中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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歩いて巡る中山道六十九宿(第13回):第1日目(1);太田宿から歩き出す

2012年06月26日 03時56分59秒 | 中山道六十九宿

                               <太田宿脇本陣:立派な卯建が見事>

  歩いて巡る中山道六十九宿(第13回):第1日目(1);太田宿から歩き出す
             (五十三次洛遊会)
        2012年6月22日(金)~24日(日)

2012年6月22日(金)


<第1日目の行程全体図>


※再掲

<出発点の美濃太田へ>

■大雨の朝
 6月に入ってから,どうも天候がおかしい.
 つい先日,台風4号が,超速度で日本列島を縦断したばかりなのに,次の台風5号がまたもや日本列島を縦断している.2日ほど前に九州に上陸した台風5号は,今朝方,関東地方を通過しつつある.
 今日(6月22日)は,東海道五十三次洛遊会主催の「歩いて巡る中山道六十九宿巡り」の第13回目が開催される予定である.幹事から旅行中止の連絡があるかなと思いながら,出発の時間と睨めっこする.
 それにしても強い雨が降っている.まるでバケツをひっくり返したような雨が降っている.
 今日は夏至.それなのにあいにくの天気のために,空はドンヨリと薄暗い.
 暫くの間,雨の様子を眺めていたが,どうも止みそうもない.私は意を決して,少々早めの5時10分に支度を出発する.何時も,丹沢の塔ノ岳に出掛けるときと,全く同じ時間である.

 折りたたみのコウモリ傘を差しているが,背負っているリュックやズボンの後ろ側がじっとりと濡れてくる.
 雨さえ降っていなければルンルン気分の筈だが,雨に濡れながらのモノレールの駅までの歩きは,ヤケに長く感じてしまう.
 「・・・ヤダな~ぁ・・・! こんな日に出掛けるのは・・・引き返そうか」
と,途中で,何度も何度も思うが,そこは律儀がたい昭和一桁生まれの私.一人旅ならとっくに止めているのを,まあ,仲間との約束だから仕方がないと思いながら,近くの湘南モノレール駅へ急ぐ.その道のりの長いこと,長いこと,傘を指しているのに,腰から下はびしょ濡れになってしまう.

■小田原から新幹線に乗車
 私は約束の時間に遅れるのが大嫌いである.これは亡き父親に厳しくしつけられたことにも起因している.私は小田原で新幹線に乗り換えるのに十分な時間がある東海道下り電車に乗車する.何時も塔ノ岳に登るときに利用しているのと同じ電車である.
 電車の窓に激しい雨が吹き付けていて,外の景色は殆ど見えないが,それでも大磯を過ぎる頃になると,雨は幾分弱まってくる.
 6時21分に小田原に到着する.塔ノ岳に登るときには,ホームを二段跳びに駆け上がって,小田急電車に乗り換えるが,今日は東海道新幹線小田原7時04分発「ひかり501」に乗車するので,時間は十分にある.
 「まだ,(時間がはなすぎるので)誰も来ていないだろう・・・」
と多寡をくくって,生あくびをしながら,新幹線乗車口へノタノタと歩いて行く.
 ついでに,何時も気になっていたことを確認しようと思う.それは,小田原駅の何処にJR東日本とJR.東海の境目があるかということである.こんなどうでも良いことを調べるには,乗り換え時間がタップリある今日のような日が絶好のチャンスである.
 私は,壁の掲示物や床の様子などを注意深く眺めながら,東海道新幹線への連絡橋を渡る.そして,渡り廊下が右に直角に曲がるところで,床の色が少し変わり,ここからの掲示物がJR東海のものに変わることに気がつく.
 
「はは~ん・・・ここからがJR東海か・・・!」
と,下らないことだけれども,妙に納得して,ざわついた気分が落ち着く.
 
