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耳順庵日記

60歳を超えて、生き馬の目を抜く首都圏の生活にカムバックした。
浦安太郎が見た、都会の意外な側面を綴ってみたい。

メロンの漬物

2014年05月23日 08時23分33秒 | 都会の風景
 メロンの小玉を床漬けにした、と言うか、かみさんが漬けたのを喰った。

 基本的には瓜の仲間だから漬けると美味いはずだが、矢張り果物だから、
歯ごたえは有るけど柔らかくて、甘みが有る。

 昔沼津に居た頃は、この時期八百屋に沢山出て居た。静岡は高級メロンの
産地で、間引きした若い小玉がよくで回っていたようだが、こちらではあまり
見かけない。しかし、茨城の鹿島灘沿いは日本一のメロンの産地らしいので、
探せば手に入るのかも知れない。



 沼津時代は、地の物で旨い物を良く食べた。ワサビの花付きの茎や
葉っぱは、わさび屋に教わって三杯酢に漬けた。生しらすや生の桜海老、
金目や太刀魚の干物も有った。新鮮な紫蘇の葉を沢山買って来て、
ジュースにして冷やして飲んだ。アオサが混じった海苔は手巻きにすると
香りが良い。唐辛子の葉っぱは、佃煮にしたが目減りして驚いた。

 安い物ばかりだが、新鮮だから何でも美味かったな。懐かしい。



 沖縄の海ぶどう、鹿児島のキビナゴ、熊本の辛子蓮根、有明のガン漬け、
博多のおきうと、下関の河豚の皮の湯引き、宇和島のじゃこ天、岡山の
ままかり、和歌山の南高梅、名古屋の守口漬け、焼津の鰹のヘソ、信濃の
蕎麦、高崎の水沢うどん、富山の黒造り、秋田の根曲がり竹、それぞれ
地方に独特の美味い物が有る。

 我が地元の千葉県にも、有るには有る。

 南房総では、セグロイワシの目刺し、鯨のタレ、ビワや梨の加工品が
有る。可なり高いけどピーナッツや筍も特産品だ。
しかも大きなスーパーに行けば、何でも売っている

 だけど、これぞおらが地元の自慢の名産品、美味い物と言う定番に
欠けていると思う。

 少し悔しい。


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ホタルイカの沖漬け

2014年05月04日 20時53分03秒 | 都会の風景
 近くを通ったついでに、有楽町の富山県のアンテナショップでイカの黒造りと
ホタルイカの沖漬けを買って来た。ホタルイカはどうやっても旨いが、沖漬けが
一番だ。しかもこれは一匹ずつ目玉を全部除去しているから、口当たりがとても
滑らかだ。何と言っても日本酒と相性が良い。大根おろしやきざみ大葉を添える
と美味そうだが、面倒だからまだトライしていない。

 沼津の安酒屋で、イカの沖漬けを二人で一つずつ頼んだことが有る。スルメの
ように広げた、大きいのが皿一杯に出て来た。
美味かったがとても食べきれなかった。持って帰りたかったが、生ものだから、
と断られたことが有った。その時、漁師が採ったばかりのイカを、船の上で醤油
に漬け込んだのが沖漬けだ、と教わったが、よく見ると色んな調味料が入って
居る。いくら新鮮なイカでも、醤油だけではあの味は出ないなと思った。


 黒造りはかみさんの好物だ。白いご飯を黒く汚して喜んでいる。普通のイカの
塩辛と同じような気がするが、スミの味が良いと言う。

 何にしても、自分だけ勝手に遊び歩いて居る罪滅ぼしになれば良いのだが。


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トリアージ

2014年02月17日 11時35分14秒 | 都会の風景

 地震対策のフォーラムに参加して、考えるところが有った。

 自然災害や事故で、被災者を救助する時の優先順序は難しい。

 弱者優先、女性は弱いから先に、という理屈はいつでも通る
だろうか。全員が助かる見込みがある場合は、弱者優先だろうが、
残されたらどうなるか分からないような時に、どうすべきか。
御釈迦様の蜘蛛の糸では、意味が無い。


 医療や救急が、十分に機能しない災害現場などで適用される
トリアージ(識別救急)では、

黒:(死亡群)死亡、または、救命の見込みがないもの。
赤:(最優先治療群)生命に関わる重篤な状態で一刻も早い処置
   をすべきもの。
黄:(待機的治療群)早期に処置をすべきもの。赤に変化する
   可能性があるもの。
緑:(保留群)今すぐの処置や搬送の必要ないもの。

という色分けをすることになっているという。福島の3.11でも、
これを適用した場面が有ったらしい。

 その結果はどうだったんだろうか。有効に機能したのだろうか。
黒群トリアージの判定は死刑判決と同義だが、裁判なら何年も
かかるのに一瞬で決められるのか?
 赤群よりも黄群を優先する方が、生き残る人数は多くなるような
場面も有るのでは無いだろうか?
 自分や身内が、このどれかに色付けされた時に、納得できるか?

