中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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歩いて巡る中山道六十九宿(第15回);第4日目(1);逢坂山を越える

2012年12月30日 03時25分19秒 | 中山道六十九宿

                      <関蝉丸神社に到着>

  歩いて巡る中山道六十九宿(第15回);第4日目(1);逢坂山を越える
            (五十三次洛遊会)
      2012年11月16日(金)~19日(月)

第4日目;2012年11月19日(月)


<東海道大津・逢坂の関付近の地図>


※再掲

<4日目の朝>

■今日の天気もマアマアのようだ
 例によって4時頃自然に目が覚める.
 5時少し前の天気予報によると,今日の天気はマアマア良さそうである.少なくても2日目のように雨に悩まされることはなさそうである.良かった!

<4時58分頃の天気予報>

■ホテルの朝食
 7時から1階ロビーの丸テーブルで朝食を摂る.バイキング方式ではなく,この写真のようにネーベンは,あらかじめお皿に盛りつけてある.丸テーブルでの食事なので,少々落ち着かないが,まあ,ローコストで宿泊しているのだから仕方がないなと思う.

<ホテルの朝食>

ホテルから歩き出す
 ホテルは東海道に面している.8時29分,ホテル前から昨日の東海道の続きを南へ向かって歩き出す.
 今日は,いよいよ中山道の旅の最終日である.一同,至って元気である.

<東海道に面したホテルから歩き出す>

<逢坂山へ向かう>

■大津宿本陣跡
 8時34分,大津宿本陣跡を通過する.辺りには当時を偲べるものは何もないが,案内板が設置されている.
 この案内板によると,「大津宿では大坂屋嘉右衛門(大塚本陣),肥前屋九左右衞門の2軒の本陣と,播磨屋市右衛門の脇本陣1軒が八丁筋におかれ」ていたという.また八丁筋には「多数の旅籠が軒を連ねて」いた,
 ただ,現在は本陣の遺構は全くなく,明治天皇の休憩所として利用されたことを示す明治天皇聖跡碑があるだけだ.

<大津本陣跡>

■明治天皇聖跡碑
 大津宿本陣跡に立っている明治天皇聖跡碑は,大きな石柱である.
 この辺りに本陣があったんだなと想像しながら聖跡碑の写真を撮る.

<明治天皇聖跡碑>

■狭い谷間の登り坂
 道路の両側から山が迫る.次第に狭い谷間を登る道に変わる.
 8時40分,山腹にお寺の建物が見えている.何というお寺か地図で調べるがどうもはっきりしない・・・が,まあ,いいか.
 並行する線路を綺麗な電車が通過していく.
 
<お寺の建物が見える>                             <綺麗な電車が通過する跨線橋>

<関蝉丸神社>

■関蝉丸神社の由来
 8時42分,跨線橋を渡って関蝉丸神社に到着する.
 随分と大規模な神社である.踏切のすぐ先に神社の鳥居があるのにビックリする.それにしても立派な鳥居だ.
 鳥居を潜ると参道は鬱蒼とした森の中である.参道を進むと,関関丸神社の由来記が掲示されている.
 この記事によると,関蝉丸神社は嵯峨天皇の時代,弘仁13年(822年)に建立された.上社と下社がある.ここは下社.祭神は上社が猿田彦命,下社が豊玉姫命である.文徳天皇の時代,安元元年(857年),逢坂の関が解説され,関所の守護神になったという,

<関蝉丸神社に到着>

■関蝉丸の境内を散策する
 少々時間を掛けて境内を一回りする.辺りは鬱蒼とした森である.何とも落ち着いた雰囲気を醸し出している.
 「いやあ・・・素晴らしいですね・・・」
と誰かが言っているのが聞こえる.

<鬱蒼とした森に囲まれた境内>

■重要文化財の石灯籠
 境内一角に重要文化財に指定されている石灯籠がある.別名時雨灯籠(しぐれとうろう)とも言うようである.傍らに立っている案内板の説明によると,この灯籠の六角形に基礎は単弁の蓮華座であり,その上に蓮華と珠門帯がある.さらにその上にある六角形の火袋は簡素な作りになっている.この石灯籠には作成年代を示す銘文はないが,様式から見て鎌倉時代のものと思われるという,昭和37年(1962年)に国重要文化財に指定された.
 石灯籠を一回りしてから,さらに境内の散策を楽しむ.

<石灯籠>                         <境内を散策する>

<逢坂山関址>

■踏切を渡る
 関蝉丸神社を一回りして,8時48分,再び踏切を渡る.そして京阪電鉄の線路に沿って緩やかな登り道を歩き続ける.

