趣味三昧;駅弁回顧録:昭和58年;信越本線;新潟駅「えびずし」
今回収録するのは昭和58年の羽越線新発田駅の「えびずし弁当」である.
内容は,上の包み紙の写真の中に写っているとおりである.
昭和58年(1983年)といえば,もう今から33年も昔のことである.当時の私はサラリーマン人生の中で一番脂がのっていた時期である.同時に,そろそろ第二の人生をどのような方向へ進むか迷っていた時代でもある.
当時の私は事務用小型コンピュータ(オフィスコンピュータと呼んでいた)のシステムエンジニアリング部門に所属していた,私が居た会社ではこのオフィスコンピュータをディーラ経由で販売していた.いわゆる直販ではなく間接販売を主体とする販売形式を取っていた.
そんな関係もあって,この頃の私は全国にあるディーラさんのシステムエンジニアリング部門を絶えず廻って,次々に起こる問題や課題の解決に当たっていた.正直にいえば,私にとっては,とても辛い仕事だった.
余談になるが…
当時の相談事の大半は技術不足と,手不足および制作コスト削減の三大課題にどう,対応するかという点に集中していた.これらの課題は何れもそう簡単には解決できない重たい課題なので,細腕の私の能力ではとてもとても荷が重かった.
ただ,この時期に苦労した経験が,その後の人生でとても役に立つことになった.
当日,私は新潟にある某社関連の仕事を終えてから,ホッとした気分でこの駅弁を購入して,帰りの列車に乗車した.
この駅弁の裏には,「佐渡・越後路ごあんない」というイラストマップが印刷されている.
このイラストマップを眺めながら,いつの日にか,佐渡を観光したいなと思った.でも,佐渡観光は,あの日から33年も経った今でも実現していない.
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新潟まで新幹線が開通したのは1982年11月15日である(参照『ウイキペディア』).したがって,私はまだ開業して間もない新幹線に乗って新潟へ出張したことになる.
私の記憶は定かではないが,上越新幹線が開通してから,かなり長い間,新幹線は大宮市発だった.東京から大宮までは新幹線リレー号という列車に乗って乗り継いでいた.
あれから幾星霜,新幹線はもうすぐ北海道まで延伸される.時代は大きく変わったなとつくづく思う今日この頃である.
(つづく)
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2016年1月13日(水)
本当は,水曜日の今日は,丹沢塔ノ岳に出掛ける積もりだった.
先週土曜日に塔ノ岳を往復して以来,その翌日には鎌倉七福神めぐりの名目で,6時間ほど鎌倉の山野を登り下りした,一日置いて13日(火)にも,また鎌倉七福神めぐりで約6時間歩き廻った.
散々迷った末に,あまり調子に乗って,毎日,出歩くのは身体に良くないと判断して,今日の塔ノ岳行は見送ることにした.
…というのも,老齢期になると,例えば足の軟骨なども再生が利かない貴重な消耗品のように思えてくる.あまり急激に消耗するのは避けよう思うようになった今日この頃である.
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