 若くてすぐ回復しそうな緑の群を優先することによって、救急の
人手を確保することは優先ではないのか?
 重傷で死にそうな赤群と、すぐ手当をすれば大事に至らない黄群と、
無傷で役に立ちそうな人達が居たら?
 乳飲み子と働き盛りの若者と死にそうな老人が居たら?


 アンデスの聖餐という話がある。山中に取り残された飛行機事故の
生存者が、死者の肉を食う、という話だが、その前の最後の食料は、
どう分け合ったんだろうか。
 強くてずるい奴が生き残った、ということかもしれない。そして、
それが正解なのかも知れない。


 怪我や外傷が無い人達に順番を決める基準はどうするのか?
 水や食料を配る時や、一人ずつしか助けられない時、妊婦と老人と
子供では、優先順位をどうすべきか?

 津波の中、ビルの屋上に残っている人をヘリに収容する順番は、
誰が判断したんだろうか? 不満や苦情は無かったのかな。
骨折した自分と元気な子供2人とでは、どちらが優先されるべきか?



 災害現場の、遺体が散乱している中で飢えて脅えている人たちの、
誰を優先して助ければ良いのか。
 老人を先に避難させたために、残された身内が被災して、一人に
なってしまったという話も聞いた。

 アフリカの内戦の現場で、避難民を救助する順番は? お金や身分
ではない事を祈る。



 マンションの火災でも、救助の順を決める必要が出てきそうだ。
 お前のせいで俺の身内が助からなかった、なんて言われないような、
事前の合意が必要かもしれない。


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七福神 完結編

2014年01月11日 11時27分54秒 | 都会の風景
 今戸神社は猫の神社だった。大きな木造の福禄寿
の横に大きな招き猫が居た。招き猫の元祖だと言う。元祖
だの本家などというのは一杯有るからあまり当てにはなら
ないが、猫の置物が沢山ある。また、恋愛成就を売り物に
しているようで、丸い絵馬を購入する若い女性が多い。



 隅田川沿いの道を歩いていると、昼が軽かったので小腹が
空いてきた。浅草の繁華街で甘いものでも、と思っていたが
参道を通らなかったので、叶わなかった。仕方が無いから
途中のコンビニでお握りを調達して、歩きながらパクリ。
周りに人がいないから良いようなものの、正月早々ちょっと
カッコ悪いよ。

 次の不動院まで、もう少し北上。
北と東は上がると言い、南と西は下ると言う。日本語は面白い。

 路地を少し入ったところに橋場不動尊があった。
ご朱印をお願いしたら待つ間に小さな升でお神酒を振舞って
くれた。奥に菊正宗の薦被りが有ったが、木の香りが爽やか
だった。


 そう言えば小さな商社の手伝いをしていた頃、仕事始めの
三日間は挨拶回りのお客様に升酒を勧めるついでに、朝から
飲んでたな。同じ職場の若い女性に、樽のお酒は底の方が
濃くなって美味しいんだよ、と言ったら本気にしてたことを
思い出した。

 ここではお神酒だけでなく、玄関に熱い焙じ茶も用意が
あった。縁台に座ってお茶を飲んでの一休みが有難かった。



 明治通りを越えると、最後の石浜神社だ。まだ3時ちょっと
だが、少し風が出て寒くなって来た。向こうからこれから
逆回りする人が来る。寒くなるぞ。


 普通七福神像は新年だけ見ることが出来るが、
石浜神社の寿老人像はいつでも拝むことができる。

色紙を出したら、最後だから日付を入れましょうと言って
くれて、これで、九箇所満願だ
 


 帰りはバスで雷門迄戻って、ちょっとだけ人混みを歩いて、
正月気分を味わった。


来年は何処の七福神になるだろうか。

   陽と人のぬくみ浅草七福神
   小寺にも正月らしき厳と清  蛙蝉





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七福神 その2

2014年01月11日 11時05分18秒 | 都会の風景
 矢先神社は合羽橋商店街からちょっと入ったところ
にある。


 福禄寿は本堂の中だとのことだったので、靴を脱いで上がらせて
頂いた。馬の情報館として有名だそうで、馬の掛け軸や屏風が見事
だったが、天井の100枚の格子絵が見ものだった。曲垣平九郎が駆け
登った愛宕神社の出世階段も有った。






 合羽橋は有名な日本一の台所用品の問屋街、デパートで買えない
ものが並んでいる。最近は食品サンプル目当てに外人観光客も多い。
かみさんも目の色が変わったが、今日はスルー。



 ここから浅草寺へは、スカイツリーを目印に歩く。

 六区に入ると人出が多いが、人種が違うような気がする。東洋館
や木馬亭という寄席の客引きや舞台衣装の店も賑やかだ。黒い
背広で恰幅のいい、怖そうな顔の集団も居る。ウインドウにヘビ皮
のベストを陳列している洋服屋も有る。早足で通り抜けて、境内に
入る。


 流石に浅草の観音様は賑わっている。
ご朱印を頂くのにしばらく待たされた。中では数人の若い女性が
筆を振るっている。大体何処でも僧形の男性だが、どうも正月は
書道部の女子大生の稼ぎ時のような気がする。待つ間に見たら、
真っ黒い大黒天が札所の奥に居たが撮影禁止だ。多分混雑して
いるからだろう。

