ポーランド訪問記(3) ロンドンへ
(グループ旅行)
2001年6月16日(土)~25日(月)
旅行第1日目.2001年6月16日(土)
私達一行6名は,成田国際空港10時45分発,British Airways006便(以下ブリティッシュ航空と略す)に搭乗した.私の席は33Dである.真ん中の列,進行方向左隅の通路側の席である.
私の隣にはF先生,その隣にN夫妻が座っている.
座席に座ると,間もなく金髪のキャビンアッテンダントが水を入れた小さなプラスチックのコップを配り始める.コップにはSUMMIT MOUNTAIN PURE 110mlと印刷がされた青地のプラスチックの蓋がくっつけてある.早速,水をこぼさないように注意しながら,上蓋を剥がして,冷たい水を一口で飲み干す.
機内に安全設備のビデオが流れる.救命胴衣の説明である.私達を乗せた飛行機は,ほとんど陸地の上だけ,つまり大半がシベリア上空のフライトである.私はビデオを見ながら,
「どうせ首を通すのなら,救命胴衣ではなく落下傘ならいいのに...」
とボンヤリと考えている.
万一,陸上に不時着することになったら,救命胴衣を幾ら膨らませても何の足しにもならないのではないかと不安になる.
10時50分,定刻より少々遅れて,われわれを乗せた飛行機はいよいよ出発である.
飛行機は滑走路に出る.
そして,加速....毎度のことながら,私はこの瞬間が大嫌いである.私が幾ら力んでもどうにもなるものでもないことは良く分かっている.でも,加速するにつれ,知らず知らずのうちに,ついつい体中を硬くしてしまう.ちょうど,自動車のアクセルを強く踏むような感じで力んでいる.
私の心配をよそに,飛行機は楽々と舞い上がる.そして,何事もなく水平飛行に移る.
11時30分,機内では飲み物のサービスが始まる.
"Would you like some drink?"
と,さきほどの金髪のキャビンアッテンダントが私に話しかける.
「俺は日本人だ....しかも,お客だよ...日本語で話しかけろよ」
と私は心の中でちょっぴり憤慨する.
隣の席のF先生は良く酒を嗜まれる.なんとなく,F先生の雰囲気に押されて,私も柄にもなくビールを貰う.サントリーのMALTSの缶ビールである.
キャビンアッテンダントは,ビールと一緒に,プラスチックのコップとRitzのバターピーナッツ袋を置いていく.
その頃,Nさんが大学ノートを取りだして,何か頻りにメモを取り始める.その様子を隣の席から見ていたF先生が,すかさず,Nさんに
「いつも,メモを取るんですか...?」
と質問する.
「いえ~ェ,,,そんなことないんですが,Sさんの影響で...」
とNさんは言葉を濁す.Sさんとは山欠菌こと私,FHのことである.
間もなく昼食である.
座席の備え付けてあるメニューを見ると,以下の通りである.
=============================================================
昼食
モッツアレッラチーズとトマトのサラダ,オリーブオイル
牛肉のホッとロースト,マッシュルームソース,人参
または
鮭のソテー,チリソース,ひじき,ご飯
ブレッドアンドバタープディング
オレンジママレード
リフレッシュメント
軽いスナックとお飲み物をいつでもご用意しています
軽食
新鮮な果物
チキンビカタ,フレッシュトマトソース
ペンネパスタ,チーズとバター
または
豚肉の生姜風味,獅子唐,椎茸,人参,葱,ご飯
コーヒーまたは紅茶
===============================================================
12時20分,2人のイギリス人キャビンアッテンダントがワゴンを引きながらランチトレーを配り出す.
"Beef or fish?"
またもや,英語である.
私は,食べ物には卑しいのである.だから,当然,ビーフを注文する.
何時も思うことだが,高い牛肉ばかり食べさせられているわれわれ日本人は,こんな場合,どうやら圧倒的にビーフを選ぶようである.
機内に日本人が多いと,決まってビーフ料理が先になくなる.だから,機内食でビーフを食べたい人は,食事の配付が後になりやすい後部の座席を取らずに,なるべく前方の座席を取った方がよい.
