信州:小諸城趾(懐古園)逍遥
2007年10月25日(水)
■懐古園へ
上田城趾の紅葉を堪能した私は,しなの鉄道上田発13時18分の列車に乗車。13時35分に小諸駅に到着する。1年ぶりの小諸訪問である。相変わらず駅前は閑散としている。上田よりも,さらに寂れてしまった街並みを見ると心が痛む。
夕方には,小諸駅から徒歩で7~8分のところにある弟の家に入りたい。それまでの僅かの間に,どこを見物しようかと少々迷う・・・が,結局は小諸城趾つまり懐古園を一回りすることに決める。
駅前から懐古園の方に抜ける大きな跨線橋を渡ることにする。跨線橋の前の案内板の前で,旅行者らしい老夫婦が迷っている。お節介な私は,少々気の毒になり声を掛ける。
「どちらを廻られる予定ですか・・? 私はこれから懐古園を一回りしますが,もし懐古園に行かれるのでしたら,入口までご案内しますよ・・・・」
この老夫婦は,所用があって,鹿児島県から静岡県まで出てきたという。その序でに,信州の上田(塩田平)と小諸の懐古園を訪問。今夜は小諸に宿泊し,明日は草津へ抜けるとのことである。
元小諸市民の私は,老夫婦がわざわざ小諸を選んでくれたことに,とても感動してしまう。
■藤村記念館
このブログで何回も自己紹介したように,私は小諸の産である。いろいろな因縁があって,私は小諸市に若干の固定資産税を支払っている。小諸市では,小諸市に固定資産税を支払っている人を対象に懐古園園内散策優待券を配布している。優待券1枚で5名まで,格安な料金で入園できる。私1人で1枚の優待券を使ってしまうのは勿体ないので,この老夫婦に私と一緒に遊園するように薦める。
結局,この出合が縁で,2時間ほど,私が懐古園を案内することになる。正に一期一会である。
14時10分頃,三の門を潜って懐古園に入る。
この三の門は,寄木造りの二層城門で,元和元年(1615年)に創建され,明和2年(1765年)に再建された国指定重要文化財である。
まずは藤村記念館を訪れる。途中,古城の石垣沿いに,小諸義塾塾長木村熊二のレリーフの前を通過して,忠魂碑の前に出る。戦争中,この忠魂碑を何度となく参拝した記憶が甦る。
<藤村記念館>
忠魂碑から先へ進むと,巨木が生えている。小学生の頃,この木を良く写生したものである。その傍らに藤村記念館がある。私の母方の祖父もバックに写っている古いセピア色の写真が飾られている。この写真を見ると,何となくこそばゆい気分になってくる。序でながら,つい先日,この母方の従兄弟が他界した。私と同じ年齢である。従兄弟に先立たれた寂寥感が私の胸に突然沸いてくる。
■鹿島神宮
何となくしおたれた気分で藤村記念館を後にする。天守閣跡の石垣を過ぎて,地獄谷を越え,鹿島神宮に到着する。
以前,このブログでも紹介したように,この鹿島神宮は,もともと小諸駅前にあった。もう当時の記憶は薄らいでしまったが,鄙びた駅を降りると目の前に崖があった。その崖の上に鹿島神宮があった。戦争中,私達,国民学校生は定期的に鹿島神宮を掃除した後,神社に参拝し,宮城遙拝をしていた。
<鹿島神宮> <郷土記念館>
あの頃の小諸は,情緒豊かな素晴らしい街だったような気がする。戦後まもなく,この古い駅は,現在の駅に建て替えられた・・・と,言っても,現在の駅は,もう十分古くなってしまった。そして,鹿島神宮が現在の場所に移転した跡地には,都会的ではあるが,何となく古い街並みにはそぐわない繁華街が誕生した。
今の鹿島神宮を参拝しながら,終戦当時のことを沸々と思い出してくる。
同伴の老夫婦に,
「昔,この鹿島さんは,駅前にあったんですよ・・・」
と感慨を含めて説明する。
それを切っ掛けに,雑談に花が咲き,この老夫婦のご主人の方が,私と同じ年齢だと分かる。私達は,暫くの間,戦争中の苦労話に夢中になる。
■小山敬三美術館
鹿島神宮参拝を済ませて,私達は小山敬三美術館を訪れる。私は,何時も,心が躍るような気分で,この美術館を訪れている。小山敬三の躍動感溢れる浅間山の絵を見ていると,心底から力が沸いてくる。私は,同行の老夫婦に,
「どうですか! この浅間山の躍動感! 後で浅間山が良く見えるところへ案内しますが,本当の浅間山と,この絵に描かれている浅間山は,確かに形は違っていますよ・・・でも,これらの絵は浅間山の本当の姿を心憎いほど良く表現していますよ・・」
私は絵の素人ながら,興奮気味に,これらの絵から自分が得た心象を吐露する。
「この紅い浅間山! 凄いでしょ! 麓には怪しい雲が沸き上がっています。西日を浴びて浅間山が紅に燃え上がっています。多分,西風が吹いているんでしょう。軽井沢側には雲が湧いて,風に流されていますよ・・・」
