人間万事塞翁が馬~膵内分泌腫瘍との共存

夫は2008年に膵内分泌腫瘍が発覚しました。スーテント→サンドスタチン→アフィニトール→ザノサー+5FUで治療中。

予想外の展開

2014-09-13 06:58:24 | 発覚するまでの日々
「告知」を受けてから数日後 内科の主治医からお話があるとの連絡を受けました
夫と私で指示された時間にナースステーションの前にある部屋に伺うと
「○○大学病院で治験をやっているグループがあります そこに行けば
化学療法ができるかもしれないので 紹介状と今までのデータを持って受診してください」
と言われました
暗闇のなかに一筋の光が見えたような気がしました
手術ができなくても 効く薬がなくても 「化学療法」が受けられるかもしれない!
もちろん当時は「化学療法」とはどんなものか 考えもしませんでしたが
何もできないと言われたあとだったので とても嬉しかったのを覚えています

○○大学病院の受診日が決まり まだ入院中だったので外出許可をもらって行くことになりました

○○大学病院の内科の医師は私たちの前で画像を見ながら
もしかしたら手術ができるかもしれません 外科とカンファレンスをして決めますので
自宅に電話しますね」びっくりし過ぎて絶句する私たち…
予想外の展開に帰りの車のなかで「夢みたいだね 手術できるといいね」と
二人で何回も同じことを繰り返していました

いま思うと最初に受診した病院と大学病院では規模がまったく違うので
設備や医師の数も比較にならないのでしょう
でも最初の内科の主治医が○○大学病院で治験をやっていることを知らなかったら
紹介してもらえずにそのままだったかもしれません
本当にラッキーとしかいいようがありません

最初に入院してから約二か月で退院しました
退院してすぐに○○大学病院から「手術は可能との判断がでました ベッドが空き次第
入院になりますので自宅待機していてください」思わず心のなかでガッツポーズ!!
三週間ほどで入院の日程の電話がありました

すっかり寒くなった12月初旬 ○○大学病院の外科に入院しました






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手術そして組織検査

2014-09-11 21:20:28 | 発覚するまでの日々

前回 内科から外科に移ったのは入院してから三週間と書きましたが
保険会社に提出した診断書の写しを確認したら約40日でした
1か月以上かかって検査しても病名がわからなかったのです…失礼いたしました

さて手術は朝9時から3時間の予定で行われました
同じ市内に住む私の両親も駆け付けてくれてデイルームで待っていました
昼前に手術は無事に終わり 医師が家族に説明があるとのことで
手術室の手前にある狭い部屋に通されて 3人で緊張していると
医師が「これが取り出した肝臓と胆嚢です」と生々しい肉片を持ってきました
「ほらここに腫瘍があるでしょ」というような説明を受けたと思うのですが
夫の身体から取り出したばかりの内臓だと思うと 私は思考が停止状態です
母は気分が悪くなり かろうじて父がいろいろと質問してくれました
夫はもう病室に帰っていましたが まだ意識もうろう状態だったので
両親には自宅に戻ってもらいました
私が夫に「おつかれさま」と声をかけると
「何か見つかった?」と絞り出すように聞いてきました
でも…こんな状態で腫瘍があったなどとは言えず「大丈夫だったから」と返すと
安心したようにまた眠ってしまいました

1週間後 組織検査の結果を二人で聞きました
膵内分泌腫瘍及び肝転移とのことでした
「転移があるので手術はできません 有効な薬もありません
緩和ケアをお勧めします」
治療はもうできないということ? これからどうなるの?
混乱している私たちに 医師は生徒に説明する先生のように
「命は1年ないと思ってください 月単位で考えてください」
これで説明は終わりました
心臓がバクバクしていましたが涙は出ませんでした
あまりにも急に余命を告げられたからです
夫が「もう息子が帰ってくる時間だから家に戻ったら?
自分も疲れたから病室に行くよ」と言って歩き始めました
ドレーンをぶら下げた後ろ姿が病室に消えていくのを見届けて
自宅へ帰ってから 初めて涙が出てきました
何の自覚症状もなく ついこの間までバリバリ仕事をしていた夫が数か月後には…
医師の言葉が頭の中でグルグルとまわっていて
そのあと息子が帰ってきて夕飯を作って一緒に食べたはずなのですが
どうしても思い出せないのです
今までで一番つらい夜でした


























