歩いて巡る中山道六十九宿(第15回);第3日目(6);大津宿(2)と3日目の纏め 2012年12月29日 06時10分10秒 | 中山道六十九宿 <義仲寺境内> 歩いて巡る中山道六十九宿(第15回);第3日目(6);大津宿(2)と3日目の纏め (五十三次洛遊会) 2012年11月16日(金)~19日(月)第3日目;2012年11月18日(日)(つづき)<東海道大津宿地図><立ち並ぶ社寺>■石坐神社 15時14分,石坐神社(いわいじんじゃ)に到着する.ここも立派な寺である. 資料10には,「西の庄にある.天智天皇の頃の創建と伝える.祭神は天智天皇・弘文天皇など6柱.「延喜式」に記される古社.かつて御霊殿山の山中の大岩上に祠があったことが石坐の社名の由来.八大竜王社とも呼び水の神でもある.山麓の旧石神町を経て,鎌倉時代に現在地に移った.本殿は県指定文化財.」という説明がある.<石坐神社>■法傳寺 15時15分,寺院らしい門構えの前を通る.表札があるが字が消えていて読めない.寺院なのか一般の屋敷なのか分からないまま通過する. そして,15時16分,法傳寺に到着する.境内には入らなかったが,門柱に「天智天皇尊牌奉安」と書いてある. この寺の由来などは,手許の資料では不明. <寺院? 良く分からない> <法傳寺>■膳所城北総門跡 15時19分,「膳所城北総門跡」と刻字された石杭の前を通過する.<膳所城北総門跡>■現在地を確認する 15時21分,街角の地図の前に立つ.そして,この地図で自分たちの現在地を確認する.ただ,街角にある地図は「北」の方向が一定していないので,見る度に頭の中がこんがらかる.地図は是非北を上にして書いて貰いたいなと思う. 何れにしても,今私達は「現在地」というところに居ることは確かである.勿論,手許の地図でも現在地を確認する.■福正寺 15時22分,福正寺の前を通過する.真宗大谷派の寺で,山号は常盤山というようだ. 手許の資料では,この寺の由来などは不明.<福正寺><義仲寺を見学>■義仲寺に到着 15時26分,義仲寺(ぎちゅうじ)に到着する.少々時間は押しているが,この寺だけは拝観することになる.受付で然るべき拝観料を支払って中に入る. 受付は中年の女性.テキパキと境内の案内をしてくれる.境内はそれほど広くはないが,見所がビッシリと詰まっている感じがする. 受付で頂戴した資料によると,木曾義仲は源頼朝の命を受けた源範頼,義経の軍勢と戦ったが,ここで討ち死にした.享年31才.その後,巴御前が義仲の墓を詣でた.そしてここに草庵を結んだ.この草庵が,義仲寺の始まりである.この寺全域が国指定史跡になっている. <義仲寺に到着>■境内の配置と芭蕉歌碑 境内に入る. 境内突き当たりに翁堂がある.その手前に義仲公墓や芭蕉翁墓がある.少々時間が押してはいるが,この寺だけは少々時間を掛けて見学する. <義仲寺の配置> <芭蕉の歌碑>■木曾義仲墓 境内ほぼ中央に義仲公墓がある.立派な宝篋印塔である.<木曾義仲公墓>■芭蕉翁墓 その奥に芭蕉の墓がある.受付で頂戴した案内によるろ,芭蕉は元禄7年(1694年),大坂の旅舎で亡くなったが,遺言により遺骸は義仲寺に葬られたという.<義仲寺の芭蕉墓><沢山の社寺史跡を見学>■現在地確認 15時33分,義仲寺の見学を終えてふたたび歩き出す. 15時40分,京阪電車の踏切を渡る.そして,幾つか寺院らしい建物を眺めながら,15時42分,路傍の地図で現在地を確認する. この地図も「北」が下を向いているので,頭の中で地図を逆さに回してから,手許の地図と照合しなければならない.これが結構煩わしい・・・が,ともかく私達の現在地が確認できる.■平野神社と清源寺 15時48分,平野神社の前を通過する. 続いて,15時50分,清源寺の前を通過する. これらの社寺の由来などは,手許の資料では不明である・ <平野神社> <清源寺>■滋賀県庁 15時51分,滋賀県庁の立派な建物を眺めながら,県庁前の道を横断する.<滋賀県庁>■現在位置を確認する 15時51分,下図の「現在地」の位置に到着する.この図も「北」が下を指しているので,はなはだ見にくいが,次に交差する大きな通りが大津駅前の通りのようである.ということは私達が宿泊している東横インまでもあと少しのようである.■大津別院本堂と書院 15時56分,大津別院本堂と書院に到着する. 残念ながら,これらの建物は拝見できないが,案内板が取り付けられている.どうやらここには大津別院本堂1棟と書院1棟があるようだ. この案内板の説明によると,大津別院は慶長5年(1600年)に教如上人という方がこの敷地を拝領し,翌,慶長6年に内陣が完成したと伝えられているようである.現在の本堂は慶安2年(1649年)に建立されたものである.昭和36年(1961年)に重要文化財に指定された. 本堂の背面に大津別院書院があるとのことである.本堂より2年後の寛文10年(1670年)に建築された.同じく昭和36年に重要文化財に指定された.<大津別院の案内板を読む>■露国皇太子遭難の碑 15時56分,露国皇太子遭難の碑に到着する.街角に小さな碑が立っている. 