ブリティッシュ航空の食事は結構上等である.
青い色で縁取りをしたトレーに,青い色の縁取りをした食器が並ぶ.手前の楕円形の大皿にはキャベツのみじん切りが敷き詰められている.その上に中ぐらいの大きさのビーフが2枚,それに,豆,ポテトが盛りつけてある.その奧には三角形のケーキ,右側奧にサラダのお皿がそれぞれ置かれている.サラダのお皿にはトマト1切,レタス,赤かぶのスライスが盛りつけられている.
その手前に,こぶし大のパンが“ごろん”と置かれている.パンと大皿の間にはミルクパック,バター,ウエーハースなどがきつそうに挟まっている.SUMMITの水パックも置かれている.
話が変わるが,私はときどき海外旅行をする.そんなとき,食べ物に興味のある私は,機内食を結構楽しみにしている.今までの乏しい経験の中では,U航空とRN航空の機内食が最低,逆にブリティッシュ航空や日本航空の機内食が最高である.
もっとも私の好みによる評価なので当てにはならない.
ブリティッシュ航空の機内食で,ユニークなのが青い柄の付いたスプーン,フォーク,ナイフの3本セットである.少々小振りの大きさだが,なかなか洒落ている.
(注;数年後,同航空の飛行機に乗ったときにはプラスチック製に変わっていた.)
食後のコーヒーを味わう.日頃,1日に数杯のコーヒーを嗜んでいる私には,タップリとコーヒーが飲めると幸せな気分になる.
折角だから,2~3杯ほどお代わりをする.ついでに日本茶も頂く.U航空の黄色い水みたいなお茶と違って,ブリティッシュ航空の日本茶は,ちゃんとお茶の味がするから気分がいい.
飛行機は順調に飛び続ける.
14時頃,なんとなく眠くなる.ついウトウトとする.辺りを見回すと,どういう訳か大部分の乗客が,ウトウトと居眠りをしている.キャビンアッテンダントが窓のブラインドを下ろすように窓際の乗客にふれ回っている.そして機内は次第に薄暗くなっていく.
座席の液晶テレビを見ると,ロンドンまで,あと8時間40分のフライトである.地図を見ると,今,シベリアの上空を飛行中である.14時10分現在,飛行機はウランバートルの上空を,高度10668メートル,対地速度毎時824キロメートルで飛行中である.機外では毎時77キロメートルの向かい風が吹いている.ロンドンの現地時間,つまりグリニッジ標準時間では,今,6時10分である.
辺りが静かになった.
私は,コンファレンスで発表するレジュメを引っ張り出して,繰り返し,繰り返し,読んでみる.いつものことながら,おかしな記述が散見されることに気が付く.しかし,今更,修正は利かない.後の祭りである.
例によって,自分自身の不注意さに対する嫌悪感に苛まれる.声を出さずに発表練習を繰り替えしてみる.その結果,どうもナレーションが長すぎるように思えるので,もう少し発表内容を短くしなければいけないなと思い始める.こんなことを行きがけの飛行機の中でしなくても,事前に十分に準備しておけば良いのに....と,いつも思うのだが,ぐうたらな性分の私は,同じようなドタバタを毎度繰り返している.
横の席を見ると,F先生,Nさんは膝の上に両手を置いたまま居眠りをしている.その向こうの席のNさんの奥さんは,楽譜を膝の上に広げて,一生懸命に見入っている.そういえば奥さんは現役のドラマーた.
機内には静寂な一時が続く.
16時05分,Nさんがトイレに立つ.
液晶テレビには,
"Weather condition at the destination is light rain."
という表示が出ている.正に「霧のロンドン」のようである.
辺りの乗客も仮眠から目覚めたようである.
16時37分,すらりとした美人のキャビンアッテンダントが,お盆の上に数種類のジュースを入れたコップを載せて,乗客に配り始める.私にどれが良いかと聞く.
お盆に乗っているジュースの中に,見慣れない黄色の液体がある.この黄色のジュースは何かと聞くと,アップルジュースだという.アップルジュースと聞いただけで,酸味を連想して,口の奧の両側から唾が勢いよくほとばしり出るのを感じる.