<だんだんと雨が上がる;新幹線の窓辺>

■台風一過の青空
 丁度そのとき,今回ご一緒する幹事のM岡氏が,私の後ろから現れる.M岡さんも,万一,東海道の電車が遅れては困ると言うことで一本前の電車で来られたとのこと.
 まだ,電車が到着するまで十分な時間があるので,新幹線待合室で.200円也のコーヒーを賞味しながら,時間つぶしをする.
 序でに,車内の手持ちぶさたを紛らわすためにコーラを購入してから,6時55分,新幹線下りホームに上がる.ホームには,まだ,かなり強い雨が降っている.
 私は小田原7時04分発「ひかり501」の指定席,14号車18番E席に座る.現役時代には,かなり頻繁に新幹線を利用していたが,サンデー毎日の今は,新幹線になど乗車する機会は殆どない.何となく緊張する.すれ違うどの列車も格好の良い700系の電車なので「いいな!」を押したくなる.
 新幹線が丹那トンネルを抜ける頃から,雨は小止みなりはじめるが,残念ながら富士山は雨雲の中である.
 列車が豊橋を通過する頃から,雲間から青空が見え始める.それから5分も経たないうちに台風一過の青空が一面に広がり始める.万歳!

<台風一過の青空が広がり始める>

■参加者全員の顔ぶれが揃う
 8時18分,名古屋に到着する.
 名古屋で高山本線特急8時48分発「ワイドビューひだ3号」に乗り換える.電化されていない区間を走るらしくてジーゼル車7両編成である.前10号車から8号車までは富山行.7から5までは空き番.4号車から1号車は高山止まり.
 私達自由席組は3号車に乗車,指定席に乗っている仲間も居る.
 どうやら,同行者11人全員が元気に集まっているようである.
 
<名古屋駅在来線ホームで列車を待つ>


<ワイドビューひだ3号の自由席はガラガラ>


■国宝犬山城を望む
 電車と違って,エンジン音が多少うるさいが,まあ,まあ,快適な車両である.
 岐阜までは東海道本線を走る.岐阜から列車の前と後ろが反対になるので,名古屋を出発するときには椅子の向きが走る方向と逆向きになっている.こんなどうでも良い些細なことでも,元列車マニアだった私は,興味津々.大満足である.
 列車は,9時01分,岐阜に到着する.岐阜駅には3本のホームがあるようだ.ホームの本数など一般の人には全く興味がないだろうが,そこは元列車マニア.なるほどと感心する.
 「オレの住んでいる近くの駅,大船にはホームは5本,10番線まであるド・・」
と,どうでも良いことを比較したくなる.
 列車は岐阜で前と後ろが逆になり,今度は座席が進行方向と一緒になる.
 「これでイイノダ!・・・ここからが高山本線なんだから・・・」
と私は妙な納得をする.
 列車は,ガーガーゴーゴーと多少うるさい音を立てながら快調に走り続ける.どうやら単線.電車区間のように余計な電信柱がないので,見晴は良好である.
 9時13分頃,車内アナウンスがある.
 「・・・進行方向右手に,国宝の犬山城が見えます・・・」
 進行方向左手の席に座っている私は,身をよじらせて,何とか犬山城の写真を撮る.もうかれこれ4半世紀ほど前に,犬山城を見学したことがあるが,残念ながら,そのときのことは全く覚えていない.
 犬山城を過ぎると,川幅一杯にやや濁った水が滔々と流れる木曽川が見え始める.

<車窓から犬山城を望む>


<川幅一杯に流れる木曽川>

■美濃太田駅に到着
 9時22分,私たちを乗せた列車は美濃太田駅に到着する.ここで下車.
 約2ヶ月ぶりの美濃太田である.たった,2ヶ月しか経っていないのに,もう駅の勝手が分からなくなっている.困ったものだ.
 跨線橋に「長良川鉄道のりかえ」と書いてある.
 「・・・はて! 長良川鉄道って,どこへ行く鉄道だったっけ!・・・

 私は,頭が混乱する.乗換案内を見ている内に,以前は国鉄だった美濃線(かな?)のことだと分かる.そういえば,この沿線にある郡上八幡へも是非行ってみたいなと思っている.

