中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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三浦アルプス北尾根・二子山・長柄桜山古墳縦走(1)

2009年05月24日 20時09分55秒 | 関東・伊豆箱根・上信越

                     <田浦梅林からの眺望>

             三浦アルプス北尾根・二子山・長柄桜山古墳縦走(1)
                        (五十三次洛遊会有志ほか)
                        2009年5月21日(木)

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 五十三次洛遊会は,小田急トラベル主催「歩いて巡る東海道五十三次宿場巡り」参加者の有志が集まった同窓会である.今年1年は,とりあえず,FHこと私が企画する鎌倉巡りを月1回(夏場を除く),開催している.その内に,メンバーの中から,最近話題になっている三浦アルプスを,是非,歩いてみたいという要望があった.そこで,2009年5月21日(木),三浦アルプスを歩いたことのある私が,希望者を案内することになった.
 つい二日前までの天気予報では,当日の降水確率が40%を超えていた.これでは実施できないなと思っていた.ところが,土壇場で,予報が大きく変わり,最高の天気となる.その結果,予定通り三浦アルプス北尾根を堪能することができた.
 参加者は,総勢12名.一同,当初,予想していた以上に健脚揃い.私も大変ビックリ.さすがに東海道を完歩した方々は,足が強いなと感心させられた.
 私達は,JR田浦駅から歩き出して,田浦梅林,東尾根,北尾根,二子山(上),二子山(下),阿部倉山,葉桜団地,長柄桜山古墳,六代御前墓を経由して,JR逗子駅まで歩いた.
 登山終了後,大船まで移動し,大船駅構内のハーベストで懇親会を開催した.
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<登山地図>



<プロフィールマップ>


 水平歩行距離:10.2km
 累積登攀高度:666m
 累積下降高度:661m

■初めての山旅
 今回は,五十三次宿場巡りで一緒に汗を流した仲間達との初めて山行である.平らな所だけを歩いていた仲間が,山に目覚めて貰うのは大変嬉しい.とはいえ,たとえ五十三次を完歩したとはいえ,登山経験という点では,いささか心許ないところがある.
 私は,果たして安全,無事に,皆さんを案内できるか,大変気がかりである.参加者もかなり多そうである.そうなると,私1人では,何とも心許ない.
 そこで,これまで何回となく一緒に三浦アルプスを歩いている山仲間2人に,是非,一緒に歩いてくれないかと依頼した.その内の一人は,私に山の楽しさを教えてくれた古い山仲間,仙人である.この仙人とは,もう十年以上前から一緒に山旅を楽しんでいる.もう1人は,山旅スクール5期の自称トドさんである.お二人とも,このブログでしばしば登場する方々である.
 今回の参加者は五十三次洛遊会のメンバー9名,それに仙人,トドさん,私の合計12人の大所帯である.仙人とトドさんには,皆さんにいろいろご助言を頂くことにする.

■JR田浦駅から歩き出す
 全員,集合時間の10時に,JR田浦駅前広場に集合する.駅前は閑散としていて,ほとんど人が居ない.何となくノンビリとした雰囲気が漂っている.
 私が音頭を取って,山旅スクールで教わったストレッチを済ませる.そして,10時09分,まずは田浦梅林に向けて歩き始める.
 駅前から国道16号線に沿って,トンネルを潜る.そして,田浦郵便局前で国道16号線の陸橋を渡る.ここから,住宅街の路地に入る.
 かなり良いピッチで歩いて,10時26分,梅林入口に到着する.
 ここから,急な階段を登る.私は,繰り返し,皆に,
 「・・頑張らないでください・・・ゆっくり汗をかかないように登りましょう・・」
を繰り返す.平素,「頑張れ」といわれるのが普通の方々なので,「頑張らないで」には,かなりの違和感があるようだ.

■田浦梅林の展望台
 田浦梅林の尾根に出る.広場になっている.見晴が利く.涼風が広場を吹き抜けている.とても心地よい.梅林には,係員以外,全く人気がない.ダラダラと続く登り坂を進む.そして,10時46分,展望台に到着する.ここで,5分ほど休憩を取る.
 真夏を思わせるようなジリジリ太陽が,照っている.
 私は,今年になってから,すでに何回もここへ来ている.今更,展望台まで登る気がしないので,展望台の下で待つ.

