中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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初秋の鎌倉;大長寺・散在ヶ池森林公園・百八ヤグラ周遊

2011年09月07日 06時56分11秒 | 鎌倉あれこれ

                               <散在ヶ池せせらぎ小径>

     初秋の鎌倉;大長寺・散在ヶ池・百八ヤグラ周遊
         (五十三次洛遊会臨時例会)
          2011年9月6日(火)

<散策地図>



<大船駅から大長寺へ>

■大船駅から歩き出す
 台風12号が,ノロノロと四国から中国地方を抜け,北海道に向かった.この台風による被害は紀州を始め多くの地方に及んだのは誠に痛ましい限りである.台風12号だけでなく,またぞろ台風13号も本州東沿いに北上しつつある.そんな関係もあって,ここ数日,
私が住んでいる鎌倉でもすっきりと晴れた日はなく,毎日がドンヨリとした天気が続いている.
 今朝も何時ものように4時に起床.真っ暗.毎日凄い勢いで夜明けが遅くなっている.それもそのはず.あと何日か経てば,もう春分の日である.
 今日は五十三次洛遊会臨時例会の開催日である.幸いなことに,今日は天気が回復して,朝から明るい太陽が輝いている.まだ,雲が多いが,久々にスッキリとした青空である.眩しい太陽を見ながら,もう秋だなと実感する.
 私は,集合時間の10時に十分な余裕を持って間に合うように9時少し前に自宅を出発して大船駅に向かう.そして,駅前のコンビニで,今日の出席者10名分の地図をコピーする.そして,大船駅構内のBecker'sでコーヒーを賞味しながら,今日予定しているコースのシミュレーションを繰り返し,繰り返し,頭の中で行う.
 そして,9時45分,集合場所の大船駅南口ルミネ前に顔を出す.今日の参加者な飛び入りの方を含めて10名.なかなかの盛況である.
 10時丁度,予定通りに大船駅から歩き出す.

<砂押川アメニティにて>

■寅さんを偲んで
 大船駅から芸術館通りを東へ向かう.元三越エレガントとイトーヨーカ堂の間の道を抜けて,鎌倉女子大の正門に突き当たった所を左折,遊歩道に入る.この辺りから砂押川河畔には沢山のサクラが植えられていて,散歩にはもってこいの場所である.
 一昔前までは,この辺りに松竹の撮影所があったところである.遊歩道の一角に,寅さんと若い頃の美空ひばりの絵が画いてある大きな看板が於かれている.この絵を見ていると,映画が全盛だった頃のことが偲ばれる.
 ここで5分ほど立ち休憩をとる.


■大長寺
 砂押川の右岸沿いの道を東へ向かう.ほんの数分で鎌倉街道と交差する.左折して鎌倉街道を鎌倉女子大付属中学高校の方に向かう.そして,途中で右折して,10時35分,大長寺に到着する.
 手入れが行き届いた境内は静寂.何とも落ち着いた雰囲気である.
 大長寺は,浄土宗の寺.山号は亀鏡山(ききょうざん).玉縄城主北条氏綱時代に建立された寺だという.開山は感誉存貞という人らしい(資料1).資料によると存貞は北条氏の家臣大道寺氏の一族とのことである.
 寺に入ると,幅がとても広い石段の先に緑色の瓦が美しい本堂が樹木の先に見えている,私たちはユックリ時間を取ってお寺の庭を拝見する.

<緑の瓦が光る大長寺>




<巡礼古道>

■藪が深い市境道
 大長寺鐘楼の脇から墓地を抜けて,山道に入る.
 予想通りの藪道である.数カ所に倒木がある.鬱蒼とした杉林の中をなだらかな上り勾配の道が続く.この道は横浜市と鎌倉市の市境でもある.
 余談になるが,現在,鎌っこ倉ぶの案内役をされているM氏を,この道に案内したときのことを思い出す.あのときは,踏み跡さえ定かでないだけでなく,ところどころ胸の辺りまで雑草が繁茂する所を,今回とは逆コースで,大長寺へ抜けた.大長寺に到着したときは,全身が夏草の汁で青臭くなっていた.そして大長寺の水道で,ベタベタする青草を洗い流したことを懐かしく思い出す.
 あれから幾星霜,M氏も私も随分と老け込んだなと今更ながら実感する.

■少し厳しい下り坂
 尾根道はやがて急な下り勾配になる.以前は何の苦もなく抜けられた所だが,最近,眼が弱くなった私は,足許の小さな凸凹がどうもハッキリ認識できなくなっている.ついつい度を超して慎重になってしまう.
 つい先日も,かかりつけの眼科医を訪ねて,どうも眼の調子が悪いと訴えているのに,もう少し様子を見ましょうの一点張りである.先の短い私には,一日一日が勿体ないので何とは早く直してくれと訴えるのだが,特に怖い病気の気配はないから,もう少し様子見という結論が連続する.
 ついつい愚痴になってしまうので,話を戻す.
 急な下り坂では,大半の方々が少々手こずる.平素,あまり山道を歩いていない方々にはやむを得ないことである.ただ,これから中山道の山道を一緒に歩く方々も居られるので,この程度の山道は是非体験して頂きたかった.それに,ユックリ歩くことの実践も,このコースでして頂きたいと思っている.

