<奈良井宿を歩く>
中山道六十九宿巡り(第10回目);第2日目(3);奈良井宿
(五十三次洛遊会)
2011年9月16日(金)~18日(日)
第2日目;2011年9月17日(土) (つづき)
<ルート地図>
■奈良井宿へ
■奈良井宿詳細図
<木曽の大橋>
■奈良井宿の概要
資料1(p.188)によれば,奈良井宿の人口は2155人(お得1104人,女1051人).宿内惣家409軒(内,本陣1,脇本陣1,旅籠5)であった.同資料によると,奈良井は楢井とも書くようである.そういえば,先ほど通過した小学校の名称にも「楢」の字があった.
資料2(p.86)奈良井宿は鳥井峠を控え「奈良井千軒」と呼ばれ栄えていたという.ここは木曽で最も長い町並みの宿で「重伝建(伝統の町並み)」として,全国11番目に選定を受けている(資料2,P.86).
■奈良井駅から歩き出す
奈良井駅で小休止後,11時10分頃,再び歩き出す.
ほんの数分歩いただけで,奈良井宿の街並みが見えてくる.進行方向右側は小高い丘が続いている.資料によっては,この丘の中腹に,古い中山道が通っていると書いてある.古い中山道は,宿場入口付近で,今,私たちが歩いている道と合流する.
古い中山道の合流点の少し前に二百地蔵の一部が残っているようである.ただ,私たちは,今日中に鳥井峠の難所を越えなければならないので,時間の余裕がない.残念なながら二百地蔵の見学は割愛する.
<こぢんまりとした奈良井駅待合室>
■奈良井宿に入る
11時15分,奈良井宿の町並みに到着する.古風な民家が軒を連ねている.沢山の観光客が散策している.
この写真左手の土手の上の道を少し戻ると二百地蔵がある.
<奈良井宿に入る>
■木曽の大橋
まずは,観光スポットの一つである「木曽の大橋」を見物しようということになる.宿場の通りを途中で左折して,暫く歩くと公園風の場所に出る.その先に大きな橋が架かっている.
資料2(p.115)によれば,この橋は1億円創生事業の一環として,3億3000万円の費用を投じて1991年(平成3年)に完成した.
橋の周辺には沢山の観光客が集まっている.総檜作りだと言われているが.成る程,立派な橋である.話の種に,とにかく渡ってみる.
対岸には,特段,観光スポットもなさそうなので,すこしガッカリしながら,また,橋を渡り返して,元の場所に戻る.
これはごく私的な感想だが,この木曽の大橋は実に立派な橋だが,歴史的価値という意味では,ほとんど興味を持つものではない.その点が,折角渡ったのにむなしく感じるところである.
<木曽の大橋>
<宿場に戻る>
■大宝寺
木曽の大橋から宿場の中に戻る.地図を見ると奈良井には沢山の社寺がありそうだが,まずは,大宝寺が目に付く.路地の奥に山門が見えているが,路地の奥までわざわざ行く元気がない.
資料1(p.189)によれば,ここは木曽義高の居城があったところのようである.境内の本堂左に十王堂,その裏手には木曽義高の鼻があるという.
<大宝寺入口>
■水場
宿場の通りを歩いていると,水場に遭遇する.この水場辺りから,一層.趣のある町並みになる.そぞろ歩きする観光客の姿も多くなる.
<水場>
<信州ソバを賞味>
■適当にソバ屋へ入る
そろそろ昼食を摂ろうということになる.観光案内をよく読めば,多分,いろいろな店があるだろうが,調べるのが面倒である.目に付いた場所にたまたまあったソバ屋に入り込む(11時34分).
<私たちが入ったソバ屋>
■美味しいソバ
狭い店内は客で一杯である.ご近所のお婆ちゃんらしい方々が手伝いに来ているのか,何となく不慣れでユーモラスな感じがする.モタモタとした手順ながら,大して待たせずに注文の品が出てくる.
素朴で,とても美味しいソバである.多分,私が是まで食べたソバの中では一番美味しいソバの部類に入ると思う.
<美味しいソバ>
<宿内そぞろ歩き>
■専念寺
30分ほどで昼食を終えて,ソバ屋を出る.
ソバ屋と道を挟んで専念寺の案内柱が立っている.
登り坂の小路を少し登ってみる.すると専念寺の駐車場に出る.駐車場の向こうの斜面には墓地が広がっている.丘の上に本堂があるようだが,見に行く暇はない.
案内柱によると.ここは真宗大谷派の寺のようである.
<専念寺>
■「おひさま」のロケ地
ブラブラと歩いていると人だかりがしているところがある.
物見高い私は,すぐに覗き込む.どうやら,この辺りが,テレビドラマ『おひさま』のロケ地になったようである.
私も,このドラマは時々見ていたが,ドラマの中で,何時,奈良井宿が出てきたのか,全く思い出せない.
■上問屋資料館
12時27分,上問屋資料館に到着する.沢山の観光客で混雑している.資料1(p.190)によれば,昔,上問屋で庄屋を兼ねた手塚家の家屋である.この建物は1840年(天保11年)に建造されたものである.
<上問屋資料館>
■長泉寺
12時29分,右手の小路の奥に長泉寺が見えている.
時間が押しているので,わざわざ立ち寄ることはしないが,曹洞宗の寺で,山号は玉龍山という.
<長泉寺>
■鍵之手
長泉寺の少し先で,道路が右へ曲がる.ここを鍵之手という.さらに先で再び左に曲がると,また水場がある.
宿内には現在でも水場が6箇所あるという(資料2,p.115).
<鍵之手>
■中村屋
また人だかりがしている家屋がある.中村屋である.もと櫛問屋だった.塗櫛の創始者中村恵吉の家である.
<中村家>
■民芸会館
12時33分,民芸会館に到着する.ここも観光客で賑わっている.私たちは残念ながら素通りする.
<観光客で賑わう民芸会館>
■高札場
12時35分,高札場に到着する.ここは絵図に基づいて,復元ものだという.
案内書によると,この辺りの家並みは軒庇が極端に長く作られているという.
<高札場>
<高札場近くの水場>
■鎮神社
高札場のすぐ先に鎮神社がある.
この神社の由来は分からないが,この辺りまで来ると,一般の観光客の姿は,ほとんど見られなくなる.
鎮神社を過ぎると,いよいよ鳥井峠越えである.ここで一息入れて,鳥井峠を目指すことになる.
<鎮神社>
(つづく)
[参考資料]
資料1;今井金吾,2005,『新装板今昔中山道独案内』日本交通公社
資料2;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
「中仙道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/d48db551b3f7361165979b935b695e98
「中仙道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/58418e97489401f5f4790b139a8fa952
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