
<夕暮れのチチカカ湖>
ペルー周遊記(26):第7日目(3): プーノへ(2)
2008年7月7日(火)(つづき)
<チチカカ湖を目指して>
■立派な舗装道路
ララヤ峠(Abra La Raya)で一休みしたわたしたちは,11時59分,専用バスに乗り込んで出発する.
峠を越えると下り坂になる.今度はララヤ川に沿って下る.辺りは緑がほとんどない荒涼とした原野である.
12時19分,サンタロサ(Santa Rosa)を通過する.進行方向左手の平野には10数軒の民家が,バラバラと並んでいる.ララヤ峠を越える前と後では,何となく雰囲気が変わっている.
荒涼とした原野の中に立派な舗装道路が延々と続いている.アレックスの説明によると,この道路はフジモリ大統領の時代に建設されたものだという.
<ララヤ峠を越えて暫くすると広大な平原が広がる>
■ランチボックスで昼食
13時35分,プカラ(Pucara)を通過する.車窓から牛の牧場が続いているのが見える.荒涼とした原野の中に,忽然と中央アジア風の白い建物が見えてくる.私達は,この建物の中の食堂のような所を利用して,アレックスがどこかで手配したランチボックスを受け取って,昼食を摂る.
ランチボックスは,白い大きなビニール袋に入っている.中を開けると,ランチボックスと蜜柑が1個入っている.ランチボックスの蓋を開くと,中は6区画に仕切られていて,揚げパン,トウモロコシ,ソラマメ,豆などが沢山入っている.
食堂のサービスで,コカ茶を何杯か飲む.このコカ茶は,長く飲み続けると習慣性があるというが,まあ,そんなことは心配しないで,数杯のコカ茶をご馳走になる.
<食堂のような休憩所> <ランチボックス>
■フジモリ前大統領のあだ名はチノ
13時53分,ランチボックスの昼食を終えた私達は,また,専用バスに乗って,出発する. 13時59分,バスはチチカカ湖に注ぐララヤ川の右沿いに走っている.
一同退屈し始めた頃,アレックスの雑談が始まる.
「・・・ペルーへの中国人の移民は150年ほど前から始まりました.中国人のことを,ペルーではチノと言います.これまで,ペルー人には,中国人,韓国人,日本人の区別がつきませんでした.そのため,フジモリ前大統領のあだ名も「チノ」でした.でも,フジモリ前大統領のお陰で,日本人の区別はつくようになりました・・・・」
<可愛いナプキン置き> <プカラのナントカとかいた食堂の看板>
■ブリアカの街に入る
間もなく14時30分になろうとしている.バスは相変わらず,ほとんど草木のない砂漠の中を走っている.でも,そんな砂漠の原野に,民家が点在している.アレックスの説明によると,この辺りの住民は牧畜で生計を立てているとのことである.
14時43分,フリアカ(Juliaca)の街並みが見え始める.鉄道の線路が道路と並行に走っている.昔,鉄道マニアだった私は,もし私だけで旅行しているならば,たとえ10時間,時間が掛かろうとも,ここは絶対に鉄道の旅を楽しんだに違いないと想像する.
10時47分頃,私達のバスはブリアカの中心街に入る.大きな街である.街中にバスや三輪車がひしめいている.交通ルールはあまり遵守されていないように見える.ひしめく自動車に行く手を遮られた私達のバスは,頻りに警笛を鳴らず.
街中で沢山走っている三輪車は,何ともロマンチックな雰囲気を醸し出している.それ程,スピードは出せそうもないが,こんな三輪車で,ノンビリとドライブしてみたいなと思う.
<ブリアカの街中>
<可愛いオート三輪車:隣で売り子が居眠りしている>
■ブリアカ国立大学
15時03分頃,ブリアカ国立大学のキャンパスが見えてくる.広大な敷地を持つ大学である.砂漠の真ん中に大学の建物が沢山建っている.大学に関係のある職場にいたflower-hillは,この大学を訪問してみたいなという衝動に駆られる.同行者が大学関係者だったら,ちょっと予定を変更して,キャンパスの中に入るのだが・・・今回はそうはいかない.
そういえば,数年前,某学会でアラスカのアンカレッジに出向いたときに,全くアポイントなしに,某大学を訪問して,歓待されたことを,つい昨日のことのように思い出す(アラスカ訪問記は,別途,機会を見てブログで纏めたいと思っている).
再び,アレックスが話し出す・・・
「・・・ブリアカの人達は,とても商売が上手です・・・でも,結構,密輸品が多いんです・・・」
<ブリアカ国立大学のキャンパス>
■チチカカ湖が見える
13時38分,バスの車窓からチチカカ湖が見え始める.広い湖である.眼下にチチカカ湖畔に広がるプーノ(Puno,標高3827m)の街が見下ろせる.
15時44分,プーノ鉄道駅(Estacion Ferrocarril)の側を通過する.そして,チチカカ湖を右回りに回り込む.
やがて,入江から突き出した岬の先端に,白い大きな建物が見え始める.
アレックスが,
「・・・あそこに見える白い建物が,今晩,皆様が宿泊するホテルリベラトール(Hotel Liberator)です・・・」
と説明する.
<チチカカ湖が見え出す:白い建物がホテルリベラトール>
<ホテルリベラトール>
■素晴らしいホテル
15時55分,私達のバスは,無事,ホテルリベラトールに到着する.五つ星の素晴らしいホテルである.
アレックスがホテルのチェックイン手続きを一手にやってくれる.有り難い.
部屋割が決まった後,アレックスから明日の行動予定と注意事項の話がある.
それぞれが,自分の部屋に引き揚げる前に,パルスオキシメーターを使って,全員の血中酸素飽和度を測定する.私の場合,測定前に深呼吸を10回ほどしたにもかかわらず,血中酸素飽和度92,脈拍81と,あまり芳しくない.深呼吸をすれば,当然,血中酸素飽和度は90台まで回復するが,問題は脈拍である.100以下だからまあ良いじゃないかという考え方もあるが,平地での安静時に50~60程度しかない私にとっては,81はちょっと多すぎる.
16時30分に部屋に入る.
部屋からは夕方のチチカカ湖が眼下に見下ろせる.部屋には大きなバスが付いている.久々に素晴らしいホテルに泊まることができて大満足である.
早速風呂に入る.そして,下着,靴下などを洗濯する.
<ホテルリベラトールの玄関>
■プラザレストランで夕食
18時50分に,ホテルのロビーへ降りる.
19時13分,専用バスに乗車した私達は,ホテルリベラトールを出発.どこをどう通ったか分からないが,19時29分にプラザレストラン(Plaza Restaurant)に到着する.
今夜もディナーなので,正直な所,平素粗食の私は辟易とするが,これもお付き合いと我慢する.
メニューはアスパラスープ,マスの煮物,パンなど.トーマスさんが持参した醤油を少し掛けると,マスの煮物は,素晴らしい味に変わった.
<美味しいパン> <お店のネオン>
<スープ>
<メインディッシュ>
■期せずして1人1部屋
夕食を終えた私達は,専用バスに乗って,20時37分,プラザレストランを出発.20時44分にホテルリベラトールに帰着する.
同室のSIさんが,洗濯に往生したのか,
「・・・部屋代の差額は負担するから,夫婦一緒の部屋にしてくれ・・・もう1室確保します・・」
とのこと.勿論,私には異存はない.その結果,期せずして,私とIさんの2人は個室となる.
21時30分頃,就寝.
(つづく)
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