南無仙元大菩薩の石塔
 横浜公田町の住宅地に出る手前で,脇道に入って南無仙元大菩薩の石塔を見に行こうと思う.そこで足の弱い方お一人に,この場所に残って貰い,後の方と枝道に入る.ところが,つい半年前にここを歩いたばかりなのに,枝道を一本間違えてしまう.
 途中で間違えたことに気がついて,往路を戻る・・・が,さらに欲が出て,前方の数名が往路を辿って元の道を戻るのを見定めてから,さらに藪道に入る.そして,間もなく,この石塔を見つける.皆にこの石塔を見せてあげたかったなと思ったが後の祭り.

<皆に見せてあげたかった石塔:南無仙元大菩薩>

■迷路
 それからがいけなかった.
 私は近道をして一同に追い付きたかったので,さらにひどい藪道を無理矢理通過して,元の道に戻る.私の後ろに付いてきた2人には苦労を掛けてしまった.
 ところが,予想に反して,先ほどの枝道への分岐より,さらに前の方に出てしまった.私は,先に行ったグループに電話をして,
 「前の方にいるから,そのまま先へ進んで下さい・・」
と指示を出す.
 これがいけなかった!
 私自身が現在地を誤認していたことと,「前の方」という言い方が曖昧だったために,私の予想とは90度ほどずれた方に進んでしまう.その結果,私の予想に反して,岩瀬方面に下り始めてしまっている.このまま,尾根道まで戻って貰うのも大変なので,このグループと私たち3人は別行動を取って,バス停今泉不動で落ち合うことにする.

■石塔のある巡礼道
 再び巡礼道に沿って歩き続ける.緑濃い素晴らしい尾根道である.途中で,もう一本の古い石塔の前を通過する.この石塔も一同に見て貰いたかったものの一つである.残念!
 この辺りの道は歩く人も多いので,足許が良く踏み固められているので歩きやすい.途中で皆城山からの山道と合流する.
 少し急な坂道を下って,12時16分にバス停今泉不動に到着する.
 舗装されたバス通りに出ると,強い日光の照り返しで,とても蒸し暑い.
 ここで,別行動のグループと連絡を取り合う.そして,5分ほど待って,無事,合流.

<何が書いてあるか読めないが歴史を感じさせる石塔>

■木舟神社
 尾根道から今泉側に下山するルートは白山神社へ降りるか,木舟神社に降りるのが分かりやすい.私の予想では白山神社に下山したのかと思ったが,予想に反して,木舟神社近くに下山して,近くの方々に道を教えて頂きながら,バス停今泉不動まで辿りついたという.ご苦労さん.
 序でながら木舟神社は岩瀬与一太郎縁の神社.岩瀬与一太郎は佐竹家の家臣.鎌倉市岩瀬の地名は,この与一太郎に由来すると言われている.

<散在ヶ池森林公園>

■せせらぎ小径
 全員が無事揃ったので,散在ヶ池森林公園に向かう.
 まずは,谷間にあるせせらぎ小径を散策する.谷間の道は涼しくて,気持ちがよい.
 沢山の幼児が母親か保母さんに連れられて遊びに来ている.幼児達が実に可愛い.
 また余談だが,私の孫達は,この幼児達に較べると随分と大きくなっている.何だか急に曾孫が欲しくなる.でも,曾孫が持てる可能性は,まだまだ,ずっと先のことである.
 浅い川の畔に木道がクネクネと続く.川の左岸は切り立った崖になっている.その崖には沢山のイワタバコが群生している.

<深山幽谷の趣のあるせせらぎ小径>

散在ヶ池湖畔で昼食
 せせらぎ小径から,階段を登って,散在ヶ池に出る.池の畔には私たち以外に人影はない.
 私たちは,ここで一寸遅めの昼食を摂る.
 食事後,例によって何人かの方々から,沢山の菓子類の提供を受ける.

<散在ヶ池>

■のんびり小径を抜けて今泉台へ
 昼食を終えた私たちは,13時12分,再び歩き出す.ここから今泉台の散在ヶ池自然公園入口に抜けるには,のんびり小径と馬の背小径の2コースあるが,湖が見下ろせて,ややなだらかなのんびりコースを上ることにする. 
 道が良く整備されているので,とても歩きやすい.
 途中,木の間から湖を見下ろしながら,緑深い山道をユックリと登る.そして,13時39分,今泉台側の登山口に到着する.

<ノンビリ小径>

<百八ヤグラから覚園寺登山口へ下山>

■百八ヤグラ
 送電線下の道を抜けて,住宅地の隅にある公園で立ち休憩.公園の水飲み場で給水する.
 そして,ほんの少しの上り階段を登って,13時52分,百八ヤグラ前で天園ハイキングコースと交差する.
 この交差点の近くに百八ヤグラがある.私たちは百八ヤグラの一部を見学する.ただ,ここでは詳細な記録はできない.