 かみさんは鷲神社で凶を引いたので今度こそとおみくじに挑戦
したが、またもや凶。彼女は20年ほど昔に成田山で3回凶を引いた
ことがある強運の持ち主だ。後で調べたら、浅草寺は凶が多いん
だとか。

 次の浅草神社は、何と同じ境内にあった。
恵比須神をお祀りしているとのことだが、非公開。


 ここには夏の例大祭で活躍する見事なお神輿が三基有った。
これで三社祭りと言うらしい。

 隅田川沿いに少し歩くと、待乳山聖天。密教の
お寺だが、だいこん祭りの看板が出ていて、境内に250円で
大根が売られている。

 ここも本堂に上がらせて貰い毘沙門天像を拝観した。天井の
降龍の図もさることながら、祭壇にまるで献花のように大根が
沢山供えられていた。若い人が大根をお供えしながら、熱心に
拝んで居た。
 あの大量の大根をどう処分するのか少し気になったが、7日に
フロふきにして、御神酒と共に参詣者に配るとのこと。

  続く
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浅草七福神

2014年01月11日 10時47分16秒 | 都会の風景
 去年は品川の東海七福神を歩いたが、今年は浅草七福神に
挑戦することにした。

 隅田川右岸の、北は明治通り、東は国際通り、南は雷門通りに
囲まれるほぼ方形の中に九つの福神が祭られている。ここはどう
いうわけか、寿老人と福禄寿が2箇所ずつ有って、9社寺で構成
されている。どこからどういう順番で回っても良いが、我々は
交通の便を考えて、鷲神社から反時計回りに歩くことにした。

 朝から良い天気だったので、2014年1月6日 11:30 地下鉄
三ノ輪駅からスタート。


 国際通りを10分ほど南下して、鷲神社に到着。
折しも仕事始めの月曜日で、挨拶回りのサラリーマンの姿が
目立つ中、初詣は一段落しているので、参拝客はそんなに
混雑していない。

 ここは酉の市で有名なところで、茅の輪が有った。8の字を
描きながら3回くぐると良いということで、みんな照れくさ
そうにくぐっていた。
 賽銭箱の上に大きなお多福の顔の木像が有って、私はその
口に100円玉を入れて顔を撫でた。なでおかめ、と言うらしい。


 お参りした後、各七福神からご朱印を頂く為の色紙を600円で
購入した。
 ここは寿老人がお祭りされている様だが、よく分らなかった。

 曲がりくねった路地を歩いていると、昔懐かしいおもちゃ屋
が有った。下町風情たっぷりだ。


 次は路地の奥の吉原神社。名前の通り昔の遊郭の
域内に有った神社で、高さ30cm程の小さな弁財天が赤い
座布団の上に座って居た。



 数十m程離れた所に幟が沢山ひらめいている所が見えたので
行って見たら、岩の上から大きな弁天さんが見下ろして居た。

関東大震災の供養碑だと書いてある。吉原神社の奥宮とも書いて
あるが、弁天さんはこちらの方が有難かった。


 次は少し南下して、矢先稲荷神社である。正月の下町を
歩いているとこじんまりとした寿司屋や小料理屋が目立つ。

丁度昼時になったので、鰻の匂いに誘われて小さな店に
入った。うな丼が1400円だった。今時ちょっとした店なら
3-4000円はするはずだからあまり期待はしなかったが、
やはり、鰻は一切れ。しかし年寄りの昼飯には丁度良い。
タレと匂いの染み込んだ暖かいご飯を賞味した。

  続く

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編集後記

2013年12月30日 09時10分30秒 | 都会の風景
 管理組合便りを発行することになり、編集後記を書いた。


 我がサンコーポは、築後35年を経過しました。十年一昔と言いますが、
35年ともなればもう既に立派な歴史です。
 サンコーポが出来た頃、バス通りの南側は一面の埋め立て地で、水溜り
にはメダカが泳ぎ蛙が鳴いて居ました。東京湾を挟んで君津の煙突や
姉ヶ崎の工場群が良く見えました。今、サンコーポからは、海も見えない
程です。

 浦安の新町は何処でもそうですが、我がサンコーポにも全国各地から
若い住民が集まって来て、協力して一つの社会を構成し、コミュニティを
作り上げて来ました。

 私事ですが、 あの年に産まれた我が子に、昨年孫が出来ました。その間
サンコーポは、我々の生活を支え続けてくれました。

 今年、サンコーポはその歴史における、一つの節目を乗り越えたと思い
ます。懸案の大規模修繕工事が予定通り完工し、つい先日対策本部が解散
しました。マンホールの補修など地震の後始末も、ほぼ終わりました。
今後の省エネ対策として、共用部のLED化も進んでいます。

 これからの35年に、どういう歴史が展開されるのか楽しみですが、サン
コーポが我々の生活を、コミュニティを支えてくれる基盤になってくれる
ことを強く望みますし、そのために住民が協力して、管理組合の活動を展開
されることを期待します。

