ふるやの森

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脱原発国民運動と吉田松陰先生の最後

2014-02-15 04:17:53 | 脱原発!国民の生活が第一!

吉田松陰:踏海の朝碑

嘉永7年(1854年)3月27日。憂国の志吉田松陰は、弟子金子重輔(じゅうすけ)と共に柿崎弁天島の祠に身を隠し夜になって、ここ弁天島の浜辺より小舟を漕ぎだしました。尊皇攘夷の嵐の中で海外事情を探るべく渡航を達せんものと必死になって荒波の中を米艦ポーハタン号に向かったが、途中で断念せざるを得なかった。遙か海の彼方を指す吉田松陰の姿は、開国の夜明けを告げているようである。

吉田松陰:踏海の朝碑

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今回の都知事選で細川・小泉両元首相が投げかけた問いかけは「政治は本来何をなすべきか?」という吉田松陰が幕末の激動期に身をもって訴えた命題に通じると感じている。

私の亡父の出身は山口県宇部市で、我が家の菩提寺が山口市にあることもあり、法事で訪れた数年前に萩の吉田松陰記念館を見学したことがある。その時に、松下村塾で松陰先生が用いたテキストが「四書五経」であったことを知って感心したことを覚えている。四書五経は「論語」「大学」「中庸」「孟子」、「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」をいい、中国国内だけでなく、日本や韓国でも広く講義され、とくに封建社会の中で広まりを見せた思想である。1830年(文政13年)に生まれ、1859年(安政6年)に29歳で処刑された吉田松陰が、自分の最後を予見して人生の最後の5年間に次の世代に残そうとしたメッセージは決して目新しい思想ではなく、東洋の先哲が語り継いだ普遍的な古典思想だったのである。ただし、松陰の意図は単に古典思想を学問的に研究することにあったのではない。

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さて、松陰先生の学問は、今、我何をすべきか、という「時務」の解決のための学問です。

したがって 松下村塾では、主として漢籍を教え、とくに歴史を重んじ、四書五経あるいは漢詩も教えていますが、これらの中国の書物を教えながら・・・その中から、現在 つまり、当時の日本の課題を解く力を養う事をめざしました。

先生は「学は書を読み、古を稽ふるの力にはあらざるなり。 天下の事體に達し、四海の形態を審らかにする、是のみ」。そして、「規模先ず己に定り、次に仍て之を施す。是れ吾の所謂学なり」 と言っています。

読書をして道理を究め、古を考え、現状を明らかに知って、着実な方策を立てる。その方策の基本構想が規模です。規模を、まず我が内に定めるが、ただ観念的に時務策をたてて、大言壮語するのではありません。松陰先生は、常に、実行を離れて議論をもてあそぶことを厳にいましめています。  

松陰先生の思想と生涯

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3・11が日本国民に投げかけた課題は、「保守」「革新」の思想対立の枠組みをはるかに超える地球規模の問題である。地球人類は今、化石燃料と原子力を手放して、それに代わる新しいエネルギーに移行するべき段階に到達している。すでに地球上にはその萌芽が芽を吹き出す瞬間を待って備えている。後は、エネルギーの転換を決定した新政府のゴーサインを待つだけなのである。

脱原発の国民運動を広く、深く日本のすみずみにまで広げていこう・・

小泉元首相は、今回の都知事選挙で「老人よ、大志を抱け」という名言を残された。日本の未来の世代のために安全で平和な国家を建設するために立ち上がった細川元首相の志は、天皇制を廃止した後に、日本の最高権力者として国民の上に君臨することを夢見る日本共産党委員長の「夢」などをはるかに超えて高いのである。

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