<リマの街角>
ペルー周遊記(73):エピローグはプロローグ
<帰国して・・・>
2008年7月23日(水):帰国後2日目
■旅のネチャネチャ感を洗い落とす
ペルーとの時差が大きいために,真夜中に目が冴えてしまう.どうしても寝ていられない.
まずは,パソコンの電源をONにして,旅行中に貯まっていた未読メールを片っ端から読み飛ばす.殆どが,企業やプロバイダーからのPRメールである.
帰国した当日は,蓋さへ開けなかった旅行中の荷物を開ける.帰国間際に,いろいろな物をメチャクチャに放り込んだバッグは,開けてみると見るに耐えない状態になっている.
山のような洗濯物を引っ張り出して一纏めにする.旅行中も,その辺りにある石鹸を使って,わりとこまめに洗濯はしていたが,同じ衣類を,繰り返し,いい加減な洗濯をしている内に,何となくシワシワ感や,ネトネト感が増してくる.だから,確かに洗濯はしてあるものの,全体に何となくネトネト感が染みついている.
こんな怪しげな洗濯物は,たちどころにシッカリと洗濯するに限る.私は,洗濯機にネトネト感いっぱいの洗い物を放り込んで,正真正銘の洗剤を使って,一気に洗ってしまう.
「・・ああ,,,,サッパリした・・」
■タイムスリップした気分である
旅行中に,日本の気候も随分と進んで,梅雨も明けている.
旅行前のまだ涼しい気候から,タイムスリップして,いきなり炎暑の中に放り込まれたような気分がする.私が住んでいる鎌倉地区は,関東の避暑地としても知られているように,暑いとはいえ,東京当たりに比較すれば,随分と涼しいはずである.いくら鎌倉とはいえ,6月下旬の気候から,いきなり7月の炎暑の中に放り出されると,それはもう堪ったものでない.
暑い中,洗濯をしたり,荷物を仕分けたりしている内に,瞬く間に,午前中が過ぎる.
昼食後,外に出て,少しばかり散歩してこようかと思うが,時差が悪ふざけするので,肝心の時に,堪らなく眠くなる.ちょっとばかり昼寝しようかと思って,横になる.そのまま深い眠りに入ってしまい,目が覚めたら,夕食間際になっていた.何だか,1日,損をしたような気分になる.
2008年7月中旬:なかなか取れない違和感
■ようやく歯の治療を開始する
昨年(2007年)の秋口から右上奥歯の調子が悪かった.ときどき歯茎が腫れて,痛みが出る.そのために,近くの歯医者にずっと通院していたが,結局は切開手術をして,歯根周辺の膿瘍を切除しなければ完治しないという結論に達していた.
本当は,ペルーへ旅立つ前に,手術を終えたかったが,旅行中に,万一,痛みが出たら困るという配慮から,手術を帰国後に先延ばししていた.
7月24日(木).帰国後3日目.
歯医者の予約日である.時差ボケが治らない私は,深夜から目が覚めてしまう.午前中はおとなしく資料整理をしていた.午後から,久々に近所の鎌倉中央公園を一回りしてみる.うだるような暑さである.こんな暑い昼下がりの時間に,公園を散歩している人など誰も居ない.
夕方,歯科医を訪れて,奥歯3本の歯根を手術する.
それ以降,7月25日までの経緯は,プロローグで記述した通りである.
■暑いのに参る
帰国後の7月は,瞬く間に過ぎ去った.その間,26日(金)には,ARENA主催の金沢文庫から鎌倉までのハイキングに参加した.歩いている間,茹だるような暑さには閉口した.日本の真夏の暑さは,赤道直下のペルーも,遠く及ばないほどひどいということが体験できた.何といっても,ベタベタな湿度は,とても,とても,筆舌し難い程のひどさである.
私は,湿りきった高温の中でのハイキングで,すっかり消耗してしまう.
2日ほど,間を空けて,29日(火)に,今年31回目の塔ノ岳詣でを行う.久々の大倉尾根往復である.山麓を登っているときには,蚊やアブが煩く付きまとってくる.大倉から山頂までの所要時間は,暑い性もあって,2時間33分と振るわない.ちなみに10時頃の塔ノ岳山頂の気温は+20.1℃.山麓では可憐なホタルブクロの花が気分を和ませてくれる.
