≪手を動かさねばっ!≫

日常で手を使うことや思ったこと。染織やお菓子作りがメインでしたが、病を得て休んでいます。最近は音楽ネタが多し。

仲道郁代 ピアノリサイタル に行った。

2018-01-20 18:25:12 | 音楽


富岡市かぶら文化ホールで仲道郁代で演目がショパンで
それがなんと2500円で観られると知って
喜び勇んで観に行った。


仲道氏はふわっと花のような雰囲気を纏って現れ、その雰囲気のままに
ショパンの生涯の中から後半の方、特に晩年から演奏していく、との説明。
作品番号が若くなっていくのをチェックしてください、と。
ショパンは美しい光の部分が愛されるけれど、
影があるから光が映えるんだと思います、と言っていた。


椅子に座ると余計な間をおかずにすぐに始まる。
無駄な動作がなくピタリと決まっている。
演目は 幻想即興曲 嬰ハ短調 op.66。

第1音で雷に打たれた。

あまり感傷的にならずけっこう一気にいく解釈が
わたしは気に入った。
その気になれば、ショパンはずいぶんメロメロにすることができるけれど、
そうせず品を保つ、ってショパンに対する敬意だな。

仲道氏の話によると、ショパンは生前この曲の出版を許さなかったそうだ。
彼はとても推敲を重ねる人だったそうだ。
後世の人がこんなに美しいと思う曲なのに、なぜ
許さなかったんでしょうね? と。

2曲目は ワルツ 第6番 変ニ長調「子犬」 op.64-1、
3曲目が ワルツ 第7番 嬰ハ短調 op.64-2。

子犬のワルツは有名で可愛らしいのだけれど、
この曲を書いたときは実はショパンはもう晩年で
健康を著しく害していたときだったそうだ。
それに比べると7番はもっと素直に愁いがあるな、と言っていた。

ショパンはポーランドを出て二十歳でパリに出てきて
最上級の文化や人たちに囲まれたけれど、
常に祖国への思いがあった。
複雑な人だったんだ と思います、と言っていた。


というような感じで、演目の構成に淀みがない。
話す内容や調子、雰囲気、仲道氏の佇まい、演奏、
それらが高度に統一されていて、夢のよう。

演奏は、凄いものを観た、としか言い様がない。
あえて言葉を探すとすれば、
非常に高いレベルで均整がとれている、というべきか。
楽器に向かったときに瞬時に現れる深い集中、迷いのなさに、
積み重ねてきたものをひしひしと感じた。

なぜこのフレーズをこのように歌うのか、
なぜここはさらりと行きこちらを強調するのか、
そこの根拠を聞いてみたい、と思った。


ショパンがポーランドを離れているあいだにワルシャワで11月蜂起が起きて、
家族や友達がどうなっているのかも分からない、そういう状態になったんです、
と言っていた。

ショパンの祖国への思いについて触れたあとには
3つのマズルカより 第30番 ト長調 op.50-1。

マズルカはポーランドの舞曲です。
パリの人たちにとって、ショパンが取り入れ皆に見せたポーランドの音楽は
エキゾチックでカッコよかったんです。
蜂起でパリにポーランド貴族が5000人も亡命してきていたんです、
その人たちにもこういう曲はうけました、と言っていた。


ショパンはパリで大成功を収めてサロンでもご婦人方に
 ショパン様 ♡
とか呼ばれるようになったけれど、
男装で葉巻なんかふかすジョルジュ・サンドと仲良くなるんです。
それがサロンで非難轟々でマジョルカ島に逃げるのです。
マジョルカ島は暖かくて素敵なところなんですが、
ショパン達が行ったときは生憎の雨で
ショパンの病気が悪化したんです、と言っていた。

ショパンは臥せっている、ジョルジュたちは戻ってこない、
もうこのまま死んでしまうのだろうか?
しつこく聞こえてくる雨音に強迫観念がどんどん強まる。
そういう曲が「雨だれ」です。
曲のあいだ中しつこくしつこく雨だれの音が鳴り続いているんですけれど、
一か所だけ雨だれの音の止まるところがあるんです。
そこでショパンはいったい何を見たんでしょう? と言っていた。