 この地浦安を、富岡を、サンコーポを、次の世代が誇れる故郷にするべく、
頑張ろうではありませんか。

        我が子には故郷なるべし初日の出 蛙蝉


1979年 入居時


1998年 8月


2003年 3月


現状
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庭の鳥

2013年07月20日 21時00分05秒 | 都会の風景
 明け方、といってもまだ3時ごろ、窓の外で結構鳥の声が聞こえる。
ヒヨドリのキーキー声とは違うから、中庭の大きな欅の枝で夜を過ごす、
ムクドリだろうか。

 江戸時代、「椋鳥(むくどり)」といえば、冬、江戸に出稼ぎにやって
来る越後や信濃からの季節労働者を指した。椋鳥の渡り行動が冬の
農閑期に江戸に出てくる彼らの行動と似ていたためである。という
ようなことを、白土三平のカムイ外伝で読んだことがある。

 ムクドリは夏は山に帰って、寒くなったら里に降りてくる渡り鳥、
だと思っていた。しかし、最近は違うようだ。

 ムクドリは、時として巨大な群れを作る。
 昔勤めていた会社では、工場敷地内の大きな木にムクドリの集団が
集まるようになって、その鳴き声と樹の下の糞に困ったことがあった。
その時は、録音したカラスの声を聞かせることで、追い払うことが
できたようだ。

 最近は鳥たちも居住環境が変化したようで、住んでいるマンションの
中庭の芝生で年中遊んでいる。芝生といっても、昔の話で、今は大部分
が雑草でシロツメクサや、イネ科の強靭な草がすぐ伸びる。だから園芸
業者に外注して、2ヶ月おきくらいに芝刈り機で刈っている。その刈り跡
に多分虫が出るのだろう、鳥たちが集まる。ムクドリ、キジバト、ヒヨドリ、
スズメなどである。

 ドバトも多い。この鳩がマンションの敵である。メーターボックスや
ベランダの植木鉢の陰などに巣を作って、卵を産む。
糞や鳴き声も大きな公害である。

 20年ほど前、マンションの壁の塗替えで足場を組んた時、我家のベランダ
で鳩が卵を孵していたのに気付かず、塗料飛散防止のネットの中にヒナ鳥が
取り残されたことがあった。
 文鳥やインコを手乗りに仕立てるのが得意なカミさんが、手乗り鳩にしよう、
と言い出して、2-3ヶ月育てたことがある。
 文鳥ほどには馴れなかったが、それでも一応手や肩に乗るようになった。
中庭に連れて行くと、飛び回って我々家族の肩に帰ってくるのだが、近くを
歩いている人の方にも飛んでいくから、向こうは堪らない。鳩に襲われたと
思って、大騒ぎになったことがある。
 ネットで里親を探して、引き取ってもらって一段落したから良かったが。

 都会の鳩は汚い。排気ガスで真っ黒だ。一方、海辺の鳩には足が無い
のが居る。捨てられた釣り糸が絡んで、足首から切り落とされたのだろう。
数年前、ボウガンの矢が刺さった矢鴨が上野不忍池で見つかったこともある。

 糞公害は深刻だが、生き物を虐待することは良識が許さない。
 我がマンションでは、鳩を追い払うため(撲滅するためではなく)、鷹匠を
連れてくることを真剣に考えている人もいるほどだ。

 愛される鳥、憎まれる鳥、昔は親しまれていたが今は嫌われる鳥、なんだか
人間社会を見ているようである。

 さて、私はどんな鳥だろうか?

           猛暑日に早こうろぎの鳴き初めし 蛙蝉


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一時停止違反

2013年03月27日 10時28分04秒 | 都会の風景
 市川のローカルな道で一旦停止の取締りに引っ掛かってしまった。
正式には指定場所一時不停止というらしい。

 一旦停止標識の影に警官が二人隠れていたらしく、次の路地の入口
で停められた。

スピードとか駐車違反は、悪いことをしたという後ろめたさが有るが、
今回は取締り中だと言うことに気が付かなかったという、不注意は反省
するが、全く罪悪感は無く、お役所仕事に対する憤りが残るだけだ。

 今反省しているのは、私の違反を摘発した警官を尋問し損なったこと
である。身分証明を確認し、顔写真を撮影した上で、違反の事実を説明
させるべきであった。
 停止すべき位置で私が何をしたのか、しなかったのか、その時の時速
はどの位で、どういう運転をしていたのか。それが取り締まりの対象と
して妥当かどうか、客観的に判断出来る材料を呈示させるべきであった。

 いや、そうではないかもしれない。
 悪法も法なりと言う。杓子定規な一旦停止でも停止しないのは違反だ。
交通違反で争っても勝ち目はないという。警官が違反を確認したと言えば、
よほどの証拠を提示しない限り裁判に負ける。

 私が違和感を感じて、取り締まりの若い警官に主張したのは、違反の
事実の有無ではなかった。端的に言えば、私は標識を見落としたし、
だから一旦停止の動作を怠った、のだと思う。しかし、だからどうなんだ、
と言いたい。

