耳順庵日記

60歳を超えて、生き馬の目を抜く首都圏の生活にカムバックした。
浦安太郎が見た、都会の意外な側面を綴ってみたい。

年用意 煤逃れ

2015年12月29日 10時53分33秒 | 世相今昔
 正月の用意の事を、年用意と言う。煤払いを避けて逃げ
出す事を、煤逃れと言う。


 小さい頃の年用意で印象的だったのは、障子張りだ。いつもは
怒られるのに、この時だけは堂々と障子紙に指突っ込んで、
びりびりに破いて行く。桟を水洗いした後、糊を刷毛で塗って、
紙を貼っていく。下から上の方に貼っていくのが本当だと、
良く言われた。

 近くに住んでいながら、35年間一度も入ったことが無い中山
競馬場に、今年は、煤逃れをして有馬記念を買いに行った。
 自分の誕生日に因んで、全レース1-6を買ったが、年神様に
睨まれたのか一枚も当らなかった。





 昔は、紅白が終わった瞬間にテレビの画面が切り替わって、
雪の永平寺かなんかの、シーンとした画面で、除夜の鐘を聞きな
がらの初詣の映像が面白かった。
 今は、ジルベスターコンサートのカウントダウンであろう。
今年もまた、ボレロだと言う。エキゾチックなメロディの
繰り返しで、秒を刻むことだろう。

 年越しと同時に港の船の汽笛が鳴るのも、良い。
ディズニーでもカウントダウンして花火が上がる。

 小さい頃のお正月は、初日の出を拝んで、若水でお茶飲んで、
干し柿食いながら雑煮を待つ。お屠蘇は若い者から順番で、
親父が最後に飲むと、お年玉が出る。
 初詣は氏神様から初めて3社にお参りする事になっていた。

 元日に小学校の講堂に集まって、君が代歌って紅白饅頭
貰ってたのは、何時までだったろうか?

 今の正月のテレビはつまらない。大混雑の初詣風景と、
年末に録り溜めした、芸のない芸人の下品な姿しか無いから。

 朝10時になると、郵便受を見に行って、年賀状を数えるのが
楽しみだったが、最近は随分減ったし、自分もあまり出さない。

 2日になると、もう箱根駅伝だ。
ウィンフィルのニューイヤーコンサートもある。

 昔は、正月と言えば、どこの店も閉まって、初詣の神社の
出店しか開いてなかった。それが今は、元日の朝から、
コンビニもスーパーも、みんなやってる。正月の用意なんか
何もしなくても、何も困らない。
 年賀に来る 孫たちの為のお菓子も玩具も、何処でも買える。
何とも味気ない、じじばばの存在感を阻害する事態になった
もんである。



今時の若いもんは

2015年05月12日 13時13分27秒 | 世相今昔
 60年安保の時、岸信介は警察と右翼の支援団体のみならず、
博徒・テキヤ・旧軍人と右翼宗教団体会員を動員して全学連
の国会デモに対抗し、樺美智子が殺されたことで話題になった。
岸内閣は、自衛隊初の治安維持出動を目論むも、世論に押され
総辞職に追い込まれた。

 70年安保では、ベトナム反戦の流れを受けて、全共闘による
大学封鎖の嵐が全国に吹き荒れ、新左翼は「ヘルメットとゲバ棒」
で機動隊と戦った。しかし、徹底した取締りと弾圧に加え、内ゲバ
によって自滅し、佐藤栄作内閣の延命化を許してしまった。




 今、安保条約の締結や批准より、もっと具体的に戦争に近い
状況に有る。

 安倍政権は、戦争放棄の9条のみならず、憲法そのものを
独裁政治の障壁ととらえ、改悪を宣言している。
 そのための地ならしとして集団的自衛権を独断的に閣議決定し、
秘密保護法で正当化し、見苦しくアメリカに追随している。

 それのに、学生達は、若い者はどうした?

 せめて、選挙で意思表示するだけでも、影響は大きいと思わないか?
いや、今の選挙は欺瞞で、時の政権を正当化するだけだ、と言うなら、
その代わりに何をするのだ?


 戦争に引っ張られて、殺し合いをさせられるのは、君たちだよ!