ということで、プログラムには書いてなかったけれど話の流れで
前奏曲 第15番 変ニ長調 op.28-15 「雨だれ」。


命からがらマジョルカ島からパリに戻ってきて医療も受けて、
ショパンは作曲を再開するんです。
それまでには書いていなかったような大曲を書くようになるんです、と言っていた。

ということで、大曲が2曲続いた。
幻想曲 ヘ短調 op.49
バラード 第4番 ヘ短調 op.52
この頃には仲道氏の技量に慣れてはいたけれど、
乱れることなくきっちり音を出した上で深い解釈を表現されているのを
目の当たりに観ると、心が熱くなったり背筋が寒くなったりする。

バラードを書いたころにはもうジョルジュとも別れたあとで、
会えないまま亡くなった父や祖国を思ったりしたのでしょう、と言っていた。


ここで第1部が終了して15分の休憩が入った。



そのタイミングでピアノの軽いチューニングが入った。
そういえば、仲道氏の椅子は前傾している。
椅子の後ろ側の脚が長くなっているのだが、この写真から分かるかしら。


第2部はアイスグリーンのドレスにお召しかえして現れた。
ちなみに第1部はサーモンピンクだった。

バラード 第3番 変イ長調 op.47
ノクターン 第13番 ハ短調 op.48-1
ノクターン 第14番 嬰ヘ短調 op.48-2

これらの曲を書いていた頃は、一年の半分くらい
パリの郊外にジョルジュたちと住んでいたんです、と言っていた。

12の練習曲op.10 第12番 ハ短調「革命」
ワルシャワの革命に対する思いが現れている、と言っていた。

12の練習曲op.10 第3番 ホ長調「別れの曲」
途中の和音が乱れる部分、頭のなかがぐちゃぐちゃになって、
と両手で頭をかき乱す真似をしていた。
そのややこしいところをどのように弾くのか
興味津々だったが、変に溜めず一気にいっていた。


ポロネーズ 第6番 変イ長調 op.53「英雄」
ポロネーズもポーランドの踊りなんですけれど、
国家の一大事、みたいなときに行進しながら踊られるんです。
ショパンはパリで亡くなるんですけど、心臓は故郷に返してくれ
と遺言して、死後すぐに取り出されたそれは
ワルシャワの教会に埋められたそうです、と言っていた。

仲道氏の演奏を聴いていたら心を去来するものが色々あって、
別れの曲あたりから涙が止まらなくなってしまった。

作曲家の人生から心を打つ作品が生まれるんです、
同じ人間なんだな と感じる、と言っていた。
そういう作曲家への敬意が
真摯な音作りに表れているのだと思った。

  ああ凄いものを観たなあ


これで第2部は終了。
さっさとアンコールが始まった。
ノクターン 第20番 嬰ハ短調 遺作 op.20
シューマン 3つのロマンスより第2番 op.28-2
そして、最後はいつもこれを弾くんです、と
エルガー 愛の挨拶 。

コンサートの構成が完成されていたから
3曲も要らないのになぁ ... 。


...................................................................................



駐車場が混んで、遠いところに車を置くことになった。
そこから会場に向かう途中の景色。




階段を登りきって駐車場も通りすぎると巨大なカブトムシが出迎えてくれる。




視線を少し左に向けると共用の入り口。
そう、右がカブトムシのいた群馬県立自然史博物館で
左が目当てのかぶらホール。




これがかぶらホールの外観。


最後にこんなことを書くのは後味が悪くて野暮で
素晴らしかったコンサートを汚すようだが、
観客のマナーはよくなかった。
電話が鳴ること2回、
弾き始めようとしているのに静かにならず手を止めて待つこと2回。
演奏中に話したり、鈴がチリチリなったり。
チケットが安いからか? それとも?
マナーは悪いのにアンコールはやたらとねだる、って。
出口が混みあったらグイグイ押してきたり踏んできたり、
何をそんなにかさついているんだろう!?
主宰者挨拶でも名前を呼び間違えるし。


色々な意味で揺さぶられたコンサートだった。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« アランセーター | トップ | 鯛のアラとゴボウを炊いたもの »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

音楽」カテゴリの最新記事