<長岡駅「山菜ちらし寿司」>
趣味三昧;駅弁回顧録:昭和51年長岡駅「山菜ちらし寿司」
2012年9月5日(水)
※駅弁回顧録のつづき
これから,塔ノ岳に向かいます.
その前に駅弁回顧録を投稿しておきます・
昭和51年9月20日
これまで,このシリーズでは昭和56~57年辺りの駅弁包装紙を取り上げてきたが,今回はさらに数年遡って,昭和51年(1976年)当時の駅弁の中から,信越本線長岡駅の駅弁「山菜ちらし鮨」の包装紙を投稿することにしよう.
まず驚かされるのは駅弁の価格が400円という安さである.もっとも,よく調べていないが当時1ドルが250円ぐらいしていた時代だったと思う.弁当屋の電話番号が,現在より桁数が少ないのが懐かしい.
残念ながらこの駅弁の中身が,どんなものだったか全く思い出せない.
この頃,私は末端の管理者をしていた.全国の主要拠点に汎用コンピュータのアプリケーションシステムをサポートする体制を作るためにあちこちを廻っていた.このときは,多分,協力会社の大卒者求人支援のために,新潟大学工学部を訪れていた.この後,確か上田にある信州大学繊維学部にも立ち寄ったと思う(日記を子細に調べれば分かるが・・・ちょっと面倒).
この頃,私も中堅社員として働き盛り.かなりの頻度で,日本中を動き回っていた.
あのときの行動力は,最早,私にはない.歳月を積み重ねている内に,あの頃の行動力や気迫はなくなった.まるで人生の枯山水.何時の間にか私も老いぼれたなと,この駅弁の包み紙を眺めながら述懐する.
「お前さんも,あの頃は元気だったな~ぁ・・・あの頃の気概を思い出して,もっと元気になれよ・・」
と,私の心の奥底に住み着いているもう一人の私が,私を鼓舞する.
「そうなんだよなあ~・・・薄らボンヤリしていると,知らぬ間に老け込んじゃうね・・」
今回ばかりは,私も,もう一人の私の言うことを素直に聞いている.
そういえば,ウルマンの詩に,
"Youth is not a time, its a state of mind"
"Years may winkle the skin, but not winkle the seoul"
っていう下りがあったっけ.
「そうなんだよ! 若狭は気の持ち方で決まるし,年を取っても若い心でいればいいんだ・・・」
私は古い古い駅弁の包装紙を眺めながら,何となく良い気分になる.
**************************
“よお~しっ・・・,これから塔ノ岳に登るぞ!”
今日はどなたに会えるかな,楽しみだな.
(つづく)
「駅弁回顧録」の前回の記事
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