
山道を登って行くと、望洋邸というマンションの横に出ます
警戒厳重ですので、通り過ぎて「ぼんばた橋」を渡って、
振り返ると、「ぼんばたけ」の向こうに望洋邸がそびえてます。
車道に出るので小坪トンネルの方へ歩きます

134号線の飯島トンネルです。これからあのトンネルの上を回り込みます。
トンネルの上の扇山を主峰とする丘には住吉城があったそうです

住吉城址実測図です(「逗子市住吉城址」より)。先ほどの「ぼんばたけ」に家臣の邸、
「げんじヶ谷」に住吉城(城主の館?)があったと言われてます。

住吉隧道、このトンネルをくぐると正覚寺、
記主良忠上人が鎌倉に来て住み着いた悟真寺です

正覚寺の裏山には住吉社があり、住吉城址の板が置いてありました。
戦国時代の初め、三浦道寸と弟の道香がこの山城にこもって、 北条早雲の軍勢と戦いました。道寸と道香兄弟の奮戦もむなしく 戦いに敗れ、道寸は三浦の新井城へ逃れ、道香は逗子の延命寺境内で、 家来たちと自害したと伝えられています。 住吉城は山城ですから、近世の城のように天守閣も石垣もありません。 自然の地形をうまく利用して、攻め寄せる敵を防いだものと思われます。 |

祠の横にトンネルがあります。が、出口は封鎖のようです。
鎌倉攬勝考などに出てくる「くらがりやぐら」は
このあたりから「げんじヶ谷」へのトンネルのことと思われます。
「げんじヶ谷」に邸宅が建ったときに閉じられたとのこと、志村源太郎(大正12)、
幣原喜重郎(大正15)、五島慶太、秀吉魁(昭和31)らの邸宅になったそうです。

小坪海岸トンネルの上に現在の「げんじヶ谷」に立つ豪邸が見えます。
SMAPの香取慎吾さんの別荘という噂です

六角の井戸を通って光明寺に戻りました
平場などが有るのですが、。
地元の方から書き込みいただき恐縮です。
すみません、分かりません。
逗子図書館に「逗子市住吉城址」があるので読んでみると何か分かるかも?