<美濃太田駅に到着>

<再び太田宿>

■太田宿の地図
 下図が太田宿の概要地図である.
 前回12回3日目の終点が,今回第1日目の出発点になる.この出発点は,JR美濃太田駅から南へ約500メートルほど下った木曽川右岸近くにある.
 なお,太田宿内のルートは,文献によって多少異なるところがあるが,私たちは研究者ではないので,その辺りは臨機応変.興味のある道,成り行きで通ってしまった道が正解ということにしよう.
 太田宿の概要は,第12回の記事で紹介済みである.

<太田宿>

■美濃太田駅から中山道へ
 今回の集合場所時間は.JR美濃太田駅改札口9時30分である.
 結果的には,参加者全員が「ワイドビューひだ3号」に乗車していたので,集合時間前に全員が揃う.
 駅の改札口前で,今回最初のミーティングを行う.世話役代表のI川さんから,今回の旅程について説明がある.
 9時32分,JR美濃太田駅から歩き始める.
 まずは駅前の広い通りを南へ向かう.私は,平素,狭くてゴチャゴチャしていて,多少,猥雑な大船ばかりウロウロしているので,こんなに広くて,長閑な雰囲気の街に,ある種のあこがれを持っている.その反面,あまりの人影のなさに,何となくうら寂しい気分にもなる.
 台風5号が通過したばかりの青空が広がっている.多少の蒸し暑さもあるが,爽やかである.
 私たちは,中山道に向けて南へ歩き続ける.
 


<美濃太田駅前の道路を南へ向かう>

■祐泉寺と元旅籠小松屋
 9時48分,祐泉寺に到着する.前回も訪れた寺である.前回,ここで可愛い子ども御輿を見物したことを,つい昨日のことのように思い出す.
 隣に建っている元旅籠小松屋も前回見学しているので,今回は写真を撮るだけで通過する.
 この旅籠の前が,前回の終点であり,今回の起点でもある.
 祐泉寺は約500年の歴史のある名刹.境内には北原白秋,松尾芭蕉,坪内逍遙の歌碑や,日本ライン命名者の志賀重昂の墓碑があるとのこと(資料2,p,128).

<祐泉寺>



<元旅籠小松屋>

■美濃型卯建の脇本陣
 9時49分,元旅籠小松屋前から歩き出す.ここからが今回歩く新しい道である.中山道は閑静な住宅地の中を西へ続いている.
 9時52分,進行方向左手に立派な卯建のある大きな建物がある.ここは国重要文化財に指定されている林家脇本陣である.資料1(p.158)によれば,母屋は明和年間,表門は天保年間の建築だという.ここの見学には予約が必要のようである.
 残念ながら私たちは写真を撮っただけで通過する.

<卯建が立派な脇本陣>

■太田宿中山道開館
 9時56分,太田宿中山道開館にする.広い駐車場に数台の自動車が駐車している.駐車場の奥に大きな建物が建っている.ここに各種の資料があるかもしれないが,今回は素通りする.

<太田宿本陣跡>

■太田宿本陣門
 太田宿史料館のすぐ近くに太田宿本陣門が残っている.ここは美濃加茂市指定有形文化財である.
 門の傍らに立っている説明文によると,「1864年(文久元年)仁孝天皇皇女和宮が14代将軍徳川家茂に嫁ぐため,江戸へ向かう時に新築されたもの.このときは,旧中仙道中の家並みなども新築・改修された」という.
 同資料によると,この門は間口1間の薬医門(本柱が門の中心線上から前方に置かれている門のこと)で,両袖に半間の塀がつく格式のあるものだという.この門は昭和の初めに現在の位置に移築されたと言われる.
 資料1(p.158)によれば,本陣跡の交流館には,天狗党が残した兜が保存されているらしいが,私たちは通過する.

