中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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中山道六十九宿巡り(第12回);第1日目(3);甚平坂を登る

2012年04月19日 06時00分41秒 | 中山道六十九宿

                                 <梅の花を愛でながら長閑な中山道を行く>
        
      中山道六十九宿巡り(第12回);第1日目(3);甚平坂を登る
                (五十三次洛遊会)

           2012年4月6日(金)~8日(月)

第1日目;2012年4月6日(金) つづき


<東町間ノ宿・大井宿地図>




<茄子川村を行く>

■坂本観音
 10時26分,坂本橋を渡る.
 橋を渡って,3~4分歩くと,進行方向左手奥に坂本観音が見える.
 道端の案内板によると,この観音の建立は1745年(延享2年)だという.その後,1896年(明治29年)に再建されたが,今私たちが歩いている県道が建設されるときに,写真の位置に移築されたようである.


<奥に見えるのが坂本観音>

■茄子川村の高札場跡と尾州白木改番所跡
 10時31分,茄子川村の高札場跡に到着する.畠の中に立派な案内杭が立っている.このすぐ近くに尾州白木改番所跡がある.

<茄子川村の高札場跡>


<尾州白木改番所跡>

■茶屋本陣跡・明治天皇御小休所と秋葉山常夜灯
 道なりに歩いて,10時38分,「明治天皇茄子川御小休所御膳水」と刻字した案内杭の前に到着する.資料2(p.44)によると,ここは茶屋本陣跡のようである.元茄子川村庄屋篠原家.皇女和宮が宿泊した場所でもある.
 そのすぐ近くに秋葉山常夜灯がある.立派な常夜灯である.この常夜灯は中山道から秋葉山道への分岐点に立っている.秋葉山道は恵那,遠州秋葉山火伏神社への道だという.

 
<茶屋本陣跡>                                                <秋葉山常夜灯>

■長閑な鯉ヶ平の集落を行く
 長閑な集落の中を歩き続ける.地図で確かめるとこのあたりは鯉ヶ平という所らしい.
 沿道の梅が7分咲きである.この辺りの春は,私たちが住む湘南に比べると大分遅いようである.


<鯉ヶ平の集落>

■茶屋跡と愛宕神社
 10時51分,愛宕神社の案内板の前に到着する.手造りと思われる質素な案内板が立っている.
 この案内板によると,愛宕神社は,今歩いている道から左折して,この写真の道を暫く入ったところにあるらしい.時間が押しているので,参拝は省略する.
 この案内板によると,この辺りに茶屋があったようである


<茶屋跡と愛宕神社>

<岡瀬沢>

■広久手坂を登る
 10時53分,前方頭上に高圧線が見えている.資料によると,この高圧線の真下辺りに,「中山道是より大井」と書いた碑があるはずである.ところが,どうしたことが,私たちはこの火を見落としてしまう.かなり懸命に探しながら歩いてきたはずなのに残念.
 何れにしても,11時頃,私たちは広久手坂を登って大井宿に入る.


■馬頭観音
 10時55分,進行方向左手に置かれている馬頭観音の前を通過する.馬頭観音の周辺の雑草が刈り込まれている.

<馬頭観音>

■岡瀬沢
 11時丁度に自動車道と直行する.ここで立ち止まって全員で現在地を確かめる.右折してこの自動車道を少し進むと,富士浅間神社があるらしい.この辺りは岡瀬沢というところのようである.

<岡瀬沢の自動車道路>

■岡瀬沢石碑
 11時07分,巨大な岡瀬沢石碑に到着する.
 石碑の前に説明文があるが,少々かすれていて良く読めない.残念ながら読まずに通過する.


<岡瀬沢石碑>

■庚申塔と馬塚
 11時13分,庚申塔を通過する.道路から少し離れたところの庚申塔がある.庚申塔から3分ほど歩いたところに馬塚がある.
 
<庚申塔>                                        <馬塚>

<甚平坂を登る>

■甚平坂を登る
 やや急な坂道を登り続ける.どの辺りから甚平坂と言うかは定かではないが.地図を見ると,何時の間にか,私たちは甚平坂と思われる坂道を登っている.
 そして11時13分,甚平坂案内板に到着する.
 「やっぱり,甚平坂だったか・・」
と安堵する.
 案内板の記事によると,この坂は距離は短いものの急な坂道で,長い間,旅人に嫌われていたが,明治になってから,ようやく少しなだらかな坂道になったようである.1880年(明治13年)6月,明治天皇が伊勢方面の視察のために中山道をお通りになることになり,この地の人たち総出で,この坂の頂上を2メートルほど掘り下げて,坂の傾斜を少しなだらかにしたという.また,甚平坂の名称は,根津甚平是行に由来する.根津甚平は鎌倉時代源頼朝の家臣で信濃国根津の郷の城主だった人物である.


<甚平坂登口>

■甚平坂公園
 11時17分,甚平坂のほぼ頂上近くにある甚平坂公園に到着する.見晴らしの良いところである.ここでトイレ休憩.
 公園の片隅に線彫浮世絵の大きな石碑が置かれている.


<甚平坂山頂付近の公園>


<甚平坂公園の線彫浮世絵>

<関戸の一里塚跡>

■根津神社
 11時20分,陣営坂公園を出発する.まだ坂道が続く.
 11時24分,根津神社の前を通過する.神社山道の石段をデジカメに収めただけ.資料2(p.45)によると,ここには根津甚平の供養塔といわれる宝篋印塔(岐阜県文化財)があるという.


<根津神社>

■関戸の一里塚跡
 11時28分,関戸の一里塚跡に到着する.江戸日本橋から87番目の一里塚である.立派な石塔が立っている.

<関戸の一里塚>


<関戸の一里塚で立ち休憩>

■馬頭観音
 11時33分,石塔群の前を通過する.馬頭観音だろうか.

<石塔群>

■中央高速道を渡る.
 11時34分,中央高速度の跨線橋を渡る.
 私たちは,いよいよ大井宿に到着する.


<中央高速道路の跨線橋を渡る
                                 
   (つづく)

[参考資料]

料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;完全踏破マップシリーズ『ちゃんと歩ける中山道六十七宿』


「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/e4a2e85f0dc68f937290bfe8bf6262fe
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b1d0973711e9866b4f99d681520c426b

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