<朝夷奈切通入口の案内板の前で>
ボンボリの鎌倉;金沢八景・朝夷奈切通・初弁天・鶴岡八幡宮へ(2)
<<「塩の道」を歩く>>
(五十三次洛遊会)
2012年8月6日(月)(つづき) 晴後曇一時雨後曇
この記事は,前の記事,「ボンボリの鎌倉;金沢八景・朝夷奈切通・初弁天.鶴岡八幡宮(1)」の続きです.
この記事の前に,下記の記事を先にご覧下さい
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/e26eba8a2db8ba28a725c808257ac966
<上行寺とその周辺>
■「塩の道」の概要
横濱金澤シティガイド協会のホームページより引用.
引用;横浜金沢シティガイド協会資料
■上行寺東遺跡
泥牛庵を見学した後,私たちは国道16号線を追浜方面に向かう.そして,環状4号線との三叉路を左折して,環状4号線に入る.
環状4号線に入って,京浜急行のガード下を潜ってから,ほんの数十メートル離れたところで,右折して路地に入る.急な登り坂を数十メートル進むと,右側に急な階段がある.この階段を数十段上ると上行寺東遺跡がある.余りに急な階段なので,登り切るには息が切れる.
階段の上には,原寸大のヤグラの模型が作られている.インターネットの記事によると,ここにはかなり規模の大きいやぐら群があったようだが,マンション建設のためにヤグラ群の大半が失われてしまった.やむを得ないこととはいえ残念である.
数年前,鎌倉市の老人向けの講座で,この遺跡の話を聞いたことがある.もううろ覚えだが,この遺跡の近くに徒然草の作者,兼好法師が住んでいたと聞いたような気がする.兼好法師は,多分,この辺りの山で,鎌倉幕府が滅亡していくのを眺めていたのだろう.
今,この丘から辺りを見回すと,ビッシリと民家が建ち並び,その向こうに鎌倉の山並みが見えている.勿論,兼好法師もこの山から,同じ風景を見ていたに違いない.もっともその頃は,民家など殆どなく,もっと海が内陸まで入り込んでいて,浜辺で塩を作る窯から煙が立ち上っていたんだろうなと勝手に想像する.
<上行寺東遺跡>
<上行寺東遺跡から鎌倉・逗子方面を望む>
■上行寺
10時52分,上行寺に到着する.上空が俄に暗くなり,ポツポツと雨が降り始める.
上行寺を参拝している内に,雨がザーザーと音を立てるほどの本降りになる.
インターネットの資料によると,上行寺は鎌倉時代末期から室町時代に創建された.山号は六浦山.当初は真言宗で金勝寺といわれたが,後に日蓮宗の寺に変わったという.
<上行寺>
■船繋ぎの松跡
山門近くに,船繋ぎの松跡がある.以前は,この辺りまで海だったという.そして,この辺りに船着き場があったらしい.
以前,鎌倉市の講座で聞いたうろ覚えの知識によると,江戸時代中期以降になると,江戸の庶民の間で,鶴岡山八幡宮寺,江の島弁財天,藤沢を廻る観光旅行が金持ちの間で流行ったという.これらの観光客も,船で金沢八景に上陸して,塩の道,朝夷奈切通を通って鎌倉に入ったらしい.
そんな昔の旅人のことを想像しながら,船繋ぎの松跡を見学する.
<船繋ぎの松跡>
■15分ほど雨宿り
雨脚がますます強くなる.私たちは仕方なく上行寺の山門と施設の軒下を借りて,15分ほど雨宿りをする.
何時までも,雨が降り止まないので,小降りになったところで,11時06分,思い切って歩き出す.
<雨が降りしきる.境内で雨宿り>
<環状4号線に沿って>
■塩場
上行寺から数分歩いたところで,やや広い道路が左に分岐する.この道路をそのまま進むと,京浜急行逗子線の六浦駅に到着する.分岐から,200~300メートルほど入ったところに,「塩場」という古い地名が残っているという.
鎌倉時代には,「塩場」の辺りまで海.ここで製塩が行われていたという.
今は平凡な住宅地になっているので,わざわざ寄り道をするまでもない.あの辺りが「塩場」という地名が残る場所ということを確認して先へ進む.
■光傳寺
11時16分,光傳寺に到着する.
この寺の正式名称は常見山無量院光傳寺という.インターネットの資料によると,1650年(慶安3年)に創建された寺.浄土宗.本尊は阿弥陀如来.
<光傳寺>
■宝樹院
環状4号線に沿って,さらに大船方面に進む.
11時27分,宝樹院入口に到着する.山の斜面に本堂と墓地が見えている.暑い最中に,あの坂を登る気がしないので,ここに宝樹院があるということだけを確かめて,先へ進む.
高栄山高照寺.真言宗.本尊は大日如来.元首相小泉純一郎氏の祖父,父親の菩提寺.
<宝珠院を見上げる>
■鼻欠地蔵
11時35分,鼻欠地蔵前に到着する.鼻が欠けていたので鼻欠地蔵と呼ばれていた.ここは武蔵国と相模国の国境.
風化が進んでいて,言われてみれば,なるほど地蔵かと,ようやく判断できるに過ぎない.ほとんど原形を留めていないと行って良いほどの状態である.
<鼻欠け地蔵>
■伝上総介広常の墓
環状4号線沿いの旧道脇に,上総介広常の墓があると伝えられるお堂がある.
かなり以前,半ば崩れかけた急な階段を登って,この墓を訪れたことがあるが,周囲に新しい住宅が建ち並んでいて,どこに登り口があったか分からないうちに通過してしまう.
<上総介広常の墓があると思われる場所>
■バス停朝比奈
11時47分,バス停朝比奈を通過する.
バス停から大船方面に向かって少し歩いたとこりに「朝夷奈切通」と書いた案内板が立っている.
私たちは,ここで左折.いよいよ鎌倉七口の一つである朝夷奈切通に入る.
雨は何時の間にか止んでいる.
<バス停朝比奈付近にある朝夷奈切通案内板>
(つづく)
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※まだ白内障手術後日が浅いので,長時間PCの前で作業することができません.
したがって,1回当たりの投稿量は,これまでより短いです.
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