
<サンパブロ村の休憩所>
ペルー周遊記(25):第7日目(2): プーノへ(1)
2008年7月7日(火)(つづき)
<プーノへのルート図>
<ララヤ峠へ>
■美味しいパン
8時01分にピコアカホテルを専用バスで出発した私達は,プーノへ向けて,一路,西南西に走り続ける.
8時26分,サンヘロニモを通過する.手許の地図は,荒っぽすぎて,サンヘロニモは載っていないが,クスコからまだそれ程走っていないので,地図を見ながら,大体この辺だなと,一人で納得する.
8時29分,カイーラというところを通過する.まだ,クスコの郊外である.ガイドのアレックスの話によると,ここにはクスコ国立大学農学部があるという.
8時41分,アレックスが,バスをほんの一時停車させて下車する.そして,直ぐに顔の大きさの3~4倍ほどもある大きなパンを右手で掲げながら,
「・・・皆さん,このパン,クスコで一番美味しいパンですよ・・・」
と言う.どうやら,アレックスがポケットマネーでかってきたらしい.アレックスは,この大きなパンを手で少しずつ千切って,全員に配る.成る程,食べてみると,なかなか美味しい.食べ物に卑しい私は,パンをご馳走になりながら,
「アレックスって,良いヤツだな・・・」
と心の中で思い続ける.
<大きなパンを披露するアレックス>
■ワカルパイ湖
8時47分,私達のバスは,ワカルパイ湖(Laguna Huacarpay)の脇を通過する.それほど大きな湖ではないので,手許の地図には載っていないが,およそこの辺りだろうと見当を付けて,地図に印を付ける.
肉眼で見ると,湖全体が見渡せるが,35mmフィルム換算焦点距離35mmの広角レンズが付いているデジカメでも,全景は入らない.仕方なく,大急ぎで,湖の印象をスケッチで残す.
遠くに木が1本も生えていない赤茶けた山がうねうねと続いている.湖近くにはユーカリやポプラの並木が,彼方此方に見えている.遠くの山々が水面で逆さに映っている.
<ワカルバイ湖>
■ピキリャクタ遺跡
8時50分,関所跡のような遺跡の側を通過する.石を積んで作った城壁のようなものが見えている.アレックスの説明によると,ここはピキリャクタ遺跡(Piquillacta)の一部らしい.西暦800年頃栄えたワリ文化の遺跡だという.大分規模が大きい遺跡のようだが,残念ながら通過.
遺跡の周辺には,草木はほとんどなく,赤茶けた砂漠が延々と続いている. アレックスの説明によると,この辺りはミリーバンパというところで,近くには大きな“かまど工場(?)”があるらしい.
<ピキリャクタ遺跡>
■銀鉱山
遺跡を通過して暫くすると,アンダワイリーヤス(Andahuaylillas)を通過する.クスコから35キロメートルに地点である.
さらに,9時07分,ウルコス村(Urcos)の広場を通過する.この辺りの標高は2853メートルである.そして,バスは,すぐに橋を渡って,ウルバンバ川の左岸に沿って遡り始める.進行方向右手にはウルバンバ川が流れている.川の向こう,つまり進行方向右手には,相変わらず草木が1本も生えていない山並みが続いている.
アレックスの説明によると,右手の山には銀鉱山があるという.私は,元々,資源工学を専門としていた.その頃の乏しい知識によれば,銀は,金,銅,鉛,亜鉛などと一緒に産出されることが多い.鉱山と聞くと,何となく懐かしくなる.時間があれば銀の鉱山も是非見たいものだと思う.
<草木が生えていない岩山が続く>
■サンパブロ村の休憩所
車窓からは,ウルバンバ川流域の平野が見えている.川の流れに沿って,平野がうねうねと続く.平野には畠や牧場が広がっている.所々にユーカリの林が見えている.赤茶けた山の斜面にも段々畠が見えている.ただ,今は乾期なので,農業は休業している.
牧場には,ビクーニァだろうか,あまり見たことのない動物が飼育されている.
10時22分,サンパブロ村(San Pablo)の中心部にある休憩施設に到着する.バスを降りると,日射しが強くて,少し暑い.
バスを降りて,施設の中に入る.500平方メートルほどの広場を囲むように建物が建っている.入口近くに売店がある.何人かが,早速,ビールを飲み始める.
広場には,可愛いビクーニァが数匹,ノンビリと草を反芻(?)している.やや眩しい日射しがあるものの,何となくノンビリとした雰囲気である.
広場の向こう側の建物には監視塔を思わせる見張台のようなものが付いている.
<サンパブロ村の休憩場>
<可愛い家畜が遊んでいる:ビグーニァ(?)>
■長閑な集落が続く
10時55分,私達のバスはサンパブロ村を出発する.いつの間にかウルバンバ川は見えなくなっている.バスは,広いカール状の谷間を登り続ける.道路の両側には,小さな集落が点在する.
車窓からはユーカリの木が沢山生えているのが見える.やがて車窓右側に,かなり大きな学校が見えてくる.アレックスの説明によると,これらの学校は,フジモリ大統領の時代に建てられたものだという.
やがて,マランガニ村(Marangani)を通過する.集落には,住宅に混じって,所々に,タタミ半畳分位の広さの青い小屋が点在している.アレックスの説明によると,これらもフジモリ大統領が,衛星状態改善のために,音頭を取って,普及させたトイレだという.トイレの位置は,1ヶ月毎に移動させるという.
ちなみに,フジモリ大統領の評判は,今でもとても良いという.
<長閑な集落>
※たまたまこの写真には写っていないが,所々に青い色のトイレが建っている.
<アレックスの説明だと温泉場だという>
■ララヤ峠
11時28分,人が住める限界の集落を通過する.ここから上の地域は,もう人が住めない所のようである.
11時33分,温泉場の脇を通過する.数軒の平屋建ての建物が並んでいるが,人影がない.ここがウルバンバ川の源流だそうである.
道路の進行方向左側には,鉄道の線路が並行して走っている.鉄道で,クスコからプーノまで移動すると,約10時間かかるという.自動車で移動した方が,ずっと速いので,鉄道を利用する人は少ないという.
さらに無人地帯を登り続けて,11時47分にララヤ峠(Abra La Raya)に到着する.ここで暫く休憩を取る.この峠の標高は4312メートルである.富士山を楽々と越える高い所である.広場の片隅では土産物を売る露店が店開きをしている.
峠の広場に立つと,遙か彼方に,真っ白な雪を抱く高山がみえている.
休憩を終えた私達は,11時59分に,ララヤ峠を出発する.
<ララヤ峠の駐車場:標高4335m>
<ララヤ峠>
※遠くに雪を抱く大きな山が見えている.
大きな露店が店開きしている.
(つづく)
2008年11月5日 転換ミスを訂正
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このシリーズの最初の記事
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何時も丁寧なコメント,有り難うございます.
写真に写っている動物は,アルパカでしたか.ご教示ありがとうございます.私,何しろ動物と花は全く分からなくて・・・
マチュピチュでは,ご指摘の“さよなら絶叫”の子ども居たようですが,今回の周遊記では記事を割愛しました.実の所,周遊記もやっと7日目に到着した所,全部で22日間もあるので,何時,このシリーズが終わるやら,見通しが立ちません.
気長にお付き合いしていただければ幸いです.