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検査・検査・検査

2014-09-10 23:25:55 | 発覚するまでの日々
入院したものの何の自覚症状もない夫は退屈を持て余していました
足の筋肉が落ちないようにと 病院内を歩き回り
外出許可を取っては結構な距離をウォーキングしていました

その合間に検査が入ります
毎日午後の面会時間になると病室に訪ねて行ったのですが
枕元に「○○検査のため夕食後は絶飲食」などと
ふだがぶら下がっていると 検査当日はその時間に合わせて
面会に行くようにしていました
一番つらかったのは胆膵内視鏡(ERCP)だったそうです
苦痛が伴うので軽く眠くなる点滴をしてもらったのに
まったく効かず ずっと意識があるなかで苦しかったと言っていました
私が看護婦さんにこっそり聞いたら ふだんから強いお酒を飲む人に
効かないことがたまにあると言われました
仕事で深夜帰宅のときは寝酒にウイスキーを飲んでいたので原因はそれかも…

このほかにもいろいろ検査をしたのですが なかなか病名が判明せず
「危険だから」という理由で途中で中止になった検査もあったりで
不安な毎日でした

結局開腹手術をして組織検査をすることになったので
入院してから三週間ほどで内科から外科に移ることになります

内科での主治医は温厚な白髪頭の医師でした
外科での主治医は理科の教師のような雰囲気の若い医師でした
開腹手術をする前日 夕方に外科の医師から説明がありました
そのときに「膵内分泌腫瘍を疑っています」と初めて言われたのです
もちろん聞いたこともない病名…
医師が書いてくれたメモを握りしめて帰宅して
夜中までパソコンにかじりついて検索しまくりました
とにかく珍しい病気だということと 限られた治療法しかない(2008年当時)
と いうことはわかりました

翌日の午前中 手術があるので少しでも眠らなくてはと焦りましたが
うとうとするだけで朝になってしまいました

一番不安なのは夫なのだから 私はしっかりしていようと気合をいれて
病院へ向かいました






 







きっかけは職場健診

2014-09-09 15:21:36 | 発覚するまでの日々
2008年の夏 夫は数年ぶりに職場健診を受けました
何年間も仕事で多忙な日々が続いていて 
健診どころではなかったのでした
私もそれなりに心配はしていたのですが
深夜に帰宅 早朝出勤 土日も休みがない日々が続くと
息子もまだ小学生だったし
健診に行ったかどうかを気にする余裕もないんですよね

そして予想通り糖尿病と肝臓で要精検になりました
さすがに重い腰をあげて精密検査を受けに行った夫から
電話が入りました

夫「急な話なんだけど入院することになった」
私「何故? 糖尿病の教育入院とか」
夫「そうじゃなくて 肝臓のエコーで引っかかっので
  詳しく検査して何の病気かを調べて治療しないとまずいらしい」
 私 絶句
夫「医者はすぐ入院してというんだけど 仕事の引継ぎもあるし
  1週間後にしてもらったよ 帰ったら詳しく話すから」


私は息子のPTAの会議を終えて
クラスのお母さんとファミレスでランチしていたところでした
身体中の血の気が引いていくのを感じながら
「肝臓の病気って何だろう…」とおしゃべりもうわのそらになっていました

帰宅した夫の話では 肝臓に影が見えるのと 肝臓のなかを通っている
太い血管が見えないのが問題になっているとのことでした
糖尿病はまた別に治療するので
入院してから外来で診察を受けることになりました

1週間後 近所の総合病院に夫は入院しました
9月初旬のまだ暑い日でした