お正月が来る

2014年12月18日 21時16分32秒 | 世相今昔
 子供の頃は、もういくつ寝ると、とお正月が待ち遠しかった。
お年玉が楽しみであった事は勿論だが、非日常の特別な日
という緊張感が気持ちを高揚させたのかも知れない。
そう言えば、誕生日やクリスマス、いや毎週の日曜日でさえ
待ち遠しかった。
小さい頃は、何でもいつもと違う行事は、ワクワクしたものだが、
お正月は特別だった。
だって一晩明けたら年齢が一つ増えるんだから。

 大晦日の夜は、ラジオでは紅白をやっているのに風呂に
入らされて、枕元に新しい下着と畳んだ晴れ着を置いて、
緊張しながら寝たものだった。

 母親はおせちの準備をしながら、夕方からレコード大賞
を見て、紅白を見て、行く年来る年の除夜の鐘を聞く、
というのが、大晦日だった。
 売れている歌い手は、番組が切り替わる間のニュースの
時間に、有楽町の劇場から渋谷のNHK迄どうやって駆け
つけるかが、ニュースになった。
最近の紅白は、見たことも無い若者ばかりなので、第9を
聴く事も多い。

 ジルベスターのカウントダウンはボレロが面白いが、
今年はフィンランディアだと言う。うまく時間を合わせ
られるだろうか。

       煩悩をボレロで数えジルベスタ

 昔は、暮れも押し詰まってくると、町内の大工の棟梁が
若い者を集めて餅をついた。
 搗き立ての餅は、餅トリ粉をまぶして、餅箱に広げて
伸し餅にしたり、雑煮用の丸餅にしたり、鏡餅に仕立てたり
したが、あんこを餅で包んだ熱々のあんこ餅が一番嬉し
かった。

 あの餅箱は、正月以外に見たことが無いが、年に1回
だけの道具って、結構有ったものだ。梅干を干すための
ざるも、そういえばそうだったナ。

       歳の数餅を喰らいしこともあり


 12月は忙しい。いつも年賀状を100枚程買っては来る
ものの、図案を考えるのに手間が掛かる。一時期は毎年
版画を彫った。
プリントゴッコを買ってからは、作品の幅が大幅に豊富
になった。
PCが家に来たら、写真も使えるようになってカラフルに
なった。
しかし最近は、年賀メールの方が便利で手軽だ。だから、
郵便しか受け付けられないデジタルデバイド宛にだけ、
葉書を出す。



 大掃除をして、注連縄を飾って、お年玉の用意をして、
いつも大晦日ぎりぎりまでバタバタしているが、一夜
飾りは縁起が悪い、と注連縄だけは早めに買った。

       一年の不首尾を悔いて煤払い

 爺さんが生きてた頃は、元旦は若水を汲むだの、
干柿でお茶を飲むだの、お屠蘇の順番とか色々煩かった
が、最近は略式だ。
 自宅でお屠蘇を祝って、分厚い新聞をザッと見て、
雑煮を食べて、年賀状を確認して、地元の氏神様にお詣り
して、マンネリ化した正月番組を見て、終る。

       衣を正しまずは干柿若水茶
       改めて初日に願うことも無し



 2日は晴れ着を着て、お爺ちゃんお婆ちゃんに挨拶に
行く日だった。
 最近は、子供たちが孫どもを引き連れて、我が家に
来てくれる。
ジジババ二人だけなら、何もしなくても良いのだが、
このためにいろいろ準備が大変になる。

       子の好きな丁呂木と小肌買いに行く
       菓子を買い年玉包み孫を待つ
       年用意頑張る老妻の腰を押す
       初夢は孫に教える囲碁将棋
       ゆるゆると孫らと競え歌かるた
       子ら集い歌留多などする夢を見む
       孫が来る箱根駅伝連れて来る





       もういくつ迎えられるかお正月 蛙蝉







コンピュータ

2014年08月21日 09時52分28秒 | 世相今昔
 始めてコンピュータに接したのは、大学の卒論の時だった。

 FORTLANでプログラムを組んで東大にある大型コンピュータを使わせて
もらうために、紙カードにパンチした。まだIBMの汎用機が日本に数台
しか無くて、九州の田舎大学の電算機室には、紙カードのパンチ機が
数台置かれているだけの頃だ。

 練習問題として、4桁の数字を麻雀牌に見たてて、聴牌している組み
合わせを探すというプログラムを作ったことがある。
FORTRANのプルグラムを紙カードにパンチして、航空便で東大に送ると
数日後に、シンタックス・エラーと書かれたプリンターの出力が送り
返されてくる。
ミスを修正してまた送る、という気の長いことをやっていた。