私は,数枚の絵の前に立ちすくんで,独断的な心象を一気にまくし立てる。老夫婦には,さぞかし迷惑なことだったろう。でも,この絵の前に立つと,私はどうしても饒舌になってしまう。
帰りしなに,浅間山2枚,肖像画1枚の絵はがきを購入する。浅間山の怪しくて,ドキドキするような落ち着けない美しさに,私は何時も虜になってしまう。それに,この肖像画で描かれている女性,何とも美しい。綺麗な筆のタッチに惚れ込む。この絵のモデルは小山敬三のお嬢さんだという。
私は絵のことになると,何時も饒舌になってしまう。でも,この辺りで,無駄なお喋りは止めることにしよう。
こんな素敵な絵が描けたら,さぞかし楽しいだろうな・・・と,叶えられない夢を見ながら小山敬三美術館を後にする。
<紅浅間:1956年>
<浅間山夕月>
<ブルーズ・ド・ブルガリイ,1948年>
■郷土博物館
小山敬三美術館のすぐとなりにある郷土博物館を訪れる。屋上に登って,北側に聳える高峰山,黒斑山,牙山(ぎっぱやま),前掛山,剣ヶ峰連山を眺める。今日は雲ひとつない快晴である。
<郷土博物館> <寅さん記念館>
山麓が紅葉しているのが良く見える。うす紫色の連山が,夕日を浴びて輝いて見える。
「あそこに見えるのが,先ほど小山敬三画伯が描いた浅間山ですよ・・・ご覧頂くと分かるように絵に描かれた山の形は,大分デフォルメされていますが,私には,心象的にあの山の本当の姿を描ききっているように思えるんですよ。だから,小山敬三の浅間山の虜になってしまうんです・・・」
と,私は,まだ興奮気味に,老夫婦に語りかける。
<郷土博物館屋上からの浅間山連峰>
※左から黒斑山,牙山,前掛山,剣ヶ峰
■寅さん記念館
次いで,郷土博物館の隣にある寅さん記念館に入ろうと思う。
建物の中に入ろうとすると,入館料が500円だという。途端に,気分が悪くなる。同伴の老夫婦に,「どうぞ・・・」と勧めるが,寅さんは見なくても良いというので,ここはパス。
■藤村記念碑
往路を戻り,地獄谷を越えて,藤村記念碑の前に到着する。碑には,
小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
・・・・・・
で有名な「千曲川旅情のうた」が刻まれている。
千曲川
いざよう波の
岸近き宿に泊まりて
濁り酒,濁れる飲みて
・・・・・・・・・
注)並木張,1990,『島崎藤村と小諸-神津猛の友情をめぐって』千曲川文庫16,pp.176-200.に詳しい経緯が掲載されている。
<藤村記念碑> <水の手展望台からの千曲川>
■水の手展望台からの千曲川俯瞰
藤村碑の直ぐ南にある水の手展望台に登る。数名の先客がいる。ここから西を眺めると,布引観音のある断崖に向かって千曲川が流下しているのが良く見える。クネクネと流れる千曲川に西日が川面で反射して輝いている。
眼下には中部電力の発電所が見える。この発電所が千曲川の風景を損ねているように思える。
■馬場で菊の展覧会
私達は,今来た道を引き返して,馬場に入る。折から菊の展覧会が開催されている。見事な菊が沢山展示されている。私は菊そのものにはそれ程興味はないが,老夫婦が熱心に菊を観賞している。
菊の展覧会会場を斜め見した後,本丸跡を見学する。自然の丸石を積み重ねて作った階段から城壁に登り,天守台に到着する。昔は,この天守台から浅間連峰が良く見えたが,今は樹木が大きくなって,全く見えなくなってしまった。
<懐古神社>
<懐古神社> <鏡石>
■富士見台から動物園へ
再び馬場に降りる。富士見台まで行ってみるが,遠くが霞んでいて,残念ながら富士山は見えない。
<富士見台からの展望> <動物園のライオン>
※空気が澄んでいれば富士山が見える。
白鷺橋を渡って,動物園に入る。小規模な動物園だが,意外に多種類の動物が飼育されているのに驚く。
■老夫妻とお別れ
16時10分に小諸駅に戻る。ここで老夫妻ともお別れである。
「どこかでお茶でも飲みませんか・・・」
と誘われるが,お互いに名前も名乗らずに,お別れするのも,正に一期一会。折角のお誘いだったが,私は固辞する。
「お互いに元気で過ごしましょう・・・また,どこかでお会いできれば幸いです」
と挨拶を交わしてお別れする。
■夕方弟の家に到着
駅前の相生町は登り坂の繁華街である。あまり人通りのない坂道を,ノンビリと登り続ける。そして,市役所前の道を右折する。
16時25分,弟の家に到着する。
いよいよ明日,弟と一緒に浅間山山頂まで登る予定である。
(つづく)