<円心寺の仁王>
[改訂版] 歩いて巡る中山道六十九宿(第5回);(5)本庄宿
(五十三次洛遊会)
2010年3月13日(土)
※本稿の初出は2010年3月21日である.
初稿のルート地図の差し替え,本文の加除修正を行った.
<ルート地図>
※『本庄ウオーキングマップ』から引用
<本庄城趾付近の社寺>
■大正院
14時09分,私たちは,斜めに走る(新)中山道との交差点,「中山道交差点」を通過する.この辺りから建物が建て込み始める.私たちは本庄市内に入ったようである.
旧中山道に沿って,暫くの間,西の方向に歩き続ける.交差点から2キロメートルほど歩くと,道は緩やかなカーブを描きながら西北西に進路が変わる.そして,14時12分,大正院に到着する.大正院の由来は分からないが,境内に蚕蛹供養塔や俳人田村紋平供養塔があるようである(本庄市教育委員会文化財保護課,2009).田村紋平という人の生い立ちなど知りたいと思って,インターネットで調べたが,ハッキリしない.
どうやら,この寺には弁財天が祀られているようである.
<大正院>
■円心寺
地図を眺める.どうやら旧中山道の北側にある裏通りに,沢山の社寺が並んでいるようである.そこで,旧中山道から右折して,裏通りにある社寺を訪れることになる.
まずは,細い路地の突き当たりに位置する円心寺を訪れる.そして,この寺の立派な山門と本堂に驚かされる.
円心寺は18世紀後半(天明年間)に建立されたという(資料5).同資料によると,山門は,三間一戸(柱間が三つに分かれていて,真ん中が空いている)・重層の建物で,1978年(昭和53年)に解体修理が行われ,朱塗りに鮮やかな外観に復元した.そして,本庄市の文化財に指定された.
山門の中を覗いてみる.左右に凄い形相の仁王様が,文字通り仁王立ちになっている.
立派な本堂を拝観してから,脇道に出る.
なお,資料8には,「武蔵国児玉郡北部所在の後期本庄城の城主である小笠原信之が亡き母の菩提を弔う目的で天正9年(1581年)に建立されたと伝えられているが,歴史的矛盾が見られる.慶長8年(1603年),信之は実父の酒井忠次のために堂宇を建立.後の慶長14年(1609年),圓心房を呼び,開山させる.当時の山号は秀徳山であったが,元禄頃に改め,要行山とし,鴻巣勝願寺末となった.山門は天明年間に建てられたと伝えられ,その色から「赤門(あかもん)」の名で地元の人達に親しまれ,参詣対象となっている.一度火災を経験し,後に再建されるも,明治6年(1873年)に再び焼失.山門だけが残る.明治40年(1907年),二度目の再建に至り,今日に続く.平成年間に入ってからは寄付を得て本堂を新築している.」という説明がある.
<円心寺山門>
<円心寺本堂>
<円心寺>
■城山稲荷石標
円心寺の境内に沿って,細い路地を北に抜ける.そして,道幅はそこそこあるが自動車の往来がほとんどない住宅地の道路に突き当たる.この道を右折して,逆戻りするように東へ向かう.どこかに城山稲荷石標がある筈だと探し回る.多少,右往左往するが,14時26分,道端に立つ石標を見つける.
この石標前の十字路を左折して,北北東に進む.
<城山稲荷石標> <城山稲荷のケヤキの大木>
■本庄城趾
通路を100メートルほど進むと,左側に石造りの白い鳥居が立っている.この鳥居を潜って進んで,14時27分,本庄城趾に到着する.辺り一帯は広場になっている.
園内の掲示によると,以下の通りである.
「本庄城は1556年(弘治2年),本庄宮内少輔実忠(くないしょうゆさねただ)が築城.本庄氏は,山内上杉氏に属したが,1567年(永禄10年)に後北条氏に攻められて落城,後北条氏に服したが,実忠の子,隼人正(はやとのじょう)の代になって,1590年(天正18年),豊臣秀吉の関東攻めで落城した.
徳川家康の関東入国に伴い,信濃国松尾城主小笠原信嶺が1万石を賜って信条主になったが,1615年(慶長17年),その嗣子信之の代に古河城に移封され,本庄城は廃された.(中略) 小笠原信嶺夫妻の墓は,開善寺にあり,本庄城趾は,1958 年(昭和33年),本庄市指定文化財になる.」
<本庄城趾>
■城山稲荷社
広場を奥まで進むと,少し下ったところに城山稲荷社の本殿の前に出る.人気がない閑静な所である.
