中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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中山道六十九宿巡り(第10回目);第2日目(2);漆器の里平沢

2011年11月18日 23時08分34秒 | 中山道六十九宿

                          <木曽路楢川小学校の運動会>

     中山道六十九宿巡り(第10回目);第2日目(2);漆器の里平沢
             (五十三次洛遊会)
         2011年9月16日(金)~18日(日)

第2日目;2011年9月17日(土)

<ルート地図>





<国道沿いの裏道を行く>

■国道沿いの草道
 9時30分に,江戸日本橋から63番目の押込一里塚を通過する.近くにある中部北陸自然歩道の道標前を通過知る.
 そして,国道に沿って作られている柵の外側の草道を進む.9時30分,草道は再び国道と合流する.

<国道沿いの草道>

■セブンイレブン
 国道に出ると進行方向左手にセブンイレブンの建物が見える.
 セブンイレブンを目印にして,地図の上の現在地を確認する.9時46分,セブンイレブンの前を通過する.


<国道沿いのセブンイレブン>

■ならかわ市場
 国道から少し離れたところを,ほぼ並行に走る道を西へ歩き続ける.
 9時49分,私たちが歩いている裏道と国道との間にある「ならかわ市場」というところに到着する.とにかく蒸し暑いので,ここで一休みすることになる.
 店内に入ってみる.冷たいものを購入する仲間も居る.

<ならかわ市場>

■芭蕉句碑
 10時05分,ならかわ市場を出発する.再び国道と並行する裏道の続きを歩きづける.
 10時22分,芭蕉の句碑の前を通過する.この句碑にどんな句が彫られているかは確かめなかった.大きな石塔の表には,大きな字で,どうやら「芭蕉翁」と書いてあるようである.
 後日,資料1(p.185)で確かめると,この句碑の裏には,
      送られつ をくりつはては 木曽の秋
という句が彫られているようである.この句は,「芭蕉が,1761年(貞享5年)に,この地を訪れたときに詠んだもので,1761年(宝暦11年)に,福島の代官山村甚兵衛良啓(たかひら)が立てたもの」だという(資料1,p.185).      


<芭蕉句碑>


<木曽平沢>

■諏訪神社
 芭蕉句碑を通過してから諏訪坂を下る.
 塩尻市役所楢川支所の駐車場の右奥にある階段を登るつもりだが,駐車場が何処にあるのかで少々迷う.楢川支所を通過して,ほんの数十メートル先へ行ったところの左手に駐車場があるのが分かるまで,数分の間,あちこちと迷い続ける.分かってみればどうと言うことのないところで,案外迷ってしまうものである.
 階段を登り詰めると深い森に囲まれた諏訪神社の境内に出る.境内に木曽平沢の案内板や,どなたかの立派な歌碑が置かれている.浅学の私には,歌碑に書かれている文字が良く読めない.
 資料2(p.115)によれば,ここは武田勝頼の木曽攻めの本陣になったところだという.


<木曽平沢の説明板>


<諏訪神社社殿>


<歌碑>

■木曽平沢の町並み
 インターネットで拾った資料によると,諏訪神社から下の道路に降りるときに,正面の階段を下りるのではなく,社殿を瀬にして左手の階段を下りるように書いてあったので,どの階段を下りようかと少々迷う.
 結局,この資料に従って左手の階段を下りて,再び中山道に戻る.
 10時30分頃,木曽平沢の集落に入る.道路の両側には情緒豊かな町並みが続く.それでいて,どこからともなく生活臭が漂っていて,とても素敵な町並みである.


<平沢の町並み>

■御嶽三社大神
 10時38分,御嶽三社大神と刻字してある大きな石塔の前を通過する.
 傍らに何か説明文があるようだが良く見えない.


<御嶽三社大神の石塔>

■笹良漆器会館
 10時43分,笹良漆器会館の前を通過する.資料2(p.115)によれば,平沢地区の住民の約80パーセント,1200人が漆器で生活しているという.まさに平沢は漆器の里である.ここは伝統的工芸品指定産地になっている.

<笹良漆器会館


■木曽楢川小学校
 10時53分,木曽楢川小学校に到着する.この学校の校舎は,総檜造りで有名である.緑豊かな敷地に校舎が建っている.
 諸学校の脇の登り坂を歩いていると,子ども達の歓声が聞こえてくる.坂道を登るにつれて,小学校の校庭が見下ろせるようになる.
 今日は運動会らしく,父母などご家族の方々も沢山集まっている.久々に長閑で楽しい情景に接することができて,旅人である私たちも嬉しくなる.