アップルジュースって茶色がかった透明な液体ではなかったかなと不思議に思ったが,とにかくこの黄色い液体を貰った.
居眠り後の寝ぼけたときには,酸味の利いたリンゴジュースは,すごい覚醒剤になる.隣のF先生と某学会のこと,学校のことなど雑談を交わす.その内に,F先生の話が,だんだん愚痴になってきたので,私は内心で閉口している.
17時50頃,私達から5~6列後ろの席に座っていたS先生が,ふらりと私達の席まで暇潰しにくる.どちらからともなく,
「いや~ぁ...長いね.草臥れた...」
と愚痴をこぼし合う.それを切っ掛けに5分ほど他愛のない立ち話をする.
S先生が席に戻ったので,所在がなくなった.そこで何となく機内備え付けの読み物を眺め始める.備え付けのメニューを見ると,機内には各種のスナックが用意されていて,いつでも利用できると書いてある.早速,客室中央付近にあるブースへ行って,スナック棚を覗いてみる.
そこにはカップラーメン,ビスケット,お菓子類がたくさん並んでいる.ここまで来たついでにビスケットを一袋貰って,自分の席に戻る.そして,隣のF先生にお裾分けをする.これが切っ掛けになって,F先生から自分の生い立ちのストーリーをタップリと聞かされる.ただ,その内容はプライバシに触れるので,ここでは書かないことにしよう.
19時52分,液晶テレビのモニターに「目的地まであと3時間15分」という表示が出る.隣を見ると,Nさんの奥さんが相変わらず楽譜と睨めっこを続けている.Nさんから聞いて直ぐ忘れたが,Nさんの奥さんは,この旅行から帰国したら,すぐに何処かで演奏会があって,その準備に余念がないのだという.
私は音楽にたんのうな人が羨ましい.
若い頃から....と,いっても戦後になってからだが,私は結構クラシック音楽を聞くのが好きである.だからといって,音楽のことは全く分からないのだが....でも,ブラームスやモーツアルトを聞いていると,とても気分がさわやかになる.
私の時代でも,小学校から高校まで,確かに音楽(小学校低学年の時代は唱歌っていっていたかな)の時間はあったのだが,残念ながら音符が良く分からない.とにかく「ドレミファソラシド」の代わりに「ハニホヘトイロハ」で音階を教わった世代である.でも,ピアノを弾いてみたいという気持ちは今でもある.到底叶わぬことだが...自分で作曲して,気儘にピアノが弾けたら,どんなに素晴らしいだろうと,常日頃,思い続けている...
ハズカシイ話だが.私達の年代が育った幼少の時代は,正に,漏れ聞く今の北朝鮮の生活と寸分違わない状況であった.もう少し後の時代に生を受けたら,私は間違いなく,自分の意志でピアノのレッスンを受けていたであろう.....こんなことを,譜面を見ているNさんの奥さんの様子から夢想していた.
20時50分,キャビンアッテンダントが飲み物を配り始める.私は烏龍茶を貰う.何となくのどが渇いていたので,冷たい烏龍茶の喉越しの味は何とも言えないほど爽やかである.
21時07分,夕食の時間である.再び,
"Chicken or pork?"
と聞かれる.迷わずにポークを選ぶ.
例によって青色に縁取られたプレートの上にポーク,ピーマン,キャベツなどが載ったメインディッシュ,その左にスイカ,ブドウ,メロン,グレープフルーツが載ったディッシュが置かれている.ライスはないが,フランスパンがひとつ置いてある,そして,またSUMMITのお水がのっっている.
21時31分,目的地まで後1時間35分である.キャビンアッテンダントが,
"Tea or coffee?"
と廻ってくる.私はコーヒーを所望した.
21時55分,イギリスへの入国カードが配られる.無論,トランシットする私達はイギリスの入国カードとは無関係である.やがて,
「空港に着いたら,Flight connectionの指示に従って進みなさい....入国審査の場所の写真を撮ってはダメ..」
という英語のアナウンスがある.