 全ての一旦停止違反を摘発しているか?そんなことはできないし、
もしできていたら大混乱になって居るだろう。そこを裁量して、悪質な
違反だけを摘発するのが、法の執行者の務めであろう。

今日の取り締まりは、その意味で公務員としてあるべき姿を逸脱して
いた、と言わざるを得ない。


 知らない道だからスピードは出して無いし、交差点だから左右を確認
して超安全運転だった。
 一旦停止しなかったのはいけなかったと思うが、ゆっくりと左右を
確認して居るんだから、そこにお巡りが居るんなら、止まれと何故言わ
ない、と言ってやったら、その事には答えられず、道交法に基づいて
取り締まる、の一点張り。安全や円滑な交通等、本当に守らなければ
成らない事ではなく、便宜的に決められたルールを盾に取り、違反を
摘発する事だけを目的にしている。
 違反を犯しそうなら、止めるのも警官の職務だろう、と言っても、
今は取締り中だと言うばかり。

 違反を無くすことが目的ではなく、うっかり規則を守らなかった
善良な市民を摘発することが目的なのだ。

 私は法律に違反したかもしれない。多分彼がそう主張するのだから、
一旦停止違反を犯したのだろう。しかし、ドジを踏んだとは思っても
悪いことしたとは思っていない。法律の目指すところを侵していない
からである。
  安全は確認して居る。それはそのお巡りも認めた。ただ杓子定規な、
形式的な手続きを怠っただけである。



 公僕としての警官は、一旦停止違反を摘発することと、停止しない
ことによって生じる安全上の問題と、どちらを優先すべきか。
 もし安全を優先するなら、コソコソ隠れていないで、停止しない車を
停めさせるとか、するべきことがあったのではないか。
 今ここで殺人が起きようとしたら、一旦停止なんか放り出して殺人の
防止に駆け付けるだろうし、ぜひそうして欲しい。

 安全は確認していた、と警官も認めているのに、形式的な停止のふり
をしなかったことは、7千円の罰金に相当する程、凶悪犯なのか。

 法の執行者には裁量権が預けられていると思う。
だって少々制限速度を超えても、それで安全が保たれて、法の目指す
ところが守られていたら、捕まえたりしないじゃ無いか。


 あの若い警官には是非、悪いことをしてしまったと、反省して欲しい。
何故なら上司の命令を守ることによって、公務員としての責任を放棄し
義務に反したからである。
公務員は、法を規範にすべきではあろうが、法の精神を何より大切に
するべきである。法を執行する時に、法に盲従してはいけない。

 NETには、姑息な交通取締への不満が溢れている。公務員は国民の
ために何をしなければならないか、優先課題は何か、を常に追求して
欲しい。
 それが欠如するから、原発事故や地震災害復旧の遅れが発生してい
るのではないか。


 孔子は言った。七十而從心所欲不踰矩(心の欲する所によりて矩を
こえず)と。ここに言う矩(のり)とは便宜的な法律では無くて、人の
道である。

 恣意的に法を振りかざせば、誰でも捕まえることが出来るだろうし、
戦前のオイコラ警察、特高警察に逆戻りすることも、簡単なことだろう。

 国民から力を預けられた者は、その力を悪用しないよう、常に心して
もらいたいものである。




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お化けマンション

2013年03月13日 10時03分23秒 | 都会の風景
 銀座から晴海通りを抜けて、湾岸道路に入る直前、東雲2丁目の埋立地に
お化けマンションがある。

 幽霊が出るという話ではない。見え方が化けるのである。

 豊洲の方から見ると、左の黒い建物が手前に、右の白い方が向こう側に
建っている様に見える。
 ところが近寄って、真横から見ると、この二つのマンションは並んで
立っているのだ。





 この道を走るたびに不思議に思うので、調べてみた。

 左の黒いのは東西に、右の白いのは南北に沿って立っているので、
北の豊洲の方から見たときに、幅が違うことが一つ。もう一つは、高さが違う。
右のほうが2割ほど低い。だけど、道に近いので横から見ると、差が分からない。



 左の黒いのは、シティタワー有明. 地上33階. 高さ, 114.7m.
 右の白いのは、ガレリアグランデ. 地上27階. 高さ, 94.25m.


 どちらも我々には手が出ない、高級億ションである。せめて遠くから見て、
ああだこうだと言うこと位しかできない。


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3.11から2年

2013年03月10日 19時17分06秒 | 都会の風景
 旬の話題で、TVは震災一色である。

 3.11の、自衛隊松島基地の様子をTVでやってた。
 ジェット戦闘機がいくつかと、救援用ヘリが4機、無残にも津波の
犠牲に成っていた。戦闘機なんか何の役にも立たない金食い虫だから、
やられても我々の生活に直接の影響は無いが、救援用ヘリは違う。

 自衛隊員は全員避難で屋上に集まって、畑の中を避難している住民に、
逃げろ、走れと声を掛けたと言う。ちょっと滑走路に下りてヘリで助け
に行けば、今も生きている人が何人も居ただろうに。

