耳順庵日記

60歳を超えて、生き馬の目を抜く首都圏の生活にカムバックした。
浦安太郎が見た、都会の意外な側面を綴ってみたい。

お正月の思い出

2014年01月03日 10時40分25秒 | 世相今昔
 お正月とは、年の始めを祝う厳かな儀式だった。

 一夜飾りはいけないと、母親が前から用意した注連飾りは、地方独特の形
だった。トイレや台所など家の中の各所に小さな輪飾りを取り付け、勉強机
の上にも小さな鏡餅を置いてもらった。



 元日の朝起きたら、枕元に用意してもらった新しい下着と晴着の上下を着て、
初日を拝んだ。井戸から若水を汲みお茶が入ったら、コタツの上で干し柿を
食べることから始まったものだ。

 苦いお屠蘇は歳の若い者から順に飲まされ、雑煮の餅は歳の数だけ食べる
ものだとハッパを掛けられて、美味くもないおせち料理を強いられた。



 そもそも正月休みの間買い物が出来ないので、食いつなぐ為の非常食が
おせち料理のはずだったが、最近は高級な料理になったから、日持ちがしない。
しかも子供達はすぐ飽きて食べやしない。おかしな世の中になってしまったもの
である。




 年始客から頂いたお年玉は、貯金しておいて上げるからと母親に召し上げ
られた。学年が上がるたびに100円ずつ増えるのが楽しみだった、両親からの
お年玉の使い途を考えてワクワクしたものだったが、松が取れるまでは町の店は
どこも休みだから、凧や独楽で遊んでいる内にそんなことは忘れてしまった。

 元日は自分の家で雑煮を食べて初詣。2日はおじいちゃんちに親戚みんなが
集まって挨拶を交わす。従兄弟たちとトランプで遊ぶのが楽しかった。
 少し大きくなって百人一首を取れるようになると、家族で源平を競う事が出来る
ようになった。好きな札を自分の前のどこに置くか、相手の得意札をどうやって
取るか、時々読み役の父親が空札を読んで、お手付きさせられて怒ったり、夢中に
なったものだ。トランプの7並べやダイヤモンドゲームなんかもやったな。

 我が家では、 初詣は3社参りと称して幾つかハシゴするのが常だった。
小倉八坂神社、篠崎宮、貴船神社。門司では和布刈神社や甲宗八幡など、父に
連れられてお参りした。余り御利益が有ったとは思えないが。

 朝10時になると、年賀状が届くのが待ち遠しかった。届くと仕分けをして
自分宛の数枚を探した。
 結婚して暫くは版画に凝った。ホウの板の版木に干支の動物と年賀の挨拶を
彫刻刀で彫って、葉書に印刷していた。
 プリントゴッコが出回ったら、一気に制作効率が上がった。多色刷りも楽に
なった。加熱すると盛り上がるインクや金粉など、工夫の余地も拡がった。
 しかしPCが普及してインクジェットプリンタが使えるようになったら、更に
自由度が増え、写真や既成のデザインが自由に使えるようになった。

 しかし、最近の私は年賀葉書の数を減らす方向にある。
 親戚の老人諸氏やデジタルデバイドの同僚先輩各位は止むを得ないが、PCを
使える方には、E-Mailに切り替えることにした。こちらの方が情報量が多く
色々書けるが、A41枚に納まる様に工夫は必要だ。
 それでも元日の朝届く年賀状は楽しみだ。卒業以来一度も会ってないのに
続いている友人も居るから面白い。



 今、孫達が我が家に集まるようになった。
 正月のしきたりや日本の伝統を教えてやりたいと思っている。一人で電子
ゲームにハマるのではなく、みんなで遊ぶ伝統の正月の遊びを伝えたい。
 これ迄毎年孫達には、我が家に来る度に新しい遊びを教えて来た。知恵と
経験を増やしてやった。




 今年も子供達のレベルに合わせて遊んでやろう、と思っていたが、この
度はどうやら様子が違う。どうも親から、うるさいおじいちゃんの言うこと
を聞いて、遊びに付き合って上げるんだよ、と言い聞かされているんじゃ
ないだろうか。


 庇護教導する立場から、敬遠憐憫の対象になってしまったような気がする。

 自分が昔、祖父母を見ていた目で、今私は見られているのだろうか?



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1 コメント

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Unknown (崇仁)
2014-01-03 20:17:22
孫が来て娘が来て ありがたい事です。
羨ましい事ですね。 
古希を迎えますますイヤサカ!
適量の杯を重ね 酔ったら早めに寝る。
ご自愛ください。
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