22時44分,
「シートベルトを締めなさい」
とアナウンスがある.これより着陸態勢に入るようである.
23時35分,機体の下の方から「ググ~ググググ...」と重たい響きが伝わってくる.どうやら車輪が降りたようである.これからが厭な時間帯である.できれば眠っている間に着陸して欲しい.でも,今から眠るわけにもいかない.
23時24分(グリニッジ標準時(GST)で15時24分,以下,時間はGSTで表示する),「ドスン」という衝撃とともに,私達を乗せた飛行機は,無事,ロンドンのヒースロー空港に着陸した.そして,15時36分,飛行機は一旦停止,そして,ソロリ,ソロリとターミナル4へ向かう.
ここはとてつもなく大きな空港である.途中で再び停まる.
「今,ターミナル4から出発する予定のフライトが,まだ出発しないでいる.先ほど空港周辺の気象条件が悪かったので,離着陸が遅れている....」
という機内アナウンスがある.
15時46分,やっと私達の飛行機が動き出す.そして,15時52分にターミナル4に到着する.
飛行機から降りた私達は迷路のような空港の建物の中を移動して,シャトルバス乗り場へ向かう.ここからシャトルバスに乗って,トランジット待合室まで移動するのである.
16時16分,シャトルバスに乗車,直ちに発車する,長いトンネルをくぐって,16時24分に到着,馬鹿でかい空港である.エスカレータに乗って二階へ進む.入口でセキュリティチェックを受ける.すべての携帯荷物をX線でチェックするという.私はフィルムを出して,
「大丈夫か?」
と聞く.目の前の注意書きに
「すべてのフィルムをX線でチェックしたが大丈夫」
と書いてあるが,一応,気になる.
ここで,Hさんの荷物が引っ掛かる.そして,随分と丁寧に隅から隅まで荷物のチェックを受ける羽目になる.トランジット待合室に入る.
随分と大きな待合室である.売店がたくさん並んでいる.その中にはHARRODSのように,われわれ日本人にも馴染みの店も数多く出店している.
17時04分,私達の登場するワルシャワ行きはゲート19から出発することが決まった.早速,長い廊下を伝ってゲート19へ移動する.ゲート19の入口で,紺の制服を着た格幅の良い黒人女性が,頻りに,
"Did you check in at London?"
と大声で乗客に聞いている.撥音が多い英国風の英語で話すので,聞いた瞬間,何のことか意味が取れなかったし,言っている内容が理解できないので,
「私達はトランシットパッセンジャだ」
と言う.すると,再び,"Did you....?"を繰り返す.
事情が良く飲み込めないが,とにかくカウンターに並んで搭乗券とパスポートを提示する.
係員が何やら端末機に打ち込んで,返してよこす.待合室に入ってから,外を眺めると,YS11と同じくらいの大きさの小さな旅客機が眼下に停まっている.双発のジェット機である.日本時間ではもう夜中の1時を廻っている.眠くて仕方がない.
(つづく)
「ポーランド訪問記」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/06b19be6656ffcde47d794329cbb9731
「ポーランド訪問記」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/ef1db187c784d2153290e509234ed42f
<ここからは愚痴コーナー>
********以下は2001年6月現在の愚痴*********
この所,実は,
「俺も大分耄碌したな~ぁ....年は取りたくなぁ~い!」
というのが実感で,情けない気分になることがままある.
去る11月16日,土曜日.私は午前中の授業を終えてから,桜木町にある登山用品店「カモシカ」を訪れた.
来週,登山予定の榛名山周辺の地図が買いたかったからである.登山には2500分の1の地形図が一番役に立つ.ところが,鎌倉周辺の書店では,湘南地区以外の地形図はなかなか手に入らないので,どうしても山の専門店か,あるいは横浜駅地下街にある有隣堂辺りまで足を伸ばさなければならなくなる.
問題はその後である.
家に帰ってから,携帯電話を充電しようと思った.ところが,肝心の携帯電話がどうしても見当たらない.どこかに置き忘れたか,あるいは遺失したのか分からない.でも,探すのが面倒である.自宅の電話から,自分の携帯電話に電話を掛けてみるが,どこからも呼び出し音は聞こえてこない.どうやら,自宅の中にはないようである.でも,
「まあ,,,いいか.家の何処かにあるだろう」
と多寡を括って,その夜は寝てしまう.
