中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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中山道六十九宿巡り(第11回);第1日目(6);倉本から須原へ

2011年12月11日 06時51分22秒 | 中山道六十九宿

                            <池の尻の野趣溢れる中山道>

     中山道六十九宿巡り(第11回);第1日目(6);倉本から須原へ
           (五十三次洛遊会)
     2011年11月11日(金)~14日(月)

第1日目;2011年11月12日(土)
  (つづき)

<ルート地図>


(再掲)




<倉本を行く>

■倉本の集落に入る
 JR倉本駅で一休みした私たちは,13時53分,再び歩き出す.
 倉本駅近くのガードを潜って,駅舎の反対側に出る.そこから,斜めに引き返すような方向に,暫くの間,坂道を登る.たちまちの内に見晴らしが良くなる.進行方向左手下には,先歩と立ち寄った倉本駅のホームが見えている.
 前方にカーブミラーがある.このカーブミラーのところで,殆ど180度に鋭角に曲がる.どうやら昔の中山道は,このカーブミラーのところから,斜め下に見えている倉本駅のホームの端をかすめるように通っていたらしい.
 カーブミラーのところで鋭角に曲がると,道路の両側に民家が建ち並び始める.資料3(p.39)によると,この辺りの民家は旧茶屋だったところのようである.私たちは,ほとんど人の気配がない集落の中を歩き続ける.

<倉本の集落>

■倉本庚申塔
 栃の木坂を進む.周囲は竹林になる.14時04分,倉本庚申塔の前に到着する.近くに立派な常夜灯が立っている.
 庚申塔の側にある案内板の説明によると,「普通,庚申塔と刻まれている塔がおおいが,倉本のこの庚申塔は『除三枝尸之罪(のぞくさんしのつみ)』と彫られていて,年号も享保12年(1727年)で,上松町では一番古いもの」である.また,「右手にある徳本行者の特徴ある文字で書かれた『南無阿弥陀仏』の名号塔も木曽では大変珍しい」ものとのことである.

<倉本庚申塔と常夜灯>

■大沢越え
 やがて,心地よい草道に入る.下り坂.
 暫く坂道を進むと,大沢川に突き当たる.資料2(p.118)や資料3(p.39)では,ここから飛び石または丸木橋を渡って信号万場に出る道が示されているが,現在は通行不可.標識に従って,突き当たった道路を右折して,中央本線のガード下を潜り,14時09分,国道19号線の大沢橋の袂に出る.
 大沢橋を渡り,暫くの間,国道19号線を歩く.

<草道を行く>


<草道を行く>

■倉本の一里塚跡
 国道19号線のバス停池之尻から右折して,金吾坂と呼ばれる下り坂を進み,池の尻の集落に入る.
 14時15分,倉本の一里塚跡に到着する.江戸日本橋から74里目の一里塚である.国道19号線の拡張で,一里塚は破壊されてしまった(資料2,p.118).

<倉本の一里塚>

<池の尻を行く>

■池の尻の大家
 池の尻の集落を歩きながら,池の尻立場跡を探すが,見当たらない.この辺りの道筋は資料によって,かなり異なっている.
 遂に,立場跡が見つからないまま,池の尻の集落を抜ける.途中,「池の尻の大家」という看板が取り付けられている立派なお屋敷の前を通過する.

<池の尻の大家>

■柿を頂戴する
 集落を通り過ぎた頃,柿の木で作業をしている住民の方に,
 「池の尻立場跡はどこですか?」
と伺ってみる.そんなところは知らないという返事が返ってくる.
 その内に,
 「この柿,持って行かないか・・・皮の辺りは渋いけれども,皮をむけば,中は甘いよ・・」
とのご厚意.
 一同沢山の柿を頂戴する.
 お話を伺うと,この柿を狙って,野生の猿が集まってきて困るとのことである.
 こんな出合も,旅の楽しさである.

<池の尻で柿を貰う>

■心地よい散策路
 やがて,車道は途絶えて野趣豊かな草道になる.旧食堂と思われる家の脇を登ると,再び国道19号線に合流する.
 資料3(p.39)によると,「橋より20メートル線路に向かって上る.線路を越え道に出たら左折,すぐに右折し,池の間を通る」という説明がある.
 どこで線路を越えるのか,暫くの間迷う.
 間違っているか,正しいか良く分からないが,とにかく線路を越える.きちんとした踏切ではないので,こんなところで線路を越えるのは好ましいことではないと分かってはいるが・・・
 辺りは花が咲き誇る素晴らしい所である.
 14時37分,進行方向左手の丘の上に一軒の家屋が見える.その奥にエドヒカン桜と思われる立派な桜の木が見えている.
 「ああ,あの木だよ.エドヒカン桜は・・・」
私たちは,間違っているかも知れないが,一応,この木をエドヒカン桜だと確信して先へ進むことにする.
(注)後日,資料を子細に調べた結果,これはエドhカン桜ではないことが分かった.