 大学の電算機センター(計数センターと言ったっけ)を建設中に、
米軍のジェット戦闘機が突っ込んで来て大騒ぎになって、総長を先頭に
全学で市中デモをやった頃だ。ファントムが田舎大学の70年安保闘争の
口火となって、その後学内封鎖が続いた。

 その電算機センターは2年後にオープンした。





 今はスマホや携帯で利用するソフトウェアシステムのことを、
「アプリ」というが、少し前はPCで使うソフトウェアは、ゲームソフト
とか通信ソフトのように「ソフト」と言っていた。
就職して最初の部署では、ミニコンを使って機械を制御したり事務処理を
するコンピュータシステムを製造販売していたが、ソフトウエアの集まり
を「システム」と称していた。用語も時代で変わって来る。

 プログラム言語も代わった。当時、科学技術計算はFORTRAN、事務処理は
COBOLが一般的だったが、いずれもコンパイル言語で、いったん機械語に
変換した後で、電算機が処理した。
その後 インタープリター言語と言う便利なものが出てきた。解釈実行型言
語とも言う。PCの初期に人気だったBASICなどがそうで、命令語を逐次実行
する。

 要は、機械が実行できる形にまで詳細に具体化した命令を、漏らさず記述
するために曖昧さを許さず、厳密に文法を定義した言語体系がプログラムで
あろう。最近は、オブジェクト指向などと言って、人間の思考に近づく傾向
があるが、まだ自然言語には程遠い。




 最近はロボットブームである。私も会社でロボット作りに携わったことが
有る。といっても最近流行りの人型ロボットではなく、多関節ロボットと
いう産業用の機械である。この動作を記述するためのロボット言語を開発
した。これくらいの速さで手先を動かせとか、センサーの信号を取り込め、
と言った命令をロボットに指示するためのプログラムである。

 最近は、画面上の図記号を組み合わせることで、子供でもロボットを動かす
ことが出来るようだ。



 機械が人間に近づいて来ているのか、人間が機械側にすり寄っているのか、
微妙な問題である。





庭のすもも

2014年07月01日 13時07分36秒 | 世相今昔
我が家の中庭に、すももの木が有る。

鳥たちが騒がしいと思ったら、赤い実が熟れていた。
摘み取って頬張ると、仄かな甘みと強めの酸味と
豊富な果汁が口の中に充満した。熟れ過ぎて地面に
落ちた実には、鳥たちが突ついた跡が有る。

手が届かない木の上の方には、熟して赤みを通り
越して黒い大きな実が沢山有る。細い幹をドンと
蹴飛ばしたら、バラバラと落ちて来た。流石に甘くて
美味しかった。

  若き日のこと思ひだすすももかな 蛙蝉


 アケビやヤマモモは山に採りに行くもの、桑の実や
ビワや柿は庭に出来るもの、西瓜やマクワウリは畑に
生るものだった。
 食べどきを見計らって、一番美味そうなタイミング
で食うのが通だが、得てしてまだ青臭かったり、熟れ
過ぎたりした。
 虫食いの有る方が美味いし、傷が有るのが当たり前
だった。


 今は何でもスーパーに売ってるし、ネットで買える。

 食べ頃の果物が、発砲スチロールのトレイに乗って、
ラップをかけられて値札が付いて供される。

 何とも便利だが、味気ない世の中に成ったものだ。



宗教的生活

2014年07月01日 09時12分19秒 | 世相今昔
 宗教とは何だろうか?

 宗教的生活とはどんなものだろうか?
 弱い人間の心を支え、考え方を方向付けるものだろうか。
門外漢の目には、人の心の弱さに付け込むように見えてならない。
天国の素晴らしさを説いて人の気持ちの中の依存心を煽り、地獄の
怖ろしさで恐喝し、人生の目的と生き方の指針を示して強制し、
仲間意識を持たせる。そして、組織が出来れば組織の維持と拡大が
自己目的になり、献金と勧誘が義務付けられるのは当然の成り行き
であろう。

 世に色んな宗教が有る。エホバの証人、物見の塔、統一教会、
オームなどは、そんな類なのだろうか?
 モルモン教やフリーメイソンはどうだろうか? マフィアやKKKも
宗教と言えるのだろうか?



