に、参道の鰻を
食った事があった。鰻は旨かったが、下のご飯が硬くて芯が残って
居たのを憶えている。
 何故かあの辺りには川魚を食わせる所が多い。




 この界隈には珍来というラーメン屋が多い。チェーン店のようだ。
最初は娘の高校の近くの、街道沿いの店に入ったが最近は浦安駅前
時々行く。私は湯麺、かみさんはソース焼きそばが定番で、大体半分
ずつ分けて食べる。ここの中華料理は、味が濃くて量が多いことが
特徴だ。それを食い盛りの近所の高校生達は、大盛りで注文して
平らげて行く。その見事な食べっぷりを見るのも、楽しみの一つだった。
 最近レトロな雰囲気に改装して綺麗になったが、以前の油が染み込んだ
店内の方が良かったな。



 行きつけの店の一つに、貴州菜園という小じんまりとした中華料理屋が、
行徳にある。年に2-3回は必ず行っているが、ここは日替わりの定食が
数点、黒板に書いてある。これが仲々のもので、私は特に魚の唐揚げが
好きだ。一匹丸ごとカラッと揚げて甘酢あんをかけて出てくる。これを
頭から骨までガリガリとやるのが、旨い。
 岩のりのオイスターソース炒めは絶品である。真っ黒のドロドロした
ものだが、癖になる味だ。甕から汲む紹興酒も良いが、娘たちは
ナタデココやアイスクリームなどのデザートも楽しみにして居た。

 最初の孫がまだ歩けない頃にベビーカーで連れて行ったとき、大人達の
皿から少しづつ食べさせたが、帰ってから急にテンションが上がって
驚いた事が有った。多分ニンニクのようなスパイスの、初体験だった
ようだ。



葛西橋通りの東陽町の近くにと言う中華料理屋がある。ふう、と
読む。タイガースとは関係ない。街場のラーメン屋より少し高いが、
料理はそれなりに特徴が有って旨い。昔は店の前に平気で路駐して
居たが、今はそれが出来ないので足が遠のいた。


 こうして見ると浦安界隈にも、旨いもんが結構有るみたいだ。

 捨てたもんじゃ無いぞ。
                    <続く>