<塩尻峠にて>
中山道中六十九宿巡り:第9回第3日目(16):塩尻峠
(五十三次洛遊会)
2010年9月11日(土)~13日(月)
第3日目:2010年9月13日(月) (つづき)
<ルート地図>
<今井本陣から塩尻峠入口へ>
■今井本陣跡
9時43分,今井番所跡に到着する.番所跡と道を挟んで反対側,進行方向右手に今井本陣跡がある.黒塀に立派な門構え,それに広い庭のあるお屋敷が建っている.門の脇には,明治天皇今井御小休所の刻字した大きな石碑が立っている.
傍らに設置された案内板には,「旧今井村は,中山道塩尻峠の東の登り口にあって,古来交通上の要衛で,江戸時代には,ここに御小休本陣が設けられ,今にその旧観を残している****参勤交代の西国諸国大名はの多くはこの家に御小休になった.文久元年11月5日,皇女和宮が徳川将軍家に御降嫁の時,明治13年6月24日,明治天皇が山梨,三重,京都方面御巡幸の時,御小休になられた,平成11年7月16日,「江戸時代の姿をほぼ継承している点が貴重である」として,主屋等11件が国の登録有形文化財に指定された」と書いてある.
■中山道道案内
道路は次第に登り坂になる.進むにつれて,進行方向右手の丘陵の袖を高巻きするようになる.次第に視界も開け始める.
9時46分,中山道道案内と刻字した石造りの道案内に到着する.夏草に覆われた丘に置かれている.道案内には「右しもすは」「左しおじり峠」と刻字してある.
進行方向左手には,道幅の広い自動車道路が見えている.周辺に点在する民家が段々と疎らになる.
■不動尊
9時50分,進行方向右手にある不動尊を通過する.この不動尊も大きな石に刻字したものである.夏草の小高いところに安置されている.
左手眼下に岡谷インターチェンジの大きなループを描く道が見えている.
■峠への入口で迷う
やがてインターチェンジのループ道の上に出る.この辺りから旧中山道に入る分岐があるはずだが,それがどこかがハッキリ分からない.地図では,高圧線真上を横切っている場所から旧中山道に入ることになっている.先導役のIさんと一緒に高圧線真下まで行ってみるが,そこには「オラーダの森」と書いた案内板がが立っている.中山道なのか良く分からない.ただ,踏み跡がかすかに続くような心細い道である.
もう少し辺りを探してみようと思って,元の場所に戻る.
私達二人が入口を探している間に,地図など見ずに先へ行っていた某氏が,偶然,入口を見つける.そして,得意然として私達を手招きする.私は彼の姿を見て,内心では極めて不快な気分になる.
「平素,何の下働きもしないで,良い格好するな・・・あんたの先導など受けたくないよ」
という思いが胸の内で沸騰するが,その気分をぐっと押さえ込んで,平静顔を装う.
<塩尻峠を登る>
■石船観音
市販の地図とは明らかに違うところにある塩尻峠の入口から峠道に入る.登り勾配が少しきつくなるが,舗装道路が続く.歩き進むにつれて次第に高度が上がる.振り返ると,諏訪湖の湖面が光っているのが見下ろせる.
10時13分,十字路を渡る.十字路沿いの石垣の上に「オラーダの森」と書いた案内板が立っている.頭上には先ほど目印にしていた高圧線が通っている.
この高圧線を見ながら,私は内心で,
「しまった!・・やっぱり,先ほどの踏み跡のような所が中山道だった・・」
と確信する.先ほど戻ってしまった高圧線下の踏み跡道を辿っていたら,間違いなくオラーダの森を抜けて,ここに出たであろう.
今更確かめることはできないが,この推測道こそ本当の旧中山道だろう.
十字路を少し登ると,進行方向右手に「石舟観音」という案内板がある.数十段の石段の上にある社殿が見えている.石段を登る余裕が気分的にないので,そのまま通過する.資料1によると足腰の弱い人の信仰が厚いようである.
本尊は馬頭観音,傍らの案内杭によると,船状の台の上に鎮座しているので,岩船地蔵と呼ばれているようである.
■鳴沢清水
岩船地蔵の石段脇に鳴沢清水と呼ばれる湧き水がある.金明水とも呼ばれるようである.傍らにある案内杭によると,皇女和宮や明治天皇もここで喉を潤したという.
私達も,ここで一休みする.
■大岩
登り勾配の道が続く.辺りは次第に山深い雰囲気になり始める.一行の中でも足の強い人と弱い人との差がだんだんつき始める.そして,先頭と末尾の間がすぐに開いてしまう.先頭グループはしばしば立ち止まって,後ろのグループの到着を待つ.
10時21分,進行方向左手にある大岩に到着する.盗賊がこの石に潜んでいて,旅人を襲ったという伝説があるようだ.
<塩尻峠に到着>
■富士浅間社
大岩を過ぎると,きつい登り勾配の峠道になる.舗装はされているが,なかなか登り甲斐のある道が連続する.足の遅い人たちはますます遅れ始める.途中までは遅れる人たちを待ちながら,歩調を合わせて登り続ける.
それでも少しずつ登っている内に,段々と塩尻峠が近付く.後300~400メートルで峠に到着する頃,遅い足グループは案内役のOさんにお任せして,Iさんと私が先に歩き出す.何時も足の遅い人たちに合わせて歩いているので,自分の速度で歩きたいという鬱憤が貯まっている.ここから峠までは一本道なので迷うところもない.絶好の鬱憤晴らしの機会である.
私はIさんを追い越さないようにしながら,後ろにピッタリとついて登る.後ろに誰かが付くのは嫌なものだが,そうはいってもIさんを出し抜くのも憚られる.
足の遅いグループとの間は瞬く間に広がる.気分爽快である.そんな私達も,後ろからヒタヒタとせまる足跡に気がつく.誰が追って来たのだろうと不思議に思って振り返ると,われわれのグループのメンバーではなく,地元に住んでいるご婦人である.この方は毎日塩尻峠を往復しているとのことで,素晴らしい健脚である.見る見るうちに私達2人を追い抜いていく.
10時35分,塩尻峠頂上(標高1,030m)に到着する.ここに石祠がある.富士浅間社である.傍らに立つ案内板によると,この祠は松本藩と塩尻藩の藩境を示しているとのことである.
■塩嶺御野立公園
10時36分,私達2人は塩尻峠頂上に到着する.この辺りは塩嶺御野立公園というらしい.
進行方向右手(北側)へ200メートルほど,なだらかな登り坂を入ったところにコンクリート2階建ての展望台がある.まずは,この展望台に登ってみる.
残念ながら雨雲が低く垂れ込めていて,諏訪盆地は雲の中である.
展望台に取り付けられている案内板によると,この公園は岡谷市中心部から北へ5キロメートルの地点に位置しているようである.この展望台の近くにある明治天皇巡幸記念碑の前では,塩尻市と岡谷市で毎年「御野立記念祭」が開催されているという.
■展望台からの眺望真
足の遅いグループがなかなか到着しない.展望台の上から峠が丸見えなので,全員が揃うのを上から見下ろしながら到着を待つ.その内に,上空の雲が次第に薄くなり,諏訪盆地が一望の下に見えるようになる.
10時50分,ようやく大半の仲間が揃う.そこで,諏訪盆地を見下ろしながら記念写真を撮影する.
(つづく)
資料1;完全踏査街道マップシリーズ『ちゃんと歩ける中山道六十七次』
「中山道六十九宿巡り」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/247701148f53c143175fbcf6dfed1c99
「中山道六十九宿巡り」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/241f072fd1a35e67f398100086a9d282
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