 私は宗教を持たない。宗教文化には興味が有るから神社やお寺には
お参りするし、教会の雰囲気も嫌いじゃ無い。
しかし、生活を規制されるのは嫌だし、規則に縛られるのは窮屈だ。
ましてや献金を強制されたり勧誘を義務付けられるのは、まっぴらだ。

 宗教とはそんなものだと決め付けるつもりは無いが、外から見ると、
そう見える。つまり、信じようとする気持ちが無い、必要性を感じて
居ない、信心の素晴らしさを知らない、と言うことだろうか。

 キリスト教圏やイスラム社会のように、生まれた時から宗教的環境
にあり、生活の基盤に宗教活動が有ると、抵抗なく受け入れられるん
だろうが、自堕落な生活に慣れ親しんだ今となっては、抵抗が大きい。



 考えて見れば昔の日本は、教義や経典が明確に有った訳では無いが、
結構宗教的な生活をしていたのでは無いかと思う。地域社会の中で
日常の挨拶の仕方や生活習慣を学び、お百姓さんに感謝し食べ物を
粗末にせず、親や年長者を敬い規律を重んじ、季節の行事やしきたりを
大切にして、先祖を祀って八百万の神に感謝する。
 そんな生活は、十分に宗教的ではなかっただろうか。

 今の日本人が仏教や神道を受け入れられないようになったのでは無く、
日本人の生き方が、人間性を失いつつ有るような気がする。


 宗教側の問題では無いかもしれない。


    雷一撃何に怒りし喝なるか  蛙蝉



外国人

2014年05月11日 19時10分25秒 | 世相今昔
 昨今、Japanees Only とか、外国人お断り、が話題になったが、
逆に言えば、それ程日本がインターナショナルに成った、と言う
ことだろうか。


 日本人が外国人と言う時に、情けない事に欧米人とアジアの人達
とでニュアンスが違う。自分と比べて上か下かを判断しようとする
卑屈な態度は、日本人特有の気質だろうか。外見だけで人を判断
しがちなのも問題である。

 今だに外人が流暢な日本語を操ると、違和感がある。彼らは英語
しか理解しないと言う思い込みが強いようだ。一方、中国人や韓国人
はたどたどしい日本語を話すもの、と言う思い込みも有る。

 私が若い頃は、周囲に外国人は少なかった。朝鮮民族は外人とは
思わなかったから、進駐軍の他には殆ど居なかったと思う。

 それが今はどうだ。街はあらゆる国籍の人達で溢れている。

 国技と称して自慢して居る相撲は、既に蒙古人に乗っ取られた。
今にウランバートルに本場所が移り、蔵前が地方場所になる。
 野球だってそうだ。V9時代の巨人軍は純血主義とか言って外人を
排斥して居た。広島もそうだったが、これは単に金がなくて外人が
集まらなかっただけだ。
 それが今は外人枠も広がり、まるで博徒が貧乏侍の用心棒を集めて
いる関係を想起させる。

 綾瀬市に住んでる孫が通う幼稚園や学校には、厚木基地の米国人の
子供が多い。だから孫達は平気で一緒に遊んで、シーユーとか言ってる
から、我々の世代のように紅毛碧眼に物怖じする心配はなさそうだ。


核家族化

2014年05月10日 08時56分16秒 | 世相今昔
 1000戸以上、約3000人のマンションに住んでいる。

 隣の住人とは、顔を合わせれば挨拶はするが、殆ど話したことが無い。
1000戸の内で、家の中に上がった事があるのは、2-3軒だけだ。
 最近管理組合の役員をやって居て、冗談を言い合える知り合いが30人程
出来たが、それでもその人達の家庭の事情には踏み込まない。

 思えば、会社に居た頃もそうだった。机を列べて毎日一緒に仕事してる
仲間でも、お互いの家庭については、関与しないという暗黙の了解が有った。



 昔は良かった。
 ご近所と家族とが近かった、というか殆ど境が無かった。子供達は自由に
往き来していたし、醤油や砂糖の貸し借りも気軽に有った。
 今は、隣に回覧板届けるだけの為に、よそ行きに着替えないといけない。

 これは、親戚の間でもそうであろう。というか良く知ってる間柄では、
尚更構えるのかも知れない。核家族化が進み家族観の絆が強くなる一方、
日常の素顔を安心してさらけ出せる範囲が狭まったのでは無いだろうか。
今の日本の総中間階級社会の為せる影響のようにも思う。



 人付き合いが出来ない人ばかりではない。此方から挨拶すれば、挨拶を
返す人は多いし、話し掛ければ会話は出来る。特に子供は社交的だ。
私もそうだが、自分から他のテリトリーに踏み込むのを躊躇って居るだけ
だと思う。

