<国済寺>
[修正版] 歩いて巡る中山道六十九宿(第4回):(6)深谷宿へ
(五十三次洛遊会:単独歩行)
2010年1月27日(水) (つづき)
※本稿の初出は2010年2月7日である.
初稿の地図を差し替え,本文の加除修正を行った.
<ルート地図>
<熊野大明神>
■儀安寺を通過
光福寺を出発,往路を辿って再び旧中山道に戻る.また,西北西に向けて真っ直ぐな道を歩き続ける.やがて進行方向右手に寺が見えるが,儀安寺のようである.手許の案内書にはこの寺について特段の記述もないので,立ち寄るのを割愛して先を急ぐ.
この寺について,インターネットで調べてみたが,曹洞宗の寺という以外に,これといった情報は,今のところ見当たらない.
■熊野大明神参道
道路が僅かに左に曲がり,ほぼ真西の方向を向く.そして,大きな交差点に到着する.地図で確かめると上宿から鳥居崎というところに入るようである.
さらに進んで,道路左側の郵便局を通過する.この辺りで道路は僅かに右にカーブする.
15時47分,熊野神社参道の入口に到着する.入口から先が見えないほど長い参道が北東の方向に伸びている.これまでのロスタイムが大きいために,時間が大分押している.一瞬,熊野神社の参拝はパスしようかとも思ったが,折角,ここまで来たのだから参拝しようと決心する.仮に,参拝したために遅くなっても,一人旅なので,だれに迷惑がかかるわけでもない・・そう思うと,急に気が楽になった.
長い参道に入る.参道の途中に交差点があるらしくて,参道を横切る車が絶えず見え隠れする.
「あんなところまで,参道が続いているんだ・・・」
と半ば呆れながら歩き続ける.
行けども,行けども,参道が続く.私は,ひょっとしたら熊野神社の社殿はないのではないかと訝りながら,とにかく参道の終点まで歩こうと心に決める.
<熊野神社参道>
■熊野大明神に到着
急ぎ足で歩いて,15時51分,漸く熊野神社に到着する.参道の終わり近くの右手(東側)に,立派な社殿が建っている.
資料5には,次のような記述がある(要約).「当地は古くから開かれた土地であり,地内は家型埴輪が出土した古墳期の森末古墳,奈良期から平安期にかけての堂明様遺跡などが知られている.社記に延長5年(927年)この地に枇杷の木を棟木にして小祠を建て上野国碓氷郡熊野本宮より奉遷し東方村と号すとある.御祭神は伊邪那美命・速玉男命・事解男命の三柱である.
現在の本殿は上野台の領主萩元但馬守景朝,その子秋元越中守長朝が,当社が館の東北にあたっている事から城の守り神として崇敬し,天正年間(1573~1592年)に社殿を寄進したものである.本殿正面の桁に秋元家の家紋の彫刻が施されている.
文政2年と平成11年の大修理を経て今日に至る.本殿は昭和34年,深谷市指定文化財に指定された.
中山道一の鳥居から参道約300メートルの両側に奉納された39基の石灯籠があり,二の鳥居を過ぎると452本の玉垣に囲まれた境内地がある.さらにその先に右側に樹齢350年のご神木の大欅がある.
三の鳥居を過ぎると450本のヅツジ林がある.さらにその先で上毛三山を一望することができる.」
<熊野大明神の説明文>
■熊野大明神本殿
社殿の前に到着する.
大きくて立派なお宮である.辺りには人影もなく静まり返っている.大きな屋根瓦に,隣の建物の影が延びている.
「大分,日が傾いてきたな・・・そろそろ先を急がなければ・・・」
私は一人歩きの気楽さから,ついついノンビリとしすぎているようである.
私は5分ほど境内を散策した後,先を急ぐことにする.
<熊野神社本殿>
<国済寺とその周辺>
■愛宕神社
熊野神社の参拝を終えて,参道を引き返す.太陽が大分西に傾いている.この分だと深谷駅に到着するころには,とっぷりと日が暮れているかもしれない.
“でも,まあいいや・・・どうせ一人旅なんで・・”
私は,はやる心を落ち着かせる.
元の道に戻って,また西に向かって歩き始める.
16時03分,進行方向右手にある愛宕神社に到着する.どうやら,先を焦りすぎて御嶽神社一心行者記念碑を見落としているようである.
とにかく,愛宕神社を参拝する.
資料6によると,「御祭神は火産霊命(ほむすびのみこと).楡山神社の摂社であり,同一の氏子によって護持されている.旧中山道に面し、江戸時代までは八町八反の広大な社叢をもち,火防などの信仰がある.」という.
