鎌倉;源氏山公園ぶらり散策
(単独散策)
2007年7月19日(木)
■私は憂鬱
今日のflower-hillは,少々不安である。何故ならば,丁度一週間前に,梶原の「とある病院」で受診した「人間ドック」の結果が,今日,分かるからである。平素,山登りをしているので,体力はそれなりにキープしているだろうとは思うが,それ以外は,年相応に,彼方此方にガタきているなと,自覚しているからである。
私は,9時過ぎに病院へ行く。平素,歯医者以外の病院へ行ったことがない私は,病院の玄関を入った途端に,心臓が高鳴る。あの一種独特の病院の雰囲気に息苦しくなってしい,緊張でガチガチになる。待合室には沢山の患者が順番待ちをしている。老人の方が多い。何となく場違いな感じがして,居心地が良くないが,シオシオと長イスに座って,順番を待つ。
検査結果は,まあ,まあ。自分の年齢を考えると,「これで良し」としなければならない程度の健康状態である。ただ問題は胆石である。自覚症状はないものの,超音波の検査で,どうやら胆石が体内に鎮座しているようである。このような胆石のことを「静かな石(silent stone)」と言うらしい。何となく素敵な名前に聞こえるが,不発弾を抱えているような気がして不安である。私が,
「どうしたら良いんでしょう・・・」
と聞くと,
「ほっときなさい・・・!」
と突き放したようなことを言う。要するに症状が出たら手当をするということらしい。
■源氏山公園へ
10時過ぎに病院を出る。検査結果を聞いたので,まずは一安心。そうなると気分も高揚してくる。それに,今日は,またしても霧雨という天気予報が外れて,薄日すら射しはじめている。まだ,北の高気圧の影響が残っているためか,この時期にしては意外に涼しい。
人間ドックの結果を聞いて,多少気分的に楽になった私は,このまま家に帰ってしまう気にならない。そこで,少し回り道をしようと思い立つ。
私は梶原から源氏山公園に向かう。桔梗山山麓の谷間をブラブラと登る。例によって綺麗な花を見付けると,その鼻を何となくデジカメに収める。坂を登りきって化粧坂近くの尾根道に出る。ここは深い緑に覆われていて,何時も涼しい海風が吹いているところである。私の知る限りでは,夏場の鎌倉で一番居心地の良いところだと思う。ここで一休み。

<化粧坂付近の涼しい峠道> <裏から見た源頼朝像>
今はシーズンオフなのだろうか,源氏山公園を散策している人は殆ど居ない。広場の中央に建つ頼朝像を,後に回り込んで,しげしげと見上げる。まだ,この像ができない前,この辺りは綺麗な芝生が一面に広がっていた。今は一端の子持ちになっている私の息子や娘達が小さかった頃,ここの芝生で子供達と良く遊んだ・・・あの頃のことをセピア色に懐かしく思い出す。このようなことを書くと不謹慎かもしれないが,一面の芝生で覆われていた頃の方が,なまじ整備されてしまった今の源氏山公園より,ずっと良かったなと思う。
頼朝の像の脇に2000年に埋められたタイムカプセルがあるようだ。このタイムカプセルを開けるのは2050年らしい。何が入っているか知らないが,一寸気になる。2050年では私はとっくにあの世へ行っているので,中身が何でも,どうでも良いことだが・・・

<2000年のタイムカプセル>
■夏草に覆われた大田道灌の墓
源氏山公園を抜けて英勝寺の裏山へ抜ける。バラ線の柵越しに英勝寺の墓地が見える。その一角に,猛々しく生え茂る夏草に埋もれてしまいそうな石の塔場が建っている。そこには「了得院殿」と刻字されている。浅学の私には,どなたのお墓なのか良く分からないが,多分,高貴な方のお墓に違いないと思う。道を挟んで反対側には半ば朽ちてしまった大田道灌の墓がある。ここにも夏草が繁茂していて見るも哀れな姿になっている。ここを通るたびに,何とか保存できないものかと心が痛む。

<了得院殿の墓> <大田道灌の墓>
■静かな寿福寺境内
久々に寿福寺の境内に入る。運良く今は観光客が誰も居ない。辺りは静まりかえっている。塔場の間に美しい花が咲いている。その先のヤグラ群にある北条政子などの供養塔をユックリと見学する。
墓地入口近くにあるトンネルに向かう。丁度そのとき,20名ほどの修学旅行の小学生が賑やかに墓地に入ってくる。私は押し出されるようにして,墓地を後にする。そして,刀稲荷の脇を通り抜けて,横須賀線の踏切を渡る。