<木曽楢川小学校>


<いよいよ奈良井>

■奈良井宿の看板
 10時59分,楢川橋を渡る.橋のたもとにある奈良井宿看板の前を通過する.小さな橋を渡る.いよいよ奈良井である.


<いよいよ奈良井宿>

■奈良井駅
 11時06分,中央本線の跨線橋を渡る.中央本線の線路を川に見立てて,愛知方面を川口とすれば,中央本線の左岸から右岸に渡ったことになる.跨線橋から見下ろすと下流方向のすぐ近くに奈良井駅のホームと跨線橋が見えている.
 もっとも,資料によっては,中央本線の跨線橋を渡らずに,そのまま左岸沿いに歩くように記載されているが,実際に現場に行ってみると,私たちには左岸沿いの道は良く分からなかった.
 11時09分,私たちは奈良井駅に到着する.ここで15分ほどの休憩を取る.
 この辺りを通る列車の本数が少ないためか,私たちが立ち寄ったとき,駅には全く人の気配がなかった.

<中央本線(西線)奈良井駅>
                         (つづく)
[参考資料]

資料1;今井金吾,2005,『新装板今昔中山道独案内』日本交通公社
資料2;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社

「中仙道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f4830c1319079c4cd3c921a0d09d0e92
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/556b2b4e8279da8bf5b869c9902471fb
「中仙道六十九宿」(第11回)の概要
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/5f1386bd0aa02e6ed553276e3426cc5a

    *************************

[編集後記]

2011年11月19日(土)


 今,朝の5時30分.もちろん外は真っ暗.
 昨日までは,いかにも秋らしい好天気が続いていたが,今日は終日雨が降り続くようである.でも,朝の気温はそれほど下がっておらず,どうやら過ごしやすそうな気温のようである.
 今日は、鎌倉美術家協会洋画部作品研究会の開催日である.
 私もこの研究会で諸先生方に批評して頂くために,随分苦労して下手な絵を2枚準備している.折角の開催日にもかかわらず,あいにくの雨.雨の中,水彩画をどうやって運ぼうかと悩んでいる.
 それにしても,まあ!・・・・・ここ1週間ほど何とめまぐるしかったことか.サンデー毎日であるはずの私にしては,現役時代を凌ほどの慌ただしさを感じている.でも,そんなことを愚痴っても,もともと自分が好んで入れたスケジュールなので,自業自得というやつである.
 まず,先週は9日に塔ノ岳を往復した.今年46回目の塔ノ岳詣でである.
 翌,10日,午前中はブログ記事作成や,今回の研究会に持参する水彩画の制作に没頭.午後は7000歩ほどの散策の後,11日夜から出掛ける中山道六十九宿巡りの資料準備に没頭した.
 11日.午前中は自営業関連の仕事に忙殺される.午後から中山道六十九宿の資料整理であっという間に時間が経過する.夕食後暫くして自宅を出発して,JR関東バス新宿(代々木)へ.ここで仲間と落ち合って,23時20分発の中津川行の高速バスに乗車.車中泊.
 12~14日は,中山道六十九宿の木曽路にある福島宿,上松宿,妻籠宿,馬籠宿,中津川宿などを一回りして,14日夜,帰宅.
 15日は期日が迫っている水彩画2枚の制作に専念する傍ら,7日に予定している五十三次洛遊会の皆様との芦ノ湖西岸ハイキングの資料作りを進める.
 16日は自営業関連の雑務で午前中は終わる.夕方から東京神田のG士会館で介さされる元勤務先の懇親会に出席.この頃,頭がボケ始めたのか,夜道のG士会館がどこにあるのか分からず20分ほど近場をウロウロする.50数年前,この会館で結婚式を挙げたのに・・・
 翌,17日,終日芦ノ湖西岸ハイキング.中山道の途中で風邪を引いた.寝込むほどではないが,声がかすれて出なくなる.痰や咳が出るので叶わない.
 18日は,今度の日曜日に開催される山旅スクール5期同窓会の箱根浅間山・鷹巣山ハイキングの資料作りと,水彩画の仕上げに大半の時間を費やす・・・にもかかわらず,日曜日は雨になる可能性が強い.翌,21日(月)は,自営業の関係で東京多摩市まで出掛ける予定.
 ここで,こんなことをグダグダ書いていても仕方がないことだが・・・塔ノ岳に行く暇がないな~ぁ・・・・.でも,愚痴を書いている内に,気持ちがスッキリした.
 張り切って,全部こなしましょう・・・・!!
                                     (愚痴おわり)
 



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