<『ペルー周遊記』も大詰め>
■『ペルー周遊記』の連載開始
7月26日(土),帰国後4日目.私は,漸く,このブログで新シリーズ『ペルー周遊記』の連載を再開する.この時は.正直な所,連載がいつ頃まで続くのか見当も付かなかった.
当初は,この新シリーズも,せいぜい10回程度で完結すると思っていた.ところが,ブログ自体の機能上の制約もあって,1回に投稿できる文字数が限られているため,思うように進められないことが分かった.それならば,回数に拘らずに,とにかく,気が済むまで書いてしまおうと心に決めた,
その結果,ちんたら,ちんたらと書き進めて,今回までに連載73回を重ねることとなってしまった.
■日々新たな旅の印象
私は,ブログに投稿した文章は,校正を刷るために,A4の用紙にプリントアウトしている.ペルー訪問記のプリントアウトを重ねると,厚さが約2.5センチになる.両面印刷である.文章の量は,通常の単行本に換算して2冊分を優に超える.我ながら駄文の量の多さに呆れるばかりである.
とはいえ,旅行中に記録した資料を,ひっくり返しながら,このシリーズを纏めていると,忘れかけていた旅の毎日が,つい昨日のことのように思い出してくる.
<このシリーズのプリントアウト(両面刷)が約2.5センチになった>
■忙しくなるのに,一向に・・
今日は,もう,2008年12月22日(日)である.師走も押し迫って,街も慌ただしくなっている.もう,ペルーから帰国して,半年が過ぎようとしている.
私は,昨日,買い求めた年賀状を横目に眺めながら,
「・・・何時までもペルーのことばかり書いていないで,早く年賀状を書きなさい・・」
と,もう1人の私に急き立てられている.
昔から,私は,急ぎの仕事があると,敢えて別のことをして,気がせいてくるのを楽しむ傾向がある.どなたか,今,思い出せないが,有名な小説家が,私と同じようなことを言っていたような気がする.彼は,締め切りが迫った原稿があると,決まって全く関係のないことを始めてしまい,締め切りの緊張感を高める・・・というようなことを言っていた.
■年末,どうしようか
今年も,もう,残す所,10日ほどになってしまった.
10月に,28日間にわたって歩き続けた「歩いて巡る東海道五十三次宿場巡り」も,無事,「上がり」の京都三条大橋に到着して,延べ492キロメートルを完歩した.この記録の整理も,掛川の宿でストップしたままである.当初の予定では,どんなに遅くても,年内には整理がつくと思っていたが,今となっては到底無理である.
「まあ・・・急ぐこともないな.来年になってから,ゆっくり,楽しみながら整理すればいいか・・」
と呑気に構えている.
さしあたりは,年賀状書きにでも専念しようかと思い始めている.
■トーマスさんからのCD
年末も押し迫った,12月20日(土),大阪在住のトーマスさんから,1枚のCDが送られてきた.早速,中を拝見する.このCDには,ペルー周遊中に撮影した写真が,沢山収められている.
そういえば,私の方は,このブログでお分かりのように,やっと今,旅行中の写真を見終わったばかりである.まだ,旅行中の写真の整理が付いていない.年内にはご関係の方々にお送りしなければと思っているものの,明日でもいいやと決めると,もう,今日は何もしない悪い癖が祟って,全く予想が付かない状態である.
いやはや・・・困ったものである.
<トーマスさんのCD>
■歩いて巡る東海道五十三次宿場巡り
こちらの資料は,来年から整理を始めようと思っている.まあ,考えようによっては,来年もやることがあるのだから幸いといえば幸いだが・・・企業で言えば受注残があるのと同じだろう.そう考えれば,楽な気持になれる.
とはいえ,夢は尽きない.次は日光街道,甲州街道,中山道なども,機会があれば,是非,歩いてみたいなと思っている.
<久々の日本の印象>
■ペルーの印象を纏める
今回のペルーの旅は,これまでの私の人生の中でも,随分と印象的な出来事であった.「ペルー周遊記」を纏めた今,ペルーでの印象を,箇条書きにして纏めておきたい(プロローグ(3)で纏めたものの再掲).