<踏切を渡る>

■関寺旧址安養寺
 8時49分,安養寺に到着する.境内の案内文によると,この寺の山号は逢坂山.本堂は重要文化財に指定されている,本尊は阿弥陀如来半座像.ここは蓮如上人の旧跡でもある.
 資料3には,「蓮如は,室町時代の浄土真宗の僧.本願寺第8世.本願寺中興の祖.同宗旨では,
「蓮如上人」と尊称される.諱は兼壽.院号は信證院.明治15年(1882年)に,明治天皇より「慧燈大師」の諡号を追贈されている.しばしば本願寺蓮如と呼ばれる.親鸞の直系とはいえ蓮如が生まれた時の本願寺は,青蓮院の末寺に過ぎなかった.他宗や浄土真宗他派,特に仏光寺教団の興隆に対し,衰退の極みにあった.その本願寺を再興し,現在の本願寺教団の礎を築いた.」という説明がある.

<安養寺>

■逢坂山山頂
 8時58分,逢坂山山頂と思われる場所に到着する.天空を覆うような2本の巨大な橋に圧倒される思いで,橋の下を潜る.この辺りを過ぎると,道は次第に下り坂に変わる.

<逢坂山山頂付近>

■関蝉丸神社上社
 9時00分,関蝉丸神社上社前を通過する.赤い鳥居と欄干が印象的である.

<関蝉丸神社上社>

■逢坂山関址と逢坂常夜灯
 9時12分,逢坂山関址を示す石碑と常夜灯の前に到着する.
 傍らに立っている案内板に,「平安京建都の翌年延暦14年(795年)に逢坂の関の前身が廃止されたと日本書紀に記述されている.その後,逢坂の関は,京の都を守る重要な関所である三関(鈴鹿関,不破関,逢坂関)のひとつとして,弘仁元年(810年)以降,重要な役割を果たしてきたが,平安後期からは徐々に形骸化し,その下達を失っていった.逢坂の関の位置については,現在の関蝉丸神社(上社)から関寺(現在の長安寺のある辺り)の周辺にあったといわれているが,未だにその位置はあきらかではない」と説明されている.

<逢坂の関の石碑と常夜灯>

■蝉丸神社
 9時15分頃,自動車の往来が激しい通りから進行方向右手の閑静な裏通りに入る.途端に自動車の騒音が聞こえなくなり静かになる,
 今が見頃の紅葉を眺めながら,救われたような気分で,緩やかな下り坂を歩き続ける.
 進行方向右手に見える紅葉の奥に蝉丸神社がある.どうやら,つい先ほど訪れた関蝉丸神社と歓迎があるようだ.
 傍らに案内板があるが,字が掠れていて良く見えない.取りあえずは写真でも撮っておいて,後で読み直そうかと思ったが,その写真も見るに堪えないほどの写りである.結局,この神社の由来などは良く分からないままである.
 見当違いの所を撮している写真を良く見ると,「天慶9年(946年)蝉丸を祀った・・・芸道の道祖神として平安末期から芸能に関わる人々に崇敬された・・・万治3年(1660年)現在のお社が拘留され,街道の守護神猿田彦命,豊玉姫命を合祀・・・」というような記事が読み取れる.まあ,これだけの記事からでも,蝉丸神社の様子が何となく分かる.

<紅葉が美しい裏道を下る>

■蝉丸って誰だっけ?
 蝉丸に関連する3箇所の神社を訪れている内に,
 “そもそも蝉丸って誰だっけ?”
 何だか聞いたことのあるような,ないような,何となく気になる名前である.
 早速資料4を調べると,「
『小倉百人一首』にその歌が収録されていることで知られているが,その人物像は不詳.宇多天皇の皇子敦実親王の雑色、醍醐天皇の第4皇子などと諸伝があり,後に皇室の御物となった琵琶の名器・無名を愛用していたと伝えられる.また,仁明天皇の時代の人という説もある.盲目の琵琶法師だったという説がある一方で,盲人ではなく単に乞食であるとする伝承もある.生没年は不詳であるが,旧暦5月24日およびグレゴリオ暦の6月24日(月遅れ)が「蝉丸忌」とされている.」という説明がある.
 さらに.「逢坂の関
庵をむすび往来の人を見てこれやこの 行くも帰るも分かれつつ 知るも知らぬも逢坂の関の和歌を詠んだという(百人一首では “行くも帰るも分かれては” となっている).このため,逢坂の関では関の明神として祭られる.和歌は上記のものが『後撰和歌集』に収されている他,『新古今和歌集』『続古今和歌集』の3首を含め勅撰和歌集に計4首が採録されている.」という説明が書かれている.
 いくら浅学の私でも,この和歌だけは聞き覚えがある.
 “なるほど・・・そういうことだったのか”
 やっぱり,街道歩きを続けていると,いろいろなことが見えてくるなと,改めて嬉しく思う.

[参考資料]

資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%93%AE%E5%A6%82
資料4;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9D%89%E4%B8%B8

                                       (つづく)                                  
 
「中山道六十九宿」の前の記事
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