<観光客で賑わう妻籠宿>
中山道六十九宿巡り(第11回);第2日目(7):妻籠宿(1)
(五十三次洛遊会)
2011年11月11日(金)~14日(月)
第2日目;2011年11月13日(日) (つづき)
<妻籠宿詳細図>
<賑わう妻籠宿>
■いよいよ妻籠宿
15時08分,「これより妻籠宿の町並み」の案内板を通過する.ここから大きく右にカーブする緩やかな坂道になる.
坂道の途中から左折して道幅の狭い上り坂を進む.だんだんと観光客の姿が見えるようになる.
15時09分,切妻作りの立派な家の前に到着する.いよいよ有名な妻籠宿に到着である.
<妻籠宿に入る>
■妻籠宿の概要
資料1(p.228)によると,妻籠宿の宿内人口は418人(男216人,女202人).宿内惣家数83軒(本陣1,脇本陣1,旅籠31)であった.
三留野宿から妻籠宿までの距離は1里半(約6キロメートル)である.
つまり,私たちは当初計画の2日目の行程より,6キロメートル余計に歩いて,旅籠宿に到着したことになる.
資料2(p.102)によれば,明治百年記念事業として,妻籠宿の復元修景が実施され1976年(昭和51年)に全国初の重要伝統的建造物群保存地区(略して重伝建)に指定された.
■鯉ヶ岩
15時10分,鯉ヶ岩に到着する.
どれが鯉ヶ岩か良く分からないが,立派な案内板が建っている.この案内板の記事によると,木曾義仲の時代の後,木曽義昌の頃,武将がこの岩の辺りで,恋を囁きあったという伝説があるらしい.また,この岩は鯉の形をしていたが,1891年(明治24年)の美濃の大震災で,変形してしまった.この岩は,中仙道三大名石として有名だという(資料3,p.42).
<鯉ヶ岩の案内板>
■口留番所跡
15時11分,口留(くちどめ)番所跡に到着する.特に史跡が残っているというわけでもなく,案内板が立っているだけである.
この案内板のジジによると,江戸時代初期に,この辺りに番所があって,中山道を往来する人たちを監視していたという.
資料1(p.228)によると,妻籠宿の東入口は,この番所辺りから始まる.
口留番所を過ぎると,やや広い通りにぶつかる.この辺りに高札所があったようである.
■妻籠宿そぞろ歩き
いよいよ妻籠宿の核心部に入る.
いきなり,沢山の観光客に出くわす.これまで人影まばらな所ばかり歩いてきた私にとっては,まるでいきなり別天地に入ったような驚きである.それにしても,こんなに沢山の観光客はどこから来たんだろうと不思議に思うほどである.
私たちは,ひとまず南木曾行のバスが出るバスターミナルの位置を確かめてから,16時06分発南木曾行バスが間に合うように,ここに戻ることにして,それまで自由行動ということにする.
<観光客で賑わう妻籠宿>
■コーヒーブレーク
たまたま一緒になった数名の方と遺書に,バスターミナルから坂道を登って,宿場のメインストリートに戻る.
暫くの間,宿場の中をブラブラするが,すぐに飽きる.
私は,何時ものクセで,何となくコーヒーが欲しくなる.たまたま目の前に土産物兼コーヒー店がある.
「コーヒーでも飲みながら一休みしませんか・・」
と居合わせた仲間を誘う.
店内に入る.結構混雑している.コーヒーはマグカップ込みで1杯350円(値段は記録違いかも知れない)と格安である.およそ30種類ほどのマグカップがずらりと並んでいる.その中から自分の好みのマグカップを選んで注文するという仕組みである.マグカップなど要らないという人は,コーヒーだけでもOKだが値段は変わらない.
私は黒地のマグカップを選ぶ.そして飲み終わった後,店の方がそのマグカップを洗って戻してくれる.
下の写真の左側が,妻籠宿のマグカップである.
山行までに,右側は数年前にアラスカを訪問したときに,同じように観光列車の中で貰ったマグカップである.
余談になるが,こんなマグカップ一つにも,日本とアメリカの特徴が良く現れているような気がする.一口に言えば,日本のマグカップは繊細でどこか華奢な感じがするのに対して,アメリカのマグカップは,大味で頑丈そうである.もちろん,たまたま入手したマグカップだけを選んで比較するのは,はなはだ非科学的ではあるが・・・まあ,堅い話はヤメにしよう.
<妻籠宿のマグカップとアラスカのマグカップ比較>
<南木曾経由で恵那へ戻る>
■バスで南木曽駅へ
15時40分頃,バスターミナルに戻る.すでに数名の同行者がバス乗り場に並んでいる.