*砂漠と,帯のような緑の谷間が鮮やかなコントラストをなしている.
*1日の内に,猛暑と極寒が同居している.これには参った.
*とてつもなく標高が高い所でも,人の営みが垣間見える.
*都市と僻地の生活水準の格差が,とても大きいように見える.
*プレインカ,インカ時代から,今日まで,長い歴史が連綿と続いている.
*どこへ行くのにも,大抵の場合,バスによる長旅を余儀なくされる.
*埃,乾燥,どこまでも続く砂漠.
*標高6000メートル級の山々が連なるアンデス.
*多種多様な家畜がノンビリと暮らしている.
*子ども達の屈託のない笑顔が印象的である.
*サイダーとラムネを一緒にしたような飲み物,インカコーラの味が忘れられない.
*至る所で,素晴らしい絵画や彫刻が見られる.
*どこへ行っても,トイレが比較的綺麗である.
*圧倒的な存在感のあるトヨタの車.丈夫で良く走っている.
(注)帰国後の印象は,下記のページで記述済み.
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/ac4c1690b674d7e3583746bf091475f4
■日本は良い国である
平素当たり前に思っていることが,海外から帰国してみると,日本の素晴らしさだと感じたことも多々ある.今回,ペルーから帰国した直後の,日本の第一印象は,以下の通である.
*道路などのインフラが,実に緻密に作られている.
そして,きめ細かくメンテナンスされている.
*電車がとても便利である.
*窓口業務が,極めて迅速で,丁寧である.
*公共の施設の照明が,極めて明るく,行き届いている.
*どこへ行っても,清潔である.
*人々が着ている衣服が,実にカラフルで,清潔感に溢れている.
*街中で,極端なメタボの人が,ほとんど見当たらない.
<エピローグは,あらたなプロローグ>
■何とか健康である
こうして,ペルーの旅は終えた.
ペルーから帰国して,1ヶ月後,私は某病院の「人間ドッグ」で診察を受けた.幸いなことに,一般検診では,特段の異常もなく,登山に耐えうる健康体であるという診断を受けた.ただ,亜鉛の摂取量が少ないので注意するようにというアドバイスを受けた.
私のプライバシーにかかわることなので,具体的な数値は記述しないが,肺年齢は実際の年齢よりも,30歳ほど若いという結果が出た.これも日頃の山登りの成果だと思っている.有り難いことである.
(注)肺年齢の測定方法は,次の記事を参照.
健康診断で得られた数値を入れると,即座に自分の肺年齢が分かる.
http://www.m-junkanki.com/kennsinn/kennsinn_copd2b.html
■新たなプロローグ
今年一杯は,ペルーの残滓で,特段,どこへ行きたいという所もないが,何れ来年も,体力と資力が許す限り,海外の山旅も楽しみたいと思っている.
近場の玉山もいいな,北アフリカの最高峰ツブカルやサハラ砂漠も行ってみたい.トイトレインに乗って,シッキムヒマラヤ・カンチェンジュンガを展望するのも良いな.軽くハワイのマウナケアも良いし,グランドキャニョンを下ってみるのも良いな・・・夢だけは尽きない.
とはいえ,サラリーマン時代に,長い間,少しずつ買い求めていた自社株が,今すぐ宛にしている訳ではないが,このところのショックで,半値に暴落しているので,気分が滅入る.
まあ,それはそれとして,元気な内に,是非,次のチャレンジをしたいなと思っている.
まさに旅のエピローグは,次の旅のプロローグである.
<謝辞>
今回の「ペルー周遊記」を完了するに当たり,コフップ山荘の三井氏をはじめ,同行の諸氏,特に資料を提供して頂いたKA氏とKO氏,それに,このブログの記事を愛読していただいた方々,直接メールで,あるいはコメントの形で感想や間違いを指摘して頂いた方々に,深く謝意を表する次第である.
(つづく)
※次回,最終回は,総合目次を掲載する予定である.