傍らの壁に小さな案内文が貼り付けてある. この案内文によると,「ここは明治24年(1891年),帝政ロシアのニコライ皇太子に津田三蔵巡査がサーベルで切りつけた「大津事件」の発端となった場所である.当時,ロシアは強大国で,日本は近代国家として発足したばかりで弱小国のため,国民を不安のどん底におとしいれた.大国ロシアを恐れた松方内閣は硬質に対する大逆罪を的要して死刑を画策.しかし,大津地裁で開かれた大書院法廷では,謀殺未遂罪を適用,無期懲役の判決を下し,「司法権の独立」を貫き通した」という.<露国皇太子遭難の碑><再び東横イン京都琵琶湖大津>■東横イン京都琵琶湖大津に到着 16時09分,無事,東横イン京都琵琶湖大津(以下略して東横イン)に戻る.昨夜に続いて連泊である. たまたま居合わせた同行の皆さんと,16時半頃から一緒に夕食に行こうと約束してから,まずは自分の部屋に戻る. こうして第3日目の水平歩行距離19.0キロメートルの旅は無事終わった.<東横インに戻る>■アーケード街の中の日本食堂 集合時間にロビーへ下りる,偶然にもリーダーお二人以外の全員が集まる. どこへ遺構かという宛もないが,まあとにかく近くのアーケードにでも入って見ようかということになる. アーケード入口から50メートルほど入った右手に,なかなか感じが良い和食レストランがある.誰からともなく, 「ここにしよう・・・」と衆議一決.お店に入る. 席に座ると同時に, “あっ・・・! しまったッ!” 私はデジカメを持参するのを忘れた.したがって今日の夕食は写真なしである.まあ,たまにはデジカメに心を奪われずに,ユックリと夕食を楽しみなさいという神仏の思し召しだろう. でも,この日から1ヶ月半も過ぎてから,このブログの記事を纏めているので,このときどんな料理を食べたかを殆ど覚えていない.写真がないから思い出せないのだ. “多分,何か丼物だったかな・・いや牡蠣フライだったかな?” 余談だが,自動車の運転免許証を更新するときに,私ごとき高齢者は認知症テスト(正式に何というか忘れた)を受けることになっている.私もこれまで2回受験しているが,その都度,落第するのではないかと心配する. あの日の夕食のメニューがはっきり思い出せないようでは,行く先が思いやられる.■こうして第3日目も無事終わった 小1時間で夕食は終わる. まだ少々時間は早いが,そのままホテルの自室に戻る. その後,風呂に入ったり,テレビを見たりで適当に時間を過ごしてから,20時半頃就寝する. ************第3日目の纏め**********<ラップタイム> 8:32 守山駅歩き出し 8:48 今宿一里塚 8:53 徳栄寺・諏訪神社 9:02 栗東市へ 9:09 佛眼寺 9:18 コンビニで休憩(9:30まで) 9:53 伊砂砂神社(10:01まで参拝見学)10:03 光明寺10:12 東海道道標10:17 東海道中山道合流点10:23 草津宿本陣10:30 立木神社10:47 矢倉立場跡10:57 上北池公園・野路一里塚11:20 南草津駅前フェリエ(12:00まで昼食)12:14 清宗塚12:34 月倫池12:54 月倫寺13:07 一里塚と道標13:30 浄光寺13:39 横山一号墳13:48 横山神社13:52 正法寺13:52 ネコの道標14:02 瀬田の唐橋14:10 長徳寺14:17 石山駅14:42 八幡神社14:51 篠津神社15:03 和田神社15:07 響忍寺15:14 石坐神社15:16 法傳寺15:22 福正寺15:26 義仲寺(15:33まで参拝見学)15:51 滋賀県庁前15:56 大津別院・露国皇太子遭難碑16:09 東横イン着[歩行記録]■水平歩行距離 19.0km■累積登攀高度 87m■累積下降高度 77m■所要時間(休憩時間込み) 守山駅 発 8:32 東横イン着 16:09 (所要時間) 7時間37分(7.62h) 水平歩行速度 19.0km/7.62h=2.49km/h[参考資料]資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社 (第3日目終わり) (第4日目に続く) 「中山道六十九宿」の前の記事http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b58b7e6f9ef18d7622b97a6e7e17d821「中山道六十九宿」の次の記事http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b5b22259a582bffddd14b4aec29605a4※記事の正確さは全く保証しません. この記事は,あくまで,個人的趣味.仲間達と情報を共有することを目的としています.第三者の方々を読者の対象とはしていません.ご不快に感じられましたら,以後,当ブログへのアクセスはご遠慮下さい. #ウォーキング « 歩いて巡る中山道六十九宿(第... | トップ | 歩いて巡る中山道六十九宿(第... »
コメントを投稿 ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する