<気持ちがよい散策路が続く>


<この建物の奥に立派な桜の木がある>

<JR須原駅>

■須原宿が近い
 エドヒカン桜から道なりに草道を進む.一旦,国道19号線に出るが,すぐに右折して国道19号線沿いの崖下の道を進む,道幅が狭いのどかな散策路である.
 15時15分,「右須原宿」と書いてある案内杭の前を通過する. 
 案内杭の指示に従い,道幅が狭い間道に入る.

<須原宿の案内板>

■JR須原駅に到着
 15時17分,私たちはほぼ予定通りの時間に,JR須原駅に到着する.
 ここも閑静な無人駅である.私たちは,これから上り普通電車で中津川まで行って,中津川で名古屋行普通電車に乗り換え,恵那まで行って,恵那駅近くのビジネスホテルに宿泊する予定である.
 上り電車の時刻まで,まだ,大分時間があるので,駅近くを彷徨いてみることにする.

<須原駅近くでリーダーの説明を聞く>


<JR須原駅>

■幸田露伴文学碑
 駅前に幸田露伴文学碑がある.この碑には幸田露伴が須原宿の利発な娘にヒントを得て出世作が生まれた経緯が記されているようである(資料2,p.118).
 ただ,幸田露伴のどの小説が,是に当たるのかは,浅学の私には分からない.

<幸田露伴文学碑>

■須原の一里塚跡
 駅前広場の駅舎と反対側に,須原の一里塚跡がある.江戸日本橋から75番目の一里塚である.
 ただ,中山道は,駅のある場所より,一段低い西側を通っているので,どうして,こんなに高い位置に一里塚跡があるのかは,私には分からない.

<須原の一里塚跡>

<恵那で宿泊>

■中央本線の電車で恵那へ 

 須原16時12分中津川行の電車に乗車する.
 この辺りは,中央本線という幹線にありながあ,1.5時間に1本程度の電車しか走っていない不便な場所である.
 今朝方,電車に乗って通過した路線を逆向きに走っている.
 16時48分に中津川駅に到着する.ここで16時58分発名古屋行快速電車に乗り換える.そして,17時08分,中津川から二つ目の駅,恵那駅に到着する.

<須原駅のホームにて>

■エナプラザホテルにチェックイン
 辺りはもうすっかり薄暗くなっている.今日から2日間,私たちが宿泊するエナプラザホテルは,駅から線路沿いに少し戻ったところにあるようだ.
 予めインターネットで調べた地図を頼りに真っ暗な道を歩く.
 駅からおよそ5分ほどで,エナプラザホテルに到着する.簡素で小規模なビジネスホテルである.まずは,指定された部屋に入って旅装を解く.
 すぐに風呂に入って,サッパリとする.

■大衆食堂で会食
 18時頃,全員でホテルから10分ほど離れたところにある大衆食堂に入る.たまたま目に付いた食事処に履いたまでで,最初からこの店を目指したわけではない.
 初老の女性が1人で,危なっかしく切り盛りをしている.
 私は刺身定食を注文する.長時間歩いたので美味.
 
<まずはビール>                               <突き合わせ>


<刺身定食>


<デザート?>

■こうして第1日目は終わった
 20時少し前にホテルに帰着.すぐに自室に戻り就寝.
 夜行バスで,殆ど眠れないまま,第1日目の行程をこなしたので,いささかの疲労感が残る.とはいえ,秋の美しい風物を長めながらの旅は,とても楽しかった.ただ,自分たちだけの手作り旅なので,見落としてしまった風物や史跡も沢山あっただろう思うが,一方では手作りの度ならではの楽しさも沢山味わうことができた.
 こうして,第11回の第1日目は無事終わった.

<第1日目のラップタイム>

 7:07  木曽福島駅発(福島宿見学)
 8:06  木曽福島駅着
 8:24  木曽福島駅歩き出し
 8:38  塩淵の一里塚
 9:23  御嶽遙拝場
 9:56  明治天皇聖跡碑・木曽の桟
10:38  上松宿入口
10:43  本町の一里塚跡
10:57  上松材木役所跡
11:16  たせ夜・越前屋
11:30  臨川寺・寝覚の床(昼食)
13:00  荻原の一里塚
13:52  倉本駅着(10分休憩)
15:07  須原駅着

[歩行記録]

■水平歩行距離
          21.2km

■累積登攀高度                     546m

■累積下降高度                     753m

■所要時間(休憩時間込み)
 木曽福島発           8:24
 須原   着                       15:07
 (所要時間)             6j時間43分(6.72h)
 水平歩行速度        21.3km/6.72h=3.17km/h
                                  (つづく)

[参考文献]

資料1;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料2:岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料3;五街道ウォーク事務局『ちゃんと歩ける中山道六十七次』

「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/941ca0c66d51bc511dd454597283e253
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/6ba2b88656d8256ce64156c26023015d



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