 欧米の風習は良く知らないが、映画やドラマでは家族ぐるみの付き合い
が多い様だ。ホームパーテイやバーベキューの習慣が在るようだ。教会
という環境のせいかも知れない。

 最近は核家族化が進み、1953年には5人以上だった世帯人数も2.5近く
になっている。
 日本と言う国の存続を図る為には、外国から移民を導入して人口を
維持するしか無いのかも知れない。

ガリ版刷り

2014年05月03日 19時51分09秒 | 世相今昔
 我々が小学校や中学校の頃、教材は教科書と先生手書きのガリ版刷りの
プリントだった。テストの試験用紙もガリ版印刷だった。時々、2色刷り
の事もあった。これはロウ紙の原紙を2枚作って色毎に2度刷りすると言う、
手の込んだ物だった。

 市販の活版印刷を使ったテストなんかは、全国共通の試験以外には殆ど
無かった。

 先日、小3の孫の宿題を見たら、印刷物だった。
学校から保護者向けの連絡も、プリンターによる印刷だという。
今時、謄写版なんて、学校には無いんだろうな。もう、教師の手作りの
手書きプリントなんて、見ることは出来無いのかも知れない。
教師が黒板に書いた問題に、指名されて答えを書きに出て行くのが嬉し
かったが、そのうち黒板がなくなって、スクリーンに成るんだろうか?


 手書きの習慣が無くなると、読めても書けないという時代が来るかも
知れないな。

浦安に雪が

2014年02月11日 17時46分05秒 | 世相今昔
 私の住んでいる団地は、築35年以上経っている。だから新築時に30代で
入居した住民は、全員60代後半に突入している。

 新浦駅前のマンションでは、値段が下がらないので若い人が買えず、
世代交代が進まないため、スラム化を心配する向きもあるようだ。
地域住民の高齢化が話題になっているが、我がマンションでは意外に住民の
新陳代謝が進み、若い世代も増えていて、子供達が中庭で走り回っている
姿を見ることが多い。

 年寄りが寄り添って散歩する姿も微笑ましいが、子供達の遊ぶ声はもっと
心が和む。



 我々が子供の頃の遊びは、正月の凧や竹馬、独楽回しもそうだが、缶蹴り、
釘さし、パッチン(こちらではメンコと言うのかな)、ビー玉。
駆逐・戦艦・水雷というのも、よくやった。ガキ大将はみんなから巻き上げた
ビー玉でポケットがジャラジャラいってたな。国鉄の線路に五寸釘を置いて、
貨車に踏ませて出来た刀が宝物だった。
女の子はおはじき、お手玉、ゴム跳び、リリアン編みなんかも流行ってた。

 今の子供達も、外で走り回る姿は同じだが、直ぐ座り込んで電子ゲーム機に
ハマってしまう。我々世代に比べて電子機器との付き合い方は異常にうまいが、
人と付き合うことが出来なくなるんじゃないかと、心配になる。



 その浦安に雪が降った。この地に越してきてから35年だが、これまでで
一番の雪だった。爆弾低気圧の影響で、45年ぶりの大雪と言う。昔、この規模の
雪が降ったときは、もちろん電車は止まり、このあたりが半日ほど停電した。
電話が使えないので、近くの公衆電話までラッセルして行ったのを覚えている。
そのころに比べるとインフラは強化されているようで安心した。

 その雪の中庭が子供たちで一杯になった。雪合戦する子供、そりで滑ってる子供、
雪だるまを作ってる子供たち、かまくらもできていた。そう、犬と子供はこれで
なくっちゃ。もっとも我がマンションはペット禁止だから犬は居なかったが。
 一夜明けても大量の雪が残り、雪像の残骸が数十本立っていた。



 自治会が気を利かせて、雪掻きを計画した。防災倉庫のスコップで棟の出入り口、
構内通路、構外の歩道を除雪しようという。3.11の液状化ヘドロ除去以来の共同
行動である。私も微力ながら貢献できればと参加した。
 しかし結果はみじめにも途中でリタイア。1時間半の奮闘で力尽きて、逃げ帰って
しまった。こういうのを年寄りに冷や水と言うんだろうか。



 3日経ったが雪はまだ残っている。おそらく一週間以上残るだろう。しかし、
暦の上ではもう春、桜の梢も心なしかピンクに色付いているような気もする。
日足も確実に伸びている。