<太田宿本陣門>

■高札場跡と郡上街道追分
 9時59分,高札場跡に到着する.ここは郡上街道への分岐点でもある.
 高札場跡には,説明板が立っている.ここには,高札場の由来の説明と.ここが,郡上へ向かう郡上街道との追分になっていることが説明されている.また,ここに立っている石の道標は.1893年(明治26年),名古屋の塩問屋,伊藤萬蔵が建立したものだという.



■郡上八幡追分道標
 伊藤萬蔵が建立した石の道標は,今でもシッカリと立っている.
 私たちは,この道標に従って,三叉路を鍵の手に左折する.


<郡上街道の追分>

■細い路地を抜けてガード下を潜る
 高札場跡から少し西へ進んだところで左折して,南の方向に狭い路地を進む.そして次の十字路を右折して再び進路を西に取る.
 10時03分,大きな自動車道路の下を行くガードを潜る.この自動車道路が何処へ通じているのか,土地勘のない私には良く分からないが,手許の地図によると,すぐ近くで木曽川を跨ぐ中渡大橋に通じているようである.

<細い路地を行く>


<自動車道路のガードを潜る>

■虚空蔵堂
 10時04分,虚空蔵堂脇を通過する.
 この虚空蔵堂の由来などは,手許の資料では良く分からない.

<虚空蔵堂>

■尾張藩太田代官所跡
 10時05分,尾張藩太田代官所跡に到着する.跡地には説明板が立っているだけで,遺構のようなものは一切ない.
 説明板によると,尾張藩は天明年間に藩政改革として領内の要所地を一括支配する所付代官所を配置した.ここ太田代官所は1782年(天明2年)に設置され,初代の代官は井田忠右衛門だった.1868年(慶応4年),太田代官所は北地総管所と解明され,四宮如雲が総監として任命された.このとき一緒に勤めていたのが坪内逍遙の父,平右衛門だという.
 私は,この説明文を読みながら,正直なところ,
 「・・ああ,シンドイ,面倒くさいな・・・」
と思っていたが,最後に私でも知っている坪内逍遙の名前が出てきてホッとする.


<尾張藩太田代官所跡>

■日蓮宗太田教会

 10時04分,しもた屋か寺か良く分からないが,入口に日蓮宗太田教会と刻字されている大きな門柱のある家の前を通過する.
 「ここは,一体何なのだろう・・・・・?」
 気になった私は,一寸だけ中に入って見る.広々とした庭の片隅に居る2人の男性が,私を見付けて,私の方に来ようとする.私は慌てて,
 「いえ・・何の用事もありません.ちょっと庭を拝見しただけです・・・どうもスミマセンでした」
と挨拶して,前方を歩く仲間達を追いかける.

<日蓮宗太田教会>

■妙見堂
 10時06分,坪内逍遙ゆかりの妙見堂に到着する.地図を見ると太田小学校が近くにある.
 この辺りに坪内逍遙の生家があったようである.資料3(pp.276-277)によると,逍遥は11歳までここで過ごしたようである.

<妙見堂>

[注] 坪内 逍遥(つぼうち しょうよう、旧字体:坪內逍遙
 1859年6月22日安政6年5月22日)- 1935年昭和10年)2月28日)は主に明治時代に活躍した日本小説家評論家翻訳家劇作家。代表作に『小説神髄』『当世書生気質』およびシェイクスピア全集の翻訳。本名は坪内 雄蔵(つぼうち ゆうぞう)。別号に春のやおぼろ春のや主人など。俳句も詠んだ。
(引用;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%AA%E5%86%85%E9%80%8D%E9%81%A5

                                               (つづく)

[参考文献]

資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社


「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/c320dd7de1455ee3347be40841d5b20a
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/dfd090cc1008fdc8ce41afeea07ecc9f

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