 一体何の為に自衛隊が在るか、理解している隊員が居るんだろうか。
住民を救助するとことと、自分が助かることと、どちらを優先するのか。
そんな奴らを税金で養っているんだから、日本人はお目出度い。

 来るべき東京大地震の予測を書いた小説の一つを読んだ。
10年ほど昔のことだが、新幹線や首都高、高層ビルの被害の様子など、
概ね当たっていると思われる。
 その中に、小学校の校庭に避難した住民に、秘かにデマをつぶやいて
居る、目つきの悪い数人の男が描かれていた。その後に発生したのは、
お定まりの扇動された男達による、朝鮮人に対する虐殺だった。
大正時代の関東大震災の再現だろうが、そんなことを想定する作家も居た
という事だ。
いや、今の首都圏でこんな事があり得るとは思わないが、少なくとも
自衛隊には存在意義を十分に自覚した行動を期待したい。

 災害対策以外に、一体何ができるんだ、お前達に。


 津波の後に、献身的に頑張った多くの隊員が居たことを、寒い中今も
地道に活動を続けている自衛隊員が居ることを知っているだけに、残念
である。


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フラワー通り

2013年02月01日 17時34分33秒 | 都会の風景
 若干だが、寒が緩んできた。晴れた日の陽差しの下では、ポカポカと
暖かさがあり、小春日和の感がある。

 寒風の中で丸く縮こまっていたスズメたちも、心なしか、活発になって
きたようだ。

      雀三題

     寒風に転がる如く群雀
     枯枝に串刺し団子寒雀
     陽を浴びて畑の雀寒緩む  蛙蝉


 スズメたちに誘われて、昼から出かけることにした。

 浦安市内には、今では二十数系統の路線バスが走っているが、
それとは別に、「おさんぽバス」と称するコミュニティバスが有る。
これは、早く到着したい乗客には不向きのバスで、路線バスが
走らない裏道を、縫うように走っている。しかもどこまで乗っても
100円均一。従って、道を急がない年寄りに利用者が多い。そして、
我々もその中に加わった。

 今日のメインテーマはフラワー通りだ。
猫実でバスを降りて歩きだしたらすぐ、庚申塚にお参りした。
ここにあることは知っていたが、ゆっくりと見るのは初めてである。



 フラワー通りには、古民家が2軒残っていて見学ができる。
旧宇田川邸は、昨年市内を自転車で散策した時に見たので、
今日は旧大塚邸を見ることにした。



 境川沿いの茅葺屋根で、江戸末期の浦安の漁家の面影を
残している。



 それにしても、フラワー通りは閑散としている。



一応商店街の体をしてはいるが、お寺と花屋と銭湯以外は、
人が集まりそうな店は余り無い。

 フラワー通りを横切る新しい道ができていたので、そこを
歩くことにした。道の両側は真新しい家ばかりで、つい最近
この道のために区画整理が行われたことを思わせるが、どうも
1軒だけ立ち退きに応じない地主さんが居るようで、昔の
成田空港のように、道の完成を阻んでいた。



 そのまま南下して、南小学校の向こうの清瀧弁天さんに
着いた。幼稚園帰りの子供連れのママチャリが沢山集まってた。



 ここまで来たからと、大三角線沿いの「シェ・タニ」という
洋菓子屋に寄った。熊本のお店の東京出店のようで、先日は
クマモンも居たようだ。



 買い物に寄った隣のスーパー「マルエツ」は閑散としていた
が、端っこに鮮魚店が入っているのを発見した。
スーパーに置いてある、所謂出来合いの魚ではなく、如何にも
新鮮そうな魚や貝が並んでいたので、思わず散財してしまった。



 今夜は牡蠣フライだ。
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都会に雪が

2013年01月17日 16時14分32秒 | 都会の風景
 娘は帰らないと言う。亭主は帰って来い、と言う。

 あの7年振りの大雪の日のことだ。この日は連休中に孫娘と帰省していた
次女を車で送って行く事にしていた。

 昼のニュースで渋谷が雪だと言っていたので、笑いながら窓の外を見たら、
こっちも大粒の牡丹雪だった。危ないからもう一泊、ということにしたが、
亭主はどうしても帰って来いと言っている。

 もともと私は、雪の日には車を出さないことにして居るのだが、あの山中湖の
チェーンが車のトランクに入っているので気が緩んだ。あの時のチェーンの効果
はそれ程強烈だったのだ。いざとなれば、あのチェーンに頼れば良い、その
安心感で車を出した。



 あの時は、山中湖の保養所で宴会して、翌朝起きたら20cm程の積雪だった。
           「花の雪」
湖畔の平らな道は轍を辿って何とか走れたが、篭坂峠の上り道で雪に埋もれて
しまった。エンジンをふかしても、雪でタイヤが滑って、ゴムが焦げる匂いが
する。動きが取れずに途方に暮れていると、一台の車が近寄ってきて、
「下のスタンドですけど、チェーン有りますよ」という。地獄に仏の思いで購入し、
付けてもらった。雪道を1kmほど登りきると、峠の向こうの下り道は静岡県。
すっかり除雪されていたので、すぐチェーンを外したのだった。



