<金鎖神社>
[改訂版] 歩いて巡る中山道六十九宿(第5回);(6)本庄宿から神保原へ
(五十三次洛遊会)
2010年3月13日(土)
※本稿の初出は2010年3月22日である.
初稿の地図を改訂し,本文の加除修正を行った.
<ルート地図>
※再掲
<本庄宿の西部>
■田村本陣跡
歴史民俗資料館での休憩を終えて,15時02分に出発する.歴史民俗資料館が設置されている場所は,田村本陣跡でもある.道路に面して,本庄市指定文化財の田村本陣門が残っている.
瓦屋根が付いた立派な門である.
門の側に立っている案内板によると,この門は本庄宿北本陣の正門である.また,本陣のあった場所は現在の中央1丁目6の区域で,1642年(寛永19年)からの宿泊記録が残されているという.
<田村本陣跡>
■煎餅の「せきね」
田村本陣門の前の道を西へ向かうと,すぐに南北に走る道と交差する.
同行者の1人が,交差点の近くにある煎餅の「せきね」に入ろうと一同を誘う.ナントカという煎餅が有名だという.入口に「くさ餅」「さくら餅」などと書いた紙が貼ってある.店に入る.案外小さな店である.私たちが入っただけで,店内は立錐の余地もなくなる.
結局,この店で,15分も費やしてしまう.
<煎餅のせきね>
■古い洋館
15時20分,「せきね」を出る.
地図を見ると,「せきね」のすぐ裏にある安養院へ行ってみたかった.なぜならば,本庄市の資料(教育委員会文化財課,2009)に,安養院が紹介されているからである.
ところが,また同行者の1人が,こさかしく,
「こっちへ行くと古い洋館がありますよ・・・」
私は内心で,
「今日は船頭が多いな・・・」
と思うが,だまっている.
南へ少し下って,旧中山道に突き当たる.ここを右折して西に進む.
15時22分,交差点近くの洋館の前を通過する.洋館を眺めながら,
「この洋館が,安養院を素通りしたことに値するのかな・・」
と疑問になる.
なお,資料7によれば,「この寺は,室町時代中期の1475年(文明7年)本庄信明の開基により兄行重(入道して伊安)が結んだ庵を上州沼田から招いた玉岑慶珠が開山となって寺としたのに始まるという.戦国時代には本庄氏の衰退とともにこの寺も荒廃し,その後,泰山が入寺して中興された.」という説明がある.
<古い洋館>
■金鎖神社
旧中山道を西北西に進む.
15時30分,金鎖神社(かなさなじんじゃ)に到着する.こんもりとした木々に囲まれた素晴らしい雰囲気がある.
境内にある説明文によると,以下の通りである(一部省略変更).
「金鎖神社の祭神はアマテラスオオミカミ,スサノオノミコト,ヤマトタケルノミコトの3神.社伝によると,541年,欽明天皇の2年に創立された.武蔵七党の一つである児玉党の氏神として,また,本庄城主歴代の崇信が厚かったという.
境内は,ケヤキやイチョウなどの老樹に囲まれ,本殿と拝殿を幣殿で繋いでいる.これは,いわゆる権現造の社殿である.この社殿の他に,大門,神楽殿,御輿殿などが建っている.本殿は1724年(享保9年),拝殿は1778年(安永7年),幣殿は1850年(嘉永3年)の再建で,細部に見事な極彩色の彫刻が施されている.幣殿には,江戸時代に本庄宿の画家により描かれた天井絵がある.
当社のご神木となっているクスノキの巨木は,県指定の天然記念物で,幹周り5.1メートル,高さ約20メートル,樹齢約300年以上と推定される.これは本庄城主小笠原信嶺の孫にあたる忠貴が社殿建立の記念として献木したものと伝えられる.
このほか,当社には市指定文化財となっているカヤ,モミ,大門,神楽,小笠原忠貴筆建立祈願文がある.」
<金鎖神社> <クスノキ:埼玉県指定天然記念物>
■長松寺と唐鈴大明神
15時44分,小島1丁目,2丁目,5丁目の境にある交差点に到着する.
旧中山道から北の方向に離れたところにある長松寺と唐鈴大明神は,見学を省略する.交差点から北に数百メートル離れたところに,こんもりとした森が見えている.あそこに唐鈴大明神があるだろうと,勝手に想像して通過する.
なお,長松寺の由来などは,インターネットを調べても,有力な情報は得られなかった.
資料8によると,「社格は村社.総本社は出雲大社.御祭神は大国主命(おおくにぬし),
素戔嗚尊/須佐之男命(すさのお),宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ).創建は大国主命(おおくにぬし).天平勝宝年間(749年~757年),遣唐使として唐国に渡った大伴宿禰古麿(おおとものすくねこまろ)が,帰国の際,玄宗皇帝より航海安全にと,金鈴を賜ったという.その後,古麿は,武蔵国に住み,その子孫,良麿(よしまろ)が,当地の五穀豊穣を祈念し,その唐鈴と杵築大社(現:出雲大社)からご分霊を勧請し,これを祀ったことに始まるという.」
<唐鈴大明神>
■二柱神社
15時55分,交差点を左折して南へ少し下って二柱神社に到着する.ここで,数分,休憩を取る.
