閑話休題:サムエルウルマンの詩
(鎌倉あれこれ)
2008年12月5日(金)
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今日は塔ノ岳に登りたいなと思っていた.
ところが,早朝の天気予報では,午前中は曇,午後から雨になるとの琴である.いくら山狂いでも,これから天気が悪くなるのが判っているのに,わざわざ出掛けるほどの山好きではない.午前中は部屋の掃除に専念することにした.
掃除をしていると,昔々のスケッチや,高校生時代の写真などが続々と出てくる.それらを眺めていると,ああいつの間にか,自分も随分と老いぼれになったなと実感する.
その内に,テレビで山岳ガイドの池之内さんが,マウントクックで遭難したというニュースが流れる.
「えぇ~っ・・・! あの池之内さんが!!」
私は絶句する.池之内ガイドには,少なからず世話になったことがあるからである.
何となく気が萎えてくる.こんなときは,サムエルウルマンの詩を読むに限る.
そんな訳で,今回は,当ブログらしくない内容の記事を投稿しよう.
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<驚き,ためらう>
■山岳ガイド池之内さんが遭難
私も何回かお世話になった山岳ガイドの池之内さんが,12月3日に,ニュージーランドのマウントクックで遭難したという報道に接する,大ショックである.
数年前に,ルートバーントレッキングを楽しんだ後,ハーミテージホテルに滞在して,山麓からマウントクックを仰ぎ見たことがある.鋭く尖った双耳峰の山だった.フッカー谷の対岸から,マウントクックを見ていると,絶え間なく,氷河が崩れ落ちる轟音が聞こえてくる.
マウントクックは,エベレストに登る人が訓練のために登ることが多いと伺った.現地の山岳ガイドの話だと,マウントクックでの遭難確率は,10パーセント.つまり,10人に1人が遭難で死亡しているという.
最初に,池之内ガイドにお世話になったのは,かれこれ5~6年ほど前,北アルプスの剣岳に登ったときだった.また,海外で偶然にお会いしたこともある.そのときも,非公式ながら,大変お世話になったことを思い出す.
ご冥福を祈り合掌.
<そそり立つマウントクック(2005年の山行より)>
■同窓の背中に自分の老いを感じる
高等学校同窓生の集まりに「散策の会」というのがある.高校を卒業して,既に半世紀以上も経っているが,今でも春と秋の季節の良いときに,年,4回程度,集まってハ,東京近郊のハイキングを楽しんでいる. つい先日も,この「散策の会」で東京の等々力渓谷を散策したばかりである.
何時ものように,沢山の同窓生が集まったが,年を追うごとに,お互いに老いを感じるようになる.
等々力渓谷を散策する同窓生の姿を見ていると,一様に猫背になっている.そして,年寄り特有の足を引きずるような歩き方をしている.
私も,自分自身の感覚では,まだまだ若いと思っていたが,外海から見れば,同窓生の皆様と同じように,老人そのものの雰囲気を醸し出しているに違いない.正に「他人の仕草に,自分の老いを実感」してしまう.
その証拠は,この頃,あちこちで見掛ける安値の床屋に入ってみると,一目瞭然である.身分証明書のようなものを,全く提示しないのに,すんなりと65歳以上の割引価格を請求される.
また,数年前,シンガポールを旅した.何処かの施設に入ろうとしたら,窓口の係員から,いきなり,
“Are you senior ?(貴方はシニアーか)”
と言われ,何も提示せずに,割引料金で入場できた.
嬉しいやら,悲しいやら・・・複雑な心境であった.
<同級生の背中に自分の老いを実感する:等々力渓谷にて(2008/11/29)>
■自分では自覚がないのに川の向こうへ・・
話は変わる.
私の義兄が,今年の夏に肺ガンで他界した.そのつい1ヶ月ほど前に会ったときは,わざわざ玄関まで見送ってくれたのに・・・
末期には,意識不明のまま点滴に頼って生きていた.そして,ご本人の自覚がないまま,三途の川を渡って,あの世へ行ってしまった.既にあの世に行ってしまった父や母を見送ったときも,同じような感想を持った.
つい先日,「鎌っこ倉ぶ」の例会で,藤沢にある天獄院を訪れた.お寺のご厚意で,本堂に上がらせて貰った.本堂のタタミに座った途端に,つい先日の義兄の葬儀を思い出した.言いようもない焦れったさ・・というか,やるせなさと胸元がつっかえるような不安感に襲われる.
死んだ義兄の姉,つまり私の姉も,また,末期の肺ガンで闘病中である.
もう,かれこれ,1ヶ月ほど前になるだろうか,NHKの早朝番組「視点・論点」で,『ガン哲学』の確立と普及が,ガンと正面から立ち向かう医師にも,患者にも大切だという趣旨の提案があった.この番組の内容は,極めて啓蒙的であった.
