
<バンコック市内展望>
セピア色の画集(3)
2009年1月3日(土)
新年を迎えて,慌ただしく3日目が過ぎようとしている.
大晦日から集まっていた大勢の孫達が,夕方になって,やっとそれそれの自宅に引き揚げた.ホッとするような,寂しいような複雑な心境である.
この3日までの賑やかなこと,もう何もかも手に付かない.まだその余韻が残っていて,落ち着いてものを書く気にもならない.そこで,あと数回は,あまり時間の掛からない昔の資料整理で,このブログに対応することにしようと思う.
寝屋川の生活
京阪豊野駅
昭和30年代前半,私は寝屋川の町はずれ,秦というところに部屋を借りて,自炊生活をしていた.数年前,昔の住まいが懐かしくなり,所用で大阪に出たついでに,昔済んでいた付近を散策してみた.半世紀ぶりの訪れでは,もう何もかも変わっていて,結局,自分がどの辺りに住んでいたのかも,ハッキリ分からないままに,時間切れになってしまった.
このスケッチは,今はもう無くなってしまった京阪電鉄豊野駅の上りホームを描いたものである.タッチの差で電車に乗り遅れた私は,たまたま持ち合わせていたペンで,扉が閉まった電車をスケッチした.
あの頃は,今に比較すると,随分とノンビリしていたな~ぁ・・・
<昭和30年代初めの京阪豊野駅(今はない)>
床勉:冬は寒かった
この絵も母に送ったものである.
大阪は,日本の中では,それほど寒い所ではないかも知れない.
でも,冬は寒かった.何しろ隙間だらけの部屋だったので,容赦なくすきま風が入ってくる.
そんなときは,寝床に入って暖を取る.
あの頃は,自分で言うのもおこがましいが,一生の間で一番勉強した時代だったと思う.
この絵を描いたときに,何の勉強をしていたか思い出せないが,この絵から察すると,どうやら数学のようである.また,枕元には「オール読物」と思われる雑誌が積み重ねられている.
枕元には,ごく初期のタイガー魔法瓶が描かれている.もちろん中はガラス製,おおきなコルクの蓋が付いていた.ところが,熱いご飯を入れておくと,蒸気で濡れたコルクから,変な色が出て,ご飯に色が付いてしまうという代物だった.ただ,どうせ毒にはなるまいと考えて,何時も食べてしまった.
寝床に入ると,すぐに眠くなるので,枕元に眠気覚ましのお茶を準備する.
ところが,お茶を飲み過ぎると,トイレに行きたくなる.トイレは母屋近くの外に作られている.トイレに行くのが寒くて辛かった.
この絵に部屋の壁が描かれているが,荒壁だったような気がする.
寝床に入って勉強することを「床勉」と言っていた.
<寒い日の床勉>
南極探検の夢
昭和30年代前半の頃,私は某大学で探査工学を勉強していた.電線を走る電気の波(進行波という)の過渡現象を利用して,地下資源探査をしようというのが私に与えられたテーマであった.
ノンビリとした研究に明け暮れていたある日,指導教授から「南極大陸に調査船が出る」という話を伺った.それを切っ掛けに,到底行くことなどできないが,南極に夢を持った.
早速,母に奇妙な絵を描いて送った.
今,見ると,お恥ずかしい限りだが,南極を随分ロマンチックに捉えていたような気がする.
<南極ノスタルジー>
このポンチ絵の裏には,母親に向けての次のようなメッセージが,金釘流で描かれている.
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「南極の夢」
夢で見た南極の感じを絵にしました.大きな氷山をバックに,気の良い鯨が船に,
“何処から来たんだい・・”
と話しかけると,船も汽笛で返事をします.
船のあとには小さな氷山が馴れ馴れしく附いて来ます.(以下省略)
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今になって,読み返してみると,馬鹿馬鹿しいほど幼稚でハズカシイ・・・
でも,今の私には,こんな絵はとても描けない・・・
正直な所,南極へ行きたかったな~ぁ・・・!
50年後の私は,甘酸っぱい気持になりながら,この絵を眺めている.
京都瞑遊
学生時代,気が滅入ると,京都市内をあてもなく歩き回った.
昭和30年代中頃だと思う.寒いある日,論文をどう纏めるかに迷った私は,ぶらぶらと鴨川の川岸を歩き回りながら,思案していた.
このスケッチは,鴨川に架かる荒神橋で描いたものである.あちこちに塗り残しがあるので,未完成のままのスケッチのようである.
たまたまペン先が折れてしまった万年筆を使うと,ちょっと味のある太い線が描けることを見付けた私は,暫くの間,この万年筆を使って,スケッチを続けることにしていた.
50年経った今でも,この万年筆を持っている.
この絵を見付けたことを切っ掛けにして,また,この万年筆でスケッチをしてみようかなと思い始めている.
<冬の荒神橋>
橋の向こうに見えている建物は,京都府立医大だと思う.今はどのように変化しているか興味をそそられる.
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一連のセピア色のスケッチを見ていると,20才代の自分にとんぼ返りをしているような気分になる.
当時,私は日本育英会から奨学金を頂戴しながら,貧しい生活をしていた.引越しするときにも,荷物は書籍類がリンゴ箱1個,自炊用具若干,後の荷物は小さな行李1(今は行李を使う人などいないと思うが),それに,敷き布団1枚,掛け布団1枚だけ.小さなリヤカー1台に軽く乗ってしまうほどだった.
当時の私は,貧しいながらも,絵の具は,ホルベイン製のかなり上等なものを使っていた.当時のスケッチを,今,取りだしてみても,絵の具の色だけはシッカリ残っているので,感心している(勿論,スケッチの上手下手は別問題である).
私は,今年こそ,20才代の原点に戻って,何の野心も持たずに,心底から楽しみながらスケッチを続けたいなと強く思い始めている.
それと同時に,ここ2年ほどの間,テスト的に力を入れてきたこのブログも,記事をアップする頻度を,すこしペースダウンして,もっとやりたいことに力を注ぎたいなと思い始めている.
私は,20才代の自分を垣間見ながら,「温故知新」って,こんなことかと思っている.
「セピア色の画集」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/3e72b1b30dc865b75713f909b2cec2ec
「セピア色の画集」の次回の記事
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