<静かな寿福寺境内>
■古本屋で・・・
成り行きで,小町通の角の古本屋に入る。私はかなり頻繁にこの古本屋に顔を出すので,店主も何となく私の顔を覚えている。私は,書棚の下にしゃがみ込んで,古本を眺める。そして,出来心で,1980年代前半に出版されたジョンナイスビット著『メガトレンド;われわれの生活を変革する新しい10のトレンド』(Naisbitt, John, 1982, “Megatrends: Ten New Trends Transforming Our Lives”, Warner Books)を100円で購入する。

<古本屋で買った本> <寿福寺付近の綺麗な花>
私が英文の本を購入すると,店主が,
「こっちにも英語の本が沢山ありますよ・・・」
と店の奥に私を誘導する。でも,大半の本が小説の類だったので興味が湧かない。
■1980年代に戻る
買ったばかりの本を拾い読みしながら,小町通を駅に向かう。本の内容が面白そうなので,またまた出来心で,鎌倉駅前にある喫茶店「ルノアール」に入り込む。ここで,コーヒーではなく紅茶を注文する。紅茶を飲みながら,今買ったばかりの古本を拾い読みする。
ちなみに,J.ナイスビットによると,「新しい時代の10のトレンド」は(訳すのが面倒なので英文のまま),
1. Industrial Society→Information Society
2. Forced Technology→High Tech/High Touch
3. National Economy→World Economy
4. Short Term→Long Term
5. Centralization→Decentralization
6. Institutional Help→Self-Help
7. Representative Democracy→Participatory Democracy
8. Hierarchies→Networking
9. North→South
10. Either/Or→Multiple Option
の10項目だそうである(この内9.だけはアメリカ国内での話)。
著者は,この本の中で,盛んに日本のことを取り上げている。確かに当時の日本の製造業のめざましい活躍が,アメリカで一世を風靡したリエンジニアリングブームの火付け役になったことは確かである。
私はこの10項目を眺めながら,1980年代から1990年代のことを懐かしく思い出した。今から考えると,こんな単純な構造で未来を論じるのは,とても楽天的で皮相的な印象を受けるが,それはそれとして,如何にもアメリカ人らしい割り切り方に快感すら覚える。それに,あのバブル崩壊以後の混沌とした世相や,テロリズムなど,当時全く予想していなかった物事がこの世の方向を左右していることに改めて驚かされる。
余談だが,ハーマーカーンの著書を読んだときも,今回と同じような印象を受けた・・・さらにはあのローマクラブの指摘は一体何だったのだろうか(私は素人なので,ここではいい加減なことを書くが・・・)。ローマクラブ(訳),1972『成長の限界』ダイヤモンド社を読み直してみると,「アレ,アレ,・・・マア!」という気分になる。
こんなことを,これ以上,グダグダとこのブログで記述しつづけるのは馴染まないが・・・・兎に角,昼食も摂らずに,ルノアールで長時間過ごしてしまった。
■散歩は止めた
紅茶を飲んでいる内に,これ以上散策を続ける気もなくなった。鎌倉市役所前から鎌倉中央公園行のバスに乗って帰宅した。
帰宅後,改めて人間ドックの検査結果を眺める。
以前の私は,1日に10杯以上のコーヒーを飲んでいた。特に家にいると絶え間なくコーヒーを飲んでいた。これが災いしてか,昨年までの健康診断では,自覚症状がないものの常に「胃炎」だと診断されていた。あれから1年。私は強い意思で,「コーヒーは1日1杯以下」に押さえてきた。その代わりに,せいぜい1~2杯の紅茶(時には薄目のコーヒー)しか飲まないようにして,毎日を過ごしていた。
その結果,1年経った今回の健康診断では,長い間,指摘され続けてきた「胃炎」が,どうやら正常に戻っていた。最初はコーヒーを飲まないと口元が寂しくて困った。でも,“禁コーヒー”を続けている内に,そんな気分もいつの間にか消えていた。コーヒーも程々にしないといけないというのが実体験である。
普通の方からバカにされるかもしれないが,私はテレビの「水戸黄門」を見るのが好きである。今日もテレビの「水戸黄門」の時間までに,家に帰れたので満足である。
“人生苦もありゃ~,楽もある~う。くじけりゃ・・・”
の歌で始まる「水戸黄門」の超マンネリが私にはとても居心地が良いのである。
こうしてサンデー毎日の1日が終わった。めでたし,めでたし。
(おわり)
(単独散策)
2007年7月19日(木)
■私は憂鬱
今日のflower-hillは,少々不安である。何故ならば,丁度一週間前に,梶原の「とある病院」で受診した「人間ドック」の結果が,今日,分かるからである。平素,山登りをしているので,体力はそれなりにキープしているだろうとは思うが,それ以外は,年相応に,彼方此方にガタきているなと,自覚しているからである。
私は,9時過ぎに病院へ行く。平素,歯医者以外の病院へ行ったことがない私は,病院の玄関を入った途端に,心臓が高鳴る。あの一種独特の病院の雰囲気に息苦しくなってしい,緊張でガチガチになる。待合室には沢山の患者が順番待ちをしている。老人の方が多い。何となく場違いな感じがして,居心地が良くないが,シオシオと長イスに座って,順番を待つ。
検査結果は,まあ,まあ。自分の年齢を考えると,「これで良し」としなければならない程度の健康状態である。ただ問題は胆石である。自覚症状はないものの,超音波の検査で,どうやら胆石が体内に鎮座しているようである。このような胆石のことを「静かな石(silent stone)」と言うらしい。何となく素敵な名前に聞こえるが,不発弾を抱えているような気がして不安である。私が,
「どうしたら良いんでしょう・・・」
と聞くと,
「ほっときなさい・・・!」
と突き放したようなことを言う。要するに症状が出たら手当をするということらしい。
■源氏山公園へ
10時過ぎに病院を出る。検査結果を聞いたので,まずは一安心。そうなると気分も高揚してくる。それに,今日は,またしても霧雨という天気予報が外れて,薄日すら射しはじめている。まだ,北の高気圧の影響が残っているためか,この時期にしては意外に涼しい。
人間ドックの結果を聞いて,多少気分的に楽になった私は,このまま家に帰ってしまう気にならない。そこで,少し回り道をしようと思い立つ。
私は梶原から源氏山公園に向かう。桔梗山山麓の谷間をブラブラと登る。例によって綺麗な花を見付けると,その鼻を何となくデジカメに収める。坂を登りきって化粧坂近くの尾根道に出る。ここは深い緑に覆われていて,何時も涼しい海風が吹いているところである。私の知る限りでは,夏場の鎌倉で一番居心地の良いところだと思う。ここで一休み。


