中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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中秋の延暦寺参拝と比叡山ハイキング(3):きらら坂から一乗寺へ

2008年10月24日 09時18分09秒 | 南アルプス・西日本

                 <素晴らしい散策路:園光寺付近>

   中秋の延暦寺参拝と比叡山ハイキング(3):きらら坂から一乗寺へ
        (東海道五十三次宿場巡りの有志3人旅)
        2008年10月20日(月)(つづき)

<きらら坂を下る>


■きらら坂
 延暦寺参拝を終えた私達は,往路を下って,ケーブル比叡駅前の広場(標高702m)に到着する.ここから,きらら坂を経由して,叡山電車の修学院駅に出るつもりである. きらら坂の登り口にある案内板によると,きらら坂(雲母坂)は,平安時代に都(みやこ)と比叡山を結ぶ主要道路だったという.都から勅使が通ったことから,別名,勅使坂ともいわれる.法然上人,親鸞上人他,多くの名僧がこの坂を登ったという.また,南北朝の戦乱のときには,この坂で激しい戦いがあった古戦場でもある.
 「きらら」という名称は,この付近の花崗岩に含まれる雲母のきらきらした光から命名されたという.

■きらら坂の入口を探す
 私は,平素,登山やハイキングにでかけるときは,必ず2万5000分の1の地形図を準備しているが,今回は俄ハイキングのために,正確な地図を持ち合わせていない.手許のあるのは叡山電車が発行した『叡山電車のハイキング』というパンフレットだけである.この資料だけで歩くのは何とも心許ないが,今日は天気も良いし,一般向けのパンフレットに掲載されているコースなので大丈夫だろうと多寡を括る.
 ところが,ケーブル比叡駅広場から「きらら坂」に入る入口が何処にあるのかが分からない. 広場のベンチに座っている4人組の中年女性に聞いてみようかと思って, 「すみません・・・地元の方ですか・・?」
と声を掛けるが,首を横に振るだけで素っ気ない.
 近くのロープウェー駅で,観光客に,
 「間もなく,ロープウェーが発車します・・」
と大声を出している,ロープウェー駅の女性職員に伺う.
 多忙なのに親切に教えてくれる.感謝!

   <背の高い杉林が広がる>              <杉林の中を下る>

■すばらしい杉林
 きらら坂の下山口は,ロープウェー乗り場の直ぐ脇にある.
 12時33分に私達はきらら坂を下り始める.きらら坂に入ると,いきなり滑りやすい急な下り坂になる.道幅は狭く,下草が道の両側から繁茂していて,足元が良く見えない程である.
 先頭を行く同行者のお一人は,山道に馴れていないようである.屁っ放り腰になって,オッカナビックリの姿勢で降りていく.その姿を見て,少々心配になるが,まあ一般登山道なので大丈夫だろうと思う.
 下山をし始めると,左手前方に素晴らしい杉林が見え始める.下枝が刈り取られていて,スッキリと高く聳えた杉が行儀良く並んでいる.
 12時38分頃から,私達は手入れの行き届いた杉林の中を下り始める.
 針葉樹林帯には,私達を活性化させるフィトンチットが沢山あるという.綺麗に手入れされた森林の中を歩くのは,とても気持ちが良い.

■千種忠彰の碑
 杉林の中を,なだらかな下り坂が続く.杉の落ち葉を踏みながら,のんびりと坂を下り続ける.
 12時41分,「千種忠彰卿の碑」と書いてある立て札の前に到着する.ここで山道が分岐している.私達は指導標に従って,先へ進む.
 千種忠彰卿という方が,どんな人物かは,浅学非才の私には知るよしもないが,取りあえずは碑だけでも眺めておこうと思う.同行のお二人には先に行って貰い,とりあえず,千種忠彰碑(標高620m)の写真を撮るために,150メートルほど脇道に入る.(後日,インターネットで「千種忠彰」検索したが,まだ探せない.)
  
        <千種忠彰の碑>                                   <路傍の地蔵>

■切通と地蔵
 私は千種忠彰の碑の写真を撮った後,大急ぎで先行の2人を追いかける.相変わらず,杉林の中の下り坂が続く.下るにつれて,だんだんと下りの勾配がきつくなってくる.そして,道路は切通風に変わる.同行の1人が,
 「鎌倉の切通に似ていますね・・・」
と私に話しかける.なるほど・・・・
 13時00分,飛び出るようにして小さな広場に到着する.登山道脇に地蔵(標高530m)が祀られている.赤い帽子と袈裟が懸けられている.広場からは京都市内が見下ろせる.

■水飲対陣跡
 地蔵を過ぎて,再び切通風の下り坂を進む.勾配がだんだんと急になる.
 13時07分,水飲対陣跡(標高500m)に到着する.ここには大きな古い石碑が建っている.この場所の曰く因縁も,今の私には全く分からない.事前にもう少し調べておけば良かったなと思うが後の祭りである.