 春よ来い、早く来い! ああ、春が待ち遠しい。



トイレのリモコン

2014年02月03日 13時06分01秒 | 世相今昔
 我が家のトイレは、Washletである。

 日本が世界に誇るハイテクの一つが、お尻が洗えるトイレである。
汚物は温水で洗い流してくれるから、拭き残しで下着がよごれること
が無いし、トレペの使用量も減る。

 しかし律儀な日本人は、何にでも改良改善を考える。通常、便座の
横に付いている、操作用のスイッチ類を、リモコンにすることを考えた
奴がいる。


 ある日、そのリモコンが利かなくなった。電池切れである。
そうなると、手動操作が出来ないWashletは哀れである。水で洗えなく
なってしまう。
 リモコン器の中には乾電池が使われているが、狭い空間の無線だから
電池の消耗が少ない。購入後9年間一度も電池交換していないから、
液漏れして電池ホルダーの電極が錆びついていた。
 何とかリモコンをバラして、錆を削り落として使える状態になったが、
メーカーに問い合わせしたら、リモコン全体の交換が必要だという。
一体どういう設計思想なんだろう?


 そもそも、あの狭い空間で何故リモコンが必要なのか?

 便座の横の操作盤に手が届かない人が喜んだと言うが、そんな人が
何人居るんだろう。基本的に温水でお尻を洗うだけで十分だと思う。

 便座を温める機能も有難いが、そのために電子レンジ並みの電力を
必要とする事を承知しているんだろうか?

 温風で乾かしてくれるというのも、時間がかかるし自分で拭わないと
納得しない人の方が多い気がする。

 ノズルが前後に動いたり強弱のリズムでマッサージしたり、至れり
尽くせりだ。

 先日ガッチリマンデーで「引き算でガッチリ」をやっていたが、
画面が無いテレビとか、オーブンレンジからオーブンを取ったとか、
余計な機能を省略して成功した例が紹介されていた。


 何でもかんでも、無くてもいいような機能を付ければ良い、と言う
事では無い、と思うがどうだろうか。



成人の日

2014年01月13日 09時02分10秒 | 世相今昔
 今日の朝刊に、サントリーの広告が出ている。

 毎年、成人の日に伊集院 静が書いている、新成人への「贈る言葉」だ。
 昔、成人の日を迎えた事が有る、大人からの言葉が、好感が持てる。酒を嗜もう、
と言う締め括りで終わっているのも良い。

 以前は山口瞳が担当していた。トリスおじさんの絵も良かった。

 たしか、4月1日にも、新社会人に向けての同様のメッセージが有ったと思うが、
こんな企画はもっと有っても良いと思う。

お正月の思い出

2014年01月03日 10時40分25秒 | 世相今昔
 お正月とは、年の始めを祝う厳かな儀式だった。

 一夜飾りはいけないと、母親が前から用意した注連飾りは、地方独特の形
だった。トイレや台所など家の中の各所に小さな輪飾りを取り付け、勉強机
の上にも小さな鏡餅を置いてもらった。



 元日の朝起きたら、枕元に用意してもらった新しい下着と晴着の上下を着て、
初日を拝んだ。井戸から若水を汲みお茶が入ったら、コタツの上で干し柿を
食べることから始まったものだ。

 苦いお屠蘇は歳の若い者から順に飲まされ、雑煮の餅は歳の数だけ食べる
ものだとハッパを掛けられて、美味くもないおせち料理を強いられた。



 そもそも正月休みの間買い物が出来ないので、食いつなぐ為の非常食が
おせち料理のはずだったが、最近は高級な料理になったから、日持ちがしない。
しかも子供達はすぐ飽きて食べやしない。おかしな世の中になってしまったもの
である。




 年始客から頂いたお年玉は、貯金しておいて上げるからと母親に召し上げ
られた。学年が上がるたびに100円ずつ増えるのが楽しみだった、両親からの
お年玉の使い途を考えてワクワクしたものだったが、松が取れるまでは町の店は
どこも休みだから、凧や独楽で遊んでいる内にそんなことは忘れてしまった。

 元日は自分の家で雑煮を食べて初詣。2日はおじいちゃんちに親戚みんなが
集まって挨拶を交わす。従兄弟たちとトランプで遊ぶのが楽しかった。
 少し大きくなって百人一首を取れるようになると、家族で源平を競う事が出来る
ようになった。好きな札を自分の前のどこに置くか、相手の得意札をどうやって
取るか、時々読み役の父親が空札を読んで、お手付きさせられて怒ったり、夢中に
なったものだ。トランプの7並べやダイヤモンドゲームなんかもやったな。