<化粧坂付近の涼しい峠道> <裏から見た源頼朝像>
今はシーズンオフなのだろうか,源氏山公園を散策している人は殆ど居ない。広場の中央に建つ頼朝像を,後に回り込んで,しげしげと見上げる。まだ,この像ができない前,この辺りは綺麗な芝生が一面に広がっていた。今は一端の子持ちになっている私の息子や娘達が小さかった頃,ここの芝生で子供達と良く遊んだ・・・あの頃のことをセピア色に懐かしく思い出す。このようなことを書くと不謹慎かもしれないが,一面の芝生で覆われていた頃の方が,なまじ整備されてしまった今の源氏山公園より,ずっと良かったなと思う。
頼朝の像の脇に2000年に埋められたタイムカプセルがあるようだ。このタイムカプセルを開けるのは2050年らしい。何が入っているか知らないが,一寸気になる。2050年では私はとっくにあの世へ行っているので,中身が何でも,どうでも良いことだが・・・

<2000年のタイムカプセル>
■夏草に覆われた大田道灌の墓
源氏山公園を抜けて英勝寺の裏山へ抜ける。バラ線の柵越しに英勝寺の墓地が見える。その一角に,猛々しく生え茂る夏草に埋もれてしまいそうな石の塔場が建っている。そこには「了得院殿」と刻字されている。浅学の私には,どなたのお墓なのか良く分からないが,多分,高貴な方のお墓に違いないと思う。道を挟んで反対側には半ば朽ちてしまった大田道灌の墓がある。ここにも夏草が繁茂していて見るも哀れな姿になっている。ここを通るたびに,何とか保存できないものかと心が痛む。


<了得院殿の墓> <大田道灌の墓>
■静かな寿福寺境内
久々に寿福寺の境内に入る。運良く今は観光客が誰も居ない。辺りは静まりかえっている。塔場の間に美しい花が咲いている。その先のヤグラ群にある北条政子などの供養塔をユックリと見学する。
墓地入口近くにあるトンネルに向かう。丁度そのとき,20名ほどの修学旅行の小学生が賑やかに墓地に入ってくる。私は押し出されるようにして,墓地を後にする。そして,刀稲荷の脇を通り抜けて,横須賀線の踏切を渡る。