大半の方々は,神社入口近くで休憩,境内に入ろうとしない.
境内に入ってみる.社殿に向かって左側に,沢山の神社が並んでいる.良く調べてはいないが,多分,いくつかの神社が統合されたのだろう.
資料9によると,「この神社の創建年代は不詳だが,聖天宮と称し,猪俣氏代々の崇敬した社と伝えられる.江戸時代には猪俣村の鎮守社となっていた.祭神は伊邪那岐命・伊邪那美命.境内社は伊勢大神社、豊受大神社、愛宕神社、八幡神社、稲荷神社、八坂神社、山神社、諏訪神社、雷電神社、琴平神社、天神社」である.
<二柱神社>
<神保原町>
■浅間山古墳
暫くの間,旧中山道を西へ西へと歩く.
16時08分,神保原町指定文化財浅間山古墳に到着する.赤い鳥居の先にある階段を登る.小高い丘の中腹にある縦穴を覗いてみる.
鳥居の脇に古墳の説明板が立っている.
<浅間山古墳>
<浅間山古墳>
■中山道の碑
浅間山古墳と道を挟んで反対側に,御影石に「中仙道」と刻字した石柱が立っている.新しいものである.「山」でなく「仙」の字になっている以外,あまり興味なし.
<中仙道の石碑>
■泪橋跡碑
中山道碑の近くに泪橋跡碑が立っている.この碑には,泪橋由来の説明文が記されている.
この説明文によると,徳川幕府は大名諸役などは,ここを通行するときに,街道筋の住民に伝馬などの重労働を課した.農繁期,極寒,荒天風雪の日にも,伝馬を担当した村人は,ここにあった橋で休憩を取った.そして,家族のことを想って,このはかなさを嘆き泪したという.
<泪橋の由来>
■安養院
16時10分,泪橋跡を出発する.やや大きな交差点を通過する.旧中山道は大きく右にカーブして神保原町の市街地に入る.交差点から数百メートル歩いたところで,JR神保原駅前の通りに到着する.ここを左折する.
駅前の通りを駅に向かって歩く.辺りは駅前にもかかわらず閑静である.
地図を見ると,進行方向左手に安養院があるようである.安養院の故事来歴は全く分からないが,とにかく,一目だけでも見ておきたい.駅のすぐ前の道を左折する,直ぐに墓地に沿った垣根が続く.数分,垣根に沿って歩いて,やっと安養院入口に到着する.
入口から本堂の写真を撮って,すぐに往路を引き返す.
<安養院>
■JR神保原駅
16時33分,JR神保原駅に到着する.駅付近に,喫茶店は1軒もなさそうである.
本当は,喫茶店で一休みしたいところだが,仕方がない.
神保原16時44分発上野行電車に乗車する.篭原駅で湘南新宿ラインの電車に乗り換える.19時16分に大船に到着する.
<神保原駅>
[ラップタイム]
10:11 JR深谷歩き出し
10:23 本陣遺構案内板
10:31 常夜灯・呑龍寺
10:35 清心寺
10:40 萱場稲荷
10:45 瀧宮神社
10:56 正明寺
11:01 源勝院
11:06 高島秋帆幽閉地跡
11:18 源勝院・岡部神社
11:25 善済寺・馬頭観音
11;34 宝登山神社
11:43 島森産泰神社
11:50 道の駅(12:36まで昼食)
12:49 八坂神社
12:58 滝岡橋
13:03 諏訪大明神遠望
13:10 ガードに中山道道標
13:33 長屋門
13:37 子育地蔵・庚申塔
13:47 内野歯科
14:12 大正院
14:18 園心寺
14:28 本庄城趾(14:34まで見学)
14:46 開善寺
14:52 慈恩寺
14:54 本庄市立歴史民俗資料館(15:02まで休憩)
15:05 煎餅屋「せきね」(15:20まで買い物・休憩)
15:30 金鎖神社
15:44 唐鈴大明神遠望
15:55 二柱神社(15:59まで休憩)
16:08 浅間山古墳・中山道道標・泪橋跡(16:10まで見学)
16:30 安養院
16:33 JR神保原駅 着
[歩行記録]
■水平歩行距離 15.3km
■累積登攀高度 64m
■累積下降高度 47m
■歩行時間(休憩時間込み)
深谷 発 10:11
神保原 着 16:33
(所要時間) 6時間22分(6.37h)
歩行速度 15.3km/6.37h=2.40km/h
(第5回終わり)
(第6回に続く)
[加除修正]
2013/2/19 ルート地図の追加と本文の加除修正を行った.
[参考資料]
資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料5;本庄市教育委員会文化財課,2009,『歴史探訪ウオーキングマップ「ほんじょう」』本庄市教育委員会
資料6;本庄市教育委員会本庄市教育委員会,年代不詳,『本庄市立歴史民俗資料館「レトロな資料館へようこそ」』
資料7;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E9%A4%8A%E9%99%A2_(%E6%9C%AC%E5%BA%84%E5%B8%82)
資料8:http://jinjajin.jp/modules/newdb/detail.php?id=4909
資料9;http://www.tesshow.jp/saitama/kodama/shrine_inomata_nichu.html
「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/380cbf1b28a9b9785193f4294ce97deb
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/d07a6d75e3b121bf37c6d9c3f955e08d
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e
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