先ほどバスターミナルに到着したときには,何台もの大型観光バスが並んでいたが,大半の観光バスは,すでに出発したようである.そのためかバスターミナルは何となくガランとしている.
確かに妻籠の宿場だけを見物するのも悪くはないが,やっぱり宿場と宿場の間の道を歩くことに醍醐味があるのではないかと私は思う.宿場の中を一回りするだけの旅はゴメンだなと私は実感している.もちろん,これは私だけの勝手な印象だが・・・
16時04分,私たちが乗った南木曾行のバスが発車する.幸いなことにバスはそれほど混雑していない.
バスは曲がりくねった道をかなりの速度でばく進する.バスに揺られながら,よくもまあ,こんなに長い距離を歩いたものだと実感する.
私たちのバスは,16時13分に,無事,JR南木曽駅に到着する.
<JR南木曽駅に到着>
■中央本線の電車で恵那へ
南木曾発16時30分中津川行の電車に乗車する.
短い3両編成の電車は,随分と混雑している.当然,立ったまま.でも,どうせ今まで歩いてきたのだから,立っていても全く苦にならない.
16時50分,中津川駅に到着する.幹事役のお二人は,ここで下車して夕食を摂るという.私も誘われたが,途中下車は面倒なので,他の皆さんと一緒に,17時01分発名古屋行の普通電車に乗り換える.今度は長い編成の都会らしい雰囲気のある電車である.
17時12分,無事,恵那駅に到着する.
■途中で夕食
今日の宿泊場所である恵那プラザホテルに帰る前に,一子にどこかで夕食を摂ろうということになる.
昨夜の記憶を頼りに,それらしい食堂がありそうな所を探し回る.
17時40分頃,たまたま眼に入った食堂に入る.客席は全部で20席ほど.初老の女性が頼りなげに切り盛りしている.
私はアルコール抜きで,ナントカ定職を注文する.純和風でなかなか良い.最後にコーヒーが付く.この辺りが和洋折衷ということだろう.
私たちが食事をしている間にも,ポツポツと切れ目無く客が入ってくる.結構繁盛しているようである.店の奥から赤ん坊の泣き声が聞こえてくる.
<本日の夕食は和風定食>
■恵那プラザホテル
18時20分,夕食を終えて店を出る.
外はもう真っ暗,適当に歩いて,昨夜通った見覚えのある道に出る.
18時36分,無事,恵那プラザホテルに戻る.昨夜来の連泊である.
狭い客室だが,一応,何でも揃っている.まずはともあれ,風呂に入る.その後,テレビを見ながら,今日一日の記録を纏める.
21時頃,就寝.
こうして,第2日目も無事終わった.
<ラップタイム>
7:00 恵那プラザホテル発
7:23 JR恵那駅着(7:23中央本線中津川行発中津川乗換)
8:33 JR恵那駅着(8:45JR須原駅歩き出し)
8:50 須原宿本陣跡
9:00 定勝禅寺
9:32 岩出観音堂
10:01 天長院
10:21 道の駅「大桑」(10:30頃まで休憩)
10:57 野尻宿入口
11:15 下在の一里塚
11:24 信号野尻近くのソバ屋(11:58まで昼食)
12:29 十二兼
12:35 JR十二兼駅(12:45まで休憩)
13:16 羅天橋
13:42 三留野宿
13:51 南木曾小学校
14:13 JR南木曽駅着
=====ここまでが当初計画の2日目の行程======
14:30 JR南木曽駅歩き出し
14:49 上久保の一里塚
14:51 良寛歌碑
15:08 妻籠宿入口
15:10 鯉ヶ岩
15:40 妻籠宿バスターミナル(16:04路線バス発車)
16:13 JR南木曽駅着(16:30中央本線中津川行発)
17:12 JR恵那駅着(途中夕食)
18:36 恵那プラザ-ホテル着
[歩行記録]
■水平歩行距離 14.5km
■累積登攀高度 430m(概算値)
■累積下降高度 595m(概算値)
■所要時間(休憩時間込み)
JR須原 発 8:45
妻籠宿バスターミナル着 15:40
(所要時間) 6時間55分(6.92h)
水平歩行速度 14.5km/6.92h=2.10km/h
(つづく)
[参考文献]
資料1;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料2:岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料3;五街道ウォーク事務局『ちゃんと歩ける中山道六十七次』
「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/9fff3e8497d77127125507910e173d2c
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/83f919358ff8184bf4eaa7243ffd27b4