まあ,それはともかく,自分本人が知らない間に,何の苦痛もなく,周囲への迷惑も最小限のまま,スーッ・・・と,川を渡りたいものである.
<藤沢の天獄院に詣でる:不思議な気分になる(2008/11/15)>
<ウルマンの詩>
■気が萎えたとき・・・・
私は,現在でも,積極的に登山や散策を続けている.その甲斐があってか,脚力や心肺能力などの点では,まあ,まあ,良い線を行っている方だとは思う.でも,ときどきは,気力が萎えることもある.そんなときは,座右に置いてあるサムエルウルマンの詩を読むことにしている.
この詩は,心が萎えたとき,心が病んでいるときに,とても良く利く特効薬だと思っている.この詩は沢山の方々に愛されているので,知っている人が殆どだろと思うが,私のブログを訪れて頂いた方々の中に,まだ,この詩を読んで居られない中高年の方が居られたら,是非,一読をお薦めしたい.
■ウルマンの『青春の詩』
以下は,宇野収;作山宗久共著,1986,『 「青春」という名の詩』,産業能率大学,から引用.
私は,この詩の特に最初の一行,
"Youth is not a time of life: it is a state of mind;
に,とても勇気づけられる.
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青 春
サムエルウルマン(作山宗久:訳)
青春とは人生のある期間ではなく,心の持ち方を言う.
薔薇の面差し,紅の唇,しなやかな肢体ではなく,
たくましい意志,ゆたかな想像力,燃える情熱をさす.
青春とは人生の深い泉の清新さをいう.
青春とは怯懦(きょうだ)を退ける勇気,
安易を振り捨てる冒険心を意味する.
ときには,二十歳の青年より六十歳の人に青春がある.
年を重ねただけでは人は老いない.
理想を失うとき初めて老いる.
歳月は皮膚に皺を増すが,
熱情を失えば心はしぼむ.
苦悩・恐怖・失望により気力は地を這い,
精神は芥になる.
六十歳であろうと十六歳であろうと人の胸には,
驚異に魅かれる心,おさな児のような道への探求心,
人生への興味の寒気がある.
君にも吾にも見えざる駅逓が心にある.
人から神から美・希望・喜悦・勇気・力の霊感を受ける限り君は若い.
霊感が途絶え,精神が皮肉の雪におおわれ,
悲歎の氷にとざされるとき,
二十歳であろうと人は老いる.
頭(こうべ)を高く上げ希望の波をとらえる限り,
八十歳であろうと人は青春にして已む.
Youth is not a time of life; it is a state of mind;
it is not a matter of rosy cheeks, red lips and supple knees;
it is a matter of the will, a quality of the imagination,
a vigor of the emotions;
it is the freshness of the deep springs of life.
Youth means a temperamental predominance of courage
over timidity of the appetite,
for adventure over the love of ease.
This often exists in a man of sixty more than a boy of twenty.
Nobody grows old merely by a number of years.
We grow old by deserting our ideals.
Years may wrinkle the skin, but to give up enthusiasm
wrinkles the soul.
Worry, fear, self-distrust bows the heart and turns the spirit
back to the dust.
Whether sixty or sixteen, there is in every human being’s heart
the lure of wonder, the unfailing child-like appetite of what’s next,
and the joy of the game of living.
In the center of your heart and my heart there is a wireless station;
so long as it receives messages of beauty, hope, cheer, courage
and power from men and from the Infinite,
so long are you young.
When the aerials are down, and your spirit is covered with
snows of cynicism and the ice of pessimism, then you are grown old,
even at twenty, but as long as your aerials are up,
to catch the waves of optimism, there is hope you may die young at eighty.
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(おわり)
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/c1c962b7859870dc63e8cbffb7921ccc
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a649376bcdac869ece616dec03af863a
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みられない年代になったのだろうとは、考えない。FH
さんのつぶやきに、人が自分を追い越そうが。。とブログにのせ、まさに心が萎え時、自身を内省をしている。人がどうみようが、同窓生に老醜をかんじようが、FHさんはFHさん。昨日は朝から風が強く、午後3時急に嵐にあり、5時には止ましたね。今朝の富士は白く今(10時)は雲がかかり時は流れ、方丈記のように。人間くさい詩ですね。私は愛猫(犬)や、自然の樹木に教えられる。生き、恐れることなく目を閉た愛猫。青春にこだわることは無い。私は花だ。花は散ってこそ花。地面一面に散った花を愛でる、椿、桜の散ったさまの美が好きです。一番好きな花は山百合。
間違えました。徒然草と方丈記は好きな古典。枕草子も、平家物語もすきです。源氏物語は好きではありません。
ウルマンの詩に出会ったのは,サラリーマン時代でした.それ以来,この詩を「座右の銘」にしております.
お世話になったガイドの遭難にはつらいものがあります.
これからも当ブログを宜しく御願い致します.