<中津川宿も間近だ>
中山道六十九宿巡り(第11回);第3日目(8):中津川宿(1)
(五十三次洛遊会)
2011年11月11日(金)~14日(月)
第3日目;2011年11月14日(月)
<ルート地図>
<中津川宿の概要>
■中津川宿の詳細図
■中津川宿の概要
中津川宿は江戸から45番目の宿である.落合宿から3.5キロメートルの場所に位置している.
資料2(p.124)によれば,四ッ目川橋を境に,宿場町本町と商人町森町に区分できる.
資料1(p.244)によれば,宿内人口928名(男454人,女474人),宿内惣家数228軒(本陣1,脇本陣1,旅籠29)の規模である.
<三五沢から与坂へ>
■与坂立場跡
14時04分,与坂立場跡を通過する.
14時08分,三五沢に掛かる小さな橋を渡る(見出しの写真).前方になだらかな登り坂が見えている.
■子野の一里塚
14時08分,緩やかな坂道を登り切る頃,進行方向左手の空き地に「子野の一里塚」と刻字した案内杭が立っている.江戸日本橋から84番目の一里塚である.
<子野の一里塚>
■南無観世音菩薩石塔と覚明神社
14時14分,南無観世音菩薩他の石塔群に到着する.ここは覚明神社の境内である.境内には沢山の霊神碑が建ち並んでいる.
すぐ隣に覚明神社の立派な鳥居が建っている.この神社には覚明行者という人が祀られているらしい(資料1,p243).資料2(p.154)によれば,覚明は御嶽山に三岳口からはじめて登った行者である.
<南無観世音菩薩の石塔など>
<覚明神社の鳥居>
<いよいよ中津川宿>
■旭が丘公園の枝垂桜と石塔群
14時19分,旭が丘公園に到着する.
最初に目に付くのが,大きな枝垂桜の古木である.この木の下には女人講碑の他に沢山の石碑が林立している.
その中に馬頭観音もある
<旭が丘公園の枝垂桜>
<旭が丘公園の女人講碑>
■地蔵堂橋を渡る
14時20分,子野川橋に掛かる地蔵堂橋を渡る.
子野橋を渡ると,いよいよ中津川宿は間近である.
<地蔵堂橋>
■秋葉段権現
14時28分,秋葉大権現の石塔の前を通過する.
<秋葉大権現>の石塔群>
■尾州白木改番所跡
14時30分,尾州白木改め番所跡に到着する.
敷地内にある説明板の記事によると,この番所は1782年(天明2年)に建てられ,1871年(明治4年)に廃止された.
白木とは檜など木の皮を削った木地のままの木材で,屋根板,天井板,樋板などに利用していた.
尾張藩は領外への搬出を厳しく取り締まっていた.
<尾州白木改番所跡>
■旭が丘公園入口
14時22分,旭が丘公園入口を通過する.公園の中には入らなかったが,ちょっと散歩してみたい雰囲気がある.
<旭が丘公園入口>
■芭蕉の句碑(すみれ塚)
14時33分,芭蕉の句碑に到着する.
傍らに立つ案内板の記事によると,
山路来て
何や羅遊(らゆ)かし
寿(す)み連(れ)草
という句が刻字されているとのこと.
この句碑は中山道に面して建てられていたが,1978年(昭和53年),昔の面影を残すために現在地に移されたという.
<芭蕉の句碑>
■茶屋坂
14時40分,茶屋坂にさしかかる.
私が地図をチェックしながら,どこを行くか調べている内に,先頭がドンドン先に行ってしまう.
「よく調べないまま,何で先へドンドン行ってしまうんだろう・・」
正直なところ,私は内心でかなりの怒りを覚える.しかし,先へ行ってしまったものは仕方がない.本来の道とは少々はずれたところを歩いて,茶屋坂を下る.
<茶屋坂を下る>
■茶屋坂の案内板と高札場
14時40分,茶屋坂を下りきる.底には茶屋坂の案内板と,高札場の跡がある.
<茶屋坂の案内板>
■高札場跡
高札場跡には高札場が復元されている.ここには博打禁止,中津川からの駄賃など7枚の高札が復元されている(資料2,p.154).
<復元された高札場>
■正善寺
14時41分,正善寺の参道入口を通過する.
何となく雑然とした路地の突き当たりに寺の屋根が見えている.この寺については,手許の資料では何も分からない.
■中津川駅に到着
中山道が中津川駅前の道路と交差する信号新町で右折する.
資料3(p.44)によると,この交差点に,名物「『栗きんとん』やす」という有名な店があるらしい.元禄年間創業の老舗のようである.
ほどなく,14時48分,私たちは,今回の終着点であるJR中津川駅に到着する.
中津川宿の残りは,次回見学ということになる.
なお,今回はルートから外れていて立ち寄れなかった旭ヶ丘稲荷大明神,南林寺などは,次回,私1人で早めに中津川に来て,一回りしてこようかと考えている.特に南林寺には前田清頓画伯の天井図があるので,是非,拝見したいなと思う(どうせ,非公開で拝見できないだろうが・・).
<IR中津川駅>
(つづく)
[参考文献]
資料1;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料2:岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料3;五街道ウォーク事務局『ちゃんと歩ける中山道六十七次』
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