 出発は14時半。我が家の前の道路は10cm位のシャーベットだが、ゆっくりでは
あるが車はチェーンもつけずに走っている。この分なら、暗くなる迄に帰って
来れそうだ。首都高に乗れば車が多いから雪は融けているだろう、少し贅沢を
しよう、と湾岸線の浦安入り口に行ったら、閉鎖中との電光表示。高速を走って
いる車は沢山見えるし、閉鎖中のはずの料金所を入って行ったトラックも居たが
料金所で追い返されて、バックで戻るのもシャクなので、下を行くことにした。
高速の入り口は葛西も新木場も、たった今閉鎖になったみたいだった。ゲート
ブリッジも通行止めだ。

 今思えば、ここで諦めて引き返せば良かった。しかしチェーンに対する信頼感は
大き過ぎた。

 東京港トンネルを過ぎて、平和島の陸橋が渋滞だ。上り坂でタイヤがスリップ
して、乗っている人たちが降りて来て、後ろから押している車が続出してきた。
沢山乗ってるから、重いんだねと笑って居た。

 まだ気持ちに余裕が有った。

 15号に入る頃から異常に混み出した。陸橋で立往生して居る車もチラホラ。
環8との交差点では、右折レーンでトラックがハザードを焚いていた。これを
やり過ごして右折しようとしたら、交差点の真ん中で、前の車がスタックした。
雪の上でタイヤが空転して、進まない。仕方が無いから、車から出て、雪を
かぶりながら押してやった。その車の人は、涙声で有難うございました、と
言っていた。

 そろそろヤバそうなので、チェーンを装着しようと思って、路肩に停めた。
シャーベットの雪に埋れたタイヤに、うまく装着出来ない。ダウンのコートも、
その下のセーターも、靴の中もびしょ濡れだ。軍手の指先は凍って来て、
寒い。

 30分程で諦めて、近くのスーパーの地下駐車場に入った。雪が無い所なら、
うまくヤレるはずだ。娘達が駐車料稼ぎのために余計な買物をして居る間に
再度チェーンに挑戦するが、もう少しのところでうまくいかない。見ている
かみさんが訳が分からないアドバイスをするから、尚更混乱する。

 とうとう諦めて、GSに行くことにした。燃料もエンプティランプが点いて
いる。   もう日が落ちて暗くなって居る。

 やっとたどり着いたスタンドは、もう終わりました、と素っ気ない。そこを
何とか頼み込んだが、チェーン着けるのに4千円だと言う。

 リフトで車を持ち上げて、プロが作業して1時間掛かった。素人が路肩の
雪の中で出来ることでは無かったのだ。
おまけにチェーンが一カ所切れていると言う。前回切れたみたいだ。



 この時点で、帰宅することは断念した。娘宅に泊まるしかない。道の
向こうにホカ弁屋が有ったので、夕食を確保して、みぞれの中に走り
出した。

 しかしあちこちで立ち往生した車で環8が動かない。仕方なく脇道に
入ったら、通行量は少ないがその分雪が多い。

 そのうち、チェーンが切れたのか、チャラチャラ音がし出した。完全に
切れると車軸に絡み付いて走れなくなるので最徐行だ。

 やっとの思いで辿り着いた娘のマンションの、来客用駐車場に入れ
ようとしたら、前の車が雪に埋れて動けない。スコップで雪掻きするのを
待つ事30分。


 1時間で着く道を5時間半掛かった。

 それでも無事着いて良かった。孫娘も、愚図らず、良く頑張った。

 タクシー使えば良かったと言うだろうが、肉親だからこそこの苦労を
したのであって、あの雪の中の大渋滞を、乳飲み子を連れて、見ず知らず
の運転手とどう付き合うのか、とてもじゃないが考えられない。

   誰が何と言おうと、もう二度と雪道は走らないぞ。


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七福神めぐり

2013年01月08日 21時54分49秒 | 都会の風景
お正月だから、七福神めぐりをした。

東京には、たくさんの七福神がある。


 目黒にも新宿にも、谷中、亀戸、柴又、小石川、銀座にまである。
その他30以上の七福神があって、どこも正月15日までは参拝者が集まる。
昔会社があった水天宮の近くには、日本橋七福神があった。
深川七福神も、以前歩いたことがあるが、ここ以外にも正月をはずすと、
無人の寺社が多い。

 今年は、初めて正月に回るので、ご朱印と七福神の土人形を集める趣向の、
東海七福神にした。旧東海道品川宿の近くの寺社である。

 多分、品川神社から回り始めるのがオーソドックスとは思ったが、青物横丁
駅の近くに車を停めたので、近くの品川寺からはじめることにした。

 歩き始めは、2013年1月8日、11:30。

 品川寺(ほんせんじ)は、江戸の六地蔵の一つの大きな銅像の地蔵尊が
有名であるが、お正月は毘沙門天のお寺に様変わりする。



ここで、七福神の色紙(1000円)と、木の宝船(900円)を仕入れた。
これから、7つの寺社で朱印をいただき、福神の土人形(300円)を購入して、
載せることになる。




