<地蔵堂にある庚申塔>
[改訂版] 歩いて巡る中山道六十九宿(第4回):(5)深谷から篭原へ
(五十三次洛遊会:単独散策)
2010年1月27日(水)
※本稿の初出は2010年2月6日である.
初稿のルート地図を更新し,本文の加除修正を行った.
<ルート地図>
※再掲
<植木の一里塚と新照寺>
■国道17号線から旧道に入る
13時58分,熊谷警察署近くの大きな交差点を通過する.これまでの進捗からみて,どうやら大分時間が押しているようである.私は一人旅の気ままさから,歩行速度をかなり上げて歩くことにする.国道17号線に沿って,単調な雰囲気の道を北西に向けて歩き続ける.
14時04分,Y字形の二股に到着する.国道17号線から鋭角に左に分岐する道に入る.歩道のない2車線道路である.
<Y字型の分岐を左に入る>
■植木の一里塚跡
14時08分,植木の一里塚跡に到着する(資料4(p.10)には”植木の一里塚”と標記されているが,“新島の一里塚”と言うのかも知れない).江戸日本橋から17里目の一里塚である.
ここには大きな欅(?)の木が根を張っている.見上げると無数の冬枯れ枝が青空の中に広がっている.木陰に一里塚の案内板が立っている.
案内板の記事によると,この木の高さは12メートル,樹齢300年ほどだという.また,かつては中山道の両側に5間四方の塚があったという.「道中絵図」には,この塚に榎1本,サツキ2本が画かれているが,現在植えられているのは,やはりケヤキであり,なぜケヤキになっているのかは不明とのことである.
<植木の一里塚跡> <現存するケヤキ>
■忍領石標
14時09分,植木の一里塚跡から歩き出す.
歩き出してから,ほんの1分ほど,進行方向左手に忍領石標と案内板が立っている.古い石標は風化が進んでいて,何が彫ってあるのか良く分からないが,案内板によると,この石標は埼玉県指定文化財旧跡に指定されているようである.
<忍領石標説明板> <忍領石標>
■新照寺
ふたたび旧中山道を西北に歩き続ける.
14時15分,新照寺に到着する.山門は閉ざされている.塀の脇から境内を覗くと,こぢんまりとした現代風建築の本堂が見える.境内には人気がない.
この寺の由来は事前学習が不足の私には分からない.そのまま,通過する.
資料5によると,ここは浄土宗の寺のようである.
<新照寺>
<道端の祠と地蔵堂>
■久保島歩道橋
また旧中山道にそって歩き続ける.地図を見ると,この辺りは農業試験場のようだが,正確なことは分からない.途中,数本の道路と交差して,14時26分,再び国道17号線に合流する.途端に,自動車の往来が激しいので,何となくイライラ感がつのる.
14時28分,久保島歩道橋を渡って,国道17号線の進行方向右側の歩道に出る.歩道橋を渡り終えると,すぐにY字形の分岐がある.分岐点に「1円」と書かれた大きな看板が印象的である.この看板に向かって右側の狭い道に入る.辺りには農家風の家が並んでいる.でも,閑静そのもの,辺りには人の気配は全くない.
<久保島歩道橋>
■道端の祠
14時42分,進行方向左手道端の祠を通過する.
祠の写真を撮って,歩き出すと,私の後ろから来た自動車から声を掛けられる.年輩の女性である.
「・・あの~ぉ・・スミマセンが,××の△△さんの家はどの辺りででょうか・・」
私はビックリする.
「すみません・・私,地元の人間じゃないんで,分かりません・・・」
「ああ,そうでしたか・・・困ったな! どうもスミマセンでした.どこか他で聞いてみます」
そういえば,旧中山道に入ってから,全く人に会っていない.ただ,ただ,一人で黙々と歩いていることに気がつく.
14時50分,今度は,進行方向右手に,もう一つの道端の祠を見付ける.小さいけれども立派なお堂の中に石像が安置されている
<道端の祠> <もう一つの道端の祠>
■地蔵堂
また,暫くの間,旧中山道に沿って単調な風景を眺めながら歩き続ける.
14時58分,玉井5丁目にある地蔵堂に到着する.立派なお社である.境内の傍らに大きな庚申塔が立っている.
<地蔵堂>
■明治天皇御小憩所
再び旧中山道に沿って歩き続ける.沿道の民家がだんだんと混んでくる.かなり大きな町の郊外のような雰囲気になる.地図で確かめると,JR篭原駅が近いようである.篭原駅で下車したことはないが,湘南新宿ラインの電車で篭原行というのがあるので,名前だけは知っている.
町中の交差点を通過する.左折すると篭原駅のようである.そろそろ明治天皇小憩所が近いので,辺りを注意しながら先へ進む.15時06分,次の交差点を通過する.この交差点も左折すると篭原駅に行けるようである.
15時07分,進行方向左手にある明治天皇御小憩所に到着する.石造りの垣根の中に立派な石碑が立っている.
<明治天皇御小憩所>
<鬼林稲荷と光福寺>
■鬼林稲荷
また,単調な道を進む.
15時12分,三菱電線の工場脇を通過する.相変わらず人気のない道が続く.時間が大分押しているので,私はますます早足になる.単調で真っ直ぐな道をひたすら歩き続ける.
15時18分,進行方向右手にある鬼林稲荷に到着する.
駐車場(?)の空き地の片隅に赤い鳥居が何本も並んでいる.その鳥居をくぐり抜けると,小振りだが立派なお社がある.
<鬼林稲荷の鳥居> <鬼林稲荷>
■光福寺
また単調な街道が続く.私はますます急ぎ足で歩き続ける.
いつの間にか,辺りは郊外型の田園地帯になっている.次に訪れる予定の興福寺は,ガソリンスタンドエネオス近くで,左折して路地を少し入ったところにある.とにかくエネオスが見えるまでは,大急ぎで歩こうと思う.ただ,万一,エネオスが廃業していたら,通過してしまう可能性がある.そこで地図を見て,
「あと500メートルぐらいは大丈夫だな・・・」
と見当を付ける.そして,前方に見える木立に目を付けて,あそこまでは地図を見ずに,ひたすら歩くことにする.
15時26分,進行方向右手にあるエネオスに到着する.
この辺りで左折しなければならないが,同じような路地が2本あるので,どちらの道かなと迷うが,「(有)長谷川鉄工所前」の看板のところで左折する.
路地に入ってから,あれ・・ここで良かったのかなと戸惑うが,15時33分,無事に光福寺に到着する.
瓦葺きの大きな屋根のある立派な本堂を遠目に拝観する.
資料5によると,ここは真言宗智山派の寺である.
<光福寺>
[加除修正]
2013/2/6 ルート地図の追加と本文の加除修正を行った.
[参考資料]
資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料5;http://www.tesshow.jp/saitama/kumagaya/temple_index.html
(つづく)
「中山道六十九宿巡り」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/61a030362649699f4965a7a1d2e7292a
「中山道六十九宿巡り」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f1068bbb1aded3935fb85a2b89902e27
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e
※記事の正確さは全く保証しません.
この記事は,あくまで,個人的趣味.仲間達と情報を共有することを目的としています.第三者の方々を読者の対象とはしていません.ご不快に感じられましたら,以後,当ブログへのアクセスはご遠慮下さい.