「ペルー周遊記」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/541b4d4cc8105f2ae2e07be11aa38009
「ペルー周遊記」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f78082280c7a6bb87b1810478b6786ea
このシリーズの最初の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/6fee0e316085f32cce0c47a424821346
ペルー周遊記(73):エピローグはプロローグ
<帰国して・・・>
2008年7月23日(水):帰国後2日目
■旅のネチャネチャ感を洗い落とす
ペルーとの時差が大きいために,真夜中に目が冴えてしまう.どうしても寝ていられない.
まずは,パソコンの電源をONにして,旅行中に貯まっていた未読メールを片っ端から読み飛ばす.殆どが,企業やプロバイダーからのPRメールである.
帰国した当日は,蓋さへ開けなかった旅行中の荷物を開ける.帰国間際に,いろいろな物をメチャクチャに放り込んだバッグは,開けてみると見るに耐えない状態になっている.
山のような洗濯物を引っ張り出して一纏めにする.旅行中も,その辺りにある石鹸を使って,わりとこまめに洗濯はしていたが,同じ衣類を,繰り返し,いい加減な洗濯をしている内に,何となくシワシワ感や,ネトネト感が増してくる.だから,確かに洗濯はしてあるものの,全体に何となくネトネト感が染みついている.
こんな怪しげな洗濯物は,たちどころにシッカリと洗濯するに限る.私は,洗濯機にネトネト感いっぱいの洗い物を放り込んで,正真正銘の洗剤を使って,一気に洗ってしまう.
「・・ああ,,,,サッパリした・・」
■タイムスリップした気分である
旅行中に,日本の気候も随分と進んで,梅雨も明けている.
旅行前のまだ涼しい気候から,タイムスリップして,いきなり炎暑の中に放り込まれたような気分がする.私が住んでいる鎌倉地区は,関東の避暑地としても知られているように,暑いとはいえ,東京当たりに比較すれば,随分と涼しいはずである.いくら鎌倉とはいえ,6月下旬の気候から,いきなり7月の炎暑の中に放り出されると,それはもう堪ったものでない.
暑い中,洗濯をしたり,荷物を仕分けたりしている内に,瞬く間に,午前中が過ぎる.
昼食後,外に出て,少しばかり散歩してこようかと思うが,時差が悪ふざけするので,肝心の時に,堪らなく眠くなる.ちょっとばかり昼寝しようかと思って,横になる.そのまま深い眠りに入ってしまい,目が覚めたら,夕食間際になっていた.何だか,1日,損をしたような気分になる.
2008年7月中旬:なかなか取れない違和感
■ようやく歯の治療を開始する
昨年(2007年)の秋口から右上奥歯の調子が悪かった.ときどき歯茎が腫れて,痛みが出る.そのために,近くの歯医者にずっと通院していたが,結局は切開手術をして,歯根周辺の膿瘍を切除しなければ完治しないという結論に達していた.
本当は,ペルーへ旅立つ前に,手術を終えたかったが,旅行中に,万一,痛みが出たら困るという配慮から,手術を帰国後に先延ばししていた.
7月24日(木).帰国後3日目.
歯医者の予約日である.時差ボケが治らない私は,深夜から目が覚めてしまう.午前中はおとなしく資料整理をしていた.午後から,久々に近所の鎌倉中央公園を一回りしてみる.うだるような暑さである.こんな暑い昼下がりの時間に,公園を散歩している人など誰も居ない.
夕方,歯科医を訪れて,奥歯3本の歯根を手術する.
それ以降,7月25日までの経緯は,プロローグで記述した通りである.
■暑いのに参る
帰国後の7月は,瞬く間に過ぎ去った.その間,26日(金)には,ARENA主催の金沢文庫から鎌倉までのハイキングに参加した.歩いている間,茹だるような暑さには閉口した.日本の真夏の暑さは,赤道直下のペルーも,遠く及ばないほどひどいということが体験できた.何といっても,ベタベタな湿度は,とても,とても,筆舌し難い程のひどさである.
私は,湿りきった高温の中でのハイキングで,すっかり消耗してしまう.
2日ほど,間を空けて,29日(火)に,今年31回目の塔ノ岳詣でを行う.久々の大倉尾根往復である.山麓を登っているときには,蚊やアブが煩く付きまとってくる.大倉から山頂までの所要時間は,暑い性もあって,2時間33分と振るわない.ちなみに10時頃の塔ノ岳山頂の気温は+20.1℃.山麓では可憐なホタルブクロの花が気分を和ませてくれる.
