☆ナギの日記☆

家族5人。
両親と私と娘と、おっさんの日常を綴ります。

願い

2017-06-12 04:08:07 | その他女性日記
物静か・・・?
と言うより内弁慶な私。大人の人見知りは問題だとテレビで言ってた。
幼い頃から余計な事を言うなオーラ全開の私の両親。
私の人格形成に大きな影響を与えたと思っている。
父は古いタイプの人で、男はこうあるべき、女はこうあるべきという、一種の
男尊女卑みたいな感じの思想の人で家族には口うるさく小さな事でいつもガミガミと怒っている人だった。
それが、父親の役目だと思っていたみたい。女は大和撫子であるべき!って感じ。
利口で男をたてる奥ゆかしい大人しい性質の人が美徳であるみたいな価値観の人だ。
騒ぐと怒られていた。だから自然と父の前では大人しくするようになった。
私も大人しい利口な人が良い人なんだと父の価値観を刷り込まれた?と思う。
人前では大人しいお利口さんでいなければならないというような意識ができあがったため
人前では騒ぐような事はしなかった。
家に帰って父がいない時間だけが自由に騒げる二面性のある性格に育っていった。
学校でも職場でも物静かだった。それが良い子?(笑)だと無意識に信じきっていたのである。
でも、元々の気性はやんちゃだったのだと思う。
だから、いつもストレスを抱えていた。
高校生の時にストレスMAXになったせいか過敏性腸症候群みたいになった。
あまりにもひどくて一人で内科に行って異常がないかバリウムなんかを飲んで親に内緒で検査をしてもらっていた。
で、自分はストレスでおかしくなっているのかもしれないと18歳の時、一人で精神科にも行った。
父の価値観に合わせられなかったし疑問に思っていた。
ありのままではいけないんだみたいな意識がいつもあった。
物わかりのいい大人しい良い子が愛されるのだと無意識に思っていたのだろう。
でも、私には苦行だった。(笑)
小さい頃は学校から帰ると別人のように元気に遊ぶ二重人格のような子供になっていた。
学校なんかはお勤め感覚だった。(笑)
大人しく良い子でいればいいと単純に思っていた。なので、学校が終わるとのびのびしていた。
静かな両親に慣れてしまったので最終的には私も無口であまり笑わない子に育った。
感情をあまり外に出さない子に育った。それは物凄くストレスになった。
随分、性格の事で苦労した。大人になってからいろいろ影響して、しまいには統合失調症になった。
私は、学生の頃から自分の子供はのびのびと育てようという意識があった。
勉強ができなくても元気で喜怒哀楽を素直に出せる子供に育てたいと密かに思っていた。
私も結婚し、子供を授かった。とても嬉しかった。自動的に?明るい家庭を作りたいと思ったが
離婚せざるおえない事態になった。とても苦しんだ。子供に別の淋しさを味あわせてしまうと
心が痛んだ。結婚そのものが間違っていたんだと苦しんだ。
私が憧れていたのは明るい家庭。仲のいい親子。深い絆で結ばれている家族・・・。
結局、子供にひどい苦労を味あわせてしまっているという感覚が自分の愚かさを感じさせ
落ち込んだ。いろいろあり、精神科に入院したりもした。
悔やんでも悔やみきれない思いだ。周りには散々、悪口を言われている。
私の小さな願いが大きな間違いになり愛する娘まで苦しませていると思うと
自分の愚かさに私も苦しんでいる。誰もそのことを知らない。
親友に言ったが結局私は怒られ絶交になってしまった。
何もかもを失ったような喪失感。
私は朗らかで温かい家庭を望んでいただけだ。結婚は無理だと諦めていたのに縁談があって会うだけということになり
最終的にこんな事になってしまった。学生の頃の小さな願いが大きな過ちになってしまった。

でも悩んでいられない。
前進あるのみだ。
誰も恨まず歩いていこう。