近くに立っている案内板によると,祭神は宇賀之御霊神(うがのみたまにみこと).1556年(弘治2年),本庄宮内少輔実忠が,本庄城の守護神とするため,西本庄より椿稲荷明神を場内に奉斎したといわれる.
本殿脇には,埼玉県指定天然記念物のケヤキの大木が生えている.このケヤキは,案内板によると,本庄城築城のときに,献木されたと伝えられる.現在,目通り周囲6.35メートル,高さ約30メートルである.
<本庄宿跡を歩く>
■本庄宿の概要
本庄宿は江戸日本橋から10次の宿場である.
資料3(p.73)6によると,宿内人口は4554人,内,男2264人,女2290人.宿内惣家数1212軒,内,本陣2軒,脇本陣2軒,旅籠70軒,問屋場6.大きな宿場だったようである.
資料1(p.28)によれば,本庄宿は扇状地の扇端に位置して,豊富な水に恵まれているという.中山道最大の宿として栄えていた.
■開善寺と小笠原信嶺夫妻の墓
私たちは,今,本庄宿の中心部を歩いている.
本庄城趾から往路を戻って.円心寺裏手まで戻る.その後,真っ直ぐ西へ進んで,14時46分に開善寺に到着する.通路を挟んで反対側の墓地の中に,立派な宝筐印塔が立っている.これは小笠原信嶺夫妻の墓である.
小笠原信嶺は,墓前の案内板によると,前に記したように,徳川家の家臣で,1598年(慶長3年)2月19日,52才で逝去した.この墓は古墳上に築かれている.
<開善寺>
開善寺の布袋> <小笠原信嶺夫妻の墓>
■慈恩寺
14時52分,開善寺の直ぐ隣にある慈恩寺の裏口に到着する.私個人は,是非,この寺の本堂をゆっくり眺めてみたかったが,大半の人は,この寺に興味がないようである.そのまま近くにある歴史民俗博物館で休憩を取りたいらしい.残念.こういうときに,団体行動の窮屈さを実感する.
私も,仕方なく,慈恩寺の本堂をデジカメに収め,そそくさと一同を追いかける.
資料7によると,「慈恩寺は真言宗智山派に属し,山号を菅霊山・院号を自在院・寺号を慈恩寺と称し,本尊は大日大聖不動明王(お不動様)である.
寺伝によると,もとは栗崎村にあったが,弘治2年(1556年)本庄宮内少輔実忠が本庄城築城の際,天神林(本庄城南東)に移されたと言われ,実忠を開基とする.当寺は,本庄氏の氏神である天満宮の別当寺で,初めは神宮寺と称されていたが,寛永6年(1629年)慈恩寺と改められた.
その後,寛文7年(1667年)2月更にこの地に転移したが,数度の火災にあって,現在の本堂は平成13年(2001年)11月に第31世住職発願により建立落慶に至った.」とのことである.
<慈恩寺>
■歴史民俗資料館
14時54分,歴史民俗資料館に到着する.ここでトイレ休憩.
資料館は,旧本城警察署の建物を利用している.この建物は,埼玉県指定文化財になっている.資料館の資料によれば,1883年(明治16年),本庄警察署として建築され,1889年(明治22年)まであった本庄宿で初めての本格的な洋風公共建物である.木造2階建て瓦葺き,漆喰塗り大壁造り,コリント風列柱.
1935年(昭和10年)に本庄警察署は移転,その後,消防本部,簡易裁判所,区検察庁,公民館,図書館として使用され,1980年(昭和55年)から,市立歴史民俗資料館都市として開館した.
入口で靴を脱いで館内に入る.館内の展示物を見ながら,館内を一回りする.ただ,予備知識がないので,展示物の真価が分からないのが残念である.
<歴史民俗資料館>
<歴史民俗資料館の内部>
(つづく)
[加除修正]
2013/2/18 ルート地図の追加と本文の加除修正を行った.
[参考資料]
資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
本庄市教育委員会文化財課,2009,『歴史探訪ウオーキングマップ「ほんじょう」』
本庄市教育委員会本庄市教育委員会,年代不詳,『本庄市立歴史民俗資料館「レトロな資料館へようこそ」』
資料5;http://www.citydo.com/prf/saitama/area_kumagaya/kenbun/kanko/honjoh002.html
資料6:http://www.nakasendo-net.jp/modules/gnavi/index.php?lid=63
資料7;http://members.my.home.ne.jp/jionji/toppage.html
資料8;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E5%BF%83%E5%AF%BA
「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/ed8f433ca39604d605ffadf58c12a759
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/96da02787ee012dfa8f99f7e697940a6
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e
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