<鷲峰山山頂の祠;明治36年建立>

■覚園寺登山口へ下山
 百八ヤグラを一通り見学した後,覚園寺登山口に向かう山道を下る.途中で1~2名のハイカーとすれ違う.
 15時09分,無事,覚園寺登山口に下山する.

<覚園寺登山口>

■大塔宮鎌倉宮
 15時21分,大塔宮鎌倉宮に到着する.近くにある四国八十八ヶ所巡と刻字してある大きな石塔を見上げる.
 境内で,10分あまりトイレ休憩を取る.
 鎌倉駅到着後,懇親会を開催したいなと思う.お一人を覗き,全員が参加するという.そこで,小町通り「モア」に電話を掛けて席を予約する.

<大塔宮のバス停近くに四国八十八ヶ所巡りの石碑>

<鎌倉駅へ>

■鶴ヶ岡神社
 大塔宮から鎌倉駅まで,全員がバスに乗らずに歩いて帰りたいという.結構なことである.そこで早からず遅からずの速度で歩き続ける.それでも,疲労が貯まってきたのか,列が長くばらけ始める.
 東御門から西御門を抜けて,15時42分,鶴岡八幡宮に到着する.相変わらず,境内は,観光客で賑わっている,

■モア前で解散
 沢山の観光客に混じりながら,若宮大路を下る.途中から,裏道に入り,クネクネと曲がりながら,鎌倉駅方面に向かう.
 そして,16時10分,無事,小町通り入口銅ビル前に到着.ここで解散.
 希望者だけこのビル2階の「モア」で軽く懇親会.結局,お一人を除く全員が参加する.

■無事帰宅
 懇親会は結構盛り上がる.東海道五十三次で長い間同じ釜の飯を食べていた気心知れた仲間との雑談は楽しい.グラスビール1杯だけお付き合いする.
 早速,11月の臨時例会のことが話題になる.そして,11月17日(木)に,臨時例会を開こう.何なら晩秋の芦ノ湖西岸を歩こうということになる.また楽しみが増えた.
 宴たけなわの頃,バスの時間の都合で,私だけ少々早めに引き上げる.
 鎌倉市役所前16時55分発鎌倉中央公園行のバスに乗車.17時14分に無事帰宅する.携帯電話の歩数計を見ると,今日は27,094歩歩いている.塔ノ岳往復とほぼ同じ歩数である.

<ラップタイム>

10:00  大船駅歩き出し
10:35  大長寺(10:45まで参拝)
11:29  仙元大神石塔
11:58  古い石塔
12:16  バス停今泉不動
12:35  散在ヶ池森林公園(13:12まで昼食)
13:52  百八ヤグラ
15:21  大塔宮(鎌倉宮)
15:42  鶴岡八幡宮
16:10  小町通り「モア」着(解散)

[散策記録]

■水平歩行距離 
   10.5km

■累積登攀高度         337m

■累積下降高度    339m

■所要時間
   大船駅 発     10:00
   「モア」 着       16:10
  (所要時間)    6時間10分(6.17h)
  水平歩行速度   10.5km/6.17h=1.72km/h
                               (おわり)


「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/05b3e516c8827a3ed8bfab0b69476d67
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[編集後記]

2011年9月7日(水)
  晴

 朝から良く晴れている.湿度も大分低いらしくて,心地よい.
 塔ノ岳へ行こうかと大分迷ったが,今週末の某学会での報告の準備が今ひとつなので,せめて,今日の午前中に終わらせたいなと思い直す.それに,2日前から描き始めた水彩画の下絵ももう少し手を加えなければ・・・さらに,来週出掛ける中山道歩きの切符も今日辺り購入しなければ・・・こりゃ大変だ.
 …で,塔ノ岳詣では,当面の雑用を済ませた明日にしよう.暇が忙しいって,このことだ.身から出た錆っていうんだろう・・私はパソコンに向かって,ブツブツと独り言を言う.
 ああ,そうだ!
 9月11日(日)の山旅スクール5期同窓会のルートの下調べもしなければ・・・
 隣家の庇で,今日も三毛ネコがノンビリ昼寝をしている.
 「あのネコ,言い人生(ネコ生?)を送っているな~ぁ・・!」
 栄枯盛衰.
 覚園寺参道入口に立つ四国八十八ヶ所巡りの石碑を見ていると切なくなる.
 この立派な石碑.これは,鷲峰山に散財する四国八十八ヶ所巡りの案内板である.当時,この八十八ヶ所巡り建立に尽力した沢山の方々の汗の結晶でもある.この遺構が完成したのは明治36年(1899年).今から108年前のこと.たったそれだけの歳月の間に,こんなに朽ち果ててしまうとは・・・
 大船近くの北野神社の裏山にも,同じように朽ち果てた八十八ヶ所巡りの遺構がある.こちらは鷲峰山の遺構より少し後の時代に尽きられたもののようである.
 いずれにしても,折角,祖先が残してくれた遺構を,もう少し丁寧に温存することが
できないものかと残念に思う.
 でも,そんなことを言いながら,自分では何もしない自分自身に嫌気がする.
                               (愚痴おわり)



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