       <水飲対陣跡>                       <切通道>

■親鸞聖人御旧蹟
 ますます下り坂の勾配がきつくなる.人が1人,やっと通れるほどの狭い谷筋が続く.しかも,段差が大きい所が次々に現れる.先頭を行く山道に不慣れな男性が,戸惑いながら降りていく.
 進行方向右手には,境界にバラ線を張り巡らした宮内庁の用地が延々と続く.何のための用地か分からないが,随分と広いのでビックリする.
 私達は,飽きるほど長い下り坂を降りつづける.
 13時38分,音羽川上流の砂防ダムの脇を通って,きらら坂登山口(標高150m)に到着する.
 傍らに「親鸞聖人御旧蹟雲母坂」の案内板が建っている.
 
       <きらら坂入口>                       <親鸞聖人旧蹟>

<園光寺を経て一乗寺駅へ>

■きらら橋

 登山口からほんの100メートルほど下ると,「親鸞聖人御旧蹟」と彫られた石塔が建っている.直ぐその先の音羽川に架かる「きらら橋」の袂で暫くの間休憩を取る.
 先ほどの石塔に近寄ったとき,知らない間に,ズボンの裾や靴に草の種が大量に付着してしまった.何という草か分からないが,しつこく付着していて,種を一つひとつもぎ取るようにして取らないと,なかなか取り除けない.

                 <きらら坂の説明文>

■素晴らしい散策路
 13時52分,きらら橋から京都市内に向けて歩き出す.ここからは舗装道路である.概略図しか書いてないパンフレットを頼りに,この舗装道路を辿って,叡山電車の修学院駅に出ようと思う.
 なだらかな下り坂を進むと,次第に民家が立ち並び始める.
 ふと,道路脇の案内板を見ると「曼殊院」と書いた案内板がある.どうせ,私達は気儘な旅をしている.この案内板を見て,急に行き先を変える.とにかく曼殊院を一目見ようということになる.
 緑豊かな住宅街に静かな上り坂が続く.およそのところ南へ向かっているという程度のことしか分からないが,兎に角,歩いてみる.

                 <素晴らしい散歩道:曼殊院付近>

■曼殊院
 13時55分頃,前方にこんもりとした森が見え出す.道路の幅が広がって,数台のタクシーが駐車している.余り柄が良くない運転手が,社外に出て雑談をしている.どうやら曼殊院のようである.法事があるらしくて礼服を着た人達が10名ほど屯している.
 周囲の重苦しい雰囲気の中,少々気が引けるが,兎に角,曼殊院の入口まで行ってみる・・・が,拝観料500円也が惜しくて(ということにしておこう),中に入らずに,写真だけを撮って,早々に退散する.

                     <曼殊院>


                     <曼殊院門跡>

■西園寺
 次は園光寺を訪れたいと思うが,道順が分からない.まあ,西南の方向へ進めば何とかなると思う.兎に角,道なりに歩くが,何とも心許ない.途中でたまたま道掃除をしている女性に,園光寺へ行く道順を確かめる.
 適当に三叉路を左折する.山沿いの道をダラダラと進む.
 そろそろ紅葉が始まった樹木の下を通る素敵な道になる.傍らの池の水面に紅葉した枯れ葉が浮いている.私達は異口同音に,
 「うわあ~・・・素晴らしい所だな・・」
と感嘆の声を上げる.
 園光寺まで5分と書いた案内板がある.案内板の指示通りの道を進む.やがてお寺らしき建物が見えてくる.近付くと園光寺ではなく,西園寺である.正式には天台真盛宗帰命西園寺という.全く人気がないが,静かな凛としたお寺である.手入れの行き届いた庭の向こうに立派な本堂が見える.

                       <西園寺>

■園光寺
 西園寺を過ぎると,なだらかな登り坂になる.園光寺が近くなると,この寺を訪れる観光客の姿が見え始める.
 14時20分,私達も,何とか園光寺に到着する.正式には臨済宗南禅寺派瑞巌山園光寺という.開基は徳川家康.私達は静かに境内を垣間見てから先へ進む.

                       <園光寺>


                     <園光寺の説明文>

■宮本武蔵決闘の地
 土地不案内なので.どこをどう進んだらよいのか分からないが,兎に角,道なりに南下する.やがて,三叉路に突き当たる.三叉路を右折して街の方に下る.途中,詩仙堂に立ち寄りたいなと思ったが,もう大分時間も押している.それにまだ昼食も摂っていない. まあ何とか何処かへ出るだろうと思って,なだらかな下り坂を進む.
 やがて十字路に出る.十字路の真ん中に「宮本・吉岡決闘地」と書いた大きな石碑が建っている.私には曰く因縁は分からない.
 この道路を挟んで石碑の反対側に,京都の和菓子を販売している店がある.有名な店らしい.店に入る.なるほど,上品な和菓子類が揃っている.私達が品定めをしている間に,品の良いご婦人2人がタクシーで,この店に乗り付ける.
 結局,私は何も買わなかった.
 
     <宮本・吉岡決闘地>              <決闘地の説明文>

■叡山電車一乗寺駅
 14時43分に,和菓子屋を出る.
 辺りは賑やかな商店街になる.このまま真っ直ぐ,この商店街を進めば,いずれ叡山電車とぶつかることを確信する.
 所々に,飲食店がある.もう15時近いというのに,私達は,まだ,昼食を摂っていない.
 まあ,どこかで適当な店があったら入ろうと言っているうちに,14時41分,叡山電車一乗寺駅に到着する.
                              (つづく)
「中秋の延暦寺参拝と比叡山ハイキング」の前の記事
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