中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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歩いて巡る中山道六十九宿(第4回):(5)熊谷から篭原へ

2013年02月06日 05時15分52秒 | 中山道六十九宿

                    <地蔵堂にある庚申塔>

[改訂版] 歩いて巡る中山道六十九宿(第4回):(5)深谷から篭原へ
           (五十三次洛遊会:単独散策)
           2010年1月27日(水)

※本稿の初出は2010年2月6日である.
 初稿のルート地図を更新し,本文の加除修正を行った.

<ルート地図>


※再掲




<植木の一里塚と新照寺>

■国道17号線から旧道に入る

 13時58分,熊谷警察署近くの大きな交差点を通過する.これまでの進捗からみて,どうやら大分時間が押しているようである.私は一人旅の気ままさから,歩行速度をかなり上げて歩くことにする.国道17号線に沿って,単調な雰囲気の道を北西に向けて歩き続ける.
 14時04分,Y字形の二股に到着する.国道17号線から鋭角に左に分岐する道に入る.歩道のない2車線道路である.

<Y字型の分岐を左に入る>

■植木の一里塚跡
 14時08分,植木の一里塚跡に到着する(資料4(p.10)には”植木の一里塚”と標記されているが,“新島の一里塚”と言うのかも知れない).江戸日本橋から17里目の一里塚である.
 ここには大きな欅(?)の木が根を張っている.見上げると無数の冬枯れ枝が青空の中に広がっている.木陰に一里塚の案内板が立っている.
 案内板の記事によると,この木の高さは12メートル,樹齢300年ほどだという.また,かつては中山道の両側に5間四方の塚があったという.「道中絵図」には,この塚に榎1本,サツキ2本が画かれているが,現在植えられているのは,やはりケヤキであり,なぜケヤキになっているのかは不明とのことである.

 
<植木の一里塚跡>                                      <現存するケヤキ> 

■忍領石標
 14時09分,植木の一里塚跡から歩き出す.
 歩き出してから,ほんの1分ほど,進行方向左手に忍領石標と案内板が立っている.古い石標は風化が進んでいて,何が彫ってあるのか良く分からないが,案内板によると,この石標は埼玉県指定文化財旧跡に指定されているようである.
   
<忍領石標説明板>                                        <忍領石標>

■新照寺
 ふたたび旧中山道を西北に歩き続ける.
 14時15分,新照寺に到着する.山門は閉ざされている.塀の脇から境内を覗くと,こぢんまりとした現代風建築の本堂が見える.境内には人気がない.
 この寺の由来は事前学習が不足の私には分からない.そのまま,通過する.
 資料5によると,ここは浄土宗の寺のようである.

 
<新照寺>

<道端の祠と地蔵堂>

■久保島歩道橋
 また旧中山道にそって歩き続ける.地図を見ると,この辺りは農業試験場のようだが,正確なことは分からない.途中,数本の道路と交差して,14時26分,再び国道17号線に合流する.途端に,自動車の往来が激しいので,何となくイライラ感がつのる.
 14時28分,久保島歩道橋を渡って,国道17号線の進行方向右側の歩道に出る.歩道橋を渡り終えると,すぐにY字形の分岐がある.分岐点に「1円」と書かれた大きな看板が印象的である.この看板に向かって右側の狭い道に入る.辺りには農家風の家が並んでいる.でも,閑静そのもの,辺りには人の気配は全くない.

<久保島歩道橋>

■道端の祠
 14時42分,進行方向左手道端の祠を通過する.
 祠の写真を撮って,歩き出すと,私の後ろから来た自動車から声を掛けられる.年輩の女性である.
 「・・あの~ぉ・・スミマセンが,××の△△さんの家はどの辺りででょうか・・」
私はビックリする.
 「すみません・・私,地元の人間じゃないんで,分かりません・・・」
 「ああ,そうでしたか・・・困ったな! どうもスミマセンでした.どこか他で聞いてみます」
 そういえば,旧中山道に入ってから,全く人に会っていない.ただ,ただ,一人で黙々と歩いていることに気がつく.
 14時50分,今度は,進行方向右手に,もう一つの道端の祠を見付ける.小さいけれども立派なお堂の中に石像が安置されている
 
<道端の祠>                                           <もう一つの道端の祠>

■地蔵堂

 また,暫くの間,旧中山道に沿って単調な風景を眺めながら歩き続ける.
 14時58分,玉井5丁目にある地蔵堂に到着する.立派なお社である.境内の傍らに大きな庚申塔が立っている.

<地蔵堂>

■明治天皇御小憩所
 再び旧中山道に沿って歩き続ける.沿道の民家がだんだんと混んでくる.かなり大きな町の郊外のような雰囲気になる.地図で確かめると,JR篭原駅が近いようである.篭原駅で下車したことはないが,湘南新宿ラインの電車で篭原行というのがあるので,名前だけは知っている.
 町中の交差点を通過する.左折すると篭原駅のようである.そろそろ明治天皇小憩所が近いので,辺りを注意しながら先へ進む.15時06分,次の交差点を通過する.この交差点も左折すると篭原駅に行けるようである.
 15時07分,進行方向左手にある明治天皇御小憩所に到着する.石造りの垣根の中に立派な石碑が立っている.
 
<明治天皇御小憩所>

<鬼林稲荷と光福寺>

■鬼林稲荷

 また,単調な道を進む.
 15時12分,三菱電線の工場脇を通過する.相変わらず人気のない道が続く.時間が大分押しているので,私はますます早足になる.単調で真っ直ぐな道をひたすら歩き続ける.
 15時18分,進行方向右手にある鬼林稲荷に到着する.
 駐車場(?)の空き地の片隅に赤い鳥居が何本も並んでいる.その鳥居をくぐり抜けると,小振りだが立派なお社がある.
 
<鬼林稲荷の鳥居>                            <鬼林稲荷>

■光福寺
 また単調な街道が続く.私はますます急ぎ足で歩き続ける.
 いつの間にか,辺りは郊外型の田園地帯になっている.次に訪れる予定の興福寺は,ガソリンスタンドエネオス近くで,左折して路地を少し入ったところにある.とにかくエネオスが見えるまでは,大急ぎで歩こうと思う.ただ,万一,エネオスが廃業していたら,通過してしまう可能性がある.そこで地図を見て,
 「あと500メートルぐらいは大丈夫だな・・・」
と見当を付ける.そして,前方に見える木立に目を付けて,あそこまでは地図を見ずに,ひたすら歩くことにする.
 15時26分,進行方向右手にあるエネオスに到着する.
 この辺りで左折しなければならないが,同じような路地が2本あるので,どちらの道かなと迷うが,「(有)長谷川鉄工所前」の看板のところで左折する.
 路地に入ってから,あれ・・ここで良かったのかなと戸惑うが,15時33分,無事に光福寺に到着する.
 瓦葺きの大きな屋根のある立派な本堂を遠目に拝観する.
 資料5によると,ここは真言宗智山派の寺である.

 
<光福寺>                     

[加除修正]

2013/2/6  ルート地図の追加と本文の加除修正を行った.

[参考資料]

資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料5;http://www.tesshow.jp/saitama/kumagaya/temple_index.html
                                   (つづく)

「中山道六十九宿巡り」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/61a030362649699f4965a7a1d2e7292a
「中山道六十九宿巡り」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f1068bbb1aded3935fb85a2b89902e27
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e

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