おみくじを引いたら、末吉だった。まあ身の程か。



 次の天祖諏訪神社は歩いて20分。途中でお昼にすることにした。
パンフレットではお食事処として吉田家という蕎麦屋が紹介されていたが、
少し距離がありそうだったので、普段着の地元の人が入っている洋食屋に
入った。
 腹ごしらえをして歩きだしたら、旧東海道は庶民的な商店街が続いて、
結構面白い。電気屋、花屋、自転車屋、小さな会社やしもた屋が並ぶ。



 そして、吉田家があった! 見ると天せいろが2500円、天ザルが1800円。
我ら年金生活者が近付ける店ではなかった。


 立会川を渡るとすぐ、天祖諏訪神社。千年の歴史を持つ由緒正しい
神社だが、福禄寿の木像は参詣者の手で撫でられるせいか、真新しい
感じだった。





 次の磐井神社は、歩いて25分南下したところにあるが、途中に見たい
ところがあるので歩くことにした。鈴ヶ森刑場跡である。旧東海道と
第一京浜が合流するところに有った。
 八百屋お七も火刑された火炙台とか丸橋忠弥も処刑された磔台が
残っていた。今は明るい日差しの中を多くの車が行き交っているが、
壮絶な歴史の現場であった。




 磐井神社は1400年の歴史が有り、江戸時代は鈴ヶ森八幡として有名
だったという。弁財天が祀られているのは、江ノ島と同じだ。




 ここから京急電車に乗る。一時間かけて歩いてきた道を、あっという
間に新馬場駅に戻る。高架を走る車窓から見ると、至るところに神社や
お寺が見える。この辺りに信心深い人たちが多いとも思われないが、
これまで気がつかなかっただけで、これが普通の日本の風景かもしれ
ない。

 品川神社は、大きな神社で数十段の石段を上がったところに社殿が
あるが、大黒天の石像は、階段の下の第一京浜沿いの鳥居の前に
あった。



この鳥居がまた凄い。石造りだが両方の柱を龍がよじ登っている。




 第一京浜を挟んで海側には参道が続き、その途中を左折すると、
布袋尊の養願寺だ。
 下町の小さなお寺で、受付には誰もいない。大きな声で頼んだら、
やっとおばあさんが出てきた。今日は参詣客が少ないという。やはり
三が日がピークのようだ。良い日にお参りになられましたね、と気さくに
話しかけてくれる。あと二つの社寺への道順を親切に教えてくれた。
久しぶりに本当の日本人に遭った気がした。



寺守りと世間話や七福神  蛙蝉


 お寺を背にすると、すぐ向こうに一心寺が目に入った。
 賽銭箱の向こうに小さな寿老人が祀られているが、小さなプードルが
部屋の中をトコトコ歩いていて、やはり誰もいない。声をかけて、
やっと色紙に朱印をもらった。




 最後は荏原神社である。目黒川沿いに有った。和銅2年の創建という
から、相当に古い。鳥居の横に鯛を抱えた恵比寿さんの石像があった。
これはどう見ても平成の作品のようだったが。




 ここまで、約3時間、11,000歩。ちょうど良い散歩だった。小腹が
すいたので、団子など食べたいと思ったが、和菓子屋さんはまだ
開いてなく、有りつけなかった。残念。


 一緒に歩いたかみさんも結構楽しんでいた。また来年、どこかの
七福神を回ることになるかもしれないな。
 
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年賀状

2012年12月27日 13時53分40秒 | 都会の風景
 年賀状を出して来た。

 毎年、早く出そうと思うが、いつもギリギリになってしまう。
プリントゴッコで印刷いていた頃は大変だったが、最近はPCが
手伝ってくれるので、綺麗に作れる。
 実作業時間は半日もあれば済む仕事だから早くやれば気持ちが
良いのに、いつも愚図愚図してしまう。

 しかし、年末にこんな仕事をするのは日本人だけではなかろうか。
面倒ではあるが、捨て難い風習だと思う。

         賀状書きつつ想はるる故郷の老母 蛙蝉

 最近はメールやSNSで代用する向きも多いようだ。私も極く親しい
友人や、いつもメールをやり取りして居る方には、年賀メールを送る
事にしている。
 文字数の制限が無いのと、すぐレスポンスが貰えるのが、便利だ。
年賀状なら返事は1年後になる。



 さあ、後は少し掃除をすれば正月だ。孫達が集まって賑やかになるぞ!

        一年の不首尾を悔いて煤払 蛙蝉



 年末年始の行事が話題になる時期が来た。

 紅白のあと、行く年来る年の雪の中の除夜の鐘が印象的だったが、
最近はジルベスターコンサートのカウントダウンを見ることが多い。
昨年はボレロで、10秒程早く終わって白けた。

         煩悩をボレロで数えジルベスタ 蛙蝉

 今年はエルガーの威風堂々だと言う。

  良い年に向けての号砲になれば良いのだが。

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