<ワラス郊外に出ると美しい山が見えてくる>
ペルー周遊記(37):第11日目(1):壊れた橋
2008年7月11日(土)
<ワラスの朝>
■ワラスの概要
ワラスは,アンカシュ県(Ancash)の県庁所在地である.アンカシュ県は,海岸の砂漠地帯,アンデスの高山地帯,およびマラニョン川(Maranon)沿いのジャングル地帯の三つの異なる地域によって構成されている(ホセミゲル他(著):池田(訳),2005,pp.82-83).
ワラスは度々地震の被害を受けているが,特に1970年5月31日の地震の被害が大きかった.度々の地震によって,典型的なアンデス様式の建築物は殆ど残っていないようである.
ワラスは,リマから北北西に約400キロメートルに位置している.人口約8万人.
ブランカ山脈(Blanca)に属する沢山の高山がワラス市街地を囲むように聳えている.ペルーの最高峰ワスカラン山(Huascaran,標高6,768m),ワントサン山(Huantsan,標高6,395m),ワンドイ山(Huandoy,標高6,395m),チョキカルキ山(Chopicalqui,標高6,345m)を始めとする標高6,000メートル級の山々が聳えている.
<ワラスから見たブランカの山並み>
<ワラス市街図>
■夢で目が覚める
いよいよペルー滞在11日目の朝を迎える.
昨日,ワラスに到着した私達は,ワラス市内のアンディーノクラブホテルに宿泊している.ワラスは標高3,027メートルの高地にあるが,昨夜は,幸いなことに,高度障害もなく,良く眠れた.ただ,ダイアモックスを服用した上に,意識的に水分を多めに取っているために,朝方3時頃,トイレに立った.そのまま眠れなくなるかと心配したが,間もなく眠ってしまったようである.
眠っている間に,変な夢を見る・・・・・
***夢の中で,私は何かの委員会の委員に選ばれてしまう.沢山の人の前で自己紹介をしているところで,一旦,目が覚める****
部屋の空調機の音がうるさい・・・・が,また眠ってしまう・・・
***夢の中で,今度はコフッフ山荘オーナーの三井さんに連れられて,逗子からJRの電車に乗って,どこかへハイキングに出掛ける.キップ売り場が大変混雑していて,なかなかキップが買えない.もたもたしていると,係員が,何かブツブツ言いながら,私の所に近付いてくる.そして,古銭とキップ,それに小さな飴を私に手渡す.すると,列の2~3人前にいた子供が,この飴を横取りする.
電車に乗る.車内は押し合いへし合いの大混雑である.不安だが兎に角押し込まれるようにして乗車する.何処の駅で降りればよいのか分からない,近くには仲間の姿がない.仕方なくリュックから地図を出して,現在地を確かめようとするが,電車が混雑しているので,リュックから地図が,なかなか出てこない****
ここで目が覚める.6時37分である.
<レストランの美しい花> <横田さん:ご本人の了承を得て掲載>
■レストランで朝食
起きがけに変な夢を見たが,今朝も体調はまあまあのようである.
すぐに身支度を整えて,7時頃,ホテルのレストランに行って,朝食を摂る.バイキング形式である.オートミール,ソーセージ,ベーコン,スクランブルエッグ,メロン,スイカ,チーズなど適当に取り分ける.それにパンとコーヒー.これが今朝の朝食である.
テーブルには,赤色と黄色の花が飾られている.とても綺麗なので,思わずノートにスケッチする.
<アンディーノクラブホテルの朝食>
<チャビンデワンタル地図>
<専用バスでワラスを出発>
■横田さんと初対面
7時50分頃,三井さんが,専用バスにのって,私達が宿泊しているホテルに到着する. 私達は,すぐに専用バスに乗車する.
今日から暫くの間,横田さんという方が,私達と一緒に旅をするようである.三井さんから横田さん(以下Yさん)の紹介がある.私は,早速,Yさんのサインを戴く.Yさんは,長い期間,ペルーの一人旅を楽しんで居られる凄い方である.お付き合いしている内に,Yさんのスケールの大きさに圧倒され始める.
ホテルを出発した専用バスは,かなり急な下り坂を進む.そして,バスは両側に電柱が並ぶ道を,ほぼ南南東の方向に向かって進む.そして,8時17分頃,ワラスの郊外に出る.
<横田さんのサイン>
※住所,メールアドレス,生年月日の部分は省略する.
■カタックかな?
8時21分頃,進行方向左手に,青い柱と半円形のアーチが付いた門が建っている.三井さんによると,この門がインカ道の始点だという.
くねくねと曲がる2車線の舗装道路が続く.牛を数頭引き連れた村人,太った中年の女性,綿羊をつれた人などとすれ違う.遠くには名前は分からないが,白い雪を戴く大きな山が見えている.
8時32分,進行方向右手に大きな洞窟が見える.この洞窟は,太平洋までつながっているという伝説があるあらしい.
バスは大きく左折する.さらにまた左折して.そして,8時45分頃,大きな集落に入る.やや広い道路の両側に平屋建ての小綺麗な家屋が並ぶ.これらの家屋に比較して,ずいぶんと背の高い街灯が道路の両側に整然と並んでいるのが印象的である.
残念ながら,手許の地図では縮尺が大きすぎて,地名などハッキリしないが,多分,カタク(Catac)というところだと思われる.私の高度計によると,この辺りの標高は3,640メートル位だろうか(誤差あり).
<街灯が美しいカタック市街>
<インカ道の始まり>
<太平洋まで続くといわれる洞窟>
■渡れない橋
レグアイを過ぎて暫くの間,バスは南南西に進む.三叉路を左折して東北東に進む.道路はだんだんと狭くなり,奥地に入っていくような雰囲気になる.
8時53分,小さな川の麓に到着する.小さな河原でバスは停車する.進行方向左手に長さ20メートルほどの橋が見えている.ケロコーチャ川(Querococha)に架かる橋である.ただ,この橋はかなり傷んでいて,自動車は通れなくなっている.そのために,自動車は,橋から20~30メートル上流の浅瀬を利用して渡るしかない.
浅瀬を見ると,1台の小型トラックが,深みに填り込んでエンコしている.私達のバスも,この小型トラックが浅瀬を渡しきらなければ,先へ進めない.私達はバスから降りて,エンコした車がどうなるか見物する.
やがて,大きなトラックが来る.大きさに任せてか,エンコした車の直ぐ上流を渡って前に出る.そして,ロープを出して,エンコ車を結んで,引っ張り出そうとする.しかし,ロープが弱すぎて,直ぐに切れてしまう.数回,こんなことを繰り返すが,結局,失敗する.
暫くして,別の小型トラックが来る.今度のトラックは,幸いなことにワイヤーロープを持っている.ワイヤーロープを使って,エンコ車は,深みから楽々と引っ張り出される.
9時12分,やっと私達のバスが浅瀬を渡る.ただ,私達人間は,オンボロ橋を徒歩で渡る.
<浅瀬でエンコしている車を引っ張る>
<毀れた橋:人間は渡れるが,車はダメ>
(つづく)
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