<新緑の尾根道を行く>

■三浦アルプス東尾根
 10日54分,展望台を出発する.園内の散策路を進み,途中から山道に入る.下り坂をジグザグと降りて,横浜横須賀道路上の陸橋を渡る.そして,短い階段を登る.ここから,いよいよ本格的な山道になる.
 西へ向かう尾根に沿いの山道を進む.尾根は次第にヤセてくる.小さなコルを二つ越えると,目の前に三浦アルプス東尾根が迫ってくる.前回,5月4日に,ここを訪れたときには,東尾根は柔らかい新緑で覆われていたが,今日は,猛烈な緑の壁が立ちはだかっているように見える.目の前の緑の壁を見上げながら,
 「・・えぇ~っ!・・・あそこを登るんですか?」
と何人かがビックリしている.
 私は,登山学校で習ったことを,そのまま同行者に伝える.
 「・・・これから,東尾根の急坂に取り付きます.ガレとザレの急坂を登ります.ロープが取り付けられていますが,あまりロープを頼らないで・・・決して自分の体重をロープに掛けないで・・・あくまでも自分の足だけで体重支えてください.ロープは体勢の崩れを防ぐだけですよ・・・お尻を突き出さずに,上体を真っ直ぐたて,腰を落とし,斜面に足の裏をピッタリ付けて下さい.後の足で地面を蹴らずに登って下さい・・・」
と,くどいほど皆に注意する.誰かが,
 「・・ガレ,ザレって何ですか?」
と質問をしてくる.
 「・・汗をかくほど頑張ってはダメ.前の人と間隔を空けて,無理をしないで,ユックリ,ユックリ,落ち着いて・・・一歩,一歩,足元を見て慎重に・・・」
 私も必死である.一同,忠実に注意を守ってくれる.有り難い.
 こうして,11時20分,全員,無事に東尾根のリムに登リ終える.登り口の直ぐ横にある小さなコルの上で,5分ほど休憩を取る.
 このコルからの見晴は最高である.眼下に東京湾が見渡せる.野島,八景島も見えている.私が長い間お世話になった某大学のキャンパスも見えている.数人の方々が,たった今,登った坂道を振り返りながら,
 「・・・こんな凄い所を登るのかと,ビックリしました.でも,登れて嬉しいです・・」
と喜んでいる.

<東尾根に差し掛かる>


<コルで一休み>


<コルからの眺望>

■馬頭観音
 ここから暫くは,歩きやすい尾根道が続く.途中,地図読みの訓練に絶好の場所があるが,今回は私が先導して先に進む.一旦急坂を下って,鞍部を通過する.送電線の下を潜る.この辺りから,なだらかな谷の右岸沿いのトラバース道が続く.登山道の方向が北北西から西北西に大きく変わる.私達は,尾根に平行したトラバース道を,ノンビリと歩き続ける.
 「緑の中を歩くって,とても気持ちが良いですね・・・」
と誰かが喜んでいる.このような感想を聞くと,案内している私も嬉しくなるってくる.
 11時54分,馬頭観音のある三叉路に到着する.私達は右に曲がって,進路を北に向けて進む.
 馬頭観音前の三叉路一杯に,10名ほどの男子中学生の集団が車座になって,休憩を取っている.
 「飛んでもない所で休憩を取っているな.道路ぐらい開けて置けよ・・」
と私は内心で憤慨するが,気が弱いので,注意はしない.
 私達が通り過ぎようとすると,先生らしい50才がらみの男性が,
 「ここが馬頭観音,馬が通ったと道だよ・・・」
と頼みもしないのに,お説教調の大声で,聞こえよがしに,私達に説明を始める.
 私は,丹沢や鎌倉で,このような手合いから,ろくでもない注意や説明をシバシバ受ける.その大半が聞きかじりで,生半可である.私は内心で,「またか・・」と思いながらも,男性に軽く会釈をして通過する.

<馬頭観音>

■沼間大山で昼食
 12時02分,幅の広い稜線に出る.ここで三叉路になる.右に曲がると逗子市沼間方面へのエスケープルート.このルートに沿って,林の中のなだらかな道を北に向かう.ほんの3分ほど進むと,沼間大山緑地の丘の上に出る.途端に視界が開ける.ここで景色を眺めながら昼食を摂る.
 日差しが少し強いので,木陰に,三々五々,マットを敷いて,車座を作る.ここは鎌倉と違って,トンビの襲来もないので落ち着ける.ときどき周囲の林をそよ風が吹き抜ける.何とも心地がよい所である.周囲には私達以外誰も居ない.
 食事をしながら,四方山話を続ける.私が,一同に手渡した地図には,何本かのエスケープルートを書き入れてある.この「エスケープルート」という字を見た一同の中には,エスケープルートを固有名詞だと思っている人が居て,どうして同じ名前の場所が幾つもあるのかと私に質問する.
 私は「なるほど!」と新鮮な驚きを感じる.そして,自分が山登りを始めた頃のことを懐かしく思い出す.
 {・・・エスケープルートですか・・山に出掛ける前に,万一の時に,すぐ下山できるルートを必ず考えて置くんです.このルートのことです・・」
と説明する.
 雑談をしていると,女性の方々が,次から次へとチョコレート,お菓子,お饅頭などを配りはじめる.たちまちの内に,2日分ほどの非常食が集まる.私は,
 「・・私は何でも遠慮なく頂きます.胸の前に,
   『私は何でも食べます.よろしく』
って書いた看板をぶら下げておきたいほどです・・・」
と冗談を言う.
 正直な所,戦中戦後の食糧難の時代に成長期だった私達の世代は,口に入るものは何でも食べないと生きていけなかった.そんな経験が幸いしてか,私には食べ物の好き嫌いは全くない.口に入るものは何でも美味しく戴けるのである.

<沼間大山の広場>

                              (つづく)
「三浦アルプス」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/c3e39fc92d00b71c0fc1b8d5338bff42
「三浦アルプス」の続きの記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b75c499666d7dbf05d044f7abad48d44
「五十三次洛遊会」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/7a8ddf34d9f3df358e83e025ffb73985
「五十三次洛遊会」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b75c499666d7dbf05d044f7abad48d44



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