<『ペルー周遊記』も大詰め>
■『ペルー周遊記』の連載開始
7月26日(土),帰国後4日目.私は,漸く,このブログで新シリーズ『ペルー周遊記』の連載を再開する.この時は.正直な所,連載がいつ頃まで続くのか見当も付かなかった.
当初は,この新シリーズも,せいぜい10回程度で完結すると思っていた.ところが,ブログ自体の機能上の制約もあって,1回に投稿できる文字数が限られているため,思うように進められないことが分かった.それならば,回数に拘らずに,とにかく,気が済むまで書いてしまおうと心に決めた,
その結果,ちんたら,ちんたらと書き進めて,今回までに連載73回を重ねることとなってしまった.
■日々新たな旅の印象
私は,ブログに投稿した文章は,校正を刷るために,A4の用紙にプリントアウトしている.ペルー訪問記のプリントアウトを重ねると,厚さが約2.5センチになる.両面印刷である.文章の量は,通常の単行本に換算して2冊分を優に超える.我ながら駄文の量の多さに呆れるばかりである.
とはいえ,旅行中に記録した資料を,ひっくり返しながら,このシリーズを纏めていると,忘れかけていた旅の毎日が,つい昨日のことのように思い出してくる.
<このシリーズのプリントアウト(両面刷)が約2.5センチになった>
■忙しくなるのに,一向に・・
今日は,もう,2008年12月22日(日)である.師走も押し迫って,街も慌ただしくなっている.もう,ペルーから帰国して,半年が過ぎようとしている.
私は,昨日,買い求めた年賀状を横目に眺めながら,
「・・・何時までもペルーのことばかり書いていないで,早く年賀状を書きなさい・・」
と,もう1人の私に急き立てられている.
昔から,私は,急ぎの仕事があると,敢えて別のことをして,気がせいてくるのを楽しむ傾向がある.どなたか,今,思い出せないが,有名な小説家が,私と同じようなことを言っていたような気がする.彼は,締め切りが迫った原稿があると,決まって全く関係のないことを始めてしまい,締め切りの緊張感を高める・・・というようなことを言っていた.
■年末,どうしようか
今年も,もう,残す所,10日ほどになってしまった.
10月に,28日間にわたって歩き続けた「歩いて巡る東海道五十三次宿場巡り」も,無事,「上がり」の京都三条大橋に到着して,延べ492キロメートルを完歩した.この記録の整理も,掛川の宿でストップしたままである.当初の予定では,どんなに遅くても,年内には整理がつくと思っていたが,今となっては到底無理である.
「まあ・・・急ぐこともないな.来年になってから,ゆっくり,楽しみながら整理すればいいか・・」
と呑気に構えている.
さしあたりは,年賀状書きにでも専念しようかと思い始めている.
■トーマスさんからのCD
年末も押し迫った,12月20日(土),大阪在住のトーマスさんから,1枚のCDが送られてきた.早速,中を拝見する.このCDには,ペルー周遊中に撮影した写真が,沢山収められている.
そういえば,私の方は,このブログでお分かりのように,やっと今,旅行中の写真を見終わったばかりである.まだ,旅行中の写真の整理が付いていない.年内にはご関係の方々にお送りしなければと思っているものの,明日でもいいやと決めると,もう,今日は何もしない悪い癖が祟って,全く予想が付かない状態である.
いやはや・・・困ったものである.
<トーマスさんのCD>
■歩いて巡る東海道五十三次宿場巡り
こちらの資料は,来年から整理を始めようと思っている.まあ,考えようによっては,来年もやることがあるのだから幸いといえば幸いだが・・・企業で言えば受注残があるのと同じだろう.そう考えれば,楽な気持になれる.
とはいえ,夢は尽きない.次は日光街道,甲州街道,中山道なども,機会があれば,是非,歩いてみたいなと思っている.
<久々の日本の印象>
■ペルーの印象を纏める
今回のペルーの旅は,これまでの私の人生の中でも,随分と印象的な出来事であった.「ペルー周遊記」を纏めた今,ペルーでの印象を,箇条書きにして纏めておきたい(プロローグ(3)で纏めたものの再掲).