 我が家では、 初詣は3社参りと称して幾つかハシゴするのが常だった。
小倉八坂神社、篠崎宮、貴船神社。門司では和布刈神社や甲宗八幡など、父に
連れられてお参りした。余り御利益が有ったとは思えないが。

 朝10時になると、年賀状が届くのが待ち遠しかった。届くと仕分けをして
自分宛の数枚を探した。
 結婚して暫くは版画に凝った。ホウの板の版木に干支の動物と年賀の挨拶を
彫刻刀で彫って、葉書に印刷していた。
 プリントゴッコが出回ったら、一気に制作効率が上がった。多色刷りも楽に
なった。加熱すると盛り上がるインクや金粉など、工夫の余地も拡がった。
 しかしPCが普及してインクジェットプリンタが使えるようになったら、更に
自由度が増え、写真や既成のデザインが自由に使えるようになった。

 しかし、最近の私は年賀葉書の数を減らす方向にある。
 親戚の老人諸氏やデジタルデバイドの同僚先輩各位は止むを得ないが、PCを
使える方には、E-Mailに切り替えることにした。こちらの方が情報量が多く
色々書けるが、A41枚に納まる様に工夫は必要だ。
 それでも元日の朝届く年賀状は楽しみだ。卒業以来一度も会ってないのに
続いている友人も居るから面白い。



 今、孫達が我が家に集まるようになった。
 正月のしきたりや日本の伝統を教えてやりたいと思っている。一人で電子
ゲームにハマるのではなく、みんなで遊ぶ伝統の正月の遊びを伝えたい。
 これ迄毎年孫達には、我が家に来る度に新しい遊びを教えて来た。知恵と
経験を増やしてやった。




 今年も子供達のレベルに合わせて遊んでやろう、と思っていたが、この
度はどうやら様子が違う。どうも親から、うるさいおじいちゃんの言うこと
を聞いて、遊びに付き合って上げるんだよ、と言い聞かされているんじゃ
ないだろうか。


 庇護教導する立場から、敬遠憐憫の対象になってしまったような気がする。

 自分が昔、祖父母を見ていた目で、今私は見られているのだろうか?



休日の変遷

2013年12月23日 07時15分22秒 | 世相今昔
 12/23 は天皇誕生日だという。
 昔は4月29日が天皇誕生日だった。今は昭和の日になった。

 毎日が日曜日の生活をしていると祝日がいつなのか、何の日
なのか、あまり関心が無くなる。

 祝祭日にも時代の変遷があるようだ。
 成人の日の1月15日や、体育の日の10月10日は、その日付に
意味が有るのに、今はハッピーマンデーとか言って、勝手な日
になってしまった。名目が何であれ休みが欲しい現役サラリー
マンはそれで良いかも知れないが、年寄りには釈然としない。

 そもそも所得倍増を目標に我々が頑張っていた頃は、土曜日
は休日では無かった。
 勤め人が土曜に休むのはまだ良い。しかし学校が休みになる
のは、これは怠慢だと思う。教師が休めない、というのは言い訳
で、何とでも工夫の仕様は有る。交代勤務やタイムシフトで夜間
休日に仕事をしている人は沢山居るのだから。
なんなら元気な老人パワーを活用するのも良いだろう。

 自分が楽をすることばかり追求するのではなく、世の為人の為に
何が必要か、を考える事が必要と考える必要が有る・・・と、
混乱してきたなこれは。

気になる言葉

2013年12月16日 08時21分56秒 | 世相今昔
 最近気になる言葉。
 平気、大丈夫。
 OKです、問題ありません、という意味で使う若者が多いが、耳障りである。

 マニュアル言葉も気になる。
 こちらがご注文のラーメンになります、と言ったので、いつ成るの?って
聞いたらキョトンとしてた。
 一個しかオーダーして居ないのに、以上で宜しかったでしょうかって、
以上も以下もないし、過去形で聞くなって言いたい。

 訳の分からない、若者の間の流行り言葉は論外だが、人としての精神活動の
発露としての言葉を、もっと大切にしたい。


 とは言うものの、自分の言葉を孫に真似されて、ドキッとすることがある
のも事実だが。