信州:上田城趾逍遥
2007年10月24日(水)
■突然旅が始まる
小諸在住の弟から,25日(木)に浅間山へ登らないかと誘われる。それならば,前日の今日(24日)に,懐かしい上田の街を訪れようと急に思い立つ。
東海道本線と長野新幹線を乗り継いで,10時52分,上田駅に到着する。
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私は,第二次世界大戦(大東亜戦争と言った方が馴染みやすいが・・)末期の1945年に旧制上田中学に入学した。その後,学制改革によって,上田中学は上田中学併設中学校に変り,さらに上田松尾高校(現上田高校)に変わった。旧制の中学を4年で卒業して,旧制高校に入りたいと思っていた私は,終戦後のゴタゴタの間に,図らずも同じ学校に6年間も通うことになった。
そんな関係で,自宅のある小諸から,信越本線に乗って,上田までの間,6年もの長い間,汽車通学をしていた。私にとって,上田は,いわば第二の故郷である。
■松尾町
私達を乗せた列車が上田駅に到着すると,列車から沢山の学生がドッと降りる。ホームから跨線橋を渡って改札口に向かうと,登り坂の松尾町を道幅一杯になって登っていく学生の後ろ姿が見える・・・そんな毎朝の情景が未だに瞼に焼き付いている。
あの頃の街に比較すると,今,目の前の上田の街は随分とハイカラになってしまった。道幅が広がった松尾町は,鄙びた印象は全くなくなり,清潔で綺麗な通りになっている。昔の印象より大分緩やかな上り勾配の街を少し登って,適当なところで左折する。
■上田高校の門
露地を200メートルほど入ったところに神社がある。そこから少し進んだところで適当に右折する。すると,見覚えのある城壁沿いのお堀端に出る。ここが,6年間通った上田高校である。私が通っていた頃に比較すると,この辺りは随分と綺麗に整備されている。
<上田高校正門> <上田藩主屋敷門と掘跡>
見覚えのある大きな城門が健在である。昔,この城門には,多分「長野県上田中学」と書いてあると思われる年代物の大きな門札がぶら下がっていたが,今は白い字で「長野県上田高等学校」と書いた門札がぶら下がっている。
お堀端には「上田藩主は指揮門と掘跡」と書いた案内杭が建っている。近くには説明文を記した案内板が2枚ある。この案内板を読んでいると,私の後から来た数名の観光客が興味深げに堀を覗き込んでいる。
<上田藩主屋敷の白壁> <明倫堂跡>
■上田城趾へ
上田高校の北側にある市役所の敷地を横切って,第二中学校の前を通過する。ここは,1813年に設立された上田藩文武学校明倫堂の跡地である。私が上田中学校に通っていた頃,ここは,多分,小学校だったと思うが定かではない。
<上田城趾入口:太郎山が見える> <上田公園入口近くの広場>
ここからほんの数分,西へ歩くと上田城祉の入口に到着する。信号機のある大きな道を横切ると,昔,上田電鉄真田線が走っていた線路跡に架かる橋に出る。この橋の上から,電車が通るのを見下ろしていた記憶がある。今,線路跡は静かな散策路になっているようである。
橋を渡ると庭園風の広場になっている。庭園の木々が,見事に紅葉している。沢山の市民が訪れている。私も市民に混じって,道なりに広場を散策する。
■上田出身碩学の像
11時35分,二ノ丸に到着する。石垣を登って,二ノ丸の中に入ろうと思ったが,登山靴を脱ぐのが面倒なので,中には入らずに,石垣を下ってしまう。
<二の丸> <招魂社>
二ノ丸の近くにある真田神社を参拝してから,さらに西へ向かう。お堀を越えると「やすらぎ広場」に到着する。正面には植物園,お堀に沿って広場がある。近所にお住まいのお年寄りと思われる方々が,付添の方達と一緒に,日向ぼっこをしている。私は軽く会釈をして通り過ぎる。
<真田神社> <やすらぎ広場>
お堀に沿って歩く。
11時52分に赤松小三郎像の前に到着する。どうやら上田出身の碩学のようだが良く分からない。続いて,小河滋次郎博士,山極勝三郎博士の像の前を通過する。小河博士は「監獄学」の権威,山極博士は「ガン研究」の草分けのようである。何れも上田の出身である。
<綺麗な秋の花壇> <小河滋次郎博士像>
■山本鼎記念館と上田市立博物館
11時57分,山本鼎記念館に入館する。山本鼎の人物画,風景画などが沢山展示されている。ゆっくりと見学する時間がないので,館内を斜めに見て,12時09分,外に出る。
12時10分,近くにある上田市立博物館に入る。ここも館内を斜めに見て,12時17分に博物館を後にする。博物館の中には島村抱月の写真や,戦後発行された新円札など興味深い出し物が目にとまった。
<上田城のお堀> <美しい紅葉>
<山本鼎記念館>
■ケヤキ並木
12時21分に,城址公園入口にある「ケヤキ並木」に戻る。堀割を下ると,上田電鉄の線路跡を利用した「ケヤキ並木」道に出る。道の両側には大きなケヤキが並んでいる。素晴らしい散策路である。
<ケヤキ並木>
散策路をユックリと下り,メガネ橋付近で公園入口に戻る。市役所前の通りを経て,上田駅に戻ることにする。
途中,「石井鶴三美術館」という看板が眼に付く。小さな美術館だが魅力的である。ただ,今日中に小諸に戻って懐古園を一周したいと思っている。残念ながら,この美術館の見学は省略してしまう。
■味噌豚丼
市役所を通り越して,ほんの少し進んだところにある交差点を右折して,ふたたび松尾町に戻る。商店街を眺めながら上田駅に向かって坂道を下る。
12時44分に上田駅に到着する。しなの鉄道小諸行列車の発車時刻までは,少々時間がある。そこで駅ビル1階にある食堂「ゆう杉」で,この店のお薦め「味噌豚丼」を賞味する。店内は,山小屋風で凝っている。純日本風の内装だが,なぜか不釣り合いなシャンデリアが何台か天井からぶら下がっているのが気になる。
肝心の「味噌豚丼」は,なかなか美味。
<味噌豚丼> <ゆう杉>
■しなの鉄道で小諸へ
しなの鉄道上田発13時18分小諸行に乗車する。3両編成の快速電車である。上田から大屋,田中,小諸の順に停車する。快適な電車である。乗客が少ないので,4人掛けボックス席を1人で占有する。
車窓から,昔,汽車通学をしていたときに毎日眺めていた風景とダブらせながら,外の風景を楽しむ。
上田を出て国分寺跡を過ぎる頃,上田丸子電鉄が頭の上を通り越して,大屋まで信越本線と並行して走っていた。ときには,信越線の列車と上田丸子電鉄の電車が競争するように併走することもあった。そんなときは,「電車に負けるな」と自分が乗っている信越線を応援していたことを懐かしく思い出す。
田中の前は,S字形で1000分の25の急勾配を,蒸気機関車が喘ぎながら登っていたが,線路が付け変わっているのか,線路がS字形になっているのか良く分からない。今は平地と変わらない速度で,軽快に電車は登っていく。
13時35分に小諸駅に到着する。
(つづく)