さて,そうなると楡山神社が気になる.でも,そこまで遡ってしまうと切りがなくなるので,この辺りで詮索は止めておこう.
<愛宕神社>
■御嶽神社一心行者記念碑
愛宕神社の参拝を終えて,今来た道を戻る.そして,16時08分御嶽神社一心行者記念碑に到着する.境内の正面にある鳥居を意識せずに,いきなり記念碑の横手の空き地から境内に入ったことに気がつかなかった.
資料7によると,「一心行者(明和8年(1771年)~文政4年(1821年))は,江戸後期の木曾御岳の行者.信濃国小県郡上本入村(長野県小県郡武石村本入)生まれ.江戸下谷車坂町穀物商の養子となり,一家を創立,信濃屋又四郎と称した.42歳のとき妻子死に遭い仏門に入る.下谷万徳寺恵性和尚の弟子となり,後に本明院一心と号した.木曾御岳を深く信仰し,布教と講の結成に努めた人物.文政3年(1820年),不穏な教説を説いたとして幕府の弾圧を受け,遠島の刑に処せられ牢死した.のちに弟子や信者によって木曾御岳王瀧口一心堂や霊神碑が建立され,深谷市には霊場が設けられた.」という.
■国済寺
記念碑を拝観してから,左手の道を進むと袋小路になっている.あれ,変だなと思って,また記念碑まで戻る.そして,鳥居が建っているのに気がついて,境内の正面にまわる.そして,鳥居の前の道を南に進む.多少迷いながら,最初の四つ角を右折して,16時15分,国済寺に到着する.大きくて荘厳な雰囲気が漂う寺である.
境内入口にある説明文を読む.
資料8によると,「臨済宗の南禅寺派の寺.開創は1390年.深谷上杉氏の祖・上杉憲英(のりふさ)が,廰鼻和(こばなわ)城内に禅宇を建立,峻翁令山(しゅんのうれいざん)禅師を開山.
国済寺の名前は「安国済民(国を安んじ,民を済度する)」に由来している.江戸時代,再度の火災により伽藍は消失.残った土塁と築庭跡などの廰鼻和(こばなわ)城址と上杉憲英公墓は県指定遺跡に,また開山峻翁令山(しゅんのうれいざん)禅師木像は県指定文化財,黒門・三門・上杉氏歴代墓・法灯国師木像などが市指定文化財になっている.」
<国済寺>
■六地蔵と道祖神
国済寺の境内から表に出る.道を挟んだところにある六地蔵と道祖神を拝観する.
六地蔵の裏手は道幅の広い自動車道である.絶えず自動車が通過しているので,何とも落ち着かない.
辺りは夕暮れどきを迎え,何となく寂しく慌ただしい気分になってくる.そろそろ帰りを急がなければという気分になってくる.
<六地蔵>
■日吉大明神荒神社
道祖神前から,国済寺の隣にある日吉大明神荒神社に向かう.16時17分,参拝を終える.そして,旧中山道からは少し外れるが,日吉大明神荒神社の前の道を,数分の間,そのまま歩いてみる.
この神社の由来などは,手許の資料では,余りよく分からない.
<日吉大明神荒神社>
■庁鼻和館と見返りの松
16時23分,庁鼻和館の前に到着する.ここには説明板が立っている.
説明文によると,この辺りは北西隅外郭土塁があったようである.
資料9によると,「庁鼻和城(こばなわじょう)は,深谷市国済寺にあった平城(ひらじろ)]で,深谷上杉氏の祖である庁鼻和上杉氏の居城である.」
<庁鼻和館> <見返り松の碑>
■見返りの松
再び愛宕神社前に引き返して,先へ進む.
16時23分,見返りの松に到着する.いよいよ深谷宿も間近である.
[加除修正]
2013/2/7 ルート地図の追加と本文の加除修正を行った.
[参考資料]
資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料5;http://www.geocities.jp/engisiki/musashi/bun/mus170901-04.html
資料6;http://homepage3.nifty.com/nireyamajinja/atago/index.htm
資料7;http://kotobank.jp/word/%E4%B8%80%E5%BF%83
資料8;http://kokusaiji.web.fc2.com/
資料9;http://fukapedia.com/wiki/%E5%BA%81%E9%BC%BB%E5%92%8C%E5%9F%8E
(つづく)
「中山道六十九宿巡り」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/86f2a74d694c89d9df79b12adb3354e4
「中山道六十九宿巡り」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/c6699a28d0090be774e05de317541496
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e
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