<静かな寿福寺境内>
■古本屋で・・・
成り行きで,小町通の角の古本屋に入る。私はかなり頻繁にこの古本屋に顔を出すので,店主も何となく私の顔を覚えている。私は,書棚の下にしゃがみ込んで,古本を眺める。そして,出来心で,1980年代前半に出版されたジョンナイスビット著『メガトレンド;われわれの生活を変革する新しい10のトレンド』(Naisbitt, John, 1982, “Megatrends: Ten New Trends Transforming Our Lives”, Warner Books)を100円で購入する。


<古本屋で買った本> <寿福寺付近の綺麗な花>
私が英文の本を購入すると,店主が,
「こっちにも英語の本が沢山ありますよ・・・」
と店の奥に私を誘導する。でも,大半の本が小説の類だったので興味が湧かない。
■1980年代に戻る
買ったばかりの本を拾い読みしながら,小町通を駅に向かう。本の内容が面白そうなので,またまた出来心で,鎌倉駅前にある喫茶店「ルノアール」に入り込む。ここで,コーヒーではなく紅茶を注文する。紅茶を飲みながら,今買ったばかりの古本を拾い読みする。
ちなみに,J.ナイスビットによると,「新しい時代の10のトレンド」は(訳すのが面倒なので英文のまま),
1. Industrial Society→Information Society
2. Forced Technology→High Tech/High Touch
3. National Economy→World Economy
4. Short Term→Long Term
5. Centralization→Decentralization
6. Institutional Help→Self-Help
7. Representative Democracy→Participatory Democracy
8. Hierarchies→Networking
9. North→South
10. Either/Or→Multiple Option
の10項目だそうである(この内9.だけはアメリカ国内での話)。
著者は,この本の中で,盛んに日本のことを取り上げている。確かに当時の日本の製造業のめざましい活躍が,アメリカで一世を風靡したリエンジニアリングブームの火付け役になったことは確かである。
私はこの10項目を眺めながら,1980年代から1990年代のことを懐かしく思い出した。今から考えると,こんな単純な構造で未来を論じるのは,とても楽天的で皮相的な印象を受けるが,それはそれとして,如何にもアメリカ人らしい割り切り方に快感すら覚える。それに,あのバブル崩壊以後の混沌とした世相や,テロリズムなど,当時全く予想していなかった物事がこの世の方向を左右していることに改めて驚かされる。
余談だが,ハーマーカーンの著書を読んだときも,今回と同じような印象を受けた・・・さらにはあのローマクラブの指摘は一体何だったのだろうか(私は素人なので,ここではいい加減なことを書くが・・・)。ローマクラブ(訳),1972『成長の限界』ダイヤモンド社を読み直してみると,「アレ,アレ,・・・マア!」という気分になる。
こんなことを,これ以上,グダグダとこのブログで記述しつづけるのは馴染まないが・・・・兎に角,昼食も摂らずに,ルノアールで長時間過ごしてしまった。
■散歩は止めた
紅茶を飲んでいる内に,これ以上散策を続ける気もなくなった。鎌倉市役所前から鎌倉中央公園行のバスに乗って帰宅した。
帰宅後,改めて人間ドックの検査結果を眺める。
以前の私は,1日に10杯以上のコーヒーを飲んでいた。特に家にいると絶え間なくコーヒーを飲んでいた。これが災いしてか,昨年までの健康診断では,自覚症状がないものの常に「胃炎」だと診断されていた。あれから1年。私は強い意思で,「コーヒーは1日1杯以下」に押さえてきた。その代わりに,せいぜい1~2杯の紅茶(時には薄目のコーヒー)しか飲まないようにして,毎日を過ごしていた。
その結果,1年経った今回の健康診断では,長い間,指摘され続けてきた「胃炎」が,どうやら正常に戻っていた。最初はコーヒーを飲まないと口元が寂しくて困った。でも,“禁コーヒー”を続けている内に,そんな気分もいつの間にか消えていた。コーヒーも程々にしないといけないというのが実体験である。
普通の方からバカにされるかもしれないが,私はテレビの「水戸黄門」を見るのが好きである。今日もテレビの「水戸黄門」の時間までに,家に帰れたので満足である。
“人生苦もありゃ~,楽もある~う。くじけりゃ・・・”
の歌で始まる「水戸黄門」の超マンネリが私にはとても居心地が良いのである。
こうしてサンデー毎日の1日が終わった。めでたし,めでたし。
(おわり)