<妻籠宿が見え出す>
中山道六十九宿巡り(第11回);第2日目(6):上久保の一里塚と妻籠城趾
(五十三次洛遊会)
2011年11月11日(金)~14日(月)
第2日目;2011年11月13日(日) (つづき)
<ルート地図>
<石塔が沢山ある街道を行く>
■南木曽駅から歩き出す
幹事役のOさんとIさんが,バス乗り場の案内所で,妻籠宿からJR南木曽駅までのバスの運転時刻表を調べる.その結果,これから妻籠宿まで歩いても,南木曽駅まで戻れるバスがあることを確認する.もっとも,私は,内心で,いざとなればタクシー相乗りを考えている.馬籠は有名な観光地.だから多少不便でもタクシーぐらいはあるだろうと楽観的である.
14時30分,当初3日目に歩く予定であった南木曽駅から先の街道を歩き始める.追加の歩行距離は5.9キロメートルである(資料2,102).
<南木曽駅のバス停>
■和合の集落を歩く
南木曽の駅を歩き出すと,長閑な雰囲気の集落が続く.和合という名前の集落である.
谷間の道が続く.集落を抜けると深い杉林に入る.何となく薄気味悪いほどの山の中である.辺りには全く人影がない.この道で本当に大丈夫なのだろうかと,心配になってくる.
14時27分,大きな石塔の前を通過する.石塔には何か文字が刻まれているが「鬼門■(!?)」.何だろう.
次いで,14時34分,「鳥獣供養碑」と刻字してある石塔の前を通過する.さすがに由緒ある中仙道である.枚挙のいとまがないほど,沢山の石塔が次から次へと現れる.
<何が書いてあるのかハッキリしない石塔>
<鳥獣供養碑>
■神明神社
14時39分,神社の前に到着する.境内のどこかに神社の名前が書いてあるのだろうが,ちょっと見では分からない.多分,かぶと観音だろうと勝手に想像する(違っているかも知れない).でも,ここは寺ではなく神社だな・・・では,やっぱり,かぶと観音ではなさそうである.
もし,かぶと観音だとしたら(そんな筈ないが),木曾義仲のかぶと観音が祀られているはずである(資料2.p.41).
資料を首っ引きにして,これは神明神社だろうと推察する.もちろん,正しいかどうかは分からない.
<名前が分からない神社>
■立派な石塔
14時42分,またもや,何という字が彫ってあるのか良く分からない立派な石塔の前を通過する.
何の石塔だろうか?
<立派な石塔>
<上久保の一里塚と良寛歌碑>
■戦沢橋を渡る
さきほどの神社の前から左に折れる.そして,竹林の中を歩いて,14時46分,戦沢川に架かる戦沢橋を渡る.
橋を渡って,すぐ側に,石造りの戦沢橋道標が据え置かれている.
<戦沢橋>
<戦沢橋道標>
■上久保の一里塚
昔の面影が残る石畳道を進む.そして,14時49分,上久保(うわくぼ)の一里塚に到着する.江戸日本橋から80里目(資料3.p.42)の一里塚である.道路の左右に良く原型を留めている.
傍らにある案内板には,ここは「江戸から数えて78番目の塚」と記されている.また,資料1(p.227)にも,江戸から78番目と記されている.
資料2(p.118)によれば,東側の塚は,後世になって復元したものだという.
<上久保の一里塚>
<上久保の一里塚>
■良寛歌碑
14時51分,良寛歌碑に到着する.
縦長の大きな石に良寛の詩が刻字されているが,私には良く読めない.
資料3(p.42)によると,これは,
この暮れの
もの悲しきに
若草の
妻呼びたてて
小牡鹿鳴くも
という詩らしい.
<良寛歌碑>
■蛇石かな?
14時51分,中山道のみちしるべ(石柱;写真省略)の前を通過する.辺りには竹林が多い.
15時丁度に,多分,蛇石と思われる石の前を通過する.ただ,この石が本当に蛇石かどうかあやふやである(蛇石ではないかもしれない).要するに,本当のところ,何だか分からない石である.
<蛇石(?)>
<妻籠宿が間近>
■妻籠城趾
15時02分,妻籠城趾の案内板に到着する.
資料4(p.33)によると,ここから右折して急な山道を10分ほど登ると妻籠城趾に到着するという.妻籠城は木曽の南の守りの城であった.長野県指定史跡になっている.
私個人だけの旅だったら,間違いなく立ち寄って見るが,今回はグループ旅行.残念だが見学は諦める.
<妻籠城趾の案内板>
■妻籠宿まで0.7キロメートル
林の中の急坂を登る.
15時06分,妻籠宿まで0.7キロメートルと書いてある道しるべを通過する.そしてすぐに小さな川に架かる橋を渡る.橋の名前は残念ながら分からない.
<妻籠宿まで0.7km>
■これより妻籠宿の街並み
さらに登り坂が続く.
15時08分,峠を通過する.峠の前方には妻籠の集落が見えている(この記事の見出しの写真).
緩やかな坂道を下る.そして,15時08分,「これより妻籠宿の街並み」と書いてある案内標識に到着する.
ようやく妻籠宿の入口に到着する.
<「これより妻籠宿の町並み」の標識>
(つづく)
[参考文献]
資料1;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料2:岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料3;五街道ウォーク事務局『ちゃんと歩ける中山道六十七次』
資料4;木曽観光連盟(編),2010,『信州木曽路中仙道を歩く』木曽観光連盟
「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/33a5afb3a10dbacf80221c0ee97977b4
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/5cd2c26b14adf17b4fc35a41564739d6