*砂漠と,帯のような緑の谷間が鮮やかなコントラストをなしている.
*1日の内に,猛暑と極寒が同居している.これには参った.
*とてつもなく標高が高い所でも,人の営みが垣間見える.
*都市と僻地の生活水準の格差が,とても大きいように見える.
*プレインカ,インカ時代から,今日まで,長い歴史が連綿と続いている.
*どこへ行くのにも,大抵の場合,バスによる長旅を余儀なくされる.
*埃,乾燥,どこまでも続く砂漠.
*標高6000メートル級の山々が連なるアンデス.
*多種多様な家畜がノンビリと暮らしている.
*子ども達の屈託のない笑顔が印象的である.
*サイダーとラムネを一緒にしたような飲み物,インカコーラの味が忘れられない.
*至る所で,素晴らしい絵画や彫刻が見られる.
*どこへ行っても,トイレが比較的綺麗である.
*圧倒的な存在感のあるトヨタの車.丈夫で良く走っている.
(注)帰国後の印象は,下記のページで記述済み.
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/ac4c1690b674d7e3583746bf091475f4
■日本は良い国である
平素当たり前に思っていることが,海外から帰国してみると,日本の素晴らしさだと感じたことも多々ある.今回,ペルーから帰国した直後の,日本の第一印象は,以下の通である.
*道路などのインフラが,実に緻密に作られている.
そして,きめ細かくメンテナンスされている.
*電車がとても便利である.
*窓口業務が,極めて迅速で,丁寧である.
*公共の施設の照明が,極めて明るく,行き届いている.
*どこへ行っても,清潔である.
*人々が着ている衣服が,実にカラフルで,清潔感に溢れている.
*街中で,極端なメタボの人が,ほとんど見当たらない.
<エピローグは,あらたなプロローグ>
■何とか健康である
こうして,ペルーの旅は終えた.
ペルーから帰国して,1ヶ月後,私は某病院の「人間ドッグ」で診察を受けた.幸いなことに,一般検診では,特段の異常もなく,登山に耐えうる健康体であるという診断を受けた.ただ,亜鉛の摂取量が少ないので注意するようにというアドバイスを受けた.
私のプライバシーにかかわることなので,具体的な数値は記述しないが,肺年齢は実際の年齢よりも,30歳ほど若いという結果が出た.これも日頃の山登りの成果だと思っている.有り難いことである.
(注)肺年齢の測定方法は,次の記事を参照.
健康診断で得られた数値を入れると,即座に自分の肺年齢が分かる.
http://www.m-junkanki.com/kennsinn/kennsinn_copd2b.html
■新たなプロローグ
今年一杯は,ペルーの残滓で,特段,どこへ行きたいという所もないが,何れ来年も,体力と資力が許す限り,海外の山旅も楽しみたいと思っている.
近場の玉山もいいな,北アフリカの最高峰ツブカルやサハラ砂漠も行ってみたい.トイトレインに乗って,シッキムヒマラヤ・カンチェンジュンガを展望するのも良いな.軽くハワイのマウナケアも良いし,グランドキャニョンを下ってみるのも良いな・・・夢だけは尽きない.
とはいえ,サラリーマン時代に,長い間,少しずつ買い求めていた自社株が,今すぐ宛にしている訳ではないが,このところのショックで,半値に暴落しているので,気分が滅入る.
まあ,それはそれとして,元気な内に,是非,次のチャレンジをしたいなと思っている.
まさに旅のエピローグは,次の旅のプロローグである.
<謝辞>
今回の「ペルー周遊記」を完了するに当たり,コフップ山荘の三井氏をはじめ,同行の諸氏,特に資料を提供して頂いたKA氏とKO氏,それに,このブログの記事を愛読していただいた方々,直接メールで,あるいはコメントの形で感想や間違いを指摘して頂いた方々に,深く謝意を表する次第である.
(つづく)
※次回,最終回は,総合目次を掲載する予定である.
「ペルー周遊記」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/541b4d4cc8105f2ae2e07be11aa38009
「ペルー周遊記」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f78082280c7a6bb87b1810478b6786ea
このシリーズの最初の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/6fee0e316085f32cce0c47a424821346