翌日の日曜日は,行方不明になっている携帯電話のことが気になって仕方がないが,ARENAお馴染みの「ボクちゃん」(「坊やちゃん」だったかな?)ことM氏や,元お嬢様方達と連れたって,丹沢の鍋割山へハイキングに出かけてしまった.
軽いハイキングだったので,疲れも溜まらなかった.そこで,帰宅後,一生懸命に行方不明の携帯電話を探し回った.しかし,どこにも見当たらない.
翌,18日,月曜日.私は戸塚にあるTU-KAショップに出向いて,まずは行方不明の携帯電話の回線を止めた.そして,新しい回線を開くとともに,携帯電話の機種変更をした.そこまでは良かったが,今度は新しい携帯電話の操作方法がサッパリ分からない.
携帯電話に添付されている分厚い3冊の説明書など,全く読む気になれない.正直なところ,ほとほと困り果てている.
19日,火曜日.大船警察署からハガキが届いた.
どなたかが,私が落とした携帯電話を警察に届けてくれたらしい.届けてくれた親切な方に心から感謝するのみである.
早速,水曜日に警察に出頭して,遺失物を受け取り,届けてくれた方に礼状を書く(まだ,投函していない.投函するのを忘れそう...).
思い返せば,この所,年を取るに連れて,「捜し物」をしている時間が,やたらと多くなってきたような気がする.何かを何処かに仕舞ってしまうまでは良いのだが,後になって一体全体何処に何を仕舞ったのかが思い出せないのである.
こんな事情から分からなくなっている品物は,覚えているだけで64MBのスマートメディアが数枚,登山で使用する磁石が2個,毛糸のシャツ1枚,バックアップ用の眼鏡1個,耳が隠れる冬用の帽子1個,ラジオペンチ1個,CD-ROM数枚,等々多数に及ぶ.
こんな傾向がひどくなってきたのは,ボケが確実に始まっているからに違いない.だから,つくづく年は取りたくないものである.
更にある.
ここ5年ばかりの間に,入れ歯を4回なくした.
一部の方はご存じのように,私は上右の前歯を,若い頃,折ってしまった.そこで,前歯を入れ歯にしていたが,入れ歯を填めるとどうも気分が悪い.そこで,外で人にあって居るとき以外は,どうしても外してしまう.食事の時も外している.外した入れ歯はポケットに入れておくのだが,これがいけない.
最初になくしたのは,5年ほど前,沖縄である.某学会に出席したとき,宿泊したホテルの部屋でなくした.このときいくら探しても出てこなかった.
2回目になくしたのが,3年前の尾瀬.
3回目が2年前の白馬岳,
そして,第4回目が熱海で開催された勤務先の研修会に参加したときである.
こんなに頻繁になくしていると,もう入れ歯など作る気にならない.そこで,ここ1年ばかりは入れ歯なしのまま過ごしている.
近々,歯医者へ行って定期検査を受けるつもりである.そのときに
「入れ歯を使わなければ,歯並びが乱れる...」
と叱られるに決まっている.やだな~ぁ....
***************************
[編集後記]
2011年6月22日(水) 晴
梅雨の間に珍しく朝から明るい日射しが射し込んでくる.予定さえなければ,私は絶対に丹沢へ出掛けていたに違いないが,残念ながら今日は先約がある.山旅スクール5期会の開催日である.
9時30分,大船駅に集合.夕方まで鎌倉のアジサイを見て回った.この記録は別途このブログに掲載する予定である.
とにかく蒸し暑い一日であった.汗でべたべたになった.
今,10年前の2001年の記録を整理してみると,
「・・・10年前は,実に元気だったなあ・・・」
というのが率直な感想である.
何時の間にか,少しずつ,少しずつ,老いぼれていくのが,記録を見ていると良く分かる.
悲しいことだが,仕方がないか・・・
(愚痴おわり)
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